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55話 軍師、懸念を抱く

 エルハーゲンの広場には、ノルデン伯らの命によって絞首台が築かれていた。


 今、その完成した絞首台の上にはノルデン伯ら諸侯が立っていた。その後ろには、手足を縛られたマシアスら西岸北部の将軍たちが、首に縄をはめられ立っている。


 ノルデン伯は、絞首台の周囲に集まる民衆に、先ほどから演説を繰り返していた。


「……かように、マシアスら将官たちは我ら領主に反逆したのだ! 勝手に兵を動かし、領地の危機を招いた!! この私が、帝都から援軍を引き連れてきたのにも関わらずだ!!」


 怒鳴るような叫び。

 しかし、その叫びはいとも容易くに民衆の声にかき消される。


「アルシュタートの援軍がなければ、お前たちが帰ってくるまでに俺たちは死んでたぞ!」

「そうだ! 今更帰ってきて何を偉そうに!!」

「お前なんて領主様じゃねえ!! 俺たちの主人はアルシュタート大公様だ!!」


 民衆の声はさらに勢いを増すと、やがて「出ていけ!」という大合唱が始まった。


 一方のノルデン伯は顔を真っ赤にして答える。


「き、貴様らぁあ!! おい、こいつらを殺せ!!」


 ノルデン伯は近くに立つ衛兵に声をかけるが、衛兵は困ったようにマシアスに顔を向けた。


「お、おい!! 私の命令が聞けないのか!! 誰か!!」


 再び声を上げるノルデン伯だが、衛兵たちは誰も応じない。


 その様子を見て、ノルデン伯は近くに立つ軍師バルダーに慌てて問う。


「ば、バルダー、どうすれば良い?」

「わ、私がエレンフリート殿に急ぎ救援を求めて参ります!!」

「な!? そ、それなら私が!! おい、待て!!」


 逃げるバルダーの後を追おうとするノルデン伯だが、民衆の中には飛び込めない。


「ど、どいつもこいつも!」


 マシアスは焦るノルデン伯を見て、呆れるようにため息を吐いた。


「閣下……今更命など惜しくはありません。早く我らを殺し、自らが主であることをお示しください」


 その声に、他の将たちも頷く。

 誰も自分たちの主に命乞いをする者はいない。


 だが、ノルデン伯はそれを聞いて更に激昂した。


「言われなくてもわかっておる!! おい、さっさと吊るし首にせよ!!」


 衛兵たちが再びマシアスに顔を向けると、マシアスは深く頷いた。

 それを見た衛兵たちは尚も戸惑う様子を見せるが、やがて絞首台の床を開く取手へと歩いていく。


「やめろ!! マシアス様たちを殺すな!!」


 一方の民衆たちは処刑をやめさせようと、絞首台へ押しかける。


「ち、近いたら殺すぞ!! 殺せ!」


 ノルデン伯は自らの護衛の兵に民衆を追い返させようと命じた。


 護衛の兵は十数名ほど。

 領地に残されていた衛兵たちは百いるが、誰も命令に応じない。

 対して民衆は数百。


 勝敗は見えているが、民衆にも危害が及ぶ。


 マシアスはそう考え、自ら民衆を説得しようと考えた。


 その時だった。


 広場の入り口側が何やらざわめき出す。


「あれは……」


 マシアスは広場へと入ってきた者たちに目を丸くした。


 アキトと師駒たちが広場へとやってきたのだ。


「アキト殿……」


 マシアスは目に涙を浮かべた。

 自分たちを助けにきてくれたのだ。嬉しくないわけがない。

 しかし同時に、アキトに難しい決断を強いてしまったことを申し訳なく思っていた。


 民衆たちは絞首台へと向かうアキトに、進んで道を作り歓声を浴びせる。


「アルシュタート大公様の軍勢だ!!」

「聖女様もおられるぞ!!」


 一方のノルデン伯はその様子を見て、青筋を立てる。


 先ほどから民衆の口から、アルシュタート大公の名は聞いていた。

 そしてこの民衆たちの反応を見れば、大公は相当に慕われているに違いない。


 当然気に入らない。

 しかも、自分が下に見てきた貧乏な領主だ。


 ノルデン伯は絞首台の下で足を止めたアキトに詰問する。


「そこの小僧か! 我らの兵を独断で動かした馬鹿者は!!」

「馬鹿者はどちらか。マシアス殿らは、序列に従ったまでだ!」

「序列?」


 怒り顔のまま首を傾げるノルデン伯。


 そんなノルデン伯に、アキトは堂々と答えた。


「我らはアルシュタート大公の軍。大公閣下は、貴公らより高位の爵位を有している。いずれの領主も不在ならば、大公閣下の代理人である私が指揮を執るべきは当然のこと」

「わ、私はお前らなど呼んだ覚えは……」


 ノルデン伯は言葉の途中で詰まってしまった。

 他の領主たちも黙り込んでいる。


 無理もない。

 彼らは皆、正式にアルシュタート大公に増援を要請している。

 そして帝国において、大公は伯爵より高い位。

 どんなに人口や兵が少なくても、それは変わらない。


 最初に何か取り決めをしているならばまだしも、大公の代理人が指揮を執るのは自然なことであった。


 アキトはこう続ける。


「マシアス殿らに責を負わせるということは、我らの大公閣下に異を唱えることと同義。ひいては閣下を大公に任じている皇帝陛下に逆らうこととなる。貴公らはそれが分かっておられるのか?」

「こ、小僧……!!」


 歯軋りするノルデン伯。


 しかしアキトの言っていることは何ら間違っていない。

 加えて、民衆はアキトやマシアスたちの味方。

 また、アキトの後方には百近い武装した者たちが控えている。


 このままでは自分たちの身も危ない──


 怖気付く領主たちを見て、アキトはこう続けた。


「我らはただ、マシアス殿らに責はないと言いたいだけだ。遺憾ではあるが、責めるのであれば大公閣下を責めればよろしい。陛下に直接奏上する形でな。お望みなら、町を出るまで身の安全は確保いたそう」


 命を取るつもりはないという助け舟。


 すでに、ノルデン伯ら領主に勝ち目はない。

 このままでは自分たちが吊るし首になるような雰囲気だ。


 ここはアキトに従うほうが得策──

 そう考えた領主の一人が衛兵に言う。


「わ、私は将の責を問うつもりはない!! 解放してやってくれ!!」

「わ、私もだ!!」


 堰を切ったように領主たちは、アキトに従い始めた。

 領主の中には自ら、将の拘束を解く者も現れる。


 ノルデン伯はしばらく怒りで体を震わせていたが、ついに衛兵に目配せする。


 衛兵はすぐにマシアスの拘束を解いた。


 それを見て沸き立つ民衆。


 ノルデン伯ら領主にとっては屈辱でしかない。

 部下に、民衆に、そして下に見ていた領主に折れたのだから。

 すでに自分たちの爵位が名目だけになっていることは明らかだった。


 領主たちの中には、自分の将に涙ながらに詫びる者もいた。

 自分の非を認めることで、部下や民衆に許しを乞うつもりなのだろう。


 しかしノルデン伯ら多くの領主たちは、広場の外へと向かった。

 民衆に出て行けという声を浴びせられながら。


 解放されたマシアスは、すぐさまアキトのもとに駆け寄り頭を下げた。


「アキト殿、本当にありがとう……しかし」

「大丈夫だ。彼らの今後の行動は予想がつく」


 アキトの言うように皇帝へ直訴する──それは最終手段だ。

 皇帝への直訴は、自分たちに統治する能力がないことを自白しているのと変わらない。

 武力によって領地を侵されたとか、陰謀の証拠があったならまだしも、恥を晒すだけだ。


 だから、彼らはまず、帝国騎士団と合流するだろう。


 そして彼らに、自らこそが真の領主であると証明させる手伝いを頼むはずだ。


「冷静だな……アルスに危害が及ぶのかもしれないのだぞ?」


 マシアスは申し訳なさそうな顔で言った。

 アルスが攻められないかと不安に思っているのだ。


 アキトは首を横に振って答える。


「それは考えにくい。今回やってくる騎士団の軍師のことは、よく知っている」


 アキトの脳裏に、軍師学校の学長エレンフリートの顔が浮かぶ。


 彼が、今回やってくる帝国騎士団の軍師を務めていた。


 強情な彼ではあるが、戦局を見る目はアキトも認めるところ。


 帝国騎士団は皇帝の軍。

 領主同士の諍いに手を貸して、アルスや西岸北部を占領しようとは思わないだろう。

 民衆の心が離れているのを知れば尚更、首を突っ込むのは避けるはずだ。


 だから彼らがやってきても、素直に引き返すはず──


 ……いや、そもそも学長や騎士団は何故こんな辺境へと急いでやってきたのだろうか?


 真に西岸北部を守るため……騎士団にそんな殊勝な心の持ち主がどれだけいるか。

 それにその気があるなら、そもそももっと前にアルスや西岸に手を差し伸べていたはずだ。


 ノルデン伯らとの親交のためとも考えにくい。

 彼らは帝国内では決して裕福な領主ではないし、貴族の集まる帝国騎士団はほとんど金には困っていないはず。


 では、何のために彼らは動くか。


 それは──名誉のためだ。


 エレンフリートと帝国騎士団は、アンサルスの戦いで大敗した。

 エレンフリートが立案した作戦で、最高戦力と目されていた帝国騎士団が、格下と見ていた魔物に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。


 彼らは、一刻も早くその恥をすすぐ機会を求めていたはず。


 だが南部の戦線は防衛優先で、打って出る機会はなくなった。

 他の戦線でも攻勢に出れるような戦線はない。


 そんな中、西岸北部のアンデッド騒動が起きた。

 エレンフリートと帝国騎士団は、名誉挽回の機会と考えたのだ。


 もちろん、すでに吸血鬼とアンデッドは駆逐されている。


 だから、雪辱を晴らす機会は失われた──すでにそう判断していれば帝都に引き返しているだろう。


 それでも、アキトの心は晴れない。

 そればかりか、もっと重大な懸念を抱くようになってしまった。


 北には、まだ敵がいるのだ。

 北魔王軍という敵が。


 ──北魔王軍相手なら勝てる……もし、学長がそんなことを考えていたら。


 北魔王軍を触発し、侵攻を招いてしまうかもしれない。


 今、西岸北部はボロボロの状態。

 侵攻は避けなければならない。


 しかし、アキトに学長や帝国騎士団を止める手立てはなかった。


 ならば、残る手立ては一つ……か。


 顔を暗くするアキトを見て、マシアスは心配そうに言う。


「アキト殿……今からでも」

「いや、もう決めたことだ。マシアス殿たちには、それぞれの領地を復興してもらう。西岸北部の民たちには、マシアス殿たちが必要なんだ」


 アキトの声に、マシアスは神妙な面持ちで頷く。


「もちろん……アキト殿たちに救われた命だ。身を粉にして、復興にあたろう、だが、先も言ったが」

「心配しないでくれ。俺が……必ずアルシュタートと西岸北部を守る」


 アキトは自分に言い聞かせるように言うと、北へと顔を向けるのだった。


〜〜〜〜〜


 その頃、エルハーゲンの南では、逃げてきたノルデン伯ら領主が、ある騎乗した男の前に跪いていた。


 男の後ろには、煌びやかな鎧に身を包んだ帝国騎士団が控えている。


 ノルデン伯ら領主たちは、騎乗した男に深く首を垂れた。


「どうか、どうか私たちをお助けください!! エレンフリート殿!!」


 ノルデン伯ら領主は、一様に頭を深く下げた。


 一方で騎乗した男──エレンフリートは独りごちる。


「アンデッドは完全に駆逐されていた……か。我らを誘引するための偽計とも考えたが」


 エレンフリートはずっと騒動が鎮圧されていたことを疑っていた。

 在地の戦力とアルシュタートの援軍だけでは、到底対処できる問題でないと思ったからだ。


 しかしノルデン伯らの様子を見るに、鎮圧されたことは間違いない。

 領地を捨てた領主が領民から追い出されるのも自然なこと。


 本当に、騒動は収まったのだ。


 その立役者は、ノルデン伯らが小僧と軽んじるアルシュタートの軍師だという。


 軍師を名乗るのだから、軍師学校出身で間違いない。

 そのような有能な者がいたとはと、エレンフリートは素直に感心した。


 エレンフリートは、頭を下げ続けるノルデン伯らに答える。


「状況はわかりました。して、そのアルシュタートの軍師の名は?」

「はっ! 姓か名もわからないのですが、アキトと呼ばれておりました!!」

「何?」


 アキトと聞いたエレンフリートは露骨に顔を歪める。


 そんな名前の男は、一人しか知らない。


 自分がつい最近、退学に追い込み帝都から追い出した、あのアキトだ。


 まさか、アルシュタートで軍師をやっているとは……

 そして大した戦力もないこの西岸北部で絶望的な状況を切り抜けた。


 自らのお気に入りの生徒だったなら、エレンフリートも鼻が高かっただろう。


 しかしアキトは違う。


 思い出したくもないアンサルスの戦いで、自らの策に異議を唱えた男だ。

 しかも彼が抱いた策への懸念は的中してしまった。


「こんなところで……」


 苛立ちを見せるエレンフリート。

 だが大公の軍師となったアキトをどうこうする権限は、エレンフリートにもない。


 それにアキトなどという小物を相手にしていても、気など晴れないことはわかっている。

 学院からアキトを追放したエレンフリートだが、その程度では鬱憤を晴らすことはできなかった。


 アンサルスの敗戦の後、変わった周囲の目。

 擦り寄ってくるのは、下心を持っている者ばかりとなってしまった。


 あらゆる者から向けられていた真の敬意と称賛は、あの敗戦で失われたのだ。


 それを……再びそれを取り戻すには、戦いで勝利を掴むしかない。


 アンサルスで失った名声と評価を取り戻す──それが、それだけが今のエレンフリートの求める者だった。


 そして彼の後ろに続く帝国騎士たちも思いを同じくしていた。


 帝国騎士団の将軍が、エレンフリートに尋ねる。


「エレンフリート殿。いかがされますか? よもや、このまま引き返すということは」

「ええ。もちろん、そんなことはあり得ませんよ」


 エレンフリートはノルデン伯たちに顔を向けて言う。


「我らは皇帝陛下と元老院より、アンデッド討伐を命じられてやってきました。ですが、まだ危機は去っていない」


 ノルデン伯たちは首を傾げるが、次のエレンフリートの言葉を聞いて歓喜する。


「本来、領主方の衝突に手を貸すことはできないが、あなた方が真の領主であることを民衆に示すお手伝いはできるでしょう」

「ほ、本当ですか!?」


 ノルデン伯たちはエレンフリートにありがとうございますと頭を下げた。


「ええ……名誉を取り戻すには、戦うしかない。我らはこれから、残された脅威……北魔王軍と戦います。あなた方も、ともに名声を勝ち取りましょう」

「へ?」


 呆然とするノルデン伯たち。


 一方のエレンフリートは手を挙げると、帝国騎士団とともに北への進軍を再開する。


 馬上で独りごちるエレンフリート。


「私は帝国一の軍師……誰がなんと言おうとだ」


 アキトなど、取るに足らない軍師。

 自分が北魔王軍を打ち倒し、西岸北部にしばらくの安定を取り戻せばそれを証明できる。


 そしてかつて戦いの後で得た溢れんばかりの喝采を、もう一度帝都で浴びるのだ。


 北魔王軍と戦う決意を固めたエレンフリートと帝国騎士団は、補給と侵攻計画の立案のため、エルハーゲンへと向かうのだった。

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