4 困惑の聖騎士隊長
ルーカス・クラウェルは、侯爵の父と平民の母との間に庶子として生を受けた。十歳の頃父に引き取られ侯爵邸で暮らし始めたが、男にだらしなかった母親や、侯爵家に呼び戻された途端纏わりついてくる女たちへの嫌悪感は、成長とともに増していった。
女に触れられるだけで鳥肌が立つので、男しかいない騎士は天職だと思っている――
そんな聖騎士隊長ルーカスは現在、不機嫌極まりないといった表情をしている。
王族の我が儘により長引いた任務が終わり、やっとリュウの飯にありつけると思っていれば、ベテラン騎士三人が魔法師団の新人に絡んでいるところに遭遇したからだ。
(はぁ……。どいつもこいつも……。早く飯を食いたいのに……)
肝心のリュウが相手の女を庇っているので、仕方なしに酔っ払ったベテランたちを諌めることにしたのだが――
(神? って確か、俺の半裸を離さなかった女だよな? 騎士に絡まれてたのに、なんでニコニコしてんだ? やべぇ。絶対俺の方に向かって笑ってるし……)
ルーカスは、整った眉間に深々と皺を寄せたままフリーズする。
「まあまあ、ルーカス。ちょっとおふざけが過ぎただけみたいだし、今回は勘弁してあげようよ?」
のんびりした声が、食堂の入り口から聞こえてきた。我に返ったルーカスが、振り向きもせず背後の人物に片手を挙げる。
「来たかロレンス」
「ロレンス副隊長……」
ルーカスに続いて食堂にやって来たのは、聖騎士隊副隊長のロレンスだった。
「ごめんねルーカス、待たせたかい? って、なんだか面白そうな状況だけど、僕たち今戻ったばかりで疲れてるんだ。早く食事を摂らせてくれないかな?」
「お、おう。すぐ出してやる。ルーカス、ロレンス、リント。アイヴィーを頼んだぞ」
安心したリュウが厨房に戻ったのを見届け、ルーカスは何事もなかったかの様にシレッと椅子に座った。だが、実のところ、アイヴィーと呼ばれた存在に困惑し続けていて、胸中穏やかでない。
(また、俺の半裸で揉めていたよな? 今度は何をしようとしていた?)
上官たちの登場に、すっかり酔いも醒め縮こまるオジサン三人組と、推しの登場にポヤ~んとするアイヴィー。そのアイヴィーを心配して、大丈夫かとツンツン突っつくリントに、慌ただしく料理を出す準備を始めたリュウ。
食堂は、カオスな空間と化していた。
口火を切ったのは、この状況を楽しんで見ていたロレンスだった――
「君が今話題のアイヴィーちゃんだよね? さあ、気を取り直して、一緒にご飯を食べようか? いつか話してみたいと思っていたんだよ」
キラキラと輝く金髪碧眼を持つロレンスは、女性人気がかなり高い。ルーカスと同じ白銀の隊服に身を包んだロレンスはそれはそれは麗しい微笑みをたたえ、紳士的にアイヴィーをエスコートして隣に座らせようとした。
「ロレンス副隊長、ありがとうございます」
生ルーカスに恍惚としていたアイヴィーはロレンスに生返事をし、推しを見詰めたまま彼の手をスルリとすり抜ける。
「へっ?」
「うっ」
そして、アイヴィーは、ちょこんとルーカスの隣を陣取っていた。推しの登場に混乱していたからこそ、勢いで成せた技だ。
うっとりしながら自分の隣に座った女にぎょっとするルーカスと、女性にエスコートを断られた経験がなく愕然とするロレンス。
「ぼ、僕の手を取らない女がいるなんて……」
(スゲェ。あの副隊長を無視したぞ!?)
(スカシ野郎め、ざまぁみろ! 嬢ちゃんナイス!)
(ほ~う。なかなかやるな!)
オジサン三人組は、心の中でアイヴィーを称賛する。
(ブホッ。やっぱりアイヴィーは可愛いなぁ。一途なとこも良い。よし、ルーカスの胃袋を掴めるよう、俺秘伝のレシピを教えてやるか?)
手際よく準備をしながらも、リュウはニヨニヨしてしまう。
(隊長本人にいきなり遭遇して、一杯一杯なんだろうな……。てか、先輩たちまで情緒がおかしくなってるし……)
なにから手をつけて良いかわからなくなったリントは取り敢えず、正気に戻ったオジサンたちを少し離れた席に座らせた後、リュウの手伝いを始めた――
(ルーカス様の隣に座ってしまった!!!!)
この状況に、アイヴィーの心臓は爆発しそうなくらいの早鐘を打っている。あまりの感動で身体がプルプル震えるけれど、全然止められない。
美味しいリュウのご飯も、なかなか喉を通らなかった。
(リュウさんのご飯、ちゃんと食べなきゃ……。夕食までもたないよ……。なのに、胸が一杯で食べられない……)
そんなピュア過ぎるアイヴィーの様子を見て、オジサンたちは応援したくなっていた。温かい目で二人を見守っている。
しかし、当のルーカスは、隣でモジモジしだしたアイヴィーに耐えきれなかった。
「おい。リュウの飯をしっかり食え」
「オフッ! ルーカス様に話し掛けられた……。ルーカス様、最高……し・あ・わ・せ……」
推しに話し掛けられたアイヴィーが、胸を貫く甘い痛みにうち震えながら本音を駄々漏らしたその瞬間、彼女から清らかな白色の魔力が溢れ、辺り一帯を包み始めた。
「「「な、なんだ?」」」
「わわっ。すごい魔力だね」
「「アイヴィー!」」
「おいっ、お前っ!」
瞬く間に、その温かな魔力は食堂全体に広がってゆく。
「治癒魔法か!?」
「広範囲の治癒じゃねえか!? 俺の足に感覚が!」
(あれえ……?)
愛しのルーカスに続き、リュウの声が遠くから聞こえてくる。
オジサン三人組も「腰が痛くねぇ!」やら、「目が見える!」やら、「ガキの頃の古傷が跡形もなくなったぞ!」と騒ぎだす。
(わ、たし……が治癒魔法を……?)
長年生きていれば、誰しも何かしらの痛みを持っていたり、傷痕が残っていたりするもの。その場に遭遇した全員が身体を確認しだし、歓喜の声をあげていた。
「すげえよアイヴィー!」
「へえ~。本当だったんだね」
痛みに無縁のリントは、アイヴィーの能力にただただ驚き、魔法の才もある副隊長ロレンスは、その魔力の強さに感心している。
「ありがとう、アイヴィーちゃん!」
特にリュウを含めた、オジサンたちのはしゃぎっぷりが凄かった。
「エヘヘ……、よかったです……」
強面オジサンたちが無邪気に笑っている。アイヴィーも嬉しくなって笑い返したが、そこで彼女の意識が途切れた。
崩れ落ちるアイヴィーを、隣に居たがためルーカスは受け止めていた――
ルーカスは、自分の左手を呆然と眺める。
(指が動いた……。詠唱すらしていなかったよな?)
ベテランの治癒師でさえ、時間の経過した傷は癒せない。
しかも、対象一人でさえ治癒魔法は膨大な魔力を消費するのに、アイヴィーは何人にも同時に掛けたのだ。
(口止めしておくべきか……)
他に目撃者はいないかと、周囲を索敵する。すると、気配を消して監視しいていたらしい魔法師団長ハーウェルを扉の外に見つけた。
そんなに気になるならば、自らの庇護下に置けばいいのにと思ったが、慎重なこの男は嫌いではない。
ルーカスが見つけたのにハーウェルも気づいたようなので、当然のように話しかけた。
「ハーウェル団長、箝口令を拖いた方が良さそうですね?」
「ええ。あと、食事が済んだら魔法師団の団長室に、そちらの団長と来てください。まあ、ちょっと時間がかかるでしょうね……」
案の定、自分の考えていたのと同じ応えが返ってきた。
「騎士団長には俺から説明しておきます」
「よろしくお願いしますね、ルーカス君」
アイヴィーはハーウェルに連れられ、魔法師団の医務室へと運ばれて行った。残った騎士団員に口止めする。
「ロレンス、リュウ、ヘーゼル、ナッツ、クリムト、リント。今起きた事は他言無用だ」
「「「「はいっ!」」」」
「はーい」
「おうっ!」
信じられず今一度、左手の薬指を動かしてみる。治癒してくれたアイヴィーという名の女を、二度も抱き抱えてしまった。
(急な事態だったからか? 前回も今回も、鳥肌が立つ暇さえなかったらしい……)
己の体の各所に起きた変化に気づき、ルーカスはますます困惑を深めていた――