3 魔法師団の治癒師見習い
新人団員の朝は早い。先輩団員たちが起きる前に、団員共有スペースの掃除を完了させねばならない。
アイヴィーは皆が敬遠する、一番持ち場が広い外の掃除を担当していた。少しでもルーカスに会える可能性にかけ、自ら外掃除に志願したのだ。
(ルーカス様。まだ眠っているのかな?)
「なあ、アイヴィー。あんまじろじろ見るなって。俺が隊長の部屋を教えたってバレるだろ? それとまだ、聖騎士隊の先輩たちは戻って来てないぞ?」
「おはよう、リント! ルーカス様はまだお帰りにならないんだね。あ~あ、早く会いたいなぁ」
アイヴィーは入団してからずっと、ルーカスに会えるのを心待ちにしていたが、聖騎士隊は王族の視察に同行していて、ちっとも会う機会がなかった。
(ルーカス様の寝る時の恰好って、どんな感じかなぁ~)
黒のバスローブも良いけれど、パンイチもありかもだなんて鼻の下を伸ばしてしまう。
「だーかーらー! 隊長の部屋の方を見んなって!」
「大丈夫だよ。掃除しながらナチュラルに、横目で見てるだけだもーん」
アイヴィーを小突こうとするリントを、ひらひらと箒で躱す。仔犬のじゃれ合いの様で微笑ましいのだが、先輩たちが起きていたなら大目玉をくらっていただろう。
「見るな、コラ!」
「む~り~」
騎士団の新人リントとは、両団の敷地の掃除中に出会い、同年齢の同期だったためすぐ仲良くなった。
子爵家の三男らしいが偉ぶらずいつも爽やかで、あどけなさの残る笑顔で平民のアイヴィーに気さくに声をかけてくれる。
ルーカス情報をこっそり教えてくれる、いい友達が入団してすぐにできていた。
リントとしても、馬鹿正直なアイヴィーとの付き合いは、陰湿な貴族社会と違って心地好いと思えるのだ。
「でもさ、騎士団の中で、ルーカス隊長のストーカーの新人痴女がいるって噂になってるぞ? 俺は自分で見たもの感じたものしか信用しないから、アイヴィーはいい奴だって知ってるけれど、魔法師団の方では大丈夫なのか?」
「ん? 何が?」
「いや……、他の同期とか先輩とかからさ……、その……苛められたりしてないか?」
「ああ、ソレね。害はないし、全然大丈夫だよ」
明るさと鈍感さが取り柄のアイヴィーでも、さすがに自分に向けられる視線の冷たさの意味に気づいていた。シャッシャッと箒で通路の土埃を掃きながら、改めて考えてみる。
「ま、ルーカス様の裸体を持つ変態女が、能力もコネもないのに魔法師団に入ってきたってところかな? そりゃあ半裸も能力なしも本当だし、しょうがないよ。それに、なんと思われようが、ルーカス様のお側で働けるなんて、幸せでしかないもん!」
「そっか……。ならいいんだ。でも、何かあったらいつでも相談にのるからな」
誇張された噂話だとしても、自分へ与えられた評価は事実だと受け止めている。それで距離を置きたい人は置けばいいし、中にはリントのように親切な人もいてくれるのだから問題ない。
何よりも、ルーカスの存在を常に感じられるここはパラダイス! 最高の場所にいられて、アイヴィーは毎日ウキウキしながら見習い生活を堪能していた。
「あっ、そろそろ食堂に行かないと、リュウさんに怒られるよ!」
「やべっ! 急ごう! 料理長の雷はすげぇもんな!」
リントと一旦別れ、各々の団の倉庫に掃除用具を片付けた。その後向かう場所は同じ。騎士団と魔法師団の団舎の中間にある共有食堂では、朝の掃除後に両団の新人団員が仕込みの手伝いをする。
(きっといつか、食堂でルーカス様に会えるんだ。食べ物の好みまでわかっちゃう日が来るんだよねぇ~)
今後、その食堂が至福の場になるはずだと、食堂のお手伝いも楽しみにしている。
アイヴィーはスキップをしながら、新人騎士リントの身のこなしよりも軽やかに食堂へと向かっていた――
「おうっ。お前ら今日もよろしくな!」
スキンヘッドに強面の料理長が、朝から大きな声でアイヴィーとリントを迎えてくれた。
料理長のリュウは十年前まで騎士を勤めていたが、足の負傷が原因で引退し、今はただ一人の専属料理人として両団の食堂を切り盛りしている。
漏れなく新人は、登竜門としてリュウに鍛えられる。貴族も平民も関係なく分け隔てなく接し、片足が不自由でも強者のオーラを未だ醸し出すリュウを、新人たちが尊敬するのは時間の問題だ。
「おら、そこ! ニンジンの皮を剥くだけでいつまでかかるんだ」
「「はい!」」
それでも大抵の新人は初めて厨房に入る者も多く、この時期はまだまだ反抗的な態度をとる奴も多い。リュウの怒号が飛び交うのは日常茶飯事だ。
「アイヴィー! 早く玉ねぎを切れ!」
「ぐずっ。ずびばぜん。前がよく見えなくて」
ひたすら玉ねぎを切っていたアイヴィーは、ぐずぐず鼻を鳴らしている。
推しアイテムを買うため様々なお手伝いをしてきた経験値のあるアイヴィーは、リュウにとっても期待の新人。もちろんそんな素振りは見せず、他の新人と同じように渇を入れるが、心の内ではちょっとデレていた。
(よしよし。アイヴィーはいくら叱っても不貞腐れねぇな。可愛い奴め)
「リント、裏からキャベツを運んで来て千切りにしといてくれ」
「はい、リュウさん」
(リントも貴族出なのに、家でコッソリ練習してきやがったな。今年は豊作だ。――だが……、面倒な事にならんといいが……)
最初に檄を飛ばした方をそっと眺める。『なんでこんなことまでしなきゃいけないんだ』という顔つきの貴族出の新人は多い。毎年恒例だから、いかにそいつらを一人前の団員に育てるかがリュウの楽しみでもある。
だが、今年はそれよりも、好奇や悪意の眼差しを一人の少女に向ける新人たちが気になっていた――
その日の昼。大方の団員が食事を終え、静かになった食堂で事件は起きた。
「おし、他の新人も食ったみたいだし、アイヴィーとリントも休憩しろ」
「「はい」」
「俺はここだけ片付けるから、アイヴィーは先に食べてろよ」
「うん」
最後まで厨房の手伝いに残っていたアイヴィーとリントが、やっと昼食のテーブルにつく。
「いっただっきまーす」
その時――
「ようし、締めのシチューを食うぞー!」
「「おー!」」
食堂に、酔っ払いオジサン騎士三人組が現れた!
夜勤明けでしこたま飲んで来たのだろう。寝る前に、もう少し腹を満たしたくてやって来たらしい。
「おうおう、噂の新人ってこいつか?」
「へえー、普通にかわいい顔した嬢ちゃんだな」
「そうか? まだガキじゃねえか」
酔っ払ったオッサン三人が、言いたい放題でアイヴィーに絡んで来た。
「俺は馬車事故の現場にも居たけど、こいつはマジでヤベェぞ。口から血を吐き出しながら、ルーカス隊長の裸の絵を死守したんだ」
「へえー。なあ嬢ちゃん、その隊長の裸体ってのを見せてくれよ」
「今は持っていません!」
「嘘っぱちだな。あの感じだと、どうせ肌身離さず持ってるんだろ?」
「どこに隠してんだー?」
「や、やめてください!」
オッサンたちの手がアイヴィーに伸び、服の中をまさぐろうとする。
異変に気づいたリントとリュウが、慌てて止めに入った。
「先輩、それはセクハラです!」
「お前ら、酔っ払い過ぎだ!」
だが、酒の入った輩は気が大きくなっていて、言うことなんて聞きやしない。むしろ、余計事を荒立てようとする。
「真面目な俺らは、嬢ちゃんがいかがわしいもんを持ってないか、確認して指導してやろうってんだ!」
「貴族のひよっこと引退騎士が口出すなよ!」
「そうだぞ! チビとハゲ!」
アイヴィーを庇うリントとリュウだが、新人と騎士から遠退いた料理人では、ベテラン現役騎士三人に敵いそうもない。
「へへッ。ガキでもなんか変な気になってくるな」
「ガハハハ! ナッツは見境ねぇなー」
見境ないオッサンが発情しそうになったその時!!――
「団員同士の揉め事は懲罰委員会に諮るが、覚悟の上だろうな?」
恐ろしい程冷たく低い声が食堂に響き渡った。アイヴィーを守るための攻防をしていたため、近くまで人が来ていることに誰も気づいていなかった。
その場に居合わせた全員が、あまりの威圧感に一瞬にして凍りつく。
皆がギギギと機械仕掛けの人形の様に振り返り、恐る恐る送った視線のその先にいたのは――
「「「せっ、聖騎士隊長!」」」
「ルーカス、帰ったのか……」
「ルーカス隊長!」
「神っ!!」