13 ネズミで事故チュー
(二人きりでご飯だなんて、まるで恋人同士みたいだったぁ)
昨晩の事を思い出し、アイビィーはポヤンとしていたが、けして進展があった訳ではない。無言のルーカスと夕食を摂り、ソロリソロリとゆっくり歩いて時間を稼ごうとしたが、そのまま宿に連行されて帰っただけ。
(ルーカス様、いつもはブラックコーヒーなのに、昨日はお砂糖を入れてた。意外と甘党なのかも~)
それでも、これからしばらくはその思い出だけで頑張れそうな気がしてくる。今日もアイビィーは絶好調だ。
「あっ!」
昼前は患者が少なく、外の掃除をしていたアイビィーの視界を、小さな生き物が横切った。掃除用具を取り出し開けっ放しにしていた、診療所の何から何までもを押し込んである大きめ外倉庫に、スルリと入って行く。
(オフサネズミ? どうしよう……。掃除が終わるから、もう片付けて閉めたいのに……)
僅かばかり逡巡したが、アイビィーは物置きの中に入り、小さな命を外まで案内することにした――
「ネズミちゃ~ん。どこに行ったの~? ここはもう、閉めちゃうんだよ~?」
「這いつくばって、何をしている?」
姿が見えなくなったアイビィーを捜し、護衛の任を解かれていないルーカスがやって来た。ルーカスは呆れ顔で、四つん這いのアイヴィーを一瞥する。
「お疲れ様です、ルーカス様! 怪我をしているのか、片脚を庇っているオフサネズミがここに入ってしまったので、外に出してあげようかと……」
「ハア。勝手にそのうち外に出るだろう」
わざと面倒そうにタメ息を吐いたが、小さくともこの国に生きる命だ。
(聞いてしまった以上、助けなければならないじゃないか)
一見冷たそうなルーカスだが、こんな熱い想いを抱く男でなければ、ベアは彼を聖騎士に推薦しなかっただろう。
「どこに行った?」
「角に隠れてしまって、見つけられないんです……」
人手が足りず、ただ押し込められただけの備品の山を見てゲンナリする。
やれやれと同じ様に四つん這いになり、ルーカスはアイヴィーのネズミ捜しに付き合った――
「あれ? なんで開いてるのかな? きちんと閉めとかないと」
倉庫の外からゴモゴモと、受付の女性の声がしていた。しかし、二人はネズミの捜索に集中し、まったく気づかない。
――ガチャン――
扉の方から発生した金属音に気がつき、ルーカスは全速力で入り口に戻ったが、ガッチリと鍵がかけられていた。閉じ込められたと理解したルーカスが、剣か魔法かで一瞬悩む。
推しから滲み出る不穏な空気に、アイビィーが慌てて扉の前に立ち塞がった。
「ダメです、ルーカス様! 扉を壊したりなんかしちゃっても、診療所に修理できる予算はないと思います! もうすぐお昼休みです。マリンさんが気づいてくれるはずですから、助けに来てくれるのを待ちましょう!」
一理ある。木造の扉をぶち破るくらい、ルーカスなら容易い。しかし、運営資金ギリギリの貧民街の診療所では、修繕費も無駄にできないのだ。
「ハアーーーーア」
今度は本気で長く大きなタメ息を吐き、ルーカスはマリンが捜しに来るまで、引き続き四つん這いになって待つことにした――
目的があるからか、どちらも変に緊張せず密室に居ることができる。
「どこかで寝ちゃったのかな~?」
「……腹が減ったな……」
「あっ! よろしければ、こちらを召し上がってください!」
昨日ソフィーと会った時に貰った、手作りのお菓子をエプロンのポケットに入れていた。今日の勤務中、お腹が空いた時にでもコッソリ食べようと考えていたのだ。
「これは……?」
「昨日、元患者さんからいただいたんです。はい、どうぞ!」
立場上、見ず知らずの者から貰った菓子になど手をつけない。だが――
(この形、懐かしいな……)
年に一度のルーカスの誕生日。その日だけは上等な小麦粉と砂糖と卵とバターを少しだけ買って来て、母が焼き菓子を作ってくれた。型まで買えないからちょっといびつだったが、それもまた愛嬌があった。
甘い焼き菓子の香りに、古い記憶が鮮明に甦る。
『ルーカス、お誕生日おめでとう』
焼きたての菓子を出してくれた、母の優しい顔。
長い時を経た今も、ハッキリと思い出せた。
(家に居る時は化粧もせず、身なりは貧しくとも綺麗な人だった……)
鼻の奥がツンと痛い。でこぼこしているが良い匂いがする菓子に、ルーカスは誤魔化すように口をつけていた。
(旨い……。俺は良い思い出にまで、蓋をしていたんだろうな……)
――グキュルルルル――
物思いに耽ていたルーカスの耳に、アイビィーの巨大な腹の虫の鳴き声が入って来た。驚いて顔を向けると、恥ずかしそうに顔を赤くして俯いている。
「……お前は食べないのか?」
「ネズミちゃんを外に出す時に使えるかもしれませんから、取って置きます」
得意気に語るアイビィーは、倉庫を這いずり回って今日もまた顔がテカテカだ。ボサボサになった髪も、女子力からは程遠い。昨日もだが、この女の容姿が気になる。
「あっ! いましたよ!」
「待て! 直接触るな!」
齧られて、病気にでも罹ったら大変だ。慌ててアイビィーの足首を掴んで引き寄せる。グイと掴まれアイビィーは、ベシャリと床に顔を打ち付けた。
「う!」
うめき声を上げ動かなくなったアイビィーの容態を確認しようと、ゴロンと仰向けに転がし顔を覗く。
(鼻血は出ていないし、曲がってもいなさそうだ)
護衛対象に、怪我を負わせず済んだと安堵していると――
「ネズミちゃん!」
急に、ガバリと起き上がったアイビィーのおでこが、今度はルーカスの鼻を直撃する。
「う!」
鼻を押さえて、痛みに悶えるルーカス。
「おーまーえー。わざとか? 仕返しなのか?」
「ちっ、違います! 本当にネズミちゃんが! ほら、また出て来ました!」
「だから、直接触るな!」
ルーカスに、二の腕を掴まれたアイビィーがコケる。
「「!!」」
ぐでんぐでんの二人がもつれ、絡まり、ガチリと歯と歯がぶつかる音がした。
血の味もするし痛いのだが、異性に免疫のない二人は、別の方向でパニックに陥る。
(すごく痛いけど、これってまさか!? しかもルーカス様と!!?)
(こ、こいつの口と俺の口が!!)
唇から血を流して見つめ合う二人。
((キスだ!!))
興奮したアイビィーの身体からは、みるみる魔力が放出される。
(やばい)
動揺していても、聖騎士隊長の判断力は見事。貧民街一帯を覆いそうな魔力を前に、慌ててルーカスは懐からドレイン輝石を出し、アイビィーの胸に当てた――
互いの唇の傷は癒えていた。ルーカスの鼻も痛くない。
「脚を庇っていたんだっけ? お前も治ったみたいだな」
ルーカスは焼き菓子を小さく千切り、そっと床に置く。近寄って来たオフサネズミが、髭を揺らして甘い香りを嗅ぎ、モシャモシャと食べだした。
「食べたら大人しく、袋に入ってくれよ? ちゃんと外に出してやる」
「チュイッ」
直ぐに対応したから無駄に消費せず、ドレイン輝石からアイビィーへとゆっくり魔力を戻せている。そもそもの回復も早いらしいし、完全に魔力が戻るまでそうかからないだろう。
スースーと寝息をたてるアイヴィーの、気にしなさすぎが気になる顔を観察する。
容姿が自慢の相方ロレンスより、好ましいかもしれない。昨日も今日もだが、自分はおかしい。
こうして、女の見た目に関心を持つなんてのは初めてだ。
その性格の様に真っ直ぐで、肩口で揃えられたストロベリーブロンド。曇らせる事などなかったのではと思えるほど、キラキラしたグレーの瞳。すばしっこい小動物を捕らえようと集中し、キュッとすぼめられた小さな唇。
(可愛いって、こんな感じか……?)
やはり、造りは良いようだ。
しかし、自分をギラついて狙って来た女たちより、ある意味質が悪い女かもしれない。
だが、ロレンスの時と同じで慣れてしまったのか、共に過ごす時間を苦痛に感じなくなっている。
ルーカスが居なければ、まだ治癒魔法を操れないアイビィー。借り物でも、自分に預けられた石ころがなければ、長時間昏睡してしまう離れられない女。
(こうなってしまった以上、側に居なければならないじゃないか)
愛だの恋だのには興味がない。キスをしておかしな気になるのは本能だ。
ただ、一人の騎士として、目の前の存在を守りたい。それがたまたま変わった奴で、性別が女だっだけ。男でもそうしただろう。
(オッサンや新人の影響を受けたな……)
心の中で沢山の言い訳を並べていたルーカスだが、遂に自らの意志で、アイビィーを支える覚悟を決めていた――




