夏休み
「来週から夏休みだねぇ」
下校を告げるチャイムがなり、夏が言った。
先日の席替えで、私達は前後の席になることができた。それから会話の数もどんどん増えて、いまではすっかり仲の良い友達だ。
以前は、私と夏はまったく違うタイプの人間だと思っていた。でも夏と仲良くなって、私達は意外と気が合うことがわかった。好きなテレビ番組、好きな給食、同じ犬派だということも知った。
いちばん意外だったのが、夏が実は読書家だということ。好きな本の系統まで一緒なものだから、初めて知ったときは本当にびっくりした。
「そうだね。せっかくだし、夏休みは図書館にでも行こうか?」
ランドセルに教科書を入れながら提案してみる。
この町には図書館がないから、バスで二十分ほどかけて市立図書館までいかなければならない。小学生には少しキツイが、夏休みなら時間もたっぷりある。学校の図書室の蔵書はそんなに多くないから。
「ほんとに⁉行きたい!」夏がパッと顔を輝かせる。
夏が東京にいたときは、毎日のように図書館に通っていたそうだ。
すると、「やっぱ、夏といえば海だろ!」春之が話に入ってきた。
「お前はとりあえず夏休みの宿題終わらせろよ。」後ろから、冬馬もやってきた。春之が冬馬に向かってブーイングをする。
「やだー!宿題のことなんて考えたくない!もう、やめてよトーマくん。」夏も春之に同調する。
「おお!夏、お前も宿題嫌い仲間か!」
春之がシシシと笑い、夏も
「もちろん!宿題が好きなヤツなんて頭イカれてるよ。」「おお、言うねぇ」
なんて、ふたりで盛り上がっている。
その様子を見て私はクスッと笑い、冬馬はため息をつく。
四人で過ごす初めての夏休み。きっと良い思い出になることを、私は確信していた。
何度も言っているが、この町には何もない。だから夏休みでも外で遊んでいる子供は少なく、暑さを凌ぐために家の中に引きこもるか、町を出て遊びに行くかのどちらかだ。少し歩けば海はあるけど、あそこは遊泳禁止になっている。
私の夏休みは、毎年家族で旅行に行っていた。旅行とはいってもそんなに大したものじゃないけど。普段は仕事で忙しいお父さんとお母さんも、夏になったら少しだけ休みをとって私を旅行に連れて行ってくれる。去年は二泊三日で金沢へ行ってすごく楽しかったな。でもそれ以外はほんとに暇だから、宿題もすぐ終わらせちゃうし、残りはほとんど勉強して夏休みを過ごしていた。
だけど今年は違う。私には友達ができた。だからきっと、今年の夏休みはみんなと一緒に遊ぶんだ。明日はみんなで図書館まで行って宿題をすることになっている。私は早速その支度を始めた。お母さんが夕食に呼ぶ声が聞こえる。「今行く!」と返事をしてリュックサックのチャックを閉めてから部屋を出た。
* * *
「いってきます!」
自分でも恥ずかしくなるくらいの元気な声でそう言って、私は家を出た。そもそも、お父さんもお母さんも仕事に行って家には私しかいないのだから、言う必要すらないのだけど。だけど私はそんなことにも気づかないほど、今日を楽しみにしていた。
待ち合わせのバス停につくと、まだ誰も来ていなかった。確かに約束の時間まであと二十分もある。ちょっと早く来すぎてしまったかもしれない。我に返ると、恥ずかしさが急にこみ上げてきた。
しかし五分ほどたったところで、冬馬がきた。
「まだ千秋しか来てないのかよ。あいつら、宿題が嫌ですっぽかすつもりじゃないだろうなあ。」
ため息をつきながら冬馬は言った。
「春之はともかく、夏はせっかく図書館に行けるんだから来ると思うよ。」
私の言葉に、冬馬はニヤッと笑った。
今日は宿題を一緒にすることになっているけど、たぶん勉強の得意な私と冬馬がほかの二人に教え合う形になるだろう。
勉強の面では、冬馬は私の良いライバルだ。テストでは毎回どちらの方が高い点数を取れるか競い合う。とは言っても、私が勝手にそうしてるだけなんだけど。私は家に一人でいる時間が多く、その時間を勉強に当てていたら得意になっていただけだが、冬馬は毎回涼しい顔をしながら高得点を取る。
今日はその秘訣でも教えてもらおうかな、なんて考えていると、夏と春之が到着した。
ちょうどバスも来たので、私達はそれに乗って図書館まで向かった。
バスから降りると見慣れない光景が目に入った。何度も来たことある場所だけど、田舎育ちの小学生には普通の街でさえもキラキラして見える。道行く人の服装もみんなおしゃれに見えてしまう。
図書館はバス停から五分くらい歩いたところにある。外はすごく暑かったから、館内に入った瞬間にクーラーの涼しい風が出迎えてくれたときは、生き返ったような気分だった。空いてる机を見つけたので、早速そこに座る。
「ねえ、本を探しに行ってもいい?」
夏が目を輝かせながら尋ねた。私が「いいよ」と答えようとすると、
「だめだ。先に算数のドリル終わらせてからにしろ。」
冬馬が言った。夏は口を尖らせて文句を言いながらも、おとなしく座って算数のドリルを開いた。
私と冬馬は、スイスイと問題を解いて順調にドリルをすすめていった。そろそろ八ページ目を解き終わる頃だ。だけど夏と春之は、まだ二、三ページで手が止まっていた。夏は問題とにらめっこを続けてそろそろ五分は経つし、春之は考える事すら諦めている様子だ。
私は自分の鉛筆をおいて、夏に
「どこがわからないの?」
と声をかけた。解き方を教えると、夏はパッと笑顔になって
「なるほど、この式にあてはめて解けば良いのね!ありがとうちーちゃん。」
と言った。その笑顔を見て、私もつられて顔がほころんだ。
その様子を見ていた冬馬が
「まったく、こんな簡単な問題もわからないのかよ。仕方ねえなあ。」
とため息をつきながらも、春之に教え始めた。
そうしているうちに、もう一時間半が経っていた。全員がドリルを終わらせて、夏は念願の本探しにでかけた。春之もいつの間にかいなくなっていた。
「あいつら迷子になりそうで心配だけど、まあいいか。」
冬馬があくびをしながら言った。
私はふと思い出して、冬馬に質問してみた。
「冬馬ってさ、いつも勉強とかどうしてるの?」
冬馬が私の方を見る。
「なんで?」
整った顔で見つめられたからか、少し恥ずかしくなって私は冬馬から目をそらした。
「冬馬頭良いじゃん?テストも良い点取るし。だからどんなふうに勉強してるのか気になって。」
それを聞いて冬馬がニヤッと笑う。
「ふーん。まあ、なんていうか、才能かな?大したことは特にしてないよ。逆にさ、千秋はいつも勉強ばっかしてるけど何が楽しいの?」
少し考えて、私は言う。
「暇だから、かな?」
すると冬馬がプッと吹き出して笑った。
「ブハッ!なんだよそれ、くっだらねえ。」
周りから睨まれたので、冬馬は慌てて静かにした。
「いやまさか、あの千秋が勉強してる理由がそんなくだらないことなんて思わないじゃん?もっと良い大学に行きたいとか、真面目な理由かと思ってた。」
「まぁ、普通に勉強するの好きっていうのもあるんだけどさ…。」
必死に笑いをこらえている冬馬をみてると、なんだか本当にくだらないような気がしてきた。暇で勉強しかすることがなかったのは事実だけど、勉強が好きでしているのも事実だ。テストなどでその成果がでれば嬉しい。
「なあ、千秋のおすすめの本とかある?」
「本?」
冬馬が急に話題を変えてきたので思わず聞き返してしまった。
「だってせっかく図書館にきてるのに何も借りずに帰るんじゃもったいないだろ。」
そんなの当たり前じゃん。というような顔をしながら冬馬は答える。だけどその顔は少し赤らんでいるように見えた。もしかして、クールな態度を気取っている冬馬も今日を楽しみにしていたのかもしれない。そう思うと顔がにやけてきてしまった。それを隠しながら
「わかった。どんなのが読みたいの?」
と言って歩き出す。
楽しい。友達がいるって素敵だ。私は、ずっとこんな友達がほしかった。今年もさみしい夏休みを過ごすと思っていた。
よく考えれば、春之も冬馬も一年生の頃からずっと一緒だ。だけど、春之はともかく、冬馬とはそんなに仲良くしてきたことはなかった。話してみたらこんな楽しい人だなんてびっくり。少し怖いイメージがあったから。友達って意外と簡単にできるものなのかな。
私たちはあの日、くじ引きで偶然同じ班になった。それが全ての始まりだった。この四人でいるときは嫌なことも全部忘れられる気がした。まるで、世界に私たちだけしかいないような気分にさえなった。
* * *
その夜、私は今日あった出来事を夢中になってお父さんとお母さんに話した。二人は静かに微笑みながら私の話を聞いてくれた。多分、私がこんなに幸せそうに笑うのを見るのは久しぶりだったんだろう。
私の話を聞き終えたあと、お母さんは「今年から旅行に行くときは、友達の分のお土産も買って帰らなきゃね」といってくれた。どうやら、今年は北海道に遊びに行くらしい。でも私にとって、旅行よりもお土産を買って帰れる友達がいることが楽しみだった。
夏休みはまだ始まったばかりだ。なのに一生分の運を使い果たしてしまったような気がする。
ベッドに入っても、今日一日のことを思い出して興奮が止まらず眠れない。やがて睡魔がその興奮に勝ってしまい、私は眠りに落ちた。