表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/41

3 大家の山田さん

 燃えるゴミを片手に部屋を出た大成は、階段を下りる途中で、ゴミ置き場の前にひょろりともやしのように細い男が立っているのを見つけた。足音を聞きつけたらしい男が振り向くのを見て、大成は軽く会釈する。


「おはようございます、山田さん」


「ああ、大成さん。おはようございます。慣れましたか、銀嶺荘の生活」


「はい、おかげさまで」


 山田は大成の住むアパート「銀嶺荘」の大家だ。


 不動産屋でこの物件のチラシを見たとき大成は、どうしたものかと頭を悩ませたものだ。こんな胡散臭い物件を選んで良いのだろうか。しかし、それ以外に紹介できないと言われてしまったら、選ばざるを得ない。


 そうして仕方なく選んだ築五十年の木造アパート「銀嶺荘」。しかし入居から一週間経ったいま、大成は自身の選択が間違っていなかったことを感じている。


 優しく面倒見のいい大家。

 まだ会釈する程度の仲でしかないが、にこやかに挨拶してくれる住人たち。

 築五十年とは思えない綺麗な建物、清潔な部屋。


 入居時に話し合いで決めた家賃も、ほとんど大成の言い値のようなものだった。予算を告げた途端に「じゃあそれでいいですよ」と交渉が終了し、そのまま契約が進んだ。もう少し安い金額でも契約できたかも知れないと思うと悔しかったが、後からこの近辺の賃貸物件の相場を調べた大成は、むしろ山田に対して申し訳ない気持ちすら抱いた。安すぎる。


「ああ、そうだ大成さん」


 鳥避けのネットにゴミを押し込んで部屋へ戻ろうとした大成を、山田が呼び止めた。


「昨日いただいた入居書類ですけれど。ひとつだけ、訂正してもらいたいところがあって」


「あれっ。すみません、間違えていましたか。どこでしょう」


 入居を決めてから引っ越しまで間がなく、契約書を含め書類はすべて後付けだった。ようやく昨日、すべての書類を提出したところだ。


「いえ、間違いというか。……大成さん、嘘を書きましたね?」

「はい?」


 大成の間抜けな返しに対し、山田は眉を顰めてやや早口に続けた。


「そりゃ、まだ出会って一週間ですし。なに一つ誤魔化さずにさらけ出せと言うのは難しいのかもしれません。でも一応、嘘はつかないっていうのが銀嶺荘のルールなんですよ」


「いや、僕、嘘なんて……」


「あ、そういうのいらないんで。私、嘘がわかるんです。後で書類を取りに来てください。今回は、書き直してもらえればそれでいいので」


 早口のままそこまで言うと、山田は一階の一番手前にある自分の部屋へ、さっさと入っていった。表情が変わらないのでわかりづらいが、怒らせてしまったのかも知れない。


 どうしよう、と迷っている内に、二階から軽い足音が下りてきた。


「あ、大成さん。おはようございます」


「おはようございます、笹原さん」


 肩丈の茶色い髪をゆらゆらと揺らしながら穏やかな微笑みとともに階段を下りてきたのは、同じ二階に住む女子大生だ。華やかさよりも清楚さを感じさせるワンピースを身につけている。大きめの鞄を肩にかけているところを見ると、これから大学にでも行くのだろう。


「大家さんのこと、怒らせちゃったんですか」


「うーん、やっぱりそうなんですかね」


「大家さんって普段は優しい人ですけど、嘘にだけは敏感なんです。人の言っていることが嘘か本当か、わかるらしいですよ。……大丈夫。大家さん、秘密は守る人ですから。嘘さえ訂正すれば許してくれるし、誰にもばらさないでいてもらえますよ」


 にこにこと優しくアドバイスをくれた笹原は、そのまま駅の方へ歩いて行った。


 笹原からの難解なアドバイスを元に、とにかく山田に謝ろうと、大成は一○一号室の呼び鈴を鳴らした。


 ややあって出てきた山田が手に持っていたのは、入居審査書類として渡した大成の簡単な履歴書だ。やはりそれか、と大成は渋面をつくる。入居審査に履歴書なんて珍しいと思いながらも、いつもアルバイトに申し込むときに提出するような気持ちで書いたものだ。


「すみませんね。ここのところ、直してもらえますか」


 山田が指し示したのは、確かに大成が嘘を記入した部分だった。嘘をつくことに慣れすぎて、もはや嘘をつこうと思うともなく書いた嘘だ。字が乱れたということもなかっただろうに、それに気付くのだからたいしたものだ。


 書類とボールペンを受け取り、大成は躊躇いながらも、下駄箱の上を机代わりに指摘された部分を訂正した。


「訂正印はいりますか?」


「いえ、そこまでは」


 やけっぱちで大成が差し出した書面を、山田は一瞥する。そのまま何も言わず、何食わぬ顔で書類をファイルにしまい直した。その反応の無さに、むしろ大成はぎょっとする。


「え。何も言わないんですか」


 大成は思わず、強く責めるように問うた。嘘をつくことにこれほど敏感な人が、こんな嘘っぽい内容を何も言わずに見過ごすなんて。


 けれど返ってきたのは涼しい笑顔だ。


「嘘さえなければ、私はそれでいいんですよ。嘘を言っていたり、書いていたりすると、色がついて見えるんです。それが気持ち悪くてね。書き直してもらって、色が消えました。ちょっと驚きましたけど、これは嘘ではないんでしょう?」


「え、ええ。まあ」


「なら、それでいいです。大丈夫ですよ、私からは誰にも言いません」


 それじゃあ、と言って山田は奥へ引っ込んでしまった。大成は釈然としない心持ちながら、山田の部屋を出る。


 自らの部屋へ向けて階段を上りながら、大成は今の出来事を考えた。こんなふうに秘密を知られたのは初めてだ。秘密がばれてしまったときの行動はいつも決めているが、さて、どうしようか。


(しばらく様子をみる……でいいのかな)


 誰にも言わないという山田の言葉を信じ、大成は考えを保留にすることにした。まだ住み始めて一週間しか経っていないのだ。ここに住むきっかけとなった用件さえ済ませていない。結論を出すには早すぎるだろう。


「あれえ? もしかして、お隣さんですかあ?」

「へあっ?」


 あまりの驚きに、大成は息とも声ともつかない音を発し、危うく階段を転げ落ちるところだった。なんとか手すりに掴まって体勢を整え、階段の数歩上を見上げる。


「大丈夫ですかあ?」


 ここまで気づかなかったのは、物思いにふけっていたせいだろうか。

 銀嶺荘の二階の外廊下から、紺色のセーラー服をこざっぱりと着こなした背の高い女子高生が大成を見下ろしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ