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10 情報収集

 悩んだ挙句、大成は六月十四日のアルバイトを休むことにした。一日分のバイト代は惜しいが、それに代えても「襲撃」の意味を知ることに意味があると、大成の勘が告げていた。


 もちろん、情報収集も続けている。


 朝晩の行き帰りに銀嶺荘の住人たちに会えば、大成は必ず襲撃のことを尋ねた。しかし返ってくる言葉はだいたい具体性を欠いていて、あまり参考にならない。そのうえ誰も彼も言うことが全く違って、聞けば聞くほどわけが分からなくなる始末だ。




 ゴミ出しのときに話を聞いた一〇四号室の沢野は言う。


「襲撃なんて言葉を使うほど大袈裟なものではないけど、確かに普通の人には厄介かもな。俺にとってはいい運動だよ。こっちで生活を始めてから、動く機会があまりないから」


 そう言う沢野は「普通の人」ではないのか。桐島たちの話からこの方、大成は疑心暗鬼になっている。


 しかし、そうそう普通でない人が同じアパートに集まるとも思えない。大成は冷静に、常識的に考えることにした。きっと、普段運動をする人かどうか程度の言葉だろう。銀嶺荘に住み始める前は、スポーツマンだったのかもしれない。たしかにカラスを追い払ったときの動きはなかなかキレが良かった。


 しかしあくまで普通の範囲内だ。沢野は液晶テレビを投げ返したりしないはず……。


 あまり深追いしないことにして、大成は会話を切り上げた。




 次に話を聞いたのは、夕方に偶然スーパーで遭遇した一〇三号室の木下と、いつも木下にぴったりくっついて歩いている少女、トワだった。日頃の買い物の時間帯が重なっているようで、スーパーで大成はよくこの二人を見かける。普段なら会釈だけしてすれ違うところを、その日は大成から木下に「襲撃」の話を振った。


 木下は大成の不安を豪快に笑い飛ばす。


「なに、心配するな! たとえ何が攻めてこようと、この子がいる限り問題ない! むしろ襲撃など、性能確認に都合が良いくらいだ。ふふふ、来週が楽しみだな!」


 バシバシと叩かれたトワは痛そうな顔ひとつせずに無表情だ。子供ながら物事に動じない様子は、確かに頼りがいがある。しかし「襲撃」とはそんな精神論で乗り越えられるものなのか。


 というか、性能確認とはいったいなんの話だろうか。




 そしてもちろん、隣室への確認も忘れなかった。悪魔だなんだと知らされて驚きはしたが、日常のやりとりが絶えたわけではない。


 本当のところを言えば大成は付き合いを遠慮したかったのだが、桐島の押しの強さに負け、それまで同様のご近所付き合いが続いているところだ。


「え? 襲撃のことですかあ?」


 その日も出がけにばったり出くわした桐島と由一に大成が控えめに尋ねると、桐島の返答の言葉数とテンションの高さは、大成の想定を五倍はゆうに上回った。


「そういえば初めてでしたね! 二ヶ月に一回くらいあるんですけど、イベントみたいなものですよお。お祭りとか、縁日みたいな? 最初は私もちょっと怖かったんですけど、慣れたら全然平気です! 遊園地のアトラクションに近い感じ? もちろん乗り物に乗るんじゃないんで、ジェットコースターとは違いますけどお。あ、でも怖楽しい感じはジェットコースターに近いですかねえ。とにかく、銀嶺荘に住むなら一回は体験しておいたほうがいいですよ! ……あっもうこんな時間! 私、走っていくので、また今度!」


 情報量は多かったはずなのだが、結局、大成が知りたいことは何ひとつわからないまま、桐島は走り去ってしまった。


 彼女を追うように大成を追い越して行った由一がふと振り返る。


「何があったところで、あんたが心配する必要はねえだろ」


 そんなことを言われても、何が起こるかわからないのに心配するなというのは無茶な話だ。




 大成にとって最後の頼みは、二〇三号室の笹原だった。

 笹原なら優しく丁寧に教えてくれるのではないかと期待していたのだ。


 しかし、事はそう思うとおりに運ばない。回覧板を見てから次の火曜日の夕方まで……つまり、もう予定の日が明日に迫っているというその日まで、大成は笹原に会うことができなかった。わざわざ部屋を訪ねるのも、相手が一人暮らしの女性だと思うと気が引ける。


 火曜日の夕方、結局一週間かけても周囲から実のある情報を得ることができなかった大成の心は、焦りと諦めとを行きつ戻りつしていた。


 それでも、誰にでも幸運の女神が微笑む瞬間はあるものだ。


 うわの空で夕飯の仕度を始めた大成は、途中で醤油を切らしていたことに気が付いた。スーパーまで出かける気力も無く、手近なコンビニで済ませようと思った、そのずぼらさが幸運に繋がろうとは。


 コンビニの入口、自動ドアが開いたところで、ちょうど出てきた笹原と目が合ったのだ。彼女は大成の姿を認めると、ふんわりと微笑んだ。


「大成さん、奇遇ですね。こんばんは」

「こ、こんばんは! ちょうどいいところに!」


 思わず声を張り上げた大成は、驚く笹原を半ば強引にコンビニの駐車場の片隅へと連れて行く。襲撃とは何なのか。疑問と不安を伝えると、彼女は納得したように深く頷いた。


「大成さんは初めてでしたね。でも、ごめんなさい。実は私もよく知らないんです」

「え?」

「危ないからその日は外出しているようにって言われていて。だから、ほとんど見たことがないんです。聞いた話だと、それほど危ないことはなさそうだと思うんですけどね。むしろ面白そうだから、私もいつか、一回くらいは見てみたいなあ」


 日暮れの街中で輝かんばかりの爽やかな笹原の笑顔には、未知の行事に対する期待と憧れがにじみ出ていた。未知を恐れる大成とは正反対だ。


 大成は大人気なく不安に突き動かされていた自分をやや反省し、堂々と明日に備えることを決意した。


「ありがとうございます。ちょっと落ち着きました。……明日、僕は銀嶺荘にいるつもりなので、何があったかあとで報告しますね」

「はい、楽しみにしてます」


 朗らかな笑顔を見せた笹原と別れた大成は、晴れ晴れとした心持ちでアイスを買って帰路に着いた。


 ちなみに、醤油は買い忘れた。

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