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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第八話『かつての英雄 上』

第八話『かつての英雄 上』


 風が吹く―

 それが心地よく思わず、鼻歌を歌ってしまう。

 川のせせらぎ、鳥の歌も聞こえてくる。

 比較的温暖な気候のアルトヘイム領は過ごしやすく、魔王軍との戦争中だと言うのに、砦より西側にはそんな様相を見られない。

 街道の整備は中央国程ではないが、北方よりはマシな程度に整えられている。

 平和で長閑な景色が永遠に続いているように思える。

 自前の馬車に揺られながら、馬に軽く鞭を入れる。

 ここなら商売には適しているだろう。そう思いながら、そっと積み荷に視線をやる。

 積み荷達は小さな寝息を立てていた。

 戦争中の領内に入っているというのに、呑気なものだ。

 少しすると、村が見えてきた。

 森を背に小川と面した小さな村。カリデの村だ。

 確か、周辺貴族に統治されている小さな村で岩鹿猟と農耕が村の主財源となっていると聞く。

 ここも悪い噂は聞かない。こういうところでこそ、私のような仕事の前段階はやりやすい。

 ふと―村の近くに目を引く者がいた。

 少年…のような少女だ。

 薄っぺらい起伏の少ない体つき、少年であれば整った顔立ちと大きな瞳だが、少女と見ると少し野暮ったく感じる。服装は地味で土色の麻服に、安物と思われる皮鎧。

 腰には短い剣を差し、肩には円形の盾と魔物の毛皮を担いでいる。装備から新米の冒険者だと分かる。

 別に冒険者はそれ程珍しいものではない。

 むしろ、私が目を引かれたのは、その少女の持つ、赤色の髪だった。

 熱と光を感じる、太陽や炎のような髪に目を奪われた。

 そして、この後、あんな事が起こるなんて誰が想像しただろうか―





 私、ことカホはシノの村を出てから約5日経った.。

 行く当てもなかったので、始めはアルトヘイムの城壁を目指して歩いてたいたのだけど、街道をひたすら進み、適当に見つけた看板に『カリデ』と書かれていたのでそちらの方へ行ってみた。

 結果として、野宿をしながらも、このカリデの村へとたどり着いた。

 この道中は中々大変だった。昼の街道は比較的安全だけど、夜になり就寝しようと木陰に隠れていたらゴブリンに襲われたり、剣を持った二足歩行の犬が襲ってきたり、体に岩が突き刺さったような鹿に突進を受けたり…碌に眠れなかった。

 さすがに5日連続で野宿は嫌だったので、ここに宿をとろうと思った次第だ。

 幸いなことに懐にはカミラさんから貰った銀貨もあり、宿屋の値段が分からないけど一泊は出来ると思う。

 それに服の臭いも気になってきた。

 汗とゴブリンと二足歩行の犬等の返り血で腐った生ごみに似た臭いがする。

 毎日お風呂に入れていた頃が懐かしい。

 お金に余裕があれば替えの服と、予備の下着も欲しい。

 食料は…襲ってきた鹿のような魔物を返り討ちにした時の肉があるので大丈夫だろう。

 村に入るとまず奇異の目を向けられた。

 そんなに匂うかな?と思わず自分の服の臭いを嗅ぎ、鼻が曲がりそうになる。

 自分の臭いだから慣れたと思っていたけど、これはヒドイ。

 とはいっても、引き返す訳にはいかないので、平然を装って村の中を歩いていくと、一人の若者が前に立ち、「冒険者に依頼なんてないぞ」とどこか脅すような言い方だった。

 本当に嫌われているんだ、と思わずにはいられなかった。

 手を振って応え。

「泊まりに来ただけですよ」と敵意はないことを伝えてみたが、相変わらず睨んできている。そんなに信用ないかな?

 剣は差しているけど、と思い、自分の腰に差さる剣に一瞬目をやり、若者に視線を戻す。

 若者は腰に差していた短剣を構えていた。そして、一瞬、背中に手を伸ばそうともしていた。彼が背負っていたのは弓だ…つまり戦闘体勢?

 威嚇と思われた!

 慌てて両手を大きく振り、

「ま、待ってください!本当に、泊りに来ただけなんです!街道を歩いていたらゴブリンとか岩の刺さった鹿に襲われてなんとかここに来たんです!」

 私の言葉に若者はキョトンとした後にため息をつき「本当に冒険者か?」と尋ねてきた。

 その言葉には真っすぐに答える。

「はい!駆け出しですけど!」

 大きな声で返すと、若者は小さく笑って見せた。

「本当かよ?冒険者ってのは大体横柄なもんだろ?それに、駆け出し、なんて絶対に言わないけどな!」

「そうなんですか?」

 と聞き返してみたものの、師匠ことアランさんの顔が浮かんだ。フリーの冒険者は確か師匠を煮詰めた感じ…なら、言わなそうだと肩を落としたくなる。師匠も大概傍若無人だったけど、あれ以上となると付き合いたくないな。

「にしても可愛い顔してるな。冒険者なんて似合わないぞ!」

 若者の言葉に思わず耳を疑った。余り私には言われない言葉だ。

「本当ですか!?」と思わず声を大きくしてしまう。

 若者は笑って見せ、

「そういう可愛い顔なら女の子にもモテたろ?童顔…いや赤顔の美少年ってな」

「…え?」と言葉が詰まる。

 童顔…赤顔の美少年?それって…つまり。

「あの…女です」

「あれ?あ、あんた…女か?声が高いけど…その、まだ変声前かな、て」

 若者が言葉に詰まり、バツが悪そうに。

「その…ごめんな」

 小さな声で謝ってきた。瞳には同情の色も見て取れる。

「謝らないで下さい。惨めになります!」

 必死に強がってはみるが、泣きたい気分だ。

 どうせ、女の子らしくないですよ!そんなの、もう言われなれたけど、初対面で素で男の子と間違えられたのは初めてだった。

 正直辛い。

 若者が謝り倒してくると、周りからクスクスと笑いながら他の村人も出てきた。

「今のはお前が悪い」と若者を軽く諫めながら、私の方を見て。

「珍しい冒険者さんだね。ようこそ、カリデの村へ」とそう歓迎してくれた。

 始めに話かけてくれた若者は、頭を掻きながら、

「この村は岩鹿の猟と、農業を主にやってる。武器屋なんかもあるから見て言ってくれよ」

 言い終わった後に若者は自分を指さし「ちなみに俺が武器屋」だと自慢げに言ってくる。

 それは無視しておいた。私を男の子扱いした腹いせでもある。

 しかし、武器屋と言ってもこの村には森が面しているくらいしか見当たらない。

「鉱山でもあるんですか?」

「あんたなんも知らないんだな?」

 間髪を入れずに返された。だって、まだこの世界に来て間がないから。

「うぐぅ…」

 言い返す言葉もなく、若者にも笑われた。

「岩鹿っていう魔物から鉱石が取れるんだよ。まぁ、鉄に比べたら強度は低いが、青銅よりも丈夫だ」

 岩鹿と言われても想像がつかないけれど、もしかするとあの岩が突き刺さったような鹿かな、と思い「これ売れますか?」と肩に担いでいた毛皮を降ろして若者に見せる。

「うーん。冒険者が持ってくる毛皮は傷だらけだからなぁ…」

 渋々といった感じが見て取れる。本職の人に比べると腕が落ちるのは仕方ないとは思う。

「ま、少し買い叩かせてもらうけどいいかい?」

 と今度は笑顔だ。

 物は取りよう?むしろ売りようかな。

 私は頷いて返し。

「うん。もう道中重たくて仕方なかったんだ。布団にでもしようかと思ったら石が痛いし、邪魔だったの」

 肩を鳴らして見せると、若者は少し驚いた様子を見せた。

「お?岩鹿か。あんた一人で狩ったのか?」

「うん。もう硬いったらありゃしないからさ、石のない喉笛を斬ったの」

 思い出しただけでも、絶望的な状況だった。

 いきなり寝込みを襲われ、手元には剣もなく下着姿で戦うことになった。

 剣を拾ったあとも、表皮に無数にくっ付いている石には斬撃が通らなかった。

 幸い、近くにあった繁みに隠れ、一瞬の隙をついて喉笛を切り裂くことに成功して勝利したけれど、出来ればもう二度と戦いたくない。

「へぇ、剣の腕が立つんだな。俺達はもっぱら弓で射るからな」

 遠距離武器で戦うのはいいと思う。

 それに、岩鹿の周りについている小さな石は、余り詳しくないけれど矢尻の大きさに丁度よさそうだ。

 若者は私の岩鹿の毛皮を広げ、まじまじと見つめる。

 斬ったのは喉だけ。あとは、倒した後に毛皮を剥ぐ為の真一文字の切れ込み。

 これなら…

「毛皮に傷は少ない…が、あんた皮剥ぎ下手だな…」

 若者が苦い顔をした。私も苦い顔する。

 初めてだから仕方ないよね、と大目に見てはくれないだろう。

 しかし、厳しいな。師匠がウルフの毛皮を剥いだ時よりは綺麗に出来たのに。

「…面目ない」と謝って見せると、

「まぁ、普通よりは安値にはなるが引き取るぜ」と快諾してくれた。

 ついでに、ここまでの道程での戦利品も見てもらう。

 主には二足歩行の犬…コボルトというらしい魔物が持っていた古びた短剣。ゴブリンの持っていたポーションのような液体。あと数枚の薬草。

それらを見ると、若者は軽く首を振り、

「短剣は古いが一応鋼鉄製か。磨けば売り物にはなるか…こっちはゴブリンの酒だな。人間には生臭過ぎる。あと変な酔い方をする。薬草はいいものだな」

と品定めをしてから値段を付けてくれた。

 短剣は大銅貨5枚、ゴブリンの酒は鋭銅貨1枚、薬草は1つにつき銅貨3枚。そして、岩鹿の毛皮は銀貨3枚。ついでに岩鹿に刺さっていた岩と、担いできた肉も見てもらうと銀貨1枚との値段になった。

 勿論、全部引き取って貰った。これからの旅には邪魔になるだけだし。

 それにしても岩鹿関連はいい値段で売れた気がする。

 一応、引き取ってくれる手前、店まで運ぶと伝えるとさらに変な顔をされた。

「冒険者って感じがしない」と。

 若者に続き、武器屋へと入る。

 中にはいくつかの剣と鎧が飾られ、それ以外は主に弓と矢が置かれていた。

「この村は生活に弓を使うからな。冒険者にも多少の需要はあるんだ」

 と説明してくれた。遠距離武器は正直欲しい。いつまでも正面から殴り合うような戦いは女子力が減る。ついでに値段を見て諦めた。

 一番安いショートボウでも大銀貨3枚という値段。これに矢も必要だから今の私には到底無理だ。

 取引を終え、ふと武器屋にあるそれに気づいた。

 肩掛けのカバンだ。狩人の村なのだろうから獲物や毛皮を入れる為のものだろう。

 値段は銀貨2枚。これなら買えそうだ。

 シノの村でウェンさんから貰ったポシェットの中身は今やマリアちゃんのポーションと、詰め込めるだけ詰め込んだ岩鹿の肉が入っているのでもう何も入らない。

 これから先、旅を続けるなら食料と水の確保は必要になってくる。それに、魔物から得た肉や毛皮が収入源となるなら、長い目で見ればプラスにはなるはず。

「これください!」

 私がそういうと、若者は首を傾げたものの「売れ残りだし安くしておくよ」と、銀貨1枚分を値引いてくれた。

 その理由が分からないけど、いい買い物をしたには違いない。

 ポシェットから葉っぱで包んだ肉を取り出し、早速カバンの中に入れてみる。

 カバンは十分な大きさがある。中に掠れた王冠の絵が刺繍されていたが、気にしないでおいた。

 まぁ、ポシェットから肉を取り出した時に、すごく微妙な顔をされた。まぁ、女子のやることじゃないよね。

「あんた…『インベントリ』は使えないのか?」

 そう言われて今度はこちらが首を傾げてしまう。

 魔法ですか?と聞き返すと、若者も答えを窮したものの、すぐに笑って見せ。

「いや、あんたのそういう変わってるとこ好きだぜ」

「え?告白ですか?」

 と茶化すと若者も大きく笑い。

「男に見える女を連れてたら同性愛と思われるじゃねぇか」

「もう!酷い人ですね!」

 膨れて見せるとまた大きく笑われた。

 始めは敵意を向けてこられたけど、こうして話しているとやっぱりいい人だ。少し意地悪なところはあるけれど、ここもシノの村のようにいい村に違いない。

 若者と別れた後、宿屋へと向かう。

 簡素な木造の作りであり、酒場兼という作りとなっている。

 昼間ということもあり酒場には殆ど人がいない。

「宿屋っていくらで泊まれる?」と店の主人である30歳くらいの体つきの丸い女性に尋ねると、

「うちは大銅貨5枚だよ。にしても匂うねぇ…」と顔をしかめられた。

 本当はもう今すぐにでもベッドに横になりたい。

「ちゃんと川で体を洗ってから寝ます」

 謝るように頭を下げてから言うと、女主人は大きく笑ってみせ、何かを取り出した。

 それが布や桶と分かる。

「折角だ。風呂入ってきなよ」

 女主人は言ってから、耳打ちするように「本当は大銅貨1枚かかるけどサービス」と。

 その言葉は嬉しい。だけど、問題がある。

「あの…着替えがなくて」

 私の言葉に女主人は目を丸くし、

「あんた…本当に女の子かい?」

 それだけは言われたくなかった。冒険者か?と言われるのは、仕方ないとして、性別を疑われるとかなり傷つく。

「あの…売ってるところとかありませんか?」

 女主人は考えふける様子を見せた。多分ないのだろう。

 肩を落とすと、女主人は笑顔を見せ、汚いはずの私の頭に手を置いた。

「あたしの子供の頃に着ていたのでいいかい?」

 そういうと女主人は店の奥へといき、何かをひっくり返す音の後に戻ってきた。

 丸みを帯びた襟が付いた白いシャツと、茶色の落ち着いた色をしたミニのインバーテッドスカート(※プリーツスカートの一種)。

 全体的に見ても可愛らしい服だと思う。お風呂に入れて、しかも服まで貸して貰えるなんて感謝につきない。

「ほら、これはあげるよ」

 女主人の言葉に戸惑ってしまう。

「え?でも…」

 私は旅をしていく。服はいつか泥まみれか、血まみれになって、擦り切れボロボロになっていく。

 女主人は大きく笑い。

「あたし達は自分で作っちまうからさ。服なんて誰も売りゃしないんだよ」

 そこまで言うと、剛毅さを潜め、

「それに親が作ってくれたもんだ。捨てちまうか雑巾にしちまうより、あんたが着てくれた方がその服だって喜ぶよ。存分に着潰しな!」

 女主人の好意に嬉しくなってしまう。大きく頭を下げ。

「ありがとうございます!」

とお礼を言うと女主人は「いいよそんなの」と手を振ってみせた。

 それから、少し困った顔をし、

「下着はちょっと大きいカボチャしかなかったけどいいかい?」

 そういって、少し大きめのカボチャパンツを取り出した。いわゆるドロワーズだ。

 ぽっちゃりとしたショートパンツような形であり、下着というより、ズボンとしても着れそうだ。

「あ、かわいい!」

 思わず声を上げてしまう。お洒落には疎いけれど、短めのスカートと合わせると活動的ながらも、可愛らしいコーディネートが出来るので私的には好きだ。

「そうかい、そりゃよかったよ」と女主人も満足そうに笑顔を見せてくれた。

 私は貰ったスカートの上に、ドロワーズを置き、

「うん。丈も…スカートを少しあげて履けばちょっと見えるくらいになるし…」

「あんた…人に下着をみせて楽しいタイプかい?」

 下着を見せて歩く?そんな痴女じゃあるまいし…

 はっとして、女主人の顔をみる。明らかに困惑していた。

「あ、違う!おしゃれ、おしゃれなの!見せパンって…」

「下着見せるのが…おしゃれ?」

 女主人は口元を歪める。

 おかしいな。絶対、可愛いとおもうのに…

 しかし、こんな可愛らしい服をくれた本人にドン引きされるのも、気が引けるので、素直にお洒落は諦め。

「…見せないようにします」

 頭を下げて断念すると。女主人に肩を叩かれた。

「女を大切にしなよ」

 それはもう、私に女子力がないと言っているのと一緒なのでは…いや、ないな。女子力皆無だ。

「はい」と諦めて、いただいた服と下着を持って風呂場へと行く。

 

 風呂場は家庭にあるような風呂ではなく、公衆浴場といった形だ。

 入り口にの横には、後ろ向きにして『男』と『女』と書かれた2枚の札が置いてあったので、多分時間帯によって分けているのだろう。

 今はどちらも掛かっていないということは、普段はこの時間は使わないのだと思う。

 脱衣所で装備を外し、悪臭のする服を脱ぐ。下着を取りながら借りた風呂桶の中に石鹸のようなものが入っているのに気づいた。

 これも女主人の好意なのだろう。そう思い布を片手に浴場へと入る。

 お世辞にも大きくはないが、一度に10人程度は入れるであろう浴室。

 こじんまりとしつつも良く手入れが行き届いている床。

 湯殿の近くには暖炉のようなものが据え置かれている。

 綺麗な浴場に思わず目を輝かせてしまう。

 シャワー等はないけれど、その為に桶があると思えば不自由はない。

 湯殿からお湯を汲み、頭から温かいお湯を被る…

「いたた!」

 テンションが上がり過ぎて忘れてた。

 そういえば昨日か今日かは分からないけど、深夜帯に魔物と戦ってた。おかげで湯が傷にしみる。

 あと、汚れも目に入ってさらに涙まで出てくる。

 小汚い上に、体は傷だらけ…本当に女の子らしくないな。

 ゆっくりと体の汚れを落としていき、傷も少しずつ鳴らしていく。

 幸い、血は止まっている。これなら湯殿には浸かれそうだ。

 そういえば、と思い自分の脱いだ服を脱衣所から持ってくる。

 桶に水を汲んでから着ていた服を漬けて、軽くこすってみる。

 桶の中が赤黒い水になった。

「うわぁ…」

 これはヒドイ。そりゃあ悪臭もするよね。

 女主人が持たせてくれた石鹸を手に取り、必死に洗濯を始める。石鹸は泡立ち花の香りが微かにしてくるけれど、赤黒い水からする悪臭には勝てない。

 何度かそれを繰り返し、やっと水から汚れが殆どなくなったところで最後にすすぎをし、水気を払う。軽く絞り、あとは干すだけだ。

 盾と剣は…さすがにまた今度にしよう。

 体を石鹸でこすり、ところどころで悲鳴をあげながらも体を清め、ようやく湯殿に入れる。

 足からゆっくりと入り、温かいお湯に思わず声が漏れる。

 肩まで使った頃にはもう体が脱力し、思わず眠たくなってくる。

「ふー…いい湯だ…」

 ほっこりとし、お湯を掬ってみる。少し緑色がかっている。湯殿の隅には何かのハーブのようなものが入った網が置かれており、薬草風呂のようなものかと適当に納得する。

 肩までつかり、ぼんやりと過ごしていると、不意に脱衣所への扉が開いた。

「お、早い客だな?」

 とそこから現れたのは職人のような男だった。

「ふあああ!」

 一瞬、反応が遅れてしまい、慌ててタオルを体の前面へと持っていく。思わず変な声が漏れてしまっただ、職人のような男は気にせず。

「安心しろって、入浴の邪魔はしないから。それにしても細い体だな。もう少し肉を喰えよ」

 とまるで関係ないといった雰囲気だった。

 風呂の世話をする人なのだろうか。

 それにしたって、異性が入っているのだからもう少しデリカシーを持ってほしい。

 職人のような男性は暖炉のようなものに近づき、薪を何本かと少しの藁を入れて手をかざす。

 手には何か石のようなものを持っているが、何かを空中に書くように手を動かし、

「火よ今ここに…」

 と彼が一言唱え、しばらく念じていると小さな炎が生まれ、それが藁に伝わっていった。

 前に見たのと随分と違うが、それでも同じ魔法なのだとは分かる。

「魔法使い…なの?」

 と尋ねると、職人のような男性はこちらを向く。慌てて、タオルを前にして体を小さくするように座りこむ。

「魔術だよ。なんだよ、見るのは初め…」

 そこで職人のような男性の言葉に詰まった。

「もしかして、女…なのか?」

 と驚愕したような表情で言われる。

 さっきまでは少し…ほんの少しだけ普段の恰好が悪いから男の子と見られていたと思っていた。だけど、違う私は…女の子に見えないんだ。

「…うん」

 頷くと、職人のような男性は顔を背け、そそくさと立ち去って行った。

「すまん。男にしか見えんかった」

 去り際にそんなトドメの言葉を残して。

 そんなに男の子に見えるのかな、と泣きたくなる。

 そういえばウェンさんも私の事を弟と見ていた。マリアちゃんくらいだ。私をちゃんと始めから女性と見てくれてたのは。

 出て行った職人のような男性は脱衣所の扉越しに、

「本当にすまん。掃除はあんたが出てからにするよ。」

と言い残しドタドタと走り去っていった。

 悪い人ではないのだろうけど、私は傷ついたよ。

 バタバタして本当に気が抜けない。でも、誰かがいるのは寂しさを感じなくていいかな、と少し笑ってしまう。

 こんな貧相な体だから見られて困るものでもないしね、と。ゆっくりと息を吐いてもう一度温かいお湯に浸かる。


 お風呂から上がり、体を拭く。渡された布では中々拭き終わらないものの、そこまで時間はかからなかった。髪だけは水気をよく吸ってしまったので、時間がかかる。

 女主人さんから貰った服に着替える。ドロワーズを履いて、インナーシャツを着る。そして、シャツとスカートを。

 お風呂からあがり、拭き掃除をしていた女主人に、

「ただいま」と声を掛けると、女主人は小さく微笑み、

「はい、おかえり」

と少し満足そうだった。

 私としても、この恰好は十分可愛らしいと思う。馬子にも衣装と言えるだろうけど。

 私が戻ると、女主人は一旦その手を止めて、机に座るように促してきた。

 そして、水の入ったコップを置き、「どうだった?」と聞いてくる。

 気持ちよかったです、と素直に答え、続けて、

「けど、お風呂入ってたら掃除の人が入ってきて…」

「うちの下男だね。あとで叱っておくよ」

 女主人さんは笑顔ながらも、怒ってくれている。私は頬を膨らませてみせ、

「そうですよ!私を男と見間違えたんですよ!」

「それは仕方ない」

 間髪入れない返事に、

「もう!」

と抗議するが、女主人は大きく笑って見せた。

 ひとしきり笑い終えると、

「まぁ、しかし、そうやってかわいい服を着てたら間違われないって」

 可愛い服…そう言われて少し嬉しい気持ちになるが。

「さすがあたしの両親だよ」

 と女主人さんは豪快に笑う。

「あはは…」

 自画自賛だ。

 でも、思い出が詰まった品を見ず知らずの私にくれた彼女には感謝せざるを得なかった。

 世界から見ればほんの小さな出来事かもしれないけれど、私にとってはとても大きな出来事だ。

 行き当たりばったりで、本当に助けて貰ってばかりで恐縮だけど。

「ほら、余り物だけど食べていきな」

 女主人さんはそういって小麦色のごはんのような料理を出してくれた。

 香ばしい臭いがする。

「チャーハン?」と聞いてみたが、女主人は首を傾げ。

「なんだいそれ?あんたの故郷の食べ物かい?」

 やっぱり元の世界の知識は役に立たないらしい。

 女主人さんはお米のような小さな実を取り出し、

「ラスの実を炒めたもんだよ」

 そう説明してくれた。形はお米に似ているし、それにライスとラスで名前も少し似ている。こっちの世界でいうお米だと思っておくことにしておいた。

 しかしお米となると、凄く久しぶりな気がする。そう思いながら、日本人が海外へ行ったときにお米を思い出す気持ちが分かった気がした。

 匙を出され、チャーハンのようなものを食べる。

 口に入れた途端、香ばしさと甘みのあるラスの実に思わず驚いてしまう。

 味付けは醤油ではないのは確かだけど、バーベキューソース等のようなしっかりとした旨味がある。ラスの実も二ホンでよく食べていたお米のようにほのかな甘さがあり、ソースの味を上手く引き立てている。

 次々に匙で掬っては口に入れる。

「おいしいかい?」とニヤニヤと笑いながら女主人が聞いてくる。

 答えは分かってるよ、と言いたそうだった。

 勿論。嘘をつく必要なんてない。

「おいしい!」

と子供のような感想を言ってしまう。

 もっと、グルメ漫画のようなレビューでも出来ればよかったけれど、残念ながら、ただでさえ私の語彙力は低いのに、おいしいごはんの前では幼児退行までしてしまったらしい。

「そりゃよかったよ」

と女主人も満足そうに笑顔になった。

 食事を食べ終わり、手を合わせていると「お祈りか。熱心だね」と、女主人は言いながらお皿を下げ、

「一応、宿代には夜飯分も入ってるから夜にまた降りてきな。いっておくけど、くいっぱぐれても返金しないよ」

 こんなおいしいのに、追加の料金がいらない!

「うん!絶対きます!」

 食いつく勢いで女主人に伝えると、女主人は小気味よく笑い、腕を曲げ力こぶを見せてくる。

「はは、そんなに喜んでくれるなら、うんと腕によりをかけるよ!」

「はい!」

「じゃあ楽しみにしてなよ。ええと、冒険者の…」

 そこで気づいた。そういえば、私はまだこの村に来て名前すら言っていなかった。周りにも聞かれなかったし、もしかしてこれが冒険者の普通なのかな?

 そうは思っても、周りがどうあれ私には関係ない。

 名前を聞かれたら答えればいい。親から貰った大事な名前だから。

「『カホ』です!」

「カホちゃんね。まぁ、酒飲みも来てうるさいだろうけどさ、大目に見ておくれよ」

 女主人は皿を洗いながら、

「ふふ、子犬みたいな冒険者だね」

 子犬…とうとう人間ですらなくなった。

 だけど、おいしい料理に抗える人間がいるだろうか?いや、いない!少なくとも私はおいしい料理を出してくれる人は大好きだから!

 尻尾でもなんでも振る勢いで今日の晩御飯を楽しみに思いふける。

 その時だった。村の中央に馬車が入ってくるのが見えた。

 女主人さんは

「うん…また誰かきたのかね?行商?」

 そこまで言い、商人が馬車の中から引っ張り出したものを見て、表情を険しくした。

 私もそれを見て、思わず言葉を失った。

 檻だった。そして、中には5人の小さな子供達がいた。

 商人らしき男性…目の細い蛇のような印象を受ける商人はその前に立ち両手を広げて、何やら演説を始めていた。

 ここからでは何を言っているのかは分からないけれど、周りの人達が老廃物でも見るような目で通り過ぎていくことから察すに気分のいい内容ではないのだろう。

「…奴隷商か。ふん、けったくそ悪い」

 女主人は吐き捨てるようにいう。

 この世界は優しいくも、残酷な世界だ。

 奴隷…その存在を考えないようにはしていたが、やっぱり存在していたんだ。

 思わず胸が痛くなる。

「奴隷…」

と口から声を漏らしてしまう。

 女主人は私の顔を覗き込んできて、

「見慣れてないのかい?ということは、もしかして北方のアイリス皇国の出身かい?」

 聞きなれない言葉が飛び出してきた。

 北方もアイリスも知らない。それでもこの世界ではない何処かと答える訳にもいかず、

「ううん。なんとも言えないかな…」と曖昧な答えをすると、女主人は小さく笑い。

「まぁ、ここ…というか、アイリス以外じゃまだ根強い文化なのさ。気を悪くしないでおくれよ」

 言い終わった後に続けて、

「聖王国なんて奴隷はいない、とかいいながら、奴隷を買って『下層従僕』とかいって使ってるくらいだよ!あいつらは本当最低だよ!」

 強い口調でそういった女主人さんは拳に力を込め、

「奴隷商なんて本当に最低だよ」

と何かを思い出すように続けた。

 何があったかは分からない。だけれど、私が踏み込んでいい内容ではない気がする。

「奴隷か…」と呟き、それ以上は何も言えなかった。

 それからは、洗った服を干したいと女主人に頼み、外の物干し場の一角を借りて、服と鎧を干した。

 あと、干すのに下男さんが手伝ってくれたものの、私の下着をみるや、「痴女?」と聞いてきたので、女主人さんに報告しておいた。

 別に普通じゃないかな?一般的な下着だと思うけど。

 服を干した後は部屋にいったん引きこもり、惰眠を貪ることにした。

 体が疲れているせいかすぐに眠気は来る。しかし、中々寝付けない。

 そう。気になって仕方がない。あの奴隷の子供達が…。

 そして、何を思ってあの商人の人はあんなに目を輝かせて演説していたのだろう。

 考えても仕方ない。関わらない方がいい。ゆっくりと目を閉じ、微睡が降りてくるのを待った。

 だけど気になる。なんで、あの奴隷の少年少女達は真っすぐ前を向いていたのか…

 偏見だけではきっと見えない。この世界を好きになりたい…から。



「…ホちゃん…カホちゃん!」

 私を呼ぶ声が聞こえる。誰だろうと思いゆっくりと目を擦る。目を開けると同時に

「カホちゃーん!ごはんだよ!早く起きな!」

 女主人さんの声が下の階から聞こえてくる。慌てて起き上がり、外を確認する。

 窓の外は既に真っ暗だ。どうやら、がっつりと夜まで眠ってしまったらしい。

 欠伸をしながら、階段を降りる。

 一階に降りて女主人さんの顔を見て「おはよう」と挨拶する。

 女主人さんはため息を吐き、

「お寝坊さんにも程があるよ。もう夜だよ」

 女主人さんの言葉に他の客が笑い声をあげる。ついでに、「可愛い服を着れば一応女の子だな」と言われたので睨みつけておいた。

 勿論、私みたいな顔に睨まれても怖くないようで大きく笑われた。

「ほら、あんたが寝坊するから、酔っぱらいで溢れちまったよ」

 女主人さんにも呆れられた。

 私は一度背伸びをしてから、笑ってみせ、

「けど、起こしてくれたんだ。」と言い返すと、「そうだね」と女主人さんに頭を撫でられた。

 その様子に周りは「何かあったのか」と女主人さんに聞いていた。

 勿論、理由を知るのは私だけだ。

 『くいっぱぐれても、返金しない』と言っておきながら起こしてくれるなんて、本当に優しい人だ。

「ニヤニヤしてないで、ほら喰いな」と女主人さんが料理を出してくれた。

 出てきたのはプリッとした白い身に黄金色に近い餡がかけられた料理だ。

「白身魚だ!」

 思わず声が出た。

 赤身の魚も好きだけど、淡泊だけどほのかな甘みがあり、噛めば噛むほど生まれる味わいを楽しめる白身魚は大好物だ。

 そういえば、こっちにきてからまともに魚を食べていない。シノの村では魚は干して冬を超える為の食料だった。

「お、こいつはアタリだね」と女主人が嬉しそうな声を漏らした。

「あ、わかりますか!」

 私は手を合わせ、フォークとナイフを使って身を切り分ける。白い身に透き通るような餡を絡め、口に運ぶ。

 甘くて、ほのかに酸っぱい餡と、本来なら淡泊な白身が合わさり噛めば噛むほど旨味がしみだしてくる。

「上手そうに食うなぁ。そんなサンアイなんて幾らでも獲れるのにな。」隣の客がそういいながら私の白身魚を覗き込んでくる。

 私は意地汚くも「あげない」と隠す。

 さらに一口。今度は餡のない部分を。

 しっかりと油が乗っておりそれだけで甘く感じ、さらに噛めば噛むほど優しい甘さが広がる。

「ほら、カホちゃん。」

 そういって、女主人さんが白ごはんを出してくれた。さっきのラスの実を焚いてくれたのだろう。

 白身の魚と、ごはん…これは。

「うーん!」

 最高の食い合わせ。二つとも淡泊な味と思われがちだけど、噛めば生まれる甘みの相乗効果が幸せな気持ちにしてくれる。

「…なぁ、女将さんこっちにも煮つけをくれよ」

 とうとう我慢出来なかったのか、隣の客が女主人さんに注文した。

「うん…」

と女主人さんは気の抜けた返事をしながら私の食事を見ていた。

「女将さん、どうしたんですか?」と私が尋ねると、女主人さんは驚いたような表情をし、

「ああ、ごめんね。あんまりおいしそうに食べるもんだからさ!あたしの料理をこんな旨そうに食べてんのが…その」

 女主人さんが言い淀む。その言葉に遠くの席に座っていた酔っぱらいが声をあげた。

「なんだ。あ…餌付けしてる犬をずっと見ていたい感じかよ!?」

 また、何かを言い淀んだ?

 そして、一瞬だけど、女主人さんの顔も悲痛な表情をしていた。

「…はは!そんな感じだね!」

と剛毅に笑うが、その顔には、お世辞にも上手く取り繕えているとは言えない。

 女主人さんは何とか笑顔を作り、話題を変えてきた。

「それに、カホちゃんの生まれ故郷は魚がおいしいだろうしね」

「へぇ、そうなんだ。どこの生まれだい?」と他の客が聞いてくる。

 二ホンと…言ってもいいのだろうか。

「それは秘密だよ」と女主人さんが軽くウインクする。

「なんだい女将さん。気になるじゃねぇか!」と不服そうな声がし、それと同時に宿屋の入り口が開いた。

 入ってきたのは目の細い、細身で長身な男。不健康そうなやつれた頬、長い手足。それらを包むような黒い外套姿。まるで蛇のような男性だった。

 昼間に見たあの奴隷商の男性だった。

 場が静まりかえる。酔っぱらい達の声が消えた。

 奴隷商は何も言わず、一瞥だけすると私の隣まで来て、女主人さんに向かって。

「水と食料。10人分」と短く言う。

 言いながら彼は懐から銀貨を数枚取り出し、カウンターへと置いた。

 女主人は何も答えずに銀貨を受け取り、厨房の奥へと行く。

 男は無感動にそれを見つめていたが、ふと私と目が合った。

「おや、君は?」と言いかけたものの、少しの間私の目と魚料理を見つめてくる。

「うん?」

 首を傾げてしまう。もしかすると彼は魚料理が好きなのかもしれない。

 少しの時間逡巡したように彼が時間を掛け、私の食べている魚料理を指さした。

「女将さん。追加で私にも彼女と同じものをいただけないかな?」

 やっぱり魚が好きなんだ、と。

 しかし、その答えは返ってこず、女主人さんはぶっきらぼうに食料と水が入っているであろう袋を突き出し。

「こいつは宿の賄いだ。ほら、食料と水だよ」

 奴隷商はその一言に顔色を一つも変えないが、残念そうに口元を歪めた。

「わかりました。残念です」

 そういった後に女主人さんに渡された袋を目の前で開け、

「干し肉が30、魚の干物は10、パンが20。あとは野菜系統に水。」

 厭味ったらしく言い終わると、

「適正価格です」と言い残すように踵を返して去っていく。

 奴隷商が去っていくと、まるで今まで息を止めていたかのように、周りの会話が始まった。まるで堰を切ったようだ。

 口々、「あんな最低な奴は道端でコボルトに食われろ」等、罵倒の言葉が多い。

「カホちゃん。あんな奴に関わるんじゃないよ!」

 女主人さんも私に注意してくる。

 この村では特に奴隷商は嫌われているのがよく分かる。

 もしかすると教義的にも『平等』を掲げているエアリス様の信徒には、キリスト教でいうところの悪魔のような扱いなのかもしれない。

 そして、私はというとエアリス様の名前をよく口には出してはいるが、信徒とは言えないと思う。

 つまり、何が言いたいのかというと、毛嫌いはしたくない、ということに尽きる。

 それに、気になっている。

 現代二ホンにおいても奴隷制度なんていうのは忌むべき存在として、自由の大切さを耳にタコが出来る程聞いた。

 それが間違っているとは思わない。むしろ、正しいことで自分が奴隷にはなりたくないと思える一躍を担っている。

 奴隷商は悪の象徴のように習い、生きているだけで腫物のような扱いだ。

 それでも、あの奴隷商からは私が想像し、教え込まれていたような、悪意を感じなかった。

 他人の権利を平気で踏みにじり、人間でも奴隷であれば使い勝手のいい物として扱う。そういった差別的な見方をする…ようには見えなかった。

 食料に至ってもそうだ。この村に来て、少しは金額の価値を学んだ。

 あの奴隷商が買っていったのは自分の分の食料も含まれてはいるだろうけど、銀貨を払い、奴隷の子達の分をしっかりと買っていったようにも思える。

 私が感じたものを何と言葉にすればいいのか分からないけれど、いうなら『良心』のようなものを感じた。

 唯一、あの奴隷商が心を揺らいだであろうものも、魚料理だ。

「どうしたの?」と女主人に聞かれ、私は首を一度横に振って見せる。

 決まった。やっぱり迷ったときは前に出ようと思う。

「私、色々なものを見たくて冒険者になったんだ。だから、ちょっとだけ話をしてみるよ」

 私は付け足すように、

「偏見だけじゃ物事は語れないから…」

 と言い終わった所で、周りが静まり返っていることに気付いた。

 しまった、とは言わないでおいた。

 奴隷商を毛嫌いしているような村で、ちょっと話をする、なんて言ったら訝しがられるのも当然なこと。きっと、得体のしれない冒険者と思われているのだろう。

「おいおい、女将さんがそういってるんだ。やめておけって」と声を掛けられたものの、女主人さんがその声を遮る。

 女主人さんは少し柔らかく笑い。

「いや…そうだったね。あんたの国はそういう国だ」

 そう、認めるように言ってくれた。

 私の国、二ホンの常識がどうあれ、世界的に見れば肌の色で差別しない人が多い等のいいところもあるらしい。

 私の場合これに当てはまるかどうかは分からない。ただ、同じ人間だから職業がなんであれ話してみないことには分からないのだと私は思う。

―にしても、私が二ホンの出身って言ってないような。

「まさか、アイリスか!?」と誰かが声を上げた。

「えっと…」違います。と言おうとしたものの、周りから声が次々と上がる。

「同じエアリス様の信徒だしな!」

「皇国の信念を聞けるとはね!」

「アイリスの人じゃ仕方ねぇよな!」

 等と周りがそろいもそろって的外れな言葉を並べていく。

 曖昧な情報に惑わされ、適当な情報をスピーカーのように誇大に表現し伝える。

 そこに矛盾点はないかと聞きたくなってしまう。お酒によって昂った感情だけで燃え上がる会話。

 アイリスが何か分からないのに、周りが囃し立ててくる。

 その後に残る、私という灰の埋め合わせは誰がしてくれるのだろう。

「はいはい。この話はおしまい。ほら、酒飲みはむこうに行きな」

 女主人さんが囃し立ててくる他の客を諫めてくれた。

 絶好の機会。

「私の故郷は…」と言いかけたものの、今度は女主人さんに遮られた。

「詮索しないから、大丈夫だよ」

とのこと。どう考えても善意からなんだろうけど。

 タイミングを逸した!

 今やアイリスという聞いたこともないような国からの冒険者となっている。

 しかも、何やら歓迎のされ方が異常に感じる。

「ただ、あの男になんかされそうになったら言いな!ぶちのめしてやるからね!」

 女主人はそう言い切って、他の客の皿等を片付けに言った。

 思わず、ため息をついてしまう。

 転生しました、とは言えないにしてもシノの村出身とでも…いや、すぐにばれる様な嘘はやめた方がいい。

「よお!」

 声を掛けられ振り返ると、この村に初めて会った若者…武器屋の男性がいた。

「あ、武器屋さん」

「はは、なんだよその呼び方。まぁ、なんでもいいか」

 と彼はあっけからんとした様子で、持っていた酒を飲み、

「朝は悪かったな。謝るのが遅れたよ」

 謝られるようなことがあったのかな、と思ったものの心当たりはある。

「あー!そうだ男の子扱いしたんだ!」

「そっちじゃねぇよ!」

 怒られた。どれ?と聞き返してみると、武器屋の男性は肩を竦め、

「ほら、あんたを威嚇して剣まで抜こうとしただろ?」

 そういえばそうだ。とはいっても、あれは私が悪い。

 剣を差しているのが威圧しているのかと思って、自分の剣に視線を送ってしまっていた。

 普通に考えれば、得物を確認して、戦闘体勢をとろうとしている、と思われても不思議じゃない。

「あー…あれは肝が冷えたよ」とは答えておいた。

 今後他の村へ立ち寄った時には注意しようと心に留める。

 武器屋の男性は少し、落ち着いた雰囲気を見せ、

「この辺はな…昔は冒険者が多く来てな。略奪まがいなこともよくあったんだ」

 その言葉に冒険者が嫌われている理由は分かった。

 本当に野盗みたいなことをしているんだとは思いたくなかったけど。

「近くに魔石のとれると噂の洞窟があってな、そこに集まってくるのさ」

「魔石?」

 武器屋の男性が口に出したものに興味が出たので聞き返す。武器屋の男性は軽く笑って見せ。

「…知らないフリが上手いな」と勘違いをしている。

 もしかして、私がここに訪れた時にそれを狙って旅をしていると思われたのかもしれない。

「『魔術武具マジックウェポン』を作る為の材料さ。あんたもそれを探しにきたのか?」

 『魔術武具マジックウェポン』。つい最近見たところではあるものの、私には使い方が分からなかったので、余り興味はない。

 ただ、今の話を聞く限り、魔石は高価なものには違いないだろう。

 噂しかなくても冒険者が集まってくるくらいだろうし。

 因みにだが、今のところ特にお金に困っていることもない。私の旅の目的は漠然としているものの、直近の目標としてはある程度方向性は決まっている。

「ううん。アルトヘイムに行こうと思ってるんだ」

「はは、そうか。」

 武器屋の男性はまるで取り合ってくれないような乾いた笑いを浮かべる。

「まぁ、あんたが何をしにきたのか、深くは聞かないが、あの洞窟には近づかない方がいい」

「崩落でもするの?」

「それは…いや、あるかもしれんな」

 武器屋の男性は戸惑いをみせる。崩れるかもしれないなら近づかない方がいいだろう。

「むしろそうなって欲しいよ」

 不意に女主人さんが私達の話に割って入ってくる。

「フリーの冒険者達が壁に穴を掘ってどんどん深くしやがったのさ」

 女主人は苦々しい表情をする。

「魔石を探して?でも、それだけでしょ?」

 私の言葉に女主人と武器屋の男性…だけでなく、他の客もポカンと口を開いた。

「なあ、女将さん。この子大丈夫か!?なんも知らねぇんだけど!」

「あたしも不安になってきたよ…」

 二人に呆れられた。

 訳が分からず首を傾げてしまう。

 見かねた女主人がやれやれと首を振りながら、

「…そういう穴は長いこと放棄された後、魔物が巣を作るんだよ」

 成程、と合点がいく。

 魔物は強い。それに脅威だ。それの穴倉となるものを拡張し、去っていく。

 これが冒険者が嫌われた理由で、魔石を探しにいくのを暗に止めるような言い方は魔物の巣になっているか分からない場所に下手に首を突っ込まない方がいいと忠告してくれていたのだろう。

「前はゴブリン、その前はコボルト…そしてある程度数が増えたら近くの村を攻めてくるんだよ」

 武器屋の男性がため息を吐く。

 逆に言ってしまうと、この村はそういった魔物の襲撃から身を守れるだけの力があるとも言える。

「なるほど。私達が嫌われる理由には十分だね」

「はは!その通りさ!」

 武器屋の男性に背中を叩かれた。

「いてて…」と不服を漏らすものの、気に入ったのか武器屋の男性は笑顔のまま、

「あんたはまだ駆け出しなんだろ?そういう冒険者にはなるなよ!」

 人に嫌われる冒険者にはなるな、か。

「あはは、肝に銘じておくね」

 とは言いつつも、いくら自分が注意しようが、冒険者の株は絶対自分とは関係ないところで落ちてそうだとも思ってしまう。

 主に冒険者のイメージが師匠なところが。



 食事を終えた後、皆に見送られながら外に出る。

 散々寝たのでまだ眠たくはないし、あの奴隷商がいつまでこの村に留まるのかも分からないからだ。

 私が近づくと、奴隷商は作り笑いと共に両手を振りながら、

「さぁ、こちらは一級品の奴隷ですよ」と、少し嫌な気分になるセールストークを聞いてしまった。

 私が奴隷商の前まで行くと、作り笑いが一瞬で消えた。

「ああ、さっきの冒険者さんかい?」

 何処かこちらを訝しむような言い方だった。歓迎はされていない。

 この村は冒険者と奴隷商が嫌で、奴隷商は冒険者が嫌い。

 奴隷商より嫌われている職業は現世では中々出会えないだろう。

「奴隷を見に来たのかい?」

 棘のある口調でまくしたてるように言ってくる。

 檻の中を見てみると、まだマリアちゃんと同じくらいの少年少女が5人程いた。

 その内の一人はフードを被っており、大きな外套も羽織っている。

 他の子は簡単なシャツと半ズボンに対して、心なしか他の4人と比べても優遇されている。

 恰好だけど、格差とでもいうのだろうか?

 不思議とそういうものは感じない。

 奴隷の少年少女達は覗きにきた私を嫌悪するでもなく、ジッと見つめてくる。

 それにはむしろ、こちらが品定めをされているような錯覚を感じた。

 奴隷商は鼻を鳴らし、

「…悪いが、これらは売り物です。見世物にする気はないですよ。同情するくらいなら買って行って貰いましょうか。1人金貨2枚です」

 さっきと雰囲気が違う。

 魚が食べられなかったから…ということは絶対ない。

 この人は私に対して何かを感じている。

 むしろ、この奴隷の少年少女達に目を向けられることに対して、嫌悪感を抱いている。

「うん。変な同情はしないよ。」と私が答えると、奴隷商は吐き捨てるように、

「なら、口上だけの正義でも並べますか?そんなもの薄ら寒い」

 口上だけの正義か。

 それはきっと、私が今ここで人権なんて現代の倫理観を引っ張り出して来たらそうなるのだろう。

 何の苦労もなく人権を得て、保証されて生きてきた私が、『奴隷だから可愛そう』なんて言ったら、何も知らない癖にと反感を買うか、『何も知らないのに可愛そう等と思うな』と言われるだろう。

「それはもっとしない。正義なんて私が言ったら薄っぺらいから」

 私の言葉に奴隷商は「口ではなんとでも言えますから」と挑発的な言葉だ。

「小さな同情なんかでこの子達を推し測って欲しくないのですよ」

 奴隷商の攻撃的な言葉がさらに勢いをます。

 なんだか、この人は買って欲しくなさそうに見える。

 それなら、何が目的なのだろうと首を傾げたくなる。

「それもそうだね」と奴隷商の言葉に頷く。

 世間的に見て悪人だからと、その人の言葉が全て間違っている…なんて思わない。

 難しいけれど、犯罪者だろうと、いじめっ子だろうと、その人の全てを否定するべきではない。

「それに、奴隷がいいのか悪いのかなんて、その実態を知らない私には言えないから」

 私の言葉に奴隷商が少し言葉を言い淀んだ…気がした。

「遠い目をするんですね…」と奴隷商がぽつりと言葉を漏らし、まるであざ笑うかのように、

「…なら君も奴隷になりますか?」

 その提案には首を振る。

 奴隷がいいか、それとも悪いかが分からない。なら、経験してみなさいと。

 その理屈は分かる気がする。

 そんな事を言うのなら、経験をしろ。その後に口を開いたらどうだ、と。

「ごめんなさい。私は、まだ見たい景色があるんだ」

 首を振って答える。

 奴隷商はため息を吐き、

「この子達を君はどう思う?」

 その質問には答えられなかった。

 どう思う?私には分からない。

 現世で覚えた知識が邪魔をしてきて、奴隷制度を悪い物と見てしまっている自分がいるのは確かだ。

「どんな奴らに買われるかも分からない。自由すらない。惨めに思うのでしょう?」

 自由を最も尊び、権利を与えられ行使する。所謂アメリカンスピリッツ。

 それが私の常識として学んだ知識だ。

 ただ、全てに通じると勝手に決めつけ、最上の法だとでも言うのか、と言われれば否だ。

「君達冒険者は。その汚い翼を汚しながらでも、どこまでも飛べるから。命を奪い合うことをしながらも、『奴隷よりマシ』だ等と言うのですから」

 奴隷商の言葉が胸に響いた。

 そうだ、私の偏見の一番悪い部分はそこにあった。

 私は自分と彼女達を対比していた。

 この少年少女達と自分を比べてどうかなんて、それこそ私が彼女達を奴隷として扱っているに過ぎない。

 奴隷の少年少女達を真っすぐ見つめる。

 皆、私の視線に臆することなく真っすぐ見つめてくる。

 死んでいない。強い目だ。まるで何かをやり遂げようとしている。

「強い目…生きているって訴えかけてくるような」

 私の答えが出た。

「ごめん魅入ってた」と一つ、少年少女達に謝る。

 奴隷商と真っすぐに向き合う。

 彼もまた信念を持った強い瞳をしている。だから、伝えるんだ。

「誰かよりマシと思うような幸せは好きじゃないんです。私には私なりの幸せの形がある」

 私の答えにポカンと奴隷商は口を開いた。

「なんだね、そのポエムのような答えは?君は本当に冒険者なのかね?」

 ポエム…思い返すと本当に恥ずかしい答えをしてしまった。

 だけど、本心を思いついたまま精髄反射の如く言ってしまった。もう少し思慮深くなるべきではあると反省する。

「駆け出しだけど、そうです」

 ポエムと言われて、ポエムと認めてしまって思わず恥ずかしくなってしまう。

 奴隷商は少し考える素振りを見せ、

「明日…時間はありますか?」

 その言葉に頷いて返すと、奴隷商は手を叩き、

「よし、お勤め終了です。お疲れ様です。もう座っていいですよ」

 その言葉と共に、少年少女達は「疲れたー」と気の抜けた声をあげた。

 座り込ん後、お互いに話を始め、周りを片付け始めた。

 自分の意思で立っていた。だから、強い目をしていた。

 奴隷商は奴隷の少年少女達に、「撤収が終われば食事です」と一言だけ告げ、

「明日また話をしましょう。私達は村の外にいますので」

 それだけ言い残して奴隷商片付けを始めた。これ以上ここにいても彼らの”仕事”の邪魔になってしまうだろう。そう思って私もその場を後にする。


 

 宿屋に戻ると、女主人さんが私を心配そうな瞳で見てきた。

「カホちゃん…」と、名前を呼ばれ、私は首を横に振ってみせてから、

「大丈夫でしたよ。そんなに悪い人じゃなさそう」

 笑顔でそう返すと、女主人さんが絶句した。

 その意味を分かりかねて、思わず私も首を傾げてしまう。

「…そんなこと言わないでおくれ」

 女主人さんの言葉は、今までの剛毅さは失われ力なく悲痛ささえ感じた。

 周りから酔っぱらいの声もいつの間にか消え、酒場とは思えない静かさだ。

 戸惑っている私をフォローするように武器屋の男性が間に割って入る、

「女将さん」と静かに告げ、休むように促した。

 私の所為で傷付けてしまったのだろう。

 奴隷商を嫌っている村。その因縁は並々ならぬものがあるはずなのに、軽々しい感想を答えるべきではなかったのかもしれない。

「後は俺達で片づけておくよ」と武器屋の男性が一言女主人さんに言い残し、彼女は一度首を振ったものの、強引に背中を押され奥へと姿を消した。

「ほら、撤収しなー」

 武器屋の男性が手を叩く。

 それに応えるように酒を飲んでいた男性達も立ち上がり、机に数枚の硬貨を残して去っていった。

 渋々といった感じも見られない。この空気を作り出したのが私の無神経な一言というだけで辛い。

「カホちゃんも手伝ってくれよ」

「あ、うん」

 武器屋の男性に渡された雑巾を片手に机を拭き始める。

 少しの間、沈痛な時間を過ごしていると、武器屋の男性が不意に口を開いた。

「これは一人言だ。」

 そう話を切り出した。

「昔この村がコボルトに襲われた年、追い打ちをかけるように酷い飢饉があったんだ。その時は狩りなんてしていない。農耕だけをしていた」

 魔物の襲来による疲弊に飢饉が重なる。

 それがこの世界でどれ程重い出来事なのかは分からない。

 今も復興中のシノの村を思い浮かべる。魔物の襲来がどれ程の傷痕を残すのかは少しは分かる。それでも、そこに飢饉が重なった時の悲惨な光景までは考えにも至れない。

「村は食うものもなくなり、俺達は…」

 武器屋の男性が言葉を一度切り、先ほどまで奴隷商がいた場所に目をやる。

 それだけで分かってしまう。

 どうしようもない、と片付けてはいけない。自分たちの罪だから深く心に刻んだのだろう。

「…子供を売ったんだ」

 武器屋の男性が手に力を込めていた。

 彼もそれを選んだ一人だったのだろう。

 そういえば、この村には私と同年代か、それ以下の子供がいない。

 それが罪だと向き合った彼らが導いた答え…滅びへの歩み。

 もしそうなのだとしても、私が口出し出来ることではない。

 間違いだと頭ごなしに言うことは出来ても、本質的にそれが間違っているかどうかを決めるのは誰でもなく、当事者達だから。

「売った後、魔王軍の進軍も重なり、物価は高騰…。子供を売った金は雀の涙のような金額にまで暴落。多分、生き残れないと思った。これが罰だと」

 武器屋の男性は目を伏せた。

 当時を知らない私にとって何かを答えることは出来ない。

 生き残る為に子供を売った。金の為に。

 だけど、それだけだろうか。餓死をさせない為に、子供達を逃がす手段が奴隷しかなかったのではないだろうか。

 冒険者は奴隷商からすら嫌われる仕事。常に死と隣り合わせ。それならば、例え奴隷としてでも生きていて欲しかったのではないだろうか。

 だけど、彼らはそう言わない。口当たりのいい薄っぺらい正義を口にしない。

 誰も逃げていない。自分の行いを過ちとしてと戦っている。

 そうでなくては、奴隷商を悪しざまには言う言葉が軽くなるから。

「そしたら…岩鹿が近くの森に移動してきて生息しているのが分かって、その肉を喰らって生き延びたんだ。」

 それまで農耕をしていた村人にとって岩鹿の猟は難しかったと思う。

 あんなに強い魔物を倒しながらでも生き永らえてきた。

「だけどな…もう少し早く気づいていたら、俺達は…いや忘れてくれ」

 その言葉の続きは聞かなくても分かってしまう。

 自分たちにもう少し勇気があれば…子供達を失わずにすんだ、と。

 武器屋の男性は私をしっかりと見つめてくる。

「あの奴隷商がどういう奴であれ、この村では関わり合いあいたくない。」

 そう言い切る。そこに無神経な私への攻撃的な感情はない。

「あんたが、いい奴だって言うならそうかもしれない。だが、俺達は…」

「ごめんなさい…」

 彼の言葉を途中で切るように私は謝る。

 謝ったところで許されるものではない。それは分かってはいるけれど、謝らずにはいられなかった。

 武器屋の男性h慌てた様子で手を振る。

「いや…忘れてくれ。あんたを攻めたいんじゃないんだ」

 その言葉の後に「だから泣かないでくれ」と。静かに諭すように言ってくれる。

 私は気付くと、自分の頬に流れていた涙を拭う。

 自分の思慮の無さが情けなく、ただ辛かった。

 掃除もそこそこに私は部屋に戻るように促された。

 部屋に戻り、ベッドに体を投げ出す。

 こんなに良くして貰ったのに、いらない心の傷を与えてしまった。親切に対して後ろ脚で泥を掛けるようなものだ。

 そして、悪いのは…私だけだ。

 奴隷商は仕事としてきただけで、この村はそんな奴隷商に何かをした訳ではない。

 冷たくあしらうようなことこそすれ、それは関わらないというスタンスに乗っ取っただけの行動。

 暴力も何も働いていない。

 不干渉を選ぶことで、ただ静かにお互いの距離を選らんだ。

 興味本位で顔を突っ込んでいらないことをしていく…

「だから…冒険者は嫌われるのか」

と勝手に納得し腕で目を覆う。

 明日にここを発とう。その前に、女主人さんには謝ろう。そう誓った。



 次の日の朝。

 起き抜けの頭がぼんやりとするものの、軽く頭を振り、装備を整える。

 今日は約束もある。それに、女主人さんに謝らないといけない。

 剣を腰に差し、盾とバックを担ぐ。鎧は干しているからこの後、取りに行こう。

 宿屋の下の階へと降りる。女主人さんはカウンターで何かの作業をしていたが、私に気付くと顔を上げ、

「おはよう。カホちゃん!」

 まるで昨日何もなかったかのような明るい声色だ。

「おはようございます」と頭を下げ、真っすぐに女主人さんの顔を見つめ。

「あの、昨日は…」

 言いかけたものの、女主人さんが何かを取り出した。

 小さな包みだ。

「はい、お弁当」と女主人さんはにかッと笑って見せた。

 受け取り、今度こそと顔を上げて見たものの、

「言わなくていいよ!あんたみたいな若い子にそんな顔させちゃ、なんの為の大人だい!」

 剛毅に笑い飛ばした後に、私の服…女主人さんから貰った服を見て。

「似合ってるよ」と小さく笑う。

 女主人さんはバツが悪そうに頬を掻き、

「あたしも言っておくよ。その服ね。あたしの服じゃないんだ」

 そんな気はしていた。女主人さんは恰幅がいいから…というよりも、この服に痛みや古さを感じない。まるで最近作ったかのような服だったから。

 女主人は昨日奴隷商がいた方向に目をやり、

「11歳の娘がいたんだ。帰ってきたらお洒落をして欲しいから、色々作ってたんだ」

 それが、奴隷として送り出したということは察することが出来た。

「ほら!しゃんとしな!」と背中が叩かれた。

 女主人さんは両腕を組み、

「冒険者でしょ!横柄で不遜な態度で出ていきなよ!そんで『飯はうまかった』くらいのお礼でいいのさ!」

 強い人だ。本当に私は弱い。

「ありがとう…女将さん!ごはん、とっても美味しかったです!」

 私のお礼に女主人さんは相変わらずの元気さで、

「あたしも…吹っ切れようかね。新しい旦那を見つけてさ!」

 そこまで言った後に困ったような顔をし、

「カホちゃんも頑張らないと一生独り身だよ。ただでさえ男の子に見えるんだから」

「もー!分かってますよ!」

 それを言われるのは一番辛い。

 自分でも女としての魅力がないことくらい分かっている。

「行ってきます!」

 手を上げる私に、女主人さんも手を振り。

「うん…行ってらっしゃい!また来なよ!旅路にエアリス様の微笑みを!」

「女将さんにもエアリス様のご加護を!」

 お互いに別れの言葉を交わし私は外へと出る。

 今日は天気がいい。こういう日はどこまで行けるだろう。そう思うと心が躍る。

 一歩また一歩と宿屋から離れ、そして昨日の約束を果たす為にも、私は村の外へと向かう。


―出て行ったのはいいものの、出たところで鎧等を回収しにまた戻ってきてしまったのは余談だ。





 カリデの村の外へ出て、辺りを見回す。

 そういえばどの辺りで野宿をしているのか聞いていなかった。

「こちらですよ」と後ろから声を掛けられた。

 突然のことに驚き慌てて振り返ると、奴隷商が村の中からこちらを見ているのが分かった。

「え?外にいるって…」と抗議のような言葉を言ってしまう。

 奴隷商は首を振り、

「あなたがあまりに早かったので、まだ食事すら済んでいませんよ」と呆れていた。

「まぁ、いいでしょう。今日は外で食べましょうか」

 彼はそういうと近くに置いてある彼の馬車から茣蓙を取り出し、手を叩いた。

「食事の時間です。皆さん勉強道具等を持って外へ」と。

 その姿は奴隷商というより教師のように見えた。

「近くに小川があるのでそこで待っていて下さい」

 と奴隷商はそれだけを告げると奴隷の少年少女達に指示を始めた。

 小川の近くで座って待っていると、

「ねぇねぇ!」と高い声が聞こえてきた。

 声を掛けられたのが私と分かり振り返ると、そこには銀色の髪をした少女がいた。

 昨日フードと外套を纏っていた少女だと分かるのだが、驚いてしまった。

 その少女の頭には猫のような耳が、そして背中には尻尾が見えるから。

「お姉さんは冒険者なの?」

 そう聞いていたので、思わず首を縦に振る。

 猫の耳と尻尾が気になって仕方ない。

 つけ耳…のようにも見えるけど、時折ピコピコと動いている。

「あの…」

「こら、ラーニャ。お客様が困っていますよ。あなたは識字率も算術も成績がいいのですから、もう少しマナーや気遣いを学びなさい。あなたは人懐こ過ぎる」

 言いかけたものの、奴隷商がラーニャと呼ばれる猫耳の少女を諫め、タイミングを逸した。

 奴隷商は両手に荷物を抱えており、それらを地面に置く。

「はーい」とラーニャちゃんの返事はよく、返事の後に、奴隷商が置いた荷物を手に取り、段取り良く食事の準備を始めた。

 奴隷商は、私に向かって一度頭を下げた。

「ご迷惑をおかけしました。あと、よろしければご一緒に食事でも」と提案してくる。

 私は頷き、女主人さんから貰ったお弁当に手を伸ばす。

 それを奴隷商は手で納めるように指示し、

「誘ったのは私です。少々、味気ないかもしれませんが同じものを食べていただけませんか?」

 奢ってくれるのだろうか?

 そう思うと何だか悪い気もするが、ここは固辞すべき場面でもないので、頷いておいた。

 奴隷商は小さく笑い、

「さて、残りの準備がありますので、少々お待ちを」

 踵を返し、また馬車へと戻っていく。

 それと入れ替わるように奴隷の少年少女達が荷物を次々と運んできた。

 鍋に、皿…そして食料が入っているであろう袋。

 茣蓙の上に皿を置き、その上にパンを載せ始める。

 途中、子供達がパンの置き方について「こっちの方がおいしそうに見える」等と思案しているような声も聞こえた。

「ねぇねぇ!お姉さん!」

 ラーニャちゃんが私の元へとやってくる。

 ピコピコと動く耳が気になって仕方ない。

 触ってみようかと手を伸ばしてみたが、ラーニャちゃんの体が不意に私から離れていく。

「ラーニャ…おさぼりはいけませんよ」

 奴隷商がラーニャちゃんを掴み上げるようにし、その顔を引きつらせていた。

「ごめんなさーい」とあんまり反省している風には見えない。

 奴隷商は片手を料理の準備をしている子供達の方に向け、

「ラーニャはペイル達を見習って下さい。ペイルは気配りが利き皿を等間隔へと並べています。カールは配膳を。ファウは茣蓙の汚れを確認し掃除をしています。そして…」

 奴隷商がハッとし、驚きの表情を浮かべる。

 私もそれで気づいた。ラーニャちゃん以上にもう一人自由な子がいた。

 茣蓙の上で気持ちよさそうに寝転がっている。それに気付いた他の子達が慌てて起こそうとしている

「ホロ!」

と奴隷商が声を荒げ、慌ててホロと呼ばれた少女は飛び起きた。

 まるで今まではやっていましたとでも言わんばかりに、動き始め思わず私も笑ってしまう。

 奴隷商は呆れた様子を見せながらもラーニャちゃんを解放し「さて、スープを入れますよ。ペイル」と青髪の男の子に声を掛けた。

 ペイルと呼ばれた青髪の男の子は、「はい。任せて下さい」と丁寧に答え、やる気を見せて奴隷商の脇へと行く。

「ねぇ、お姉さんは冒険者なの?」

 ラーニャちゃんは奴隷商に解放して貰ったことをいいことに、また私に聞いてくる。

「そうだよ」と答えはしたものの、気の抜けた声が出ていたと思う。

 耳が気になって仕方ない。

「ずっと気になってたけど?触っていい?」

 と言いながらも触ってしまう。

 フニフニと柔らかい。おまけに温かい。これがこの子の耳なのかな、と思いながら。

「え、ふにゃ…ん」

 とくすぐったそうにラーニャちゃんは体をよじる。

「…本物だ」と私が言ったところに、

半獣人デミビーストは初めてですか?」

 奴隷商が私の元へと来て「食事が用意出来ました」と私を食卓へと案内してくれる。

 奴隷商はラーニャちゃんを先へ行かせる。

「あんな種族もいるんだ」と素直な感想を。

「面倒で困るんですがね…」

 奴隷商は心底うんざりしたような表情を浮かべる。

 その言い方には少し反感を覚えてしまう。

 奴隷商は自分の胸に手を置き、片手を振り上げ、

「困ったことに変態貴族になら簡単に買い手がつくのに、そういう上っ面だけを見るような奴は私の求める顧客ではないのですよ。顔は割と整っていますし、頭もよいです。おまけに殆どの識字はマスターしている!体も丈夫で年齢の割には力もある!なのに、マニアック向けなのと、あの性格が珠に瑕です!」

 饒舌に語り出した。

 私の反感という怒りが何処かへ消えてしまう。

 奴隷商の口上を聞くと、奴隷の子供達は手を叩き「またおじさんがおもしろい」と何処か茶化すような言い方だった。

 奴隷商は一つ咳払いをし、

「失礼、売り文句となると饒舌になってしまいますね。あなたが買うとは思えませんのに」

「私に売り込もうとしているのかと思って引きましたよ」

「ああ、そういえば君も変態受けはしそうですね。男色家には売れそうだ」

 失礼な物言いに思わず握りこぶしを作る。

「殴っていい?」

 奴隷商は大きく笑ってみせ、

「殴るのに”いくら”払いますか?」

「銀貨一枚!」

 私が強く言うと、奴隷商は神妙な顔つきになり。

「ふむ…中々魅力的ですね」

 その言葉に握りこんだ拳も引いた。

 変わっているとは思ってはいたけど、この人の底が知れない。

「ダメだよ!殴ったら…いたいんだよ…」と桃色の髪の少女が止めてくる。名前は多分ファウちゃんだと思う。

「あ、ごめんね」その必死さに押されて謝る。

 決して奴隷商に謝った訳ではない。

 奴隷商はというと、ため息を吐き、「ああ…うむ。残念ですね」とポツリと漏らす。

「マゾなの?」

 嫌悪感を露わにしてみせると、奴隷商は大きく笑い。

「いいえ、商人です!」

 自身満々に言って見せた。

 プライドは感じる物言いだったけど、その前の会話も合わさり、きっと彼はこの世界でも変わり者には違いないと思ってしまう。



 それから奴隷商達と食事を摂る。

 食事は簡素ながらもしっかりとしたものだった。具は少ないものの温かいスープ。半切れのパン。干し肉。

 ここまでの私の旅事情に比べてかなりしっかりしている。

 また、子供達にも驚かされた。食事の前にしっかりと手を組み、祈りを捧げてから食事を始めた。唯一祈りをしていないのは奴隷商というギャップにも驚かされた。

 食事を摂り、スープを一口、口に入れ驚いた。

 塩味が利いており、具は少ない物の味わい深い。特に味の薄いパンとは見事に合い、パンの端をスープに浸して食べると丁度いい塩梅だ。

「おいしい?」と近くに座っていた桃色の髪を持つファウちゃんが尋ねてくる。

「うん。とっても!塩とあと…この野菜の甘みが丁度いいのか?」

 私の言葉を聞くと、ファウちゃんは照れたように髪を触り、

「えへへ…ファウが作ったの」

 嬉しそうに言う少女の姿は年相応に見えた。

「うん。とっても美味しいよ。」

「塩は貴重ですが、購入されますか?銀貨1枚で1袋です」

 奴隷商がいきなり口を挟んできた。

 なんでこの人はそういう話にするかな。

「…いや、まぁ、欲しいけど…」

 呆れながら返すと、奴隷商は目を光らせ、

「それともファウですか!?識字率及び語彙力はお世辞にも高いとは言えませんが、算術は割と得意です!おまけに料理と味付けには一定の評価があるでしょう!因みに、塩味の一部はなんと干し肉から取っています!まだ8歳とは言え裁縫等にも興味を示しており、この柔軟性は育てればその価値は化けると思われます!」

 また饒舌に語り始めた。

 奴隷の少年達は、「なんか今日は必死だね」とクスクスと笑っている。

 ただ、その中で一人だけ、ファウちゃんだけは少し暗い表情をしていた。

「だから…」と奴隷商に事あるごとにセールストークをすることを注意しようとしたものの、

「失礼、食事中でした」

 素早い変わり身で食事を続ける。

 なんと言えばいいのだろう。肝が据わっているのか、それともセールスバカなのか。

 食事を摂っていると、不意にぼさぼさ頭の男の子が

「なぁ、あんたがおっさんの言ってた冒険者なのか?」

 小生意気な口調なだら、それが彼にとっての精一杯なのは分かる。

 多分、この子の名前はカールだと思う。男の子は二人いて、青い髪の子がペイルだから消去法的な答えだけど。

 それに、一々、子供に対して礼儀が出来ていないなんて言うようなことはしない。

「そうだよ。まだ駆け出しだけど」

 私の答えを聞くと、ぼさぼさ頭の男の子は目を輝かせ、「じゃあさ」と口を開きかけたところで、猫耳のラーニャちゃんが間に割って入ってきた。

「旅のお話聞かせてー!」

「あ、おい!ラーニャ!」とカール君が不服そうな声を上げる。

 こんなに期待されてちゃ、話さない訳にもいかない。まだ旅を始めて数日だし、語れることは少ないけど。

「そうだね。シノの村にゴブリンが襲ってきたんだ。」

 私の話に子供達は聞き入っていた。

 今までこの奴隷商と旅をしていたのなら、ゴブリンを見たことはあるのだろう。多分その強さも。

 私は大げさな振付をしながら、

「なんとその数50以上!」と、言ったところで、子供達から驚きの声があがった。

 うん…。

 言ってみて思うけど、本当にとんでもない数だった。よく生き残れたと思う。

「凄い!お姉ちゃんもいっぱい戦ったの?」

 ラーニャちゃんが聞いてきたので、勿論と腕に力こぶを作って見せる。

「かっこいい!」とラーニャちゃん。

「本当かよ!」とカール君。

 私はそこで一度区切ったとこで、ペイル君が手を挙げた。

「あの質問ですが、それだけの数だと一人では難しいと思います」

 冷静な質問に私も頷いて返す。

 ペイル君は一番の年長者なのだろう。他の4人の子達に比べてもしっかりとしている印象を受ける。

「うん、私一人じゃ絶対に勝てなかった。ウェンさんっていう人がいて、皆を率いてくれて、ラッシュ、ダンカンさん。カミラさん。フローリアさん。マリアちゃん…村の皆と、冒険者ギルドが力を合わせて、やっと勝てたの」

「皆で…」

 ふとファウちゃんの顔が綻んだのが見えた。

 そういえば、この子は50匹のゴブリンという言葉を聞いて、驚きの声のあと顔を青ざめさせていた。

 奴隷商さんは柔軟性のある子と言っていたけど、優しい子だということも分かる。

「マジかよ。けど、お姉さん弱そうなのになぁ」

 カール君がそんなことを言うと、ペイル君がその表情を強張らせ、制止しようとしたけどその必要はない。

「お、正解!」とあっけからんと答えてみせる。

 これにはラーニャちゃん達もポカンとしていた。一人を除いて。

 寝ていた子…長い髪の少女ホロちゃんだ。

「お姉ちゃん弱いのー?」

 その言葉にペイル君の顔が青ざめていく。

 しっかりしている分、胃を痛めそうな性格をしているなぁ。と少し同情していしまう。

 私の前ではそんな必要ないと、教えてあげないと。

「そうそう!お姉ちゃんは弱いんだ。だから、皆と一緒に頑張るんだよ!」

 私はそう締めくくり、ホロちゃんに「どう?」と聞くと、「悪くないかもー」と返してくれた。

「あのね…」

 ふとファウちゃんが声を上げた。恥ずかしがりながらも私の目を見ては逸らしてしまっている。

 隣にいたカール君がその背中を押すように「頑張れ」と声を掛けていた。

 それに応えるようにファウちゃんは一度大きく頷き、

「ファウも…皆と頑張るの好き、だよ」

 舌足らずながらもしっかりとした言葉だった。

「じゃあ、お姉ちゃんと一緒だね!」

 私の言葉にファウちゃんは恥ずかしそうではあるけれど、俯きながらも頷いてくれた。

 それから私の短い冒険譚を続けながら食事をしていく。とは言ってもシノの村の話だけだけど、子供達はウルフとの戦いには歓声を、始めての戦いには笑いを、と話していて私自身も楽しかった。

 食事が終わり、皆がお皿を片付けていく。私も片付けようとしたところ、ファウちゃんが走ってきて、「下げます」と言ってくれた。してもらう程のことではないけれど、それでも一生懸命な彼女を見てしまうと、

「ありがとう」

 とお礼を言って、任せることにした。

 まぁ、私としては、あの子にただお礼を言いたかったんだと思う。

 片付けが済むと、奴隷商が手を叩き、本を取り出した。

「ほら、君達。そろそろ勉強の時間ですよ。読み書きをマスター出来ないと、いいところに売ってあげれませんからね。余り私を困らせないで下さい」

 奴隷商の言葉に皆が手を挙げ、

「はーい!」

と返事をする。

 本当に勉強を教えているとは思わなかった。

 奴隷商は本の中に挟んでいたであろう数枚の紙を取ると、

「返事は結構。しかし、ラーニャは先日のテストで点数が下がっています。ペイルは小さな間違いが多いので見直しを必ずすること。カールはもう少し算術を頑張って下さい。ホロはそろそろ代筆の仕事に向けて字を綺麗に書くようにすることと、答えを全て口語で書くのをやめなさい。ファウはこの調子で頑張って下さいと…いいたいところですが、テストの裏をレシピ帳にしないように。以上!」

 とんでもない早口で指摘を始めた。

 これは辛い。子供達はバツが悪そうに顔をしかめるなどしたものの、「返事は?」と奴隷商に言われ渋々といった雰囲気だ。

「はーい…」

 まだ遊びたい盛りだろうに、それでもやらないといけないと意欲を見せるのは偉いと思う。

「よろしい」と奴隷商は手を組み、

「一緒にどうですか?勉学はいいですよ。識字率や算学は生きていく上で幅が増えますし、勉学をして頭の回転よくすることで困難に立ち会った時への応用も利きます」

 そんな大学の講師のようなことを言ってくる。

 正直遠慮したい。

「終わればその後は体を動かしますよ。健康な体作りはまず基本です。勉強だけでは天才や秀才に比肩することは出来なくても、健康且つ頑健な体があれば総合的に上位へ繰り上がることができます」

「何して遊ぶのー?」

 奴隷商の言葉を斬るようにホロちゃんが声をあげた。

 奴隷商は言葉に詰まったものの、すぐに鋭い眼光を見せ、

「…まぁ、内容は好きにして下さい。ですが、あくまで運動であり授業です。考え方を変えるようには前から言っているはずですが?まぁ、ホロは何事もそつなくこなす反面、何かに必死に取り組もうとしない姿勢が困りものです。物事への柔軟性が高いのは分かりますが、常に冷めた感情というのも…」

 また演説のような言葉の羅列を始める。

 もう無視してもよさそうな気すらしてくる。

「ね、おもしろいでしょ、おじさんー」

 間延びした言い方だけど、一瞬、これを狙ってあの一言を言ったのかも、なんて思ってしまった。

「うん。そうだね」

 奴隷商がべらべらと話し始めて授業どころではなくなったものの、皆は柔軟に自主学習を始める。ただ、ペイル君とファウちゃん以外は自分の趣味であろう物の本を読み始めた。

 カール君は戦闘の教本。ラーニャちゃんは詩集。ホロちゃんは…童謡だろうか、アイリスの放蕩騎士という内容の本を読み始めた。

 奴隷商さんは今ではただの雑音と成り下がっているけれど、ファウちゃんが質問するとその度に一度話すのを止め、計算の方法を丁寧に教え、カール君が読めない文字が出てくるとその読み方と意味をくどくどと教え始めた。

 中々、奴隷商さんは良い教師なのかもしれいない。

 自主学習している内容がどうあれ、それを尊重しているのは彼なりのやり方なのだろう。



 授業という名の自主学習が終わりの時間を迎えた。

 この間、私はというと、やることもなかったのでファウちゃんの隣で勉強を教えていた。

 幸い、現世でいうところの四則計算だったので、問題なく教えることができる。

 ファウちゃんにとっては加減乗除の内、除…つまり割り算が苦手であることが分かった。

 現世で習った、皆に均等に分けるという教え方をしてみたものの、余りが出ると、他の子に配ってあげたいのかとんでもない答えを出そうとしたり、一例に過ぎないけれど、12のりんごを5人つまりペイル君、カール君、ラーニャちゃん、ホロちゃん、ファウちゃんで分けると一人何個…のような聞き方をすると、『私がいなかったら皆に配れるよね』と涙ながらに自分を消したりし始める。

 教えていて肝が冷えたり、罪悪感に苛まれそうになるなんて考えていなかった。

 あとは『正数を0で割ると答えは0』ということについてはまだ納得がいっていないようだった。

 ゼロ除算の話をすると多分、さらに考えてしまうだろうから辞めておいた。

「時に。剣を使われるのですね」

 奴隷商さんはいきなりそんなことを聞いてきた。

 取り合えず、奴隷商さんの言葉に頷いて答える。

「では、今日は30分程冒険者さんから剣術の手解きを入れましょう。」

「ちょ!」

 勝手に決められ慌てて止めようとするも、この人が人の話を聞くような人ではない。

「勿論、お給金は出します。大銅貨5枚です。よろしいですか?」

と勝手にさらに進んでいく。

「本当!?」とラーニャちゃんに至っては目を輝かせてきた。

 声には出さなかったものの、カール君も乗り気だ。

「いいですか?」

 奴隷商さんが念を押してくる。

「あ、うん…」としか答えられなかった。


 軽く準備体操を済ませ、剣を腰のベルトから外す。

 さすがに抜き身は危ないので、鞘から抜けないように軽く布と紐で括り振ってみる。

 なんだか振るのが様になってきたけど、多分素人のレベルからは抜けられていないと思う。

 軽く振っているとラーニャちゃんがせがんできたので渡してみると、バランスを崩しながらも精一杯両手で受け取った。それから受けに掲げたものの、フラフラとし、振り下ろすと前につんのめりそうになったので、慌てて支えてあげた。

「剣って重たいんだね」

 ラーニャちゃんの素直な感想だった。

 私も始めこそ重いと思ったけど、慣れてきてしまった。ラーニャちゃんから剣を受け取り、軽く片手で振ってみる。

「そうかな?これでも軽い方らしいけどね?」

「へー」とラーニャちゃんが声をあげる。

「なぁ、俺にも貸してくれ…ください!」

 カール君は興奮した様子で私に頼んでくる。

 断る必要もないので、剣を渡してあげると、カール君は目を輝かせ私と同じように片手で振…ろうとしたものの、

「おわ…と!ふーセーフ!」

 剣の重みに引っ張られ躓きそうになったが、さすが男の子だ。なんとか踏ん張って耐えていた。

 それからも剣を何とか両手で持ち素振りを始める。

「ぬおおお!」

と大声をあげながら振り子運動のように前に後ろに剣の重みで引っ張られていた。

 しばらくすると疲れたのか息を切らせながら、「どうだった?」と聞いてきた。

「凄く頑張ってたね…」

 気迫で思わず途中で水を差せなかった。

 剣を受け取り、いつものように構える。

 私は普通の女の子だから、そんなに筋力がある訳でもない。だから、腕と肩と腰を使って、そして肺に溜めた空気を一気に吐き出しながら振り下ろす。

「手だけで振ったら重いから、体全体を使って…こう!」

 何もない空間に素振りをしてみる。

 ヒュン―と風を切る音がする。

 何度も振って、ようやく掴んだのがこの動き。我流にしか過ぎないけれど、私の中ではこれが一番力が出るし、振りも早い…と思う。 

 勿論、これももっと剣術を磨いた人が見たら児戯に等しいのだろうけど。

 何度か振ってみると、子供達は「おお~」と気の抜けた声をあげる。

「あくまで授業ですのでただ遊んでいるのは感心いたしませんね。あと売り物に模造剣がありましたので」

 そして腰を折るのは奴隷商さん。

 決して遊んでいた訳ではないのに。

 奴隷商さんは手に持っていた木で出来た剣を何本か持って来てくれた。

 結構小さめだ。私の持っているショートソード(グラディウス)と同じくらいかそれより長いか。まるで、子供用のおもちゃか、練習用だろう。

「これ売り物?」

「…私は忙しいのでお答えかねます」

 忙しい風には見えない。そもそも、いきなり頼んできたと思ったら姿を消して荷物整理をしているなんて暇を持て余しているようにしか思えない。

 一応、抗議するように膨れっ面をしてみて。

「私、剣術の基本も知らないよ。戦闘の基本だけ師匠から教えて貰ったけど…」

「では、それを」

 二の言葉要らずで肯定してきた。

 もう成るように成れだ。

 奴隷商さんは頼み終わると去っていく。

「…まず、第一に魔物と戦う時に必要なものは何か、分かる人?」

 私が子供達に向き合い聞いてみると、すぐさまに手を挙げたのはラーニャちゃんだ。

「はーい!」と大きな返事。

 ラーニャちゃんを指名し、彼女は満面の笑顔で。

「レベル!」

 そう答えた。

 小さな子供が折角出した答えを『ゲームじゃないんだよ!』と頭ごなしに否定するのは可哀そうだ。

 けど、言われてみると必要かもしれない。

 レベルと言われてゲームと考えるのは私の頭が現世に引きずられているから。

 現世でも考えれば、腕前を示す言語はレベルだ。

「…剣の腕前も大事だけど、まずは相手を良く見ること」

 レベルを否定しないとなるとこんな訳の分からない口上になってしまった。

 私は木剣を構えて見せ、ラーニャちゃんにも渡す。

 構えるようにいうとラーニャちゃんがしっかりとこちらに剣を向けてきた。

「相手がどういう立ち回りをするかを考えて、どう動くかを観察する。始めは相手のペースに飲まれたりするけど、徐々に相手の動きが分かってきて、攻撃も回避もしやすくなるよ」

 これはただの経験談。この前戦ったコボルトは私より少し身長が少し低い魔物だったけど、身のこなしの速さや、獣の膂力を持っており、かなり苦戦させられた。

 なにせ相手は一撃離脱を主とし、攻撃をしてきたと思ったら、こちらが反撃する頃には私の間合いの外へと逃げてしまっているのだから。

 それでも相手の動きを見て、癖を覚え、突っ込んできた時に、私の剣で相手の剣ごと腕を弾き懐へと飛び込み、辛くも勝利した。

「一撃で倒されるような場合は?」

 これはペイル君の質問。本当に痛いところ突くなぁ。

「距離を取る」

 これは適当な答え。

 本だけの知識だけど、薩摩の示現流(薬丸示現流)に至っては見敵必殺。会えば終わり。新撰組すら恐怖させた殺人剣。そんな剣の使い手と出会ったら即死だろう。

 逃げるが勝ち…とは言えない。

「まぁ、戦いはタイミングみたいなところもあるから、隙を見て攻撃出来るようにね」

 焦って上手く説明出来ない。

 今まで考えないようにしていたけど、冒険者は下手に能力の高い野盗のような集団だと聞いているから、いつそういう人と対峙することになるか分からない。

 多分、対峙しただけで心が折れそう。

 子供達は「成程」といったような納得してくれた様子だったけど、ここに良識ある大人がいたら物凄い反感を買いそう。

「後は鎧とか剣も大事だからちゃんと手入れをしようね」とこれまた適当。

 武器の手入れ等殆どしていないに等しい。丈夫だからと結構乱雑に扱ってしまっている。

「あはは!おじさんも昔そうだった」とラーニャちゃんが笑う。

 奴隷商さんも剣や鎧を使っていたのかな…と考えたけど、全く似合う気がしない。あの恰好なら魔法使いとか似合いそうだけど。

「じゃ、あとは…ラーニャちゃんの言ったように、レベルをあげようか」

 そう言って、木剣を皆に渡し、訓練を始めることにした。 

 一番手は…と見ていると、カール君が大きく手を挙げた。

「これなら使える!」と木剣を振り回しはしゃいでいる。

 確かにこの木剣は軽い。私としては正直軽すぎて、すっぽ抜けそうだ。

 今まで散々、鉄の剣を振り回していたせで女子力が大変な値になっていそう。

 準備運動をするように伝え、「相手の体に一発入れたら終わりね」簡単な説明だけを加え、もう一人の候補者を探す。誰も手を上げなければペイル君にしてもらおう。

 そして、カール君が私と向き合ってきた。はてと思い、後ろを向いてみたが、彼の見ている方向には私しかいない。

「お姉さん勝負だ!」

「ええ…」

 これ私がやるの?

 手加減とか出来るかな?今まで魔物相手ばかりだったから、厚い肉を切り裂く為にも全力で振りかぶって、無理矢理叩き斬ってきたし。

―ケガさせないようにしないと。

 変な汗が出てくる。 

 おまけに教えている身だし負けないようしないといけない。この二つの両立は本当にキツイ。

…とは思ったものの。始めてみるとそうでもなかった。

 カール君は威勢よく、剣を振る。だけど、小さな体と始めて握る剣、そして足りない踏み込み。

 剣は空を切るか、簡単に避けることが出来る。

 考えてみれば第一次成長がようやく終わった子達で、しかも素人だ。コボルト並みの動きを想定していた自分が悪い。

「カール君。振り回すだけじゃあたらないよ?」

 カール君が振ってくる剣を軽くいなしてみせると、カール君はさらに気迫を込めた打ち込みをしてくる。

 常に全力で振っている所為もあり、剣筋は鈍くなっていく。

「こなくそー!」

 大振りの一撃を軽くステップで回避し、振り抜いた剣を狙う。

「よっと」と軽く息を吐き、手を痛めないように手加減をし打ち払う。

 剣を綺麗に弾くことが出来た。

 カール君は飛んで行った剣をぼんやりと見つめていたが、こちらに向き直ると、

「姉ちゃん強いじゃん!」

 目を輝かせ私の元へと走ってきた。

 子供相手だからね、とは言えない。多分、あと数日もすれば簡単には勝てないと思う。

「えへへ、練習したから」

と今は素直に受け取っておく。私の腕前はお世辞にもよくないので、褒められた時は素直に受け取りたい。

 カール君は急いで剣を取りに行くとまた構え、「もう一回!」とせがんできた。

 どうしようか、迷っていたものの、

「次は僕がやりたいです」

 ペイル君が立ち上がったので、カール君の方を見て。

「だって…どうする?」

 尋ねられた言葉をカール君は考え、「分かったよ。次はペイルな!」と言って、他の子達と一緒に座った。

 あれ?これ私とやる流れなの?

 ここまで来るともう逃れられない。

 子供達で研鑽をするものだと思っていたのに。

 剣を構え、ペイル君と相対する。

 ペイル君は片手で剣を構え、そして剣を突き出すように構えた。左手は胸の近くに持っていきフリーにしている。

 どこかで見たような構え…と思っている間に、ペイル君が一歩を踏み込んだ。

―突き、だ。

 慌てて身を躱し、何とか避ける。

 ペイル君はそのまま手首を使って切り返してくる。

 それを木剣で受け、バックステップで距離を取る。

 ペイル君は早い。それも洗練された剣術を感じる。そして何よりもあの構えが何処かで見たことがあると思ったら、フェンシングだ。

 素早い攻撃を得意とする剣術…なのかな?

 正直どういう剣術かもよく分からない。ただ、分かったのはカール君のようにはいかないということ。

 早い突き、と一瞬の踏み込み。さらには下手に受ければ追撃が待っている。

―なら。

 ペイル君が構え、さらに一歩踏み込んでくる。

 私もそれに合わせて踏み込み、ペイル君の剣を剣で受け、そのまま…撃ち落す。

 剣でのパリィ―だ。

 体が大きくて、成長しきっている私の力なら、子供の剣くらいは打ち払える―。

…考えてみると私は大人気ない。対格差をもろに使っているのだから。

「え―?」とペイル君が声を漏らした。

 攻撃したと思ったら、いきなり弾かれ立ったまま大の字のような体勢になったのだ、無理もない。

 そこにポコン―と木剣を振り下ろし当てる。

「惜しい」

 かなりきつかったのに偉そうにそう言ってみると、ペイル君は素直に、「参りました」と降参してくれた。

「それにしてもビックリした。もしかして剣術をやってたの?」

 私の言葉にペイル君は一瞬戸惑いながらも、

「小さい頃レイピアを練習していたので」

 少し後ろ暗い雰囲気を見せた。カール君もその事を知らなかったのか、「すげぇ!」とペイル君の剣を褒めている。

「なぁ、ペイル、俺とやろうぜ!」

「えぇ!?」

 強引にカール君に勝負を挑まれペイル君も困った表情をしながらも、笑顔を見せカール君と剣を打ち合っていた。

「お姉ちゃん!次は私とやろうよ!」

 次はラーニャちゃんか、と剣を構える。ラーニャちゃんは何処で習ったのか分からないけど、腰溜めに剣を構えた。

 もしかしてこの子も剣術をやっていたのかな、と思ったところで、

「ファウとホロも一緒にね!」

 人海戦術で来た。確かに正しい判断だよね。

「えー」とやる気なくホロちゃん。

「あの…私は…」泣きそうになりながらがファウちゃん。

「皆の力を合わせて、いっくよー!」

と元気よく特攻してくる。

 そうして私の素人剣術道場は少しの時間続いた。

 皆が汗水垂らしながらも、生きる術の一つを学んでいく。

 戦わなくていいのならそれに越したことはないのだけど、この世界で覚えていなくていいことなんて一つもないのだから。


―余談として、ラーニャちゃんの人海戦術は正しいと認めざるを得なかった。

 一応、三対一だったものの、ファウちゃんは剣を振るのを嫌がって座り込み、ホロちゃんは両手で構え突きだけを繰り出す最小限の動きだけをしていた。

 問題は勇猛なラーニャちゃんだけと思ったものの、触発されたカール君とペイル君の参戦。皆がいるから怖くないと気付いたファウちゃんの復帰が絡み合い、本気で相手をしていたのにラーニャちゃんの後ろからの一撃を受けてしまった。

「勝ったー!」と皆が声を上げ楽しそうに剣を掲げる。そんな姿が微笑ましかった。



 訓練の終わりを告げたのは奴隷商さんだ。

「やれやれ、楽しそうですね」

 そう言いながら現れたと思うと、私達を見て、

「今日は仕事はなしでいいでしょう。汗だくですしね」

 仕事というのは、奴隷として並ぶことだろう。

 その言葉で何だか現実に戻された気分になる。

「いいの?」とラーニャちゃんが声をあげる。

 奴隷商さんは頷き、チラリと小川を見る。

「そうですね。折角、川もあるのですし、体を清めて下さい。ではお姉さん、お願いしますよ」

「え?」

 いきなりの指名にさすがに困惑する。

「私は今のうちに片づけと、帳簿を付けます。いつもはこの子達が邪魔をするので出来ないのですよ」

 強引に仕事を押し付け奴隷商さんは去っていく。いいように使われているのは間違いない。

 仕方ないか。少し水は冷たい気はするけど。

「じゃあ、体を洗おうか」と私が言うと、子供達は元気に答え荷物の中から石鹸やタオル等を取ってきてくれた。

 石鹸も使っていいのか、と普段の自分の行水の惨めさが分かってしまう。

 準備が整ったところで服を脱ごうとすると、ペイル君が目を背けているのに気づいた。

「どうしたペイル?」と全く意に介していないカール君。

「…そっか」

 私はというとそれが思春期と分かってしまう。

 一応ペイル君の手前もあるので、自分は脱がずに袖を捲るだけにする。

「お姉ちゃん洗ってー」とホロちゃんが長い髪をこちらに向けてくる。自分で洗うのは大変なようだ。それにしても、石鹸で女の子の髪を洗う日が来ようとは思わなかった。

 シャンプーとリンスは偉大だと、自分のガサガサの髪が哀れに思える。

 ペイル君はそっぽを向きながら隠れて体を洗い、カール君は「俺も洗ってくれよ」とせがんでくる。

 この子もそろそろ羞恥心が芽生えるのだろうか?そう思うと思わず微笑んでしまう。

 子供だから仕方ないよねと体を洗ってあげる。

 順次洗ってあげていると、最後の一人がファウちゃんとなった。

 ファウちゃんはおずおずと手を伸ばしてきた。その手を取り、洗ってあげようとすると、

「お姉さん…ファウ達を買ってくれるの?」

 その一言に思わず手を止めてしまった。それだけではなく周りの子供達も絶句と言っていい表情をした。

 ファウちゃんは私に抱き着いて来る。

「ファウ…お姉さんみたいな人のところがいい…優しい人がいい」

 自分が優しいかどうかは分からない。

 ただ、この子がどういう生活をしていたのか推し測れない私にとって彼女の言葉は重くのしかかった。

 何も知らないのに、まるで学校の先生か保母さんにでもなったかのように接してしまっていた。買う気もないのに。

 ファウちゃんは私の胸に顔を埋め、

「だって…怖いもん。痛いの…もう、いやだもん…おじさん以外じゃ…お姉さんだけだもん」

 こぼれ出てくる言葉が一つ一つ突き刺さる。そして、彼女の体についた無数の傷に気付いてしまった。

 何も言ってあげられない。私の体の傷は自らの選択での傷。それに対して、彼女の傷はきっと…

「こら、ファウ。お姉さんに迷惑掛けたらダメだろ」

 さっきまで恥ずかしがっていたペイル君がファウちゃんの手を引く。

「うん…でも」

 ファウちゃんはペイル君の言葉に頷き、私から離れた。

「でも…いつか、皆と、お別れしないといけないから…」

 涙を流しながら他の子達に自分の気持ちを伝えた。

 いつかお別れをしないといけない。ファウちゃんはここで皆といるのが一番好きなのだろう。だけど、別れるにしても、昔のようにはなりたくない。

 いずれ来る別れに怯えるだけでなく、新たな世界にも怯えている。

 そんなの…何て言ってあげればいいの…

 何も言えず俯くしか出来なかった。

 ラーニャちゃんがそんなファウちゃんの手を取り、

「だ、大丈夫に決まってるでしょ!おっさんは顔は怖いし、時々変だけど、仕事は真面目だから!ちゃんといいところ見つけてくれるって!私が保証する!」

 その言葉からラーニャちゃんと奴隷商さんからの並々ならぬ信頼を感じる。

 そうだ、信じてあげなきゃいけないんだ。

 あの人は…変人ではあっても間違いなく悪人ではない。

 なぜ奴隷商をしているのか分からないけど、それでも彼は彼なりにの最善策を常に行っている。

「ねぇ、ペイルもそう思うでしょ!」

 ラーニャちゃんからのいきなりの指名であったにも関わらずペイル君はしっかりと頷き。

「ああ、そうだよ。それに例え僕は売られても絶対ファウのことも、皆のことも忘れないから!約束するよ!離れたって、僕たちは友達だ!」

 ペイル君の真摯な言葉にファウちゃんは一度頷いたものの、まだ涙を流している。

「私はもうずっとここにいたいけどねー」

 気の抜けた声と共に、ニヤリと笑うホロちゃん。

「んなこと言ったらおっさん、怒るぜ」

 カール君がホロちゃんの言葉を諫めるように言うが、ホロちゃんはというとニヤリと笑い。

「いいじゃん。だって、皆といるの楽しいしー」

 その一言にファウちゃんは顔をあげる。

 皆と居たいと思っているのは自分だけではないと分かった安心感だろうか、皆の顔を見つめた。

 そして、皆の優しい顔を見れたのだろう。

「ファウの料理も旨いしな!なぁ、元気出せよ!今日の夜も旨い飯作ってくれよ!」

 カール君がファウちゃんの背中を叩きながら、彼なりの精一杯の声援を送る。

 ファウちゃんは涙を流しながら、

「うん…ありがと…がんばるね…だから…」

「安心しなよー。皆、美味しい料理も、ファウも大好きだよー」

 『大好き』。ファウちゃんの口には出せなかったその言葉をホロちゃんはしっかりと告げる。

 この子達は本当に強い。だって、自分たちだって並々ならぬものを背負っているであろうにも関わらず、仲間を思いやり、不安を感じている子がいれば手を差し伸べられる。

 結局何も言えなかった私とは大違いだ。

 皆を見ていると、不意にペイル君が私の隣にきた。

「ごめんなさい。そのファウは最近引き取られたので…そのまだ不安なんだと思います。僕も始めはそうだったので」

 小さな声で私にそう告げた。

 最近、引き取られたんだ…と思わず思ってしまった。

「皆仲がいいからずっと一緒にいたと思ってた」

 私も皆に負けていられない。だって、この子達から勇気を貰ったから。

 ペイル君は一瞬ポカンとしていたけど、カール君が自信満々に胸を叩いて見せ、

「あたりめーじゃん!俺達、皆、家族だからな!」

 そう言い切った。それに続いてラーニャちゃんも、ホロちゃんも、そしてペイル君も頷き。

「ああ、僕たちは家族だ!」

 ペイル君が年長としての義務を果たすように強く言い切った。

「じゃ、洗おうか」と私はペイル君の腕を掴む。

「お、お姉さん!?僕は自分でできます!だから…あの!」

 顔を真っ赤にしながらジタバタと暴れる。なんだろう。すごく可愛く感じる。

「私は?」とファウちゃんが寂しそうな表情をした。確かに、さっきファウちゃんをあらってあげると言ったけど、

「ファウちゃんは最後にしっかりとしてあげる。ペイル君は恥ずかしがって逃げそうだから」

「恥ずかしいの?」

 ファウちゃんがキョトンとした表情でペイル君をしっかりと見てくる。

「うわー!あ、あの…僕は一人で出来ます!すみません!恥ずかしいです!お願いします!なんでもしますから!」

「何でもしてくれの?」

「は、はい!」

 ここまで来ると必死ね。思春期は難しい。そして、恥ずかしがっているのが可愛い。

「じゃあ、おとなしく洗わせてちょうだい」

「人でなしー!」

 ペイル君の絶叫が響く。

 私はというと恥ずかしくて暴れているペイル君を捕まえしっかりと洗ってあげた。

 あまりにも恥ずかしがっているので、さっきまでのしんみりした空気が何処かへ消え、皆笑いながらそんな様子を見ていた。

 



 体を洗い終わった後、皆を寝かしつけた。

 今日は沢山動き回ったこともあり、お昼寝らしい。本来なら仕事として街に立つらしいけど。

 子供達を寝かしつけた後、奴隷商さんに呼ばれ、小川のほとりに腰を下ろす。

「すみませんね。子守を任せて」

 そういいながら、奴隷商は手元に持っている帳簿と睨めっこをしている。

「お給金でも出しましょうかね」と彼はそう言って近くの小包から銅貨が入っているであろう袋を取り出した。

「奴隷商ってもっと…」なんと言えばいいのかその続きが出てこなかった。悪い存在と思っていた、という言葉には近い。

「当然ですよ。彼や彼女達は私の大事な商品なのだから。」

 彼も感じ取ったのか、私が言葉を探している間に自分たちへの悪評は当然だとでも言うようにを答えてくれた。

「ファウちゃんと話したんだけど不安そうだったよ…」

 売らないで、とは言えない…それももどかしい。

「ああ、”あれ”ですか」

 あれ呼ばわり…。思わず手を握りこんでしまう。ファウちゃんの気も知らないで。

「なんとも下らない話ですよ。中央国を回っていた時の話です。別の男の奴隷だったファウに怪我をしているにも関わらず力仕事をさせ、失敗したファウを鞭で打つような愚か者がいたので、そんな使い方しか出来ないのであれば、とその屑から買ったんですよ。その屑は目も悪かったらしく、役に立たない、と金貨1枚も出せば喜んで売ってくれましたよ」

 思わず「え?」と言ってしまった。

 奴隷商は怒気を孕んだような声色で続けた。

「言っておきますが、ファウは優秀です。学業は他の4人に比べ遅れていますが。引っ込み思案であり、情緒はまだ不安定ではありますが優しい子です。」

 急に…手元の仕事を放りだして饒舌に語り出した。

「幼い頃に碌な教養を受けていなかったのでしょうが、ペイルやラーニャを見て必死に覚え、前に進もうとしています。料理も私のを見て始めたいと言ってくれました。手際もいい。そういった努力が出来る子にも関わらず、苦手な力仕事させ、まだ体が成長していないファウにやれせておいて、その失敗のあげくに使えないと言った…。”あれ”にはどうも嫌悪感しか抱けません」

 そこまで言うと奴隷商は頭を一度下げ、

「失礼…セールストークでもないのに饒舌になりましたね」

 急に冷めたとは思ったものの、彼が見ているのは私ではないことに気付く。

 眠っている…安心しきった顔で眠っているこの奴隷の少年少女達だ。

「あの子達はどうでした?」

「いい子達だね」

 その質問にはそうとしか答えられなかった。

「当然です。私の商品はすべて一級品ですから」

 自信満々に言う彼には思わず笑みがこぼれてしまう。

 私が「他の子達は?」と聞くと、「面白い話でもありませんよ」と一言置いたものの、 

「ペイルは没落貴族の隠し子です。邪魔になって売り払われた子ですね。貴族の血がそうさせるのか年の功なのか皆を引っ張ろうとしてくれています。また、魔術の適正も僅かにあり、剣術にも興味があるようですね。あの子を売るなら、奴隷よりも執事にしようと思ってはいますね。まぁ、難しいでしょうが、何とかなるでしょう」

 ペイル君の半生を。

「カールは、病気の妹を助ける為に自ら自分を売りにきた子です。初めて会った時には私に面と向かって『妹を助ける為だ』とね。それはまぁ、剛毅なものでした。小生意気なところはありますが、何かをやるとなれば一途なところがあります。農業よりも鍛冶屋等に向いていると思うんですが、本人は兵士や戦士を目指しているらしいですよ」

 カール君の半生を。

「ホロは捨て子です。旅人が娼婦を孕ませてしまい、父親に置いて行かれた少女です。女は逃げた夫への恨みをあの子へとぶつける毎日だったようですが、母親が客を取る為に捨てようとしていたようですね。何かに特化こそしていませんが、常に動じない胆力を持っています。また、誰かを恨むようなこともしないので奴隷商以外の商人にでもなってくれればと思っています」

 ホロちゃんの半生を。

「ラーニャは禁断の恋により生まれた子であり、父と母が殺され、見世物にされているところを買いました。始めは私に憎悪をぶつけて来ましたが…6年ですかね売れ残りながら旅をしている間に牙は抜けたようです。まぁ、勉強も頑張っていますし、身体能力も高い。半面、私自身も何になってくれればいいか全く分かりません」

 ラーニャちゃんの半生を。

「他にもいたんですけどね、ある程度の年齢になったら買い手が見つかるんですがねぇ。まぁ、私の腕と、私が育てた子…商品ですからね。評判は上々といったところですよ。通常の奴隷はこのご時世ですし大銀貨8枚といったところですが、うちの…商品達は金貨2枚の価値があります!」

 どの子も平等に…彼は大切に見ているんだ。慈しんでいる。

 どういう境遇かなんて関係ない。商品として…なんて言っているけど、そう本心から思っていたとしても、彼は歪ながらも大切にしているんだ。

「あの子達が大切なんだ」

 そしてもう一つだけ分かった。この人は子供達のことになると饒舌になるんだ。

 塩を売ろうとした時、とても簡素なセールストークだった。なのに、私が買わない…というか買えないと知っているにも関わらずラーニャちゃん達のことは熱心に話した。

「…聞き捨てならないですね。大切に決まっています。私の大切な…商品ですから」

 プイとそっぽを向かれた。それも照れ隠しに見えてしまう。

 やっぱり話してみないと分からないことは多い。

 偏見だけじゃ、物事は見えない。きっとこの先、反対の意味にあってしまうこともあるだろうけど、私はそう信じていたい。

 偏見…と考えふと、勘違いのことを思い出した。

「そういえばアイリスってどういう国か知ってますか?」

 私はいつの間にかアイリスの国の出身と思われてしまっている。

 それに、ホロちゃんの読んでいた『アイリスの放蕩騎士』という物語もあるくらいだ、知っていて損はないと思う。

「また、どうしたんですか?」

 訝しんだ表情を見せてきた。

「私がそこの出身だって思われてるみたいなの」

「ははは。それは仕方ないですよ」

 奴隷商は笑い、近くに積んでいた本の一冊を手に取った。

 それはホロちゃんが読んでいた『アイリスの放蕩騎士』という物語だった。

「偏見なく平等に物事を見る…それがアイリスの騎士ですから」

 放蕩騎士ではないのだろうか、と聞こうと思ったものの、奴隷商は話を続けていく。

「権利を与えられない…いや、奪われる奴隷という立場を最初に廃止したのがアイリス皇国です」

 そこまで言うと一度区切り。

「アイリス皇国は、愛と自由の国と呼ばれる騎士の国です」

 愛と自由の国…と聞いてもどうもアメリカンスピリッツが思い浮かんでしまう。

「北方の魔術国家を聖王国から守る小国でありながらも、大国家である聖王国を幾度となくうち破っている北方の守護者…しかしね、7年前に政変が起きてしまってね」

 そこまで聞いて、女主人だけでなくその周りが口をつぐむ理由が分かった気がする。

「滅んだの…だから」

 それか、政変で国自体が変わって実質滅んだのか…

「違いますよ。議会制をとっているから袖の下で懐柔された奴らが、教皇に中央国と繋がっている者を指名し、さらに皇帝もその教皇から指名された腑抜けが着いてしまっただけですよ。国民は今も愛と自由を第一に考えています」

「そうなんだ」

 恥ずかしい。それにしても何で皆が詮索しないとか言ったのか分からない。

 奴隷商は続ける。

「そして、自由を愛し、月と共に旅する女神、自由な少女の姿を取るエアリス神から、太陽を司る至高なる存在ロイド神への改宗を促されました」

 アイリス皇国はエアリス様を祀っているんだ。確かに名前の響きが少し似ている。

 主に一文字抜いたら”アリス”となるところだけど。

 それが関係して”少女アリス”の姿の神様なのかな?

 それにしても、エアリス様って、旅する神様だったんだ。確かに月の動きから旅を連想しそうだ。

 だけど、アルトヘイムだとエアリス様は太陽と月の女神だったような?

 この辺は全く分からない。神話を読める場所があればある程度合点がいきそうだけど、神話は読んでて眠たくなるからきっと読まないと思う。

「これは国民が反対して事なきを得たのですが、自由を愛するが故に基本的に国の中で魔術や魔女、魔族と言った”魔”に属する者に対しての偏見がなく、教皇と皇帝が今度は、魔術を禁止し、さらにアイリスに尽くした魔女達を狩れと命令したのですよ…」

 魔女狩り…まさかそんな風習をこちらでも聞くことになるとは思わなかった。

 だけど、実際魔法がある世界なのに…なんでそんな考えに至ったのかも分からない。

「…ですが、それを許さなかったのが、護教騎士団です」

 奴隷商の言葉が少し力強くなる。

「エアリス神の名の元に、魔女や魔術への不当な弾圧を是とせず、騎士と騎士見習い、従騎士総勢47名が当時の皇帝と教皇を討ち取った」

 どこかで聞いた話に似ている気がする。

 あれも討ち入りだったけど、少なくとも幕府に喧嘩を売った話ではなかったと思う。

「護教騎士団の行いを市民は是としましたが、彼らは本来守るべき臣民に刃を向けたとし、全ての財産と爵位を捨てアイリスを去った。以後、中央国や聖王国は彼らを逃亡騎士、裏切りの騎士、王殺しの大罪人と呼び、見つけ次第処刑だそうです」

 そこまで聞いてふと思うことがあった。

 もし私がアイリスの放蕩騎士だったら…という。

「そして、その騎士達は名前と故郷を隠し、この世界を旅し、弱きを守り、強きをくじく。正義と自由の為に剣を振るう放浪の騎士…それが『アイリスの放蕩騎士』という物語ですよ」

「物語なの?」

「私は見たことがありませんから。物語でしか知りませんね」

 そこまで言って、結局一度も開かなかった『アイリスの放蕩騎士』の物語を本の山へと戻した。

「つまりね、アルトヘイム領としては美談として伝わっているのですよ。おまけに同じエアリス信仰です。彼らを英雄として受けて入れている。特にこの地域では好印象を受けていますが、中央国にも近いこの辺りには間者がくる可能性もある。君がアイリスの騎士なら声高には言えないだろう、ということでしょう」

 そこまで言い終わった彼は、

「君を守るためですよ」

 私の考えと一致した。

 村の人達は私がアイリスの出身だと思ったからこそ、もし間者がいれば私が暗殺されかねないと思い話を聞かなかったんだ。

 勘違いも甚だしいけど。その優しさは伝わった。

 奴隷商はそういえば、と何か思い出したように手を叩き。

「因みに、さっきの食事に薬を混ぜておきました」

「な!」

 いきなりの事に慌てて剣に手を掛ける。

「もう効いてくる頃ですよ」

 奴隷商は邪悪に笑って見せる。

 この人は信じてもいいと思ったのに、と剣を抜こうとしたけど、力が抜けた。

 薬の所為ではないと思う。抜けなかった。

 人を殺すのは…きっと無理だ。

 手を離し、諦めたように奴隷商の顔をじっとみると、彼は大きく笑い始めた。

「…はは、冗談ですよ!けど、こういうことは本当に多いから気を付けて下さいね」

 どうやら彼にからかわれたようだ。

 ため息を吐き、「肝が冷えるよ」と漏らすと奴隷商は笑いながら、

「あなたの旅の無事を祈るからこそですよ。子供達…商品達があんなに楽しそうにしていたのですから、これも報酬だと思って下さい」

「そんな報酬いらないです」

「はは、御冗談を!知識に勝る報酬はありませんよ」

 両手を振り上げてまるで演説でもするかのような言い方だ。

 こういう一面を見てしまうと今までずっとからかわれていたのではないのか、と思ってしまう。

 そうなると、ふと考えてしまうことがある。

 この人はセールストークは饒舌で、子供達のことを特にいい評価をしている。なのに、その相手は今の所、お金のない私だけだ。

「そういえば売る気はないの?」

「塩ですか?どうぞ」

 そう言いながら、近くの小包から塩を取り出してきた。

 これは本気だろう。

「いるけどさ…」と銀貨を一枚取り出し、取引をしたところで、奴隷商は何かに気付いたように目を見開く。

「奴隷をですか?まさか!いつでも売る気ですよ。なんなら一人買いますか?」

 それが言いたかったけど、客体は私じゃない。

「いや、私は旅をしているから。それに一人につき金貨2枚でしょ?そんなお金ないよ」

 奴隷商はため息をつき、

「残念。君になら、誰か一人任せてもいいと思ったのですがね」

 お金がないって知っているくせに、とは言わないでおいた。

「私はね。商人ですから、折角売るなら、売ったものは長く、大切にして欲しいのです。そういう人を探して売っているんですよ。君なら…資産以外は合格なのですがねぇ」

「あはは、貧乏でごめんなさい…」

 そして、その嫌味はなんの当てつけなの。

「じゃあ、なんでこの村に来たの?」

「正直、この規模の村で買い取ってくれるとは思ってはいませんよ」

 奴隷商はキッパリとそう言い切った。

 それは売る気がないと言っているのと一緒なのでは?

「こういう村なら近くの領主の噂話を仕入れれることが出来ますから。まぁ、相手にもされませんでしたが」

 情報収集のために来たのには驚いた。でも、全く成し遂げられていない。

 それでも、彼に根差す正義というには歪で薄っぺらい善意を感じ取れた。

「自分の子供を望んで手放した人もいる。ですが、望まず、生きる為に…そして生き残ってくれるよう願って子供を売った人もいるのです」

 奴隷商は首を振り、強く拳を握った。

「ですが、そんなものは私にとってはどうでもいい!私は商人です!自分なりのプライドで仕事をしている。だから、偏見はしない!商品の価値は私の目で見て、そして買い手の価値も私の目で見て売る!そして、私は商人として、あの子達が奴隷であっても、少しでも価値のある売り方をする。そういう所なら、私の扱う商品が二流や三流でないと見極めてくれる。だから食事はさせるし、ある程度の読み書きは教えている。買い取った相手から信用を貰うためにね」

 また饒舌になった。これも商品といいながら子供達のことなんだろう。

 売り手として、商品の価値を見極めるだけでなく、買い手をも見極める。

 なんて横暴な売り方なんだろう。

 だけど、嫌いじゃない。まるで、下町の職人のようで。

 買い手を見誤れば、ずるずると沼に引き込まれ、自分の物の価値を見誤らせる。

 頑固な変人の奴隷商…ただそういう人なのだろう。

「勿論、今ここにあるものは何でも売りますよ!矢であれ、肉であれなんだって!油もあります!私から信仰を買いたいのであれば、いくらでも祈りましょう!金が必要なら貸付ます!勿論、私は奴隷商ですから、奴隷が必要であれば、奴隷を売りましょう!人手が必要であれば、健康な子を!但し高いですよ!読み書きも出来る優秀な子達です!ただし、愛玩の愛人として奴隷が必要というのであれば、よそに行って貰うしかありませんがね。私の商品はそんなに安くはないのですよ!」

 奴隷商は言い終わると、「君も物好きですね」と呆れられた。

 きっとこんな訳の分からない早口で、内容のないマシンガントークを最後まで聞いてくれる人はいないのだろう。

 言い返すのは簡単。

 何を言ってもあなたは卑俗な奴隷商だ、と聞かずに切ればいい。実際、そうして関わらない方がいい部類の人なんだろう。

 だけど、私は割とこの人が好きになった。勿論、恋愛としてではなく、人として。

 この人は、平等なんだ、と。

 人であれ、物であれ、生き物であれ、どんな特徴を持っていても、『それ』単一として見ると決めている。

 村人に無視されたからといって、愚痴は零しても、恨んだり罵倒はしない。

 彼の罵倒は常に物の価値の見誤りにだけなされている。

 相手の思想や思考で批難や忌避されようが、意にも返さない。

 純粋な物質主義。

 だから、卑しい奴隷、なんてこの人は言わない。同情もしない。奴隷だからと蔑みも、哀れみもしない。むしろ奴隷がなんだ、とでも言いたげに、君達はやれば出来るのだから、と読み書きを教える。

「そっか…守ってあげてるんだ」

「そりゃあ勿論、商品ですから。人間であれ、物であれ、神であれ、全てを均一に見るのが私なりのやり方ですよ」

 最後まではぐらかしてくる。

 奴隷商は満足そうに…現世でいうところのドヤ顔をした。

 その右頬を一発叩いてあげようかとも思ったけど、私も呆れてみせる。

「ところで、この辺の村で買い取ってくれそうなところはありませんか?」

 その質問に私が知る訳ないでしょ、と答えながら、

「ここ以外じゃ、シノの村しか知らないよ。今、復興中だから人手は足りてないと思うけど」

「ふむ。また寄ってみましょうかね」と奴隷商は含み笑いをした。

 その理由は察せられる。買い取れるようなお金はないと思う。

 彼がシノの村を知っているかどうかは分からないけれど、、村の規模もこのカリデの村よりさらに小さい。

「寄るなら村にウェンさんて人がいるけど、曲がった事が嫌いだから気を付けた方がいいかも」

「はは、あなたの名前を出してみますよ」

 この人ならやりかねない。帰った時に怒られる姿が目に浮かぶ。

「まぁ、金のないような村には売れないですがね。商人はまず第一に金、第二に命、第三に商品ですから」

 そう言い切り、「お時間を取らせましたね」と強引に話を切ってきた。

 気付けば夕方だ。子供達と遊んでいたせいで出発がかなり遅れた。

 次の村までどれくらいあるか分からないけれど、これはまた野宿になりそうだ。今日は早めに寝て、小川で武器の手入れでもしようかと思案する。

 そして、奴隷商が唐突に終わらせた理由が分かった。

 子供達が起きたのだ。寝ぼけ眼ながら私を一目見ると、

「お姉ちゃん。いてくれた!」と喜んだ顔を見せてくれる。

「お別れの為の時間稼ぎでしたが、少しは楽しめましたか?」

 奴隷商は手に持っていた物を一度全て置き、憎たらしく笑う。

 どの口が言うのか、とは言えない。子供達が寝ている間に人知れず出発は寂しいから。

 子供達が順次起きてきた。

 奴隷商はその子達の脇に立ち「お礼とお見送りを」と小さく声を掛けた。

「じゃあ、またね!」

 私が別れを告げると、ファウちゃんが一瞬暗い顔をしたものの、カール君達がその背を押し手を振った。

「お姉ちゃん…ありがとう。またね!」

 それに続いて皆も手を振ってくれる。

「またね、冒険者のお姉さん!」

 皆の声を背に受け、私も手を振ってその場を後にする。

 何だか、見送られるのが癖になりそう。これからの旅も苦労するだろうけど、見送られると何だか力が沸く。

 こんな出会いがまたあることを祈りながら私はカリデの村を後にした。 


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