六十二話『影日向の足跡』
六十二話『影日向の足跡』
いつもの風景…いつも通りの喧噪…。そんな中、疲れた顔の男がため息を吐く。
年齢は40代前半。年の割には早めの白髪頭。
その顔には生気がないと言えば微妙となるが、実際頬がこけ、目じりが下がった…いかにもうだつのあがらない…といった雰囲気の男性だ。
服装もそれを反映しているかのようにパッとしない地味目の黄土色に茶色を混ぜたようなズボンとよれたシャツ。
纏う鎧は、軽装の革の鎧に一部だけ鉄のプレートを付けた簡素なものだ。
着飾るというより、最低限の性能を突き詰めたような野暮ったさを感じる。
彼の名は、トーマス。
冒険者ギルド『青き風』の一員であり、『調査隊』の隊長だ。
元より覇気のない彼だが、先日のゴブリンロードの騒ぎの所為で、副長のリリアに死にたいと思える程の教育と訓練を受けさせられたことで、今はいつも以上に覇気どころか、生気までない。
ただ、一応エリート集団である『調査隊』の隊長を任せられているだけあり、根は真面目で、実力は団の中でも上澄みだ。
褒められた表現ではないのだが、同じギルドに所属するヴィーニャという精霊魔法使いの、幼女か少女位の見た目の彼女と同等以上で戦える程には…彼は腕はたつ。
そんな彼は現在、練習場の定例訓練の監督官をしている。
今日の定例訓練はむさ苦しいと一言で現わせる様相で人がひしめき合っている。
理由は、彼が監督官だからだ。
どういう意味か…と言われれば、彼はうだつがあがらない…というか、人に余り厳しく叱責等しないため、”サボっていいても文句を言われない”という理由からだ。
逆に厳しく真面目過ぎるリリア副長の時は、これでもか、と言わんばかりに人がいない。
トーマスはため息を吐きながら、子どものようにはしゃぎながら木剣を打ち付けあう同僚達を見守ることしか出来なかった。
先ほどの人が多い理由は当たっている。
トーマスは気が弱いため、注意出来ない質なのだ。
するとしても”君たちの為になるから”と諭すようにしか言えず、そんな言葉を聞くものはいない。これで、横暴に彼に対して、お前の話なんて聞くかバーカ!等と返してくれれば、きっとお約束通りの実力を見せて…等と言う陳腐なお話になるのだろう。
しかし、ギルドの連中もトーマスの実力も、性格もよく分かっている。
トーマスが諭すなら、「分かりました」と言っておけば、トーマスは追撃しないと分かっているのだ。
5分間だけ真面目にすれば、トーマスも言い辛くなるのはわかっているのだ。
そのことをトーマスも分かるから、結局トーマスは注意すらしなくなるのだ。
トーマスが、訓練風景を見渡していると、不意にとある冒険者に目が留まった。
練習場の端の方で剣を振るう、赤い髪の少年。
目立つ髪色に、少年にしては整った顔立ちと言える、所謂美少年だ。
だが別にトーマスは少年趣味でもなければ、男色家でもない。ただ、特徴としてそういった少年がいる程度だった。
しかし、ついその少年が目に留まり、思わず「おや…」と声を漏らしたのは、新人らしき少年は、他とは違うからだ。
包帯だらけの姿でありながらも、他とは違い一生懸命素振りをしていた。
少年は木剣振る都度に所々血の滲んだ包帯がズレながらも、汗を流し一生懸命木剣を振っていた。
恐らく痛みもあるであろうその姿に、思わずトーマスは駆け寄り。
「君、怪我しているじゃないか…訓練に参加しなくてもいいよ」と声を掛け、そのまま小さく微笑んで見せる。
トーマスはずるい男だ。
口では言わないが、それは彼なりに”こちらで上手く処理しておくよ”という意味でもある。
トーマスに声を掛けられた少年は困ったように眉を曲げ、「あ…その…1人だとやることなくて…」と弱弱しく呟いた。
その言葉にトーマスは「若いねぇ…」と思わず溢し頷いてしまう。
見た目の年の割りに高い声が何処か女性的な少年。
その志は高いのか、それとも不安を払拭する為か、今出来ることをしたいのだろうと、トーマスは納得する。
それが、未来に訪れる自分への危険の防除になるかもしれない…そういう類だろうと思い、トーマスは過去の自分と少年を重ねた。
この少年程顔は整っていなかったとはいえ、トーマスも冒険者のような最底辺の仕事しか出来ることはなかった。
なので、明日死ぬかもしない…その恐怖に打ち勝つのではなく、恐怖を紛らわせる為にも訓練には真面目に取り組んだ。
それが正しかったかどうか、と言われれば我流で磨いた技は大した力にもならなかっただろうが、それでも自信はつき、恐怖を考えずに済む時間が生まれたことで、自ら死を選ぶ等と言う選択肢は消えてくれた。
そんな少年にトーマスは優しく微笑みを浮かべる。
それはかつて自分に欲しかったものだ。
「真面目だね。新人かい?」
素直な称賛と、気にかけてくれる大人。
彼がそれを求めているかと言われれば微妙なところかもしれない。だから、これは慰めでしかない。
過去の自分に告げたい、そんな自己中心的な自分への慰めだ。
トーマスは口下手ではある。だが、その優しさは本物である。真面目さだけは誇れる男だ。
新人の名前を聞いて、そして告げたい言葉がある”怪我してる時は無理しちゃダメだよ”と、その言葉を用意し、新人の少年の言葉を待つ。
「あ!はい!カホって言います!」
その返答で、そうか…と相槌の頭言葉を告げ、自分の用意した言葉を伝えよう。そうは思っていたものの、「そ…」で言葉に詰まり。
「うわ…」とトーマスは溢してしまった。
その反応にカホはキョトンと目を丸くし、「え?」と不思議そうに首を傾げた。
トーマスは数瞬言葉を失ったものの、すぐに取り繕って笑顔を浮かべる。
「なんでもない。なんでもないよ!」
トーマスが取り乱した理由…それは、あのゴブリンロードの件だ。
トーマス達、『調査隊』のサボタージュにより、そのお叱りを受けた一件だ。
新人のカホと若きエース…幹部候補に名前すら挙がるマイを危険に晒した…という報告は聞いており、本人への謝罪をしなければ…とは思ったものの、リリア副長による地獄の訓練と、今まで以上に業務が多忙になり正式な面と向かっての謝罪は出来ていなかった。
付け加えておくが、トーマスは”うだつの上がらなさそうな男”と部下からも呼ばれるくらいには情けなく、弱気な態度な男だ。
だからこそ、仕事には実直だ。彼が『調査隊』として請け負った仕事はほぼ完璧にこなしている。
しかし、弱く、優しいが故に部下に小言の一つも溢せないことから、指揮官としては無能というべきだ。
隊の風紀や仕事ぶりを監督出来なかった…その責任は彼も重々受け止めている。
なんなら、正式な謝罪が出来なかった理由の一つには、彼はこの責任を受け止め『調査隊』の隊長を辞職するとまでリリア副長に申し出た…というのもある。
リリア副長もなんだかんだと、トーマスの性格は理解している。そして、その精神状態を危惧し”当事者には私から謝罪しておくから、今は職務に励め”という指示を受け、それを実直に守る。それ位にはトーマスは気弱で、真面目で、優しい…うだつの上がらない男だ。
例え、うら若きとは言えないが年下のリリアから温情で与えられたとしても、その立場から素直に従うのは情けなくても、トーマスは命令なら従うし、気に病む。そんな男だ。
トーマスは少し考える。
リリア副長からの命令と今、自分の胸を差す程の自責の念に苛まれながら、どうすべきかを必死に考える。
君からは謝らなくていい―
そうは言われていても、トーマスは謝るべきだと思っているが、下手に自分が謝るとリリア副長に迷惑を掛けるのではないか…そういった迷い。
プライドのプの字がプー太郎のプの字並みにしか誇りのない彼には、土下座という文化があるのなら迷わずする位には気に病んでいる。
そんな彼が考え抜いた答えは、笑顔だった。
問題の先送りと共に…後でリリア副長に許可を取ろう―というなんとも情けないものだった。
トーマスはカホに。
「カホ君…素振りだけでいいよ。それで参加にチェックしておくから」
彼の出来る最大限の取り計らいを告げると、カホは困ったように笑顔を浮かべた。本当にすることがないのだろうとトーマスはその表情から察すると共に、自分の財布を思い浮かべる。その懐事情は明るいとは言えない。
『青き風』に配偶者がいる者はいない。
この職場はそれだけ場末だ。配偶者を作るのであれば、ギルドを抜けて真っ当な仕事を探せ…という明言されたルールだ。
トーマスも勿論行き遅れの中年で独り身だ。
そして、趣味と呼べるものもない、つまらない男だ。
することも、したいこともない。なので、凡百の男と同じく娼館に通う…ということもない。
仕事への恐れから、彼は自分の装備を整えることに精一杯だ。
環境を整えることに精一杯だ。
働けなくなった後のことを考えるので精一杯なのだ。
3年前に購入した小さな家と小さな畑。それが彼にとっての唯一の幸せであり財産だ。
それでも彼は切り詰めればイケルな、と…
おおよそ周りからすれば切り詰める必要がなくとも、彼には不安に感じてしまう。
ようやく踏ん切りが付き、トーマスは名簿を確認しながら、カホの名前を探す。
しかし、名簿を上から見ても、下から見ても彼の名前が見当たらない。
そのことに首を傾げながら、
「あれ?名前がない。シグルド…しっかりしてくれよ」と事務が苦手な同僚であり、上司のシグルドにポツリと苦言を溢しながら、枠外にカホと記載し丸印を付けた。
カホはキョトンとした表情でトーマスに視線を向けていたが、トーマスはそんなカホの仕草にも自分を重ねてしまうようで微笑みを浮かべてしまう。
「カホ君…今日は暇なんだよね?」とトーマスは優しく、過去の自分に諭すように告げる。
「あ!はい!」とカホは面食らったように声を裏返しながら返し、慌てた様子で「はい」ともう一度肯定した。
トーマスはそんな強張っている新人の凝り固まった肩を少しでも和らげるように、
「じゃあ、この後僕と…ご飯に行かないか?」
優しく、それでいて明るい声色でカホを食事へと誘う。
カホの反応はというと、「え!?」と声を上げたものの、照れた様子になる。
それは直属とは言えなくとも、『調査隊』の隊長…部違いの上司からの食事の誘いとなれば緊張するのも当然だろう。
トーマスは過去の自分を思い返し、きっと今のカホのようなリアクションをしただろうと思うと、ますますカホという新人に好意的な感情を覚える。
勿論、男色という意味ではない。
女性に苦手意識を持っているトーマスといえど、彼は草食系男子なだけで、美人で頭が良く、胸が大きい女性から好意を向けられれば助平心を出すくらいには…彼は奥手だ。
「嫌かい?あはは…こう見えて、お金は持ってるから心配しないで」と、カホに告げる。
カホはおずおずといった雰囲気をしていたものの、不意に嬉しそうに頬を綻ばせる。
それはトーマスにとって在りし日の自分のようだった。
話したこともない上司から、不意に向けられた優しさや、認められるということに不安と期待と嬉しさが混じる。
―この子は、僕のようになってはいけない
そう思うと、その真面目さを真っ直ぐに育つよう彼は祈ってしまう。
不埒な考えであろうが、彼を『調査隊』に引き入れたいという、そういった考えまでトーマスは持ってしまった。
「えっと、はい。喜んで」とカホが笑顔と共に誘いを受けると、トーマスはゆっくりと頷いた。
彼のような若く真面目な者を助けるのは、所詮は彼にとっての慰めでしかない。
例えそうであっても、トーマスはカホを気に入っていた。
訓練が終わる時間はあと30分程あるが、カホはトーマスの言う通りに先に訓練場から退出していく。待ち合わせ場所をギルドの入口に指定し、カホは何故か足早に去って行った。包帯を巻きなおすのかもしれないとトーマスは苦笑する。
トーマスも残りの時間、監督官として見るだけの仕事をし、そして名簿を付け、時間前にぞろぞろと退出していく者達へも温情の表情で見送った。
訓練が終わり、雑多に並べられた木製の武具を片付け、軽い掃除を数人の者達と終わらせる。
トーマスはゆっくりと、それでも少し軽やかな足取りで、ギルドの入口へと向かう。
石畳を踏みしめ、若く悩める年頃の後輩にどうアドバイスをしようか、等と考えながら。
彼…カホが真っ直ぐに育つ姿を思い浮かべるだけで頬が緩む。
「意外に彼は…『調査隊』が合うのかも…」と溢し、自分よりもずっと適任だろう、と1人ごちる。
気弱が故に、部下を今一つ指導しきれない自分への侮蔑と苦笑を交えながら、歩いていく。
ギルドの入口には…誰もいなかった。
準備に時間がかかっているのだろうか?等とトーマスが思っていると、
「すみません!遅れました!」
そう高めの声がした。
それは聞き間違えようがないあの少年…カホの声だった。
「あぁ…気にして…」と言いながら振り向き、その先の言葉を彼は失う。
トーマスの視線の先にいたのは、カホだ。
赤い髪をした少年カホ…だ。
その姿は、先ほど見た時のような野暮ったく小汚い麻服ではなく、青色を基調としたワンピースを着て、笑顔で手を振っている。
「―は?」とトーマスは溢し、思考がめぐる。
そういう趣味…だろうか?だが、似合ってはいる…。
そう思考が巡る。しかし、それはトーマスらしい逃避した思考だ。
それを認めたくない。
真実等知りたくもない。
そんな弱い彼の心が平静を保つ為に作り出した尤もらしい逃避の思考。
カホはトーマスの前に付くと、息を切らしながら「ごめんなさい。お待たせして」とトーマスに謝罪をする。
トーマスは呆気に取られている。
上気した頬といい、その服装…そして声の高さ。
なによりも、よくよく見ると、整っているだけではなく、大きな瞳といい丸みを帯びた肩といい…もしかすると彼は…と考えるだけでトーマスの脳が震えた。
「カホ君…えっと…」とトーマスは真実を知らなければと思い、勇気を振り絞る。
だが、それでも先には続かない。
カホは困ったような照れた表情で、笑顔を浮かべた。
その表情には嬉しさが詰まっている。
「あ、あはは…えっと、男性に食事を誘われるとか…あんまり…その…似合ってませんよね?」
カホの言葉にトーマスは返答をしようとするが、唇と唇が噛み合わさるだけで、言葉が出ない。
舌の根が乾き、声が出ない。
視界がぼやける。いや、焦点が合わない。
カホを見ているはずの視界なのに、その焦点は遥か後方を見ている。何もない石畳をただ見ている。いや、カホが映っている視界を脳が拒否し、ただ石畳に集中してしまう。
現実と妄想が揺れ、混ざり…脳が拒否しようとするが現実が追いつくと痺れるように、情報が爆発した。
―え?ボク…男の子だと思って、女の子食事に誘ったの?
「カホ…さん?」と力を振り絞り、”さん”と聞くと、カホは「はい」と居住まいを正した。
カホからはおしゃれをしたから見て欲しいといった…そういった女の子らしさが見て取れた。
それらが…トーマスを苦しめた。
―あかん死のう…この子、女の子だ…
答えを出してしまったトーマスはぼんやりとしてしまう。
そんなトーマスにカホは諦めた様子で、「あはは…似合ってませんよね」と力なく呟く。その悲し気な声色でようやくトーマスは正気に戻る。
―女の子だからって関係ない。
そう思い、石畳を一心に見つめながら、
「あぁ!ごめんごめん!似合ってるよ!カホ君!」
言い終わると同時にトーマスは冷や汗を流す。思わずだった。特に意識もしていなかったが、カホ”君”と呼んでしまったことにトーマスは気に病む。
大方の人物がどうでもいいと思う内容だ。
君だろうが、さんだろうが、ちゃんだろうが、どれでも良いはずだ。
相手に罵倒ではないのであれば。
それでも、自然と男性扱いをしてしまったという後悔はトーマスを苦しめる。
だがトーマスは言葉を失った。
石畳を一心に見ていたが、それが目に映った。
カホの嬉しそうに綻んだ表情が。
「えっと…本当ですか?」
と自信は無さそうではあったが、それでも大きな目を輝かせ、頬を朱に染めた姿をトーマスは自然と目で追っていた。
トーマスの瞳がカホを捉える。
よく見ると…カホは可愛らしいという分類ではあるが、おおよそ凡百以下という程度だ。美人ではないが、その屈託なく笑う表情には、明るさと共に影も刺しており、ある意味で魅力的ではあると彼は思った。
余程、修羅場を抜けてきたのだろう。
ただのあどけない表情とは違う。
カホの顔には苦労してきた者が見せる、刃のような鋭さと、若さと優しさ故に見せる明るさの二つが混じっていた。
それが分かると、トーマスはやれ女の子だ、やれ男の子だと性別だけで判断していた自分を恥じる。目の前にいるのは性別なんて関係なく真面目なギルドの一員だ。
それを思うとトーマスの肩は幾分か軽くなる。
男扱いも女扱いもしなくて済むという気楽さなのかもしれないが、彼はカホの性別を気にせず笑えた。
「ごめんね。女の子の扱いに慣れてなくて…けど、よく似合ってるよ」
弟のような女の子そう思う事で、トーマスは思った通りの言葉を伝えられた。
トーマスは自分らしくない言葉に若干照れ臭くなりながらも、カホと視線を合わせる。カホもそれに応えるように視線を合わせ、笑顔で返した。
二人はギルドの門から出ると、ゆっくりとした足取りで石畳を踏み、市場の方へと歩いていく。
アルトヘイムの市場を二人は歩いていく。
ゆっくりと、言葉も殆ど交わさずに。
二人に声を掛ける者はいない。
デートと邪推する者もいない。
カホが別の男性と歩いていれば…趣味の悪い男もいたものだと邪推する者もいるだろう。
しかし、実際はカホと共に歩いているのは自分自身を卑下しているとはいえ、冒険者ギルド『青き風』の重鎮にして確かな実力の保持者であるトーマスだ。
トーマスの周りからの評価は高い。
彼の生来の気質通りのおどおどしている男、と思う者もいるが、どちらかというと彼は優しく生真面目な性格だと認識されている。
そういう認識だからこそ、彼はゴブリンロードの一件である部下の失敗があってなお、その地位をはく奪されるようなこともなく、公的な処分も受けていない。
民間ギルドにあって、唯一国からも給金を出されている特別な地位である『調査隊』。
その隊としての有用性以上に、トーマスの性格から来る真面目さをアルトヘイム国王であるランスローは評価している。だからこそ、この一件での失態について国王からギルドへトーマスへの処罰は控えるように厳命されている。
実際、彼がゴブリンロードの件に絡んでいれば適切な判断は出来ていたであろう。しかし、トーマスはその働きぶりや性格から各地を飛び回っており、今回も国王から直々の依頼を『金翼』と合同で受け調査をしていた。
そういった正当な理由があったにも関わらず、トーマスは聞き取り調査の為に王宮に招集された際には、今にも死んで詫びるとでも言いたそうだった。
そんな彼だ。彼が女の子を引き連れていても…
―また人助けだろうな
そう街の人は思い、小さく笑みを溢す。
カホの素性などこの街の者はそう知らない。流れ着いた冒険者が、いつの間にかギルドに所属していた等と殆どの者が知らない。
だから、迷子を助けているのか、それとも迷える後輩に道案内でもしているのだろう…そう思う程度だ。
炉端に転がる綺麗な石。それがトーマスだ。
…とアンニュイな感じで現わしているが、実際二人が会話しないのは、トーマスが奥手だからだ。
トーマスの心情としては「何かジョークでも言うべきなのだろうけど…誰か教えてくれないかなぁ」と跳ねる心臓を抑えるのに必死だった。
ただ、そんな彼がカホの表情をチラリと覗くと、少し居心地が悪そうであったこともあり、”男の甲斐性とかいうそんな言葉は存在してはいけない。男女平等にして!”と普段から叫びたいトーマスであっても、不本意ながら男の甲斐性を実行するしかなかった。
一度深呼吸をして、覚悟を完了させ、そして…
「ほぃっ!と…ぬぇ!」
トーマスが慣れないことをしようとして声が裏返り言葉に詰まる。
カホはキョトンとした表情を浮かべ、トーマスを真っ直ぐに見つめる。
―あかん。死にたい…死のう…。殺して…殺してくれ…
トーマスは必死に涙と恥ずかしさを堪え、不格好な笑顔を浮かべながら。
「え…ぇっと…。お肉と、野菜…どっちがいい?」
トーマスが必死に言葉を絞り出す。絞り出してから自分に”そこは魚でしょ!”と饒舌に自分を責める。
「魚じゃなくてですか?」とそれをカホに聞き返され、トーマスは目じりに涙を貯める。
自分の情けなさにトーマスは肩を落としたい気分だった。
女の子扱いしなくていい。弟と思って接したらいいと思った途端にこれだ。だが、これには彼自身で納得のいく答えがすぐに出た。
”デートと思って提案するからいけないのでは?”
そう思い、何か自分でも出来そうなことを考える。
任務だと思って、仕事だと思って関わればこれ以上醜態を見せずに済むと彼の中で完結したものの、不意に定例訓練を思い出してしまう。
今日の参加名簿…
僕は何をした…
そう思い出し、男性の名簿の方の隅…欄外にカホの名前を書いて提出した…。
多分、女性の方には彼女の名前があったにも関わらず、その確認をせずに提出した。
つまり…リリア副長は上がってきた名簿を確認し、参加しているにも関わらずカホは欠席扱いで、しかもトンチキな書き方をされているのを確認したら…
確認ミス…失態…また怒られる…またリリア副長に怒られるの嫌だな…
思わずトーマスはため息を吐いてしまう。
シグルドのような適当な説教ならば、聞き流せるがリリア副長の理詰めの説教はどうしようもない。リリア副長は聡明で、自分よりも腕が立つ上に優秀だ。そんな完璧な上司からの説教は気が重くなるのだ。
自分の上司がシグルドのようなあっぱらぱーばかりであれば…とトーマスは悔やむと同時に、リリア副長が欠けたこと場合を思うと、自分は迷わずギルドから去るだろうなとも思ってしまう。
それは自分もシグルドと同じあっぱらぱーだからだ。
「魚…好きかい?」とパニックになりながらもトーマスは絞り出すようにカホに伝えると、カホは困ったような笑顔になりながら、
「嫌いですか?」
「いや、僕も好きだよ」
自然とカホの言葉に返せる。そのことにトーマスは驚く。
声を掛けようと思えば思う程、ダメになる。なのに、会話していると自然体になれる。
その理由を考えたトーマスは一つのことに気付いた。
カホは女の子らしくない―ということだ。
悪口ではなく、特徴としてカホは女の子らしくない。
見た目の野暮ったさはあるから、男性のようにも見えるが、それ以上にカホからは父性に近いものを感じていた。
逞しさと、その身が例え小さくとも身を呈して守ってくれる―という安心感。
カホから感じたのは、気だるさじゃない。
シグルドと同じ…死を覚悟し、乗り越えた目だ。
「カホ君は死ぬのが怖いかい?」
不意にそう尋ねていた。トーマス自身それに驚いていたが、自分を止めるつもりはなかった。
―シグルド君…君は死ぬのが怖いかい?
在りし日…年下であるシグルドとの邂逅の時と同じようにカホにそう尋ねていた。
「え…」とカホは言葉に詰まる。
シグルドはあの時―
―怖くなかった…だが、こいつが死ぬかもって思って、俺も怖くなった。
そう返した。
隻眼となってしまった、自分の相棒であるレオーナを抱えながら彼はそう言った。
強い目だった。何としてでも、とその目が言っていた。
その瞳とカホの瞳は似ていた。
「はい…」とカホは答える。
暗がりが見える。だが、その奥にチラつく強い光も同時にないまぜにしてそこにはあった。
その目も…強かった。
怖がっているのに、目の奥に炎が宿る。
彼女の持つ光とは違う、彼女本来の炎が燃えていた。
炎が燃えるからこそ彼女は前へと進めるのだろう。だが、トーマスには彼女の炎が、己の身を焼き焦がし自らを滅ぼすというのも分かってしまう。
自分に無い物は分かってしまう。
憧れや嫉妬から簡単に誰でも分かってしまう。
自分もそれが欲しいから。そうであれば、今の鬱屈とした状況を打破出来るかもしれないからだ。
幸せになれるかもしれないから。
だが、幸せになどなれないなのだ。
相手の苦悩を知らないから、”お前は幸せなんだろう?”と自分の不幸自慢をしたいだけだ。
この世界にハッピーエンドはない。世界はデッドエンドしかないはずだ。
なのに、他人の人生にハッピーエンドという言葉を送ろうとしてしまう。
その根底が憧れという嫉妬や、自分への慰めで、相手への否定だというなら…本当に情けない話なのかもしれない。
それでもトーマスは思う。弱い存在が故に。
―死んで欲しくないな…
その言葉が本心だった。
彼女の炎が彼女を燃やし尽くすその前に、自分が出来る事があるかは分からない。
それでも…無駄にでも生きて来た時間の長さから、出来ることを探し足掻くしかない。
「恥ずかしがることはないよ」と言葉を頭にしてからトーマスは一度空を仰ぐ。
恥ずかしさが顔をもたげる。恥ずかしいのは自分だ。
それでも彼の炎が背を押す。
燻り消えるだけの、小さな炎が、言わなければいけないと彼の背を押す。
”人生の…情けくても、生きた時間だけは長い先輩だから、後輩の力となりたい。”
そう理由をつけて、トーマスの心は一歩だけ前へと出た。
「…僕はいいと思うよ。死を怖がらないと、生きることがおざなりになっちゃうからね」
声色は優しく、強張っていた。
あぁ、なんと情けないことだろう。
自分への慰めの為に、自分に似た部分を”それは正しい”と評価するのだから。
人はやはり…と無理矢理自分以外を巻き込んで批評し、他人を貶めたく成程にトーマスの心は弱く醜い。
だが、それが人間の美しさでもあるのだろう。
生きて来た道を信じ、自分が正しい、そう思うこともきっと美しいのだ。
トーマスは空を仰ぎ、目を閉じる。
「明日死ぬかもしれないからって、死んでもいいなんて諦めてたら何にも力が入らなくなるからね」
体を脱力させ、瞳をあける。ため息に似た、深呼吸と共に、目の端に映る自分の唯一の成果である自宅へ視線を向ける。
この為だけに生きている…そういっても過言では無いほどに、トーマスは自宅を愛している。
この家に帰りを待つ者はリビングの伽藍洞だけで、2畳にも満たない寝床と汚らしい収納用の箱しか置かれていない。
門構えだけが、普通の家と言い張る程度で、中身は空っぽのトーマスの自宅。
それでも、彼はこの家の為に生きている…。
トーマスの家がいずれ花に囲まれることを幻想し、口の端に笑みを溢す。
彼の頭の中の家は、ずっと大きく、美しい。だが、それが彼の瞳に映る伽藍洞の家と同一だと彼は信じている。
「明日も生きようと頑張ることって…本当は凄いことだと思うし、辛いことだとも思うけど、それでも諦めちゃいけないと思うんだ」
カホにさらに伝えた言葉は、自分への励まし。
自分は真面目に生きて来ました。
悪いことは何もしていません。
それを褒める人はいないのは、いつものことだ。皆、真面目に生きているのだから当然だと割り切る。
だが、それが出来ることはきっと、素晴らしい。そして、それを褒めるなら、皆を褒め続けなければならず、一度でも道を踏み外した者には、一生の責め苦を冷たい言葉と視線を与えなければならない。そうでなければ不平等となる。
そんな事を考えなければならない程に、人間は意志失くしては生きられない。
「…でもね。人間は弱い生き物なんだ」とトーマスはカホに笑顔を見せる。
トーマスは…おおよそ人間の弱さを認めている。
それでも図太いがゆえに生きていけるという人間の強さも認めている。
トーマスは手を伸ばしカホの手に触れようとし、自然と逸らす。
彼女を彼と誤認してしまったのを必死に誤魔化しながら、自分の腕をまくって見せ、10年前に”黒き獣”によってつけられた傷をカホに見せる。
10年前といえど、その腕には未だに傷跡が残っている。当時は腕が千切れそうになる程の傷だったが10年という月日でようやくここまで治った。
たったの一つの傷が10年も尾を引く程に、人間は弱い。
カホは少し目を伏せながらも。トーマスの傷を見つめ、唇を噛む。
怒りではない。恐怖と戦う小さな少女の姿にトーマスはゆっくりと頷く。
「ちょっとした怪我を放っておいたら、熱が出て…そのまま帰らぬ人になることだってあるんだ。だからね、ちゃんと休まなきゃ。怪我している時や辛い時は…」
そこまで言ってからトーマスは一息を吐いた。
最後に伝えたい言葉を選んでいた。
そして、自分にその資格がないと分かると、最も相応しい言葉を送ることにした。
「…無理しちゃダメだよ」
トーマスが悲しくも、優しい口調でカホに諭す。
それが、初めに伝えたかった言葉だった…等と彼は忘れていても、それは彼の本心だったのだろう。
その言葉を聞いたカホは、言葉に詰まっていた。
少しの時間が流れる。
風が二人の間を抜け、青い葉が舞う。その葉が空に昇り、光る青空に消えいくの同時に、カホはゆっくりと口を開く。
「はい」
その答えはカホから憑き物が落ちた…ということはない。落ちたのは緊張の糸だけだ。
それがトーマスが求めていた物だと知ることは、彼自身も知らない。
思いつめた後輩の力になりたい。
その本懐を遂げられたとしても、トーマスは”願わくば”と思う事しか出来ない。
それ程に、トーマスは弱い男なのだから。
トーマスは慣れない事をして少し居心地が悪そうにするものの、「魚、食べに行こうか」とカホのエスコートへと戻る。
二人は歩く。足音の間隔は違うが、二人の足は石畳を叩き乾いた音を鳴らす。
喧噪でその音は聞こえない。それ程までに人は多く、二人は取るに足らない存在だ。
だが、確かに二人の足音はこの世界にある。
無意味な人間などいない。
いてはいけない人間などいない。
誰にも認められない人間などいない。
世界は広く、光も影もある。
皆に認められるスターがいるのなら、うだつのあがらぬ影日向を歩くしかない者もいれば、影の中にしかいられぬ者もいる。
それでも―弱く、愚かな『勇者』のカホも…
優秀であれど臆病で、うだつの上がらぬトーマスも…
影日向に足跡を付けるだけの矮小な二人であっても…
誰もが大切だからこそ、世界は回る。
二人の歩み小さく、その足跡は小さくとも、そこに彼らはいるのだから。
隣の影にも、日向にも…そこには大切な人々がいるのだから。




