第五十四話『精霊の娘と精霊喰らい』
第五十四話『精霊の娘と精霊喰らい』
―私は木の虚にいた。
そう…困り顔をよくするゴブリンに似た顔の商人のおじさんが言っていた。
商人のおじさんは続けて…
『精霊が煩いし、俺の頬をつねってまで…お前を助けろって煩かった!助けたのは俺じゃなくて精霊だ!お前は精霊に愛されてるんだよ』
とうんざりしながら言っていた。
彼は精霊魔法が得意で、それを商売に活かしている…とその商人のおじさんが言っていた。
独自に作り上げた彼の精霊魔法…その手ほどきを受けたのは今も覚えている。
ただ彼はいつも「俺もいつまでもお前の面倒を見てられないよ」と呟いていた。
だから…1人で生きれるようになるために、色々学んだ。
戦う術も、彼の精霊魔法も、食べられない草やキノコも…色々教えて貰った。
商人のおじさんとホブゴブリンの群れに襲われて、戦った時には私も必死だった。
商人のおじさんは、私を守って殴り倒されたけど、それでも精霊魔法で助けてくれた。
だから、私は…見つけれた。
精霊の姿を…。手に取り合う姿を…。
始めて使った『氷結槍』で魔物のリーダーを倒し、商人のおじさんが唱えた、おじさんが本来持ちえない水の精霊を使った精霊魔法、『翡翠撃槍』と『翡翠槍拡散』で残りを倒した時…おじさんが笑顔で言ってくれた言葉は今も覚えている。
自分は血も流してて怪我もしてるのに、まず気にかけてのは私のことで…。
本当に誰よりも優しい笑顔で…
「イエーイ!グッジョブ!」
―覚えてる。
あの笑顔も…。あの優しい手も…温かい胸の音も…全部覚えてる。
商人のおじさんは、旅の途中でアルトヘイムの近くまで来た時に…私はあの人達に出会った。
甲冑を来た騎士の女性と、私より小さくて私よりすっごく可愛い女の子…そして、私と背丈が一緒くらいの笑顔が綺麗な男の子…。
『僕はロイ!先生の弟子です!よろしくね!』
そう言って、私に握手をしてくれた男の子…。
始めてだった。手を繋いで、手だけじゃなくて顔も…胸まで温かくなったのは。
私が男の子の背中を見送っていると、商人のおじさんは私の背中を押して言ってくれた。
「行って来い。ヴィーニャ」
商人のおじさんはそうとだけ言い、いつもは私を抱きかかえて一緒に乗ってくれる馬に1人だけ跨って…私の荷物と数枚を金貨を投げ渡して出発してしまった。
私は…
「ぐっじょぶ…」
いえーい…は言えなかった。
それだけ言って、私は泣きながらお義父さんを見送った。
顔とその血の所為で卑下され、見下されていた私の大好きなお義父さんは、世界一優しい人だって、私は知っているから。
―私は灰より産まれた。
そう、私の義理の母である『金剛石』から聞いた。
年齢よりも若く見える彼女は、源流を辿ればエルフの末裔の血が流れているらしい。
強大な魔力、聡明な知能、慈母のような優しさ…。
何も不自由なかった。
魔術学院に入る前は孤児で、ゴミだった私。
変わった魔術師の人から何回かご飯を貰ったけど…お腹は空くばかりで、身を寄せていた娼館も失い、体は冷えていった。
もうダメなのかもしれない…
そう思った時に、彼女は雪の降る中、人間を人間とすら思えない人達が暮らす危険地帯のスラムに…たった独りで歩いて来た。
傘も刺さず、私に近寄って、灰にまみれた私に、銀糸のような美しく彼女の名にふさわしい白銀のマフラーを被せてくれた。
「遅れてごめんなさい」
そういうと、マフラーごと、私を抱きしめてくれた。
綺麗な彼女の服がみるみるうちに私の血と、小便と灰で汚れて行く。
綺麗にしなきゃ…と思って手で拭いたけど、汚れが広がって…どうしようもなくて、泣いてその体にしがみついていた。
彼女に拾って貰って…綺麗な服、美味しい料理、温かい家、優しさ…
その全てを私は貰った…。
それに、少ししたら魔術学院へも行かせてくれた。
学院では私は卑下され、畏怖され、誰も近寄ってくれなかった。
中には私をアイリス皇国が大打撃を受けた原因である、裏切り者、灰と淫楽の魔女トネリコの子(Asehenone)―と呼ぶ者もいた。
でも、どうでも良かった。
私は、私を助けてくれた彼女の為に必至だったから。
目指すのはただ一つ…。彼女に誇れる偉大な魔術師になる…それだけだったから。
なのに…。
知ってしまった。
出会ってしまった。
落ちこぼれ教師のファレンと雪山で再会した。
彼とは…学院で入学当初に少しの間だけ生活魔術や初級魔術を教えて貰ってたけど、すぐに私が次のステップに行ったから、それ以降話すことも殆どなかった。
ずっと卑下してたし、大っ嫌いだった。魔術は私以下な上に、お義母さんと仲がいいから、よく来てはお義母さんと楽しそうに話していた。
―大っ嫌いだった。
でも…私が雪鬼の群れに襲われている時に、助けてくれて…。
『久しぶりだな。元気そうだな』
その一言が胸に刺さった。何かを忘れている気がしていた。
だから調べて、知ってしまって…お義母さんに聞いた…。
激しく問い詰めたら…やっと白状してくれた…。
私を助けてくれたのは…彼だったっということを隠していた。
―全部…言って欲しかった…。
私は…それでもお義母さんも大好きだから…
男のように起伏の少ない、赤い髪の冒険者カホと、最年少にして、宝石の名を冠する偉大なるアークメイジであり、ブランの姓を持つリディが冒険者ギルド『青き風』の敷地内を並んで歩いていく。
リディがこの場所に入る理由は無いに等しい。
それでも、大人しくカホについていく理由としては、一応調査にはなるだろうと思っているからだ。
リディはアークメイジになったものの、師匠と一方的に呼び慕うファレンからの連絡がないことにヤキモキしてしまい、直接報告へ行こうと思い立って、無断で飛び出した…というのが今回の彼女の旅の理由だ。
ここにいない…と答えたカホが嘘をついていないだろうとリディは感じ取っていた。
だから、ここを調べる必要はないのだが、学院に帰った時に言い訳の為の論文や、報告書のネタになるだろうと思ったので、否定せず受けて入れている。
…とはいってもだが、許可が出た、のみなので立ち入り禁止場所は多いとはさっき知ったところだ。
先程、カホが取り合えず寮へ連れていこうとした時には寮の入口で寮長から「部外者が問題を起こすと解決が難しくなるから」という理由からリディは入寮出来なかった。
そして、寮長からは外部の者が入れる場所として『酒場』と『訓練場』、そして『野外食堂』と教えて貰い、丁度昼時であったこともあり二人は『酒場』という名の受付へ行くことにし、現在二人で歩いている。
歩きながらカホが思い出したように、隣にいるリディに。
「そう言えば、依頼は大丈夫?」
カホの不意の尋ねに、リディは困ったように笑い、
「ああ、それはもう解決しました。師匠の目撃情報を探して欲しかったので、依頼出来ればと思っていたんです」
リディの答えにカホは「ああ」と間抜けな声をあげながらも頷いた。
リディは苦笑しながら、
「私もまさか…一回で師匠のことを知ってる人に会えるとは思っていませんでしたし」
満足そうな笑顔のリディにカホは小さく笑う。そして、「縁があるのかもね」とカホが適当なことを言うと、「En?」とリディは首を傾げた。
カホも言った言葉が通じなかったことが珍しかったこともあり、
「えっと、縁っていうのは…関連性?いや、違うな…。縁ってなんだろ?」と尻すぼみな答えになってしまうが、リディが驚きの表情を浮かべ。
「あぁ…”縁”のことですか!ごめんなさい。えと、東方の言葉までは学が及んでいないので」
リディの返事に思わずカホは顔を傾げてしまい「え?」としか答えることが出来なかった。
そんな二人が練習場の前を通りがかった時だった。
あと少しで酒場…といったところだったが、不意に二人の目の前で木製の桶が宙に浮いたかと思うと、水飲み場まで1人でに飛び去った。
カホは驚きで、リディは感嘆の様子で桶の動きを見つめる。
桶は水飲み場で独りでに水を汲み、そのまままた飛び立ち、今度は訓練場の端に咲いていた花の元へと行く。
そこで、桶はひっくり返され、中に入っていた水を一気に溢した。
しかし、溢された水は一気に花に打ち付けられることはなく、まるで球のように滞留したかと思うと、細かな雨のように優しく降り注いでいく。
「精霊…魔法なの?」
リディがそう呟くや否や、一瞬目を閉じローブから赤い玉が着いた杖を取り出す。
「『探知』」
リディはそう一言呟き、杖の尻で地面を叩く。
カホからすればリディが何をしているのか…想像も付かなかったものの、術者であるリディにはしっかりとそれを見つけることが出来た。
魔力の流れ…その先が何処まで続いているのか、そして、何処に人がいるのか。
その二つの情報を手に入れたリディは思わず目を剥いた。
「この距離で!これだけ精密な動き…」
思わずリディは声を上げ、そのまま本能のように駆け出した。
カホは慌ててリディを追って、そのまま訓練場の中へと入っていく。入る時に『ここって部外者入れて良かったっけ?』とは思っていたが、思っている間にもリディの背中が遠ざかっていく。
カホは慌てて走る速度を上げて行く…しかし、訓練場に入り観客席のような1mはある仕切りの前でリディが駆けながら再度杖を取り出し。
「『跳躍』!」
その一言と共に一気に空に舞い上がった。
リディが一気に3mは跳び上がり、空中で一回転すると共に杖を振るうと空中に着地しさらにまた跳びあがった。
カホは完全に置いていかれてしまい、慌てて仕切りの出入口を探し始めるしか出来なかった。
リディは何度か魔術で跳びあがり、最終的には訓練場のリディが入って来た入口と真反対位の位置にある観客席らしい高台に降り立つ。
リディが降り立つと、「んぅ?」とだけ言い、そこにいた青い髪を持つとんがり帽子を被った少女が起き上がった。
どうやら昼寝をしていたらしい。
とんがり帽子の少女の手には、簡素な作りで、誰がどうみても安物っぽい見た目をしているが、霊樹から掘られたであろう魔力が籠った杖を持っている。
それだけでリディは先ほどの桶を操っていたのが彼女だと確信した。
リディは肩でしていた息を深呼吸で整え、冷静さを保とうとした。だが、逸る気持ちが抑えきれず。
「お名前を聞いていいですか!?」
一気に顔をキスでもするかの距離へ近づけ、とんがり帽子の少女の手を両手で掴む。
とんがり帽子の少女が思わず顔を仰け反らせ、ポカンとしていた。
とんがり帽子の少女が口を開きかけたものの、リディはさらに押し込むように顔を近づけ。
「精霊魔法ですよね!?精霊魔法で…あれ程の緻密な…素晴らしいです!どのように精霊と意思疎通をしているのですか!いや、それよりも、あの動き…一体どのような命令をしているのですか!?あぁ、それに、えっと…」
「…ヴィーニャ」
リディのマシンガンのような問いかけ…だったものの、とんがり帽子の少女である、『幼き翼』に所属するハーフエルフ、ヴィーニャから始めの問いに対する答えだけが帰って来た。
それによって、リディはハッと我に返り、慌ててヴィーニャから一歩距離を取り頭を下げた。
「あ…こ、これは失礼しました!私は魔術学院のリディ・ブランと申します!魔術となるとつい…熱くなってしまってしまい申し訳ありません!しかし、あなたの精霊魔法は素晴らしいです!多くの魔術師が侮る『才能だけの弱小魔法』等という意見も、あなたの精霊魔法の前では、自身の盲目による愚かによる妄言と認めざるを得ない、その域に達していると思います!」
リディが慌てた様子で、ヴィーニャに伝えると、ヴィーニャは思わずといった雰囲気で微笑み似た表情を浮かべた。それはきっと、リディの物言いが、何処かで旅をしているであろう落ちこぼれの魔術師が、ヴィーニャの精霊魔法について言っていた言葉に似ていたからであろう。
透き通るような笑顔にリディは一瞬目を奪われ、同性でありながらも頬を赤らめてしまった。
「うん…ファレンに似てる…」
ヴィーニャがかつて、自分の義理の父から教えて貰った思いで深い魔法を、今のリディのように褒めてくれた友人の名を口に出す。
リディは不意をつかれ、思わず、「ええ…そんな…私なんか師匠と…うふふ…」とまんざらでもない反応をしてしまうが、口に出した言葉とヴィーニャに言葉を反芻し。
「って、え?」
とだけ言って目を丸くする。
ヴィーニャは怪訝そうな表情をしたものの、首を傾げる程度しかしなかった。
「今、何て言いました?」とリディが聞き返すと、ヴィーニャは眉を潜め。
「似てる?」
「誰と?」とその前をリディは催促する。
「ファレン…?」
ヴィーニャの言葉にリディはニヘラと笑い、嬉しそうに頬に手をあてがい。
「ほ、本当ですかぁ…あの、その、えっと…そんなに似てます?そう!そうなんです!そうですよね!えへへ…」
これにはさすがのヴィーニャも顔をひきつらせた。
今までに会ったことのないタイプの人間というのはより恐怖を助長させるのだろう。
リディの奇行に呆然としていたものの、ヴィーニャが口を開こうとした瞬間だった。
「ところで…」とリディが話を切り出した。
リディは片手を胸の前に、もう片方の手を前へ突き出し、まるで演劇のように。
「あなたは我が愛しき、魅惑的で、思慮深い師匠とは…どういった関係ですか?」
そう尋ねた。
ヴィーニャは気圧されていた。
その理由はリディが意味不明だから…というだけでなく、リディの目が笑っていないからだ。
ヴィーニャは頬を掻きながら、眉を曲げ。
「え…う~ん…友達?」
と無難で一番近しそうな答えを言うしか出来なかった。
言ってからヴィーニャ自身も『別に友達でもない』とは思っていた。
ファレンとヴィーニャはこの街で出会い、ヴィーニャの精密な精霊魔法の扱いに関心したファレンがいくつかの魔術を教え、いくつかの精霊魔法と魔術の複合魔術を、理論ではなく実践して見せただけだ。
ファレン曰くだが『君の精霊魔法の使い方は魔術に似通っているところがある。私のこの精霊魔法と魔術の複合が君の何らかの気付きになればいいのだがね』とのことだ。
先生と言えば、それが合っているのかもしれない
リディは口をポカンと開けていたが、急に顔を真っ赤にし。
「…それは…い、いわゆる、で、です…ですね…。えーと、一般的にその…男女間での友情は認められないとか、そういう俗説というか、そういう仮説があってですね…えっと、その…あの…あれです…性的な…友達…じゃないですよね?」
ヴィーニャは言葉のニュアンスで、リディが何を言いたいのか何となく察し、
「…精霊魔法を教えて貰っただけ」
少し慌てた様子で答えた。
「あ…」とリディは声を漏らし、放心した。
ヴィーニャは珍しく狼狽した様子になり、リディの顔色を覗き込んでいたが、リディが急に目をイカらせたことから思わず身を引いた。
「ほぉぉぉぉう…ふぅぅん…へぇぇぇ~!」
リディの尋常ならざる雰囲気にヴィーニャは後ずさり、杖を握り込む。
ヴィーニャは感じていた。
精霊魔法は精霊の性格等の機微を察して扱う技術だ。だからこそ鋭くなった、察する感覚がリディから放たれている感情が何であるのか気付いた。
―それは怒り。
「成程、そうですか…了解、理解、分かりました!」
リディの笑顔と共に発せられた言葉にヴィーニャが後ずさる。
リディはゆっくりと杖を構え、ヴィーニャに突き付け、
「この泥棒ネコ!」
そう叫んだ。
「……。うん?」とヴィーニャは別の意味で面食らった。
どういう意味かを必死に考えていたものの、当の言った本人であるリディは急に興奮し始め。
「師匠は私のもの…私のものだ…私だけのものだ!」
そう詰め寄られて、言葉すら出なかった。
さらには肩を掴まれ、鼻の頭が擦れる距離で、
「師匠は渡さない!渡すもんか!渡してたまるもんですか!」
大声でそう宣言されたからには、ヴィーニャも。
「………え?」
としか言葉が出なかった。
そんな二人の元にようやく息をせき切らせながら走って来た赤い髪の冒険者、カホが辿り着いた。
一応、彼女も遠くからリディの声しか聞こえなかったとはいえ二人の会話は聞いていたようであった。
ヴィーニャは困惑しながらも、到着したカホに対して、「…ファレンのこと?」と助け船をカホに求める。
カホも困ったようにを通り越してすでに諦めたように
「多分…」
とため息のように返した。
「え…いらない…」とヴィーニャがそう呟くと同時にリディがヴィーニャへ杖を向ける。
ヴィーニャは呆れた様子であったが、すぐにその口を真一文字に結び杖を回す。
瞬間の出来ことだった。
リディの杖からは炎の槍が放たれ、ヴィーニャの前には水の壁が産まれた。
二つの力はぶつかり合う。
それは一瞬だった。リディは口元に笑みを浮かべ杖を前へと押し出すようにし、ヴィーニャは臍を噛み杖を横に振るう。
力の衝突は、リディの勝利だった。
炎の槍は水の壁を蒸発させた。
しかし、その切っ先がヴィーニャに届くことはなく、遥かヴィーニャの後方を穿った。
ヴィーニャは後方でした爆裂音に目を見開く。リディはヴィーニャに自分の魔術が届かなかったことに目を剥いた。
「…今…今、何をした?」
リディが怒気を孕んだ声を絞り出す。
ヴィーニャは冷や汗を拭い、杖を両手で握り込む。
リディは答えを知ってる。だが、ヴィーニャからその答えが返って来ないことに憤慨した様子を見せる。
「今ぁ…何をした!?」
問い詰めるというより、恫喝のような言葉だった。
リディから見えていたもの…それは、あの一瞬の戦いの間に見せた、ヴィーニャの底知れない技量と冷静過ぎる判断だった。
まずは、無詠唱での精霊魔法…。これに関しては熟達した精霊魔法使いであれば十分に可能な技術ではある。だが、それでもヴィーニャ程の精霊との阿吽の呼吸とも言える連携が出来る使い手はそうそういない。
そして、さらに炎の槍を弾いた手腕だ。
炎の槍は確かにヴィーニャに向かっていた。水の障壁も貫通した。
低出力な精霊魔法では、リディという強力なエンジンが放つ魔術に対抗することは不可能だ。ましてや、リディが放ったのは破壊力と貫通性に特化した、最も得意とする炎の魔術だ。
無詠唱により威力は下がるとは言え、この至近距離で放たれれば回避は不可能のはずだった。
だが、ヴィーニャは瞬時に水の精霊魔法を使用し、水の障壁を召喚した。
さらに、打ち勝てないと一瞬で悟ると同時に、水の障壁の層を自分の中心のみに集中させて魔力の殻を纏っているが故に、魔力同士の反発する力を利用して炎の槍をいなしたのだ。
「この子…強い…」
ヴィーニャはそうとだけ言い、一瞬カホへと視線を向ける。
助けを求めるのではなく、リディの規格外の力に被害を出さない為の場所を探していた。
リディは杖を握り直したものの、すぐにだらんと力なく腕を下げた。
ヴィーニャは驚きはしたものの、指で自分の風の精霊へ指示をしていた。
リディは物鬱気な表情を浮かべ、泣き出しそうな声を絞り出しながら。
「無詠唱で、指先の指示だけで精霊魔法を使ったのね…そうか…そうだったんだ…そうとしかありえない…」
リディは言い終わると同時に杖を自分の胸の前へと持っていく。
彼女はまるで中世の騎士が剣を掲げるように杖を天に向け、
「あなたには負けられない…師匠の弟子として…決闘を申し込みます!」
「…何の話?」とついていけないといった雰囲気でヴィーニャは答えながらも、衝突は避けられないとは分かっていたのか、先ほど精霊に指示をしていた指を全て折り込んだ。
リディは大きく飛びずさりながら、杖を再度ヴィーニャに向け、
「お手並み拝見です。ブチころがしてやる!」
その言葉と共にただ一言『炎矢!』と叫んだ。
その声と共に応えるようにリデイの持つ杖の先が光る。しかし、杖からは何も放たれなかった。
ヴィーニャは即座に反応していた。
カホを杖で殴り倒すと同時に、風の精霊に与えていた精霊魔法を発動させた。
ヴィーニャの足に風が纏い、その体が空中を浮いた瞬間、ヴィーニャを取り囲むように赤い魔法陣が浮かび上がる。
「空中に…魔術を空間固定…」
思わずといった感じでヴィーニャが呟いた。
リディは得意げに笑う。何を隠そうこの魔術の原理は、ファレンが開発したものだからだ。
当の本人はその乏しい魔力量により使うことすら出来ず、また先代の『紅玉』のアークメイジでは技量不足で、魔法陣を遠隔召喚し空間固定するなんていうとんでも魔術は実現すら出来なかった。
リディは笑みを浮かべ、杖を振り下ろすと共に
「『魔炎包囲弾』!燃え尽…」
そこで言葉が詰まった。ヴィーニャは笑顔を見せていたからだ。
―その笑顔が、リディの逆鱗に触れた。
それと同時に怒りの炎の雨がまさしく矢雨として上下左右ありとあらゆる角度からヴィーニャに襲い掛かった。
だが、その炎の雨はヴィーニャの身には届かなかった。
ヴィーニャは自分の手に風の盾を纏わせ、足に纏わせていた風を爆発させ、弾かれたかのような速度で訓練場の中心へと飛んだ。
その途中にリディの魔術の一つだけを弾きながら。
炎の雨は誰にも当たることなく、ただヴィーニャのいた場所を穿つ。
リディは歯を軋ませるほど噛みしめるしか出来なかった。
リディの使用した魔術の回避は極めて困難だ。
敵を中心に無数の初級魔術の『炎矢』を連続して撃ち込むのだから。
魔物相手には火力不足ではあるが、こと人間に対してなら致命的な一撃となるのは当然だ。ましてや、その魔術を使用するのは、最底辺の落第魔術師ではなく、魔術師の到達点であるアークメイジすら超越した宝石の二つ名持ちの『宝石魔術師』なら猶更のことだ。
リディが使用するからこそ、この魔術はその真価を発揮する。
だが、それすらも簡単に弾かれた。
初級魔術並みの精霊魔法を組み合わせだけで。
リディは杖を振るい、遠ざかっていくヴィーニャを睨みつける。
「『加速』!『同調』!『跳躍』!」と早口に一気に唱え、足元に魔法陣を作成すると同時に、一気に10m以上を跳びあがる。さらに、空中に魔法陣を産み出し、天を地にして魔法陣を蹴り、この場所へ来た時とは比べ物にならない速度でヴィーニャを追う。
ヴィーニャが訓練場の中心に降り立とうとするが、その横を弾丸のような速度でリディが通り過ぎ、砂埃を巻き上げて着地した。
訓練場には、今日が定例訓練に当たっていた数人の冒険者がいた。
誰も彼も適当に訓練をしていたのだが…思わぬ二人の登場に驚き、持っていた剣を落とした者や、尻もちをついた者もいた。
リディはお構いなしといった感じでヴィーニャに向けて杖を振るい、
「我が罪の証、炎の灰よ!魂を暗く、黒く、昏く染めよ!喰らい尽くせ!」
その詠唱が終わると同時に地面が燃え、土すらも焼き灰へと変えて行く。
ヴィーニャはその天性の勘だろうか、飛びずさると共に杖を頭上に振り上げ、指先だけで回転させる。
『燻灰喰魂』!」とリディが吠え。
「精霊…お願い」とヴィーニャが応える。
リディの周りで発生した灰は燻りと共に撒きあがり、まるでリディの背中から伸び出た両手や、翼のような形状を取ったかと思うと、ヴィーニャを包み込むように襲った。
灰はヴィーニャを包み込んだかと思うと、一点に集まり始める。
リディの手が止まる。口が開きただ、驚愕していた。
まるで何かに吸い込まれるような灰の動き。それすらも、リディにとっては異常だった。
息をすれば肺すら焼き切られる魔術…それを起こりから理解していたヴィーニャは、軽い灰であるが故に、風で渦を作り自分の周りに集めていた。さらに杖の先に風を纏わせ、文字通り灰を吸い込んでいた。
「水の精霊…」とヴィーニャが一言発すると同時に杖の先に集まった膨大な量の炎が燻る灰から水蒸気が巻き起こる。
水分を含んだ灰はボトボトと地面に落ち、美しい灰色は失われ、黒い染みのような塊となった。
水の含んだ灰をヴィーニャは指先の動きだけで風を起こし吹き飛ばす。
その風に乗った灰をリディは慌てて、不可視の魔力障壁を産み出す変性魔術の『盾』を張って防ごうとする。
しかし、一瞬灰の方が早かった。
リディの権威の象徴であるローブと、その首から下げた『紅玉』に、幾つか灰の汚れが付くことになった。
ヴィーニャは自分のとんがり帽子を軽く被り直し、リディを見つめる。
リディは震えていた。
自分で始めて作り上げた魔術である『燻灰喰魂』には自信があった。
魔術学院で揶揄された”灰と淫楽の魔女トネリコの子”と陰口を叩かれ続けたからこそ、その当てつけで『南方』で普及している闇術から得た知見で作り上げたオリジナルの灰の魔術―
それを、魔術どころか精霊魔法とすら言えない”所作”だけで無効化した。
それだけでなく周りを守るために、無駄な工程すら増やして、防いだ―
「ふふ…ふふふ!成程…他人を守る為に広域展開して、自分へはそのロッドに纏わせた風の精霊で…ふふ…ははっは…あっはっははは!」
リディは哄笑し、杖を天に掲げる。
「素晴らしい!」
称賛と高揚を抑えきれず彼女はそう口にした。
ヴィーニャは呆れたようにため息を吐き、「…いらなかったね」とポソリと呟く。
リディは笑顔を浮かべながら、
「他人を巻き込む理由はないので。それに私は宝石の名を持つアークメイジですよ」
と応える。
実のところだが、ヴィーニャも焦っていた。
リディが周りに他の団員がいるのに構わず、人間への致死性が高いであろう魔術を使用したからだ。だからこそ、周りに風の結界を巻き起こさせ自分の元へ集めるという手段しか取れなかった。
結果的には魔力の受け渡し量の微調整が出来ず、自分の起こした風で帽子がズレてしまった。
リディは胸に手を当て、詩歌でも謳いあげるように。
「これは私とあなたの戦い…存在証明の為の戦い…師匠への愛の為の戦いです!そう!愛です!愛なのです!まさしく愛の為なのです!」
「…いらない」とヴィーニャが肩を落とす。
「ふぅ~ん…ほぉ~…はぁん…自慢しやがって…!」と明らかに勘違いしたリディは再度目を怒らせる。
馬鹿か天才でもなければヴィーニャの言葉から―既にいらない程に寵愛を受けている―とは読み解かないだろう。悲劇的だが、カホは馬鹿で、リディは天才だ。そして、ヴィーニャは秀才だが、言葉で意思を伝えるのが苦手だ。
この世界は悲劇なのだろうか?と嘆きたくなるが、言葉のあやというのは何処にでも起こりえるものだ。それが発端で悲劇は起こりえる。実際今がそうだ。
リディは飛びずさり一気に距離を取ると同時に、杖を自分の前で回転させ、真っ直ぐに突き出す。
その一瞬の動作が空中に即席の魔法陣を産み出す高等技術だとはヴィーニャはかろうじて知っていた。ファレンから学んだものだったからだ。
リディの前に3つの魔法陣が連続して産み出される。3つの魔法陣には緻密な魔術式が組み込まれており、ヴィーニャはその文字の連続性を見ると同時に右手に持つ杖に魔力をこめ、左手に魔力を握り込む。
「あはは!燃やし尽くす!骨の髄まで!灰も残さん!」
リディの杖に魔力が凝縮し、炎が産まれる。
だが、彼女は見ていた。ヴィーニャを…。
ヴィーニャもそれに気付き、リディを見返した。
ヴィーニャが頷く。
リディはそれで口の端に笑みを浮かべると同時に魔力を解放した。
「『激烈炎弾』」
そう叫んだと同時に、杖の先からバリスタの如き大矢が産み出され、弾き出されるようにヴィーニャへと飛翔する。
「…攻城魔術!?」と誰かが叫んだ。先ほどまで訓練をしていたが、リディとヴィーニャという規格外の化物幼女達の戦いから危険を悟り避難したうちの1人の声だった。
彼は自分の脇を通り過ぎて行こうとする赤い髪の冒険者を抑え、「行くな!馬鹿ホ!死ぬぞ」と彼女を止めた。
攻城魔術―文字通り城攻めの為の上級魔術であり、魔術学院においては学生の中でも特に優秀な生徒のみ学べる最高峰の魔術だ。それは、単純明解且つ、魔術の祖先である魔族の『魔法』に似せた、清廉されていない祖たる魔術。
まだ魔術が体系化されていない古き時代の産物であり、魔族の『魔法』をただ真似ていたいた時代の原初の魔術。
しかして、緻密な精度がなければ暴発し、形が崩れ、また膨大な魔力がなければ発生させることも出来ないことから、単純明解であるが故に難易度が高い、最高難易度の魔術だ。
ヴィーニャは迫る炎の大矢に向けて左の拳を振りかぶる。
精霊魔法は元はエルフの妙技であり、生活の中で培われたものだ。
その技術の殆どは、天性の才能のみに左右され、才能ある者にはある程度自由に扱えるが、それでも魔族の順然たる魔力の放射である魔法や、突き詰めた魔術にはその出力で劣る。
あくまで精霊に頼み、指示し、形作った物に、きまぐれさもある精霊へ魔力を渡して発言させる技術だからだ。
だからこそ、普通であれば魔族の『魔法』には対抗出来ない。それを模した原初の魔術にも対抗出来る訳がない。
「風よ吹き荒れろ…水よ穿て!」
ヴィーニャはそう、珍しく声を張り上げ、腰を落として前かがみに左拳を突き出し、
「『風圧拳』!」
とそう唱えると、ヴィーニャの拳から拳が産まれ、炎の大矢を中心から押し広げるように返し、さらには左拳を引き、一歩踏み出し右手に持つ杖を突き出した。
「『流水閃』!」
ヴィーニャの杖先から水が産まれ放射される。
炎の大矢は、風の拳で一瞬とはいえ切っ先を折られたかのようになり、そこに水の放射が被さり、
「収束!」
ヴィーニャの一言により、放射されていた水が一点となりその勢いが増す。そして炎の大矢の一点にのみに風穴を空けた。
炎の大矢に空けられた風穴を突き抜けて、水の一閃がリディを襲う。
リディは左手を伸ばし、手を広げ。
「『鱗』!」「『盾』!」と連続して詠唱すると、手の先に鱗状の半透明な盾が産まれ、水の一閃を防ぐが、一瞬で盾にヒビが走る。
リディはそれが分かっていたように右手で杖を振るい「『火蜥蜴』!」と吠える。
リディの詠唱に応えるように、半透明の鱗の盾は燃え上がり、水の一閃を蒸発させ掻き消した。
それと同時に炎の大矢に開けられた風穴はまるで炎の輪のように広がり、ヴィーニャを通り過ぎていく。
炎が通り過ぎると同時にヴィーニャは膝を付き、荒く息を吐いた。
リディの魔術はヴィーニャには当たってはいない。だが、一瞬とは言え、自分の周りの空気を燃やし尽くされ、低酸素状態となったからには、当然のことなのかもしれない。
対してリディは軽く自分のローブについた水滴を払い、笑みを浮かべる。
一瞬の攻防であったが、それを見ていた周りはさらにザワつく。
規格外の二人の戦いは誰がどう見ても異常なレベルでの戦いであった。
圧倒的な魔力量と出力で押すリディと、小手先とその繊細さで上手くいなすヴィーニャ。
力のリディ―
技のヴィーニャ―
周りにはそう映っているであろう。
奇しくも、その対比というのはリディと、彼女の師匠であるファレンと同じではある。
一応付け足すが、ヴィーニャは落ちこぼれのファレンとは違い、魔力量も一般人を遥かに凌駕している。だが、それすらもリディにとっては取るに足らない程度の差だ。
実際のところ、リディは出力を落とし、魔力の消費が膨大に増える無詠唱術式や短縮術式を連続して使用しているが、魔力量は未だに底は見えない上に、どの一撃もそこいらにいるような魔術師の使用する魔術とは比べ物にならない威力だ。
さらに付け足すと、リディはただ力で押している訳ではない。
魔力量で物を言わせて張り倒すという訳ではなく、繊細に魔力を調整し、指向性をしっかりと与え魔術を使用しているからこそ、ここまで大規模な魔術を連発しても息切れしていない。
実際、先ほど使用した『鱗』は変性の魔術の一つであり、魔力に剛性を持たせ鱗状の防具を作り出す魔術だ。本来ならば剣などの物理攻撃から致命傷を防ぐ手段として使わる野戦系統の魔術だが、主には全身を覆う魔術である。
リディは無駄な魔力を放出しない為に、左手の先に魔力の盾を産み出す、変性魔術『盾』と複合させると共に、防御を一点に集中させた。
しかし、それでもヴィーニャの水の精霊魔法が強力で防ぎきれなかったことから、中級の破壊魔術の『火蜥蜴』を使用した。
『火蜥蜴』は机上魔術と言われるようなものであり、魔力を燃料にし、物体を燃やし続ける魔術だ。
先に使用した『鱗』『盾』を起点の燃料として『火蜥蜴』で燃やすことで防ぐ…というような芸当は一介の魔術師では思いつきもしなければ、実践しよう等とも思わないだろう。
「おいおいおい!あいつ何もんだ!?」とギルドの団員が驚きの声をあげリディを指さす。
その隣でカホは二人を止めようと駆けだそうとするが、団員に制止され「お前もどっちか賭けろよ」と賭博に誘われる。
冒険者は最底辺労働者であり、無職とそう変わらない。ただ、ここはその最底辺労働者を雇用した最底辺の職場だというのを忘れてはならない。
「上級の中でも攻城魔術をたった一遍での短縮術式…どころか、中級魔術を無詠唱みたいに使ってるぞあいつ!」
「あれ攻城魔術だったのか!マジか…これは勝つる!」
「ヴィーニャも頑張ってるけどよぉ…ありゃ無理だな…オッズどれくらいだよ?15対2って所か?」
「俺は大穴狙いだ!いけー!ヴィーニャ!やっちまいな!この前俺を殴り倒したろ!やれぃ!やっちまえ!」
「いやいや、ありゃ勝てんって!俺はあの嬢ちゃんだな!」
「近づけたら、とか思ってたけど、今から取り消しって出来るか?」
「ダメに決まってんだろ。俺は今日は酒をたらふく飲んで、にへへ…あの巨乳ちゃんを買いにいくんだぁ…もう、ぽいんじゃなくて、どーん!だからな!」
「そりゃあ赤字だろ?あの子人気だからさぁ…だが、俺にぬかりはねぇ!ヴィーニャが勝てばお釣りが来るぜ!負ければ今日は…草でも喰ってやる!」
「女のあたしにゃ、異性を買う気持ちは分かんねぇけど、肉は喰いてぇ!だから、勝てよ、赤い方の嬢ちゃん!」
「お!結構集まってきたな!さぁ、どんどん賭けた!賭けた!」
…そうここは最底辺だ。モラルもクソもない、最低のゴミ共が集まる職場だ。
男女共にゴミしかいないのだ。でなければこんな職場辞めているだろう。それが賢さだ。
金周りがいい以外この職にいいところはない。
「クソが…」とヴィーニャがそんなギャラニリーに吐き捨てながらも体勢を整える。
リディはぶつぶつと、
「ふふ…相性の良い属性の術式を反対方向から撃って力の向きを反発させて…そこに本来なら遥かに劣る威力の反属性魔法で無効化、対消滅ですかぁ…。いや、撃ち負けた…ふふ…ふふふ!」
と肩を震わせ怒りながら悦んでいる。
「…それも…師匠の…ははは…対消滅理論かぁ…」
その答えを出すとともにリディは両手を広げる。
「素晴らしいです。魔力量は分かりませんが、あなたの技術、反応速度、その慧眼…実戦の中で培われたそれらは、素直に称賛しか出来ません。正直、並大抵のアークメイジを遥かに凌駕しています」
リディからの素直な誉め言葉にヴィーニャも微妙な心境になる。勿論顔にも出た。
「…ファレンに教えて貰ってなきゃ、弾けなかったよ…」
ヴィーニャがため息混じりにそう言うと、リディの笑顔が止まった。曇るではなく、文字通り時が止まったように、だ。
ヴィーニャに悪気はなかった。ただ、事実を言っただけだった。むしろ、彼女にしては考えて、ファレンを持ち上げることでリディの気を紛らわそうとすらした。
だが、ファレンを弟子として仰ぐが、マトモに師事して貰っていないリディにその言葉は地雷だった。
「…師匠…が…あなた、にぃ?」
リディが表情筋が壊れたかのように止まった笑顔で器用に口だけ動かす。
その不気味さに思わず周りも一瞬静まり返った。
ヴィーニャは深呼吸をするとともに帽子を深く被りなおす。特に意味はないのだが、リディには違って見えた。
言えないようなことを?と思ってしまった。
邪な考えを持って見た物は変質するのかもしれない。それか天才が故の発想だ。
リディは自分の顔を覆い隠すように手をあてながら、絞り出すような声をあげる。
「どうして…私には精霊魔法が…師匠のような、風の精霊が…水の精霊が…あ…ああ…あぁぁぁ…」
彼女がそう口に出し、それに気付いてしまう。
ヴィーニャの使用する精霊魔法が、自分が盲目的か狂信的に慕うファレンと同じ属性が得意ということに。
リディは紅蓮の魔術師とも呼ばれる通り、火や破壊の魔術を得意とする。むしろ主としては、それしか使えないレベルだ。
ただ、他の属性が使えない程に苦手という訳ではなく、使用する意味がないという意味での話だ。実際、変性魔術も一遍での詠唱で瞬時に発動させられ、それに破壊の魔術を組み合わせるという離れ技もやってのけている。
リディは天才だ。
使える魔術は200を超え、そのうち100は無詠唱で使用することが出来、さらには20以上のオリジナルの魔術を編み出し、そのどれもが『上級』魔術と認められるくらいには規格外だ。
だからこそ、たった13歳でアークメイジとなり、そのまま『宝石魔術師』に選ばれたのだから。
だがそれでも、火の反属性である水の魔術だけは話は別だ。
リディは水の魔術を全く使えない上に、他の属性に組み込んで使用することも出来ない。
本当に初歩的な物であれば、触媒を用意し、しっかりと詠唱し、増幅の為に魔法陣を多重に描けば、水滴を産み出す程度の魔術ならリディにも出来る。
苦手と分かっても、努力した結果そこに辿り着いた。
…だが、それだけなのだ。
それは師匠の魔術を模倣出来ない理由でもあり、リディにとってのコンプレックスそのものなのだ。
「ふふ…」
リディが吹き出すように笑う。
「ふはは!」
続いて目を見開き、口元を歪める。
「あーははっはっはっはっは!あはっは!あはははははは!」
哄笑すると共に、ローブから1本の瓶を取り出す。その瓶の中には赤い液体が入っており、それを左手の指先で持ち上げ天に掲げる。
「私なんか…。どうせ…私なんか…。どうせ…私なんかぁぁぁぁぁッ!」
絶叫と共に天に差し抜けた瓶を、指先に纏わせた魔力を瓶に伝導させて粉々に砕く。
割れたガラスが陽光を浴びて七色に光り、さらに中に入っていた液体が意思を持ったかのようにリディを避けて足元に零れ落ちる。
「いいよなぁ…あんたは…精霊魔法が使えて…。それに、何?師匠と同じ属性持ち?ふふ…あんたはいいよなぁ…どうせ…どうせ…私なんて…どうせ私なんてぇぇぇぇッ!」
地面に広がる赤い液体は、リディの声…絶叫に反応するように動き出した。
リディを中心に円を描き、一つの魔法陣を完成させると同時にリディが杖の先を持つ。そのまま、地面に描かれた魔法陣の中心を柄の部分で突き刺す。
魔法陣が反応し赤い液体から光が放たれ、そのまま幾重もの魔法陣が重なって地面に浮かび上がっていく。
「…消し飛ばしてやる!」
リディが叫ぶ。
その声にヴィーニャが目を剥いた。
何故彼女…リディがアークメイジなのか。
それは天性の才能と後天的な才能の融合から当然のことだった。
何故彼女が10人しかいないアークメイジの最高峰『宝石魔術師』なのか。
当然対抗馬はいた。
だが、その対抗馬と彼女を比べた時、若輩であることしか彼女に欠点はなかった。
それでも彼女はアークメイジとなり、『宝石魔術師』に選ばれた。
それは当然だった。
彼女は、たった一人で研鑽し、ファレンの残した魔術書とも言えない不確実な理論書を読み込んだ結果、とある魔術を1人で使えるようになった。いや、なってしまった。
さらに、本来なら1人で使う魔術ではないのに、その魔術を1人で即座に使う為のマジックアイテム『魔晶瓶』をも作り上げてしまった。
それまでの常識を塗り替える程の数々の功績と能力。
だから、誰もがリディを『年齢的に不適格』としか言えなかった。
それ程までに、リディは規格外であった。
リディの周りに炎が産まれ、爆炎が巻き起こる。
断続的に起こる爆炎をリディが身にまとい、彼女が杖を掲げると炎が一点に集中し始める。
「魂の灯よ!眠れし罪禍に火を付けよ!」
「燃やせ!燃やせ!全てを燃やし灰燼と帰せ!罪には罰を!敵には死を!命を灰に!」
「我が炎よ!命ずるは破壊!滅亡!終焉!力と死の象徴の我が炎よ!全てを無に帰せ!我が炎よ燃え上がれ!」
「神罰の代行!残酷の横行!地上を焼き払う蛮行!我が意思の元に罪を燃え上がらせよ!」
リディはたった1人で、単属性ではあるが『儀式魔法』が使えるのである。
大規模魔術と呼ばれる、対国破壊魔術であり、一国を文字通り消し飛ばす威力を持つ魔術だ。
『北方国』が『中央』や『聖王国』が意味嫌う魔族の技『魔法』を祖とする魔術の開発を推し進めながらも、例え国際会議で不遜な態度をとっても静観される。
その理由となる切り札だ。
詠唱には最低でも数日。使用する為の魔力は数十人。調整し暴発しない為にはさらに大勢。地点等の誘導にはさらに人数を必要とされる…文字通り国をあげての破壊魔術。
それは”魔族の魔法を超える為に編み出された魔術”だ。それが『儀式魔法』。
それをたった1人で、リディは使用出来る。
そして、それの応用すらも出来る。
―だからこそ、彼女は『宝石魔術師』に選ばれるべくして選ばれたのだ。
歴代最強の魔術師にするために、武力的な拮抗という名の服従を産む武器として、人間にして魔法使いを超えるべき存在として、いずれ『金剛石』の地位になるべくして、魔術の新たな夜明けを迎える為に彼女は選ばれたのだ。
炎がチリチリとヴィーニャの身を焦がす。
その顔には汗が浮かぶが、リディから発せられる炎の熱だけでなく、規格外の魔術に冷や汗が吹き出してた。
「…それ、危ないよ」
「知った事ですかぁぁぁぁぁッ!」
リディが叫び、その身からさらなる魔力が放出され、爆炎が包み込む。
可視化された気迫のような炎にヴィーニャは思わず身を引いた。
爆炎の向こうから杖が伸びる。その先にいる自分に、ヴィーニャがたじろぐ。
あまりの膨大な魔力に、生唾を飲むしか出来ず、手も膝も震えていた。
「私はあなた倒して、唯一で、無二で、私だけが、師匠の弟子になるッ!弟子は二人も要らない!私は、私が、私こそが師匠の弟子だ!貴様はここに、灰燼に帰せぇぇぇ!」
リディの杖が真っ直ぐに自分に向いているだけで、ヴィーニャは恐怖で動けなかった。
…そのはずだった。
思わずその視線がリディの遥か後方…観覧席へと向かう。
自分と同い年くらいの、癖っ毛のある白いローブを着た優しくて嫉妬するくらい可愛い少女と、鎧を着た太陽のような優しい笑顔をいつも向けてくれる男の子がいた。
二人は飛び出そうとしているけれど、他の団員に止められて、聞こえないけど何かを叫んでいた。
「ロイ…エンファ…」
その名を口に出した瞬間に、自然と手に力が入る。
爆炎の燃え盛る音よりも、自分の心臓の音が耳に響く。
頭にあの声が響いた。
『諦めるな。お前なら出来る』
その声と共に、精霊達の声がヴィーニャの耳を打つ。
ヴィーニャは歯を食いしばり、恐怖を嚙み殺すと共に杖を振り上げ、リディがしたのと同じように地面を刺し貫く。
「私が、皆を…守る!」
決心をした彼女の声にリディが目を剥く。
強い熱と光…『勇気』を湛えたヴィーニャの強い瞳が、リディを射る。
ヴィーニャは一度下を向き、息を吸い込むと同時に顔を上げ天に吠える。
「『聞けぇぇぇッ!』」
その声に誰もが動きを止めた。
ヴィーニャらしくない、なんて気にも止められない程の声量と強い声だった。
ヴィーニャは右手の杖を天に向け、左手を空気の渦を作るように回し始める。
「『我の声に応えよッ!命を司る水の精よ!この地に雨を降らせ!』、『自由なる風の精よッ!回せ!回せ!世界を回せッ!』」
ヴィーニャの詠唱に応えるように天からは雨が降り注ぎ、さらにはヴィーニャの前には大気の渦が産まれ始めた。
その詠唱にリディが怯み、顔を強張らせた。
「そ、それは…まさか!」
リディの動揺は一瞬だった。
「な!しま…」
しかし、それだけでも弾けてしまった魔力を、慌てて組み上げ直す。しかし膨大過ぎるが故にタガが外れた魔力が暴発しそうになると分かるや否や、自分から切り離し、自分の近くで爆発させていく。
「『示すは龍!象るは渦!我が友の力よ!ここに顕現せよッ!』」
「馬鹿な…お前は…お前が…お前だけはぁ!!」
ヴィーニャの詠唱にリディは怒りを露わにし叫んだ。
「完成せよ!友を守れ!我が友より伝えられし形を成せッ!」とヴィーニャが。
「これぞ罪の火!浄化を騙る、我が罪禍の炎!全てを滅せよ!」とリディが。
…吠えた。
最後の一遍の詠唱は同時だった。
それでも状況は違った。
片や、守る為に勇気を振り絞り、再現した偽物の上級魔術。それを騙った精霊魔法。
もう片や、国を滅ぼすための切り札でありながら、高速詠唱、簡易儀式、触媒の不足と、動揺が合わさってしまい不完全な最強の魔術。
「『風翼氷刃』!」
「消え失せろぉ!『罪火滅界』!」
二人がさらに同時に叫ぶ。
『風翼氷刃』は降らせた雨を、自ら起こした竜巻で巻きあげ、回転による冷却で氷とし、それをさらなる回転で砕き、竜巻で相手を文字通り動けなくして、切り刻むというファレン独自の魔術だ。
魔術師として才能がない彼が、上級魔術に対抗する為に編み出した、精霊魔法と魔術による複合魔術で、物理的な攻撃も同時にするという彼の趣味で産まれた術だ。
それに対して、『罪火滅界』は、一点に集めた魔力を燃料にして、上空に打ち上げ、目標地点にただ打ち下ろし焼き尽くすというシンプルな魔術だ。
これは、国が勝つために産まれ、研鑽され辿り着いた答えだ。
だが、今回は違う。
先の動揺から暴走した魔力を制御しきれず、リディは応用するしかなかった。
それは、基本通りにすれば自分の直上で暴発か、上空に打ち上がったとしても途中で爆散し、不特定多数の場所に着弾し被害を与える災禍となる…そう考えついたからこそだ。
だからこそ、リディは一部の魔力を切り離し、一部を爆散させ巨大な槍の形にして撃ち出した。
本来の威力の1000分の1にも満たないであろうが、それでもこのギルドを吹き飛ばせるだけの威力はある。
二つの力は…拮抗などしなかった。
炎の槍は一瞬だけ止まった…とはいえやすやすと氷を纏った竜巻を突破した。
出力も出生も桁が違う。リディという規格外と、ヴィーニャという秀才では目に見えて差が空き、またファレン独自と、北方国が研鑽しリディが作り上げたブランの秘術では文字通り桁が違う。
「くは!ふはは!その程度の力で私の…」
「…ファレンならどうすると思う?」
それは一瞬の出来事だった。リディは反応すら出来なかった。
ヴィーニャが杖を振り下ろす。
「『風の精霊よ…集まれ!押し潰せ!収縮せよ!』」
その一言で…竜巻が収縮し、一瞬でこの場を破壊するだけの力を持った一撃を文字通り掻き消した。
何が起こったのか、ヴィーニャ以外誰も分からなかった。
それでも、起こってからリディは気付いた。ただ起こったことしか気付けなかった。
「掻き消した…馬鹿な…何故…どうして…私の罪の炎が…何故、どうして、どうなって…?」
リディはへたりこみ、ただ目の前で起こったことを呆然と見つめていた。
そして、その内には、困惑と悔しさだけでなく、思い出と高揚感すらあった。
彼女が思い出していたのは、雪山で再開した、今や最愛の師匠との出会いだった。
炎の魔術が完全に発動出来ない程の吹雪の中、手足が冷え、口が上手く動かず、集中もままならない状況で雪鬼の群れに襲われてしまい、絶体絶命の状況であった。
そんな中、彼女が慕う師匠ファレンは、小さな水と風の魔術だけで小規模な雪崩を引き起こし、文字通り複数の雪鬼を谷底に叩き落として助けてくれた。
ただ、群れということもあり、生き残りがファレンに襲い掛かり、リディは慌てて『炎槍』を無詠唱で唱えた。しかし、師匠はこともなげに『炎槍』を風の魔術だけで掻き消し、雪鬼の顔に水の精霊で起こした水滴をかけるだけで視界を奪い、風の精霊で足元を掬って倒してしまった。
その腕前にリディは感動し聞いた。そして、ファレンは答えた。
『寒ければ水は凍るからな。瞼と眼球を張り付けてしまえば、例え雪鬼とて、何も出来んさ』
『この吹雪だ。雪鬼達も踏ん張っているだろうからな。風の精霊の力で普段とは違う風の流れを産めば足を簡単に掬えるのさ』
『ここで下手に炎の魔術を使うな。雪崩になるぞ』
『防寒は万全にしろ。手足が腐る。』
そう、リディは沢山のものを、学院では学べないものを教えられた。
日々の生活や環境に即した魔術の使用にはリディも深い関心を得て、知見を広げる大切さを学んだ。
そして、リディがファレンに『炎槍』を掻き消した方法を聞いた時に、彼は…
「「炎は空気がなければ燃えない…」」
リディとヴィーニャが同時にファレンからの教えを紡いだ。
本来なら…殻となる魔力が十全であれば搔き消せない一撃なのだ。
それでも、諦めなかったヴィーニャの底力が、動揺を誘い不完全な魔力の殻の一部を『風翼氷刃』で破壊し、槍の内部に無酸素状態を侵入させ、炎の槍を閉じ込めて無効化した。
それは、リディが師匠と敬愛する、ファレンのような手腕だった。
「師匠…」とリディは泣き出しそうな顔で力なく呟きながらも、体の底から既に使い切った魔力を必死にかき集めていた。
それでも彼女は負けられなった。
しかし、その顔に影が落ちた。
「私…近接も出来るんだよ」
そう言いながら、ヴィーニャが杖を振り下ろす。
リディは抵抗も出来ずに、こめかみの付近を殴打され横倒しに倒される。
立ち上がる様子はなかった。
ただ、力なく倒れ伏すリディを一度だけみてから、ヴィーニャが一度大きく息を吐き、両手を上にあげる。
「勝った…イエ~イ」
その一言で感情の洪水が起こった。
逃げ出した賢い者もいるが、目の前で起こっていることの危険さを理解できない馬鹿ども…もといヴィーニャとリディの対決を見守っていたギルドの者達は予想だにしなかった結果に湧き上がっていた。
中にはリディ側に賭けていたものの、あまりのジャイアントキリングに我のことように歓び手を叩く者もいた。
余談だが娼館に行くと言っていた者の、リディに賭けた方は頭を抱え、ヴィーニャに賭けた者は元締めに「は、早くくれ!急いでるんだ!俺があの娘を…じゃなくて、あの娘が俺を待ってるんだ!」とあまりの興奮さに周りも引いていた。しかし、彼にはそんな目も気にならないのか、金を受け取るや否や娼館へと全力疾走していった。
そんな馬鹿な話題で盛り上がっている中、ひときわ馬鹿なカホはただ安心して息を吐いていた。
事の張本人であるヴィーニャは…というと、興奮した様子もなく走っていく。
口元を緩ませながら、前から走ってくる大事な仲間である、
「ロイ~」
とその名前を呼んで。
ロイは全力で走ってヴィーニャの元へ行き、その肩を掴むと同時に「ヴィーニャ!大丈夫、怪我はない!?」と仲間の心配をした。
ヴィーニャは目を丸くし、紅潮した頬と、緩んだ口元を隠すようにとんがり帽子を脱いで顔を隠すようにして、
「…撫でて」
ロイに向けて頭を差し出した。
言われた本人であるロイは困惑しながらも、「へ?ああ、うん!」と間の抜けた声をあげながらヴィーニャの頭を撫でる。しかし、小手を着けていたからか、慌てて外して再度ヴィーニャの頭に手を置く。
「むふ~」と満足そうな声を漏らした。
その姿を遅れながらに来たエンファが見て、珍しく口を尖らせた。
「ロイ…私も…頑張ったよ…」
そう言いながらエンファでおずおずとロイの傍に寄り肩を寄せる。
「え?あ、うん!そ、そうだよね!エンファも本当にありがとう!やっぱり凄いよね、エンファの『奇跡』は!」
ロイが困惑しながらエンファを褒めるものの、当のエンファはそれが欲しかったのではなく頬を膨らませた。
「む~…!」
「え?ええ?な、何?え、何で怒ってるの?」
どうすればいいのか分からなさそうなロイに、ギルドの団員の1人でニヤニヤと三人を見つめ、「ロイ…頭を撫でてやれよ」と助言する。
「え?あ、はい!」といつも通り礼儀正しく返事をしたロイが両手の小手を外して二人の頭を撫でる。
「えへへ…私頑張ったよ!」とエンファ。
「うん!そうだね!本当にありがとう!エンファ」
「ロイ~、私も褒めて~」とヴィーニャ。
「え?あ、うん!ヴィーニャもお疲れ様!」
『幼き翼』たる三人のリーダー…ロイの顔には”これは、どういう状況?”とでも書いてあるようであった。
ロイが困惑している理由はいくつかある。
いつものヴィーニャは、二人にとっても少し距離あるが存在だからだ。
掴みどころがないものの、実力は折り紙付きなヴィーニャは、訓練も一緒にしないことが多く、時々緊急性の高い依頼に駆り出されることもある。
だがこれには、ヴィーニャにとってもロイもエンファのことも好きだから、遠慮して距離を取っているという理由もある。
ヴィーニャにとって、エンファは本当に可愛くて優しくて、ヤキモチを焼くほどの女の子で、ロイは明るくて優しくてずっと好きな相手だから、二人の仲を邪魔したくない…そう思って距離を取っている。
ワザとロイとエンファを二人きりにするというのも、ヴィーニャにとってはいつものことだ。
ロイが困惑していると、不意にヴィーニャが視線を泳がせた。
精霊の声を聞いたのだ。
ヴィーニャの目には精霊達が不安そうな表情を浮かべながらリディの方を指さしていた。
ヴィーニャはその指の先を見て目を丸くする。
火が起こった…。残り火のような火が、リディを燻らせるように産まれていた。
「まだ…」そう声が聞こえた。
リディは土を握りしめ、火に求めるように上半身を腕で押して立ち上がろうとする。
「…まだよ…」
火の粉が舞う。それと同時にリディは火に応えるように、上半身を立たせ、天を仰いだ。
「まだ私は…戦える…」
か細いが強い声だった。
火の粉がリディに集まり、リディの瞳が燃え立つような真紅の色へと変わる。
「…戦えるッ!」
リディはそう言い切り、立ち上がった。
それでも、ダメージも疲労も蓄積はされているようであり、フラフラとした足取りだ。
だが、異様なまでに目には力が籠り、彼女の言葉が正しいとは誰が見ても明らかだった。
「私は…師匠と…師匠に…師匠の為だけに…」
うわごとの様に呟きながら、腰から一本の短刀を引き抜くとヴィーニャに向けて駆け出した。
ヴィーニャはそれに気付くと同時にロイに撫でられてご機嫌のエンファの手を引いて、リディの元へと走った。
「っわ!」とエンファから声が漏れたが、リディには聞こえない。おそらくちゃんと見えてもいない。
リディが左手が短刀の刀身に触れると、そこから炎が吹き出し、光を放つ剣となった。
「『炎剣』!」
リディがそう叫ぶが、ようやく宿敵であるヴィーニャと…そしてエンファと目が合った。その瞬間、彼女が歯を食いしばって体にブレーキをかける。
剣はヴィーニャの首元へと迫っていたが、そこで止まった。
リディは荒い息を吐きながら、最後の力を振り絞り、短剣を投げ捨てその場にへたり込んだ。
その姿にヴィーニャは笑顔を見せると、へたり込んだリディに視線を合わせ。
「エンファ…お願い」と仲間に声をかけた。
エンファは戸惑いながらも、杖を構え、
「あ…うん!」
と承諾してから祝詞を紡ぎ始めた。
「天にましわす我らが神よ、願わくば御名の光の祝福を彼の者へ与えたまえ…ここに奇跡を、顕現せよ!回復!」
エンファが唱え終わると同時にリディに小さな光が産まれ、その光が彼女の体を癒す。それによってリディはようやく口を開き始めた。
それでも「どうして…」とそう呟くしか出来なかった。
その言葉はヴィーニャにも、自分にも言っていた。
リディは心が折れていた。
誰よりも努力したという自負があった。
誰よりも強いという確信もあった。
誰よりも今の立場に誇りがあった。
そして…
―負けたくなかった。
ただそれだけだった。
師匠は馬鹿にされていた。その馬鹿にしていた側にはリディもいた。
魔力量が歴代最低で入学したのに、小手先と詭弁だけで卒業し、『金剛石』に気に入られたことで教師の身分を手にした。
―卑しい凡人。
周りはファレンをそう言っていた。リディも言っていた。
そして、その不出来な師匠は禁忌に触れるだけでなく、数々の冒涜を行い続けていた。
最後には次期『紅榴』と目されていた、アークメイジから反逆罪を言い渡された。
その戦いはリディも見ていた。当事者の1人だったからだ。
正直、次期『紅榴』と呼ばれるだけはあって強く、今なら片手間に倒せた程度の相手ではあったが、当時はまだ未熟で入学したばかりの未熟なリディでは勝てない相手であった。
それでも、ファレンは常に有利に立ち回り、属性の相性の良さを上手く利用して勝利とは言えないが無力化だけはして逃げていってしまった。
その時は魔術の冒涜『無効化術式』を使っていたから…と彼女は思っていた。
結局は全てが『金剛石』の座を奪う為の陰謀であり、ファレンはクーデターの阻止に奔走していたと判明した。
それでも、今まで起こした蛮行からファレンは放校という形で落ち着いた。
だが、その後に出会ってしまった。
リディの存在をを快く思っていなかった『紅榴石』により、雪山での実地訓練を言い渡された先で、リディはファレンと再会してしまった。
助けて貰っただけでなく、実戦の中で培われた技術、ファレンの魔術に対する真摯さ、そこから産まれる知識の応酬。その全てがリディにとって求めていたものだった。
だから調べてしまった。
学院に帰ってからファレンの研究内容を―。
どれもが、新鮮で、斬新、革命的だった。それらはリディにとって、もっと学びたいと思える境地だった。
時には馬鹿みたいな研究内容や、ゴミみたいな研究結果もあり、中には『これは間違いだった』と書いてあった物もあり、時には思いっきり笑った。
―そして知ってしまった。
雪降るゴミ以下の生き方しか出来なかったリディを見つけてくれたのが、ファレンだったことと、『金剛石』に推薦してくれたのも彼だったということに。
「ファレン…師匠をちゃんと知りもしない人達に馬鹿にされたくない!馬鹿にされたくなかっただけなのに!」
リディは叫んでいた。
「…師匠は優しいし…誰よりも努力してた…私なんかより…ずっと…!ずっと!ずっと努力してた!」
ファレンを馬鹿にした者達を見返したい。
リディを育ててくれたもう1人の親…血も縁も繋がらない義理の父親として、リディはファレンを愛していた。
―だから、会いたかった。
私を馬鹿にしていた人達を、師匠から得た力で見返したと報告したかった。
お礼も言いたかった…。
褒めて欲しかった…。
また一緒に学びたかった…。
謝りたかった…。
たったそれだけだった。
それでも、リディは負けた。
学院にも通わない奔放な精霊魔法使いに。
弟子としても…敵わなかった。
「ファレンの弟子だから?」
不意にヴィーニャの声がリディの耳を打った。
リディはその言葉に自分を嗤う。
「ああ…そうね。あなたが…一番弟子…そうか…くっそ…ちくしょう…!」
「違うよ。ファレンは友達」
再度リディにヴィーニャの声が落ちてきた。
リディは目を見開き、ヴィーニャを見上げる。
そこには、優しく微笑んだヴィーニャがいた。
「私は…」と言いかけてつぐんでしまう。
負けたからか、誇れない…そんな邪魔な虚栄心のような物がリディの心に暗い影を落とす。
「違うの?」
ヴィーニャが再度聞いてくる。
―違う…訳がない。
リディは立ち上がり、ヴィーニャに詰め寄り。
「…あ…あぁ…そ、そうです!そうなんです!私…私が…私こそが!師匠の一番弟子です!私は師匠の…ファレンの弟子です!」
一気に言い訳のように言うと、すぐに気恥ずかしが産まれ、目じりには涙を浮かべ、頬は紅潮させてしまう。それでも視線は逸らさない。真っ直ぐに自分を打ち負かした素晴らしき精霊魔法使いを見据える。
そんなリディにヴィーニャは。
「うん…ファレンに似てる…」
そうとだけ言った。
リディは言葉を失い、心の暗雲が消えた。
そして、心のわだかまりが消えたが、「…ごめんなさい」としか言えず頭を下げた。
ヴィーニャは謝罪の理由も分からず首を傾げていると、
「ヴィーニャ!」
と彼女を呼ぶ男の声が聞こえてきた。
ヴィーニャは声だけで察したのだが、振り返ってすぐにその表情を曇らせる。
「げぇッ…団長…」
ヴィーニャに団長と呼ばれた男は、巨躯の男…このギルドにおいての最高責任者シグルドであった。
シグルドは笑顔でヴィーニャに近づき、とんがり帽子を押しつぶしながら、ニヤニヤと笑い。
「たまには、いい練習になったか?」
そう声を掛けた。
ヴィーニャは嫌そうな顔をしていたものの、目線を逸らすとリディと瞳が合った。
何か思う所でもあったのか、慌てた様子になりシグルドを見上げ。
「うん。あの子、凄く強い…冷静だったら勝てなかった。それに、あの子、本気じゃなかったよ…だから」
そんな珍しく言葉数が多いヴィーニャにシグルドはにやにやと笑みを溢す。
「はは!分かってるじゃねぇか!あの魔術師殿、本気で楽しそうだったぜ」
「怒りながら、楽しそうだった…最後も手加減してくれたよ。だから…」
そこまで言い、ヴィーニャは言葉に澱む。
本当に伝えたいのはその続きだが、気恥ずかしさと、怒られるかもしれないという恐怖が言葉を紡ぐことをさせてくないのだろう。
シグルドは軽く笑い、少しの間ヴィーニャを見つめていたが。
「分かってるって。だから怒ってないだろ?」
そう告げた。
ヴィーニャもその言葉に顔を明るくし、「うん!」と大きく頷く。
シグルドはリディに視線を送ると、笑顔を向け。
「その腕前だ。高速詠唱じゃなくて、準備もした上で本気なら、このギルド全体が吹き飛んでただろうな!」
シグルドの言葉にリディは少し微妙な面持ちになる。
理由は単純で、先ほどの一撃でもこのギルドを吹き飛ばせるだけの威力があった上に、シグルドが言うような条件であればこの区画は焼野原になっていたからだ。
さらに、もう一つ言えば入念な準備があれば、リディならば単独でアルトヘイムの半分を焦土に変える事も可能だ。
シグルドは中央国出身ということもあり魔術には疎い。それが如実に出たというだけの話なのだが。
「リリアが帰ってくる前に片付けようか」
シグルドはそう笑いかけ、賭博をしていた不敬な者達にも大声で声を掛けた。
ついでだが、リリアは本日、王宮に招集を受けている。
理由は先日のフェアリーイーターの件の報告書の聞き取りと、今までの功労から彼女に何らかの賞与が与えられるとの話だ。
彼女がいればこのような事態にはなっていない…とは容易に想像可能だが、このような結果にもならなかったであろうことは明白だ。
やはり、このギルドには奔放なシグルドと、堅実なリリアは欠かせないのだろう。
騒ぎを起こした張本人達というのは酷だが、リディは真面目に片づけをしながら、申し訳なさそうにギルド員達に謝罪行脚をし、ヴィーニャはだるそうに精霊魔法を使って楽をしていた。
だが、最底辺の馬鹿しかいないからこそ、誰も深く考えてはないなった。
中には「あんたに賭けてたのに、絶対勝てるって思ってた」と不平こそ言うも、リディの腕前については「あんたがいれば、魔物なんて怖くねぇな!」と称賛する者ばかりであった。
それはリディにとって新鮮なものであった。
手放しに褒めてくれるという、一種の温かみは彼女にもしっかりと届いていた。
学院はよくも悪くも階級制であり、上を目指すが故に周りを蹴落とし、罵倒するというのが常だった。
ここは最底辺。クズ底のゴミ捨て場だ。
下しかいないから上もない。賢い者が少ないから、馬鹿しかいない。
上を目指す者なんて一握りで、自分が楽しく楽に稼げることしか考えていない。
そういったコミュニティの一種の斬新さは…リディにとって温かみを思い出させてくれる。
それは産まれ育った、北方国のスラムでの暮らしだ。
誰もが生きる為に必死なのに、残飯を自分より弱い物に残し、皆が生きるためのバトンを繋いでいた。それが、例え繋がることはなくても、誰もがそうやって生きていた。
それに、焼かれてしまった…安宿という名の娼館のこともだ。
始めて人の優しさに触れ、温かさに触れさせてくれた。
当時はそれが優しさや温かさとすら感じられなかったが、彼女達から受け継いだバトンによって、今のリディはそれらを理解出来ている。
リディは見知らぬ者達からも優しさと温かさを受けていたのを、今でも覚えている。
それが故に巻き込まなかった。巻き込まないように努力した。
緒戦ではカホを、続いては周りにいた冒険者達を、攻城魔術を使用しながらも周りに被害を出さないように途中で掻き消し、最後はエンファに気付き剣を止めた。
それを口に出せないのは自分の過ちに気付いているからだ。
手加減はするつもりだったとは言え、怒りに任せて唱えた儀式魔法は、ヴィーニャが止めてくれなければ間違いなく周りに被害を与えた。
その至らなさは噛み締めていた。
「そうだ。魔術師殿、今日は飯くらい喰ってけよ。何がいい?」
不意に童貞顔の冒険者がリディにそう尋ねる。
リディは一瞬言葉に詰まったものの、すぐに顔を上げて答えた。
「あの!その!えっとですね!し、シチューが食べたいです!」
リディの答えに、童貞顔の冒険者は思わず頬を紅潮させ、「お、奢ってやんよん!」と女性経験の無さを露呈させた上に、恰好悪さだけを際立たせた。
だからモテないんだよ、と周りが彼を囃し立て、彼も「う、うるせぇ!俺だって、今度こそカサリア嬢をひぃひぃ言わせてやんだんよ!」と言い返していた。
どうでもいいが、カサリアとは別嬪で手練手管の神とさえ呼ばれる、高級娼館の中でも有名な女性だ。
目を空ければ美貌と性欲を司るヴィーネ神の如き肢体、目を閉じればリーバ神の玉座…とも言われる程の美貌と、何がとは割愛するが技術を持っている人気の嬢だ。
さらに、どうでもいいがこの童貞顔の冒険者は童貞であり、いずれカサリア嬢と一晩過ごすと息まいている。実際それだけの貯蓄を作ってはいるが、意気地なしの為に未だ童貞である。
リディは耳慣れた言葉だったこともあり「何の話ですか?」と知らないフリをして、童貞顔の冒険者の顔を見上げて見せる。
彼は顔どころか耳まで真っ赤にし。
「あぁん!ダメです!ダメなんですぅ!お、俺の純潔はカサリア嬢に捧げるって決めてるのぉ!見つめちゃ嫌なのですぅ!んあー!」
そんな彼を周りは茶化し、思わず参加したリディもクスクスと小さく笑って、最底辺に生きる者の交流を楽しんでいた。
実際のところ、リディにはこういう場所の方が合っているのかもしれない。
造花のような美しく、人の為に向く花ではなく、野に咲いた一輪の花の様に、無骨に、ただ強く天を目指す花なのだろう。
美しさよりもただ強く咲く、それが『リディ・ブラン』という人となりだ。
賑やかな片付けが終わり、酒盛りが始まった受付。
リディの歓迎会となっているらしく、金がない底辺労働者である冒険者達が、適当に金を出し合って開いたらしい。
因みにだが、基本的に賢くない奴ばかりだから、リディを未だに新人だと思っている者もいる。だから開かれているのだが、根本的に間違っている。
勿論それを知っているシグルドだったが、放っておいた。
シグルドは参加していない。
その場所とは離れたギルド長の部屋でシグルドは珍しく書類を自分で書いて、自分で決済していた。彼も飲み会好きで、セフィラという蟒蛇には負けるが大酒飲みだ。
それでも仕事をしている理由はリディを特別扱いする為だ。
リディは外に宿をとるとは言っていたが、シグルドは引き留めギルドの部屋をあてがうことに決めた。
ただ、名前を聞いてさすがに愕然とした。
リディ・ブラン…北方国の名を冠するとは、さすがにシグルドも思いもしなかった。
本来なら国賓として『金翼』や王宮に連れて行くべきなのだろうが、そうしないのはリディがカホと共に動きたいと言っていたのと、珍しくヴィーニャがやる気を出したから、というのが理由だ。
ましてや、街中でも人攫いが出るような治安状態で、もしリディに人攫い達が手を出せば…
「人攫いが消し炭になるな…」とシグルドは一人ごちる。
面倒事を抱え込むことになってまでリディを手元に置くメリットはあまりない。それでも、シグルドは割とリディのことが気に入っていた。
噂は聞いていた。だが、お嬢様かと思っていたら、やんちゃなところもあり、底辺労働者の馬鹿達である冒険者を見下したりもしない。
真面目だが、好奇心旺盛で懐が深い。また魔術へ並々ならぬ情熱を注いでいる。
それがシグルドから見たリディの印象であった。
何かに一生懸命になる人間がシグルドは好きだ。だから、余計に気に入ってしまった。
シグルドが書類を書いていると、不意に廊下の向こうから慌てたような足音が聞こえてきた。時折カチャカチャという鎧が揺れる音もしている。
それだけで、シグルドは誰が帰ってきたのかを察した。
「シグ!」と言いながら、扉が乱暴に開かれる。
扉の先には金髪の女性がいた。鎧を着て、そのフラットなチェストを隠している副団長のリリアだ。
シグルドは「なんだぁ?」とひょうきんな声を出す。
リリアはやや興奮した様子で、シグルドへ詰め寄る。
「ブランからの客人が来ていると聞いたが…アークメイジだとは聞いていないぞ!」
「おお、悪い、悪い。どうした?」と詰め寄られたシグルドは少しバツが悪そうに答える。
リリアは笑顔で握りこぶしを作りながら、
「ヴィーニャに練習を付けて貰おうと思っている!噂のアークメイジであればヴィーニャに新たな閃きがあるかもしれない!それにギルドで魔術を使える者は殆どいないからな。ファレン殿もアルベルト殿も旅に出てしまったようだし、ヴィーニャも退屈していただろうし!」
リリアの熱弁にしグルドは面を喰らったが、すぐに笑顔を浮かべた。
リリアにとって、初めてどころか唯一推薦したヴィーニャには、余程の思い入れがあるのだろう。
また、緊急の要件の際には、リリアは他の団員を差し置いて、真っ先に選出するのはいつだってヴィーニャだ。それだけリリアはヴィーニャに期待し信頼している。
「ところで、引き受けてくれそうな方か?」とリリアがシグルドに間髪を入れずに尋ねる。
シグルドはヘラヘラと笑いながら。
「そりゃ勿論。年か…まぁ、見た目が一緒くらいだしな。気が合うんだろ。仲良さそうにしてるぜ」
「よし!では早速!」とリリアが駆け出しそうになるのを、シグルドは慌てて引き留める。
「今日は勘弁してやってくれ。長旅で疲れているだろうしな」
シグルドの言葉に、物分かりがよく分別がつくリリアは自分の非常識さを悔いながら。
「むぅ…それもそうだな。」
そう溢した。
それからは、何のことはない。
今日のヴィーニャの様子を真っ先に聞き始め、次いではロイとエンファの様子も心配そうにシグルドへと尋ね始めた。
リリアにとって『幼き翼』はどういう経緯で入団したとあれ、大切な存在というのは変わらないのだろう。
―その日の夜。
深夜。不意に目が覚めたヴィーニャは窓の外を見つめた。
リディと出会い、本当に殺されると思った恐怖がまだ残っていた。
だが、それでも彼女が一番恐れていたのは…ロイとエンファを守れなかったかもしれない…という恐怖だった。
無我夢中だった。
最終的にファレンの技を使い皆を守ることが出来たが、どうすればいいか…そう考えて始めに思い出したのは、彼女の義父の顔だった。
『諦めるな。お前なら出来る』
精霊魔法が上手く使えず、精霊に遊ばれるだけ遊ばれて、落ち込んでいたのを励ましてくれた言葉。
あの時…その言葉が彼女に勇気をくれた。
ヴィーニャは思い出に触れるように目を閉じ、胸に手を当て思い出を反芻する。
『鼻…』とヴィーニャが言って、人間とは思えない程に突き出し鼻のことを聞くと、いつも苦い顔をしながら笑顔を見せてくれた。
『お前の鼻は低いな』と笑いながら返して、いつも鼻の頭をツンと軽く押してくれた。
ヴィーニャにとって優しいお義父さんだった。
その笑顔を彼女は今でも覚えている。
拾われたヴィーニャに名前はなかった。
だから、彼女の義父が”ヴィーネ神のように整った顔立ちとなるように”という意味で、幼きヴィーネ神を意味する『ヴィーニャ』と名付けてくれた。
彼女がこの名前を捨てることは一生ないだろう。
だから思い出す。
その顔が故に迫害されていた姿も…
旅先で疲れたら、おんぶしてくれた事も…
精霊魔法の使い方や、精霊へのお願いの仕方も…
戦い方や危険な魔物から逃げる術も…
あまり上手じゃないけど、二人で食べた温かい美味しかったご飯も…
いつも背中を流してくれたことも…
馬や商品を盗まれて一緒に途方に暮れていたことも…
一文無しで草原で二人で寝ころんで空を見上げて眠ったことも…
ヴィーニャは全部覚えている。忘れられない。忘れることなんてありえない。
それだけ、ヴィーニャにとって義父は忘れられない人だった。
『お前も一人前だ』と言って、精霊魔法を使えるようになった時にプレゼントして貰ったとんがり帽子は今も被っている。
『こんなのが欲しいのか?』と言って、彼が使っていた故郷の霊樹から切り出された杖は今も大切にしている。
『お前も寒いだろ?』と言って、無理して買ってくれた新しいローブは、丈を直して未だに着ている。
そんな彼が、自分を守ってくれたことを、ヴィーニャは大切に覚えている。
自分が死ぬかもしれない…そんな状況でも…
『ヴィーニャ!お前は逃げろ!』
そう言って、ホブゴブリンとゴブリンの群れと戦いながら、守ってくれていた大きな背中は、今もヴィーニャが目指すものだ。
『お前は…俺がを守る!』その声に勇気を貰った。
「お義父さん…」そう呟く。
手元にあるのは形見の品のように感じてしまう。
あれから、一度たりと彼はアルトヘイムへ訪れていない。
危険な魔物が多数住む西側では、旅人が不意の戦闘で魔物であれ、盗人であれに命を奪われる、というのは日常茶飯事だ。
生きている可能性の方が低い…というのはヴィーニャも理解している。
それでも…と願ってしまう。
隣で寝息をたてているエンファを起こさないようしながら、ヴィーニャは自分の文机に向かう。
引き出しを開け、最後の一枚である魔力感紙を手に取り胸に抱く。
―これが届かなかったら諦めよう
そう思いながら、今まで10通以上送った手紙を思い出す。
どれもこれも、きっと届かなかったのだと思う。
始めはギルドに入ったこと…
ロイやエンファと仲良くなったこと…
大人がお酒を飲まそうとしてきて、副団長が怒ったこと…
氷で滑って水たまりに落ちて風邪を引いたこと…
お義父さんが無事か心配ということ…
他にも色々書いたが、どの返事も帰ってくることはなかった。
野となり土となった場所に降り立ったであろう手紙を思うと、その胸が締め付けられる。
ヴィーニャは月明りを頼りに最後の手紙に…
―さようなら
そう書き始めをした。
そのまま中身をどうするか…そう考えていると、急に手元が暗くなった。
影で手元が見えなくなったので、エンファを起こしてしまったのかと思い顔をあげる。
しかし、影はなくなり代わりに手元に微かに何かが触れた。
少し汚いが鳥の形をした紙だった…。
ヴィーニャは一瞬目を疑い、自分の書き始めたばかりの手紙を見つめる。
そこには確かに”さようなら”と書き始めた紙がまだあった。
急いで鳥の形をした紙に触れるとそれが開き、中から見おぼえるある字が見えた。
そこには、ヴィーニャの文字があった。
「え?」とヴィーニャは言葉を失うと共に肩を落とす。
自分の書いた手紙が返ってきてしまった…というそれだけだった。
悔しかった。
返ってきた手紙を握り潰してしまおうとして、それでもロイやエンファの名前を見るだけで力が抜けた。
手紙を書く気も失せ、届いた手紙を折りたたんで仕舞おうとすると、不意に裏面の汚れが目に入った。
汚いが、それは文字に見えた。
目を凝らすとそこに『ヴィーニャ』と書いてあると気付き、手紙をひっくり返し、ヴィーニャは目を丸くした。
―元気そうだな。名前くらい書けよ。ヴィーニャ ゴブリン顔アストン
たったそれだけだった。
汚い字だった。きっと何かの植物をすりつぶして無理矢理書いたのだと思う。
それでも、ただそれだけで胸が熱くなり、目頭が熱を持つ。息も荒れた。
嗚咽に似た声が漏れ出る。
その声にエンファが驚き目を覚まし、泣いているヴィーニャを認めるとすぐに駆け寄った。
「大丈夫?ヴィーニャちゃん…」
その優しい響きにヴィーニャは思わずその胸に顔を埋め。
「生きてた…生きてた!良かったぁ…良かった!お義父さん!」
そうただ繰り返した。
そんならしくないヴィーニャの一面を知ったエンファは、優しくヴィーニャを抱きしめ続け、ヴィーニャが泣き止むのをただ待った。
その後、ヴィーニャは泣き腫らした笑顔でエンファに見守られながら”さようなら”の文字をバツ印で消し。
―返事ありがとう。今度からも返信下さい。私は元気です。 ヴィーニャ
と、彼女の義父を真似た短い文章と、教えて貰ったことを早速実践した手紙を書き、紙の端に触れる。
手紙はすぐに鳥の形となり、それを胸に抱いてヴィーニャが窓辺へと行く。
ヴィーニャはエンファに見守られながら、祝福の月に向かって、大事な手紙を空へと浮かべた。
浮かべられた手紙は風に乗り、月光を背に自ら羽ばたく。
その小さな羽は、確かな強さで羽ばたき、彼女の大切な人の元へ向かう。
その思いを伝える為に、確かな強い意思を持って。
どうでもいいですが、ヴィーニャという名前、あずきって意味です。
幼き翼の3人は、ロイ、イセリア、アズ(※ヅ)キという、名前で韻を踏めば忘れにくいだろうと思っていました。
しかし、アズキはしっくりこない…等と思って、第一案として、着物姿で極東出身にしようと考えたのですが、義理の父親が海を越えて旅をした上で西側のアルトヘイムまで来ているという変な設定になったので練り直すのが面倒になり、第二案として改名を考えたのですが…アーラシュ、アイオーン、アレイアードと色々考えて、どれもしっくり来ないので、韻を踏むのを辞めてアズキの学名Vignaからヴィーニャにしました。
まぁ、名前の由来忘れて、登場前に『何かロシア系っぽい響きだし』とか思って青色系統で風と水の精霊魔法使いになってしまいましたが。
そして、プロトタイプのヴィーニャの見た目は現在の覚醒した時のリディです。
プロトタイプの能力は炎と風の精霊魔法使いで、炎の使い手らしくない掴みどころがないという、キャラ付けをしたかったのですが、全ては無駄だったのだ。
私の脳は悲劇なのだろうか?
今回敵として登場したリディの戦闘能力についてですが、本来ならヴィーニャでは勝てません。
ヴィーニャが「近接も出来る」と言ってましたが、近接でもリディの方が強いです。
デバフ(師匠の話題)にデバフ(師匠の話題)を重ねた上で、発狂×3くらいして、ようやく倒せるようになってくれましたが、基本的にはヴィーニャ基準で言うとリディは5倍くらい強いです。
ただ、あくまで基本性能なので実戦でのスキルに磨きがかかったヴィーニャとの相性はやっぱり悪いのですが。
…ヴィーニャが強化型ファレンになっているのは気にしないで下さい。




