表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
54/73

第五十一話『旅する魔術師』

第五十一話『旅する魔術師』


 古き城壁の国、アルトヘイムと中央国の国境付近にある、大した産業もない寂れた村『シノの村』。

 その村の一角に1人の少女が住んでいる。

 名前はマリア。ようやく10歳になった少女であり、薬師であった母親と二人で暮らしていたものの、今はその母は空から彼女を見守る存在となっている。

 二桁の年とは言っても、あどけない表情に、細い手足。

 同年代の少女と比べても背は低いが、金糸よりもきめ細かく滑らかな長い髪や、大きくクリっとした碧眼に、珠のように滑らかではあるものの、日頃の生活からか健康的な色の肌。

 彼女のその容姿は大人ですら、一瞬は目を奪われる程整っている。

 だが、どこまでいっても、マリアは子供そのものだ。

 何がとはここでは語らないが、彼女を”女”として見るのは余程の幼児への愛好者だけ、だろう。

 ただの、”やけに可愛らしい村人”というのが、彼女への第一印象に最も相応しいのかもしれない。

 マリアは5日程前に届いた手紙を胸に抱き、頬を緩めると、浮足立ったように飛び跳ねる。

 それを何度か繰り返しては、手紙を何度も読み返していた。

 勿論だが、こんな村に住む彼女に学などない。

 聡い子ではあるが、学んだ事がないことから、識字や発声、知識については、この世界にある大国であり規範を作り上げている中央国に住む少年少女達と比べれば、マリアはお世辞にも年相応とは言い難い。

 中央国の少年少女達と比べて発達している部分を無理でもあげるのであれば、野良仕事で培われた体力と、彼女の類稀なる才能程度だろう。

 だがそれでもマリアは聡い少女だ。

 届いた手紙…。

 それは、彼女が、彼女の亡き母親へ向ける程の愛を受ける”カホ”からの手紙だ。

 文字も碌に書けず、読めない彼女だったが、”カホ”へ思いを伝える為に文字を覚え、そして返ってきた手紙の内容は、このような村にいながらも識字が出来る若い女性の村人、フローリアに読んで貰い一字一句をマリアは覚えている。

 読み返しながら、文字を覚え、内容を噛み締め、嬉しそうにしている姿には村の誰もが微笑みを溢した。

 ”カホ”が村に留まらず旅に出ると決めた後も、マリアはいつも通り元気ではあった。

 それでも、本当に彼女と一緒にいたいと願っていた。

 その願いが叶わず、本心は落ち込んではいたのだ。

 だから、必至に自分の出来ることをし続け、没頭していた。

 それも限界が来ていたところに届いた、この手紙がどれ程彼女の心を癒したのかは計り知れない。

 マリアが何十回と読み込んだ手紙をそっと箪笥に仕舞い、そのまま浮かれた様子で棚に飾ってあるポーションの元へと行く。

 彼女の稚拙な腕前で瓶に絵が描かれており、辛うじて笑顔の女性が描かれているのが分かる瓶の中には、失われた技術の一つである”エクスポーション”が入っている。

 この時代では誰も作ることが出来ないという事実を塗り替えた…等とマリアは知る由もなく、ただ自分の描いた、赤い髪を持つ愛しい人の絵をマリアは優しく撫でた。

「カホお姉ちゃん…」

 そう言った後の言葉をマリアは飲み込んでしまう。

 手紙が欲しい…そう言ったら、本当に送ってくれた。

 じゃあ、もっと我儘を言ったら…なんて、子供心に思ってしまうが、それを飲み込める位には彼女は女性として、大人の一員として成長していた。

 不意に怒号が村の中に響き渡る。

 低く、野太い声…それに続いて犬の甲高い悲鳴が続く。

 マリアが顔を上げると、その声の持ち主がマリアの家の入口に転がり込んできた。

 マリアはソレを見て、息を詰まらせた。

 野犬というよりは、細く狼の頭部に似た顔。

 それを持っていながらも、体は毛に覆われ、人間のように胸筋が発達した魔物…。

 その魔物は簡素ながらも鎧を付けており、手には小さな剣を持っている。

 魔物は本来なら後ろ足であろう部分で器用に二足歩行で立ちあがり、怯えて凍り付いているマリアを見下ろす。

 コボルト―だ。

 マリアがそんな魔物の名前を知る由もないが、ただその表情は恐怖に引きつっていた。

 コボルトは口の端から涎を流しており、それがその魔物の飢餓状態を現わしている。

 また成熟したコボルトが人間の子供を好んで食する等…この村の者たちは知らない。

 マリアは赤いポーションを胸に抱いてへたり込んでしまう。声も出せず、何も出来ないままコボルトに足を掴まれた。

 コボルトは知能は低いが、魔物の中では賢い方だ。

 コボルトの狩りは、街道等で強襲することが多いが、村に潜入した時には最低限の食料を確保する為に、敵と戦う雌組と、得物を攫う雄組に別れる。

「あ…いや…!」

 マリアが足を振り、コボルトの手を振り払おうとすると、コボルトは慣れたようにマリアを片手で逆さ吊りにする。

 それだけで、人間の幼体の動きが弱ることを知っている。

「たすけ…!」とマリアがようやく口を開いた時にはその小さな体に牙を立てた。

 首元…喉を狙い、得物をなるべく新鮮なまま持ち帰ろうとするのも、この魔物の習性である。

 食物連鎖を考えれば幸いというべきではないが、その牙はマリアの体には当たらなかった。牙はマリアの服を引きちぎったものの、その幼い体には触れることはなかった。

 マリアが恐る恐る目を開けると、いつの間にか誰かに抱きかかえられていた。

 誰?と彼女が思っている間に、その女性はゆっくりとマリアの瞳に手を当てた。

 視界がなくなるか、なくならないか…そんな刹那に、その女性に、赤い髪が揺れる姿が重なって見えた。

 浮遊感がなくなり、マリアが目を開けると村の入口の方へ走っていく男性が見えた。

「ウェン!早いワンコな奴がいる!気を付けろ!」と言いながら、鉈を持った、目が細く、小柄な男性ラッシュだった。

「コボルトだ!覚えろ馬鹿が!」と浅黒い肌に大柄で長身の男性、ダンカンさんも斧を担いで続いていった。

「ひでーよ!ダンカン!」

 とまるで鳴き声のようにラッシュの声が遠ざかって行ったが、すぐにラッシュがマリアの家の前へ戻ってくる。

「マリア!?お前、大丈夫か!?」

 慌てた様子で声を掛けられたマリアは首を傾げるが、自分の胸元が涼しいことに気付き、視線を落として慌てて腕で隠した。

 そして、そのままラッシュの元へと駆け寄り、先ほどまでいたはずの魔物を探す。

 しかし、コボルトは影も形もなかった。

 ラッシュは得心が得ない様子ではあったものの、小汚いシャツを脱ぎマリアへと手渡す。

 マリアはおずおずとラッシュから受け取りはしたものの、朝から農作業をしていたのか、べたべた感と臭いに顔を顰める。

 ラッシュはそんなマリアに苦笑いを浮かべながらも、

「皆、避難してるから、ウェンの家で大人しく待ってろよ!」

 ラッシュはそう言ってから、マリアの頭を軽く撫で、村の入口の方へと駆け出した。

 マリアはラッシュから受け取った服で、膨らみなんてないが、胸の部分を隠しながらこの町の村長に近い存在の男性…ウェンの家へと走り出した。

 マリアは慌てた様子でウェンの家へ向かうが、途中でコボルトが村の東側の柵を飛び越え、再度マリアに強襲しようとする。

 マリアは反応すら出来なかったが、すぐに犬のような甲高い悲鳴が響いた。

 マリアはその悲鳴でようやくコボルトに気付いたものの、振り返った彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 精悍な顔つきで、体全体で見れば細身なものの、シャツから覗く腕にはしっかりと筋肉がついた男性が鋤を手に立っていた。ウェンだ。

 マリアが「ウェンおじさん!」と嬉しそうに声を上げると同時にウェンは鋤を振り上げ、頭上で一回転させると共に踏み込み、鋭い突きを放つ。

 鋤の刃がマリアのすぐ横を通り過ぎると同時に、鮮血と悲鳴が生まれた。

 ウェンの鋤はマリアを攫おうとしていたであろう、別のコボルトの顎を貫き、吹き飛ばしていた。

 マリアはすぐ横を刃物が通っても怖くはなかった。

 母親が亡くなってから、マリアにとって一番身近にいて、ずっと守ってくれたのが彼だからだ。

 ウェンは鋤を構え直し、マリアに微笑みかけると、

「マリアちゃん、もう大丈夫だよ。後は俺に任せてくれ」

 そう言いながら、村の入口の方へ視線を向ける。

 その視線の先をマリアは見ることなく、ウェンに背中を押されて彼の家へと入っていった。

 ウェンが見つめていたものは、状況だった。

 ラッシュ、ダンカンが即座に反応して応戦しているものの、状況は劣勢としか言いようがなかった。

 奇襲を受け、見張りの1人が重傷を負い、たまたま報告を受けたラッシュが奴隷商から引き取った子供達を攫おうとしていたコボルト2体を撃退してくれた。

 今はまだ問題ないが、総数が分からない。

 ウェンは大きく息を吸ってから、声を張り上げる。

「女子供は家に隠れて戸と窓を閉めるんだ!ラッシュ、ダンカン、牽制して時間を稼ぐぞ!退避が済むまで村に近づけるな!」

 彼の檄にも似た声に、ラッシュはすぐに頷き、「了解だぜ!」と言いながら、コボルトが用意してきたであろうイノシシの魔物ボアの突進を軽く躱すと共に、片足を鉈で斬り飛ばす。

 ダンカンは片手を振り上げてウェンの指揮に応え、踏みつけていたコボルトの頭蓋をそのまま踏み砕いた。

 ウェンは鋤を構え、飛び出してくるコボルトを撃ち落し、切り払い、自分が指揮したように村人達の避難を援護する。

 それが終わりを告げる合図は、彼の妻である剛毅な中年の女性、カミラの声だった。

「こっちは終わったよ!やっちまいな、バカ旦那!」

 その声と共に、ウェンは指を口に含んで指笛を吹く。

 甲高い音と共に、ラッシュとダンカンが村の入口からウェンの元へと駆け出す。

 二人が引いたのを見てか、コボルトが一気に村の中へなだれ込んでくる。

 ウェンは敵の数を見据える。

 ざっと見て、コボルトが6と、ボアが2。

 今まで彼らが倒した数から考えれば、10以上の中規模な群れだ。普通の村なら一たまりもない。

 ウェン達が並んで3人立ち、迎え撃つ…まさにその瞬間だった。

 村の東の山から鳥が飛び立った。

 ウェンはその音に真っ先に気付いた。そして、逡巡する間もなく、入口から迫ってきていたコボルトのうち、2匹の背中が爆ぜ吹きとんだ。

 何が起こったのか分からない…それはウェン達もコボルト達も同じだった。

「炎の矢…?」と唯一、飛来したものを目で捉えていたラッシュがそう溢す。

 コボルトが爆ぜた爆風を、風で吹き飛ばしながら、

「苦戦しているよう…ではないな。」

 そう言い、コボルトの集団の後ろから、1人の青い外套に身を包んだ、長身痩躯で面長な男が現れた。

 男はゆったりとした足取りで、仲間を吹き飛ばされ驚いているコボルトの間を悠々と歩く。

 途中、彼に攻撃しようとしたコボルトもいたが、男が指を向け、何かを弾くような動作をしたかと思うと、見事にコボルトの体は吹き飛び近くの柵に打ち付けられた。

 魔術師らしき男はウェンの元へと行くと、「手伝おうか?」とウェンに提案した。

 ウェンが小さく頷くと、魔術師らしき男も口元を緩め、コボルトの方へと向き直った。

 ラッシュは、魔術師らしき男に、「今のは…ファイアボルトか?」と彼なりの経験で尋ねた。

 魔術師らしき男は肩を竦めると、

「いや、初級魔術のファイアボルトではない。中級魔術のファイアランスだ」

 その答えに、ラッシュは素直に「そうか」と答える。しかし、ラッシュの相棒であるダンカンが「…威力が低く見えたが…」と魔術師らしき男に尋ねると、彼は得意げに笑い。

「あぁ、俺は器用ではあるが、魔力が少なくてな。大抵の魔術は模倣は出来るが、形だけだ。それに火の魔術は他と比べても苦手でな、あれが限界だ」

 あっけらかんとした態度に、ラッシュだけでなく、ウェンとダンカンも笑みを溢した。

「変わった魔術師殿だな」

 ウェンが呆れ半分、心強さ半分で返すと、魔術師らしき男は茶目っ気でも見せようとしたのかウインクと共に。

「私は、旅の魔術師のファレンだ。手を貸そうとは、過ぎた言い方だが、報酬として泊めてくれればありがいたいな」

 彼の登場と共に、シノの村の三人に余裕が生まれたのは容易に想像出来た。

 ファレンが自己紹介をしている間にも体勢を立て直したボア達が押し寄せてくる。

 しかし、彼らに近づき、あと数歩…というところで、ファレンが指を天に向けた。

「おっと、早いな…だが!」

 ファレンの言葉が先か、それとも地面が爆発したのが先か…どちらでも良いのだが、向かってきたコボルト達の地面が爆発した。

 衝撃と熱、土ぼこり…それらが巻き起こり、ファレンは感心するように。

「ドワーフの地雷の技術を模倣したものだが、これは悪くないな」

 とはいいつつも、コボルト達は多少の火傷や、傷こそ負ったが健在…というのが正しい状況だった。

「倒せてねぇぞ?」とラッシュがジトリとした目を向けながら言うと、ファレンはあっけらかんと。

「う~む…やはり火の魔術は苦手だ」

 そう言っている間に村の東から、ウェン達を挟み撃ちするような形で…コボルトの首だけが飛び出した。

 コボルトの首は地面に転がり、そのすぐ後に、1人の髪の長い女性がコボルトの首に続いて転げ落ちてきた。

 女性は転げ落ちたものの、まるでそれが当たり前かのように地面に手を突き、フワリと宙を浮き、立ち上がった。

 服は土や血で汚れてはいるものの、傷は何一つなく、彼女の手には彼女の武器であろう剣型のスコップが握られている。

「フローリア!?」とシノの村の三人がその女性の名を口にすると、フローリアは一度会釈してから、

「ウェンさん、東側からさらに増援が来ています!討って出ないと被害が出ます!」

 彼女の言葉にウェンは頷き、

「分かった。フローリア、ここの指揮を頼む!ラッシュついてきてくれ!」

 ウェンがメンバーを選定すると、フローリアも満足そうに頷きながら、

「ダンカンさんウェンさんの方へお願いします!」

 この言葉にウェンとラッシュは足を止め、ダンカンは思わず「フローリア!?」と彼女の名を呼んだ。

 しかし、フローリアは毅然と、まるでそうすることが当たり前のように、

「魔術師殿のおかげでこちらの集団は既に瀕死です!それに、視界の悪い山の中ではコボルトに地の利があります!それに…」

 そこまで言うと、フローリアが魔術師ファレンへ視線を向ける。

 ファレンは肩を竦めたが、「存分に使ってくれ」と答えると、フローリアは笑みを溢す。

「魔術師殿の魔術でこちらは数分で片付きます!」

 フローリアの言葉にシノの村の三人は驚いていた。それ以上にファレンは驚いていた。

 ウェンはそれでも彼女とファレンが心配なのか立ち止まっていたが、ファレンがそんなウェンに手を振って応える。

 ウェン達が森の方へと行くのを見送ってから、ファレンは肩を竦め。

「やれやれだな。か弱い女性と、か弱い俺だけとはな…」

「魔術師さん。氷の魔術をお願いします」

 フローリアの言葉にファレンは再度肩を竦める。

「…後でお茶に付き合ってくれるのなら構わないぞ」とファレンは不敵に笑う。

「水でしたらありますよ」とフローリアは小さく笑いながら、ウェンの家の近くに置いてあった桶をスコップで叩きコボルトの方へと飛ばす。

 桶は中の水をまき散らし、コボルトは驚きはしたものの特にダメージを与えたようには見えなかった。

 ファレンは指を鳴らし、

「いいだろう。なら、茶葉は俺が奢ろう。氷も、な!」

 そう言うと同時に腰から細い木の枝のような杖を取り出す。

 ファレンは杖を天に向けて掲げ、

「命を司る水の精霊よ、集まれ!濡らせ大地を、恵の命を降らせ!」

 彼の声に答えるように、空からしとしと静かに雨が降り始める。

 そんな雨程度でコボルトが止まる訳もなく、大挙してフローリアとファレンに向かってくる。フローリアはスコップを担ぐように飛び込み、一気に振りぬく。

 風切り音―それと共に、スコップは振り抜かれた。

 コボルトは俊敏な魔物だ。フローリアがしたような大ぶりの攻撃など、簡単に避けれてしまう。そう、普通なら…

 コボルトは回避した…。だが、着地と同時に足を取られ地面に転んだ。

 先ほどフローリアが飛ばした桶の中の水、そして、ファレンの降らした少量の水により濡れた地面に着地し滑ったのだ。

 フローリアはまるで、始めからそうする予定であったように、振りぬいたスコップ器用に手首だけで回し倒れたコボルトの首にスコップの先を突き立てる。

 さらに、そのまま地面ごと切り裂くように、振り返りながら振り上げる。

 その一撃がフローリアを後ろから襲おうとしたコボルトの喉から顎に掛けて切り裂く。

 彼女のそんな戦いぶりにファレンは感心しながらも、詠唱を続ける。

「風よ回せ、回せ!削り取れ大地を!地の精霊よ!拒絶せよ、水を!浮き上がらせ!」

 ファレンが一気に詠唱したところで、フローリアがファレンの方へと飛びずさる。

 それを見た、ファレンが声を張り上げると共に、杖を地面に向けてから、すぐに天に向ける。

「完成せよ!『霜刺棘(フロストパイク)』!」

 ファレンの声に応えるように、コボルト達の足元の地面から無数とも言える氷の棘が生まれた。

 ボアは足を貫かれ、驚く間もなくその身を刺し穿たれた。

 反応が遅れたコボルト達も胸を貫かれないでも、足や太ももを穿たれていく。中には、太ももを穿たれたことにより、痛みの反動で倒れ込んだ個体もおり、そういったコボルトは氷の剣山で文字通り穴だらけとなった。

 だが、勿論だが魔術に反応が間に合った個体もいる。

 コボルトは決死…とでも言わんばかりにフローリアへと飛びかかる。

 だが、それは叶わなかった。

 コボルトの牙が迫っているにも関わらず、フローリアは微動だにしなかった。その先が分かっているからこそ彼女には動く必要がなかった。

 ファレンがしなやかに杖を空へと向ける。

「撃ち落せ…迎撃せよ!『霜槍衾フロストファランクス』!」

 ファレンの声と共に、無数の氷の棘が地面から切り離され、文字通り発射された。

 氷の棘はコボルトを狙わずとも、無数に避ける場所もなくその身に迫る。

 どうしようもない。回避もしようがない。空中にいることも、数と質量も全てが。

 コボルトは、氷の剣山により体に穿たれていない場所がなくなるほど貫かれていく。

 悲鳴は一瞬で、質量と物量に押し潰され、後には僅かに残ったコボルトの肉片と、僅かな血だまりだけであった。

 ここで戦闘があったことを見ていた者であるなら、その凄惨さは分かるだろう。

 しかし、あまりにも綺麗過ぎる戦いの跡だ。気付く者等、きっといないだろう。

 フローリアはなんて事はないように、服の裾に付いていたであろう肉片を軽く払い落す。

 ファレンにとって、フローリアは若い少女という見た目である。それでも、先ほどまで戦い、今の状況を見ても取り乱す様子もない彼女に感心していた。

 その異常な落ち着きに興味が沸くのか、

「冒険者…かね?」

 ファレンはそう言いながらも、村の東にある山の方を見つめる。

 フローリアはまるでそうするのが決まっていたかのように「違います。この村の出身です」と答えたかと思うとゆっくりとした足取りでファレンの横を通り過ぎて行く。

 フローリアがファレンよりほんの少しだけ村の東側に近づいた瞬間、森の中から何かが猛然と飛び出した。それがコボルトで、数が二匹だと…そうファレンが気付いた時には、既にコボルト達の首は吹き飛んでいた。

 簡素に文字にするならば、フローリアが持っていたスコップで一匹の首をカウンターで突き刺し、そのまま腰を捻り遠心力を使って、もう一匹のコボルトの首をごとへし折り地面に叩きつけた。

 その際にスコップの先が両方のコボルトの折れた首を斬り飛ばした…ということになる。

 ファレンは少し前までとある冒険者と行動を共にしていた。

 彼女は新米ながら腕前がいいとは言えないが、悪いとも言えない…微妙なところではあるが魔術師の護衛には丁度よい冒険者だった。

 そのファレンから見てフローリアという少女は、熟練の冒険者を超えたある意味で化物と呼ぶべき程のものであった。

 奇襲だろうが何だろうが彼女に関係ないかのような振る舞い。

 敵の急所のみを狙い、且つ確実に息の根を止める合理的な動き。

 それらは何処となく意思なく忠実に動く…ドワーフの機械達にも似ていた。

 だが、決定的に違うのはあまりにも的確過ぎるところだろうか?

 ファレンは呆れも、感心もあるもののそれらを口にはせず、「彼らの援護が必要だろう」と自ら森の方へと進む。

 平素の彼ならばそのようなことはしない。

 ファレンは受動的というよりは、ものぐさ、というのが彼の性分だ。

 自分の興味関心を引かない事柄には積極的には関わらない。

 彼にとって、フローリアがどう映ったのかは分からない。だが、それでも手練れであろう彼女よりも脅威の方へ…前へ進もうとするのは彼なりに彼女を思ってなのかもしれない。

 フローリアは笑顔でファレンを見送るように足を止める。そして、静かに。

「終わったみたいですね」

 フローリアがそう言うと、ファレンは思わず足を止め、フローリアの方へ振り返る。

「何を…」根拠に、そう彼は言おうとしていた。

 だが、フローリアが森を指さして「声が止みましたよ」と笑顔で答える。

 ファレンは確かに魔術学院では落ちこぼれであった。

 しかし、それは彼にはどう足掻いても埋めることが出来ないものがあったからだ。

 要するに彼には才能が足りなかった。優秀な魔術師の為のマスターピースである、”魔力”がどうしようもなく劣っていた。

 だが、彼の努力は確かな実を結んだ。

 彼は僅かな間とは言え、何万の魔術師が憧れても辿り着けない、魔術学院で教鞭を取る立場となれたのだから。

 知識のみで、その立場を勝ち取った彼を、聡明と呼ばず何と呼ぼうか。

 そんな彼ですら、フローリアの言う、不確かで感覚的な答えは…理解が出来なかった。

 合理的には思えないが…道理が通ずるところはある。

 だが、それ以上に不可解なのは、そんな不確かな状況判断にも関わらずフローリアには一切の不安がなかったからだ。

 得体の知れない力…それにファレンは興味ではなく、初めて恐怖を抱いた。

― 人の皮を被っただけの、神代の化物

 ファレンが言葉を探している間に、森の方から茂みの揺れる音がした。

 ファレンは身構え、フローリアは丁寧なお辞儀をする。

 茂みの先からは…当然のようにこの村の、戦神に気に入られた三人の勇者が顔を出した。

 その姿にファレンは言葉を失っていたが、すぐに肩を竦め、自嘲気味に誰かを思っていた。

 実力は三流…。弱い敵にも勝てない。強敵であればなおさら。

 そのはずなのに、平然と…気が狂ったかのように強敵へ挑む少女。

 勝てないはずなのに、それでも彼女は戦う。前へ出る。それにしか知らぬように。

 白痴、無能、無謀…そんな聡明とは正反対な愚かなはずの少女。

 何に駆り立てられているのか、全く分からないが、逃げてもいいはずなのに、彼女は守る為なら、全てを投げ打ってでも戦う。

 彼女をそうさせるのは、きっと彼女の『勇気』がそうさせるとしか思えない。

 この村の住人達には、それに似た物をファレンは感じていた。



 コボルトの襲撃を撃退した後、村人達は柵の修理や、作物の様子を見る為に散り散りとなっていく。

 そんな中、ファレンは1人の少女が小汚いシャツを破れたであろう胸元に当てて、小さな足取りではあるものの、何処かに駆け出していくのを見つけた。

 少女はその年齢さえ除けば見目麗しい美女、と呼ぶべき程に整った顔立ちをしている。

 ファレンはその少女の横顔に、自分の弟子志望の少女を思い起こしていた。

 ただ、落ちこぼれへの弟子志望の少女は、ファレンが初めて会った時は、少女よりも幼かった上に、今は少女よりも3つか、4つは歳上のはずだ。

 それに、ファレンからすれば弟子志望の少女と、この村の少女を見比べた時、どうしても弟子志望の少女の方が見た目的に見劣りするというのが正直な感想だった。

 それ程までに整った顔立ちの少女だが、散り散りとなっていく村人達の中に彼女程顔立ちが整った者はいなかった。

 それは大したことではない。平素であればファレンもそう思ってはいた。

 孤児であれ、捨て子であれ、親がいない子供というのは何処にでもいるし、溢れている。しかし、何かがファレンに引っかかっていた。

 ファレンが少女を見ていると、「ファレンさん」と声を掛けられた。

 この村で彼の名前を知っているのは今のところ1人しかいない。

 振り返ると、先ほどの英雄達と共に髪の長い女性フローリアがいた。

 …とは言ってもだが、3人の英雄達のうちの1人、猫目で小柄な男が慌てた様子で、

「って、こら!マリア!1人じゃ危ないって言ってるだろ!」

 声を上げて先ほどの美少女を追いかけて行った。

 ファレンは彼が父親か、兄なのだろうか?と一瞬だけそうは思ったものの、髪の色こそ似ているが、その他が全く似ても似つかない。

 隔世遺伝だとすれば余程この男は貧乏くじを引いたか、突然変異ミュータントなら、神様という存在に彼女は愛され過ぎたのだろう。それか、あの男が嫌われているだけだ。

 マリアというのか、と覚えておきながらフローリアの方へ歩み寄ると、フローリアは分かっていたかのように手を差し出した。

 ファレンはその行動に戸惑いを見せたが、フローリアから当然かのように。

「学院の方ですよね?調査のお手伝いしますよ」

 フローリアが何でもない、とでも言わんばかりにそう言った。

 ファレンはさすがにこの気持ち悪さには慣れてきたのか、肩を一度だけ竦め頷く。

「ここでは少しなぁ。机あるところに案内してくれるかな?お茶をするのに、立ち話というのもな」

 ファレンの言葉にフローリアは頷き、一度精悍な顔立ちの男性の方を見た。

 精悍な顔立ちの男性は頷いてから「好きに使ってくれて構わないよ」とファレンを彼の家であろう方へ案内した。

 彼の家は他の家よりは立派な作りではあるが、他の村で言うのなら小さめの宿屋と言った大きさだ。

 それがこの村がいかに弱小で貧乏かを現わしているようにも見える。

 ファレンは案内されるがままに案内された家へと向かう。

 途中、精悍な顔立ちの男性の妻らしき剛毅な女性が家から出て行くのが見えた。

 慌てている様子だったことから、今回の魔物による襲撃の被害が思ったよりも大きかったのを物語っている。

 とはいえ、これ程小さな村では、通常ならコボルトがボアを飼い慣らした、いわゆるビーストライダーの中規模の集団による襲撃に成すすべがないのが普通だ。

 ファレンは家人のいない家に通され、簡素な椅子を進められる。

 座ってみると、少し揺れたものの、よく尻で磨かれているのか思ったより座面は滑らかで不快感はそれ程ない。

 ファレンが椅子に座ってから、フローリアが木で出来たコップに水を汲んで持ってきてファレンの前へと差し出した。

 ファレンはコップを受け取り、一度コップの中の水とにらめっこをしてしまう。

 理由は簡単で煮沸しているのかが気がかりなのだ。

 シノの村は山に面していることから、木材は問題ないとは想像こそつくが、見るからに貧しい村だ。

 こういう村だと代々受け継がれてきた胃袋の強さによって、川から汲んだ水をそのまま飲む村人しかいない上に、それが伝統のように受け継がれている。

 ファレンがこのシノの村に来るまでの間、そういった村ばかりだったから余計に田舎者の強さを痛感する。彼は貧乏だがシティ派なのだ。

 落ちこぼれの貧乏魔術師とはいえ、彼のいた銀世界の『北方』でも水は煮沸していた。

「煮沸はしてませんが、山からの湧き水ですので大丈夫ですよ」

 フローリアがいとも簡単にファレンの心の中を看破し、ファレンはバツが悪そうに口元を歪めた。

「俺は魔術師だが、炎は起こせても煮沸までは出来ん」

「魔力の量が少ないんですね」

 ファレンが自身に呆れるように言った言葉に間髪を入れずフローリアが告げる。

 ファレンはまたもや居心地が悪そうにしたが、すぐに笑って見せた。

 彼は少し…というより大分、フローリアという人間が苦手だ。理解の及ばない化物…と自然と自分の中で線引きをしていた。

 だが、彼は彼の性分を思い出していた。

―探求心

 不思議で理解の出来ないことは解明されていない事柄でしかない。

 この世に理解の及ばぬ物等ない。実現出来ない事などない。

 そう思い続け、意固地に貫いてきた彼の思想。

 ファレンは及び腰のようになっていた自分を笑い飛ばすようにひとしきり笑い、そしていつものように目を輝かせた。

 得体の知れない力…それを知りたいという欲求。

 その足がかりすらないが、それはこれからやっていけばいい。

 彼は答えと共に、自分のローブの袖から魔法陣を幾重にも重ね、人体の魔力回路模した物を描いている霊希石を取り出す。

 従来、魔力の測定というのは魔力を持つ者同士が相手と手を取り合い、魔力回路への負荷により測定していた。しかし、この方法では測定する者への負担や、魔力の差によっては魔力量が低い者に魔力が逆流し、体調不良を引き起こす等の問題があった。

 そこで、数代前のアークメイジダイヤモンドが、研究の結果、アルトヘイムで採取可能な霊希石に着眼した。

 霊希石は魔力に反応し発光するという特徴を持っている。そのことから、人から流された魔力によって霊希石が反応し、その時に発した光量で魔力の強さを測る…というとても簡単で単純なものだ。

 ただ、これは何百年も前から試されていたが、結果にムラがあり、その後の研究で魔術師によっては魔力回路が指先に集中している者がおり、そういった場合は霊希石が過剰に反応してしまい、正確には測定出来ないと結論付けられていた。

 しかし、当時のダイヤモンドは、同じくアルトヘイムにて産出する希少金属オリハルコンが、魔力伝導し易い物質であることからかねてより研究を重ねていたらしい。

 結果的に彼は数種類の魔力に反応すると、不安定になる鉱石と共に、オリハルコンを溶かした合金で霊希石をコーティングし伝導率を上げ、さらに感応する魔力を大きくするために特殊な合金によって魔法陣を描くことで飛躍的な性能の向上に成功した。

 今、ファレンが取り出した物は、基本的には当時のダイヤモンドが作成したものではあるが、違いは人体の魔力回路を模した魔法陣である。

 人間の魔力を測定する物であることから、人体に寄せる為に魔法陣をより人体に近い形になるように6つ描き、それを全て中心の円の外円を重ねる形としている。

 また、魔法陣を描く為に使用した所謂触媒は、鉱物ではなく、有機的な素材を使用している。

 その改良は概ね良好な結果を得ているが、伝統を踏みにじった、と学院では不評だ。

「さて、これに触れてくれるかな?」

 ファレンがそう告げるとフローリアは躊躇うことなく小石に触れる。

 まるで結果が分かっているかのように。

 フローリアの細くしなやかな指が石の表面に触れる、その指がピクリと動いた瞬間、霊希石から光が拡散した。

 光は部屋全体を包み込み、外にまで漏れだしていく。

 余りの結果にファレンが絶句し、言葉を言えずにいる間にフローリアは石から指を離した。

 光が収まり、数瞬してからファレンはようやく我に返り、椅子から立ち上がりフローリアに迫る。

「これは…これ程とは…!君を探していた!君のようなものを探していた!これ程の魔力、技術さえ磨けばアークメイジだって目指せる!」

 ファレンが語気を強くして迫るものの、フローリアは軽く手を振って応える。

 それが拒否だというのは分かるが、ファレンは諦めきれないように口を開きかけたところで、再度フローリアが霊希石に触れる。

 再度、光が放たれる。

 しかし、それはさっきよりも小さい。ほのかな光であった。

 ファレンが首を傾げる。

「どういうことだ?」

 ファレンの言葉にフローリアは小さく笑い。

「あなたがあの手紙を作った人ですね」とファレンに尋ねる。

 ファレンは手紙と言われて、少し考えたものの、思い当たる節はあったようで、「君の思っているものと確実に同じと確信は持てないが」と返した。

 フローリアは霊希石の表面をなぞるように撫で、

「コツ、ですよ。あの手紙もそうだったんですが、魔法陣が人体を表しているのですね。だったら、体の中の血を止めるように回路の一部分…回路同士の接合部分を堰き止め押さえつければ光はほのかになります。逆に端から送り出した魔力を中央に集まった時に押し付ければ過剰反応する。この二つを同時にするとさらに爆発的な反応を見せる、というだけです」

 フローリアがまるで天気の話でもするかのような自然さにファレンは呆気に取られていた。

 それと同時に震えていた。

 異次元からの見方…とも言うべき新たな境地がそこにはあった。

「君程の…!」

「ごめんなさい。私はこの村にいます」

 ファレンが言いかけた言葉をフローリアは先回りして断る。

 ここまで来ると何となくファレンも予感はしていたようで、少し残念そうな表情を浮かべるものの「そうか」とフローリアの言葉を受け取った。

 フローリアが自然に霊希石に触れる。

 すると、1度目程ではないものの、2度目よりは格段に強い光が発せられた。

 彼女が悪戯っぽく笑うとファレンは乾いた笑いを浮かべる。

「それでも俺よりは上、か」と吐き出す。

 フローリアが軽く頭を下げると、ファレンは軽く肩を竦めてから楽しそうに口元を綻ばせる。

「残念だ…。しかし…そうだ。俺が君に魔術の手ほどきをしよう。そうしよう。うむ、それがいいに決まっている。あとは、そうだな。精霊と後天的に契約を結ぶ方法があるのだが、それを君にも試して欲しい。俺は現在見つかっている全ての精霊と契約を結ぶのに5年掛ったが君ならもっと早く契約を出来るはずだ。」

 ファレンの早口に…いや、もっと違うものにかもしれないが、フローリアは目をパチクリとし驚いた表情をした。

「あの~…」とフローリアが言いかけたが、ファレンは楽しくなってきたのか身振りと手振りを加えながら。

「言いたいことは分かる。俺はとある『勇者』の残した空間量子力学というものが書いてある偽書であり、戯書の魔導書を読んだことがあってな。しかし、それがどうしても偽書とは思えないのだ。そこから考えたのだが、現在見つかっていないであろう精霊の存在を見つけてみたいと思っている。それに、これは『極東』という、未だに首狩りを正当化したり、急に集団で自害するような野蛮人達の考えなのだが、一般的には人工物等には精霊は宿らないとされているが『極東』では全ての生物、物、概念にも生命や神という名の精霊が宿るとされている。俺もこれには賛成でね。全ての物に命が宿らないという考えを根本的に改めていきたいと考えている。そこから新たな精霊を見つけることだってあり得る話ではないか?」

 ファレンの饒舌にフローリアは気圧されていた。

 彼女の能力のことはここでは割愛するが、現時点での答えは出ているのだろうが、ただ単に饒舌に気圧されたのか、未確定の情報による戸惑いなのかは分からない。

 単に、ファレンが閉じた世界の廃棄物を煮詰めたような変人なので、女性で本来はおしとやかなフローリアは答え難いというだけかもしれないが。

 フローリアが答えに窮していると、不意に小さな足音が近づいて来た。

 ファレンが振り返ると、先ほど見かけた美少女がいた。

 近くで見ると、美少女と言うにはまど幼いと分かり、美幼女とでも言うべき年だろう、とファレンが下らないことを考えたのは割愛しておく。

 美幼女ことマリアは不思議そうに霊希石を見つめ、何を思ったのか…というより、彼女にとって今は宝物の”何処にいても届く手紙”に描かれている魔法陣が描いてあったからか、自然と手を伸ばした。

「これ何?」とマリアの声に応えるように、ファレンが霊希石を手に取り、「お試しあれ」と差し出す。

 その瞬間だった。フローリアが表情は全く変えず、口だけ早口に動く。

「マリアちゃん”は”触っちゃダメだよ」

 その言葉の意味を理解する間もなく、マリアは霊希石に触れる。

「え?」とマリアとファレンの声が重なった。

 同時に…パリン―と乾いた音がした。

 ファレンとマリアは音のした方向を見つめ、マリアは顔を青ざめさせ、ファレンは言葉を失っていた。

 ファレンの手の中にあった霊希石…先ほどまで、フローリアの悪戯にもびくともしなかったそれは、文字通り粉々に砕け散っていた。

 ファレンの手の中には残骸のみが残っており、マリアは顔を引きつらせ今にも泣き出しそうであった。

 マリアは大事な物を壊される痛みを知っている。

 マリアが思い浮かべた人物…その言葉を借りるように。

「あ…ご、ごめん…なさい!」

 慌ててマリアが頭を下げる。

 子供は聡く、よく大人を見ている。

 子供が見て、学ぶべき大人…そういう者の所作というのは子供に受け継がれるものだ。

 マリアが知っているその人は、決して良い人とは言えないが、マリアにとっては忘れられない人だ。

 ファレンは笑顔を浮かべ、残骸となった石を小さな袋に入れる。

「君…名前は?」

「あの…マリアです。ごめんなさい…」

「いいんだ。気にしないよ。それより…」

 マリアがおずおずと謝ると、ファレンは気にしていないといった雰囲気で。

「私と一緒に魔術を研究しないか?あ…。怪我はないか?私と一緒に魔術の研究をしないか?」

 まるで、壊れた何かのように同じ事を2回繰り返した。

「え?」とマリアはポカンと口を開ける。

 ファレンはマリアの手を取り、少年のように目を輝かせ。

「私のこの測定器を破壊したのは2人目だ。1人は人間にして魔法使いである北方の守護神『魂の魔女』だ。そして、君こそ…人間にしてその英雄に連ねられる存在だ!」

 語尾になるに連れて声量が大きくなり、自然と早口になっていく。

 こういっては何だが、オタク(ギーク)という言葉があるなら、オタク(ギーク)達には失礼だがファレンはそれに近い。

 ファレンはマリアの小さな手を両手で掴み…包み込み。

「ああ…素晴らしい。俺は今、ここから…新たなフロンティアを目指せるのだ。宇宙への道を、神秘を…今こそ解き明かせるのだ。ああ、そうだ。二人共…聡明なる真なるアークメイジ。そして、人間にして魔法使いをも超える逸材…素晴らしい。夢のようだ。これなら…ふふふふ!ああ、最早私が目指すのは魔術の深淵の縁ではない!もはや淵すらも超え、そのさらなる常闇…魔術の深奥を!闇の先を!この手に!ははは、さぁ、二人共、今こそ超次元を語り明かそう…明かし語ろう…。闇の月光すら届かぬ…しかして闇を照らすは月光の糸。細き青き光の筋…まさしく君たちがそれだ!」

 ファレンは変態だ。いい意味で。いや、悪い意味で、でもある。

 マリアは背筋に嫌な物を感じたのか、慌てて手を振り払いフローリアの方へと駆け出し、その背中に隠れる。

 フローリアも余りの豹変っぷりに戸惑いを隠せないのか、本気で怖いだけなのか、母が子を守るようにマリアを背に隠す。

「こ、こ、この人怖い…」

 マリアの悲痛な訴えにファレンは精一杯の笑顔を浮かべた。

 いや、目一杯の笑顔だ。

 彼の思いは一つだ。怖がらせたい訳じゃない…というものなのだが。

「怖がらなくてもいいんだよ…お嬢さん。いや、未来の『アークメイジ』を超える英雄よ」

 如何せん、ファレンの笑顔は気持ち悪い。ファレン自体も気持ち悪い。

 マリアが声なき叫びを上げ、泣き出しそうになった時自然とフローリアがマリアの体を抱き上げ膝に座らせる。

 突然の出来事にマリアは反応出来ず、目を何度かしばたたかせたが、フローリアに抱き留められ。

「マリアちゃんはカホさんの家族です。ここで待つという約束があるから、ダメです。」

 感情が全く籠っていない”答え”。

 冷やりとした空気―。ある意味それは殺意にも似ている。

「…カホさん。恨むぞ…こんな、こんなことが…認めん…認められるか…こんな!こんなことが!」

 フローリアに注意こそされたものの、それでもファレンは暴走したままであった。

「ファレンさん―」再度、フローリアから冷ややかというべきか機械的な忠告を受け、ようやくファレンはため息をついた。

 酷く残念そうに眉をへの字に曲げ、机に肘をつく。

 それでも踏ん切りがついたのか、

「いや、待てよ。むしろ、あんな人間の悪意の坩堝に行かせるのは人類にとっての損失だ。ならば…」

 そこまで言うと、ファレンは懐から1冊の本を取り出した。

 マリアはファレンの取り出した本を見るや否や、興味ありげにその表紙を見つめる。

 文字を勉強し始めたからか、何かを学ぼうという姿勢なのかもしれない。

 ファレンはそんなマリアに小さく笑うと共に、彼の本…魔術書を差し出した。

「俺の魔術書をあげよう。それを読んで試してくれないか?俺と一緒に深淵を…ではなく、魔術を学ばないか?」

 ファレンの言葉にマリアはおずおずとした雰囲気でフローリアに視線を送り、続けて魔術書を見つめる。

 フローリアは訝しむようにファレンを見つめたかと思うとすぐに笑みを浮かべた。

 マリアはその笑顔も見てか、ファレンの差し出してきた魔術書に手を伸ばす。

 ファレンもそれに応え、魔術書をマリアが取りやすいように押し出した。

「うん…ちょっとだけ…なら…」とマリアが受け取ると、ファレンは満足そうに笑顔を見せた。だが、彼は意地悪でもしかたっかのか、急にニヤリと笑う。

「ふふふ…深淵アビスへようこそ!歓迎しよう!盛大にな!」

 ファレンの突然の言葉にマリアは慌てた様子で魔術書を手放す。

 びくびくと震え「…やっぱり怖い…」とフローリアに助けを求める。

 勿論、フローリアが黙っている訳がなく「ファレンさん」と口を尖らせるが、ファレンはこれは面白いとでも言わんばかりに。

「すまない。本当にすまない。いやぁ、昔を思い出してな」

 ファレンが小気味よく笑う姿に、フローリアは若干呆れながら、マリアが受け取った魔術書に手を触れる。

 おおよそ触れているだけ…としか見えない仕草でありながら、得体の知れない彼女は読んでいるのだろう、とファレンは推測していた。

 ファレンが満足そうに何度か頷く。

 そんな時だった「マリアちゃん…ご飯の…」と声が下。

 ウェンの家を尋ねて来た大人しそうな声。

 ファレンは何の気もなく振り返る。

 少し癖っ毛が特徴的な桃色の髪。垂れ目で、弱弱しさを感じるものの、優しそうな光を七色に反射させ輝く青い瞳。

 色白の肌で少し不健康に見え、線が細いのがそれを助長させている。しかし、腹部が少し膨らんでおり健康状態に問題はなさそうな少女だった。

 少女は初めて見るファレンに肩を震わせる。

 そのまま、後ろに付いてきていたであろう、健康的に日焼けした銀色の髪を持つ半獣人デミビーストと、栗色の長い髪と、ジトリとした目を持つ少女の後ろに隠れてしまった。

 ウェンの家に訪れたのは、かつて奴隷だった少女達だ。

 内気なファウ。何かと先頭に立ちたがる半獣人デミビーストのラーニャ。そして、掴みどころのないホロだ。

 ファウは人見知りを拗らせたような少女だが、ファレンに見つめられ、いつも以上に怯えた様子を見せる。

 ラーニャはそれを察したのか、一歩前に出てファウを隠すように腕を広げた。

「その子…」そう言いながらファレンがファウの瞳をもう一度見つめる。

 ファウは目を見開き、ファレンの瞳と目が合ってしまう。そして、慌てた様子で目を覆う。

 フローリアが慌てた様子で魔術書から手を離し、マリアを膝に乗せていたにも関わらず立ち上がり、

「ファレンさん!?」

 鬼気迫る様子で叫んだものの、間に合わなかった。

「…魔族か」とファレンが純粋な好奇心を孕んだ声でそう告げた。

 空気が凍った。

 誰も何も言えなかった。

 一番始めに声を出せたのは、ラーニャだった。

「え…?」と間の抜けた声を出し、自分の後ろにいるファウの方へ振り返る。

 ファウは何も言わなかった。目を見開き、怯え絶望した表情をしていた。

「あ…あの…」とファウがここにいる全員におろおろと見つめ、視線が合う都度に首を振る。

 ファレンは特に気にした様子もなく、椅子から立ち上がりファウへと近づく。

 ファウは怯え、その場にへたり込み、ただファレンの瞳を見つめることしか出来なかった。

「瞳を見せてくれないか?恐らく『宝石眼ジュエルアイ』だろう、その瞳?」とファレンに言われ、ファウは言葉を失っていた。

 ファウは必至に、言い訳をするようにファレンではなくラーニャと、ホロ、マリア、フローリアを交互に見つめ、

「ち、ちが!ファウは…!」

 言いかけた言葉は、突如上がった怒声でかき消えた。

「ファレンさん!出て行って下さい!」

 家の中どころか、村中に響くような声だった。

 ウェンの家にいた者達は誰も声を出せなかった。

 内気で優しい…そんな彼女から始めて感情任せの怒りの声を聞いたのだから。

 フローリアは肩を震わせ、涙を流し、手を震わせていた。

 怒っている。泣いている。悔やんでいる。そのどれもが発露したような姿だった。

 フローリアは周りの注目を受けていることに気付くと慌てた様子になり、頭を抱える。

「あ、ごめんなさい…違う…でも…どうしたら…どうして…なんで…教えてよ、答えを!『回答者アンサラー』!」

 彼女が自分に宿った神代の化物の力を叫ぶ。だが、それが役に立っていないのは誰が見ても明らかであった。

「ほぅ…」とファレンが溢してから、バツが悪そうに乾いた笑いを浮かべる。

「いやぁ、すまんな。冗談だ。大人というのは嘘を…」

 ファレンが言いかけた言葉を「私、知ってたよ~」と間の抜けた声が遮った。

「え?」とファレンの言葉を遮った声の主以外が漏らした。

 声の主は、何処となく掴みどころのない少女…ホロだった。

「おじさんは多分知らなかったけど…でも、関係ないよ。」

 ホロが前へ進み、ファレンの瞳を真っ直ぐに見上げる。

 ファレンはその瞳を真っ直ぐに見つめ、笑みを溢した。

 ホロは決心ではなく、本心から大人の男性に物怖じすらせず、

「ファウは私達の家族だから」

 そう答えた。

「そうだよ。関係ないよ!」

 続いてラーニャが声を張り上げる。それと同時にファウの体を抱き留める。

「私も、ファウも!ペイルも、カールも、ホロも!皆、家族だもん!」

 ラーニャの強い言葉に間の抜けたホロもゆっくりと頷く。

 ラーニャは涙を溢しながら、さらに声を張り上げる。

「今はマリアちゃんも、フローリアお姉さんも、ウェンおじさんに、カミラおばさん!ダンカンおじちゃんに、ラッシュも!皆、この村の皆が!それに、私達を大切にしてくれた、おじさんも…皆が大事な家族だもん!」

 ラーニャは言葉を言い切ると目を閉じる。

 子供らしい破綻した内容で一方通行の言葉。

 だが、力強さと純粋さは、大人では決して届かない。

 フローリアは俯き、悲しさと嬉しさを合わせた、ぐちゃぐちゃな感情をその表情に浮かべる。

「『回答者アンサラー』…そうだよね。うん…分からないよね。」

 フローリアが噛み締めるように言葉を吐き出す傍らで、ファレンはただ、ラーニャの言葉の強さに感嘆していた。

 おおよそ家族というものを感じたことのない彼でも、ラーニャが血縁ではなくとも、それ以上に大切にしている気持ちというのは伝わっていた。

 降参とでも言わんばかりに両手を上げて見せ、

「俺の負けだ。彼女は魔族の『宝眼族ジュエルアイ』だろう。恐らくクウォーターか、それとも、もっと血は薄いかもしれないがな。本来の『宝眼族ジュエルアイ』の特徴であれば、眼球の形は四角やカットされた宝石に近いし、白い陶磁器のような肌、濡れたような艶やかな髪、四肢が人と比べると短く、皮膚が一部鉱石のように変質している。まぁ、それでも、一番の特徴であるその瞳は受け継がれているのだな。瞳に魔力が触れることによって七色の色彩を放つ、というものだ。俺も『宝眼族ジュエルアイ』を見るのは久しぶりだな。」

 ホロはファレンの瞳を真っ直ぐに見つめると、小さく笑った。

「中央国とアルトヘイムの間…その中央国に近いところに集落があったけど、人間が美術品として重宝して集落を滅ぼしたんだよね?」

 ホロの悪意ある言葉だった。

 しかし、ファレンには分かっていた。決して邪悪ではない意思があることも。

 それはファレンが小さな子達にも教鞭を取っていたからこそ分かるものだ。

 ファレンは腰を曲げてホロとなるべく視線を合わせながら、昔を思い出すようにゆっくりと口を開く。

「そうだな。君は聡いな。公には中央国との戦争で滅ぼされていることになっているな。だが、君は悪意に敏感過ぎるぞ。本当にやんごとなき理由で戦争があったかもしれないじゃないか?そう思う事で自らの心を守ることも必要だし、それに、誰かだけを悪にする、というのは簡単だが、誰にでも正義はあるのだよ。まぁ、瞳を奪った以上それ以外が目的だと言っても、誰も信じはしないだろうがね」

「行動と思想は一致しなければならない?」とホロ。

 それが、今のファレンに対しても言っているのだろう。

 ファレンは霊希石が壊れてしまったことを今、惜しんだ。

 ホロの真っ直ぐで、邪悪も深淵も闇をも、全て直視しながら受け入れる強い瞳を見つめる。

 神代の化物でも、英雄に相応しい力を持つ少女でもなく…共に魔術を突き詰めたい。

 ファレンにとってホロにはそういう魅力があった。

 学問として見る瞳。不合理や慣習を切り捨てられる胆力と判断力。

 言ってしまえば、ホロは学者肌な少女だ。

 魔術を学問と捉え、新たな技術の発展の為に学び、突き詰めようとしているファレンにとって、ホロは一番近しい考え方を持っている。

 そして、何となくだが、この中で一番人間に近しく、最も魔力が少ないだろう、という感覚も自分と重ねてしまう。

「必ずしも、ではない。言い訳があるなら、どんな非道でも許されるべき…という悪い風潮もある。だが、それがなければ、戦争なんぞ誰も起こせないさ。」

「生きる為に奪うのは当然ってこと?」とホロがニヤリと笑う。

 そんなホロの意地悪な性格というのもファレンを釘付けにした。

「揶揄っているのかい?動植物から命を、が抜けているよ」

「自然の摂理の話~?それとも神様の法の話~?」

 本能か、それとも建前か…とファレンは小さく笑いながら溢し、ホロの頭を軽く撫でた。

「俺の負けだ。気に入った。どうだ、俺と旅を…いや、さずかに子連れは無理だな。それに、ここには君を大切に思い、君が今まさに守ろうとしている家族がいる。君が大人になったら考えてくれ」

 ファレンの言葉にホロは目を大きくし、照れたように視線を逸らした。

 それはファレンに撫でられたからではない。

 彼女は戦っていた。背伸びをして、精一杯に。

 周りに気取られないように。

 自分にとって大切な家族を守る為に。 

 それを見透かされていただけでなく、意地悪なファレンによって周りにバラされた…そういった照れだった。

 ファレンは「安心しろ」とホロに一言言ってから、ファウの方を見る。

 ファウはまだ怯えているのか、ファレンを直視出来ず、ラーニャの胸に顔を埋めている。

 そんな彼女の為を思いながら、ファレンはいつもよりゆっくりと口を開く。

「俺達『北方』の魔術師は『宝眼族ジュエルアイ』達により魔術が伝えられたと学んでいるんでな。魔術学院の最高位、アークメイジ達の称号が宝石の名前を冠するのはその名残だ」

 ファレンの言葉にファウはようやくチラリとだけファレンの方を見た。

 だが、視線が合ってしまうと、また慌てて顔を隠してしまう。

 魔族、獣人、人間…それらが家族と呼び合う。

 不意にファレンは共に行動していた、ハーフリングの少女を思い出していた。

 口を開けば、『エアリス様!』な狂信者一歩手前のような少女だったが、かつてのアルトヘイムを思わせるこの場所を彼女にも見せたいと思った。

 きっとアリシアは喜び、彼女達の輪に入っていただろう。

 そして、アリシアがエアリス教の頒布をしようとすれば自分と、カホで止める…なんてそこまで妄想するに難くなかった。

「君達は今のアルトヘイムにとっての希望なのかもしれないな」

 ファレンはそう言ってから、窓の外から覗いている小柄な猫目の男に視線を送る。

 「やべ」と声が聞こえたかと思うと、複数人の小さな悲鳴が聞こえた。

「ここは…新たなアルトヘイムなのかもしれないな」

 ファレンはそう締めくくり、「邪魔したな」と言い残し、外へと歩いていく。

 元々、彼はここに1泊くらいして近くの調査でもしようとは思っていたが、そういう気が削がれてしまった。

 ファレンが出て行こうとすると、フローリアが慌てた様子で駆け寄る。

 引き留める気だろうか、とファレンは思ったものの、きっと彼女はそんな無駄なことはしないだろうと考え直す。

「なんで知ってたんですか?」

 その質問がフローリアから出た時、ファレンは「成程」と納得する。

「他言無用出来るかな?」と言ってから、自分の懐からもう1冊、魔術書を取り出す。

 魔術書を何も言わずにフローリアに渡し、彼女が無言で受け取ったの見てから、

「あの子、ファウと言ったかな?恐らく彼女の感情が高まった時に測定器に触れれば壊れていただろうな。あれは人間用だ。魔力が高い魔族用ではない。それに俺の周りには常に精霊が待機している。微弱だが魔力を常に放っている。俺の眼にはあの子の眼は七色に光っていたから気付いて当然だよ」

 と、まずファウを魔族だと気付いた経緯を伝える。

 フローリアはそれに納得したように頷き、

「どういうことですか、かな?」

 ファレンが先にそう伝えると、フローリアもそれが分かっていたかのように頷く。

「言っただろ?測定器を壊したのは二人目だ、と。そして、あの子…マリアは人間にしてその英雄に連ねられる、と」

 ファレンがそう伝えるとフローリアは再度「成程、会っていたんですね」と頷いた。

「そうさ。『魂の魔女』は魔族の血を引いている。彼女は隔世遺伝らしいがな。」

 ファレンは変人だ。

 落ちこぼれであるが、探求心だけは学院の誰よりも勝る。

 その結果だが、『北方』で最も畏怖の念を込めて恐れられる存在『人間にして魔法使い』、『国崩しの魔女』、『魂の魔女』等と呼ばれる恐れ多き”彼女”にも平然とコンタクトを取ってしまっていた。

 ファレンは”彼女”を思い出しながら、笑みを浮かべる。

 暗い部屋で語り合った、思い出だ。

 彼女からは、魔法の理論を解明した上で改変し組み上げた彼女独自の魔術理論、存在しえない魂の魔術理論の構築過程を。

 ファレンからは後天的な精霊との契約理論、精霊喰らいの存在、物質魔術の相反の応用理論、魔法武具マジックウェポンの再利用方法…そういった誰も研究しないであろう二ッチな会話の数々は今も彼にとっての衝撃だった。

「あの人が滅多に表に出ない理由はその瞳が理由だ。もう『宝眼族ジュエルアイ』を知る者も少なくなったが、それでも彼女は恐れを抱いている。」

 彼女はいつも、真っ暗な部屋にいた。

 外への憧れはあっても、恐れが彼女を戸惑わせるのだろう。

 だけど、好奇心には勝てなかったのか、珍奇な学者のファレンを家に招き外の世界に目を輝かせていた。

 そんな彼女が最後に外に出たのは…聖王国がアイリス皇国に攻め入った時だ。

 魔女たちの住む森を通過しようとした聖王国軍と、アイリスの庇護を受けたエアリス教の信徒の魔女達。

 その中に、特にエアリス教に傾倒している訳ではないが、身の回りの世話をしてくれる魔女達の為に彼女は戦線に立った。

 だが、きっと外への興味もあったのだろう。

 その結果、聖王国軍を誰も生かして帰すことが出来なくなった。

 魔女達の魔術により、高まった周囲の魔力が、彼女にとって美しい外の世界への高揚が、彼女の瞳を輝かせてしまった。

 七色に、他のどんな宝眼よりも強く輝く宝石の瞳…類を見ない輝きに聖王国軍の心は囚われてしまった。

 それからは、最低の最底辺だった。無謀な聖王国軍の突撃が多くの血を流した。

 魔女達も森と言う自分達の陣地を有効に使い、常に優位を保っていた。しかし、それでも決死の突撃により幾人かは命を落とした。

 捕えられた魔女や、討たれた魔女は、聖なる審判として形だけの魔女裁判をその場で受けさせられ、神による罰として目を抉られ捨て置かれた。

 ―それが魔女達の怒りを買った。

 魔女達にとっては、ただ…アイリスへの恩を返す為の戦いだった。だが、聖王国軍の横暴により憎悪を生み、引けなくなった。

 戦いはいつしか人を殺す為だけの戦い…殲滅戦へと移り最低限のモラルというものが欠如した、戦争とすら呼べない、人殺し大会となってしまった。

 魂の魔女はこの戦いで最も多くの敵を倒し仲間を守った英雄ではある。

 だが、血みどろの戦いを産み出した原因でもある。

 それでも、魂の魔女がいなければ魔女達はもっと多くの犠牲を払っていた。

 仲間を守る為とはいえ、仲間には残酷な仕打ちを受けさせてしまい、敵には無駄な血を流させた…それらが、彼女の恐れをさらに強くした。

「だから、彼女は俺に頼んだんだよ。『勇者』の残した戯書に書いてあった『自分の真なる瞳を隠せる』という道具『瞳の蓋』、”カラーコンタクト”の作成を、な」

 ファレンはそう言いながら、懐から小さな箱を取り出した。

 フローリアは箱をじっと見つめ「”瞳の蓋”ですか」と何かを考えている様子であった。

 だが、答えは出ないのだろう。

 新たな物や、まだ存在しえない物は彼女の能力の埒外なのだろう。

 ファレンはフローリアの人間らしい反応に笑みを溢しながらも、頭を掻き。

「まぁ、難航しているのだが、試作品は気に入って貰っているようで助かっている。俺としても新たな境地に…」

 そこまで言い、言葉に詰まる。

 『魂の魔女』は血筋的には魔族に近い。

 だからこそ、人間を遥かに超える魔力を有している。

 そして、彼女は魔法は使えないが、魔法を超える魔術を身に着けている…。

 そう、彼女は理解出来るのだ。

 では…あの子マリアはどうだ?

 魔族らしい特徴もない。だからといって、エルフ等の妖精種や、獣人種なのかと言われれば違う。

 ファレンの周りにいる精霊達に好かれているようには感じたが、使役している様子はないし見えていないのは明らかだった。

「”祝福された子供達”(ブレスチャイルド)なんだろうが、それにしてもなぁ…」

 ファレンは頭を掻きながら、考え込む。

 異常事態ではあるのだが特段生まれながらの才能については彼の興味の埒外ではある。

 村の出口に着いたところで、見送ってくれたフローリアの方を向き、

「騒がせて申し訳なかった。カホさんに、宜しくと言っておいてくれ」

 ファレンがそう告げると、フローリアは静かに頷き、頭を下げた。

 彼女が”答え”を返せなかったのではなく、抗い返さなかった…そうファレンは理解し、元来た道を戻っていく。

 根無し草の目的地もない…言い換えれば彼の探求の旅。

 それがいつまで続くのか等、誰にも分からない。

 ファレン自身、きっと命を落とすその日まで…とそう思いながら、彼は旅を続ける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ