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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第4話『ゴブリン』

『四話』


 師匠が去ってから2日が経った。

 私がウルフと戦った傷も大分癒えてきた。

 本当なら2か月くらいかかると思っていた傷も、ウェンさんが摘んできてくれた薬草と、師匠から教えて貰った痛み止めによりかなり早く傷が治ってきている。

 もう大分動けるようにもなったので、寝間着である下着姿から服を着る。

 ウェンさんのところへでも行こうと思ったものの、

「ダメ!安静にしてなきゃ!」

 とは言われたものの、今や何もせずマリアちゃんの家でゴロゴロしているだけ寄生虫となっている。働かざるもの食うべからずの格言もある。

 強引にマリアちゃんの静止を振り切り、ウェンさん達の仕事を手伝いにいくことにした。

 一応、何があるか分からないのと、師匠がくれたのが嬉しいので、革の鎧を着て、腰に剣を差す。盾は紐で括って背中に背負う。

 一人で行こうとしたのだが、マリアちゃんが付いてきて、私の傍から離れない。

「もう大丈夫だよ。マリアちゃん」

 安心して欲しいのでついてきてしまったマリアちゃんにそんな声を掛けたものの、

「ダメ!カホお姉ちゃんはすぐに危ないことするから!私が守るもん!」

 こころ強いナイトだ。いつまで何も出来ないのにお姉ちゃん気取り出来るか不安になってくる。

 ここのところマリアちゃんはポーションの研究に余念がない。

 なんでもウェンさんに言わせれば、

『道具があっても相応のスキルがなければ商品になるようなものは作れない』とのことだった。

 ただ、マリアちゃんがポーションを作り始めたと聞くと「それも血かな」とその表情に少し暗い影をおとした。

 聞くと、マリアちゃんのお母さんはこの村の先代の村長の親戚で、この村の周辺で採れる薬草等を使い、ポーションや道具を作って生計を立てていたらしい。

 それを商人や冒険者に売ることで、村としても銀や銅の一定の収入があり助けられていた。

 しかし、5年前に村がゴブリンの襲撃を受け、村を守るために当時の村長とウェンさんが陣頭指揮を執り徹底抗戦の末、勝利し村を守った。

 ものの、多大な犠牲を払い、さらにはマリアちゃんのお母さんは幼いマリアちゃんを庇ってその命を落としたらしい。

 当時の村長もその次の年には、戦闘の際に負った傷が原因で天命を迎えたらしい。

 結果としてマリアちゃんは天涯孤独の身となり、ウェンさんが引き取る形となった。

 本来なら他の村人の推薦でウェンさんが村長になる予定だったのだが、先代の急逝による選任がないことと、ウェンさんも多大な犠牲を出しでも戦いを推し進めたことへの罪悪感により断っているらしい。

 他の人もそれ以上は追及せず、以来この村には村長は存在しない。

 これがこの村の、私の知らなかったあらましだ。

 私がマリアちゃんと一緒にウェンさんのところへ行くと、彼は驚いた様子を見せたものの、

「じっとしていられないんだね」と茶化すように言って見せた。

「ごめんなさい。もう、これ以上迷惑を掛けられないかなって…」

「迷惑なんかじゃない!」

 言いかけたところでウェンさんに言葉を制された。

 ウェンさんはというと、「すまない」と一言謝ってきた。

 その表情が一瞬、暗い色をしたもののすぐにいつものように笑顔を見せ、

「君はもうここの村の一員だよ。だから、そんなこと言わないでくれ」

「そうだよ!カホお姉ちゃん!休むのも仕事だよ!」

 マリアちゃんのもっともな意見。それもそうなんだけど、

「うーん。けどずっと休んでてご飯も貰ってばかりだから、何か仕事しないと…」

 私の言葉を聞いてかウェンさんは驚いた表情をしたと思うと手を叩き、

「あ…ああ!そういうことか」

 そう切り出してから、再度笑顔を作り、

「じゃあ、マリアちゃんとお花を添えにいってくれるかい?」

 危ないんじゃなかったの?そう思ったものの状況は違うのは分かる。マリアちゃん一人では行かせれないのであって、今は私がいる。自分を勘定に入れていなかった。

 マリアちゃんは顔をほころばせ「いいの!」と嬉しそうな声をあげた。

 どちらにしてもこれは断れない。

 ウェンさんに「任せてよ」と肯定してみせると、「ちょっと待って」と引き留められた。

 ウェンさんはそういうと、服のポケットから小さな丸いものを2つ取り出した。

「道中で何かあったらすぐにこれを使ってくれ」

 パチンコ玉のような大きさで色は黒い。鉄製ではなく植物製の独特の柔らかさがある。

「何ですかこれ?」

「ミグの実の種を、アブラダケの繊維で包んだものだよ」

 何一つ分からない。

 戸惑っているとウェンさんが「本当に何も知らないんだな」と苦笑し、

「炸裂玉と言ってね、小さな爆発で魔物を攻撃できるし、大きな音が出る便利な道具だよ」

 その説明の後に「ハンドメイドだから市販の物とは比べないでくれ」とおどけて見せた。

「何かあれば鳴らしてくれれば音で俺達もすぐに駆け付けられるしね」

 最後にそう締めくくった。

 炸裂玉か、とまじまじと見て、二ホンで言う火薬や『てつはう』に似た物だとは理解しておいた。

「なんで2つも?」

「念には念だよ。」

 何ともそれにはウェンさんの性格が出ていると思った。心配性なんだね。

「ウェンおじさんはこんなのも作れるんだ?」とマリアちゃんは興味津々に私の手の中にある炸裂玉をまじまじと見つめる。

 多分、これも自分で作れないかな、と思っているのだろう。本当に勉強熱心だ。

「さて、俺は仕事に戻るよ。カホさん。道中気を付けてね」

 ウェンさんからそんな言葉を掛けられ、

「任せて下さい」と強く言い切ることが出来た。

 あのウルフと戦い、その命を背負うことで少しだけ自身がついたおかげだと思う。


 マリアちゃんと山を登り、途中マリアちゃんが黄色い花『ヘリス』と白い花『セルナ』を摘む。

 温かな太陽のような花と、静かな月のような花はエアリス様の信者への供花らしい。

 マリアちゃんと花を摘みながら、不意にマリアちゃんが黄色い花である『へリス』を手に取り、

「こんな綺麗なのに中央は『地獄の花』って言うんだよ。変だよね?」

 分かりかねるといった風に不服そうに眺めている。

 確かに綺麗な花なのに、態々そんな物騒な名前で呼ぶこともないのに。

 理由を考えてみたけど、音的にはヘリッシュ(hellish)と似ているのと、二ホンでいうならあの世を現す『黄泉』くらいしか思いつかない。

 まぁ、関係はないとは思う。こちらに来てから自分の持っている知識がまるで役に立たないから。

 素因数分解でも今度何かに使えないかな、と適当なことを考えてしまう。

 花を摘み終わった後、目的地へ向けて山登りを再開する。

 そこまで急な勾配でもなく、ものの20分も歩いたところで目的地へついた。

 山の中腹くらいだろうか。

 切り開かれた小さな広場のような場所となっており、そこには一つだけポツンと小さな墓石と、伸び切っていない小さな木が並んで佇んでいた。

 マリアちゃんは着くなり、墓石の方へと走り出した。

「お母さん!」

 嬉しそうに墓石に挨拶するようにし、

「今日はね、カホお姉ちゃんと来たんだよ!ウェンおじさんもいいって言ってくれたの!」

 そういいながら墓石に僅かにかかる土埃を払い、摘んできた花を供え始めた。

 私もマリアちゃんに続き、花を供えてから、

「カホです。初めまして」と挨拶をする。

 勿論、誰かが応えてくれることはない。それは私のいたあの世界と一緒。

 亡くなった者を悼み、慈しむ。それの風習が変わらないことも。

 手を合わせて目を閉じようとしたところで、マリアちゃんが不思議そうに合わせられた手を見つめてくる。

 さっき思ったばかりだけど、二ホンでの知識がこちらでは通じない。忘れていた。

「ごめん。これ私の国での風習みたいなものだった」

 軽く謝ってみせ、マリアちゃんに「こっちではどうやってお祈りするの」と聞いてみるとマリアちゃんは両手を組み胸の前へ持っていった。

 宗教はあまり詳しくないけれど、キリスト教徒の祈りに似ている。勿論、向こうの国でどういった死者への祈り方をするのか分からないけど。

「カホお姉ちゃんのはどういうお祈りなの?」

 意味を聞かれて戸惑ってしまう。風習に似ていて、こうするものだと体が覚えてしまっている。多分、専門家やお坊さんならきちんと答えられるだろうけど、私には正確な理由なんて分かりかねる。

強いて言うなら…

「亡くなった人が、幸せに暮らせますように…かな?」

 子供だましのような理由。そして、今、私は子供を騙している。ごめんなさい。ちゃんと理解出来ていません。

「お母さんが幸せに…」

 マリアちゃんが小さく頷く。それから笑顔を見せ。

「一緒だね!」

 故人の冥福を祈らずにいられない。そういう人間の根幹が見える。人の冥福を祈る根幹がなんであれ、それがエゴやイドであっても人間は死者の死を悼むことができる。

 異世界だからと、それを切り離してはいけない。

 例え常識が違っても、例え自分の学んだことが通用しなくても、そこに息づく人達は私と何ら変わりなく、人間性を持っている。

 知らないことばかりで、自分とこの世界を切り離そうとしていた私が少しだけ恥ずかしく思ってしまう。

「ねぇ、これでいいいの?」

 マリアちゃんが手を合わせてみせたので、私は頷いてみせる。

 目を閉じて名前も知らない。顔も知らない、彼女の母親の冥福をただ祈った。

 少しの時間そうした後、ゆっくりと目を開けてから手を解く。

 マリアちゃんもそれに気づいたのか目を開け、立ち上がり。

「お母さんこれからも皆を見守っていて下さい」

 マリアちゃんは頭をペコリと下げてみせた。私もそれに合わせて、頭を下げる。

 言葉には出来なかったけど、マリアちゃんの強さとこれからもきっと大丈夫です、と心配ないことを伝える。

 風が吹いた。髪が風に遊ばれ思わず視線を逸らしてしまう。ふと視線を逸らした先に石造りの壁が見えた。

 かなりの距離だがここから何とか見えるその石壁の先には王城も見える。

「お母さんね、ここから見える景色が好きだったの!」

 マリアちゃんはそういって私の視線の先を指さし、

「ほら!あれがアルトヘイムだよ!」

と私が見ていた古い石壁を示した。

「アルトヘイム…」

 確か師匠が向かうと言っていた国。魔王と戦う人類の砦。

 正直、それがどういうことなのか内情は分からない。

 いつか、私も行ってみたい、とだけは正直なところだった。


 お墓参りが終わり、山を下る。

 途中、ラッシュさんと出会い何をしているのか聞かれたがマリアちゃんを見て察してくれたのか、

「へぇ。さすが”はぐれ”をやっただけはあるな!もう護衛も出来るのか!」

 茶化すような言い方だったが、どうも察しがよすぎる。

 まぁ、どうせ腕前はまだまだですよ、と自分でもわかるくらいむくれてしまう。

 私はラッシュさんやダンカンさん、ましてやウェンさんのように強くない。

 茶化してきたラッシュさんに「そういうあなたは?」と聞き返す。

 ラッシュさんはギクリと肩を震わせた。

「いやぁ、ラビットを狩ろうとしてたんだけど…逃げられた」

 それが嘘だとすぐにわかる。

「マリアちゃんが心配だったんだね?」

 ニヤリと笑ってみせて、ラッシュさんの顔を覗き込む。ラッシュさんは慌てた様子を見せ、

「ば、ばか!ちげぇよ!本当に山の中で獲物を探してたんだよ!」

 狼狽しながらラッシュさんは必死に否定する。

 そんな彼を見て、マリアちゃんと目を合わせる。笑顔を見せると、笑顔で返してくれた。

「ラッシュさんは優しいな~」

 茶化された仕返しに追い打ちをかける。

「うん!ラッシュおじさんはとってもやさしいんだよ!」

 天然にマリアちゃんも追い打ちをかけてくれた。

「ば、ばか!今おだてんな!ほら、帰るぞ!」

 ラッシュさんは私たちの少し前を歩いて村への帰路を示してくれる。

 私はマリアちゃんとその後ろを続く。

 ラッシュさんの自主的な行動なのか、それともウェンさんに言われたのかは分からないけれど、本当に良い人達ばかりだと胸が熱くなる。

 村の入り口の近くまで来たところ、不意にラッシュさんが腰から鉈を抜いた。

 その瞳が鋭さを増す。

「一気に駆け抜ける。カホ!マリアちゃんを頼むぞ!」

 その一言に何か異常事態が起こったとが容易に分かった。剣に手を添えようとしたところで、「まずは村に避難だ。戦うな」とラッシュさんに諫められた。

 ラッシュさんは駆け出す。村の入り口に入ると、数人の住人達が農具を手に何かと対峙しているのが分かった。

 村の人達が対峙していたのは緑色で子供くらいの身長の魔物…ゴブリンだ。

 数は三匹。武器はこん棒と木の槍。最後の一匹は何も持っていないように見える。

 村の人達は苦戦しているようだ。

 ゴブリンと対峙する住人の中にウェンさんとダンカンさんはいない。

 ラッシュさんは駆け出し、何も持っていないゴブリンに一気に切り込む。

 鉈を振るい、ゴブリンに一撃を放つ。

 彼の一撃は不意打ちだったとは言え、ゴブリンを簡単に横凪に吹き飛ばした。

 村の中心までの道が拓けた。

「行け!」

 と彼の言葉が飛び、私もマリアちゃんを抱えて、村の中へと入る。

 ゴブリンからある程度距離を取ったところで、マリアちゃんを降ろし、

「皆と隠れていて」

「カホお姉ちゃんは?」

 心配そうなマリアちゃんに振り返らず、

「苦戦しているみたい。援護してくる!」

 それだけ言い残して私は剣を抜き、盾を握り込み吶喊する。

 ゴブリンは3体。そのうち一匹はラッシュさんが追いつめている。しかし、他の二匹はというと村の住人3人を押している。

 こういう時、どうするべきか…

 今までの私なら多分ラッシュさんの方へ走り出す。

 色んな理由を付けて、安全で尚且つ後ろ指をさされても言い訳が出来る方を選んだ。

 だけど、師匠と出会って、私にも困難な道を選ぶことが出来る…そんな気にさせてもらった。

 住人達が苦戦している二匹のゴブリンの片方…槍を持ったゴブリンに距離を詰め、剣を振るう。

 私の一撃はゴブリンには当たらなかったものの、驚いたのは分かる。

 不意の一撃を避けられた。だけど、相手は体勢を崩した。

 そこだ―

 一歩踏み込み、剣を突き出す。

 ゴブリンは咄嗟に手に持っていた槍で私の剣を受けたものの、鉄の剣と木の槍。どうなるかなんて答えは分かっている。

 鈍い音と共に槍は砕ける。

 ゴブリンを見据え剣を構えなおす。

 武器を破壊されたゴブリンはこちらを睨み、ジリジリと下がり始めた。

 こちらは距離を詰め、もう一匹のゴブリンにも注意を払う。

「カホちゃん、危ないぞ!」

 村人の一人が声をあげる。分かっている。

 でも、決めたからには逃げない。

 冷静になれ。相手をよく見ろ。

 武器を破壊されたゴブリンは下がりながらも周りを見ている。何かを探している。

 追い込まれているあの状況。私なら武器や何か陽動が出来そうなものを探す。これはあのウルフと戦って学んだこと。

 追いつめられると人間は、前に出られず何か別の手を探すか、逃げようとする。それはゴブリンも一緒なのだろう。

 なら気を付けるべきは一つ…。

 仲間を守るためだろう。飛び出してきたゴブリンが目の端に映る。こん棒を振り上げ、声を上げる。同時に、武器を喪ったゴブリンが石を拾いあげて突撃してくる。

 意識をしていたから反応が間に合った。

「カホさん!」

 ウェンさんの声が響いた。

―心配性だね

 そう言いかけた言葉を飲み、服のポケットから炸裂玉を取り出しながら一歩下がり、こん棒を盾で受けそのまま石を持って突撃してくるゴブリンにぶつけるように押し出す。

 石を持ったゴブリンは仲間が上に乗ったことにパニックになり、短い悲鳴を上げる。

 そのままの勢いで倒れたゴブリンに向かって炸裂玉を投げ込む。

 炸裂玉はゴブリンの鼻先に当たると小さな爆発と共に、乾いた爆裂音が鳴る。

 音に驚いたのかゴブリンは鼻を押さえ逃げだし、それに続いて下敷きとなっていたゴブリンも逃げ出し始めた。

 まだだ―

 取って返し、ラッシュさんが追いつめているゴブリンに近づき、剣を振るう。

 直前でゴブリンに気取られたものの、ゴブリンはよけきれず、その手に刃を掠めた。

 ゴブリンが手を押さえ、私の方を睨む。私はそれに応えるように視線を合わせ、剣を逃げていくゴブリンの方へ向ける。

 伝わりはしないかもしれない。だけど、私にはこれくらいしか出来ない。ジェスチャーが相手に伝わってくれれば…

 そう思ったところで、ゴブリンは森の方へと駆け出した。

 その姿にホッと胸を撫でおろしてしまう。

「おい!待ちやがれ!」

「やめろ、ラッシュ…」

 ラッシュさんが追撃しようとしたところでウェンさんが引き留める。ラッシュさんは足を止め、「でもよ」と不服そうな様子だ。

 ようやく緊張の糸が解け、深く息を吸い、吐く。動悸はまだ収まらないけれど、大分冷静に動けた。

 ウェンさんは私の隣へと歩いてきて、

「…本当にあのウルフを倒したんだね」

 信じてなかったのかな?そりゃそうだよね、と自嘲してしまう。

「見直した?」と茶目っ気を混ぜて言ってみると、ウェンさんはゆっくりと頷いた。

「強くなったね」

 強くなった…というのはどうだろう。私も少しはそう思えるけれど、剣を持つ手が震えている。

「まだ怖いよ。ほら、見てみてよ。まだ手が震えてる」

 ウェンさんも静かにうなずき。

「…そうだね。」

 とだけ答えてくれた。どこか寂しそうな表情をしている。

 剣を仕舞い、「そういえば、やっぱり普段からこういうことが多いの?」と尋ねてみる。

「どういうことだい?」

 伝わりにくい言い方だったと自分で反省する。

「ほら、ウルフが攻めて来たりとか」

「うーん。今まではもっと散発的だったんだけどね」

 私の質問にウェンさんは考えるような仕草をして答えた後、

「カホさんの寝ている間にも一度あったし、そもそもゴブリンが昼間に降りてくるなんて珍しいんだけどな」

「なんで?」

 聞き返した私の言葉にウェンさんは小さく笑って見せる。

「ゴブリンは夜目が利くんだ」

 その言葉の後に「ゴブリンもいないところに住んでいたんだね」と、どこかそれを望むような、憧れるような言い方だった。

「カホお姉ちゃん!」

 マリアちゃんが駆け寄ってくる。その小さな体を抱き留め、そのまま抱え上げる。

「見てたの?どう、恰好良かった?」

「うん!恰好良かった!」

 マリアちゃんは素直に褒めてくれる。私としては冗談も混じっていたから、素直に褒められるのが少し恥ずかしい。思わずその小さな体を抱きしめる。

 でも、少しだけ前に進めたよ―と自分には言い聞かせた。

 それから、マリアちゃんと家に帰り、いつものように二人で食事を摂り、そして夜には眠る。マリアちゃんの寝顔を見ながら、ふとその髪に触れる。

 この子にはいつまでも、毎日が続いて欲しいと願っている。

 そこにいつまで私がいるのかなんて分からないけれど。

 ―まだ私は迷っている。

 マリアちゃんは私を慕ってくれている。それも、本当の家族のように。

 この子を一人にして…本当にいいのか、そう思うと胸が痛んだ。

 私もマリアちゃんから離れたくない。この子に支えになれるなら、いつまでも傍にいてあげたい。

 だけど、師匠と同じ道にも興味がある。

 まだ見ぬ世界への憧憬がつきない。どんな人がいるのだろう。どんな世界が待っているのだろうと、そう思うと胸が熱くなる。

「明日には―決めなきゃね」

 問題を先延ばしにする私の悪い癖。だけど、もう決めなきゃ。

 今日、戦うと決め、そして選んだように…もう決めなきゃいけない。

 その結果、夢を諦めることになっても、マリアちゃんに嫌われることがあっても…私は選ばなければいけない。


 

「…さん。カホさん」

 眠っていると不意に私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 肩を揺すられている。誰かが私を起こそうとしているのが分かる。

「なに?」と目を開け、窓の外を見る。

 まだ真っ暗だ。時間は分からないけれど、真夜中だとは分かる。

 私を起こしに来てくれた男性…壮観な顔つきの優しいこの村の顔役―ウェンさんだった。

「カホさん、起きてくれたか」

 その言葉に頷いて返してから、ふと自分の服装に目が行く。

 パジャマなんてない。替えの服もないから、寝る前に服を洗い干している。つまり私の寝間着は下着のみ…

「ウェンさん!?は!?え、なに!?というか、カミラさんというものがありながら!」

 思わず大声をあげてしまい、ウェンさんを睨みつける。

 ウェンさんはまるで私が何に怒っているのか分からないような表情をしたものの、私の下着姿を見てすぐに視線を逸らした。

「すまない。ただ、安心してくれ。俺はカミラ一筋だよ」

 その言葉に嘘と偽りがないのは見て取れる。恋愛対象にならないのは…まぁ、いいことだよね。

 ウェンさんから隠れるように布団で体を隠しながら「エアリス様に誓って下さい」と覚えたての言葉で返す。ウェンさんは大きく頷き、

「勿論だよ。エアリス様に誓うよ」と言った後、

「それにカホさんはどちらかというと弟みたいな…なんでもない」

「どういう意味ですか!?」

 安心させようとしてくれたのは分かるけど、本音が過ぎる。

 つくづく自分の男勝りなところや、体の起伏の乏しさには女性らしさが少ないとは理解しているけど。

「どうしたの…カホお姉ちゃん?」

 私の声にマリアちゃんも目が覚めたのか寝ぼけ眼をこすりながら体を起こした。

「ごめん。起こしちゃったね」と私は謝り、私と同じような恰好をしているマリアちゃんを抱き寄せ布団に隠す。もう一度寝かしつけようとその頭に手を置き、軽く撫でであげると、気持ちよさそうに目をトロンとさせた。

 ウェンさんは首を振り、

「時間がない。マリアちゃん、カホさん。急いで欲しい。服を着て、身の回りのものだけ持って村の中央に集まってくれ」

 緊迫した物言いだった。

 思わず「え?」と声が漏れた私たちに、

「商人の一家が来たんだが…いや詳しい説明は後で言うよ」

 ウェンさんはそれだけ言うと、家から出て言ってしまった。

 言われた通りに服を着替え、まだ寝ぼけ眼のマリアちゃんの着替えを手伝う。

 着替えが終わった後、ウェンさんの雰囲気からただごとではないことは感じていたので、一応、鎧を身にまとい、剣と盾を持つ。

 マリアちゃんの手を引いて村の中央へと行くと、村の南側には既に住人が集まっていた。

 その中心にはホロ場所があり、中年で太った商人風の男と、華奢で顔立ちの整った女性が何度もウェンさんに頭を下げていた。

「おう、起きたのか?カホにマリアちゃん」

 声の聞こえた方を見るとラッシュさんがいた。ラッシュさんは肩に包帯を巻いており、ケガをしているのが分かった。

「何があったの?」

「聞いてねぇのか?」

 とラッシュさんはおどけてみせ「ゴブリンが襲ってきたのさ」と笑って見せた。

 その姿から傷は大したことはないのだろうけど、心配だ。

 それにしても何が起こっているのか全く見当がつかない。

「ウェンからは商人一家が来たって聞いただけど?」

「ああ。ゴブリンに襲われててよ。馬車に乗り込んでバッサ、バッサ千切っては投げ、千切っては投げて10匹以上やってやったのさ!」

 大げさに腕を動かして見せるラッシュさん。そして、こういう物言いの時は大抵冗談だというのも何となくわかってきた。

「やっぱりラッシュ強いんだね」

「あったり前だろ?ん、あれ?う~ん?」

 と何か足りていないことに違和感を感じたのか首を傾げた。答えは「さん」だよ、とは言わないでおいた。

「倒したの2匹だろ?」

 ダンカンさんが話に割り込んできた。ラッシュさんは「あ、おいダンカーン…」と情けない声をあげる。

 ダンカンさんは少し嫌悪感を滲ませた表情で商人らしき男に視線をやり、

「どうやら中央国から来た商人一家らしいが、夜半からゴブリンに追われ、荷物を捨てて逃げてきたらしい」

 商品を捨てて逃げる…ゴブリンってやっぱり強敵なんだ、と改めて実感する。

「ありゃりゃ、じゃあ赤字だね」なんて適当な答えを言ってみる。

 なんとなくノリ的にラッシュさんのようになってしまい、反省している。

 ダンカンさんはため息を吐き、

「それより問題はそのゴブリンの群れがこっちに向かっていることだ。あの男のせいでな」

「え?」

 ダンカンさんの言葉に軽口が思わず出なかった。

「数も40以上か…もっといるかもだってさ。この村じゃどうしようもねぇな」

 ラッシュさんも表情を強張らせ、いつもの調子づいた言い方ではない。それが事態の深刻さをより強く感じさせる。

「夜半を過ぎればゴブリン共の活動が活発になる。巣に近寄れば襲われる。そんな辺境ルールも知らんのか。中央の阿呆共は」

 憎しみのこもったその言葉が私に向いている訳でもないのに、背筋が冷えた。

 ダンカンさんの視線に気づいたのか、商人風の男と一緒にいた華奢な女性がその体を震わせ、俯いた。

「ウェンに聞いてた5年前よりひでぇな」

 ラッシュさんも諦めるように声のトーンを落とした。

「まさに災害級の数だ」とダンカンさんは口調こそ落ち着いているものの、その瞳は相変わらず商人風の男を睨みつけている。

 その視線を隠すようにウェンさんがダンカンさんの方へ歩み寄り、「この村にとってはな」と笑顔でダンカンさんの言葉に付け足す。

 なんでもない、といったようないつもの笑顔を見せ、

「商人の方に頼んで、女子供を馬車で逃がす約束が出来た。だから、マリアちゃんもカホさんも急いでくれ」

 一寸の淀みのない言葉。

 その言葉にふと、ダンカンさんの視線が和らいだ。ただそれは諦めたような色をしている。

「ウェンさん達は…」

 声に出して聞いてしまい、思わずその先を飲んでしまう。

 寝ぼけている訳にはいかない。察しが悪すぎる。

 ウェンさんは首を振り、

「全員は乗り切れない。それに、それだけ乗せたホロ馬車じゃドバと一緒だろ」

 その先は言わないで欲しい。

 ウェンさんは迷わず私の目を真っすぐに見つめ頷く。覚悟と決意を持って。

「俺達、男衆で時間を稼ぐ。だから、その間に逃げてくれ」

 言い終わったウェンさんはすぐに子供以外の村の男性を集めた。

「間に合うか分からないがバリケードを作るぞ!村の周囲に明かりを灯せ!少しでもこちらに釘付けにしろ!」

 ウェンさんが指示を出し始めた。ラッシュさんもダンカンさんも頷き、準備へと走る。

「商人さん。山裾を沿うように北へ逃げてくれ。朝日が昇る頃にはアルトヘイムへの直通の街道が見えるはずだ。それに、街道なら運よく冒険者や王都の兵士と会えるかもしれない。必要ならこれで護衛を雇ってくれ」

 ウェンさんは商人風の男に小さな布の袋を渡した。

 軽い金属音がするその中にはある程度のまとまった金額が入っていることは容易に想像できる。

商人風の男は一度は受け取りを拒否したものの、ウェンさんに強引に渡された。

「はは、これからリーバ神の元へ行く身だ。身軽な方がいいのさ」

「すまない私たちが無理して…こんな山を通らなければ…」

「ごめんなさい」

 商人の男に続いて、華奢な女性もただただ頭を下げた。

 ダンカンさんの言った通りなら、この村に降りかかる災厄はこの人達の責任だ。

 でも、それを引き起こした人達は逃げる。

―本当にそれでいいの?

「仕方ないことさ」

 ウェンさんの言葉で我に返った。

 気付くと商人風の男に掴みかかっていてしまっていた。

 怒りで我を忘れるなんて…。

 ウェンさんは商人風の男を掴む私の手をゆっくりと解き、「いいんだ」と静かな口調で諭すような声色をした。

「ありがとう。カホさん。俺達のこと…大切に思っていてくれたんだな」

 ウェンさんの言葉に何も言えなかった。

 当たり前とか、感謝の言葉とか…もっといいたいことがあるのに…。

 もう訳が分からない。どう現したらいいのかも…本当に分からない。

 ウェンさんは笑顔のまま、

「それに俺はこの出会いを幸福だと思っているんだ。彼のおかげで、皆を逃がせるなら」

 その一言に村の男性が達がその手を止めた。皆が一様に笑顔を見せる。

「仕方ないことじゃ。長生きし過ぎたしのう。ここらがリーバ神への年貢の納め時か」

「こんなことならもっと早く嫁を貰っておけばよかったな。決戦に行く親父の姿を息子に見せてやれたのによ!」

「独り身が何いってんだよ!」

「まかせろよ。この村の皆を守ったと誇ってリーバ神に言ってやるさ!」

 皆が口々にあっけからんとしている。

 これから死にに行くようなものなのに…それでも前を向いている。強い人たちだ。

「ほらほら、行ってくれよ!俺達の雄姿をアルトヘイムに届けてくれ」

「本になるかもな?」

「そうなりゃ、草場の陰で俺達の子孫に『村の英雄』だと胸が張れるぜ」

 言い残して村の男性達が各々の作業へと戻っていった。

 ウェンさんは商人風の男性に目配せをし「だそうだ」と心配ないといった雰囲気を見せる。

「商人さん。そのかわり皆をアルトヘイムへと届けてください。頼みましたよ」

 ウェンさんの力強い一言に商人風の男性は大きく頷き。

「勿論です!大いなるロイド神と…我らが奉ずるヴィーネ神にかけて誓います!」

「ああ。俺達も必ず時間を稼いで見せる。エアリス様に誓って」

 ウェンさんの静かなる強い誓いと共に、商人風の男性は目尻に涙を浮かべた。

「あんた…」

 カミラさんがウェンさんの背中に声を掛けた。

 いつもの剛毅さがない。そんなの当たり前だ。

 あの二人がいかにお互いを思いあい、愛しあっているかなんて…誰だって分かる。

「バカ亭主、だろ?」

 ウェンさんは憎まれ口を叩くように笑顔で答え、そっとカミラさんを抱きしめた。

「カミラ…ありがとうな」

 短く淡泊な別れの言葉と共にカミラさんを離し、それ以上カミラも何も言えない様子だった。

 カミラさんは何も言わず、馬車へと乗り込みそれに続いて他の女性達も乗り込んでいく。

 私は動けなかった。絶望的な状況でどうしようもないと思っているのに…まだ迷ってる。

 もう時間もない。分かってる。それでも、マリアちゃんは私の隣から離れずにいてくれる。

「カホさんも早く行ってくれ」

 ウェンさんが催促する。さっきより少し強い声色だった。

 思わず震えてしまう。

 何を考えているんだ私は―。

「すまない。ここが君の居場所になれればと思っていたが、こんな形で…」

 ここが…私の居場所に…。

「ウェンさん…」

「だけど…もう間違えたくないんだ。あの5年前を…もう繰り返したくない!」

 言いかけた言葉をウェンさんがかき消す。

 あの5年前を繰り返したくない。だから、ウェンさんは村を捨てる決意をしたんだ。

「ウェンおじさん…」

 おずおずと顔を出し、マリアちゃんがウェンさんの名前を呼ぶ。

 それに応えて彼はしゃがみこみ、

「マリアちゃんも達者でな。ごめんね。折角、ポーションが完成しそうだったのに」

 マリアちゃんは俯き、スカートの裾を握りこんだ。

「そんな顔すんなよ!ほら、いつも通りに笑えって」

「酷なことをいうな」

 ラッシュさんとダンカンさんが作業の手を止めながらも、マリアちゃんに声を掛けにきた。

「ラッシュ…ダンカンおじさん。もう…」

 言いかけた言葉は、ラッシュさんがマリアちゃんを抱きかかえて、強引に馬車にのせたことで続きは紡がれなかった。

 ラッシュさんは飛び切りの笑顔を見せ、

「はい!言わない。時間ないからね!また、いつか聞かせてくれよな!」

 その笑顔がマリアちゃんにどんな風に映ったのか分からなかった。

 後、残っているのは私だけだ。

 ここを喪う?そんな事、考えたことがなかった。

 私以上に皆はここに愛着を持っているはずなのに、手放せるの?

 違う。皆、いつかを覚悟していたんだ。

 私がずっと出来ずに、フワフワとした感覚で感じていたものを、その時、選ぶことを覚悟したんだ。

 それが出来ないのは今や私だけ。

 この村を出ていくとき、それはいずれ私が去るという意味だと思ってた。

 だけど、師匠のいうように世界は理不尽で、その残酷さで選択を奪ってくる。

 だったら、私は…世界を見ればいいんだ―

 旅に出たい気持ちはあった。いつか、ここに住むか、それかここを出るかを決める日が来ると思っていた。

 でも…

―そんな自分が許せない。

 都合がいいと…少しでもそう思って、囁く自分の声が許せない。

 逃げて現実から目を逸らそうとしている。

 痛みを恐れて、前に出なかったことを正当化しようとしている!

 頭痛がする。吐き気がする。自分の邪悪さに嫌気がする!

 目を開け…私には選べるはずだ。

 ここで死ぬか、この死を背負うか―

 そんなことを思っていると思わず自分に笑みがこぼれた。

 簡単な答えだった。弱虫で、泣き虫で、大した腕前もない私が選べることなんて一つしかない。


―私じゃ、背負いきれないよ


「私は―残る」

 しっかりと言い切る。英雄の妄想に取りつかれている訳でも、勇者としての矜持でもない。私は、ただ、怖いんだ。このまま逃げて、皆を背負うのが。後悔に押しつぶされるのが怖いんだ。

 だったら、前に行くしかない。

 自分に出来ることをしていくしかないんだ!

「カホお姉ちゃん!」

 マリアちゃんの悲痛な声が聞こえる。それに振り返らずにカミラさんをしっかりと見据え、

「カミラさん。マリアちゃんをお願いします」

「あんた…」

 呆けた顔をしていたカミラさんが一瞬その目をしばたたかせた。

「ごめんなさい。私の我が儘です。でも…お願いします!私に残らせて下さい!」

 もう一度お願いし、深々と頭を下げる。

「何を言ってるんだ!?君はこんなところで…」

 ウェンさんの言いかけた言葉をカミラさんが制止した。

 カミラさんはゆっくりと私の髪を撫で、小さく笑顔をこぼした。

「いい顔になったね…。ウェン…この子はもう止められないよ」

「カホさん…」

 制止されたウェンさんは言葉に詰まり、そのまま去っていく。

「行ってください!」

「カホお姉ちゃん!いやだ!なんで!?お姉ちゃん!」

 私の言葉に商人風の男は戸惑いを見せたものの、馬に鞭を入れた。

 マリアちゃんの泣いた顔が離れない。その声がずっと残り続ける。

 馬はゆっくりと歩きだす。その歩みは遅い。本当にドバのようだ。

 不意に私の服の襟首をつかまれる。引き寄せられた先には怒りに振るえたラッシュさんの顔があった。

「あのさぁ…!」

「ラッシュ!」

 ダンカンさんがラッシュさんを諫める。ダンカンさんの表情にも嫌悪にも似た色が見て取れた。

 私はバカだ。この人達がどれだけの思いで覚悟をしたのか…

 そしてそれを踏みにじるようなことをした。

 ラッシュさんはぶっきらぼうに私の襟首をつかむ手を離し、

「…くそ!勝手にしろよバカ女!俺達だって…っ!」

 今にも泣きだしそうな顔をしながらもラッシュさんは、何も言わず去っていった。

 ダンカンさんもただ静かに、首を振り、離れていった。

「皆…ごめんなさい」

 誰もいないのに、自己満足で謝るしか出来なかった。



 ウェンさんの指揮で村の村に簡易なバリケードが作られていく。

 バリケードとは言っても、適当な木材や、家の壁板や床板を一部はがして無理矢理とってつけただけのものだ。

 きっと、簡単に壊れてしまうだろう。

 村の周りに明かりが灯る。ランプにアブラダケのエキスを入れ戦闘に備えているのが分かる。

 私も一人で、剣を手入れと、盾の握りに包帯を巻き戦闘に備える。

「爺さんの形見の剣、これ使えるかな?」

「儂の鍬さばきを見せてやろう!なぁに若いものには負けんよ!」

 そんな軽いノリを見せている男性達だが、私の存在が気を遣わせているのだろう。

 プレッシャーで押しつぶされそうになる。

「おいおい、俺は先代から伝わる鋤だぜ。歯零れ一つしない伝説の武器だ」

 そんなおどけた物言いをしたのはウェンさんだ。

 私の隣に来ると、

「残る必要はなかったはずだ」

 いつもの声色で、優しい口調だった。

「分からないよ。自分でも」

「マリアちゃん…泣いてたぞ」

「うん」

「すまない。俺達のために…いや、マリアちゃん達の為に命をかけて貰って」

 ウェンさんがまた謝る。私は首を振る。

「違うよ…。これは私の我が儘だ」

 そうこれは我が儘でなくてはならない。自分が誰の為でもなく自分の為に決めたことだから。

「旗色が悪くなったらいつでも抜けてくれ。俺達は絶対に恨まない。こんな状況じゃ助かる見込みはないかもしれないが、俺達はどうあれ君を恨まない。この命が尽きるまで、君を守る!エアリス様にかけて!」

 ウェンさんは胸の前に手を置き、誓ってくれた。

 私はそれに応えらなかった。それを誓えば…弱い私はまた逃げてしまいそうで。

 そんな私の肩を大きな手が叩いた。

「むしろ、お前のおかげで今度は逃げずに済みそうだ」

「ダンカンさん?その…ごめんなさ…」

 驚いてしまう。さっき、あんな目を向けられたのに、その言葉にも瞳にもさっきのような嫌悪感は見えなかった。

「しっかたねーな。俺も逃げるつもりだったけど、どのみち俺の居場所はもうここしかねぇしな!」

「ラッシュ…」

「あれ、俺はさん付けじゃないの?」

 いつもように茶化すような、軽口を叩きながらラッシュさんが背伸びをする。

 ウェンさんはクスリと小さく笑い去っていく。

「はは、ラッシュ、お前が悪い。俺は向こうのバリケード見てくる」

 そんな言葉を残して、即席のバリケードの点検をしに行った。

 まるで空気を読んでくれたような行動だけど、この二人とは今は一緒に居づらい。

 恐る恐る視線を向けると、ラッシュさんは一度深呼吸をし、笑って見せた。

「なぁ、ちょっと話しようぜ。暇だしさ」

「え、そんな暇ないと思うけど…それに…」

 もうゴブリンが迫っているのに、ましてやさっき、その優しさを私が無碍にしたのに。

 ラッシュさんは私の言葉を聞かないフリをし、

「俺とダンカンはさ、元々盗賊だったんだ。中央国あたりで散々暴れまわってた大盗賊団の一員だったんだ!」

 盗賊…その言葉に何となく二人のその時の姿を想起してしまう。

 確かに言われてみれば、ラッシュさんとダンカンさんは少し他の人達と違う雰囲気がある。あくせくと農業をしているタイプに見えにくい。

「俺にそんな記憶はないな」

 ダンカンさんが間髪を入れずに否定した。

 思わず力が抜ける。

 ラッシュさんは不服そうに「あー、俺だけ売んなよ!」とダンカンさんに噛みつく。

 そんなラッシュさんの頭に手を置き、ダンカンさんは自嘲するように、

「このチビとケチな盗賊はしていたがな。10人くらいの」

 ダンカンさんの言葉にラッシュさんは目にも止まられる速さで手を除け、さらに笑顔を取り繕う。

「そうそう。で、騎士団に攻められてよ、仲間の半数はやられて親分もやられちまって、生き残りは散り散り。俺は親友とも言えるダンカンを連れて…」

「そこのバカが騎士団の矢で死にかけていたのを仕方なく俺が担いで逃げたきたんだ」

「あー!言うなよ!折角格好良くしようとしたのに!『カホちゃん、頼りがいがある。きゃ、ステキ!惚れてまうやろ~』…作戦が!」

 二人の掛け合いはまるで、現世でよくみた漫才のようで心が軽くなる。

 笑えないような状況なのに、思わず口元が綻んでしまう。 

「その文法だとお前が惚れたことになるぞ?」

 それは私も思った!

 『カホちゃん頼りがいがある』だったら、私に対して頼りがいがあるってことになるよね!

「?」

 ラッシュさんは首を傾げ、なんで?とでもいいたけだった。

「本当バカだな」

 ダンカンさんが口の端に笑みを浮かべる。

 思わず笑ってしまった。多分、計算なんてしていないと思う。

 笑ってしまい、今まで気まずいとかそんなこと思って、辛かったのに凄く気持ちが楽になった。

「はは、やっと笑ったな」

 ラッシュさんは満足そうに笑顔になる。

 この人達は私のことを気にかけてくれていたんだ。

 なら、うじうじなんてしていられない。それに私は決めたんだ。

 やっと気持ちに整理がついた。

 私は…自分を犠牲にしようなんて思っていない。

 そもそも、私みたいな弱虫がそんな高尚なことを考えられる訳がない。

 私は…喪いたくないんだ。この陽だまりを。この温かいこの村とこの村を人達を。

 ラッシュさんは私の顔を見て「いい顔だ」と満足そうに呟き、さらに「こっから真面目な」と前置きをした。

「…そんでよ。この村にきて、俺も何とか回復したし、生き残るために略奪しようとしたんだ。」

 盗賊の性、それともこの世界の残酷さ。どちらかは分からない。でも、生きようとする意志が諦めなかった。

「俺達の前に立ちふさがったのはウェンだったんだ」

 ダンカンさんの言葉にふとウェンさんの背中を見てしまった。

 その背中がより大きく見えた。

 さっきの言葉も、私の中で大きくなっていく。

 彼は命を賭してでも、私を守るとエアリス様に誓ってくれた。

「ただの村人にさ、負けるとは思えなかったんだよ」

 懐かしむようなラッシュさんの言葉。その先は分かってしまう。

 ラッシュさんとダンカンさんも強い。この二人は間違いなくこの村での実力は最上位なことくらい一緒に戦った私がよく知っている。

 それでも、あの人がもっと強いことも、私はよく知っている。

「本当、つえーのなんのでさ!全然攻撃当たらねぇし、こっちが疲労した瞬間攻撃してくるしよ!やりにくいったらありゃしねぇ!」

「まさか、二人掛かりで負けるとは思わなかったな」

 ラッシュさんとダンカンさんが思い出すように笑う。

 本当に頼れる皆のリーダー。それが命を懸けて皆を守るためにここにいる。

 心強い。例え絶望的でも、悲観なんてしていられない。

「俺達を打ち負かしたウェンはさ。俺達の境遇を聞いてきて、薄汚い盗賊だって分かったのに、ここに住んでもいいからって、その代わり助け合っていこうって。そう言ってくれたんだ」

「ああ、懐かしいな」

 ラッシュさんはダンカンさんの言葉を聞くと拳を強く握りしめた。

「もう、俺にはここしかねぇ。そう思ったんだ。そう思えたんだ。俺には、ここしかねぇんだ!」

 決意をラッシュさんが恐怖を乗り越えて真っすぐ伝えてくれた。

「だから死ぬにしたってよ…せめて、守らしてくれよ!怖くても…お前らを守りたいって決めたんだよ…!」

 涙を溜めながらもラッシュさんは拳を握りしめ、私の目を真っすぐ見つめてくる。

 さっきは出来なかった。でも勇気を貰ったよ。

 だから今度こそ言って見せる。

「ありがとう…ラッシュ」

 私は素直になれただろうか?

 ちゃんと言えただろうか。もっと伝えたいことがあるのに、伝わっただろうか?

 それでも、その熱い本心を伝えてくれたラッシュさんに応えたかった。

 ラッシュさんはその涙を拭う。

「…だから、俺は逃げねぇ。もう逃げねぇ!だから…ヤバくなったら…ヤバくならなくても…お前は安心して逃げろ!」

 ラッシュさんの優しくも強い言葉。それに呼応するようにダンカンさんも大きく頷いた。

「ああ、そうだな。俺もここ以外どのみち居場所はない。背中は任せろ、カホ」

「逃げる時は絶対に振り返るな。決めたら最後まで走り切れ!ゴブリンは俺達が絶対に行かせねぇから、だから安心しろ!」

「安心しろ。お前が逃げても仲間ということに変わりはない。」

 ダンカンさんとラッシュさんの言葉。それは弱虫な私を奮い立たしてくれた。

 生きていて欲しいという願いを一心に受けた。

 こんなに他の人の命を思える人達が、こんなところで終わって言い訳がない。

 盾を強く握りしめ、自分の覚悟を確かめる。

 二人には絶対に勝てなくても、私にだって、出来ることがあるはず。

 ラッシュさんは零れそうな涙を拭う。その後は言葉を紡げなかった。

 ダンカンさんは一つ呼吸をすると、

「俺は逃げれるあの男にかつての俺を重ねていたんだ。逃げるな、戦えと、お前も道連れだと…」

 普段は口数の少ないダンカンさんが、自分の心情を語ってくれた。

 確かに、ずっとダンカンさんはあの商人風の男性を睨んでいた。

 嫉妬と、侮蔑…しかしそれをかつての自分に重ねていたなんて知らなかった。

 何も知らずに私は、自分が攻められていると気弱になっていた。

 自分の敵は自分の心―

「だが、お前のおかげで本当に決心がついたよ。今度は俺も最後まで戦わせてくれ」

 それは私のセリフだよ。

「うん…ありがとう二人とも…約束する」

 二人の思惑とは違うかもしれない。でも、これは私への約束。 

 もう逃げない。仲間と戦う。本当に最後まで戦い抜いて見せる。私も決心がついた。

「ウェンさんもありがとう」

 私の言葉に後ろにいたウェンさんは照れたように頭を掻いた。

「お礼を言うのは俺の方さ―」

 お礼を言われるようなことしてませんよ、と言いたかった。

 お礼をいうべきは私の方なのに。

 ウェンさんは私の顔を見て、ゆっくりと深呼吸をする。

「カホさんは怖くても戦うと誓った。それが我が儘だといったけど、俺には違って見えたよ」

 それは―間違っていないと思うけど。

 ここにいるのはそもそも、私の我が儘だから。

「俺は…いや、俺達もカホさんが残ると聞いて困惑したさ。でも、君から勇気を貰ったんだ。だから…」

 勇気を―?そんなの…

「生きろ」

 ダンカンさんは静かで強く。

「死ぬんじゃねぇぞ!」

 ラッシュさんのぶっきらぼうだけど、思いやりがある。

「君は、何があっても生きてくれ」

 ウェンさんの優しい言葉。

 そして、答えなんて決まっている。

 私も―皆から勇気を貰ったから。

「ええ!勿論よ!」

 大きく宣言して見せ、強く拳を握る。

 あの老人に言ってやりたい。何が私に勇者に成れ、よ!

 そんなもの。この世界には必要ない。こんなに勇気ある人達がいる。

 怖くても困難に立ち向かう人達がいる。

 勇気を持って、理不尽に立ち向かう人達がいる。

 この人達こそ―この世界に息づく人達こそ、勇者そのものだ!

 それでもこの世界に勇者が必要だなんていうなら、馬鹿にしている。

 見せてあげる、この世界を力を。人間の可能性を!


 



 山から地鳴りのような音と、地獄から響くような叫び声が聞こえてくる。

 敵は近い。もう間もなく接敵だ。

「全員、予定通りツーマンセルを組め!ペアを見失うな!」

 ウェンさんの声が響く。私は打合せ通りウェンさんの隣に立ち剣を抜く。

 それ以外の人達も各々でチームを組む。

 ラッシュさんは勿論ダンカンさんと。

 始めはこのチーム編成を聞いて思わず耳を疑ったけれど、ウェンさんの作戦を聞いて、この一極集中のような戦力調整にも理解出来た。

 ただ―その作戦の内容が中々驚かされた。

「防衛戦だよね?」

「ただ防衛するだけじゃ時間は稼げないだろ?」

 一応は確認したけど、ウェンさんは笑って答える。

 私はこの作戦が果たして防衛戦なのかを聞いたつもりなのに。

 なんたって、敵に攻め入らせ易いように村の北側…山からゴブリンが来週する門扉の片方が解放されているんだから。

「勝利ではなく敵の数をいかに減らすかが今回の肝だ。進行スピードを落とさせる。絶対に馬車には近づけさせるな!」

 ウェンさんが再度作戦指示をする。その言葉に10数人の村の男性達が応える。

「ランプの灯は絶やすな。いつ夜陰から襲ってくるかわからない!それでも初戦の近距離視界は確保するぞ!」

『ゴブリンは夜目も聞く。視界が悪い間はこちらの不利になる』

 だからといって―

 ウェンさんに渡されたポシェットと、その中に入っている油の入った瓶を確認する。

 他の村人には3本ずつ渡されており、私とウェンさん。そしてラッシュさんとダンカンさんだけが一本ずつ。

 地鳴りが大きくなる。もう見えてくるはず。そして、ウェンさんの作戦通りなら―

「夜明けはもうすぐだ。それまで粘れれば俺達の勝ちだ!」

 夜明けを迎えた頃にはいくらドバでも、街道へ出られる。これが、私たちの勝利条件。

 それまでにここを制圧されると、最悪、この群れがそのまま馬車へと向かいかねない。

 それだけは阻止してみせる。

「見えてきたぞ!」

 ラッシュさんの声と共に、先に指示していた村人達が木の板を手に取る。

 空を切る音がする。

「今だ―!」

 ウェンさんの掛け声と共に、明かりを確保する為の数人の村の住人が戸板でランプを守る。

 その瞬間。まるで雨あられのように石が降り注いだ。それらを守る為に非戦闘員とも言える年老いた村人達が必死に守る。

 そして、その投石の雨の中、足音が微かに聞こえてくる。

「あと3秒!」

 ラッシュさんの声と共に私とウェンさん。そしてラッシュさんとダンカンさんが得物を構える。

 まるで一番槍のように、古びた剣を持ったゴブリンが村の入り口から足を踏み入れた。

 それに続いて、数匹が駆けこんでくる。

「―今!」

 ラッシュさんの掛け声と共に、各々が暗闇の中で武器を振るう。

 それに少し遅れて、明かりを隠していた村人達がその戸板を外す。

 周りは光に照らされ、足を止めた数匹のゴブリン達に私たち4人の武器が襲い掛かる。

 反応も出来ず、斧で胴体を上半身と下半身と別れたもの。鋤で串刺しになったもの。鉈で頭蓋を叩き割られたもの。そして、私の剣で古びた剣ごと首と体をお別れしたもの。

 この一撃といきなりの出来事にゴブリン達の先遣隊は足を止める。しかし、状況が分からない後続がその背中を押しいっきに体勢が崩れていく。

「やれ!」

 倒れたゴブリンをラッシュさんの鉈と、ウェンさんの鋤でトドメを確実に刺し、私とダンカンさんの攻撃でさらに後続に奇襲を仕掛ける。

 手に鈍い感覚が伝わる。まだ慣れないけれど、それでも止まっていられない。仲間の為に、私を信じてくれている皆の為にも。

 10には満たないけれど、一気に数匹は減らせた。

 初戦は私達の勝ちだ。

 前衛を崩され、森の中から悲鳴が聞こえてくる。

 言葉は分からないけれど、焦っているのは分かる。

 それはそうよね。

 夜目の利くゴブリンは夜間の戦闘で、明かりを第一に狙う。それは習性のようなもの。そして複数のゴブリンは3体に1匹は投石を主にするタイプが存在する。

 それらを逆手にとり、第一波で明かりを消えたように見せ、光を解放し幻惑する。

 さらに、あえて相手を引き付けて、一気に前衛を崩すなんて思い切りがよすぎる。

 きっと人間相手では上手くはいかないだろうけど、知性の低いゴブリンになら十分にいける。

「リーダー確認。剣を持ってた奴だ!」

 ラッシュさんの言葉に全員から声が上がる。私が始めの一撃で斬った奴だろう。首を切断するときに、肉を断ちながら、固い骨を切り裂いた。

 遅れながらその感覚が手に伝わってくる。それを振り切り、勝鬨をあげる。

「前線の指揮官は倒したよ!」

 ウェンさんにそう告げる。第一作戦は成功した。次は―

「第二作戦開始!ランプをその場に置け!」

 その言葉通りに全員がランプを放棄して、一気に村の中央へと走りだす。

 投石がランプを襲い、それらが光を消していく。そしてそれと同時に村の入り口から大量の足音が響く。追いかけてきた。さすが、夜目が利くだけはある。

 暗闇が広がっていく。その中で私たちはウェンさんの家へと駆けこむ。

「ペアを確認!カホさん!」

「大丈夫。ちょっと息が辛いけどね」

 ウェンさんの声に続いて全員が応える。皆、無事だ。

 確認が終わったところで、次の作戦に移行する。

「ラッシュ!」

「任せときな。炸裂玉は俺の得意分野さ!」

 そう言ってラッシュさんが炸裂玉を懐から取り出す。

「全員走れ!」

 確認をしウェンさんの声と共に、ダンカンさんが壁の一枚を破壊し、皆息を切らせながらも走り出す。

 それと同時にゴブリン達が殺到してきた。

「今だ!」と声が響く。声と共にラッシュさんが炸裂玉を投げつけ、他の村人達も一斉に油瓶を投げつける。油瓶は特に狙った場所もなく、いくつかはゴブリンに辺り、いくつかは地面に落ちて砕けた。本命はラッシュさんの炸裂玉。それはゴブリンの足元で爆散した。

 その瞬間―一気に炎が床を駆け巡った。

 ウェンさんとカミラさんの家―きっと大切な思い出が詰まった家だ。それでも、ウェンさんは勝つために、皆を逃がすためにそれを振り切った。

 予めこの家には油をしみこませ、家のあちこちに砕いたミグの実を仕掛けていた。

 その結果、火が伝わると同時に爆裂しそれがゴブリン達の足を止める。

 そして、外に出た私たちが―

「せーの!」の掛け声と共に家にバリケードをする。

 炎に巻かれたゴブリン達ではこれを破砕するには時間がかかる。その前に黒焦げになるか、それとも煙の持つ一酸化炭素中毒で意識を失うかするだろう。

 ウェンさんの家は炎に包まれ、大きな篝火となった。

 焦土作戦―。余り気分のいいものではないけれど、こうでもしなければ、夜目の利くゴブリンに対して、ランプを守る人員に人数を割かないと碌に戦えない。

 これで村の近くにいるゴブリンとは対等に戦える。

 ウェンさんの覚悟の上で今の私たちが成り立っている。

「第二作戦完了―。これで、明かりの心配はない」

 ウェンさんは一度だけ燃えていく自分の家に視線をやったが、すぐに逸らし鋤を構える。

「急ぐぞ、ダンカンと俺のペアでこれ以上村に入られる前に入り口を制圧する!他はバリケードを守れ!ラッシュ、哨戒遊撃頼むぞ!」

「任せろ!一回りしたらすぐに合流する。ダンカン死ぬなよ!」

 ラッシュさんが駆けていく。防衛線で後ろをとられないように。

「お前もな、ラッシュ!」

 ダンカンさんは一度も振り向かず、一気に入り口へ駆け出す。

 ウェンさんと私もそれに続く。

 村の入り口からは既に10以上のゴブリンが攻め入ってきていた。ウェンさんの策でかなりの数が減らされたにも関わらずその戦意は衰えていないように見える。

 リーダー格らしき簡素ながらも鎧と兜を着込んだゴブリンを先頭に村の中へと向かってくる。

 武将とでも言うのだろう。率先して部下を引き連れての勇猛な吶喊。だけど、その顔は邪悪に歪んでいる。勝利を確信し、簡単に蹂躙が出来ると安心してきっている。

 そこに覚悟はない。

 それもそのはず、ついさっきまで私達は撤退していたように見えたのだから。

 しかし、異常事態には足は竦む。炎を背に、突っ込んでくる私達をどんな目で見ていたのだろうか?

 ましてや、逃げていた私達が家に火をつけ、いきなり取って返してきたのだから。 

 ダンカンさんが咆哮と共に斧を振り上げ、その恐怖で怯える偽物の大将に斧の一撃を振り下ろした。

 兜はひしゃげ、頭蓋を叩き割り、リーダーらしきゴブリンはそのまま地面に伏した。

 ダンカンさんがゴブリンを睨みつける。それと同時に、後続の一匹が投石を彼にぶつけた。

 鈍い音がする―。直撃だ。油断していたのだろうか。

 それとも―

 ゴブリンは知っている。人間相手への投石の有効性を。人間が頭部への攻撃を受けた時に無防備になることを。

 それを知っているからこそ、異質に恐怖する。

 ダンカンさんは直撃を受けたにも関わらず怯むことすらしない。

 斧を担ぎ、煌々と燃える炎を背に立つ大男。

 受けた傷に目もくれず、返り血に染まるその姿は悪鬼羅刹そのものだった。

 その姿に後続がたじろぐ。怯えている。

「さぁ、こいよ。醜い化け物共。戦い方を教えてやる」

 ゴブリンにその言葉が届かなくても、彼の殺気が伝わる。

 前衛は逃げ出そうとし、後衛は反撃しようとする。だが、後衛もパニックを起こしており、武器を投げ捨てでも、離れても攻撃出来る投石を選ぼうとした。

 そこに逃げようとする前衛が押しかけ、彼らはもう何も出来なくなった。じたばたと慌てふためき悲鳴をあげる。

 中には懸命に武器を振るおうとするが、まるで前に出ていない。その場で振るだけの、ただの命乞いにもならない抵抗だ。

 ダンカンさんの振り下ろす斧で一匹、また一匹と絶命していく。

 返り血に染まっていくその顔が狂えるような瞳孔がゴブリンを射すくめる。

 途端に全てのゴブリンの思惑が一致した。

 悲鳴を上げ、地面を掻き這いずってでも逃げ出した。

 ダンカンさんが追い打ちを掛け、一匹ずつ文字通り潰していく。

 私とウェンさんがたどり着いた時には既に息も絶え絶えのゴブリンが数匹いるのみであり、その喉を潰すのに1秒もかからなかった。

 門の制圧は完了した。

「門を制圧した!バリケード越しに攻撃だ!防衛線の基本で攻めるぞ!」

 ウェンさんの指示が飛ぶ。ウェンさんは移動しながら、バリケードの前を固める村の人達に声を掛けていく。

「二人一組で動くのを忘れるな!いいな!」

 そんな彼は敵からすればいい標的だったのだろう。さき程から夜闇に隠れて投石をしているゴブリンが彼に目掛けて投石をする。

 何度か直撃を受けそうにはなっているものの、ウェンさんは体の傷も気にせず指揮を続けていく。

 それに合わせて門の制圧を諦めたゴブリン達が柵へと殺到する。

「夜闇からの投石には注意を払え、直撃で気絶したものがいればすぐに知らせろ!」

 鋭い指揮の後、ラッシュさんが走って戻ってきたのが見えた。

 鉈には血がついており、どこかで戦闘をしてきたのがわかる。

「村の内部に入ってきた2匹は潰したぜ!」

「ラッシュはダンカンと組んでくれ…そろそろ最終作戦だ!」

 その言葉に私達…最後の作戦へと打って出る組も、防衛線を預かる村の人達も大きく応えた。

 バリケードに接触し、破壊しようとするゴブリンが群れとなっていく。村の人達はそれらに農具で反撃をし、ある程度の傷を負わせ撤退を狙っている。

 相変わらず散発的にはなったものの、門から侵入を試みるゴブリンもいるが、ウェンさんと私のチームと、ダンカンさんとラッシュさんのチームが交代しながら潰していく。

 そうして、どれくらい経っただろう。

 私も数匹のゴブリンを倒したくらいの頃だった。

「バリケードがもたんわい!10も20も来おってからに!」と西側から声が響く。

 この村の一番の年長であるお爺さんが鍬で侵入しようとするゴブリンに反撃をしながら、声をあげる。

 ウェンさんは一度だけ西側の状態を見て、頷く。

「よし、カホさん、切り込み行くぞ!」

 ウェンさんに連れられて、私は群れが押し寄せる村の外へと出る。集中砲火の的。死にたがりの突撃…といいたいところだけど、それは違う。

 ウェンさんの考えた消耗抑制戦術だ。

 ゴブリンは基本的に小規模の集団で戦闘をする。

 なので基本的に三匹位で一緒に動いている。だが、群れとなると訳が違う。

 始めに私が討ち取ったように、その群れを率いるリーダーが存在する。

 そのリーダーに従って、3つくらいの小さなチームがまとまって動いている。

 時間稼ぎが私達の目標。だったら、敵を攻めにくくする為に、狙うのは勿論リーダーだ。

 ゴブリンにとっては攻城戦のような状態になっている今、バリケードを破壊するにしても、それを指揮する強い個体がいる。

 そして、そういった頭の回る行為をする群れであれば、おのずとリーダーは反撃の受けにくい位置を陣取る。

 そこを強襲する。

 相手を引き付け頭を刈り取る為に、ワザと門を攻めにくくさせ、バリケードに引き付けた。

 これこそ、最後の作戦だ。

「ダンカン、ラッシュ!そろそろ東側も頼む!」

「おうよ!」「まかせろ!」

 ウェンさんの指揮に二人の声が重なる。

 私達が抜けた後は、門に近いところにいた2人が門を守る。最低限の防御を確保する。

 それでこそ、前に出られる。

 横佩を突かれたゴブリン達。そのの中のリーダーらしき帽子を被ったゴブリンがこちらを指さして何かを喚いた。横に控えていたゴブリンが槍を持って、応戦をしてくる。

 私が前へ出て、槍を盾で受け、そのまま弾く。さらに、手にした剣でその内の一匹の胸を刺し貫く。返す刀で、もう一匹に対して横凪に振るうが、直撃はせず、その胴体を掠めただけだった。

 二匹とも倒しておきたかった。

 だけど、道は拓けた―

 ゴブリンのリーダーが前線に指示を出そうとしたが、それはウェンさんの鋤の一撃を喉に受け、すぐに空気が漏れる音だけを残して静かに倒れた。

 リーダーを倒したウェンさんは素早く身を翻し、バリケードを攻撃しているゴブリンの背中へ向かって駆け出す。私も駆け出し、剣を振るう。

 ウェンさんとほぼ、同時のタイミングで1匹を仕留める。

 バリケードとその奥にいる村の人達に意識の言っていたゴブリンを不意打ちするのは簡単なことだ。

 指揮系統を破壊し、足並みが乱れたところを切り込む。

 剣を握る手が不意に緩んだ。ゴブリンの返り血がグリップに染み込み、滑った。

 慌てて握り直そうとしたものの、その隙に一匹のゴブリンが短剣を腰だめに構えて突っ込んでくる。

 剣を振り抜くものの、握りが甘く剣先がぶれる。剣はゴブリンの頬を掠めたものの、力が入らず、断ち切ることは出来なかった。

 斬られた痛みでか、突っ込んできたゴブリンはその勢いを失いうずくまったが、さらにもう一匹がこん棒を振り下ろしてきた。

 こん棒が私の剣に当たり、高い金属音と共に剣が地面に落ちる。

―しまった。

 そう思ったものの、先に突っ込んできた短剣を持つゴブリンが私の胸を目掛けて飛び込んでくる。

 思わず目を閉じてしまう。

―大丈夫だよ。

 その声に目を開ける。

 そこには鋤で串刺しにされたゴブリンがいた。ウェンさんが横腹をついてくれた。

 さらに、突き刺したゴブリンごと振り回し、こん棒を持ったゴブリンを横凪に払う。

 払われた時に鋤に突き刺さったゴブリンを吹き飛ばした。

「疲れてるのか?無理すんなよ?」

 そう言いながらもウェンさんは他のゴブリンからの攻撃を軽くいなしてみせた。

「こんな状況、無理もするよ」

 悪態に似た言葉をいいながら剣を拾い、強く握りしめる。

 私達の前にはまだ5匹以上のゴブリンがいる。

 いくらウェンさんがいてもこの数は辛い。

「撤退だね」

 ウェンさんに言われて、素直に従うものの、ほぞを噛んでしまう。

 倒し切れなかった。

 本来ならここでこの小隊を全滅させるつもりだったのに、私が足を引っ張った。

 それを取り返すことはもう不可能だ。むしろ、ここで意固地になってしまったら、ウェンさんにも危険が及んでしまう。

 ウェンさんは懐から炸裂玉を投げつける。爆裂と共に音が響く。

 ゴブリン達が一瞬怯んだ隙に走り出す。

 村の門のところへついたものの、3匹程のゴブリンが村の人達と対峙していた。

「どけぇ!」

 私は思い切り剣を振りかぶり、ゴブリンを後ろから叩きつけるように振り下ろす。

 一匹のゴブリンを頭から断ち切る。

 臓物の臭いで、一瞬えづきそうになるものの、我慢し他のゴブリンに目をやる。

 他のゴブリンは、後ろからの奇襲に驚き、目の前の住人への注意を散漫にしたことにより、農具による一撃を受けた。

「助かったよ。やっぱりきついな―」と言いかけた村の住人の真横を投石がよぎった。

 ウェンさんに指示されるまでもなく、投石から隠れる為に村の門扉へと隠れる。

 そんな私達の前に額に血を流しながら滑り込むようにラッシュさんが現れた。

「すまねぇ!東側のリーダーには逃げられた!」

「投石が厄介だ。近づくのすら困難だ」

 ダンカンさんが苦虫を噛み潰したような表情をし続いて入ってきた。

 この時点でリーダーを潰しきる予定だったけど、これは痛い。

 だからといってこの二人が悪い訳じゃない。

 総勢12名しかいないのにウェンさんの策は何倍かも分からない数のゴブリンに対して善戦している。

「気にしないでくれ。俺の読みが甘かっただけだ」

 そこまで言ってから一言区切り、「皆、そろそろ辛いよな」とウェンさんはつぶやく。

 私も息は既に上がっている。それはラッシュさん達も一緒だ。

 ここまでよく耐えた…そう続けたいだろうけど、ウェンさんが諦めていないのは自明の理だ。

「だが、収穫もあった。敵の投石部隊は東側に固まっている。俺達の方には散発的な投石による援護があっただけだ」

 状況から冷静に分析し、ウェンさんはフォローに入っていた二人を元の配置へ戻るように指示した。

 その二人が去ってからラッシュさんは一息つき。

「大分押し込まれてきたけどな」と私達にだけ聞こえるトーンで言った。

 諦めているのではなく、ただ、最前線で戦況を見てきたから言える一言。そして、情報の共有の意味もあるのだろう。

 戦線は全く崩れていないものの、小さくその陣形に綻びが見えてきている。

「カホさん…そろそろ」とウェンさんが言いかけた。 

「バリケードが!」と東側から悲鳴が聞こえ、私はこれ見よがしに立ち上がり、「援護に行くよ」と提案をする。

 ウェンさんは何かの言葉を飲み、

「分かった。ダンカンとラッシュも再攻撃を頼む!予定より早い。無理はしないでくれ」

 そう言ってから、ウェンさんは立ち上がり鋤を構える。

「ここは任せてくれ!」

 その言葉を待っていたと言わんばかりにまたもや数匹のゴブリンが門扉に突撃してくる。

 手には松明を持っている。焼き払う気なのは明白だ。

 ウェンさんは門扉から飛び出し、ゴブリン達に一閃を放つ。

 私はウェンさんを一人残して村の東側へと向かう。村の東側には投石が断続的に降り注ぎ、防衛をしている住人達は皆一様に傷を負っていた。

 それでも、皆を守る為に農具を振るい、近づいてくるゴブリン達の進軍を阻止している。

 だが、それは一部で、破られたバリケードの前にひと際大声をあげているお爺さんがいる。

 先ほどまで西側にいたお爺さんだ。鍬を振り回し、迫りくるゴブリンへ威嚇をしているが掠めることもない。

 パニックになっているのは見ただけで分かる。

「こんのー年寄りによってたかってー!」

と勇ましく攻撃するが、その側頭部に投石が直撃した。

「おぐ…」と苦悶の声を漏らし、お爺さんは倒れる。

 倒れたことによる、ペアからの声も上がらない。つまり、もう防衛線は破綻しているのが分かってしまう。

 お爺さんは投石を受け、血を流しながらも立ち上がり、鍬を振り上げる。

「ここは通さんぞ!かつて儂の孫たちが血を流して守ったこの村を!この村の次の命達を!」

 鍬を振り上げ、振り下ろす。鍬はゴブリンの肩を砕き、一匹が地面に転がる。

 どこにそんな力が残っているのか分からない。皆、必死なんだ。

 バリケードを破られたのを分かって、きっと駆け付けてくれたのだろう。

 自分の身を盾にしてでもこの村を守る為に。

 そんなのダメだ!

「お爺さん無茶しないで!」

 咄嗟に割り込み、前衛の一匹を切り払う。

「カホちゃん。早く逃げろ!儂とて…盾くらいにはなる!」

「死んで皆に迷惑を掛けたいの!下がって!」

「年寄り扱いを…」

 お爺さんは苦い顔をする。きっと、誰よりも命を懸けて戦っている。もう、長生きしたと。だけど、そうじゃない。

 ウェンさんはまだ勝利を掴んでいない。

 私はウェンさんのパートナーとして出来ることをしたい。

 無碍に人数を減らせば、ただでさえ人数の下回る私達は不利になる。それを防ぐだけだ。

「安心して。私はまだ戦えるよ」

 そう自分に言い聞かせる。自分だって、息が荒れている。

 剣を強く握り、なだれ込もうとするゴブリンを盾で殴りつける。さらに剣を閃かせ、近づいてくる他のゴブリンの腕を切り払う。

「ウェンの坊が気にする訳じゃ…」

 しみじみと何かを思い出すようにお爺さんは言い、私の横に立つ。鍬を持つ手が震えている。もう限界なのに、気丈に振舞っているのは誰だって分かる。

「はねっかえりが。婿の貰い手はないじゃろうな」

 それは余計なお節介だね。そんなの自分が一番知っているから!

「この顔と性格じゃ、元から望めませんよ!」

「誰でもいい、爺さんを後方へ下げろ!狙いうちにされるぞ!」

 ウェンさんの声が響く。分かってはいるけど、私が動けばここは確実に突破される。

 だからと言って他の人も同じ。余裕なんてない。

 そして、そんな指示を出してしまうウェンさんにも限界が来ていることは分かる。

 もう、あと1時間も待たずにこの防衛線は瓦解してしまうだろう。

 それでも、朝日を迎えられるかもしれないなら、ここは踏ん張るしかない。

「カホお姉ちゃん!後ろ!」

 高く澄んだ声だ。咄嗟に振り返り、後ろから飛び掛かってきたゴブリンに気付けた。

 剣を突き出し、その喉を剣が貫くが持っていたゴブリンの槍が左足に刺さる。

 痛みで体勢が崩れそうになる。それを踏ん張って耐える。

 あの声を聞いただけで、負けられないと思える。強くて、私が勇気を貰った声。 

 聞こえる訳がない。だから、妄想いや幻聴。

 だって…ちゃんと逃げてくれているから。

 不意に目の前に金糸のような髪が揺れた。

 小さな体で、必死に頑張る。私に力をくれたあの子が目の前に立っていた。

 いるはずがない。おかしくなってしまったのかな…私は…。

 こんな妄想してしまっている間にも、破壊されたバリケードからゴブリンが襲ってきているはずだ。

 それとも、気づかぬ内に命を落としてしまったのかな?

 少女が私の頬に触れる。精一杯背伸びをしながら。私の頬に温かい感触が伝わる。

「カホお姉ちゃん!」

 その声と体温に現実に引き戻された。間違いない。本物だ。

 体に通う血が沸騰するように高揚し、頭が追い付かない。

「…マリアちゃん?」と確認するような言葉だけが漏れた。

 私の言葉にマリアちゃんは大きく頷いた。

「うん!」

 その言葉を受け入れられずにいる自分がいた。

 だけど、それと同時に剣を持つ手に力が沸いた。

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