第四十二話『エアリスの罪』
第42話『エアリスの罪』
古き城壁がそびえる、かつてエアリス神が造ったとされる国。アルトヘイム。
その一角に聳える、中央国と聖王国が主導し造り上げた荘厳な大教会。
その脇にある古き時代にエアリス神が建てたとされる廃屋にも似た、小さな教会『エアリス教会』において、祝福された月のような白髪と呪われた月のような瞳を持つ、修道士フィーネが教壇に立ち、子供達に授業を始めるところであった。
フィーネは集まった子供達を見つめ、口を一文字に結ぶ。そして、今日の授業を提案した黒衣の奴隷商にも視線を送る。
奴隷商もそれに気づき、ゆっくりと頷いて返すと、フィーネは意を決したように、口を開いた。
「まずは皆に今日の授業内容について話しておくことがある」
その口上に子供達は少しだけ不思議そうにフィーネを見つめ返す。
いつもと違う雰囲気を子供達も僅かながら感じ取っていた。
特に、冒険者ギルドに所属しながらも、時折授業に参加するようになった『青き風』の『幼き翼』の三人、ロイ、エンファ、ヴィーニャは畏まった態度をとっていた。
フィーネは一つ息を吸ってから、
「今日の内容は、生活の為のものではない。ただ、これから生きていく上で向き合わなければならないものだ」
フィーネの言葉の意味を理解出来た者は少なく、それ程までに、ここの子供達の年齢層は低い。周りがザワつき始めたものの、癖毛の少女、エンファは真っすぐにフィーネを見つめ、「エアリス様のお話ですか?」と尋ねた。
その言葉が出たことにより子供達から少し明るい声色が漏れ始めていた。
それもそのはずで、エアリス神の話ともなれば、どこかコミカルであり戯曲のような内容ばかりだからだ。
それでもフィーネは首を振り、
「残念だが違う。この国と、世界の歴史であり…それも比較的新しい部分だ」
そこまで言ってから、フィーネは言葉に詰まる。子供達も戸惑っている。
意を決するように、フィーネが顔を上げ、
「君達に、この世界で起こった戦争について聞いて欲しいんだ」
その一言で回りは静まり返った。
反応出来ないのだろう。そして、戸惑いがザワつきに変わっていく。
ロイ達もそれは一緒だった。昨日までの内容であれば、生活の為の語学や数学、そして家庭科が主であった。しかし、戦争となれば…
「魔族との戦争ですか?」
不意に一人の女の子が声をあげた。
この学校に最近入ったばかりの女の子であり普段は物乞いをしている少女だ。
お人よしの冒険者達に工面して貰いここに勉学に来ている彼女は、自分の置かれた立場を理解しているのか、誰よりも熱心に授業を受けている。
分からなくても、理解しようとしている。分からなければ質問をし、嘲笑されても折れない。
そういう強い少女だ。
フィーネはその言葉に首を振り、
「主に人間の戦争の歴史になる」
その言葉には何処か悲しみの色が見えた。
フィーネはゆっくりと顔を上げ、本を手に取ると、戸惑いながらも、
「この100年間の戦争の歴史において、その戦争の発端はアイリス皇国と中央国にあり、そして、アルトヘイムも無関係ではない」
そう言い放った。
その言葉に誰もが息を呑んだ。
アルトヘイムにおいて、アイリス皇国は同じ神であるエアリス神を信仰しているだけでなく、かつてのエアリス神を彷彿とさせる勇者達の物語『アイリスの放蕩騎士』をこよなく愛している。そんな勇者の故郷が、アルトヘイムにおいては悪とされている中央国と並び戦争を始めた。その事を信じられないのだろう。
構図としては正義のアイリス皇国と悪の中央国。それが一般的な考えに違いはない。
そして、アルトヘイムも間接的にその戦争に関わっており、決してただの被害者などではないことも。
「アイリス皇国は元はアイリス村であり、そしてエアリス様の訪れと、神獣のキマイラの討伐から、自ら発展し続けた。今の皇国となったのは、およそ150年程前だ。その頃から『皇国』を名乗ることに中央国との軋轢こそあったものの、北方国『ブラン』にとって北の守護者に相応しい立場がなかったこともあり、『ブラン』の説得と、後ろ盾を得て10大国家の一つとなった」
フィーネは少し早口にそこまで言い終わると、一度だけ黒衣の奴隷商へと視線を送った。
黒衣の奴隷商は気にしていないといった雰囲気で肩を竦め、笑顔すら見せていた。
子供達にとっての憧れの一つである勇者の国…それすらも国家間で見れば、ただの属国にしか過ぎず、中央国への牽制や北方国の尖兵でしかない。
その事実を受け入れられない子供達もいる。
聡い子は茫然とし、理解の追い付かない子供は「どういうこと?」とその意味を周りに聞き始めている。
フィーネにとっても話したくない内容だったのか、次に進めるように授業を進めていく。
「しかし、アイリス皇国は元は棄民の地であり、その建国に際して徹底した平等、つまり奴隷制度の解放を唱えていた。これを国家間に伝播しようとしたのが、全ての始まりだ」
フィーネのアイリス皇国の話にエンファが首を傾げる。
「でも、中央国はエアリス様への信仰を捨てさせるために…」
熱心なエアリス教徒であるエンファはある程度のエアリス教の歴史も学んでいる。
その過程により必ずぶつかるのが、12年前に起こった戦争であり、エアリス教の廃止を謳った中央国との戦争ではある。
フィーネは首を振り。
「それは違うんだ。エアリス様は中央国でも、聖王国でも大切にされている。10大神の解釈は違うものの、アルトヘイムでも他の国でも至高神はロイド神であり、そして、次の座は死の神リーバ神だ。私達はその2柱以上にエアリス様を身近に感じ信仰している。これを忘れないでくれ」
エアリス神は決して主神ではない。そもそも、元々は人間の少女だったのだ。
アルトヘイムの建国時にもそれは綴られている。
エアリス神は教会を信仰の場所ではなく、安らげる場所として建てただけであり、自身を神として祀る為の場所として作った訳ではない。
歴史が綴られた書物の中や、長寿なエルフ達の口伝にも「人間の至高神ロイド神と、魔族の至高神リーバ神を一応祀っていた」と語られている。
ただ、主神であるロイド神や副神リーバ神よりも、アルトヘイムでは知名度が高く、より信仰されているに過ぎない。
エンファはフィーネの語った言葉を噛みしめるように頷き、
「じゃあ、なんで中央国はエアリス教の廃止を?」
「それはアイリス皇国を攻撃するための名目に過ぎない」
フィーネが言い放つと、エンファは驚きを見せ、すぐに悔しそうに俯いた。
中央国や聖王国には関係のない話だが、アルトヘイムやアイリス皇国にとって平和を愛したエアリス神を口上に戦争を仕掛けることが皮肉であることもエンファには理解出来てしまった。
フィーネはゆっくりと息を吐くと同時に拳を握りこむ。
感情を押さえてはいるものの、それでも怒りがにじみ出る。
そして、それこそフィーネとかつての友人ハーフリングの『宵闇の担い手』が危惧しながらも言葉に出来なかった見えない刃だと噛みしめていた。
冒涜とも言える内容で、アイリス皇国を焚きつけ、戦争へと無理矢理引き込んだ。
その手法にもっと早く気づけていたら…そんな思いが彼女を苦しめていた。
「話が逸れましたよ。それはもっと最近の出来事では?」
不意に黒衣の奴隷商が口を開き、ワザとらしく呆れてみせる。
フィーネは一度彼に視線を送ったものの、すぐに彼の真意に気付いたのか小さく微笑んで見せた。
フィーネは子供達に向き直り、
「アルトヘイムとアイリス皇国以外では、エアリス神は10大神の一柱に過ぎず、旅する神として旅人に愛されているのみだ。決して国中で信仰されるような神様ではないんだ」
エアリス神はマイナーであることに違いない。
アルトヘイムで中央国や聖王国が掲げる、10大神の一柱『勇者神クレス』を信仰していないように、エアリス神が全く信仰されていない街もある。
物乞いの少女も俯き、「エアリス様は…」と言葉に詰まっていた。
信じられることだけが真実だということではない。真実を知った結果、傷つくこともある。
フィーネもそれを分かっていたからこそ、惑い、どうするべきかを考えていた。
フィーネはゆっくりと頷き、
「暗い顔をしないで欲しい。それでもこの国を作り、平和を愛した彼女を侮ることはしない。むしろ他国が信仰しないからといって私達が大事にしてはいけない理由はないんだ」
開き直るような言葉ではあるものの、その言葉によりゆっくりと顔を上げた子供達もいた。
フィーネは一つ咳払いをすると、授業をさらに続けていく。
「古代…まだ人間が魔王と戦っていた頃の話になるが、中央国、聖王国は温暖且つ広大な敷地を擁しており、また聖王国は遥か古代から『奇跡』の力もあり、事実上人間による国家の最上位に位置している。これは今も変わらないが」
そこまで言うと、フィーネは一度息を整え、周りを見渡す。
この先の内容についていけているかどうかが、彼女にとっては心配であった。
顔を上げているのは半分程。眠っている子供もいる。
それでも学ぼうと必死に聞いている子供達を見て、フィーネは少しだけ口元を綻ばせた。
「しかし、アルトヘイムの建国後、『北方』ではアルトヘイムとの交流により、魔族が使う魔法から着想を得た『魔術』が作られ、『東方』では極東の『秘技』や、自国の秘術『気功』をより一層簡略化した技術『戦技』が生み出された。さらには、『南方』は古くから聖王国や中央国との繋がりがあり、『奇跡』を使えるものは少なからずいた。またアルトヘイムや『北方』との交流により、その過程で知識とした得た『魔術』、この二つを使い、『奇跡』を『魔術』の知識により補助し使用する、『闇術』を造り上げた。この時点で『奇跡』により優位を取っていた聖王国の力の立場は危ぶまれ始めた」
フィーネはまるで流すかのような説明であり、その内容に真面目に聞いていたであろうロイも思わず意識が飛んでしまっていた様子だった。
子供達を見渡すも、しっかりと聞いている子はかなり減ってしまった。
これは仕方ない、とでも言わないばかりにフィーネは肩を竦める。
それでも、物乞いの少女とエンファは真剣な面持ちで授業を聞いていた。
「そこに、さらには奴隷制度により大量生産をしていた中央国にアイリス皇国からの奴隷解放宣言も合わさり、中央国と聖王国は元より仮想敵国として見ていた四方への優位性を失い、まさに未曽有の危機が迫っていた」
『奇跡』に変わる力と、生産力の衰退…この二つを同時に受け入れればきっと中央国はやせ細り滅んでいた。
物乞いの少女は戸惑いながら、
「中央国がアイリス皇国を攻撃したのは国を守る為?」
その言葉にフィーネは頷き「その通りだ」と頷く。
事実、中央国にはそれしかなかった。アイリス皇国の意見を受け入れれば、やがて国力は衰え、四方のいずれかの国からの攻撃で滅びていた。
また、新たに生み出された『戦技』、『魔術』そして『奇跡』の変異型の『闇術』は広く浸透し、使い手も多く、強力なものであった。その事実を変えられないのなら、中央国は何としても奴隷制度だけは守らなくてはならず、奴隷解放宣言をしてきたアイリス皇国とは表面上だけでも対立しておく必要があった。
そして、白羽の矢として聖王国が間に入り、アイリス皇国がエアリス教という奴隷とは関係のないところを理由に宗教戦争として始め、同じくロイド神を主神としている他国の介在を牽制した。
「しかし、あくまでも奴隷制度を守る為の対立であり、それで十分だと判断したからこそ、この時代には戦争は起こっていない。」
フィーネの答えに物乞いの少女は頭を悩ませていたものの、何度か頷いてみせた。
その様子を見てからフィーネは一度口を開けたものの、言葉にならず、俯いてしまう。
「そして時が過ぎ、50年前。アルトヘイムに中央国が同盟を結んできた。その真意を考えず同意してしまい、異種族の中でも聡い魔族は真っ先にアルトヘイムから去って行ってしまった」
フィーネはまたもや早口になり、話を進めた。
「なんで?」と物乞いの少女から声があがると、フィーネは言葉に詰まり、笑顔を作りながら、
「それは…分からないな。もしかしたら、アルトヘイムは強いから、かな?」
その苦し紛れの言葉に黒衣の奴隷商は目を細め手を挙げた。
「フィーネ修道士、宜しいでしょうか?」
諫めるような言葉にフィーネは口元を歪め、首を横に振る。
「いや…すまない。そうだな。これも伝えないといけないな」
そう一言言ってから、フィーネは一度深呼吸をし、真っすぐに生徒達を見据える。
「本当は、聖王国がアルトヘイムに戦争を仕掛けてきたからだ。その名目が魔族の征伐だ」
フィーネの言葉にエンファは思わず手に持っていたペンを落とし、物乞いの少女は驚きの声をあげる。
「え?魔族が…なんでアルトヘイムに…」
フィーネは二人の反応に小さく頷く。
若い世代はこの地で魔族と共に暮らしていたことすら知らない。
今、戦争を仕掛けている、敵だという認識しかない。だが、本当は違う。
魔族もこのアルトヘイムの仲間だったのだ。
「アイリス皇国が力を持ち過ぎた故に牽制では効かず、戦争をせざるを得ない状態になってしまった。おまけに大々的にエアリス教であるアルトヘイムはアイリス皇国側に着くことに不自然はなく、異種族や魔族達が暮らすこの地の力も強大だと周りも理解してしまった。だらこそ、攻撃する理由を、かつての仇敵である魔族にした」
そこまで話したフィーネは吹っ切れるように笑顔を見せ、
「魔族はかなりエアリス様に入れ込んでいたみたいだ。聖王国とアルトヘイムの戦いを嫌い、アルトヘイムから撤退し、そしてかつての故郷である魔王城や、集落へと戻っていってしまった」
フィーネは…まるでかつての友人を思うように、浸るような口調だった。
長き歴史で、初めて戦争を回避してみせたのはエアリス神であり、その意志を継いだのが、人類の敵のはずの魔族だった。
「じゃあ…」と物乞いの少女は一度だけチラリと隣で眠っているヴィーニャに視線を向けた。彼女はヴィーニャがハーフエルフであることを知っているからこそ、思わず見てしまったのだろう。そこに恐怖はなく、まるで何かに期待するような表情であった。
フィーネはそんな生徒をクスリと笑って見せ、手元にあった木炭を拾い上げると振りかぶってヴィーニャに投げつけた。
「はぐぉ…!」
木炭がヴィーニャの額に直撃し仰け反ったものの、不服そうに顔を上げ額を押さえた。
「皆、寝てるのに…」
不服そうにヴィーニャが漏らすものの、フィーネが笑顔で睨んできたので口を押えて押し黙った。
「寝過ぎだ。授業に来たのだから少しは聞いていけ」
「はい…」
フィーネに注意されると、ヴィーニャはおずおずとした態度を取り、隣に座る物乞いの少女に、「いまどこ?」と聞いていたものの主語どころか、述語も怪しい言葉に物乞いの少女は戸惑っていた。
フィーネはそんなヴィーニャに軽くため息を吐きながらも、実のところ安心していた。
まるで始めからフィーネの苦悩をやわらげる為にしていたようにも感じる気の抜けた声に。
フィーネはゆっくりとした口調に戻り、
「そうだ。この国には元々、魔族も共に住んでいたんだ。そして、彼等はこの国を捨てる代わりにこの国の戦争を回避してくれたんだ」
フィーネの言葉にヴィーニャは「知ってる」と答えながらもう一度寝ようとし、フィーネがさらに木炭を取り出したことから姿勢を正した。
周りはヴィーニャを笑っていたものの、さっきまで眠っていた子供達も起きていることにフィーネは感心していた。
確かにそうなのだ。ここから大事なのだとフィーネは自分に言い聞かせるように呟き、生徒たちを見据える。
「魔族が撤退した後に、中央国がアルトヘイムと同盟を結んだが、しかし、この同盟は1年で無効となった」
アルトヘイムが冒してしまった愚策。そして、それにより今日の魔族との対立が出来てしまったのかもしれない。それを知ってもらう為にこの授業を始めたからだ。
「中央国としてはアイリス皇国への攻め入る為の場所が必要だった。そのことをアルトヘイムは見抜けなかった。戦争等しないと思っていたのだろう。しかし、結果として、アルトヘイムは一方的に同盟を破棄したとして、『北方』と『南方』から白い目を向けられ孤立した」
フィーネは説明しながら臍を噛んでいた。
アルトヘイムの闇を作り出した原因は中央国や聖王国であっても、その兆候は過去にもあったのだと、言いながら理解したからだ。
「だが、戦争は起きなかった。聖王国の大主教が急逝し、新しい大主教が平和主義を貫き、エアリス教を全面的に認める意向を固めた」
この言葉を信じられない子供は多く、「聖王国が?」とすら漏らしていた。
確かにその通りだ、とフィーネは頷き、今までの聖王国の行動からすればそう思っても仕方ないとさえ感じていた。
だが、聖王国も常に五か国の平穏を願う上で、常に中央国が頂点に立ち、他国への抑止力となる必要がある、と考えたからこそなのだろう。その行動を理解出来る部分もある。
「当時の大主教はそれだけではとどまらず、冷え切ったアイリス皇国と中央国との関係修繕にも尽くされ、奴隷制度については一度議論を持ち越しというところにまで持っていったらしい。翌年には『北方』とアルトヘイム、そして元々奴隷制度になじみがなかった『極東』、さらに聖王国でも奴隷制度が廃止となり、戦争を回避できそうになるまでにはなった」
これだけ聞けば、きっと当時の大主教は聖人と呼ぶに相応しい。
しかし、全体を見れば、結局戦争は起こり、彼は自分の事だけを考えて行動した愚者…とそう呼ばれても仕方ない。
それでもフィーネは、彼の事を好意的に思っている。
戦争を嫌うからこそ、国力を削いでも、敵として叩けるはずだったアルトヘイムに頭を下げてでも回避した。事実彼の任期の間は戦争は『極東』の内輪もめ以外では起こらなかったのだから。
フィーネはそこまで思うと、不意にその表情を暗くする。
もしも彼が生きていたらとすら考えてしまっていた。彼の登場は早すぎた…そう言わざるを得ない。
「だが、10年後、彼は暗殺されてしまい、結果、聖王国では下級修道士という名前を変えただけの奴隷を作りだす原因になった」
噛みしめるように言ったフィーネの言葉に子供達は静まり返った。
それに気づいたのかフィーネは慌てた様子を見せながらも、結論へと急ぐように、
「結果として、奴隷解放を一度は受け入れたにも関わらず、また作り出したことからアイリス皇国は聖王国を糾弾し、アイリス皇国対中央国と聖王国の形はこの時に出来上がってしまった」
そして、最後の真実を伝える為に深呼吸をする。
この戦争の本当の原因は…
「これで、分かったかもしれないが、アルトヘイムにより魔族や異種族との交流が始まった。そこで得た技術の革新が戦争を招いてしまったんだ」
これがアルトヘイムが無関係でない理由だ。
エアリス神の導きによりアルトヘイムが誕生し、そして魔族と人間の戦争を終わらせた。
しかし、彼女が去った後、交流により生まれた技術と思いが人間世界の均衡を崩し、戦争をせざるを得ない今日の世界を作り上げてしまった。
フィーネはゆっくりと周りを見渡し、呆気に取られている子供や、深く考え込んでいる子供達を見つめた後、黒衣の奴隷商を見つめる。
黒衣の奴隷商も頷きと共に、終わった事を告げていた。
フィーネは気を楽にするように、
「ここから先は最近のことになる。知っている者もいるだろうが、復習だと思っておいてくれ」
そう前置きをし、
「まず、12年前。私も参加した中央国とアルトヘイムの戦争だ。これは結果は知っているな?」
フィーネの言葉に子供達は口々に「勝ったんだよね」と口を開いた。
ものの、特に今までの授業を真剣に受けていた二人、エンファと物乞いの少女は思いつめた表情をした。
素直に、勝ったと言えないことが分かってしまったのだろう。
「次に、7年前と言われているが、正式な開戦は分からないが聖王国とアイリス皇国の間の戦争だ」
フィーネがそう言ってから、黒衣の奴隷商に視線を送ると、彼は肩竦めて見せ『圧勝でしたね』とでも言いたげであった。フィーネも肩を竦め、
「今までのこともあり、アイリス皇国が至高神ロイドへの宗旨替えを言われ、反発したものの聖王国軍では魔女達が住む魔法の森を突破できず開戦すら起こらなかったとも言われている」
そうは言いながらも、フィーネは知っている。
実際には起こってしまったのだが、文字通り聖王国軍は蹴散らされたと。
アルトヘイムからの進軍が出来ない以上、聖王国は山脈を超えるか、『東方』から街道のない森からの周り道をすることになった、
二方向に分けて進軍したものの、魔法の森に住む、唯一人間にして魔法が使える魂の魔女と、アイリス皇国が分け与えた土地に住むハーフエルフ達が追い返してしまったらしい。
山脈では魔物の襲来や、薄い空気の中で深い集中を必要とする『奇跡』が使えず、何とか山脈を越えたものの、アイリス皇国の『近衛騎士』『魔導騎士』『護教騎士』に手も足も出なかったと。
おまけに、山脈越えでボロボロの聖王国軍を、余りの小汚さと、弱さに『大規模な山賊』と思い込み、9か国会議の際にもそう報告していた。
その所為でこの戦争については殆ど無かったことにされている。そして、これにより…
「そして、6年前。これは皆は知らないだろうが、『英雄戦争』と言われているものがあった。知っている子はいるかい?」
フィーネが尋ねるものの、誰も答えない。
誰も知らないのは仕方ない。これも内輪もめでしかないのだ。
この戦争が起こったのはまさに皮肉でしかない。
国としての体面を保つために、公には戦争をしていないとした聖王国。
援助したことを隠した中央国。
二つの国が自分の国の利益を考え、隠したことから勃発してしまった。
正義を信じて派兵されたものの、生きて戻った者にも、死んだ兵士の家族や友人に告げられたのは『そんな戦争は存在しない』という無慈悲な言葉だった。
栄誉と平和の為に戦いに行ったはずの仲間達の無念を晴らす…それがこの『英雄戦争』だ。
「これはアルトヘイムにもアイリス皇国にも関係のない戦争だからな。戦争が続き、それも負け戦が積もり、中央国内の12の騎士団が革命派と保守派の二つに分かれ、お互いの血を流し合った。結果的には保守派が勝利し、革命派は全て斬首とされたらしい」
フィーネも確信を得ている訳ではないので、それ以上は口にしなかった。
歴史を紐解き、残された情報から導けた答えではあるものの、それでも公には公表されておらず『内戦』としてのみ語られている。
なので、邪推も混じっている自分の意見を語らないというフィーネなりの考えなのだろう。
「そして、5年前の魔族による宣戦布告…」
そこでフィーネは一度区切り、
「これがこの世界の血塗られた側面の一つだ」
子供達は首を傾げていた。
始めよりこっちの方が興味のある子供もいるみたいではあるが、フィーネは続ける。
「あげればキリがないが、『極東』では今も戦国時代と言われ領土同士で戦争をし続けているし、『東国』も10年前に武王が乱を治めるまでは民族同士の内戦が続いていた。『南方』も聖王国流の奇跡派と闇術派が未だに水面下で衝突している。近くでいうのなら、4年前の聖王国が魔王城に派遣した勇者の敗北もこれに入るのだろうな」
フィーネの一通りの説明が終わると、「戦争はそんなに…」とエンファと物乞いの少女が俯きながら溢していた。
フィーネはその二人の言葉に向き合うように、
「世界では、いつでも何処かで戦争が起こってしまっている。血を流し、大切な人と別れ…それでも得た勝利にしがみつこうとしている。そうやってようやく得た平和でさえ、次の戦争の為の準備期間でしかない」
無慈悲とも言えるフィーネの言葉にエンファと物乞いの少女は目に見えて落ち込み、他の子供達も戸惑いを隠せなかった。
黒衣の奴隷商はゆっくりと頷き、まるでその通りだ、とでも言いたげにフィーネを見つめる。
「だが…」
フィーネが絞り出すように声をあげる。
その声に子供達は顔を上げ、黒衣の奴隷商も目を見開いていた。
フィーネはしっかりと前を向き、子供達だけでなく…まるで果てしない遠くを見つめるように。
「だが、それでも諦めないで欲しい。いずれ必ず平和は来ると。エアリス様が導いたように、人は、戦い、滅ぼす以外でも戦争を止められると!」
感情的で力強い言葉。それはきっとフィーネ自身の答えではなく、願望でしかない。
それでも圧倒され、周りは静寂で包まれていく。
彼女にしては珍しく饒舌に語ったところで、ふと我に返ったのか、フィーネは少し照れ臭そうに赤面し、
「難しい話だったか?」と自嘲気味な笑顔を浮かべた。
子供達はキョトンとしていたものの、ゆっくりと口々に、「よくわからない」、「難しい」と顔をしかめたあったりし始めた。
不意にフィーネに視線を送られたと感じたのか、物乞いの少女だった。
「うん」と困ったように眉を曲げながらも、フィーネの視線に答える。
フィーネはそれを笑顔で受け取ると、軽く首を振り、
「いや、君じゃないよ。君はよく噛みしめてくれていたと思う。私の言っているのは君の隣だ」
そう言いながらフィーネが指をさしたのは、大きく口を開け、目を閉じていた少女…ヴィーニャだ。先ほど、お叱りを受けたのにも関わらず、その態度は全く変わっていない。
「ふぇ…?」とヴィーニャが間抜けな声と共に、寝ぼけ眼を開く。
その視界にフィーネを映した途端、彼女の表情が青ざめていく。
「ふふ、”また”居眠りとはな。涎がついているぞ、ヴィーニャ」
言葉こそ優しいものの、それでも威圧感は周りにも伝わる。
ヴィーニャは泣き出しそうになりながらも、口を何度か開けようとしたが、恐怖で声が出ないのか、ついには視線を逸らしうずくまり始めた。
そんな彼女に、同じチームのリーダーであるロイが優しくも諫めるように声を掛けていたが、殺気にも似た威圧を感じたヴィーニャは耳を貸そうともしない。
「あの、聞いてもいいですか?」とエンファが口を開いた。
内気な彼女らしくない、力の籠った声にフィーネは驚いていた。
「どうかしたか?」
「エアリス様は帰ってきたんですよね?だったら、戦争はもう終わるんですよね」
その言葉には違和感があった。
言葉の表面上だけを捉えれば、妄信的なエアリス様への期待。だが、エンファの瞳がそれを否定しようとしている。
熱心なエアリス様の信者でもあるのに、何処かで否定して欲しい…そんな気持ちすら見て取れる言葉だった。
フィーネは少しの間考えてしまっていた。
熱心なエアリス教の彼女がそれを口にしてしまっていいのか、と。
そして、逡巡を振り払うように大きく頷いて見せ、答えを示す覚悟を見せた。
「それは違うんだ。」
その言葉にエンファと物乞いの少女以外は大きく「え?」と声を上げた。
驚きの声が上がる。闇が包もうとするような中、フィーネは月の明かりのような声が響く。
「すまない。だが、聞いて欲しい。全てをエアリス様一人に任せるようなことはしてほしくないんだ。辛いかもしれないが、一人一人が前を向いて、戦争を終わらせ、平和へと導く為に考えて欲しいんだ。かつてのエアリス様も一人ではきっと戦争を止められなかった。仲間がいたからこそ、彼女は戦争を止められたのだと信じている」
フィーネは一度言葉を区切ると、まっすぐ遥か空の高みを見据えるように顔を上げた。
「辛くても、泣きそうでも、考えを放棄しないでくれ。諦めないでくれ。月光も暁も必ず大地を照らす。人間という日の光と魔族という月の光も共に輝ける。どちらも失ってはいけない」
フィーネの詩的な言葉に子供達がついていける訳もなく、悪い意味での静寂が辺りを包んでいく。そんなフィーネに奴隷商も小さくため息をつきながらも、頬を綻ばせ彼は小さく頷いた。
それを見た訳でもないが、物乞いの少女や、『幼き翼』達もお互いに視線を向けあい、ゆっくりと頷いてみせた。
「こら、フィーネ」
ふと、静寂を破るように、太陽のような温かでありながらも怒ったような声が響いた。
フィーネは慌てた様子で声のした方を振り向き、目を丸くしながら。
「姉さま!?」と困惑しながらも声を上げた。
フィーネが視線を送った方向には、太陽のような優しいハニーブロンドの髪色を持つ、修道服に身を包んだ女性が立っていた。
フィーネの双子の姉にして、イニーツィオ…イニス助教司祭がそこに立っていた。
病弱の身であるものの、聖王国のいかなる導師をも霞ませる程の『奇跡』を身に着けた彼女はまさも生ける伝説と呼ぶに相応しい。
彼女の登場に驚いたのはフィーネだけでなく、奴隷商は言葉を失い、そして子供達は目を輝かせた。
「あーイニス様だ!」と子供達の一人が声を上げ、それに応えるようにイニスが丁寧なお辞儀をしてみせた。
「ふふ、皆さん。ごきげんよう」
彼女は普段と変わらないものの、フィーネは驚きで目をしばたたかせていた。
まるで『ここにいてはいけない』とでも言わんばかりに。
「どうしてこちらに?」とフィーネは言葉を選んで姉であるイニスに尋ねると、イニスは小さく笑いながら。
「あら、可愛い妹の授業とその教え子をみたいと思うのは姉として当然じゃないかしら?」
「ですが…」とフィーネが食い下がるが、彼女の口元を見てその瞳を思わず伏せそうになっていた。
微かだが、まだ血の跡のある口元。そして、元々色白の彼女だが、彼女をよく知る者であるなら、顔色が悪いのも容易に分かる。
「フィーネ。それに、黒先生でしたか?」
イニスが平静を取り繕いながら、フィーネと奴隷商に声を掛け、
「お二人の気持ちは分かります。ですがそれらをまず考えるべきは私達大人ではないでしょうか?」
まるで優しく諭すように伝えると二人はバツが悪そうに視線を泳がせた。
言葉に詰まった二人だが、口を揃えて「その通りです」と溢した。
イニスはゆっくりとした足取りで壇上へと立つと、手を軽く叩いて見せた。
しかし、力が入らないのか乾いた音もせず、ただ手を合わせただけ…にしか子供達には見えなかった。
「ですが、皆さん。今、フィーネが話したことは紛れもないこの世界の歴史の一部です。勿論、それが全てではありません。でも目を背けないで下さい。生きていく以上、辛いことや悲しいこともあれば、嬉しいことも楽しいこともあります。だから、生きることを諦めず、強く生きて下さい」
イニスの言葉を受け取められた子供達は多いだろう。
元より魔物が多く、そしてさらに危険地帯とも言えるアルトヘイムだ。
それだけでなく戦争中で物価が高騰し、明日の食糧にでさえ困窮する者だっている。
「あら、そこのあなたは思いあたることがあるのですね」
イニスはふと物乞いの少女の強い視線に気づき笑顔を見せた。
物乞いの少女は真っ直ぐにイニスを見つめ、ゆっくりと頷き。
「うん!でもね、今ここにいられて幸せだよ!」
その言葉に奴隷商は思わず顔を背けていた。自分のしてきたことが、エゴであったとしても、それを幸せだと感じてくれている少女の言葉が嬉しかったのだろう。
「嬉しいことがあったのですね」とイニスが笑顔で返すと、物乞いの少女は大きく頷いた。
「うん!優しいのに理由はいらないんだよ!ね、黒先生!」
奴隷商にとって、自分の言った言葉だった。同意を求められ彼は目を丸くした。
「な…ええ…そうですね」
苦しくも必死にそう返すが、フィーネとイニスが同時に彼を見つめ、
「あら?」とイニスは頬を綻ばせ、
「ほう?」とフィーネは茶化すように笑みを浮かべた。
二人の視線から逃れるように奴隷商は顔を手で隠し、
「こっちを見ないで下さい…私はただの商人です」
苦しい言葉ではあったものの、物乞いの少女はそんな奴隷商の気持ちに気づかず、
「ねぇ、黒先生。お姉さんやお兄ちゃんは今日は来ないの?」
それがアルベルトやセフィラの事であるのは間違いない。
「いえ、あのですね。まだ授業中ですよ。それにアルベルトやセフィラは…仕事もあるので」
奴隷商の言葉に物乞いの少女は残念そうな表情を浮かべたものの、
「赤い髪のお兄さんは?」
その言葉に奴隷商は言葉に窮していた。
「多分…仕事かと」と遠回しに彼女を男性として扱っていることに多少の罪悪感は感じていた。
奴隷商が物乞いの少女と話している間、フィーネとイニスが子供達に聞こえないような声で話していた。
「フィーネ。私達は確かに闇の中を歩いていた時がありました。でも、それが全てではなかったはずですよ」
イニスの言葉をフィーネは噛み締めるように聞き、その体を支えようと手を伸ばしていた。
イニスもそれを受け入れ、倒れそうな体をフィーネに支えて貰いながら、
「見ないで済む闇なのであれば、無理に見せる必要はありません。いずれ直視しなければならないその時までは、大人となった私達がこの子達の目張りとなってあげましょう」
イニスが言い終わると、フィーネは泣き出しそうな表情で「はい」と強く頷き、イニスの手を強く握った。
そんなかつての英雄を満足そうにイニスは見つめ、
「…という訳で、今日のお昼の授業は、お料理…お菓子作りを勉強しましょう」
その言葉で周りが静まり返った。
「あの…ここで教えるのは日常で使えることなのですが…」とフィーネが訂正しようとするが、イニスは悪戯っぽく笑い。
「ふふ。お菓子作りも料理には違いありませんよ。それにお菓子を食べられるのが日常にならないなんて誰が決めたのですか?」
総じて菓子類というのは高級品である。
かつての『勇者』の一人が発見した砂糖を使うようなものは特にだ。今日では、ギルベルという変り者が作ったとされるチョコレートに至っては中央国では金貨と同等の価値で貴族間で取引されている程だ。
奴隷商は思わず呆れたような表情になり、
「恐ろしい方ですね。一般家庭を宮殿にでもするつもりですか?」
彼の言葉にイニスはキョトンとしたものの、すぐに笑顔になり、
「それもいいかもしれませんね」と笑顔を見せた。
本気が冗談かはさておいて、それでも彼女はとても楽しそうだ。
子供達は料理の授業を喜んでいるようで、こぞってイニスの下へと集まり、
「イニス様。白先生の料理美味しいんだよ!この前のおこげラス炒めも美味しかったよ!」
その言葉に奴隷商は仕返しと言わんばかりにフィーネに視線を送る。
フィーネはというとそんな彼からの視線を逸らし、無言で立ち尽くしていた。
「あら。でも、白先生はお菓子作りが苦手なんですよ。皆で手伝ってあげて下さいね」
イニスが子供達の言葉に応えると、「そーなの?」と声があがる。
堪らなくなってかフィーネは顔を子供達の方へと向け、
「な!いや、その…甘いのは苦手だから…その…それに、焼きあがるのに時間も掛かるから…焦がしてしまうか…その…炭になるだけだ」
必死に自分の料理下手をフォローしようとするが、
「あらあら、好き嫌いはいけませんよフィーネ」
とイニスに諫められ、頬を膨らませながら、
「姉さまが生焼けは病気になるからと…」
「あらあら。ごめんなさいね。でも焦げたのも体に悪いですよ」
結局イニスの方が一枚上手で、フィーネも諦めたのか準備に勤しみ始めた。
イニスはゆっくりとした口調で、「では、材料を買ってきますね」と言い残して外へと向かう。フィーネが慌てて止めようとしたものの、察した奴隷商が彼女の下へと行き、
「料理下手ですので、私がお手伝いしますよ」
暗に彼女に待っているような口調で伝えるものの、
「荷物持ちをお願いしてもいいですか?大量に買いますので。それに今日は天気もいいのでたまには散歩でもしようかと」
イニスがにこやかに伝えるものの、その手は震えていた。
「…成程。いいでしょう」
奴隷商は自然にイニスが掴まれるような位置に立ち、いつもよりゆっくりと歩きだした。
イニスはゆっくりと後に続き、途中奴隷商に掴まりながら、
「あのパレードに危機感を覚えてくれたのですね」
イニスの言葉に奴隷商は目を細め、
「ええ…あれでは戦争を煽るようなものですから」
イニスの言葉に奴隷商は自然と答えた。
普段の彼なら何か気の利いた冗談で煙に巻くが、イニスが無理をしてでも話す為に連れ出されたのなら隠す必要がないのだろう。
「煽るのではなく、立ち向かうのではないのでしょうか?」とイニスが意地悪な返しをすると、奴隷商は少しムッとした表情をしながらも、
「言葉の違いであり本質が同じです。戦争を止める為に何も知らずに攻撃するのはきっと愚かなことです。原因が分からなければお互いが血の果てるまで傷付けあうことしか出来なくなる。そうは思いませんか?」
イニスは笑顔をたたえながらも、軽く胸を押さえ、
「どちらが正しいでは十分ではないと?」
「ええ。そもそも、殺し合うことに正しい等ないのです。生きるからには喰らうことすら、命を奪う行為であり、悪でしかないと私は考えています」
奴隷商の言葉に、イニスは小さく頷くのみであった。
答えられないという訳ではなく、彼女自身、無理を押しているのは分かる。
奴隷商はそんなイニスから視線を逸らし、
「それでも、全てには原因があり、その答えの果てに解決する方法を模索しなければならないのであれば、正しき知識を身に着け、攻撃する以外にも解決方法はないのか、と模索すべきです」
奴隷商が話を切り上げるようにそう告げたものの、イニスはゆっくりと顔を上げ、
「知識による意識の暴走の防御とでも言いましょうか…」
その言葉に奴隷商は首を傾げそうになりながらも、「何がでしょうか?」と言葉を振り絞るように返すと、イニスはクスリと小さく笑い。
「あなたが、12年前からこの国にいたら、きっとフィーネと『宵闇の担い手』と共に、答えを出せていたのでしょうね」
12年前…それはこのアルトヘイムが中央国と戦争をしていた頃だ。
奴隷商もすぐにそのことには感づき、呆れた様子と共に肩を竦ませ、
「過分な評価ですね。私は損をしても正当を望む者ですので受け取れません」
奴隷商の言葉にイニスは瞳を細め、口を開きかけたものの、不意に「イニス様!」と後方から声を掛けられゆっくりと振り返る。
そこには癖っけの少女が息をせき切らせて駆けてきていた。
イニスと奴隷商を追いかけてきたのは、エンファであった。
「あら、エンファさん。どうかしました?」とイニスは言いながらも、その表情は明るかった。辛さを隠す為なのか、それとも教え子でもあるエンファの成長を見てなのかはわからない。
エンファはイニスの隣に立つと、肩で息をしながらも、
「あの…お手伝いします!」
その瞳には何処か信念のようなものすら感じられる。イニスはゆっくりと頷きながら、
「そうですか。では、まず手を繋いでもらえますか?」
そういいながら、イニスの方からエンファの手を優しく握る。エンファはその手を包むように繋ぎ、大きく頷いた。
「はい!」とエンファが大きな声で返事をしイニスと共に歩き始める。
イニスはゆっくりと瞳を閉じ、胸に手を当てながら何かを噛み締めるように、
「触れ得ざる盾…その答えが私にも見えてきた気がします」
盾とは相手の攻撃から自分を守るものだ。それに触れられないということに奴隷商は首を傾げた。
「それは…盾なのでしょうか?」
と彼が溢すと、エンファは首を傾げた。イニスは満足するように、
「起こりえた『奇跡』を信じるお話ですよ」
エンファに教えるように優しく伝えたものの、エンファには理解できなかったようだ。
それは奴隷商も一緒だった。
三人で市場へと向かう途中、奴隷商がゆっくりと自然を装いながら、
「イニス助教司祭…お話があるのですが」
「いえ、分かっていますよ。明日には発つのですね」
イニスは知っていたかのようにサラリとした口調で返してみせた。奴隷商は目を丸くしたものの、ゆっくりと頷いて返した。
「あの授業を聞いていたら分かりますよ。あなたも何かに戦う決心がついたのですね」
イニスの言葉に奴隷商は「頭が下がります」と丁寧に返し、一度エンファの方へと視線を送った。
不安なのか、寂しさを感じているのかその瞳は暗く、戸惑いもあるのか「黒先生…」としか彼女は言えなかった。
奴隷商はゆっくりと膝をつき、軽くエンファの頭を撫でながら、
「申し訳ありません。ですが、必ず戻ります。そして、アルトヘイムの闇の一つと戦うと誓いましょう」
その言葉にエンファは表情を暗くした。きっと思い当たる節があるのだろう。
それでも彼の言葉を噛み締め、強く頷いてみせた。
イニスはゆっくりとした口調で「そうでしたか」と小さく溢し、エンファと繋いでいた手を離すとゆっくりと胸の前で組んだ。
「闇と戦いますか。ならばあなたが闇を払う光となるよう、あなたに『アナトリア』の導きがあらんことを」
『アナトリア』という言葉に奴隷商は首を傾げ、
「『アナトリア』?神の名でしょうか?」
その反応はエンファも一緒であった。聞きなれない言葉であった。
イニスは小さく笑うと再度エンファの手を取り、
「これは、古きエアリス教と、かつてこの地にいた異種族の長のみが知る名前ですよ。もし旅先で出会えれば聞いてみて下さい」
悪戯っぽい言葉に奴隷商は肩を竦めながらも、
「そうですか。わかりました」
決意を込めた言葉と共に市場へと歩を進めていく。
この世の闇とは戦えない小さな奴隷商…。
それでも、彼はこのアルトヘイムの闇と戦う…そう誓い歩を進めていく。




