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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第三話『アラン』

『三話』


 成り行き上、勝手に師匠を名乗る冒険者アランの弟子となった私。

 強引に町の外へ連れていかれながら、ふといつの間にか腕の痛みが引いていることに気づいた。

 まだ血は完全に止まっていないけれど、かなり便利ななものに違いない。

「そういえばアランさんはさっきのあの薬って作れないの?」

 マリアちゃんあたりが興味を持ちそう。

 教えてくれなさそうだけど、一応聞いてみると、アランさんは「そんな器用じゃねぇ」と否定してから、

「簡単なのは作れるけどな。それも作るとなると材料とか器具とかもいる。俺のような根なし草の冒険者がそんなもん持って歩けねぇよ」

 言い終わってから懐から一本の瓶を取り出した。

 瓶の中には少し青みがかった水の中に何かの葉っぱを切ったものが入っているのが分かった。

「もっぱらこれだ。瓶の中に綺麗な水と、刻んだ薬草、クコの実を適当に砕いたものだけ入れておくんだ。一日も漬けておけば完成だ。」

 薬草はハーブのことだと思う。クコの実も小さめのクルミのような実だ。探せば見つかりそうだ。

 アランさんは「こんなもんでまじまじ見んな」と苦い表情をする。

「まぁ、単なる痛み止め程度の効果だけどな」

 痛み止めならさっき使ってくれたものと一緒だと思う。

 効果が一緒なら態々良質なものを作る必要もないはずだけど。

「簡単そうだね。あたしにも出来そう」

「これが出来ない奴がいるなら逆に見てみてぇよ」

 呆れたようにため息をつかれる。

「薬師になりたい子がいてね。後で教えてあげようかな」

「へぇ、そうかい。この何もない村もポーションが作れれば生活も潤うかもな。ただ機材がないと到底無理だぞ」

「それは違うの?」

「こんなもんをポーションとか言ったら怒られるぞ」

 アランさんとそんなことを言いあいながら歩いていると、

「あー!」

 絶叫が聞こえた。声の主はマリアちゃんだった。

 気付くといつの間にかマリアちゃんの家の前まで来ていたようだ。

 マリアちゃんはアランさんを指さし、言葉にならない怒りを向けているのは分かる。

「よう、チビ助」

 アランの一言にマリアちゃんは両手を振り上げた。行き場のない怒りは見て取れる。

「何しにきたの!帰れー!」

 別に目的地がここだった訳ではないけれど、結果としてマリアちゃんがご立腹になってしまった。

「マリアちゃん。そんなに怒らないで」

「あ!カホお姉ちゃんをいじめてたんだ!絶対そうだ!」

 なだめようと前に出てみたものの、火に油を注いだようなものだった。

「違う。たく、面倒なチビだな」

 アランさんはやれやれと首を鳴らしたものの、マリアちゃんの家の中を見て驚いたような表情をした。

「お?薬研があるのか。それに、釜もある。あとは抽出機か…」

 ぶつぶつと一人言をいいがら、

「邪魔するぜ」と強引に家の中へと入っていく。

「あー!」

 悲鳴をあげながらマリアちゃんがアレンさんを体当たりするように止めようとするがそのまま引きずられて中へと入っていく。

 一応後に続くと、アランさんは薬研を見たり、暖炉に置いてある釜をひっくり返してみたり、家に飾ってあったであろう置物を熱心にみていた。

 家探しとも言える状態だ。

 マリアちゃんはそんなアランさんの凶行を止めようと必死にすがりついている。

 まるでヤクザの取り立て現場。犯罪臭しかしない。

「チビなのに良いもの持ってんな」

「それお母さんが大事にしてたの!触っちゃダメ!」

 何とか取り返そうと必死なマリアちゃんに、アランさんは小さく笑って見せた。

 嫌味とか捻くれた笑顔ではなく、純粋に優しい笑顔だ。

「お母さん、ね…」

 アランさんはぽつりと呟き、足元にいるマリアちゃんを持ち上げると、

「薬師希望はこのチビか」と聞かれ、私は素直に頷く。

「もぉー!はーなーせー!」

 じたばたと暴れるマリアちゃんをよそにアランさんはマリアちゃんを薬研の前に置き、ご機嫌を取るように笑顔をみせる。

「ケチケチするなよ。ほら、ポーションの作り方教えてやるよ」

 ただ当の本人はというと完全にむくれてしまい、「ふん!」とそっぽを向いてしまった。

「嫌われたもんだ」とおどけるアランさんだが、あれだけのことをすれば嫌われるのも当然だ。

 拗ねてしまっているマリアちゃんをよそにアランさんは薬研に触れ、

「使い込まれているな。古いがよく手入れされている。」

 そういって薬研車を手に取り軽く動かしてみせた。

「よっぽど大切にしていたんだろうな」

 アランさんがニヤリとマリアちゃんに視線を送る。なんて遠回しな誉め言葉なんだろう、と端から聞いていると呆れそうになる。

「ふん―だって、お母さんとの思い出だもん」

 むくれながらもマリアちゃんは褒められたことには反応した。子供ならではの反応。

 嫌なことがあって無視をすると決め込んでいても褒められると反応してしまうのだろう。

 ましてや、大事なお母さんとの思いでが詰まったものだ。反応せずにはいられなかったのだろう。

「クコの実はあるか?」

「おじさんにあげるのはない!」

「じゃあ、材料は俺のを使うか」

 アランさんはそう言うと薬草と丸い小さな木の実を薬研に入れていく。

 マリアちゃんはそっぽを向きながらも、チラリと分量を見ては視線を逸らし、また見てはを繰り返した。

 マリアちゃんの勉強熱心さが私にも伝わる。

「まずはこの薬研に薬草とクコの実を9対1の割合で置いて…」

 アランさんはワザと説明口調で話し始める。

 この人の人の良さがよくわかる。なんだかんだと憎まれ口を叩きながら世話焼きが好きなのだろう。

 パキ―と妙な音がなった。

「あ、やっべ。欠けちまった…」

 見てみると薬研の先が小さく欠けているのが分かった。

 血の気が引いた。

 勿論―

「ああぁぁぁー!」

 マリアちゃんの絶叫が響く。わなわなと震えるマリアちゃんになんて声をかければいいのか分からなかった。

「悪い悪い。不器用なんだよ」

 若干悪びれた様子でアランさんが軽く謝る。少なくともそれが最適解ではないことは私でもわかる。

「あああ…うあぁ…。ううう…ふぐぅ…」

 余りのショックでマリアちゃんは言葉にならない声と共に欠けた薬研を凝視している。

 アランさんはというと、「悪かったよ」と軽いノリのままだ。

 土下座じゃすまないような状況なのに。

「ほら、チビがやりな」

 アランさんは放心しているマリアちゃんを掴み、無理矢理薬研の前に座らせ、さらに私には、暖炉に置いてあった鍋を手に取り差し出してきた。

「カホも手伝ってやれよ。ほら、この鍋の三分一くらい水を汲んできてくれ」

 鍋は受け取ったものの、マリアちゃんの視線に気づいた。

「カホお姉ちゃん…助けて…」

 必死に助けを求めてくる。そりゃそうだよね。いきなり会った人が大事なものを壊して、さらにその後二人きりになるなんて私でも無理だよ。

「離れれそうにないかな」

 私は差し出された鍋を受け取らずに答える。

 アランさんはため息と共に、

「仕方ねぇな。汲んできてやるよ」

 そそくさと外へと出ていった。いや、逃げていったというのが正解かもしれない。

 アランさんが外へ出て行ってからマリアちゃんをどう慰めようかと思案していたが、すぐにその必要がないことがわかった。

「ごめんね、マリアちゃん」

 小さな少女は、大泣きして現実逃避してもいいような状況なのに、涙を流しながら薬研車を挽いていた。

 時折涙を拭い、一生懸命に挽いていた。

「カホお姉ちゃんは悪くないよ。悪いのは全部あのおじさんだもん」

 その言葉は強かった。私がこれくらいの時、同じことがあったら、そう出来ただろうか?

 きっと出来ない。

 だから私に出来ることは一つだけ、その小さな体をただ支えることしか出来なかった。  

 マリアちゃんを後ろから抱き締め、「強いね」とだけ励ます。

 マリアちゃんは首を振り、

「欠けちゃったのは…寂しいけど。でも…なるもん。薬師に。だから、作って…うぅ」

「頑張って一緒に作ろうね」

「…うん」

 マリアちゃんは涙を拭い、さらに薬研車を挽き続けた。

 薬草は摺りつぶされると、始めこそ緑色の汁と共に千切れていったが、そこにクコの実の粒が混じることによって水分が失っていき、段々と青みを帯びた粉状へと変化していく。

「ねぇ…カホお姉ちゃん」

 マリアちゃんに名前を呼ばれ、「なに?」と聞き返す。

 マリアちゃんは小さな声で、

「一緒にいてくれる?」

 短くそういった。きっと、今のこの状況だけを言っているのでない。

 なんだかんだ言ってもマリアちゃんはまだ子供だ。

 気丈にも村の皆には迷惑をかけまいと元気に振舞っていたのだろう。

 だからこそ子供には背負いきれない程の無理もしている。

 頼れるかどうかは分からないけれど、少しでもその荷を私に預けて欲しい。

「うん。分かったよ」

「約束だよ」

「うん。約束」

 小さな手を私に向けてくる、思わず指切りだと思いマリアちゃんの小指に自分の小指を絡めてしまう。

 キョトンとした表情をされてしまう。適当に笑ってごまかし、小指を縦に振り。

「指切りげんまん~、嘘ついたらはりせんぼん、のーます!指きった!」

 よく聞いた歌、よく知った歌と共に約束を交わし、指を離す。

 半場ヤケクソ感もあった。

 マリアちゃんは不思議そうにしていたが、絡めていた小指を見て笑顔になり。

「指きった!」と笑顔で答えてくれた。

 マリアちゃんと笑顔で笑い合う。

「お、上手いじゃないか」

 アランさんは戻ってくるなり、マリアちゃんを褒めたものの、笑顔だったマリアちゃんは慌てて「ふんだ」とそっぽを向く。

 水を汲みに行っただけにしては時間の掛かったアランさんを睨んでいると、「悪いな。なだめて貰ってよ」と小声で感謝された。

 上手いっていうのはマリアちゃんと私に言っていたのか、と呆れそうになる。

 子守は得意ではないけれど、マリアちゃんは別。むしろ私が多くのことを学ばされる。

「挽けたよ」

 マリアちゃんがアランさんに挽いた粉を見せる。ぶっきらぼうに言っているつもりなのだろうけど、威圧感がまるでない。

 アランさんは粉に軽く触れ、サラサラとした質感を確認し、

「よし、俺は詳しくないが、多分これでいいだろう」

 本当に適当なことを言っていた。

 大丈夫なのかな、と不安になる。

「本当はもっと量が必要だが水も少なめだしこれでいいだろう」

 アランさんはそう言うと水の張った釜の中に薬を入れ、軽くかき混ぜた。

 青色の薬草等の粉が水に溶けあうと、ゆっくりと透き通った青い色素を出し始めた。

「薄い色だな。まぁ、始めはこんなもんか」

 独り言ちた後、アランさんは釜をもって暖炉まで行く。釜を置いた後に、暖炉に薪を入れ、手をかざす。

 しかし何も起こらない。

「うーん。やっぱ精霊は気まぐれだな」

といいながら、懐から何かの紙を取り出し軽く触れた。

 少しすると紙から火が生まれ、薪に伝わっていった。

 マグネシウムか何かかな?とは思ったが、多分違う。

 触れただけで着火するものなんてあったかな?と考えてしまう。

 科学はあまり得意ではない。紙のような着火剤を私が知らないだけなのだろう。

「後は釜で茹でて煮詰めて成分を抽出して、水気をある程度飛ばした後に最後にあの抽出機に入れてさらに濃縮する。これで完成さ」

 言い終わってからマリアちゃんと視線を合わせる為にしゃがみ「火にだけは気を付けな」とアドバイスをした。

 マリアちゃんは頷きはしなかったものの「わかってる」とその言葉を受け取っていた。

「俺は簡単なポーションの作り方しか知らんが、材料を変えたりすれば効能はあがるはずだぜ。」

 言い終わったのかアランさんは私に向き直り、

「さて、カホ。お前は今から稽古だ。俺は明日には発つからな。行くぞ!」

「え…うん。分かったよ」

 乗り気じゃないが仕方なくついていく。マリアちゃんを一人にしていいものか、と。

 マリアちゃんが心配だけど、家を出たところで、「あの…」とマリアちゃんに引き留められた。

 複雑な表情をしている。

 気持ちは分かる。大切なお母さんの思い出の品を壊されたりもしたけど、夢であるポーションの作り方を教えて貰ったことへの感謝。

 大人でも素直にお礼をいうべきか迷うと思う。

 マリアちゃんはそれでも決断したんだと思う。大事なお母さんとの思い出を超えて前に進むことを。

 もし、言葉に出来なくてもそれでも彼女の決意は否定できないと私は思う。

「ありが…」

「感謝は出来てからにしな」

 言いかけた言葉をアランさんは遮った。それはあんまりじゃないかな、と呆れそうになる。

 マリアちゃんに振り返りもせず、アランさんはただ一言。

「悪かった。壊してごめんな」

 それだけ言ってその場を後にした。

 一度だけマリアちゃんの方へ振り返ったけれど、心配いらなかった。

 マリアちゃんは必死に涙を耐えながらも、頭を下げていたから。

 慰めてあげたい。だけど、マリアちゃんは自分なりの覚悟を決めての行動をしているのが分かる。

 彼女は過去を振り切って前を進むと決めたのだから。

 それを安易に私が慰めるものじゃない。私はまだ前にすら進めていないのだから。

 きっとかけた言葉が薄っぺらいものになるから。





 村の外に出て、アランさんは「ここでいいだろう」と足を止める。

 さらに、近くの石の上に小さな小包をおいてから振り返ってきた。その手にはいつの間にか盾が握られている。

「訓練の前にこれをやるよ」

 そういって盾をこちらに渡してきた。

 小ぶりの盾で円形。凹凸が大きく、丸みを帯びた盾。

 内側に取っ手が付けられており、握りこむような形で持てる。

 適当に握りこんで持ってみる。割と軽く私でも振り回せそうだ。

「どこから出したの?」

「あん?」

 アランさんが睨んでくる。口ごたえはよくなかったかもしれない。

「小ぶりだが、一応ターゲットシールドだ。」

 ターゲットシールドと言われたもののピンとこない。

「お前の剣、多分グラディウスだろ。小盾は持ってて損はないだろ?」

 私の腰に差している剣はグラディウスと言うのか。ゴブリンから奪ったものなので、ゴブリン用の剣だとばかり思っていた。

 アランさんは私の持っている盾を軽くこぶしで叩いてみせる。

 叩かれる度にゴン―という鈍い金属音がする。

「片手剣が得物ならもう片手に盾を持っていても邪魔になりにくい。それに盾は相手からの攻撃のダメージを軽減してくれるからな。」

 確かにこれなら邪魔になりにくい。ただ、取っ手の形状からして剣を両手で持てない。

「ダメージって。ゲームじゃあるまいし」

「お前な…。まぁ、いいか」

 呆れられた。例えなんだけど。

 ゲーム扱いが嫌だったのかな。さっき、冒険者は命懸けだ、と言っていたくらいだ。私の気位の低さが如実に分かる。

 アランさんは少し離れてから、盾を構えるように指示してきた。

「ただし、注意点はある」

 そういったアランさんは剣を鞘にしまったまま両手で構え、振り下ろしてきた。

 ガン―と先ほどよりも金属音を鳴らしつつも、盾は剣を止めてくれたが腕に痛みが走った。

「いったー!」

 痛みで悲鳴をあげてしまう。

「まず衝撃だ。いくら斬られないからといって、両手持ちの剣や戦槌等の強力な攻撃だと正面から受けたんじゃ防ぎきれない。これくらいは分かるな?」

 そんな私をよそにアランさんは説明を続ける。

 今、身を持って知りました。盾って不便だね、とも。

「あとは…体術の掴み攻撃や組み付かれた時は無力だ。むしろそれを軸にされて崩されやすい」

 さらに、と言わんばかりに今度は私の持っている盾を掴み引っ張られる。体勢を崩してしまい、千鳥足のように足がもつれる。ついでといわんばかりに足を掛けられ、成すすべなく地面に転がってしまう。

「へぶ!」

「まぁ、掴まれそうになれば逆に殴りつけることも出来るがな」

 笑いながら説明してくる。起き上がってからアランさんを睨み、

「先に言ってください」

と不平を漏らし、盾を握る手に力を込める。

「おいおい、殴る気か?」

 本人はあっけからんとし、まるで悪びれていない。

 ここまで来ると今までのマリアちゃんへの嫌がらせも合わさってこの人はサドなのではないかと疑いたくなる。

 アランさんは盾を渡すようにジェスチャーしてきたので、立ち上がって彼に渡す。アランさんは盾を受け取ると、

「その剣で斬りかかってきな」

 なんてことを言ってきた。

「危ないよ」と一応心配してみる。

「大丈夫だって。俺はお前の師匠だぞ」

 得意気だったので、問題ないのだろう。私自身剣の腕は素人だし。

 気は進まないけど剣に手を掛け、剣を鞘から引き抜く。

「じゃあ、行くよ」

 と構えたところで、アランさんが珍しく狼狽を見せた。

「待て、そういうことかよ。鞘のまま、鞘に入れたままだ。なんで普通に斬りかかろうとしてんだ!」

 余りの慌てぶりに思わず笑ってしまってから、「だよね。」と肯定する。

「焦らせすんじゃねぇよ。お前怖いな?」

「”熟練”の冒険者って言ってたし大丈夫かなって?」

 ワザと熟練という部分を強調してみたが、嫌味は通じず、

「いや、お前程度の攻撃力なら大丈夫だろうけどさ。心臓に悪いからヤメロ」

 その言葉がゲーム扱いしているけど、言わないでおいた。まぁ、私の腕じゃ多分簡単に打ち負かせられるんだろうな、とは感じた。

 剣を鞘に仕舞い、両手で握ってアランさんへと打ち下ろす。

 剣がアランさんに届きそうな瞬間、私の手首に痛みが走り、瞬時、鈍い打撃音が鳴り響いた。

 私の剣は中心から外され、おまけに横方向からきた力に抗えず体勢を崩してしまった。

 さらに目の前には、盾を振り抜いたであろうアランさんが剣をこちらに突きつけていた。

「これがパリィだ」

 そういうと、私の持っている剣に盾をあてがい、

「相手の武器が最高速に達する前に、腕なりフォルトなり、武器の腹なりを狙って弾いて相手の体制を崩す」

 説明の後に

「盾はただ守るものだけじゃないのさ」

と付け足す。

「パリィか。ちょっと練習させて」

 便利そうだ。ゴブリンなんかと対峙した時には役に立ちそうだ。

「おう」と快活にアランさんは答え、私に盾を渡してくる。

 渡された盾を握り込み準備出来たことを手を挙げて応える。

 アランさんはそれを確認してから満足そうな表情を浮かべ、剣を抜いた。

 白刃がこちらを捉え、思わず血の気が引く。

「ちょっと待って!?」

「はは、ビビっただろ?仕返しだ」

 まさかやり返されるとは…そう思ってしまう。

「心臓に悪いなぁ」

 ため息を吐いてしまう。不意に私の頭にポコンと軽く叩かれるような衝撃が走る。

 アランさんの方を見ると、剣ではなく鞘で私の頭を叩いていた、

「隙あり」

 ニヤリと笑う彼の顔を見て思わず彼の手を全力で盾を振り切る。

「のわ!お前な!」

 体勢は崩さなかったものの、盾で殴った手を押さえ痛そうにしていた。

「パリィの練習ですよ。次は成功させますねー」

 白々しく言ったみた。

 アランさんはそんな私に笑顔を見せ「おう、それでこそ冒険者だ」と言ってから鞘に剣を収めてから構えた。

 それから、アランさんと何度か練習して分かったのは、タイミングの重要さだった。

 打ち下ろされる剣が重力に向かっているところに、横から衝撃を当てて軌跡を逸らす。

 そうすれば相手の剣は自然と逸れて体勢が崩れる。

 力任せに振るってもある程度体勢は崩れてくれるものの、こちらも体勢が崩れる。

 それに、アランさんのように寸で止める等の技術を持っていると、盾が空振りしこちらが無防備になる。

 それにただ力任せに振るうのなら、いっそ盾で殴りつけたほうが早いのも分かった。

 あくまでも自分の体勢を崩さず、相手の隙を作るための技術だと割り切る。

 それにしても、アランさんはただの練習をさせてくれない。足を掛けたり、盾を蹴ってきたり、無理矢理力で押し切って逆に私を転ばせたり…と。

 あまり意地悪をするのでパリィをせず盾で殴ってみたが思いのほか痛がっていたのは余談。 

 盾の扱い方の練習を終えた後は剣だった。

 アランさんが言うには一朝一夕では身につかないからと、私の剣の特徴だけを教えてくれた。

 私の持つ剣、ショートソードのグラディウスは鋭く短い刀身。そしてその短さに似合わず肉厚で幅広かつ重量のあるのが特徴らしい。

 丈夫で小回りが利き、森の中や洞窟等でも振り回せるが、基本は剣の鋭さを使っての刺突らしい。もちろん、重量と丈夫さがあるので遠心力と、ある程度の力と技術があれば切断も可能らしい。

「村を守るのには丁度いいかもね」とこれは私の感想。

「そうか?冒険には向いていると思うが」

 アレンさんが首を傾げていた。

 意地でも彼は私を冒険者に仕立てあげたいのだろうか?

 軽い打ち込みを何度かし、ふと空を見てみると僅かに陽が傾きかけていた。いつの間にか昼を過ぎていたようだ。

「そろそろ帰ろう…」

「待ちな」

 切り上げようとしたところに鋭い声がアランさんから発せられる。

「最後の試練だ」とアランさんは笑う。そして、視線を私の背中へと送る。

 目をやる。そこには古傷がいたるところにある灰色の獣―ウルフがこちらを威嚇しているのが見えた。

「ウルフ!」

 剣を構え、盾を握りなおす。強敵だ。いくらアランさんがいるからって、気は抜けない。

「おっと―”はぐれ”だな。気を引き締めろよ」

 そうだけ言ってアランさんは剣を構えようともしない。

 それはつまり―

「安心しな。どうしようもなかったら助けてやるよ」

 私に一人で戦えと!?

 戸惑い、思わず及び腰になってしまう。ついさっき、何も出来ず、おまけにあんなに怪我させられたのに。

「ビビんな。村を守るのにも、自分を守るのにもいつか自分一人で戦う時が来る。そして、いつか自分の手で相手の命を奪わなければいけない時もある。」

 いつか―を今にするかどうか。それにしたって強引過ぎる。まだ心の準備も出来ていないのに。

「それに、俺は見たいんだ。お前の持つ力をな」

 身勝手極まりない言葉に、次の機会にしてと思わず言いそうになる。

 なら―いつならいいの?

 ふと思った言葉に、マリアちゃんの顔が浮かんだ。

 いつか薬師になると言っていたマリアちゃん。いきなり来たアレンさんの傍若無人ぶりに翻弄され、お母さんとの思い出の品を傷つけられても、辛さを乗り越えて前へと進む決心をした。

 私がマリアちゃんに何も言えなかったのは、安易な同情をしたくないだけではない。

 ただ言えなかった。

 それは前に進めず、流れに身を任せているだけだと、自分で分かっていたから。

 私をお姉ちゃんと呼び慕ってくれているのに…

「情けないお姉ちゃんだ…」

 剣を握り直し、しっかりとウルフを見据える。まだ、怖い。

 でも、負けてられない。

 アランさんは満足そうに小さく笑い「一対一だ。今度は負けんなよ」と応援してくれた。

 本当に捻くれた応援だけど、その悪態にも慣れてきた。

「見せてあげる。私の意地を―」

 剣を構え、私が前へ出るのとウルフが私に向かって駆け出したのは殆ど同時だった。

 一気に距離を詰め、まず私が剣を突き出す。

 ウルフは前へと出ながらこちらの剣をかわし、すれ違いざまに私の腹部をその牙で切り裂いた。

 痛みが走る。だけど、傷は浅い。

 すぐに反転し、ウルフを視界から逃さないようにしっかりと見据える。

 ウルフはゆっくりと歩き、一定の距離を保ち続けている。

 相変わらずのカウンター戦法。それなら、さっきと同じだ。

 じりじりと近づき、距離を詰める。

 ウルフはそれに応えるように僅かに距離を縮めてくる。

 相手が耐えられなくなった時が勝負。今は盾もある。有利に戦えるはず。

 近づき、剣を前へ突き出すように構える。

 ウルフから数歩といったところでウルフも地面を蹴り、吶喊してくる。

 狙い通りと、同じ手順を踏もうと剣を振り下ろそうとし、ふと嫌な感覚がした。

 ウルフはさっきのこちらの一撃をよけて、攻撃してきた?

 反射的に盾を前に出す。瞬時に衝撃が走る。

 体当たりだと気づいた時には地面に尻もちをついてしまっていた。

 追撃を予想して剣を振るう。

 ウルフは余裕のある動きで後方へ飛びのく。追撃は阻止出来たものの、予想以上の動きに冷や汗が出る。

 おそらくあのまま剣を振り下ろしていたら無防備になっていた胴体があの牙で抉られた。

「早い―」

 それにさっき戦ったウルフよりも動きがいい気がする。

「よく相手の動きを見ろ。戦闘でタイミングは逃すな!」

 アランさんの怒声にも似た声が響く。

 分かってはいる。だけど、動きを見ようにも相手は緩急のある動きで目で追えない。

 何か相手の動きが制限出来れば、周りに視線をやり使えるものを探してしまう。

 森に入ることも出来るけれど、視界が殺される。

 地面は固く、砂で目くらましも出来ない。

 木々の枝を拾って投げつけ陽動にする…

 いくつか考えてみたけれど、どう考えても決定打に繋がる程の陽動にはほど遠い。

 不意に影が私に落ちてきた。

 ウルフがその牙をこちらに向け、飛び掛かってきていた。

 不意を突かれた!

 咄嗟に盾を前に出す。それを見越してかウルフは盾の縁に噛みつきそのまま獣の膂力を使い私を地面に引き倒した。

 一瞬の出来事だった。地面に頭を打ち付けてしまい、目の前が一度明滅する。

 剣を振ろうとしたが、その腕に痛みが走った。

 牙が食い込む感触と共に、痛みが脳を駆け巡る。痛みで目の前が暗くなる。見えない。でも分かる。歯を食いしばり、思いっきり左腕を振る。

「まだだ!」

 噛みつかれた腕ごと殴りつける勢いで盾を振るう。

 虚をつけたのか、ウルフは大きな悲鳴をあげその牙を離した。

 痛みでおかしくなりそうだ。

 立ち上がりはしてみるも、碌に剣が構えられない。

 ぼやける視界の先でウルフは殴られた場所を前足で掻いているものの、その顔に疲労は見えない。

 痛みで体が止まろうとしている。今、私が立っているのでさえ、限界だ。

 こんなんじゃ、あのウルフの動きは追えない。それに、相手は基本的にカウンター。それは分かってる。でも、私程度のカウンターでは相手はこちらの動きに対応してくる。

 勝ち目なんてない。

「なら―」

 もう―一か八かだ。

 最後の力を振り絞り駆け出す。

 私はまだ、死にたくない。生きるために…戦うんだ!




 アランはカホとウルフの戦いを見ながら、剣に手を沿える。

 正直なところカホと”はぐれ”のウルフ戦いは予想通りの展開となった。

 実力は歴然。そもそも勝てるとは思っていない。カホのあんなレベルと腕前ではそもそも普通のウルフにだって勝てはしない。

 しかし、不運なものだ。生肉でウルフの群れかゴブリンの集団をおびき寄せて、カホに一対一をさせて俺がそれ以外を蹴散らす算段だった。

 正直、カホは勝っても負けてもいい。

 あいつが冒険者の本当の力を見せつけられ、温泉に浸かっているような頭を少しでも冷やしてくれればいい。そういう意図があった。

 しかし運悪くまさかの”はぐれ”がくるとはな。

 群れで動く魔物の中に時折一匹で動く強力且つ狂暴な個体。それが”はぐれ”。

 しかもこの辺では一番厄介なグレイウルフときた。

 最悪ここに極まれる、という奴だ。

 俺なら楽勝だろうが、カホだと勝ち目はない。ただ、俺自身ひやひやしている。

 助けに出るタイミングを見誤れば、早すぎればカホは今まで以上の温泉に浸かる。遅過ぎれば恐怖で体が竦み旅に出るどころではなくなる。最悪死ぬかもしれない。 

 本当なら今すぐに助けにいってもいいのだが、まだカホ自身にやる気があるのが俺を躊躇わせる。

 結局、俺はカホに成長して欲しいと思っている。

 シノの村に着いた時、村がウルフに襲われている場面だったが、村人とあいつが対峙しているのを見て日和見をしていた。

 そして、遠くから見ていても、カホには戦いが怖くて、命を奪うことに抵抗があるのは分かった。

 そんな奴が命の危険も顧みずに村を守ろうとしていた。その青臭さと、真っすぐな心が俺には眩しく見えた。

 この先、理不尽に死んで欲しくない。その為には力が必要だ。

 そして、カホは自分の弱さをもっと理解しなければならない。口先や、思っているだけでなく、その体で。

 それにはキッカケが必要だ。

 出来れば、カホがそれに気づいた後、自ら俺の後についてきて欲しい。

 俺があいつを連れて世界の広さを見せてやりたい。

 勿論、カホがこの村で平和に生きたいのも分かる。

 そして、もうそれしか選べないなら俺は無理に連れて行く気はない。ここに腐るまでいればいい。それだって幸せだ。

 特にあのウェンとかいう奴は筋もいい上に、強い。そして優しい男だ。

 もし、カホが旅を辞めて住むのならここがいいにきまっている。

 だが、あいつの…カホのまだ見ぬ世界から学ぶことは多いはずだ。

 辛いことも多いだろうし、それに打ち負かされ、悲しみに明け暮れることもあるだろう。

 だが、そんなものはこの世界を構成する一握りにしか過ぎない。楽しいことだって、嬉しいことだってある。だから、何も見ずに幸せに逃げないで欲しい。

 俺は、カホに道はどこまでも続いていて、いつだってそれを自由に選べると知って欲しい。

 それに、あいつはこの世界を好きになってくれる気がする。

 カホの最後とも言える一撃の突きが空を切る。

 あんな足腰じゃ、ゴブリンにだって当たらないだろう。

 ウルフは簡単に避けて見せ、そのまま剣とは逆側のカホの首筋を目掛けて飛び掛かった。

 寸でで、カホが体を傾け、その牙は首筋には届かなかったものの肩に深く食い込む。

 咄嗟に致命傷を避けた。素直に関心し、剣を抜いて特攻する。

「まぁ、初戦にしては…」

 言いかけた言葉を思わず飲んでしまった。

 カホの目は死んでいなかった。

 熱と光―を感じる強い目だった。

 諦めていない。生きようとしているのが分かる。

 カホは、まるで始めからそうする予定だったかのように、噛みついてきたウルフの首を腕で絡め、

「これで―避けれないでしょ!」

 そう言って剣でウルフの胸部を刺し貫いた。

 胸部を刺されたウルフは口から大量の血を吐き、その牙を離した。しばらくしてウルフは力なく地面に倒れ伏す。

 カホはウルフと一緒にそのままへたり込み、重症の肩を押さえつつも、

「勝ったよ」

と俺を見返してきた。

 手が震えていて、涙ぐんではいるものの、いい笑顔だった。

「はは…すげぇ」

 思わず本心がこぼれた。 

 本当に命を掛けて戦いやがった…。

 背中が震えた。

―冒険者はいつだって命懸けだ。

 そんな言葉をいいながら、どいつもこいつも…俺自身も実際に命を懸けられたたか?

 いや、出来やしない。出来る限り安全を重視していた。

 だから理不尽に殺される。

 自分では勝てないような敵からは逃げいていた。強くなっていつか倒せばいい、なんていつになるか分からない強がりを言いながら。

 困難に立ち向かい、諦めようとせず、打ち勝つ力を持つカホが本当に、眩しかった。

 どうしようかな。ますます手放したくなくなっちまった。

 一人前になった姿が見てぇな。

 カホも冒険者になってくれねぇかな。

 そう思いながら、自分でも、もう答えが見つからなくなった。

 ただ一つだけ確信した。

 俺のような奴じゃ、カホの道にはなりえない。

 むしろ、俺が道を見せて貰った。

 それだけは分かった。

 夢と憧れで家を出て、この仕事を選んだ。

 地味な仕事をこなしながら、手を汚しながらも、ここまで登り詰めた。

 もう、殆どこの仕事はやりつくした、夢は見終わった、なんて思ってた。

 でも、まだ俺に出来ることがあるんじゃないか…そう思えてならない。

 始めの気持ちを…あの夢に溢れていた若い頃の熱い気持ちを思い出す。

―もう少し頑張ってみるか

 カホには聞こえないように呟き、俺は手を握りこんだ。

 






 体中が痛い。

 今日、二回目の戦闘とはいえ、肩から血が止まらないし、ケガをしていなかった右腕もついさっき重症を負った。まさに満身創痍。

 私の弱さが本当に実感できる。

 そして、ウルフを突き刺した時の感触が抜けない。

 まだ手が震える。

 朝にウェンさん達と一緒に戦った時、剣で斬ることも、突き刺すことも出来なかった。

 腕前云々以上に、多分怖かったんだと思う。それをあの人達にまかせてしまった。

 自分の手を汚したくなかったから。

 最低だ。私は…

 私が倒したウルフに目をやる。

 まだ息がある。こちらを見ようとはしない。多分出来ないのだと思う。

 もう勝負はついた。

 私が勝った―

「トドメを刺せ」

 アランさんの静かな声が聞こえた。

 思わず見返し、

「―でも、もう戦えないのに」

と反論してしまう。だけど、その表情を見て少しだけ後悔した。

 辛そうだった。何に辛そうだったのかは分からないけれど、ただ、私のせいで無理をさせているのは分かってしまう。

 違う。分かっている。これから命を奪う場面だってある。

 いつまでも誰かが助けてくれるとは限らない。

 震える手で剣を握り締め目を閉じる。決心がつかない。殺したくない。

「こいつは自分の命を懸けて戦った。そして倒れた。放っておけば、ゴブリン達が戦いもせずにこいつの肉を喰らうだろうな。それでいいのか?」

「ダメに決まってます!」

 自分でもびっくりした。反射的に大声で否定した。

 私はこのウルフと戦って…本当に強いと思った。

 お互い命を懸けあって戦ってその強さを認めている。

「なら、こいつは戦士として戦ったんだ。お前が引導を渡してやれ」

 私は…そんなこと。

 違うまただ―

 私はまた逃げようとした。

 私は命を懸けて戦った。このウルフも…だから。

「安心しろ。そいつの毛皮を使って暖をとれる。肉は食料。残りはこの森の命の糧となる。どんな命も尊く、そして無駄なものなどない」

 分かってる。毎日食べるものがその命の最期だって。

「その代わり、そいつの分の命を背負って生きろ。死ぬまで忘れてやるな」

 命を背負う―

 私が逃げてきたこと。そして、私が…今しなければいけないこと。

 剣を握りしめる。それだけで涙がこぼれた。

 剣を両手でしっかりと握り込む。

 ふと最期の力を振り絞り、こちらを睨みつけるウルフと目が合う。

 憎しみに満ちた目だ。

 きっと恨んでる。それは分かってる。立場が違えば私だってきっと一緒だ。

 だったら、お願い―

 一生恨んで。私にずっと背負わせて。あなたの分まで生きて見せるから!

―だから

「ごめんね―」

 剣を振り下ろす。

 ウルフは悲鳴も上げることが出来ないくらい弱っていた。それとも最期を覚悟し、悲鳴を上げなかったのかもしれない。

 温かい血が私を伝う。肉を貫いた感触が手に残る。

 命を奪った―この手で…

 今までこんなことを他の人に任せて…私はその行為を考えないようにしていた。

 力が抜けていく。もう涙が止まらなかった。

「ごめん…ごめんね。本当にごめん。恨んで!いつまでも恨んでいて!お願いだから!ごめん―」

 力なく倒れたウルフに泣きじゃくるしか出来なかった。

 自分から命を奪うことの重さがのしかかる。

 本当は逃げたい。けど逃げちゃいけない。この子が生きた証をずっと背負わないと、この子が生きた証を汚してしまう。

「ほら、血抜きするぞ。」

 顔を上げたものの、アランさんがどういう表情をしているのか分からなかった。

 血まみれの手を見て、吐き気と共にまた涙が出てしまう。

「ゴブリン共が集まる前に終わらす…」

 アランさんのため息が聞こえた。顔を上げると、その顔が少しだけ優しい表情をしていた。

「そこで待ってな」

 それが彼なりの優しさだとわかる。自分の血にまみれた手に、気が遠くなる。でもその手で涙を拭い。

「最期まで見させて…」

 私なりに覚悟を決めた。アランさんは軽く笑い「後悔するぞ」とそういってから、私に軽い手当をした後、近くの小川までウルフの遺骸を担いでいってくれた。


―そして、解体現場を見た私は思わず小川に向かって胃袋の中身をすべて吐き出すことになった。

 



 ウルフの解体が終わり、アランさんは背伸びと共に、

「そう言えば昼まだだったな。腹減ったか?干し肉喰うか?」

 どこか清々しい表情だった。

 やっぱりこの人はサドだ。

 見ると決めた私の覚悟をぶち折るかのごとく、内臓の説明をしてみせたりした。

 ここは虫が湧くとか、早めに内臓の腸の部分を―等々。

 思い出しただけで、血の気が引く。吐き気を催す。

 お腹は減っているはず。胃袋の中身はさっき全て吐き出したのだから。

 でも…干し肉を見るだけであのウルフを連想させられる。

「うぷ―今はいい」

 アランさんはこれは傑作とばかりに笑う。何が楽しいのか全く分からない。

 女の子が嘔吐しているのが性的に興奮でもするのだろうか?

 睨みつけてみたが、アランさんは全く相手してくれず、

「はは、まだまだだな」と。

 何も言い返せずにいると、アランさんが私の頭を撫でた。

「よく頑張ったな」

 認めてくれた―それに少し嬉しいと思ってしまった。

 アランさんは私の頭を撫でた後、ゆっくりと息を吐き、不意に私を抱き留めた。

「すまないな。お前にはまだ重すぎたかもしれないな。その荷、半分背負わせてくれ」

 小さな声で私を元気づけてくれた。

 私は少し考え、アランさんから離れてから首を振る。

 自分の胸に手を当てる。まだ心臓の拍動が収まらない。

―弱いな、私。

 背負うって決めたのに、まだ怖がってる。でも、ちゃんと背負ってみせる。

 しっかりとアランさんの目を見返す。

「―ダメ。これは私が背負っていく。この子と、勝手に約束したから」

 少し残念そうな表情をしたものの、アランさんはゆっくりと頷き「それでいい」と、認めてくれた。

「重くなったら言いな。いつでも背負ってやるよ」

 そういう彼は、本当に私とって師匠という存在だと気づかされた。

 普段は厳しくても、そして私が倒れそうになった時は手を差し伸べてくれる。その背中がずっと大きく見えた。

 たった、数時間だけのことなのに私は…この人のことを師匠と呼びたいとそう思っていた。




 ウルフの死骸を背負いながら帰り道を歩いていく。アランさんが背負ってくれるといったけど、さっきあんな啖呵を切ってしまった以上、やっぱりこの子は私が背負っていきたいと思ってしまった。

 しかし―まぁ。重い。

 既に時間は夕刻。これはマリアちゃんにどやされそう。

「なぁ、カホ。お前はあの村に住み着く気か?」

 アランさんが不意にそんな話題を出してきた。

「うん…」と正直に答えると、また残念そうに、「そうか」とだけ答えた。

 何か気持ち悪い。サドかと思ったら、変な所で奥手なところとか。

「どうかしたの?」

 今度は私から聞いてみると、アランさんは驚いたような表情をしてから平静を取り繕った。

「いや、お前が平和が好きなことくらい分かるよ。そういうタイプだ」

 分かっているなら、何故こんなこと―いや、自分に否がある。

 この世界での常識を知らないから、アランさんは時間を割いてでも私に教えてくれた。

 アランさんは「ガラじゃねぇけど」と前置きをしてから、

「世界は残酷だ。命を奪い合わなければ生きていけない。明日を必死に掴もうと必死に生きている者たちがいるのに、それを平然と奪う奴達がいる。それでも、その奪う奴らだって、ただこの世界で生きていたい願っているだけなんだ」

 それは私もよく分かった。このウルフと戦ってより一層それを分からされた。

 この子もただ生きていたかったんだと痛感した。

「願いによって理不尽な死で満たされ、奪うことを強要されている。それが嫌なら死ぬしかない。」

 死ぬしかない―それは本当に合理的な答えの一つだと思う。

 嫌なら逃げるしかない。そして、この世界では私の知る限り、本当に逃げるならだれにも触れられないように死を選ぶしかない。

 けど、選べなかった。

 生きていたい―そう本気で願った。

 憎しみも、高揚もない。純粋に私はこの子と戦い、ただ生きていたと願った。

 それが、あの最後の一撃に懸けた願い。

―生きていたい、という願い。

「だがな、俺は生きていくと決めた。覚悟を決めた。この手が血にまみれ、泥の中をはいずってでも」

 アランさんはそこまで言うと一度咳払いをした。

 なんだろう。らしくない、と思ってしまう。心なしか、アランさんの顔が照れているようにも見える。

 アランさんも決心したのか、ひと呼吸置いてから…

「俺はそれだけ、この世界が好きなんだ!」

 その一言が耳から離れなかった。

 この世界が好きだ―。彼はそう言い切った。

 そこからアランさんはバツが悪そうに、表情を苦々しくしつつ、早口で平静を取り繕った。

「だからこそ、この目で少しでも長く見ていたいんだ。俺以外も皆が強く生きているその姿をな!」

 アランさんは一度どもり、それからまた口を開いた。私をしっかりと見つめ、強く。

「カホ。お前も冒険者になれ!世界を回ってこい。そして見てくるんだ。この世界に息づく命の強さを!この世界の美しさを…その…」

 強い人々の姿を…私も見てみたいと思った。

 アランさん…ううん私の師匠が…好きなこの世界を。

「お前にも…この世界を好きになって欲しいんだ」

 師匠の願い。それが深く、本当に深く突きささった。

 今でも、あの私が暮らした世界が好きなのには違いない。忘れない。

 でも、この世界で…まだ少ししかしらないけれど、この世界を見てみたいと思う自分がいた。

 師匠は…私が冒険者になって欲しいと思っている。それはよくわかった。

 だけど、意地悪されたのは根に持ってるよ。

「知らないことを…嫌いとは言えないよ。知りたいとは思うけど」

 師匠の告白に対してはぐらかして言うと、師匠はキョトンとした。それから、頭を掻いて「熱くなってた。俺らしくない」と笑い、

「まぁ、考えておいてくれよ。いつもでも道は自分で選ぶものさ」

 そうとだけ言うと、いつも通りに戻っていた。

 動揺している師匠が妙に可愛く見え、少し意地悪をしたくなる。

「なんか、冒険者になってほしそうな言い方だね?」

 師匠は目を丸くした。見て取れる狼狽をし、

「ば、ばっか違うつーの!お前は箱入りじゃなくて、えーと、あれだ!何も知らなさ過ぎるんだ。見識を深めろっていってんだ!それには冒険者が一番って訳だよ!」

 成程、サド侯爵の意見も少しは分かるかもしれない。あそこまで過激なのは生理的に無理だけど、こんな小さな意地悪は会話の少し楽しいスパイスになる。

 こうやって色んな考えを紡いで、出し合って、善とも悪ともとれない、人の感情を規制することの愚かさを学ばされる。もしかするとサド侯爵も表現は過激ながらもそれを言いたかったのかもしれない。

「うん。もう少し考えさせて欲しいかな」

 悪戯っぽく笑って見せると師匠は残念そうにため息をついた。

「…そっか。フラれたな」

「え…口説いてたんですか?あ、ごめんなさい。アランさんのこと少しは見直してましたけど付き合うとか絶対に無理です」

「ものの例えだよ!例え!」

 畳みかけると師匠は狼狽を通り越して怒って見せた。ただ、本当に怒っている訳ではないのは弟子の私がよくわかる。

「あはは、分かってますよ!」

「はぁ、たく。本当に残念だよ!バカ弟子が!」

 そういって、優しくて不器用な私の師匠は、ウルフの死骸の重さを少しだけでも軽減しようと手だけ添えてくれた。

 本当に優しい師匠に会えてよかった…そう思ってしまう。

 マリアちゃんの家に着くと、まずマリアちゃんからの大激怒が飛ぶ。

 一緒にお昼ご飯を食べたかったのと、師匠が一緒だから。

 さらにはウルフからの血の臭いに、「体洗ってきて!」と本気で怒られた。

 お母さんに怒られる感覚を思い出し、思わず笑ってしまった。

 獲ってきたウルフを見せるとウェンさんは喜び、褒めてくれた。

 ”はぐれ”ウルフは村の皆でしっかりいただくとも。

 ラッシュさんとダンカンさんも私が仕留めたウルフを見ると何度かお礼を言ってくれた。

 なんでも「こいつに苦労させられていた」らしい。

 なんだか誇らしい。私の行動で誰かが助かっていて、それに感謝されることが。

 その後、ウェンさんが師匠を連れて納屋の後ろへと行ってしまい何の会話をしているのか気になったものの、カミラさんに止められ、

「ウェンは怒るとこわいから」とだけ説明される。

 それからは師匠は「テントで寝る」と明らかに荷物がないのに村の外へと行ってしまいそれの姿を見送るしか出来なかった。

 あと気になったことと言えば、右頬に青あざが出来ていたことだ。

―明日、師匠は旅立つのに、余り話が出来なかったことが少し残念だった。



次の日の朝―


 日が昇ってから師匠は小包だけを背負いマリアちゃんの家へと訪れ、

「俺はもう行くよ」

 それだけを告げて去っていこうとした。

 マリアちゃんは相変わらず苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、見送りに出てきてくれるのは心の底から嫌っている訳じゃないのだろう。

 それにしても淡泊すぎる!そう思ったので、思わず引き留め、

「そういえば何か目的があってきたんですか?」

「何も。強いていえばアルトヘイムに向かう途中に一泊しようと思って寄っただけだ」

 師匠は特に取り繕う雰囲気も見せず言って見せた。

「アルトヘイム?」

「ああ、魔王と戦う最前線にして人類の砦。一度見てみたいと思ってな。」

 魔王―

 あの老人は異世界で魔王を倒してくれ、そう言っていた。

 でも、私にはそんな力はない。だけど、もし出来るなら、その魔王と一度会ってみたいと思ってしまう。

「ただの物見遊山だがな」と師匠は軽く笑って見せた後、バツが悪そうに頭を掻き、

「忘れてた。ほら、選別だ。」と忘れていた素振り超えて、むしろワザとらしかった。

 師匠が私に渡してきたのは、革製の服のようだった。

 ただ、服にしては胸の辺りには金属製のプレートが入っているにも関わらず、ノースリーブで脇のあたりなどに布がない。これが師匠の趣味なら素直に軽蔑する。

「ウルフの皮から作った鎧だ。随所に鉄も仕込んである。軽くて最低限の防御力はあるはずだ」

 ウルフの皮…そう聞いて「一日で作ったの?」と聞き返してみたが、「俺が鍛冶屋に見えるか」と否定されてから、

「俺のお古をお前が着れるように手直ししたんだよ。片手剣を振りやすいように肩と脇の部分は取っ払った」

 それで肩の部分がないのか、と納得してしまう。鎧だから、この下には服を着るのが普通だろうし、露出は気にしなくてよさそう。

 ただ―

「臭そう…」

 マリアちゃんがその表情を歪める。私が言いたいこと。そして言いにくいことをストレートに言ってくれて本当に助かる。

「おい、チビ。いい度胸だな。ちゃんと洗ったわ!」

 子供相手にムキになるのはどうかと思う。

「…というか餞別って私が上げるものじゃないのかな?」

 細かくないところだと思う。旅に出る人に餞別は渡すものだと思う。

 指摘された師匠は視線を逸らす。

「細かいこと気にすんな。それに、お前がようやく一端の腕前となったんだ。師匠からすれば渡すのは当然だろ?」

 強引だけど、まぁいいか。思わず口に出してしまった。

 師匠は「なんだよそれ」と項垂れる。

「というか、一回くらい師匠って言えよ。嫌なら、そうだな…アランお兄ちゃんと、かどうだ?」

 うわぁ…。言葉に出そうだった。この人私たちをそんな目で見ていたんだ、と思わず引きたくなる。

「え、やだ…」とこれは私の素直な言葉。

「べー」とマリアちゃんは舌を出して否定する。

 マリアちゃんとの意思は一致していた。

 それに比べてこの師匠は、とため息をつきたくなる。

「カホはともかく、チビまで…全く」

 文句をいいながらも、師匠は手を振り上げ、

「じゃあな。大いなるロイド神…じゃなくてエアリス神のご加護があらんことを」

 そんな去り際の文句…だったけど、「エアリス神?」と何となく聞いてしまう。

 師匠は口を歪め、

「この辺はアルトヘイム領だろ?だったらエアリス信仰じゃなかったか?確かアルトヘイムじゃ太陽と月の女神様で、朝も夜もなく常に平等に照らしてくれる『平等』を司る女神様、とか聞いたが…え、違った?」

 知らない。

「へぇー」とだけ答える。

 マリアちゃんも驚いて目をしばたたかせ、

「カホお姉ちゃん知らなかったの?祈る時はエアリス様のご加護をって言うんだよ」

 え?そうなの?知らなかった。

 思わず「ごめん」と言ってしまう。

「そうなのか?神はつけないのか?」とこれは師匠。

「ふふん」とマリアちゃんは自慢げな表情を浮かべるけれど、『神』じゃなくて『様』をつける理由は分からなさそう。

 師匠はやり直すように「エアリス様のご加護を」と言い手を振り上げる。

 今度こそ、お別れか―

 郷愁の思いはない。あって、一日経たない間柄。でも、多くのことを学ばせて貰った。

…だからその…これは私なりの餞別。何も用意出来ていないからね。

「じゃあね。エアリス様のご加護を。師匠―」

 ちょっと詰まりそうになったけれど、素直に師匠と言えた。

 言ってから気恥ずかしさが出てくる、

 悪態を散々ついていた相手に対して素直になるのがこんなに恥ずかしいなんて知らなかった。

 やっぱり悪態でもつけばよかった、と思わず自分に呆れる。

 師匠は振り返り、キョトンとした。

 そして―戻ってきた。

「え?何?」

「もう一回言ってくれ」

 せがまれた。もう二度というもんか、と固く決意する。

「早く行って下さい!」

 怒鳴りつける。ふとマリアちゃんがいつの間にか私の隣にいないのに気づいた。

「ちぇー。じゃーな!」と今度こそ師匠が去っていこうとしたが、それを止めたのが、

「待って…」

 というマリアちゃんの声だった。

 家の中から何かを取り出してきたのか、手には何かを大事に握っているのが分かる。

 マリアちゃんはおずおずと、「これ…」と師匠に差し出した。

 透き通った青色の液体が入った小瓶。ポーションだ。

「ポーション…なのか?」

 師匠は不思議そうな表情をした。多分、師匠からすれば売り物にならないレベルなのだろうというのは分かる。

 マリアちゃんも瞳に涙を溜め、

「ちょっと…失敗しちゃった…。出来なかった…」

 失敗作であることは分かっていたらしい。

 だから、渡すのを躊躇って今になったのか、と。その子供心を理解出来てしまう。

「そうか」と師匠は短くいい、褒めるでもなく静かに受け取り大切そうに握りしめた。

 俯くマリアちゃんの頭を師匠は軽く撫で、

「ありがとよ。頑張っていい薬師になれ。マリア」

「…うん」

 俯きながら、涙を袖で拭いマリアちゃんは小さく、それでも確かに頷いた。

 師匠はもう軽口も言わずに振り返らずに歩いて行ってしまった。

 師匠が見えなくなってから、マリアちゃんが私にすり寄り、胸に顔を埋めてくる。

 小さく震える彼女の体を抱き留め、ゆっくりと頭を撫でる。

「今度会ったら、見返してあげようね」

「うん…絶対。うん…」

 マリアちゃんは小さな声で…でもしっかりとした決意をもって私にそう約束してくれた。

 その姿を、成長していくマリアちゃんを間近見たいと本当に思っている。

 でも、私は。まだ迷っているけれど、きっと近いうちに選ばなければいけない。

 まだ言葉には出来ない。だけど、いつかはちゃんと言って見せる。

 今は言えないけれど、私もマリアちゃんみたいに前へ進んでいきたいと思っている。

 

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