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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第二十八話『語られざる英雄譚 中』

第二十八話『語られざる英雄譚 中』


『木漏れ日の森』。女神エアリスが人間の頃、憩いの場としてよく訪れていたと言われる森。

 新緑に照らされた日の光が優しい緑を映し、幻想的な緑の光に包まれている。

 好戦的な魔物等が少ないが、反面植物等はあふれていることから、草食のボアやピークバードが数多く生息しており狩りには十分な場所だ。

 しかし、それは入り口付近のことだけであり、奥地や深部へと足を踏み入れると魔物のねぐらがあることも多い。

 それでも比較的安全な場所に違いないのは、冒険者ギルド『青き翼』が国から依頼を受けて定期的に調査をし、必要があれば魔物の討伐をしていることも要因である。

 そんな『木漏れ日の森』で、一つの悲鳴があがり、肉のひしゃげる音が響き渡る。

 悲鳴はさらに上がり、やがて途切れたかと思うと何かを磨り潰すような、かみ砕くような音の後に、不気味な唸り声が響き渡る。

「なんだよ。こいつ…!」

 そう言いながら、若い冒険者ドランは剣を抜いたものの、醜悪な顔、虚ろで黒く濁った瞳、荒れてボロボロの紅潮した肌。3メートルを超える巨体と丸太のような腕を持つ魔物に慄き、構える事すらままならなかった。

 魔物は、剣は構えているものの腰が抜けているドランを虫でも払うかのように片手で吹き飛ばすと、ゆっくりと幼い二人の冒険者、鎧を着たロイと白いローブを纏ったエンファの方へと近づいてく。

 ロイは震えながらも剣と盾をしっかりと構え、一歩踏み出す。

 剣を振るい一閃を放つが、魔物の皮膚に傷すら付けられない。

 魔物が腕を振るい、ロイは咄嗟に盾で受けたものの、そのまま吹き飛ばされてしまう。

 ロイは地面を転がりながらもすぐに立ち上がり、魔物の眼前へと立ち。

「エンファ逃げて!ドランさん、エンファをお願いします!すぐにギルドへ連絡を!」

 ロイが声をあげ、仲間を殺された恐怖で身を竦ませているエンファと、まだ傷を負っていないドランに声を掛ける。

 声に応えるようにドランは立ち上がり、

「うわぁぁぁ!」

 悲鳴を上げて逃げ出してしまった。

「ドランさん!」とロイが声をあげた時には、魔物の丸太のような腕がロイを襲う。

 簡単に吹き飛ばされ、ロイは近くの木々に体をぶつけた倒れ伏す。

 それでも、ロイは血を吐きながらも、必死に立ち上がり、剣を再度構える。

「エンファ逃げて…!」

 そう言いながら、ロイは剣を構え必死に魔物へ打ち込む。

 何度も何度も必死に打ち込むが、やがてベキリ―と音が響く。

 剣がまるでおもちゃのように折られ、ロイの体が吹き飛んだ。

「いや…いやぁぁぁ!」

 エンファは、目の前で血を流し、吹き飛ぶ友人をただ涙と悲鳴と共に見ているしか出来なかった。

 エンファが地面に力なく転がったロイに駆け寄ろうとしたが、何処にそんな力があったのか、ロイは必死に顔をあげ。

「逃げて…!」

 その声に押されるように、エンファは涙を流しながら走り出した。

 友達を助けないといけなのに、それでも怖くて逃げることしか出来なかった。

 走り続けていると、不意にロイの声が聞こえてきた。

「エンファ、エンファ」と何度も呼んでくる。

 その声に思わず彼女は振り返る。

 そこにあったのは、醜悪な顔と共に不気味な表情でエンファを見つめる、あの魔物の顔だった。



 アルトヘイムの行商達が集まる通り。

 比較的人通りの多いこの場所では、行商や露天商が集まり、冒険者や街の者に食料品や雑貨等を売っている。

 いつものように荷車で食料売る中年の女性が、野菜スープ等を売りながら嘆息してしまう。

 アルベルトと言う冒険者が来てから、やけに女性の客が増えた。

 頭や行動はおかしいものの、基本的には人助けを好み、またやけに顔立ちが整っていることが理由だ。

 ただ、本人は全く恋愛ごとに興味がないのか、誰とでも自然と話している。

 顔立ちも、生まれも、性格も性別ですら関係なく接客しているので質が悪い。

 そして、そんなアルベルトを一目見てからずっと追っかけをしている雑貨屋の雇われの女性。

 まだ20代位の綺麗とは言えないものの、可愛らしい雰囲気のある女性だ。

 積極的な行動こそ起こしていないものの、相手であるアルベルトは自然に付き合うだけで、関心というものが全くない。不憫に思えてしまったので、ついつい手を貸してしまい、アルベルトにお小遣いを持たせ食事でも行ってこいと送り出した。

 その甲斐もなく、アルベルト目当てで今日も女性客が多い。

 そして、彼女にとっての一番の問題は…

「あのさ…あんたらね…」

 中年の女性が店のすぐ隣で食事をしている男女に声を掛けると、

「どうした?」

「どうかしましたか?」

 声を掛けられた二人はあっけからんとした様子で食事をしていた。

 一人はアルベルトの追っかけの女性、もう一人は件のアルベルトだ。

 売上に影響が出る訳がない。デートに行けと暗に言ったにも関わらず、アルベルトがここにいるのだから。

 むしろ、買っていった客とも、いつものように会話をしている。

 それだけでなく「今度の休憩時間は私も」とデートの最中にも関わらずデートに誘われ、アルベルトも「いいぞ」と答えている。

 多分理解していない。

 中年の女性は呆れながら、

「いや、うちの商品買ってくのはいいけど…その、お食事だろ?男女で」

 そう尋ねたものの、アルベルトは頷き、若い女性も頷く。

「そうだな」

「はい!」

 二人は美味しそうに食事をしているものの、中年の女性はため息ばかりが出る。

「いや、なんも言わないけどね。せめてお洒落なカフェにでもしなよ」

「ここが旨いからな」

「はい美味しいです!」

 そんな二人のやり取りに中年の女性は肩を落とし。

「そうかい…不安になってきたよ」

 仲はいいんだろうけど、と愚痴をこぼしながらも、不意に中年の女性がアルベルトの追っかけの若い女性を見る。

 少し頬を紅潮させながらも、楽しそうにアルベルトとの時間を過ごしている。

 時折、目が合うと若い女性の方から会釈される。

 その姿に、中年の女性は複雑な気持ちになりながらも「がんばりなよ」と聞こえないように小さな声で声援を送っていた。

 そんな二人と一人の間を割るように高い声が響いた。

 女の子の声だ。

「お兄さん!」

 そう言いながらとんがり帽子の少女がアルベルトに駆け寄ってきた。

 中年の女性は面識もあり、「水やりの子」と声をあげる。

 アルベルトはとんがり帽子の少女を見ると、少しだけ驚いた表情をしたものの、

「ああ、ぐっじょぶちゃん。どうした?」

「助けて…友達が!」

 アルベルトの言葉を待たずに、とんがり帽子の少女が縋るような声をあげる。

 その言葉にアルベルトは頷くと、スープをかき込み、食べかけだったパンを若い女性に渡して「行こう」と短く答えた。

 アルベルトが立ちあがったところで中年の女性が驚きながら

「ちょ、アルベルトどこにいくんだい!?今日は…」

「すまない。行ってくる」

 言いかけの言葉ですら制止するようにアルベルトが言い、さらにとんがり帽子の少女を見つめた。

 とんがり帽子の少女は震えながら、

「ごめんなさい…精霊が…集中が…」

 と泣きそうな表情で必死にアルベルトに謝っていた。

「気にするな。方向なら分かるな。行くぞ」

 アルベルトはとんがり帽子の少女に手を引かれて城門へと走っていく。

 その背中を見送りながら、不意に中年の女性が気まずそうな表情を浮かべ。

「いいのかい?」

 その言葉に、若い女性はゆっくりと頷き、笑顔を見せた。

「はい…アルベルトさんのそういうところ…その」

 若い女性の言葉がそこで詰まる。

「本音は?」と中年の女性に再度尋ねられると、若い女性は俯き笑顔を崩した。

「折角、お休み貰ったのに…ちょっとだけ悔しいです…」

 女性にここまで思われているにも関わらず、人助けとなるとそのまま行ってしまう。

 そんなアルベルトに中年の女性はため息を吐いてから、若い女性の方を見ると。

「後で、アルベルトに叱ってやりな」

 その言葉に若い女性は慌てた様子を見せ、

「でも、いいんです!誰かを助けようとしているアルベルトさんが…素敵だから」

 その言葉が本心だと誰でも分かる。

 それだけで済ませられないものの、好きな部分の一つがそこであるのは間違いない。

「あんたも苦労するよ」

 中年の女性が呆れるように、それでも応援するように言う。

「はい。覚悟の上です」

 若い女性は大きく頷き、ふとアルベルトが残していったパンを見つめる。

「これって食べてもいいんですよね!?」

 恥ずかしそうな言葉に中年の女性は笑顔を見せた。

 中年の女性は答えは何もしなかったものの、若い女性は暫くそのパンと睨めっこをしながら、必死に自問自答を繰り返しているのを笑顔で見守っていた。



冒険者ギルド『青き風』

 そのギルド長の部屋に怒号が響き渡る。

「どういうことだ!」

 声の主は女騎士と揶揄されるリリアだ。

 問い詰められているのは、蛇のような雰囲気のある同じ冒険者ギルドの男であり、ドランと共に『木漏れ日の森』へと向かった一人だ。

「それが…その…」

 言いかけた言葉にリリアは舌打ちで返し、拳を強く握りしめる。

 殴りかかろうとしたところで、ギルド長である筋骨隆々の男、シグルドがその手を掴んだ。

「落ち着けリリア。そんなことしている場合じゃねぇ」

 シグルドの言葉にリリアは臍を噛みながらも、腕を戻し踵を返す。

「シグ!私が出る!」

 そう言いながらリリアが鎧を付け始め、剣を腰指す。

「お前な…いや、そうだよな。ギルドからも手の空いている奴を…」

 シグルドの言葉に、リリアが睨み付ける。

「相手は大型のオーガだ。手空きで何とかなる相手じゃない!」

 リリアの怒声にシグルドはやれやれと肩を透かしてみせる。

 リリアが準備をしながら、蛇のような冒険者を指さし。

「おい!貴様、フィーネ修道士にこの事を伝えてこい!助力を願うと!報酬が必要なら私が払う!」

 その怒声に蛇のような冒険者は怯えながら頷き、急いで駆け出した。リリアはその背中を睨みつけ、

「貴様はその後なます切りだ。覚悟しておけ!」

 鬼気迫るリリアの怒声に男は文字通り逃げしてしまった。

「少し、落ち着け。お前らしくないぞ」

 リリアの言葉を再度シグルドが諫めるが、リリアは鬼のような形相のまま。

「シグ!あいつらは…」

「お前まで戻らない気か?ロイやエンファだけでなくよ。それだけは勘弁してくれ」

 言いかけた言葉を今度はシグルドが制する。

 言いながらまるで子供をあやすようにリリアの頭を撫で、

「冷静になれ。必ず連れて帰ってくると、俺に約束しろ」

 諭すような言い方にリリアは悔しそうに唇を噛みしめながらも、

「分かった。必ずロイとエンファは連れ帰る」

 その言葉にシグルドは呆れるように笑って見せる。一人足りないぞ、と。

「ついででいいからドランも、な」

「それは約束しかねる。もし、私が次にあいつを見た時は、それは殺す時だ」

 その言葉にシグルドはやれやれとため息を吐きながらも、「好きにしろ」と答えた。

 リリアはマントを翻らせギルド長の部屋を後にする。

 シグルドは蛇のような冒険者が逃げたであろう、と確信したのか、他の者を呼び、

「今から手の空いている奴を全員集めろ」

 そう厳しく言い渡すと各々に指令を与えていった。

 指令を言い渡した後に、

「こいつは俺の落ち度だ。リリアもドランも、どちらも攻めるなよ」

 そう告げて仲間を見送った。

 本来なら彼がフィーネ修道士のところへと出向くところだが、今の自分では合わせる顔がない、とその表情を歪めた。

 仲間を守る―

 彼女が戦争の際に目指していたことはそれだけだった。

 その心だけで、中央国を打ち払うだけでなく、救われたシグルドは…ただ臍を噛むしか出来なかった。




 

『学校』を開いていたエアリス教会の扉が乱暴に開かれる。

 そして、一人の冒険者ギルド『青き風』の団員が声を張り上げる。

 その声にフィーネだけでなく、奴隷商も苦々しく表情を歪め、授業を受けていた子供達は不安そうにフィーネへと視線を向けた。

「フィーネ修道士おられますか!?」

 その言葉にフィーネは眉をひそめながらも、

「なんだ、騒々しいぞ。授業中だ」

 明らかに歓迎しない雰囲気を見せていると、冒険者ギルドの者が頭を下げ。

「お願いです…ロイとエンファがオーガに襲われて行方不明になりました。助けを願います!」

 その言葉にフィーネは目を丸くする。

 少しの間、フィーネは考える素振りをしていたものの、その視線は教壇に立て掛けられている剣へと注がれていた。

「…分かった」

 静かな口調で重々しくフィーネが口を開く。

 冒険者ギルドの者はさらに深々と頭を下げ、「ありがとうございます」と感謝の言葉を送っていたが、その言葉に、「いえ、お待ちを」と奴隷商が口を挟む。

 冒険者ギルドの者は、黒い外套を纏った彼をみる。

 奴隷商は自然な口調で、

「彼女は今授業中です。ここにいる子供達の権利を侵害してでも彼女を無理矢理連れ出さないといけないとは思えませんね」

 奴隷商の口ぶりに冒険者ギルドの者が声をあげる。

 フィーネは、奴隷商や冒険者ギルドの者から視線を逸らし、その手を押さえていた。表情は暗い。

 奴隷商は冒険者ギルドの者を睨み付けるような視線を送り、

「なので、私が行きましょう。剣はありますか?」

 その言葉に冒険者ギルドの者は反応に困り、言葉を失っていた。

「…任せていいか?」とフィーネから、か細い声が響く。

 奴隷商は得意げに笑い「あなたはここの先生ですよ」と一言置いてから。

「剣を置いた身なのでしょう。お任せください」

 その言葉にフィーネは静かに頷き、教壇の脇にある剣の傍まで行くと手に取り、奴隷商の下へと持ってくる。

「これを使ってくれ」

 刀身からフォルトまで全て銀色の剣。かつて12年前の戦争でフィーネに送られた剣だ。

「シルヴァンス…いえ『血染め』でしょうか?」

 奴隷商がそう口を開くと、フィーネは首を振り。

「そうとも言えるな。だが、それだけでは不完全だ。それでも剣自体が『神聖銀ミスリル』で作られているから奇跡の触媒ともなる。君なら使いこなせるだろう」

 『奇跡』の触媒と聞いて、奴隷商は口の端に笑みを浮かべる。

「ええ。お任せください」

 奴隷商は剣を腰に差さずに、一度、抜き身にしてフィーネに剣を渡す。

「ただ、フィーネ修道士。一度だけの誓いですが宜しいでしょうか?」

 その言葉にフィーネは静かに頷き、奴隷商が跪き、

「私は…今この時だけ、エアリスの騎士『求道』の騎士としてあなたの剣として人民を守り、邪を祓う勤めを果たすと誓います」

 その誓いにフィーネが驚いていた。

「そうだったのか」と歩んできた道を理解するように溢すと、ゆっくりと剣の柄を握り、刃を奴隷商の肩に当てた。

「汝をエアリスの騎士と命ずる。我等が愛する神の騎士であることを忘れることなく、弱きを助け、強きを挫く万民平定の剣を振るえ。そして汝の示す道に太陽と月の加護があらんことを」

 フィーネはその言葉を言い終わると、奴隷商に剣を向け、それに応えて奴隷商もその刃に口づけをし、柄を向けられ差し出された剣を受け取る。

「すまない。見よう見まねでうろ覚えだ」

 フィーネ修道士が困ったような表情を浮かべたものの、子細の違い等今は気にしていあられないのか奴隷商はしっかりと剣を納め頷く。

「頼むぞ。『求道』のエアリスの騎士」

「今だけですが、お任せ下さい」

 その言葉と共に、ギルドの冒険者の制止を振り切って、エアリスの騎士は駆け出した、

 黒い装束、鎧も兜も小手もないものの、それでも騎士の誇りを持って彼は駆け出した。

 子供を守るという、彼の騎士の全てを捨てでも立てた誓いを守る為に。



 木漏れ日の森から帰ってきた私、ことカホ。

 アリシアちゃんに「何も獲れなかったね」と言われながらも、今日の獲物が全くいない森には違和感を感じていた。

 城門まで帰ってくると、なにやら慌ただしくしているのが見えた。

 城門の兵士と掴み合う様に会話をしているのは鎧を纏った騎士のような女性…

「リリアさん?」

 私が声を掛けると、リリアさんは驚いたように目を丸くし。

「カホさん!?」

 そのままリリアさんは掴みかかる勢いで私に迫り。

「森から来たのか?ロイとエンファを見なかったか!?」

 その言葉に首を振りながらも、

「何かあったの?」

 そう聞き返すと、リリアさんは必死に、ことのあらましを話してくれた。

 気丈なリリアさんには似合わない雰囲気ではあったものの、それだけで事の重大さが分かる。私は頷くと同時に、

「アリシアちゃん!お願い手伝って!」

「カホの頼みなら勿論だよ!」

 アリシアちゃんは快諾してくれ、私達は森へと駆け出した。

 リリアさんも私に続き、森に入ったところで、

「私は奥地を見に行く!カホさんは入り口付近を!」

 そう言って彼女と別れることになった。

 私は…まだどうすればいいか分かっていないものの、必死に剣を握りしめ、ロイ君とエンファちゃんを探すことにした。



『木漏れ日の森』を二人のフードを被ったエルフをが歩く。

 一人は大人のエルフであり、名前はセフィラ。もう一人はまだ幼い少女のエルフ。

 二人は木漏れ日の森を歩きながら、辺りを見回しているものの、何も獲物がいないことに肩を竦める。

「獲物がいないわね…」とセフィラ、こと私が言うと、エルフの少女も頷いた。

 ここまで探していないとなると、嫌な予感がする。

 数日前に感じた違和感のようなものが近づいているのかもしれない。

 もしも攻撃的な魔物を呼び寄せるような…マンドラゴラのようなものが生えたのであればそれはそれで問題ね。

 戸惑いを隠せずにいると、不意に服の裾を掴まれた。

 エルフの少女が不安そうに私を見上げてくる。

 私は心配かけまいと、何か話題を逸らそうと考え、

「あいつの借金が高すぎるのよね」

 そんな愚痴をこぼしてみると、エルフの少女は顔を青ざめさせながら頭を下げた。

「ごめんなさい…」

「違うわよ!あの奴隷商に言ってるの!」

 慌ててこれは失策だったと気づく。

 正直、あの奴隷商は余りお金に頓着をしていないので、死ぬまで待っててもと何も言われなさそう、とかの反応が欲しかった。

 お金にがめついのなら、私にしつこく請求をしてくるし、何よりも他種族の為に大金貨10枚なんていうとんでもない金額を払ったりしない。

「でも…」とエルフの少女がさらに追いつめたような表情をする。

「気にしないで。むしろ、ごめんなさい。迎えに来るのが遅れちゃって…」

 その言葉に今度はエルフの少女は目を丸くし、

「そんなことないよ!だって、お姉さんは…」

 そこで言葉に詰まってしまった、

 二人して言葉に詰まり、何も言えずに気まずい雰囲気で歩く。

 本当に何をしているんだろう。

 日常の会話をしようとしたらトラウマを呼び起こして、謝っても相手のトラウマを呼び起こす。

 カホなら何とか…してくれないよね。

 気まずい雰囲気を噛みしめながら、

「その…まだ名前は言えないわよね」

 そう言ってみたものの、エルフの少女は頭を下げるように俯き。

「う…うん…カホお姉さんに…初めてがいい」

 その言い方は誤解を産みそう。

 この子も私のように茶化されなければいいけど。

「そっか…仕方ないわね」

 気まずい雰囲気ながらも先へと進んでいく。まったく獲物がいないこともあり、気付くと奥地までたどり着いていた。

 ここより先の深部へはまだ行った事がない。ここも一人で調査に来たきりなので、ここに何も獲物がいなければ帰ろう、と思っているとすえた鉄さびのような臭いがしてきた。

 弓を手に取り、矢を一本握る。

 私のその行動にエルフの少女も合わせ弓を構えた。

 身を隠しながら臭いのする方向へと歩いて行くと、赤いシミのようなものがそこら中に飛び散っているのが見えた。

 その先には肉片らしきものと、食い荒らされた臓物、そしてその持ち主であったであろう男の体が血溜まりを作っているのが見えた。

 冒険者が魔物に返り討ちにあったのだろうと、臭いを誤魔化すためにフードで鼻を覆う。

 エルフの少女は、余りの臭いと光景に嫌悪感を覚えているのか、顔を青ざめさせていた。

 それでも、へたりこむようなことはないのは彼女の強さの表れでもある。

 私が辺りを観察していると、不意にピクリと何かが動いた。

 それに目を凝らすと、傷だらけの少年が痙攣するようにうつ伏せで倒れているのが見えた。

 まだ幼く、背格好はエルフの少女と同じくらい。ボロボロになった鎧ながらそれは見たことがある。

 冒険者ギルド『青き風』のリリアという女性と一緒にいたロイ君だ。

「大丈夫!?」

 駆け寄ると、ロイ君は目も開けられないような状態で、うわごとのように呟き。

「誰…ですか…?エンファは…?オーガが…エンファを…」

 何度もそう呟き、必死に立とうとしている。

「あなた確か、ロイ君よね?」

 私がそう確認すると、苦悶の表情を浮かべながらロイ君は私を見つめ、「お姉さん…?」とその一言を言ったかと思うと、必死に手を伸ばし。

「お願いです…エンファを!僕の…大事な仲間を助けて下さい!」

 言葉を口に出す度に血を吐きながらも、ロイ君は必死に、この前聞かせてくれた仲間の身を案じていた。

 まだ会ったこともないけれどいかにロイ君が仲間を大切にしているのかは分かる。

 そして、仲間を失いたくない気持ちは痛い程分かる。

 私はサイクロプスから逃げるしか出来ず、助けを求めても誰も来てくれなかった。

 仲間を守れず、失ってしまった。

 だからといってこの子も同じ目に合えばいいか、なんて思わない。

 もうあんな苦しいのはゴメンよ。他の人にもあんな目にあって欲しくない。

 この先に何がこの先にいるのか分からない。正直言って怖い。

 だけど…

「任せて。必ず助けて見せるから」

 例え種族が違っていても、あの子なら助けに行った。

 お節介で、弱くても必死に戦う、あの赤い髪の冒険者なら。

 私はあの子…カホの友人として、例え人間でも助けてみせる。

 強く決意を持ち、一度目を閉じる。

「行こう」

 エルフの少女にそう伝えると、彼女も驚いていた。

 私は一本しかない回復薬を少年に飲ませてから、

「木の精霊よ。この少年を守って。お願い」

 精霊に語り掛けると、樹の精霊が姿を現し一度大きく頷いた。

 それに応えるようにツルが伸び少年の体を絡み取りドームを作り始めた。

 木の精霊がここにいる以上、二重螺旋精霊矢は使えないけれど、この子も守って見せる。

 幸い、エンファという少女がいるであろう場所は分かる。

 魔物が殺したであろう人間の血の跡が続いている。これを追っていけばいい。

 不意に魔力の流れを感じた。

 一瞬だけだけど、導くような光が走っていくのが見えた。まっすぐに血を追っていきそのまま奥地へと消えていく。

 見たことがある。確か、人間の使う『奇跡』の一つ。『道標』だ。

 私はそれを追う様に駆け出していった。



 木漏れ日の森の奥地。

 普段なら新緑の光が差す地が鬱蒼とした木々により暗く、深い闇を作っていた。

 そんな中を一人の白いローブを纏った癖毛の少女、エンファが必死に助けを呼んでいた。

 後ろから近づいてくる巨大なオーガが、まるで彼女をいたぶるのを楽しむように、何度も手を伸ばし、必死に逃れようとするエンファを時には叩き、足を掴んでは地面に投げ捨て、嗚咽と涙と恐怖でぐしゃぐしゃな表情となったエンファを嗤う。

 エンファはそのうちに足腰が立たなくなり、ついにはゆっくりとへたり込んでしまう。

 あまりの恐怖と痛みに尊厳すら忘れ、失禁をしていしまい、それを見たオーガが下卑た笑みを浮かべた。

 そしてゆっくりとエンファの体を掴むと一気に彼女の纏っていた白いローブを引き裂いた。

 エンファは目を剥き、必死に体を捩るものの、どうにもならず、叫ぶことしか出来なかった。

「いや!助けて…嫌…誰か…」

 必死にあげた声も森の中へと消えていく。

 不意にエンファの涙が止まる。そして、オーガの遥か後ろを見つめ、

「…ロイを助けて…」

 必死に恐怖を噛みしめ、そう呟いた。

 オーガがその頬と体を舐め口を大きくあけると、ゆっくりと胸の下に抱くようにエンファを持っていく。これからされることをエンファは少なくとも知っている。

 それはあの『花園』で聞き、実際に見てきたからだ。

 それでも自分が耐えることで、大事な仲間が助けれるなら、と唇を噛みしめる。

「ロイ…無事でいて…」

 涙を流しながら、目を閉じ体に力を入れる。

「戦技『連射ラピッドシュート』!」

 凛とした声が響いた。

 それと同時に凄まじい風切り音が数度響き、オーガの側頭部に数本の矢が直撃した。

 不意を突かれたオーガは痛みからエンファを離し、矢が放たれた先を見る。

 そこには、

「こっちよ、化け物!」

 金糸の髪が揺れ、フードを被った綺麗な女性が立っていた。

 まるでおとぎ話に出てくるような、勇敢で美しい弓を構えた女性にオーガが咆哮をあげる。

 エンファはへたり込みながらも…まるで、エルフのような美しい女性に目を奪われていた。

 御伽噺…かつてのエアリスの神話のようなその姿に。



 オーガの咆哮を聞きながら、私ことセフィラは思わず舌打ちをしてしまう。

 オーガからする、腐臭の中にすえた臭いがする。それに、赤みを帯びた体と、荒い鼻息…。

「最悪、発情期ね」

 そう言いながら、後ろに隠れてもらって、エンファちゃんという子の救出の機会を待つエルフの少女に。

「あなたは逃げて…私がなんとかする」

 さっき立てた作戦をいきなり放棄するというのもどうかと思うけれど、これは仕方ない。

 あんな大型のオーガが相手だと、私一人だと分が悪い。

 それどころかここにいる全員が全滅させられる危険性まである。

「セフィラお姉さん…」

 不安そうな声をあげるエルフの少女。

 私は意を決してから。

「あいつは危険よ。もし動けなくなったら死ぬまで犯される」

 オーガは発情期以外は常に食欲の方が旺盛であり、人間でも同種のオーガでも基本的には殺して食べるのが普通。

 ただ、発情期となると訳が違う。攻撃的になり、やけに異性に執着する。またオーガはあらゆる種と交わることの出来る上に、死体からでも子どもを産ませることがある。

 下腹部の膨らみから見ても、オーガの性別はオス。

 ここにいる三人はまさに恰好の的。

 矢を番え、一気に引き絞り、放つ。

 凄まじい風切り音が鳴り響き、オーガに向かって飛ぶ。

 オーガは避けようとおもせず、腕で防ぐとゆっくりとエンファという女の子の方へと手を伸ばし始めた。

 私は駆け出し、一気に近づく。

「無視とはいい度胸じゃない!」

 エンファという女の子にその手が触れる前に、弓を引き絞り、矢を放つ。

 狙いは掌―

 まっすぐに飛んだ矢は狙い通り掌を貫通し、エンファという女の子を掴み損ねていた。

 そこでようやく、オーガが私をみた。

 笑みを浮かべている。

 気付くと、相手の腕が私に向かってきていた。

―誘い込まれた。

 そう気づいた時には慌てて後ろに飛びのくが外套を掴まれ、そのまま地面に引き倒されてしまう。

 咄嗟に外套を脱ぎ捨て、弓を構える。

 そんな私をエンファという女の子が驚いた表情で見ていた。きっと見えてしまったのだろう。私の耳を…エルフの特徴的な耳を。

 隠したかったけど、そんなこと気にしていられない。

 頭が回るのか、このオーガの動きは厄介極まりない。

「この…!」

 矢を放つが、黒鋼の弓から放つ一撃でも軽く仰け反る程度しかダメージが通らない。

 手ごたえが無さ過ぎる。

 しかし、それは明らかにおかしい。

 サイクロプス程の魔物であれば、それ程の耐久力には頷けるものの、まるで痛みを無視しているような動き。

 いくら発情期とは言え、そんなことは普通ありえない。

 オーガが私に狙いを変えて、腕を振り回してくる。

 それらを何とか避けるものの、反撃の隙が見つからない。

 弓を構えようにも、下手に手を伸ばせば掴まれる。

 『戦技』を使いたいものの、足を止めたら最後となることは簡単に分かる。

 耐えるしかない。

 そう思い、何度も繰り出されるオーガの攻撃を避け続け、少しでもエンファという少女から引き離す。

 そして私の思惑を分かっているのか、オーガも中々離れようとはしない。

 こんなに知性のある魔物のはずがないのに…。

 上手く戦えず臍を噛んでいると、不意に声が聞こえてきた。

「エンファ…エンファ…」

 さっきのロイ君の声だ。何度も何度も、あの女の子の名前を呼んでいる。

 まさか着いてきたのかと思い、振り返るがそこには誰もいなかった。

 右から風切り音がする。矢の音だ。

 視線を向けると同時に、飛びずさると、そこには何もなかった。

「え?」

 声が漏れると同時に私の体が宙に浮いた。

 鈍い痛みと衝撃が体を襲う。

 殴りつけられたと分かるのに、少し時間が必要だった。 

 自分でも何があったのか分からなかった。

 ロイ君の声がしたと思ったら、誰もおらず、おまけに風切り音がしたと思ったら、反対方向から殴られていた。

 地面に倒れ込み、必死に立ち上がろうとするものの、息が苦しい。

 当たり所が悪かったのか、アバラか何処かが折れたのかもしれない。息が苦しく、足がもつれ、視界も歪む。

 こんな訳の分からないことが起こるなんて想定していなかった。

 オーガを見据えると、私をゆっくりと見下ろしてくる。

 その口から風切り音が漏れ出していた。

「ふざけた真似を…!」

 オーガの幻惑魔法。そうと分かっていれば、まだ対処は出来たのに、と臍を噛んでしまう。

 この三人の中で一番成熟してる体を持つのは私だ。そして、そんな私が倒れたということは…。

「お姉さん!」

 その言葉と共に、エルフの少女が矢を放った。

 矢は風切り音と共に飛び、真っすぐにオーガの腕に直撃した。

「ダメ、逃げて!」と私が声をあげるものの、オーガは意にも返さない様子で私に背中を見せた。

 そして、その歩む先はエルフの少女の方でもない。エンファという女の子の方にだ。

「私じゃない…あの子でも…まさか!?」

 一つの予感と共にエンファという女の子に視線を向けると、それが分かった。 嫌な予感が的中した。

 さっきからしていたオーガの腐敗臭に混じったすえた臭い。それの正体は彼女の失禁だ。

 オーガは普段から腐敗臭やすえた臭いを好み、花の香りを嫌う。

 だから、私じゃなく、エンファという女の子を狙っている。

 それでも、おかしいことには変わりない。

 魔物はそこまでの知性はない。近くにいるものを攻撃し、とりあえず好き勝手に暴れまわるのが普通なのに。何故かこのオーガは好みを優先している。

 本来のオーガは本能的過ぎる動きであり、習性等あったものじゃない。

 オーガがゆっくりとエンファという女の子へ手を伸ばす。

「あ…いや…いやぁ!」

 エンファという女の子が叫ぶ。頭を抱え、泣き叫んでいた。

 何も出来ない自分が情けない。

 必死に魔力を練ろうとするも、さっきからするオーガからの腐敗臭で集中が乱される。

 弓を手に取ろうにも息が落ち着かず、手に力が入らない。

「私は…!」

 口から必死に声を出すと、それだけで気が遠くなる。次の息を吸えず、すぐに喉の奥が痙攣する。

 それでも必死に息を吸うと何かが折れる音が響いた。

 私の中から発せられた音。痛みが伝わり脂汗が噴き出る。口から血がこぼれる。

 それでも…

「私は…誇り高きエルフよ!」

 立ち上がると同時に弓を構える。

 痛みでどうかしそうになりながらも、必死に矢を引き絞る。

 息が辛い…だけど、こんなところで見捨てられない。

 矢を放つが、それはオーガの頬を僅かに掠めただけであった。

 オーガはまるであざ笑うかのように振り返り、その顔に斬撃が走った。

 オーガの悲鳴が上がり、

「よく頑張りました」

 静かな声と共に、エンファという女の子の前に一人の影が現れた。

 よく見ると、それは影ではなく、黒い外套を纏った男だ。

 蛇のような雰囲気のあるひょろりと背の高い男性。そして手には似合わない美しい銀色の剣を携えている。

 オーガは悲鳴をあげながら、拳で殴りつけようとするが、それと同時に剣が閃いた。

 剣は硬い外皮に防がれたものの、オーガの手は見るも間に数度の斬撃で切り裂かれ、オーガは悲鳴と共に伸ばした手を引っ込めった。

 剣を振るったのは、変わり者の、それでも優しい奴隷商だった。

「あなた達を守りましょう。エアリス神に懸けて…」

 そう、彼が口にすることを辞めたはずの神に誓いを立てて、彼はオーガに対峙する。

「黒先生…」

 エンファという女の子から安堵のような声が漏れた。

 奴隷商はエンファという女の子と、オーガの目の前に立ち、

「これは忘れて下さいね」

 そう優しく諭すように告げる。オーガはそんな彼をお構いなしに殴りつけるが、彼が剣を片手で振るい、いとも簡単に受け流した。

 奴隷商は剣を構え、そして私に視線を送ってきた。

 前に彼がいるなら、全力で戦える。

「『戦技』…」

 言いかけたところで、口から血がこぼれる。

 思ったよりも重傷なことに体が拒否反応を起こしている。

 戦技を放てず、膝をついてしまうが、それでも必死に矢を放つ。

 矢は真っすぐに飛び、オーガの目を貫いた。

 オーガが痛みで仰け反る。そこに奴隷商の一閃が閃くが、小さな傷しか付けられない。

「硬いですね…まともなオーガではありませんか」

 呆れるように彼は言うが、その表情は苦しい。

 それに私の考えが正しいのであれば、奴隷商にとってあの距離は本来の彼の位置取りではないのも分かる。

 慣れていないそのゼロ距離戦闘になんとか耐えてはいるものの、遅かれ早かれ綻びは訪れてしまう。

 私もこんな状況じゃなければ…。

 そう思っている内に意識が遠のいていく。

「待たせたな」

 不意に聞こえた声と共に、私の体が抱き抱えられた。

 少し変わった生地の服装に身を包む、端正な顔立ちの男性。行動や言動が訳が分からないものの、その優しさは伝わる…。

「アルベルト…」

 その名前を呼ぶとアルベルトは私を地面に座らせ、ゆっくりとオーガへと向かって歩き出した。

「お前か。こっちを見ろ…」

 アルベルトがそう告げるものの、オーガは何度も奴隷商を攻撃している。

 そんな言葉でこっちを向くなら誰も苦労しないわよ。

「見る訳ないでしょ…がは!」

 咎めようと声をあげようとし、口から血がこぼれた。

「無理するな。セフィラ」

 アルベルトは相変わらず無感動にそう告げると、臭いをかき始めた。

「この臭いは尿か…」

 そう呟き、少し考えるように頷くと彼は駆け出した。

 エンファという女の子を守るようにしている奴隷商の後ろへと周り、へたり込んでいるエンファという女の子を見下ろす。

「あの…」とエンファという女の子がアルベルトを見返すが、アルベルトは何を思ったのか、ジャケットを脱ぎ、地面に押し付けるようにした。

 その行動にエンファという女の子顔を赤くしは目を丸くする。

 私は絶句する。

 そこにあったのは、エンファという女の子が失禁した後だ。

「借りるぞ」と言い放ちながらアルベルトは濡れたジャケットを羽織った。

「え…へぇぇぇ!?」とエンファという女の子が驚きと恥ずかしさから悲鳴のような声をあげる。その姿はまさに。

「へ、変態!?」

 思わず私が声をあげると、アルベルトは無表情のまま。

「喋っている暇があるなら、水の精霊を呼べ、この子を洗い清めろ」

 その言葉にようやく彼のしようとしていることが分かった。

「水の精霊よ!彼の者を清め…げほ!」

 声を出そうとしたものの、また血がこぼれる。それでも現れてくれた水の精霊に指先で指示をすると、水の精霊も頷き彼女の下へ滝のような水を振らせてくれた。

 あまりの水にエンファという女の子は目を回し、地上なのに溺れそうになったことでフラフラとしている。

 加減しなさいよ、と言葉に出せずに水の精霊を睨むことしか出来なかった。

「あとは任せろ」

 アルベルトはそう言いながら、奴隷商とまるで入れ替わるようにオーガに立ちはだかる。

 奴隷商は応えるようにエンファという少女を抱きかかえ、私の方へと駆け出した。

 オーガはそんな奴隷商とエンファを気にも留めていない様子だった。

 奴隷商とエンファという少女が私の元まで来ると、奴隷商は、

「エンファさん。辛いでしょうが、彼女に回復の奇跡を」

 そうとだけ告げて剣を構えた。

「お前は女の尿には特に反応するのだろう?さぁ、掛かってこい」

 オーガに対して得意げにアルベルトが拳を握って見せる。

 そこに、ボグリと鈍い音が響く。

 気付くとアルベルトは殴り飛ばされ地面に転がっていた。

「アルベルト…?」

 私が何とかその言葉を出すものの、痛みで気が遠くなる。

 出てきて女の子を辱めておいて、おまけにすぐにノックアウト。何がしたいのか分からない。

 殴られて吹き飛ばされた、にも関わらずアルベルトはゆっくりと立ち上がり、

「相手はオーガだったな」

 キョトンとした口調でそう冷静に言うものの、見れば分かる話。

 そこにオーガの一撃がさらに繰り出される。

 危ない…そう言おうとしたものの、オーガの手がまるでアルベルトをすり抜けていく。

 アルベルトはそのままオーガの拳に手を沿わせるようにし、足で何かを蹴りあげた。

 すると、オーガがバランスを崩し地面に倒れた。

 轟音と共に、オーガが地面に激突した。何が起こったのは全く分からなかった。

 それはきっとオーガも同じだった。オーガはすぐに立ち上がり咆哮をあげる。

 アルベルトはそんなオーガを睨むような視線を送り、

「来い。自分に出来ることをしてやる。救える命は救って見せる」

 そんな自身満々の彼に、オーガが拳を振り抜くが、どれでも軽く片手でいなされ、時には三メートルの巨体のオーガがアルベルトに殴りかかり、アルベルトが軽く触れ腰を落とすだけで、後ろに投げ飛ばされた。

 空気投げ、という技だとエルフの少女から聞いていたけれど、どういった原理なのか皆目見当もつかない。

「俺が抑える。その間に手早く頼むぞ」

 そう言いながらもアルベルトはいとも簡単にオーガの動きを制限している。

 アルベルトが余裕か、と言われればそれは違う。

 何度投げても、躱してもオーガの力が弱まることがなく、時には一撃を避け損ねてしまい、その手には弾いてはいるものの多くの傷が見える。

 苦しい表情こそしていないものの、アルベルトはジリジリと押されている。

 その証拠にダメージを受け過ぎたのか、時々、アルベルトは吹き飛ばされている。

 それでも彼は立ち上がり、私達を待ってくれている。

 エルフの少女からも何度も悲鳴があがる。そして、彼女も必死に弓を放つがどれも大したダメージにはならない。

 エンファという女の子はそんなアルベルトに気を取られ、集中はまったく出来ておらず、

「神様!お願いを聞いて下さい!『奇跡』をここに!」

 そんな叫ぶような声を何度も上げ、『奇跡』を使おうとしているが、何も起こらない。

 奴隷商がそんなエンファという女の子に一瞥をくれると、

「奇跡は身勝手に頼んで無理に引き起こすものではありません!心からの信仰と共に、神の御心を読み、祝詞を唱え、その力の一端をこの場に齎すものです!エンファさん、あなたなら分かるはずです!」

 強く厳しい声を掛けた。

 エンファという女の子はその言葉に涙を流しながら「でも…」と何度も首を振る。

「あなたには、仲間を守る力も勇気もある。それに我々を信じて下さい」

 奴隷商はそう告げると、ゆっくりと目を閉じ、剣を掲げる。

「天にましわす我らが神よ願わくばこの者に癒しの光を与えたたまえ」

 その言葉にエンファという女の子が目を丸くした。

「復唱を」と奴隷商は語彙は鋭くも、優しく諭すような声をエンファという女の子に向ける。

「天にましわす我らが神よ…願わくば…この者に癒しの光を与えたまえ」

 そこまで祝詞を上げると、エンファという女の子が大きく頷いた。

 両手を組み、ゆっくりと歌い上げるように、

「神の御心の導きのまま、心と願いを捧げます。勇猛なる者達に命の息吹と癒しの光を!」

 エンファという女の子が必死に祈りを捧げ続ける。

 ふと彼女の左胸から光が発していた。そこには、10大神の紋章の一つである光と翼をあしらえた至高神ロイドの大紋章が輝いていた。

 エンファという女の子が目を開く。

「来たれ神の祝福…『癒しのヒールウィンド』!」

 彼女が唱え上げ、光が優しい風と共に辺りを包む。オーガはその光と風にたじろぎ、私達を覆う光はゆっくりと私達の傷を癒し始めた。

 痛みが消えていく。優しい光が鬱蒼とした暗闇の森の中ですら明るく照らしてくれる。

 息が辛くない。少しずつだけど、疲労ですら和らいでいく。

「ありがとう」

 私がお礼を言うと、エンファという女の子は私を見上げ。

「お姉さん…エルフなの?」

 そう聞いてきた。私は弓をしっかりと握り締めてから、エンファという女の子の方を向いて笑顔を見せる、

「そうよ。皆には内緒よ」

 そう言いながら矢を番え、

「お願い、風の精霊よ!我が弓と矢に纏え!」

 風の精霊に声を声を掛けると、相変わらずの素直じゃない風の精霊が私の前に現れ、弓と矢に風を纏わせてくれる。

 精霊の姿が見えるようになってから、意思疎通が今までよりもずっとスムーズに深く出来る。これなら、より強く纏わせられる。

 弓と矢に風を纏わせオーガを見据える。

 アルベルトは回復が追い付いていない。時間をあげないといけない。

「『精霊矢エンチャントアロー』!」

 魔力を纏わせた矢を放つと、鋭い風切り音と共に衝撃を放ち、まっすぐオーガの腕を貫き、矢に纏った魔力が爆散した。

 爆発によりオーガの片腕は吹き飛び、それに合わせるようにアルベルトがこちらに駆けてくる。

 しかし、オーガはそんな状態になってもアルベルトを逃がそうとせず腕を振るう。

 アルベルトは何とか避けてはいる。

 奴隷商が剣を掲げ、高らかに声をあげる。

「我が信じる神、エアリス神よ!我が導きの心に応えよ。その形は剣!祝福の光によりこの剣に仲間を守る破邪の光を示せ!」

 その内容はさっきのエンファという女の子が歌い上げた祝詞よりも激しく攻撃的な内容だ。

 奴隷商は剣に触れると、一呼吸置き、

「来たれ神の祝福。『祝福付与ブレスウェポン』!」

 剣を撫でるように手を動かし、それに応えるように奴隷商の持つ剣が光を纏い始めた。

 見たのは始めて。それでもその技がいかに高位だとは分かる。

 『付与魔術エンチャント』。それも『奇跡』による。

「黒先生…『奇跡』を…」

 エンファという女の子が目を丸くする。

 奴隷商は光輝く武器を構えながらも、笑顔を見せ。

「これも内緒です。あと彼のことも」

 そう言いながら、一歩前へ踏み出しアルベルトを掴もうとしたオーガの手に一閃を切り込む。

 オーガの硬い外皮を苦も無く切り裂き、オーガから悲鳴があがった。

 先ほどまでは外皮にすら通らなかったとは思えない程の切れ味に、私ですら声を失う。

「どういうことだ?」とアルベルトが首を傾げつつも私達の下へとたどり着いた。

 どちらの事を言っているのか分からないけれど、出来れば性癖のことではなく『奇跡』の切れ味であって欲しい。

「うん!」

 エンファという女の子がやっと笑顔をみせてくれた。

 大きく頷き、疲れ果てて動けない体でも、その顔には恐怖はない。

「セフィラお姉ちゃん!」

 エルフの少女が私の下へと駆け寄り弓を構える。

 まるでエンファという女の子を守るように。

 その頼もしい姿に、思わず私も苦戦していることなんて忘れてしまった。

「さてと、行けますね。セフィラ!」と奴隷商が声を掛けてくる。

「当然よ。行くわよ、アルベルト!」

 私がアルベルトに声を掛けると、アルベルトはやれやれと肩をすくませ。

「やれやれ、体勢を立て直すのが遅いぞ。もう少しで死にそうだった」

 無表情で無感動ながら、そこに彼なりのジョークが入っているのがわかる。

「死なない奴がよくいいますね」と奴隷商。

「一番遅れたあなたが言うの?」と私が。

 答えを聞いたアルベルトは「その通りだな」とため息を吐いていた。

 一緒に旅をしている間に、彼が死んだり生き返ったりしたところを見てはいないけれど。

「いやはや、出てきていきなり尿を被ると同時に殴り飛ばされるとは、あなたらしい」

 奴隷商が厭味ったらしく言うものの、周りが他には女性陣だということに気付き「失礼」と謝る。

「いけるか?」

 アルベルトの声に「当然!」と私が答えると、奴隷商も含み笑いと共に、「愚問ですね」と頷く。

「なら、『魔物モンスター』退治と行こうか」

 アルベルトの声と共に私達はオーガを迎え討つ。

 オーガの拳が迫る。

 アルベルトはそれを一歩踏み込み、軸だけを逸らして躱し、そのまま力を地面へといなす。

「戦技『連射ラピッドシュート』!」

 そこに私の弓、5連射の戦技を打ち込む。

 矢は全弾直撃したものの、オーガは腕を払い、地面を抉り取ったものを私に投げつけて攻撃してくる。

「セフィラ!」

 奴隷商が叫び、声を掛けてくる。

「分かってる!」

 そう言いながらも、必死に投げ付けられた石や土を回避する。

 がら空きとなった体に奴隷商の剣が閃くが、その傷は浅い。

 蹴り出された足に奴隷商が吹き飛ばされる。

 寸でのところで剣で防いだようでダメージは思いのほか小さそうだ。

 オーガが混乱するように、腕を振り回し、不意にまだ臭いの残るエンファという女の子を見た。

「こっちを見ろ…」

 アルベルトがオーガの腰蓑…一物に手を伸ばし、思い切り腕を引く。

 ブチンと嫌な音がなった。

 それと同時に悲痛と怒りの混じったオーガの悲鳴のような咆哮が響く。

 思わず私は…というよりここにいる全員の顔が青ざめる。

 アルベルトは引きちぎったであろうアレは投げ捨て、「どうした?」と首を傾げてみせた。

 エルフの少女とエンファという女の子に至っては、投げ捨てられたアレを見て恐怖と嫌悪感で顔が引きつっている。

「アルベルト!」

 私が諫めるように声を荒げたものの、「チャンスですね」と奴隷商がオーガに飛び掛かる。

 首筋に一閃を放つものの、オーガが暴れ出した為に、奴隷商も慌てて飛びのいた。

 こんなことを思うのは場違いなのかもしれないけれど、男達の方が精神的にダメージが少なく見えるのは何でだろう。

 あと、アルベルトは何の臆面もなくアレを引きちぎってその辺に捨てるのは辞めて欲しい。

 オーガはもうボロボロだ。

 普通ならもう逃げ出してもおかしくない。なのに、まだ向かってくる。

「しぶといわね!」

 私は矢を番え放つものの、意にも返さず突っ込んでくる。

 不意に私の矢が、刺さった場所から抜けた。

 勝手に抜け落ちたようにも見えたものの、黒鋼の弓から放たれる矢がそんな生易しい威力ではないことくらい分かっている。

 アルベルトが私とオーガの前に立ち、攻撃を弾こうと手を伸ばした。

 ボコリと音がなった。

 オーガを見ると、私が吹き飛ばしたはずの腕が生え始めていた。

「アルベルト、気を付けて!」

 私が叫ぶものの、アルベルトは生えてきた腕に横凪に殴り飛ばされる。

 腕が生えてくるなんて…ありえない。

 奴隷商もその異変には気付いたものの、再生し始めた腕が変形し異形となったものを避けきれずに、殴り倒され地面を転がる。

「ぐ…どうなっているのですか?」

 奴隷商が、立ち上がりながら剣をオーガに向けるがその表情は険しい。

「妖精喰らい(フェアリーイーター)…」

 私は聞いたことのあるその名前をこぼしていた。

「なんだそれは?」と言いながら、地面に散々激突し、大量の血を流しながらも平然と起き上がってきたアルベルトが聞いてくる。

 アルベルトも随分な化け物具合だけれど、それ以上の化物。

妖精族フェアリーは大地や草花の生命力そのものなの!その妖精を喰らったことで異常な再生をしているのよ!」

 妖精は種を残さない種族。交配も交尾もせず、自身の命が尽きればそのまま消滅する。

 生まれる時は、大地や草花等の自然の生命エネルギーから生まれ、生まれた場所によって寿命が変わる。

 妖精族フェアリーは人格のある生命力そのものと言ってもいい。

 だけど、本来強すぎる生命力を取り込めば、体はその力に耐えきれず崩壊する。

 オーガやトロール程の強靭な体だからこそ崩壊は免れているに過ぎない。

「そんな話は…始めて聞きますが…」

 奴隷商はそういいながらも触手のようになった腕を切り落とした。

 オーガから悲鳴があがるが、ゆっくりとさらに触手のような腕が生え始めた。

「信じる他ありませんね」

 アルベルトは困ったように眉をひそめながらも、オーガの前に躍り出て、反撃をせずに回避に努めながら「どうすればいい?」と私に尋ねてくる。

 その答えは一つしかない。

 喰らった妖精の生命エネルギーが尽きるまで攻撃し続けるか、強力な一撃で木っ端微塵にしてオーガの意志を完全に消し去るか。

 後者なら意志が消えたオーガの体は、この森に帰る為に生命エネルギーを振りまき、それに応えた植物達が喰らってくれる。

 ただ、問題となるのは、下手な攻撃では殺しきる前に回復されること。

 脳を破壊しようが回復され、伝承通りなら首を落としても、落とした首から再生が始まる。

 なら、回復する体を利用して何回も殺し続けられるだけの威力を叩き込む。

「皆、アレを使うから、援護して!一撃で吹き飛ばす!」

 矢を構え、精霊に声を掛ける。

 木の精霊のシェルターを解くことになるけれど、それよりも今はこいつを許せない。

 この森で、友人であるはずのエルフに妖精族フェアリーが悪戯をしない訳がない。

 きっと、このオーガが喰らったのは妖精1匹どころではない。

 …見かけないと思ったら…そういうことだったのね。

「許さない…あの子達を…妖精族フェアリー達を…よくも!」

 悪戯好きで、エアリス様の話でもハーフリングと並んでよく彼女を困らせていた彼女達。でも、本当は心優しく争いを好まない種族。

 12年前のアルトヘイムと中央国との戦争でも、多くの中央国兵士を救い、停戦を早めたのが妖精族フェアリーだった

 歌で魔法を起こす美しい種族であり、悲しみで歌を忘れた妖精は『泣き叫ぶもの(バンシー)』となり、その命尽きるまで悲しみを分かち合ってくれる。

 それを…お前みたいな奴が!

「お姉さんダメ!」

 エルフの少女が私を抱きしめた。

 思わず弓を握る手を緩めてしまう。

 ふと、木の精霊が私の肩にとまった。

 相手をしている暇はないのに、エルフの少女と木の精霊に視線を送ると、木の精霊は触れれない体で私の頬を叩いた。

 まるで私を諫めるように。

「お姉さんは…ダークエルフにならないで!」

 エルフの少女が泣きながら私に縋りつく。

「お前らしくないぞ」

 アルベルトが声を掛けてくれる。

 その体にオーガの腕が襲うが、アルベルトはいとも簡単に受け流した。

「安心してください。まだ、ただの向かい風ですよ。だから、落ち着いて下さい」

 奴隷商が笑顔を見せ、襲ってくる触手を切り払う。

「行きますよ!アルベルト!」 

 奴隷商の声に合わせるように、アルベルトは足元へと飛び込み、掬いあげるようにオーガをひっくり返す。

 奴隷商はその倒れた体に剣を深々と突き刺す。

 オーガの悲鳴が響き渡るが、傷はみるみる内に再生され、起き上がると同時に二人は吹き飛ばされた。

 傷だらけでボロボロになりながらも、二人は諦めていない。

 ふと、私の手を見ると、黒い靄が覆っていた。

 私達エルフや、妖精は似たところがある。

 恨み続けて、怒りに身を任せると、ダークエルフやアンシリ―コートになり、戻ってこれなくなる。なった者は深い絶望と共に怒りで闇に堕ちるしかなくなる。

 そうだ。この技は違うんだ。

 エルフである私と、人間のカホと、オークのバルグで造り上げたこの技は…殺すための力じゃない。

 木の精霊が私達が来た方向を指さしていた。

 その先にはとんがり帽子を被った少女と…鎧姿の男の子、ロイ君がいた。

「え…?」

 思わず言葉が漏れた。

 そして、エンファという女の子は顔を明るくする。

 こんな絶望的で、醜悪な敵が前にいるにも関わらず、仲間が来たことに仲間がそろったことに嬉しそうな表情を浮かべた。

 そうだ。仲間を守る力なんだ。

 手を強く握る込むと、私を包んでいた黒い靄が晴れていく。

「お姉さん!」とエルフの少女が嬉しそうに私を抱き留めていた。

 この子の手前、私一人くらい堕ちたっていいと、多分前の私ならそう思ってダークエルフになっていたと思う。

 それで、妖精族フェアリー達の仇が討てるのなら、力だけを求めていたと思う。

 だけど、今は違う。私を大切に思ってくれる仲間がいて、私の大事な仲間達がいる。

 自分を失ってはいけない。

 そして、私はその上でこの子を、祝福されたエルフである…本物のハイエルフを守ってみせる。

「お兄さん!」

 とんがり帽子の少女がアルベルトに声をあげる。

「ぐっじょぶちゃん」とアルベルトが妙な呼び名を披露していた。

「ヴィーニャ!」

 そう不服そうに言いながらもそれが名前だと分かる。

 そういう彼女の耳をよく見てみると、私達程じゃないけれど尖った耳をしていた。

 多分、ハーフエルフなのね。

 自分達でハイエルフを名乗る無頼の輩達だと思っていたけれど、こうやって人間と一緒に協力する子もいるんだ、とその姿に勇気を貰えた。

「お姉さん、その子貸して」

 ヴィーニャが私ではなく木の精霊を指さす。

 貸して、と言わてもと思いながらも手をかざし、「木の精霊」と声をあげると、

「双頭の緑の大樹よ、穿て!」

 ヴィーニャという女の子が声を上げる。それに応えて地面から複数の大樹が生まれ、オーガの体を穿つ。

 まだ魔力を送っていないのに関わらずこれだけの大規模な精霊魔法はありえない。

 もしかして…。

「あなた『共有精霊魔法シェアスピリット』が使えるの!?」

 精霊魔法の奥義と言われる技術。

 精霊魔法は生まれつき、交信できる種類が決まっている。それを乗り越える技。 

 相手の精霊に意思疎通し、使用者からの許可が出れば、代わりに魔力を受け渡し、精霊魔法を使用する技術。それが『共有精霊魔法シェアスピリット』。

 大いなる精霊と深く交信する必要があり、その存在を深く認知出来なければ到底行使出来ないスキル。勿論、エルフにだって使いこなせる数は少ない。

「…なにそれ?」

 ヴィーニャは首を傾げていた。

 知らずに覚えた…と思うと愕然とする。

「お姉さんがロイを閉じ込めてたから、お話した」

 それだけで、その足掛かりを、そう考えると思わず笑みがこぼれた。

 ヴィーニャは持っていた杖を振り上げ、

「静かなる水の精、自由なる風の精、友より貸し与えらし木の精よ。我の声に耳を傾けよ。今こそ交わりて彼の者を刺し穿たん!」

 ヴィーニャは持っていた杖を突き出す。

 それと同時にオーガが大樹の拘束を引きちぎり、アルベルトへと向かう。

「悪いな」

 アルベルトは不敵な笑みと共に、オーガの突き出してきた拳を受け流し、そのまま投げ飛ばした。

 宙を浮くオーガに向かい、ヴィーニャが吠える。

「『翡翠槍エメラルドジャベリン』!」

 ヴィーニャと呼ばれる少女がそう叫ぶと、千切られた大樹から漏れ出した樹液が凝固され、翡翠のような氷柱…翡翠の槍が現れ、オーガに向かって飛翔した

 飛翔していく翡翠の槍は容易くオーガを串刺しにし、そのまま地面に縫い留めた。

 オーガは暴れ出し、腕と触手を振るい続けが、アルベルトと奴隷商がことごとく切り払う。

 ヴィーニャは杖を振り上げ、さらに詩を紡いでいく。

「風の精よ、今一度我に耳を貸せ。我が槍に力を与えよ!槍よ…弾けよ!」

 少女がさらにそう紡ぎ、杖を横に振る。

「砕けよ、『翡翠槍拡散エメラルドスプラッシュ』!」

 その声と共に、オーガを串刺しにした翡翠の槍が内部から食い破るように弾け無数の小さな槍となる。

「げっ~と、とぅーぎゃざー(集まれ~)」

 さらにヴィーニャが杖を振るう。

 すると無数の小さな翡翠の槍がオーガに再度降り注ぎ始めた。

 オーガは再生しながらも、みるみるうちに体を穿たれていき、その場で蹲るように必死に耐えていた。

 私は弓を番え引き絞る。

「風の精霊、木の精霊よ!もう一度、私の矢と、弓へと宿れ!」

 声をあげると、風の精霊はあきれ顔で、木の精霊は疲れてはいるものの笑顔で応えてくれる。

 このチャンスを必ずものにしてみせる。

「黒先生!」

 エンファという子が声をあげる。

「エンファ!もう一度奇跡を!」

 奴隷商の言葉にエンファは顔を暗くする。

「でも…もう」

「安心して下さい。私も共に、祈りを捧げましょう」

 奴隷商の言葉にエンファという子は頷き、目を閉じ、手を組む。

「天にまします我らが神よ…願わくば…この者に癒しの光を与えたまえ」

 二人がそこまで祝詞を上げると、エンファという女の子が大きく頷いた。

 それに応えるように奴隷商はゆっくりとエンファという女の子の組まれた手に、自分の手を添え、ゆっくりと歌い上げるように、

「神の御心の導きのまま、心と願いを捧げます。勇猛なる者達に命の息吹と癒しの光を!」

 二人が祈りを捧げ続け、

「来たれ神の祝福…『癒しのヒールウィンド』!」

 二人によって紡がれた信仰が形となり、光と風を生み出す。

 温かな光と風がゆっくりと傷を癒していく。

「これなら万全…」

 言いかけたところで、翡翠の矢の雨が消えているのに気づいた。

「切れた…」とヴィーニャがへたり込んでしまう。

 顔からは血の気が引き、息も絶え絶えとなっている。

 限界を超えて魔力を使い切ったのだと分かる。

 大規模な精霊魔法に、魔術の奥義のような複合技術をあれだけ使ったのだから、無理もない。その技術は『大魔術師アークメイジ』にだって負けていない。

 オーガがこちらに向かってくる。

 奴隷商がエンファという少女から離れ、剣を振るう。まだ痛みが残っている体で、必死に足を斬り飛ばす。

 奇跡による剣の力が増しているのが分かる。そこにすかさずアルベルトも入り、まるで押し倒すようにオーガを倒れ込ませる。

 二人が必死にオーガを押さえている、その間に私は精霊の力をまとめ上げていく。

 不意にオーガの足が蠢いた。

 瞬時にそれは伸び、触手となりこちらに向かってくる。

 狙いは…私?

 鋭い槍となった触手が私へと真っすぐに突き進む。

 その私の視界に…ロイ君が飛び込んできた。

 手を前にかざし、その手が触手に貫かれた。

「お姉さんを…仲間を、皆を、僕が…守るんだ!」

 ロイ君が声を張り上げる。触手に負けず…むしろ押し返し始めた。

 その心と意志に呼応するように、何もない空間が歪み、透明な盾が浮かび上がり始めた。

 ロイ君が必死にその名前を呼ぶ。きっと生まれたばかりの力に。

「戦技…『栄光盾グロリアス』!」

 ロイ君の掌から光り輝く盾が生まれ、触手を弾き飛ばし、攻撃してきたはずの触手の方がボロボロと崩れ始めた。 

 ボロボロでポーションを飲ませてあげたとは言え、立つのもやっとのはず。

 それなのに、勝つために…仲間を守る為に傷つきながらも前へと出る。

 頼もし過ぎる。

 私の仲間は、皆…強い。

 奴隷商は普段は茶化すだけなのに、いざという時は守ってくれて、自分の意志を通す為には無理だってする。

 アルベルトは何を考えているか分からないけれど、優しいのは伝わる。

 二人は今も私を守ってくれている。

 それに、今は幼いながらもこんなに強い人達がいる。

 大規模な奇跡、精霊魔法奥義と魔術の複合、そして、守る為の強固な盾を持つ少年。

 そして、私が自分を見失いそうになった時に、私を引き戻してくれたエルフの少女もいる。

「そうね、勝てない訳ないよね」

 矢を見ると、精霊達がその力を収束させていた。

 それに、これは守る為の力だ。ただ、倒す為だけに生まれた力じゃない。

「恨みにまかせちゃダメ…それでも、悲しみは分かって欲しい」

 私が妖精族フェアリー達を大切に思っていたことだけは間違いじゃない。

 恨みがないからと言って、あの子達のことを忘れた訳じゃない。

「セフィラお姉さん!」

 エルフの少女が私の名前を呼ぶ。

 私は膝をつき、エルフの少女が弓に触れれるようにする。

「あなたも手を貸して頂戴。これが、私の目指す故郷の形だから!」

「うん!」

 エルフの少女は大きく頷き、弓に手を添える。

 光が増し、轟音とも言える魔力の渦が辺りを包み始めた。

「精霊よ。今ここにその手を取り合い、重ね合い、彼の英雄達を救う力を此処に!私に力を!手を取り合い、絡み合え…螺旋のように!」

 カホ、バルグ…見ていて。

 あなた達に教えて貰って、仲間が増えて…私も強くなったのよ。

 皆を絶対に守って見せるから。

 だから、これからも見守っていてね。

 そう思いながら、一度だけカホのミサンガと、バルグ族長のくれた弓を見つめる。

 二つの精霊が一本の矢に絡み合い渦を巻くように魔力を凝縮させながらも、膨大な魔力が膨れ上がり大きく輝いていた。

「二人とも!」

 私が声を上げると、奴隷商とアルベルトがオーガから飛びのいた。

 これ見よがしにオーガは立ち上がり二人に拳を振るうが、寸で二人が回避してみせた。

 力を振り絞り狙いをつけ、声を張り上げ矢を放つ。

 これが私達の”力”…

「『二重螺旋精霊矢スパイラルエンチャントアロー』!」

 矢は地面をその風圧だけで抉り、衝撃と光と共に飛翔する。

 矢はオーガの胸に直撃し、そのまま周りを巻き込むように抉り込み、胸だけでなく上半身ごと食い破るように貫いた。

 後には音が遅れ、周囲に轟音が響き渡り、衝撃が木々を揺らす。

 上半身を失ったオーガは、衝撃でそのまま仰向けに倒れていく。

 振動が足に響く。

 倒れ伏したオーガは既に動かなくなり、ゆっくりとその身が朽ちていく。

 恐らく、オーガの意志が完全に死に、飲み込んだ妖精族フェアリーの力を制御出来なくなったからか、この森に還っていくのだろう。

 いつか、その身から植物が生まれ、そして元のように妖精族フェアリーが生まれることを願うことしか出来なかった。

「イエーイ…」

 不意に聞こえた声に驚きその方向を見てみると、息も絶え絶えになりながらも、ヴィーニャが手を挙げていた。

「ぐっじょぶ」とアルベルトが謎の行動をしていた。

「今は…いえーい…」とヴィーニャが不服そうに言うと、アルベルトは少しだけ笑顔を見せ、その手を叩いた。

「ああ、イエーイ」

 それがまるで戦いの終わりを表すようで、思わず安堵してしまった。

 不意にアルベルトがしゃがみ込み、ヴィーニャに背中を見せる。

 ヴィーニャは捕まろうとし、首を傾げ、「臭う」と漏らす。

 その言葉に、周りが固まる。

 どう説明すればいいのか分からない。

「ああ、あの子の尿を…」

 アルベルトが何の臆面もなく、エンファという女の子を指さす。

 エンファという女の子は顔を真っ赤にし、ロイ君は絶句し、ヴィーニャちゃんは…

「変態…」

 素直に正しいことを伝えていた。

「ぐっじょぶちゃん?」とアルベルトは首を傾げていた。

 本当に分からないのだろうか、と心配になる。

 彼にとってはただの排泄された水…とでも思っているのならそれはそれで問題だと思う。

 とりあえず、今出来ることは…

「「「水の精霊よ!」」」

 三人の声が重なった。

 瞬時、アルベルトに大量の滝のような水が降り注ぎ、水の勢いでアルベルトが倒れ伏した。

 驚いてしまった。

 私と、力を振り絞ったせいで死にかけのヴィーニャは分かるとして、もう一人はエルフの少女だった。

 自分でも驚いているらしく、精霊魔法が使えたことにポカンとしつつも嬉しそうに顔を綻ばしていた。

「これであなたも一人前ね」

 私の言葉にエルフの少女は頷き、「セフィラお姉さん!」と抱き着いてくる。

 その体を抱き留めていると。

「冷たいな」

 アルベルトが立ちあがりながらやれやれと首を振る。その右腕が明後日の方向を向いていること意外問題はない。

「あの、お兄さん。腕が…ああ」

 エンファという女の子が怯えた表情をしながら、明後日の方向を向いている腕に触れていた。

「うん?ああ、折れたか。放っておけば治るだろ?」

 本人がそういならもう何も言わないでおこう。多分治らないと思うけど。

 エンファという女の子が戸惑いと驚きで言葉を失っていた。

 奴隷商がやれやれと首を振りながら、纏っていた黒い外套をエンファという女の子に被せ。

「『婦女子レディへの配慮が足りませんよ」

 奴隷商が嗤いながら、周りに伝えると私も何も言えなかった。

 そう言えば、服を破かれていた。

 アルベルトが「そうなのか?」と首を傾げていたので、適当に近くにあった石を投げつけておいた。

 ロイ君が不意に私の前へ立つと、

「お姉さん…その」

 頭を下げてきた。

「ありがとうございます!仲間を助けてくれて…それに…」

 必死のお礼の言葉に思わず恥ずかしくなる。

 結局私一人ではあの化け物には勝てなかった。

 やっぱり仲間がいると心強い。

「まぁ、大したことじゃないわ」

 そんな素直じゃない言葉だけしか言えなかった。

「あと、私がエルフということは内緒よ」

 そう言いながら、オーガに奪われていた外套を拾あげて被ってみせる。

 ロイ君達、三人は戸惑っていたもののゆっくりと頷いた。

「ロイー!エンファー!」

 ロイ君と、エンファちゃんを呼ぶ声が聞こえてくる。

 森の入り口の方から騎士のような恰好をした女性がこちらに向けて走ってきていた。

「狩人殿…もしかして貴殿が!」

 そう騎士のような恰好をした女性が声をあげる。

 私達はどうするか、と思いながらも、結局諦めてその女性に報告をすることにした。

 私達は騎士のような格好をした女性、リリアという女性に連れられて冒険者ギルド『青き風』へとたどり着くと、何やら外が騒がしかったものの、私達を歓迎してくれた。

 リリアは先に報告がある、と

 何があったのか気にはなるものの、大柄の肩幅の大きい男性が私達を迎えてくれた。

「あんた達か…本当に助かった。ロイ達を助けてくれて。俺は『青き風』の団長、シグルドだ」

 そう言いながらシグルドが頭を下げた。

 私達は反応に困っていると、不意に悲鳴があがった。

 誰かが叫んでいるのは分かるが、ここからでは何があったのかは分からない。

「アレは何?」

 私がシグルドに尋ねると、シグルドはやれやれと首をふり。

「身内の不始末を片付けているだけだ。気にしないでくれ」

 そう言われたものの、気になる。

 何やらオーガを倒したのに、等と泣き言のような言葉も聞こえてくる。

 奴隷商はコホンと一つ、せき込み。

「私達はただ、頼まれただけですよ。貰えるのなら討伐報酬だけいただければそれでいいですよ」

 大人な対応だとは思う。

 アルトヘイムの冒険者ギルド『青き風』の団長ともあろう者に借りを作らせる訳にもいかない。ここは報酬だけ貰ってさっさと去るのが得策に違いない。

 私達三人とも、頼まれたというよりは勝手に首を突っ込んだだけ、と言われればそれまでだけど。

 シグルドは首を振り、

「いや、あんたらは英雄だ。国王にも連絡しておいた。姫様が豪快なことが好きだし、来週辺りにパレードへの…」

 その言葉に血の気が引く。

「いいえ結構です!」

「どうしたセフィラ?」とアルベルトが何も考えてないような言葉。

 パレードなんかに出たら私がエルフとバレるでしょうが!

 そう言いたかったものの必死に堪え、

「そんなものに駆り出されたらこの街から出られなくなるじゃない!」

「そうか?」

 いや、私の言葉だけならその疑問は当たっているけれど。

 奴隷商はやれやれと首を振りながら、

「ふむ…ただの旅人としては動きにくくはなりますね」

 私の意をくみ取るような答えを出してくれた。

「それもそうか」とアルベルトは納得するようにポツリと呟いていた。

 そして私にニヤリと笑みを浮かべてくる。貸し一つ、とでもいいたそうだ。

「それでは、話も決まったことですし、討伐報酬だけで結構です。私達もただ自分達が成すべきことをしたまでですよ」

 奴隷商が話を進めると、シグルドは表情を歪め、アルベルトの折れた腕に視線を送る。

「そっちには、怪我人もいるだろう?」

「ああ、こいつは放っておいて」

「ええ、無視して下さい」

 私と奴隷商が殆ど同時に答える。

 アルベルトも頷きながら、

「そのとおりだ。気にしないでくれ」

 その言葉に周りが固まる。

 リリアもシグルドも茫然としながら、

「お、おう。そうか…」

 シグルドが何とか言葉を捻りだしてくれた。

「しかし、手ぶらで帰すのは…」とリリアが戸惑いを隠せない表情で尋ねてくる。

 奴隷商は首を振り「金で十分ですよ」と一言前置きをしてから。

「あとは国の方には報告を。まさか妖精喰らい(フェアリーイーター)なんてものがいるとは思いませんでしたからね」

 その言葉に私は戸惑う。

 あの存在を知っているのは妖精と仲の良い私達エルフくらいだ。

 人間に妖精喰らい(フェアリーイーター)の存在をそう簡単に信じてくれるとは思えない。

 ただの大型の発情期のオーガと思われても仕方ない。

 シグルドが唸るような声をあげながら。

「俺も友人だったエルフからは聞いたことはあったが、まさか実在したとはな」

 不意に出たその言葉に思わず顔を上げてしまっていた。

 そして、思わず自分を嗤ってしまう。そうだ、ここは私達の友人、エアリス様の作った国だ。信じていれなかったのはどうやら私のようだ。

 …それでも、私の正体は今は明かせない。

 下手に私が仲間を集めているなんて情報が人間に渡れば、奴隷として捕まっている仲間を助けられなくなるから。

 ふとシグルドがその表情を明るくし、

「そうだ。飯だけでも食っていってくれよ」

 その言葉に…

「勿論よ!」

 そう間髪入れずに答える。

 そして、私の仲間二人が何も言わないことが気になり二人を見てみると、二人は呆れたように首を振り。

「食い意地が張っていますね」

「目立ちたくないんじゃないのか?」

 二人にそう言われたので睨み返しながら、

「たまにはいいじゃない!」

 別にいつもの食事がダメだとは言いたいんじゃないけれど、オークの村で食べたあの料理が宿になかったので、少し期待してしまっている。

 アルトヘイムにならあると思っていたのに。

 奴隷商とアルベルトは仕方ないとでも言わんばかりに一度目を見合わせ。

「仕方ありませんね。大酒飲みに付き合いますか」

「そうだな。大喰らいに付き合うか。腹がはちきれないように気を付けないとな」

 奴隷商とアルベルトがそんな失礼なことを言ってくる。

「大酒飲みに大喰らいとは随分な言いようね。あんた達は下戸と普段何も食べないだけじゃない!」

 私の不平は周りからの笑い声にとってかわった。

 おどおどして口を開けていなかったエルフの少女はその笑顔に釣られてか、笑顔を浮かべ私の手をしっかりと握った。

 少しの間、体を清めたり、傷を治したりしてから宴が始まった。

 始まる前に、奴隷商は酒を固辞してから、

「乾杯!」

 とお互いの盃を合わせる。

 注いで貰ったのは赤色のワイン。余り洗練されていないのか少しすっぱいものの、味は濃くこれはこれで癖になる味がする。

 肉料理には会う味に、料理の方を楽しみにしていると、一品目に出てきたのは細かく刻んだフルーツの乗ったサラダだった。

 フォークでフルーツと野菜を一緒に突き刺し口に運んでみる。

 野菜が少し硬い気がするものの、フルーツは甘く、野菜はあくまでも歯応えを楽しむものだと分かる。

「これもいいわね」

 そう言いながら赤いワインに口を付けるものの、ワインの味が濃ゆくて折角の清涼感のある味がもったいない気がする。

 これなら宿屋でいつも飲んでいる白いワインの方が合うと確信した。

「そいつならこいつだな」

 そう言いながらガラの悪い冒険者が厚切りのハムを出してきてくれた。

 確かにハムなら赤いワインには合う。

 ハムもしっかりと味が着いているのか、てらてらと輝きを放っている。恐らく油か、塩がよく効いているのだろう。

 フォークで刺して食べようとすると、「違う違う」と掌を振られ、

「そいつとそのサラダを纏めて食べるんだよ」

「甘いのとじゃ、不協和音を起こしそうだけど?」

 そうは言いながらも言われた通りにサラダと合わせてハムを口に運ぶ。

 口の中に入れてまず驚いた。

 厚切りのハムはおそらく保存食なのだろう。

 かなり塩っ気が効いている。むしろ辛過ぎるくらい。その辛さを野菜が受け止めてくれ、果物の甘みが上品に塩味と協調してくれる。

 そして肉厚のハムの味が合わさり、清涼感が残りつつも重厚な肉の旨味が舌を楽しませてくれる。

 これなら…と赤いワインを口に含むと、料理の味に濃い目の味付けのワインにも負けていない。

「美味しい。これは上々ね」

 エルフの料理のような洗練さも華やかさもなく、オークのような重厚さや味の濃さもない。

 ワイン一つにとっても言えることで、正直人間のワインは余り美味しくない上に、香りが重視されていないのか、鼻腔をくすぐり食欲をそそるものがない。

 赤いワインには渋みが足りないし、濃厚さも今一つ。白いワインも甘みや、爽やかさが足りない。それでも自分達に出来る技巧を尽くして、本来合わないであろうものに複数の違うものを合わせることで引き立たせる。

 これが人間のやり方だと感心した。

 だからきっとアルトヘイムが出来たということにも納得してしまう。

 さらにハムをサラダと共に食べ、ワインに口を付ける。

「お姉ちゃん、私も欲しい」

 エルフの少女に言われて、慌ててハムとサラダを差し出すような形になってしまった。

 夢中になって食べていたので、そこまで気が回らなかった。

 エルフの少女は私がしていたように食べると顔を綻ばせ、私が飲んでいたワインに手を伸ばした。

「これはまだだめよ」とそれを制して、近くにあった柑橘系のジュースを取ってあげる。

 エルフの少女は少しだけむくれた様子を見せたものの、ジュースに口を付けると、

「美味しい!」

 素直に人間の料理を褒めていた。

「嬢ちゃん達、飯時くらいフード取らないのか?折角の別嬪が台無しだぜ」

 ガラの悪い冒険者がそう言ってきたので、

「やかましいわね。私達はこういう生業なの」

 私の言葉にガラの悪い冒険者は肩を竦め、

「おっと…悪い、悪い。まぁ、飯は楽しく食ってくれよ!」

 その言葉には、簡単に答えられる。

「当然よ。こんなに美味しいんだから」

 私の答えを聞くと、ガラの悪い冒険者は不釣り合いなくらい可愛らしく笑顔を浮かべ離れていく。

 そして、私はというと机の上を見回しアレを探す。

 見回してみたものの、やっぱり見つからない。やっぱりオークの秘伝の料理なのだろうかと諦め。

「ソーセージがない…」

「それなら街の変わった服を着た食堂にあったような気がするけど。怖くて食べれなかったですけど」

 私の言葉に応えてくれたのはロイ君だった。

 まだ傷が痛むのか、体中包帯だらけで片腕も吊っている。

「何処よそれ、教えなさい!」

 私が掴みかかる勢いで尋ねると、ロイ君は困ったような表情を浮かべながら、

「えっと…街の中央のマーケット広場の東側にある、異国の文字が書いてある店だけど」

 異国の言葉の店。

 それは見たことがある。お客さんが一人しか入っていない寂れた店…。

「ありがとうロイ君!今度行ってみるわ!」

 思わずロイ君を抱きしめると、ロイ君が暴れ出し、

「あわわ、お姉さん…胸が…」

 胸が当たっているのが恥ずかしいみたいだけど、ロイ君くらいの歳じゃ気にしないのに。

 片手で何とか私から逃れようとするものの、なんだか面白くて強く抱きしめてみた。

「ロイ…おっきいのがいいの?」

 不意にロイ君の仲間の癖毛の女の子、エンファちゃんがロイ君をジトリと睨んだ。

「エンファ!違うよ!助けてよ!」

 そんなロイ君を無視するようにエンファちゃんがとてとてと歩いて、黒い外套の奴隷商の下へと駆け寄っていった。

 奴隷商はさっきから、適当に食事を摘まんでいたが、とある酒を見つけて急に目を輝かせていた。

「おやおや、これは月の酒ですか。」

「おいしいの?」

 その言葉にエンファちゃんが反応していた。

 私はというと、「アレか」と項垂れたくなる。

 私も飲んだことはあるけれど、余り好きじゃない。エアリス様が作ったらしいけれど、こんな物を何で作ったのだろうと不思議に思えて仕方ない。

 少なくとも始めの一杯だけは美味しいのに。

「おや、友達はいいのですか?」と奴隷商がエンファちゃんに語り掛けていたが、

「ロイのスケベ…いいもん」

 ロイ君は必死に誤解を解こうと声を上げていたけれど、何だかそれも面白くてさらに強く抱きしめてみた。

 ロイ君は顔を真っ赤にしながら暴れ、エンファちゃんは頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。

 奴隷商はそんな二人に声を出して笑い。

「はは、エンファにはまだどちらも早いですがね。しかし、この酒はエアリス神を表す飲み物でしてね。始めの無色の時に口を付けてその透き通った味を楽しみ、次にフルーツを入れて、黄金色に変わった時に甘みを楽しみ、最後に刺激物を入れて赤色になった時に苦味を楽しむ…ふふ、またこれを飲めるとは思いませんでしたよ」

 奴隷商のもの言いにエンファちゃんは興味を示したのか、色が変わっていくお酒を眺めながら、「そうなの?」とこぼした。

 そりゃそうよね、とは言わない。

 月の酒はかなり珍しいお酒だから。なんたって…

「ええ、大層不人気ですので!味は平凡以下な上に、酒の癖になんで最後に苦味を味合わなければいけないのか分からないと、私のいた国でも不評でしたよ。私は最後のこの苦みが大好きでしてね!」

 由緒正しい製法で作られているらしいけど、その蔵元ですら「もう飲みたくない」と溢す一品。それが月の酒。同じ蔵で売られている、エアリス様の作ったもう一つの酒、太陽の酒は出来立てはまだ美味しいのだけど、それも時間が経つとすえた味がして、酢でも飲んでいるのじゃないかと錯覚するような味。

 エアリス様の作り出した酒はどちらも不味い。

 奴隷商は月の酒を飲み干すと、手を振り上げ。 

「そして、私は下戸です…おやすみなさい!」

 元気にそういって机に突っ伏した。

「黒先生!?」とエンファちゃんがその体を揺するが反応がない。生きてはいるだろうけど、本当にお酒に弱い。

 宿屋でエルフの少女とアルベルトが二人で食事をしている時。

 二人があんまりにも仲が良いので、焼きもちのような気持ちを抱いてしまい、暇をしていた奴隷商に一杯付き合って貰った。しかし、数杯飲んだだけで吐かれたので、もう二度と彼とは飲まないと誓ったのは最近の出来事。

 奴隷商が倒れたので、仕方なくロイ君を離し、奴隷商の介抱をしようと近づく。

 完全に酔っているのか「セフィラ、お金を返して下さい」と寝言なのか真剣なのか分からない言葉を吐いてきたので、無視しておいた。

「お兄さん?」とヴ―ニャちゃんが、お皿に変わった揚げ物を盛り付けってアルベルトの下へと走っていっていた。

「どうしたぐっじょ…ヴィーニャ」

 さっきから水しか飲んでいないアルベルトが大真面目に聞き返すと、ヴィーニャはかるく跳ねながら、「お膝に座ってもいい?」とねだっていた。

 何のつもりだろうと、見ているとアルベルトは頷き。

「どうぞ」と膝を差し示した。

 理由も聞かずにその反応もどうかと思う。

 ヴィーニャはアルベルトの膝に座ると得意げな表情を浮かべ、ロイ君の方を向き。

「むふー、いいでしょ」

「どうしたの、ヴィーニャ…」

 ロイ君は困り顔で反応に困っていた。

 奴隷商を放っておいて、エルフの少女と机の上の料理を食べていると、

「ねぇ、セフィラお姉さん、これ美味しいよ!」

 エルフの少女が持ってきたのは、海産物らしき揚げ物であった。

 それをフォークで刺して私の方へと向けてくれる。

 エルフの少女が持ってきてくれたこともあり、そのままかぶりつくと、サクッとした衣と共に、プリッとした甘い肉のような味がした。

「あら、これは…エビかな?」

 衣から飛び出た光沢のある大きめのエビの身。赤みを帯びておりしっかりとした味わいがある。

「ね、美味しいでしょ!」

 エルフの少女が楽しそうに私に聞いてくる。素直に頷き、飛び出したエビの身を咥えて噛み切る。

「エビってこんなに甘いのね」

 そんな感想を言っていると、

「エロい」とヴィーニャが漏らした。

「ヴィーニャちゃん?」と私が睨み付けるものの、ヴィーニャはそっぽを向く。

 まるで私は言ってませんよ、とでも言いたげだ。

 ヴィーニャがそっぽを向いた先にはリリアがおり、その顔を鷲掴みにする。

「ヴィーニャ…」

「ピィ!」

 悲鳴が聞こえ辺りからはそんな二人を温かく見守るような笑いが起こっていた。

 私はエルフの少女を膝の上に座らせ、食事をしていると、

「あんた達には本当に助けられたありがとな」

 シグルドがそんなことを言いながら私の下へと来た。

「どういたしまして、かな」と適当に答えながらワインを飲み干し、白いワインも見つけたのでそちらにも手を伸ばす。

「どんだけ酒強いんだよ…」

 呆れられたものの、「もう限界?」と逆に聞き返しながら注いだ白いワインの香りを嗅ぎ、不思議な強い臭いに顔をしかめてしまう。

 全然嫌な臭いではないけれど嗅ぎなれていない香り。

「これは?」

 私がシグルドに聞くと、シグルドは「貰いものだよ」と一言言ってから。

「そいつは”ニホンシュ”って言うらしいぜ。極東で儀式や戦の時に呑むらしい」

 戦いの酒、と聞くとドワーフの”炎酒”を思い出す。

 ドワーフが戦い…とはいっても飲み比べの時に使う、文字通り燃える酒。異常なまでにきつく、おおよそそれ単体では飲み切れない程のもの。

 20年位前に人間の行商が売っていたので買って呑んでみたけど、余りのきつさに2本で酔ってしまった。

 フラフラした足取りで家に帰って、お父さんとお母さんに怒られたのを覚えている。

 自分で注いだ酒に軽く口を付けてみる。

「う…!」

 思わず声が漏れた。

 独特の香りだけでなく、味も変わっている。

 ”炎酒”は味も香りも殆どないのに対して、こちらはキツイ臭いに、口の中に入ってきた瞬間に赤いワインよりも遥かに濃い味が舌だけでなく鼻の奥にまで伝わってくる。

「何これ、癖が強いわね…」

「だろ、しかも結構きつくてよ。俺達はもっぱらビールだから、きつくてそれだけで酔っちまうぜ」

 そういえば人間は”麦酒”を好む。私はワインの方が好きだからあまり飲まないけれど。

 もう一度ニホンシュを口に含み、舌で転がし噛むようにして味わう。

 さっきは驚きですぐに飲み込んでしまったけれど、味わってみると癖はあるものの、甘みに似た清涼感があり、また飲み込むとスッキリとした後味の良さがある。

 お肉には余り合わないかもしれないけれど、魚になら。

 そう考え、白身の魚を焼いた料理に口を付ける。

 ニホンシュの味が浸みこむように淡泊な味と強い塩味が引き締まるのが分かる。

「ふーん。あ、魚には合うわね」

 これは食事中なら白身用のお酒と割り切ればかなり美味しい。

 それに、これ単体で飲むのも悪くない。

 不思議な味と共に、胃の中に入ると体を芯から温めてくれる。お酒に飲みなれているとはいえ、たった一杯でこの温かみを感じたのはこのお酒だけだ。

 炎酒は温かみどころか熱くなって、家で服を脱がなければならなかった程だったから。

 ニホンシュを飲みながら適当に料理を摘まみ、どれに合うかを試していると、

「嬢ちゃん…」とシグルドに声を掛けられた。

 どうしたの、と返そうと思ったものの、丁度瓶も空になってしまい。

「なくなっちゃった。おかわりある?」

 私がシグルドに聞き返すと、シグルドは呆れた様子を見せ。

「あんた飲み過ぎだ!普通倒れるぞ!」

 怒られたような口調に思わず驚いてしまった。

「そうなの?」

 たかだか一本開けただけなのに、大袈裟過ぎる。このニホンシュを飲む前に、私は既にワインを4本開けているけれど、まだまだ飲んだ内にも入らない。

 人間の料理を食べながら、他のお酒を試していると周りから何度か止められたものの、美味しい料理に美味しいお酒、こんなの止められるわけがない。

「美味しいね、セフィラお姉さん!」

 不意にエルフの少女にそう声を掛けられた。

 その言葉に私は頷き、そして、さっきして貰ったように…カホにもして貰ったようにハムをフォークで刺して差し出す。

 エルフの少女は驚いていたものの、それを口に入れ笑顔を見せてくれた。

「美味しいね」

 私の言葉にエルフの少女は頷き、食事は続いて行く。



 宴会場の外のバルコニーで、背を伸ばす女性、リリア。

 今回のことで周りがバカ騒ぎをしているが、その心境は穏やかなものではない。

 冒険者ギルド『青き風』。

 アルトヘイムの国有戦力は魔族との戦争に駆り出され、騎士団と兵士達が留守の間、国内や領内の治安維持に駆り出されていて久しくない。

 もう一つのギルド『金の翼』は貴族からの討伐依頼を、民間からの依頼は私達が。

 そうして何とか治安を保ってきたものの、綻びが出来始めている。

 今回は新人であり、既に解雇されたドランが発端とは言え、目標よりも強い魔物に不意に遭遇することは良くあることだ。そんな、強力な魔物との不意遭遇戦への対処が出来る程の人材が明らかに足りていない。

 ドランが今回持ち出した依頼はホブのゴブリン討伐だ。

 恐らく、それくらいならロイとエンファもいて、ドラン以外に他2名もいるのだから簡単に対処出来たであろう。そうなれば、今回のこの事件は起こらなかったが、妖精喰らい(フェアリーイーター)という強力過ぎる魔物を野放しにすることになり、もし、あの魔物がアルトヘイムを襲えばその際に余剰戦力のみで打って出られてたかと言うと、微妙だ。

 結果的にドランのおかげで、あの三人に助けられたのは言うまでもない。

 団長であるシグルドはこの緊迫した状況だからこそ、人数を増やし弾力的に行動できるようにしようとしている。しかし、新人が足をひっぱり無用な犠牲を増やすくらいなら、個々の戦力を高め、連携の強化を図った方がいい。

 このところ、その方針決めでシグルドとリリアは若干対立している。

 今の現状を憂いているからこそ、どちらも強くは言えず、平行線をたどっている。

「先生…」

 不意にリリアに声が掛けられる。リリアが振り返るとロイがそこにいた。

「どうしたロイ?」

 リリアが尋ねると、ロイは深々と頭を下げてみせた。

「先生、僕は…そのどんな罰でも受けます。だから、その…」

 責任を取ろうとしているのは分かる。

 リリアは首を振ったものの、ロイは声を荒げるように。

「僕は…エンファを…皆を…」

 守れなかったと続く言葉をリリアは「お前の責任じゃない」と諫める。

 今回の件はドランによる独断としている。それがシグルドと決めた結末だ。

「僕の責任でもあるんです!」

 ロイの声が響いた。

 その言葉にリリアは目を丸くし、ゆっくりと頷く。

 ロイは成長した。新たな戦技を身に着けただけでなく、リーダーとして仲間を諫められなかったことを悔いている。大人とは勝手なもので、子供だからと甘く見てしまうことがある。

 ロイがこの場所に入ってもう3年。その辺の新人と比べると持つべき責任の重さが違う。

 経験者として本来すべきことをしなかった、この事についてはロイの落ち度だ。

「なら、そうだな。ロイ、お前には…」

 リリアは決心するように、胸に手を置き、ロイを見据える。

 ロイは頭を下げたまま、痛烈な面持ちをしていた。

「『幼き翼』として正式なリーダーとして、冒険者になってもらう」

 リリアの言葉にロイはようやく顔をあげ、キョトンと目を丸くする。

「もう見習いは終了だ。いいな」

 リリアがそうとだけ告げて去ろうとすると、ロイから「嫌です…」と声が聞こえた。

「何?」とリリアが眉を顰める。

 リリア自身、ロイのことは認めている。 

 まだ10歳を超えた程度の年齢にも関わらうず、必死に訓練し、その結果リリアの盾を貫く為の戦技『スティンガー』を覚え、今度はロイらしい、仲間を守る戦技『栄光盾グロリアス』まで身に着けたのだから。

 それは才能だけでは説明にならない。ロイの努力の賜物であり、だからこそ成し遂げることが出来た偉業でもある。

 それでもロイは断ろうとする。自信がないのかもれないが、リリアは遅かれ早かれ『幼き翼』には正式な冒険者としての地位を与えようとは思っていた。

 ロイは頭を再度下げ。

「僕は…まだ先生から学びたいことが…あるんです」

「何を言うんだ。随分と教え込んだつもり…」

「僕は…先生のようになりたい。だから冒険者になったんです!」

 その言葉には何も言い返せず、リリアはただ視線を逸らしてしまった。

 ロイがずっと変えずに貫き通した理由。

 それは痛いほど知っている。

 ロイが『青き風』の門をを叩いた時、まだ外は寒く雪の降っている時期だった。

 霜焼けになりながらも、必死に頭を下げ「あなたのような冒険者になりたい」とずっと懇願してきたものの、まだ幼い彼を冒険者にする訳にもいかず、断り続けた。

 最終的には、その意気を見込んだシグルドにより拾われたものの、すぐに私へと預けられた。

「覚えてますか。ゴブリンに襲われている時に先生が助けてくれたことを」

 リリアは頷く。

 ロイと初めて会ったのは、3年前だ。先代の副団長が隠居し、シグルドから副団長として推薦された頃だった。

 あの頃は騎士になれない不満を抱えていた。それでも諦め切れず、武勲を立てて何とか取り立てて貰おうと、一人で付近に出没したオーガを討伐した帰り道だった。

 アルトヘイム近郊にようやくたどり着いたところで、ロイがゴブリンに襲われているところを助けたのが始まりだった。

 ロイは元々はストリートチルドレンであり、盗みや、町の外に出て死肉漁りや、冒険者の死体から物を漁って日銭を稼いでいたらしい。

 しかし悪運も尽きたのか、ゴブリンに襲われ足を怪我したところに私が通り掛かった。

 見捨てられた子供…それでも元々は騎士を目指していた私は捨て置けず、オーガとの戦いでボロボロの体を引きずりゴブリンの攻撃に最後まで耐え続けた。

 ロイに近寄ってきたゴブリンは切り払い、攻撃したきた者には一撃を返す。

 そうやって、傷だらけになりながらも、ロイを守り切り、最後にはゴブリン達が諦めて逃げていった。

 ただそれだけ。

 格好良くない話だ。

 傷だらけになりながら、守っただけの私なんかにロイは憧れてくれた。

 英雄のような戦いぶりではなくても、ただじっと誰かを守ろうとするその姿に。

 それで救われた気がした。私の目指す騎士の道は間違いではなかったと思えた。

 誰かを守りたいから…私の騎士を目指していたのだから。

「僕はあの姿に憧れて、冒険者になったんです。だから…先生の弟子のままで…」

 ロイが泣き出しそうな顔でリリアを見上げる。

 リリアはそんな自分の弟子に呆れたようにため息を吐く。

「一人前になったからといって、ロイが私の弟子じゃなくなるなんてことはないんだぞ」

 そこまで言うとリリアはロイの肩を叩き、

「これからもついてこい、ロイ!」

 その言葉にロイは、目を見開、いつもより少し遅れて、いつものように気を付けをした。

「はい先生!」

 大きな声でそう答えた。

 不意に綺麗な歌声が聞こえてきた。どうやら街の広場で誰かが歌っているようだ。

 ソプラノの悲しくも、それでも勇気の沸く歌に、思わずリリアは今日のことを思い出していた。

 二人はそれから今日あったことを話し始めたものの、ロイは狩人殿であるセフィラのことだけは言葉を濁していた。

 リリアもそれには気付いていたものの深くは詮索しなかった。

 隠し事を選ぶのも人生の経験だと、リリアは少しだけ大人になったロイを優しく見守っていた。

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