第二話『ウルフ』
『二話』
目を開けると木目の天井が見えた。体を起こし、一度背伸びをする。
それから隣にある温かさに目を向け、ぐっすりと眠っているマリアちゃんの幸せそうな寝顔を見て思わず笑みがこぼれた。
マリアちゃんに布団をかけなおし、顔でも洗えないかと家の外へ出る。
家の外へ出ると、鋤をかついだ日に焼けた肌と髪を持つ壮観な男性、ウェンさんが歩いているのが見えた。
「ウェンさん。おはようございます」
挨拶をすると、ウェンさんは屈託なく笑い。
「おいおい、早くはないぜ。俺はもう畑と小屋に行ってきたんだからな」
そんな憎まれ口を叩く。
「早起きしたつもりなのに」とむくれて見せると、
「農家の朝は早いのさ」と笑顔で返された。
そのままの流れで顔を洗う場所を聞くと村の中央に井戸があることを教えてもらった。
井戸へ向かう前に、
「あの…何か仕事はないですか?」
ウェンさんに尋ねると、キョトンとした表情を見せ、
「なんでそんなこと気にするんだ?」
不思議そうに聞かれた。
「泊めてもらっている以上何かしないといけないかなと思って。畑仕事とか手伝いますよ」
「あんた、冒険者だろ?そんなことしなくていいって」
ウェンさんの言葉から困惑しているのはよくわかる。
私としても一宿一飯の恩…というより、もし出来るならここの住人として過ごしていたいという気持ちが強い。
この村で仕事を手に付けれれば馴染み易いと思ったんだけど、ウェンさんの反応を見るに冒険者はそういう仕事をしないのだろうかとも考えてしまう。
「あのさ、気にしなくていいんだって。あんたには…」
ウェンさんが私を諭すように何かを言い始めたところ、村の北側…山の方向から大声が響いた。
「ウルフだ!女子供は隠れろ!」
「ウルフ?」と聞いて思い浮かんだのは狼。害獣として駆除されるような生き物だったとは思う。そういえば、二ホンでは絶滅したんだっけ?
私の反応にウェンさんは呆れるようにため息を吐くと、
「本当に何も知らないんだな。魔物の一種さ。時々、こうやって村の家畜を襲いくるんだよ」
ウェンさんは身を翻し、
「カホさんはマリアの家で待っててくれ。あいつらの狙いは家畜だけだから家の中にいれば大丈夫だ」
駆け出していくウェンさんの背中に
「村が襲われるなら手伝います!」
自然とそんな言葉が出た。それと同時に腰に差しているお飾りの剣に触れる。出来れば二度と振るいたくないと思った矢先に自分から首を突っ込む。愚かな行為かもしれないけれど、自分の出来ることをしたいという気持ちは元の世界でも、こちらの世界でも一緒だ。
「うーん…変なとこ冒険者なんだよな」
ウェンさんは若干呆れたような口調でありながらも、
「わかった。気を付けろよ。正直、人手は多いに越したことはないからな」
そう快諾してくれた。
私は大きく頷きウェンさんが駆け出す背中を追って走り出す。
村の北側、山との境界線。そこに建てられている柵の内側には、灰色の毛並みを持つ体長1メートルはある狼が三匹。
そしてそれに向かいあう形で、巻き割り用であろう斧を持つ大柄で黒い肌と持つ男性と、鉈を持つ小柄の男性がいた。
「ラッシュ、ダンカン!」
ウェンさんが二人の男性に声をかけると、小柄な男性が振り返り、
「やっと来たかよ。遅いぞウェン。寝坊か?」と皮肉たっぷりな口調で返した。
もう一人の男性も振り返り一緒に走ってきた私を見て、
「そいつは?」
静かにだが、訝しんだ様子で尋ねてきた。
「さっき話した冒険者さんだよ」とウェンさんが答えウルフに向けて鋤を構えた。
「報酬なんて出ないぞ」
大柄の男性の言葉に頷いて返し、
「泊めてもらっている以上必要ありませんよ」
答えと共に剣を抜く。
ウルフ達はじりじりと私たちを取り囲むように移動を始めた。
私の答えを聞いてか小柄な男性が笑い、
「はは!ウェンに聞いたぜ、本当に冒険者らしくないな!」
どうやら私の話は朝の仕事中に伝わっているらしい。
小柄な男性は続けて「どれどれ」と何かをまじまじと見るようにし、
「そんなレベルでよく冒険者になれたな。戦えんのか?」
そんなレベルと言われたけれどよく分からない。何を基準に計っているのかも。
確かに筋肉はあまりついていないけれど。
ただ、戦えるのかと言われれば微妙なところ。強がってここまできたものの、この人達がいなかったらとっくに足が震えて逃げだしている。
「お喋りが過ぎるぞラッシュ。気を引き締めろ」
大柄の男性が小柄の男性をいさめた。ラッシュと呼ばれた小柄の男性は全く反省心をみせず、
「へいへい。真面目なダンカンさんに従いますよっと」
口でもその態度は改めようとはしなかった。
ダンカンと呼ばれる大柄の男性はフンと鼻を鳴らした後、こちらを囲んでこようとするウルフに一歩近づく。牽制の意味もあるのだと思う。事実、ウルフの一匹はダンカンさんの歩みに対して一歩身を引いて見せた。
だけど、他の二匹はゆっくりと私たちの周りを取り囲んでくる。
「囲まれるよ」
分かり切ったことだけどウェンさんに確認すると、ウェンさんはウルフの動きをじっと見つめ、
「いや、一気に攻め入り分断して各個撃破する。数はこっちが上だ」
冷静な判断と共に、彼はウルフの動きを目で追い、ダンカンさんの歩みで一度後ろに下がったウルフを睨む。
「俺とダンカンで一匹ずつ押さえる。その間にラッシュとカホさんであの一匹を仕留めるか追い払ってくれ」
ウェンさんの適格な指示にラッシュさんはニヤリと口元を歪めた。
「まかせときなよ。ウェンも食われんじゃねぇぞ」
今の笑顔だったのかな?思わず二度見してしまった。
「あと、あんたも足引っ張るんじゃねぇぞ!」
言い終わるや否やラッシュさんがウルフに向かって突撃する。
突然の出来事に仲間のはずの私ですら一瞬驚いて動けなかった。打合せをしたにも関わらず。
緊張を破ったラッシュさんに近づかれたウルフはたじろぎ身を引く。
そこに私たちを取り囲もうとしたウルフが、ラッシュさん目掛けて一斉に飛び掛かろうと駆け出した。
その出鼻をくじくように片方にはウェンさんの鋤が突き出され、さらにもう一匹には踏み込んだダンカンさんの斧による一撃が閃いた。
ウェンさんの鋤による一撃はウルフにひらりと避けられたものの、ウェンさんを威嚇するように唸る。
ダンカンさんの一撃を受けたウルフは豪快に吹き飛びその体は柵に叩きつけられたものの起き上がり、ダンカンさんを睨みつけた。
「浅いか」とダンカンさんは静かな声と共に斧を短めに持ち直した。
ウェンさんはというとじりじりとウルフに近づきつつ、鋤のリーチを活かして距離を取っている。
ラッシュさんの切り込み、そしてその後のウルフの行動を読んでの連携。
戦いなれているのは見て取れる。その実力が私よりも明らかに上だとも。
茫然としてしまっていて、まるで案山子の私をよそにラッシュさんは一対一となった状況で、巧みに鉈を振るい、対峙するウルフの攻撃をさばき、確実な一撃を入れた。
この三人が強く、どう考えても私がいらないのは明白だ。
だけど万が一だってある。油断と楽観は出来ない。
ラッシュさんが鉈を振りウルフに牽制を加えている。ちょうど、ウルフの意識はラッシュさんにいっている。剣を両手で握り、一気に駆け出す。
狙いは胴体。三人のように上手くは戦えないけれど、不意打ちなら―
私は渾身の力を込めて突きを繰り出す。
それが虚空を切った。
ウルフは私の剣を紙一重のところで飛びのいて避け、そのまま飛び掛かってきた。
慌ててかわすがウルフの牙が私の肩口を切り裂いた。痛みが脳に伝わる。
痛みに意識を持っていかれそうになるのを歯を食いしばり耐える。
それでも体は素直で、尻もちをついてしまう。起き上がろうとしたものの目の前には既にウルフが迫っており、その牙をこちらに向け噛みついてくる。
咄嗟に手を伸ばすとウルフの顎を下から押さえる形となった。
何とか耐えてはいるけれど、獣の膂力に少しずつ押され、だんだんとその牙が近づいてくる。このままじゃ押し負ける。そんな考えがよぎる。
「どきやがれ!」
鋭い声と共にウルフの悲鳴が響き、慌てて私から飛びのいていった。
声の主はラッシュさんだった。鉈でウルフの首辺りに一撃を加え、助けてくれたようだ。
「ありが…」
「てめぇ!本当に冒険者なのか!そんな腕なら俺の方が強いぞ!」
怒声に驚き身を竦めてしまう。まだ、ウルフが目の前にいるのに。
「ご、ごめん」
本当に足しか引っ張らないな私は、と肩を落としてしまう。
ラッシュさんはウルフを牽制しながら、「まったく」と呆れたような口振りしたものの、頭を掻き。
「だが、ナイス。一対一だとあんな隙は中々出来ないからな。」
横顔しか見えないけれど、どこか照れているようにも見えた。
「気合い入れろよ!」
ラッシュさんの言葉に勇気をもらった。
「まかせてよ!」と私も剣をもう一度握りなおし、ウルフと対峙する。
さっき攻撃を受けて分かったけれど、ウルフの脅威は動きの素早さと、反射神経。下手な攻撃は避けられ、逆に反撃を受ける。
だからウェンさんは不意の一撃目が避けられた時追撃しなかった。ダンカンさんもトドメではなく、斧を短く持ち小回りをよくした。
カウンター主体の一撃離脱をしてくる。それがウルフ。
「だったら、こうだ」
私のこの小振りの剣ならいけるかもしれない。
小さな確信を持ち、剣を真っすぐに突き出し、ゆっくりと近づく。
「おい、前出るなって、あぶねぇぞ!」
ラッシュさんの忠告も聞かず、ゆっくりと近づく。そして、ウルフとの差があと数歩となった。
ウルフも何度か引いたり、横に回ろうとしてきたけど、私の後方にいるラッシュさんを警戒してかその動きは少し緩慢だ。
来い…
そう念じながら、逸る心を押さえ続ける。
我慢の限界がきたのかウルフは一度横に回る素振りをみせたもののすぐさま地面を蹴り私へと向かってきた。
狙いは分かっている。誰だって、どんな生き物だって刃物は怖い。そして相手へ飛び込むのも、何よりも懐はより一層怖い。
ウルフは真っすぐ飛び込んでは来なかった。私の持つ剣の下に潜り込むような軌道を取り、そのまま手首を狙ってくる。
素人の剣じゃ、そのまま斬ることは無理だ。その一撃を切り返すのは、前に突き出しているから間に合わない。だけど、そう来るとわかっていたら、返しようもある。
「読んでたよ!」
腕を引くのと下すのをほぼ同時にし、噛みついてくる寸での所で剣の柄で殴りつける。
ウルフの顔面に柄が直撃し、ギャン―と短い悲鳴が響く。
当たり所も良かったのか、ウルフは目の付近を必死に手で掻いている。
「ナイス!」
ラッシュさんの声が響き、私の脇をすり抜け、飛び掛かると同時にウルフの頭に鉈を振り下ろした。
鈍い音が響き、ウルフは力なくその場に倒れた。
ウルフが倒れたのを確認してから一度深呼吸をする。心臓の拍動が辛い。息が今更あがってきた。肩の傷が思い出したかのように痛みだす。
でも、まだあと二匹もいる。ここで膝を折るわけにはいかない。
不意に私の肩が叩かれた。ラッシュさんだ。
「へへ、やるじゃん」
どこか素直じゃないところもあるけれど、なんだかんだ気にしてくれているのは良くわかる。それに褒められたことが素直にうれしかった。
「うん。ありがと…」
「まぁ、まだ終わってないけどな」
ラッシュさんに言いかけた言葉を遮られた。彼はそのまま笑顔を見せ、鉈を片手にウェンさんの方へ走り出した。
余韻に浸る暇もなく私もそれに続く。
ウェンさんは思いのほか苦戦しているようだった。体の数か所に切り傷を作りながらもウルフの攻撃をいなし突きを放っている。
しかし、ウェンさんの攻撃をウルフはいとも簡単に避けている。
「先にダンカンの援護を頼む。もうあっちは倒れるはずだ」
指示をしながらもウェンさんは鋤を軽く突き出し牽制を続けた。
ラッシュさんはというと二の言要らずで「任せときな」と駆け出した。
「でも…」と足を止めた私だったが、すぐに気づいた。
確かにウェンさんはウルフに攻撃を当てれてはいない。でも、その体にあるのは擦り傷のようなものだけだった。
「安心しろよ。直撃は受けていないから」
笑顔で私にそう言えるくらいの余裕もあり、ウェンさんの表情には疲れが見てとれなかった。
それに対してウルフの方は足を何度かもつれさせ、息を切らせている。疲労がみてとれる。
それを見逃さなかったのはウェンさんだ。
ウェンさんが踏み込み、鋭い突きを放つ。ウルフは避けようとしたものの、その矛先が胴体を掠めた。
「ほら、そんな足腰じゃ逃げられないぜ」
挑発するようなウェンさんの言葉に応えるように、ウルフが低い唸り声をあげ、ウェンさんを睨む。
私もその姿に安堵し、言われたとおりにダンカンさんの援護へと向かう。
私が着いた時にはダンカンと戦っていたウルフは既に満身創痍というべき状態だった。不意打ちはかなり効いたらしい。
先に行っていたはずのラッシュさんはダンカンさんの後ろに隠れている。不意打ちでも狙っているのだろうか?
そんなラッシュさんをダンカンさんは振り向いてから蹴り飛ばした。
遊んでいるようにしか見えない。
不服そうに「いってー」と腰をさすっているラッシュさんにダンカンさんは鋭い眼光で睨み。
「ラッシュあれをやるぞ」
その言葉にラッシュさんは驚いたように目を何度かしばたたかせ、
「えー、まじかよ」
そういってから立ち上がり、「俺に当てんなよ」と言いながらも鉈を構え、すぐさま特攻した。
ラッシュさんが一気に距離を詰め、その後に斧を長めに持ったダンカンさんが続く。
ウルフは後ろに迫るダンカンさんに怯えたのか、飛びのく。
そこにラッシュさんの鉈が閃いたが、ウルフは横に飛んだ。
鉈の刃は届かず空を切った。
ウルフに影が落ちた。
満身創痍でも避け続けるウルフだが、追撃のダンカンさんによる斧が振り下ろされる。
地面をえぐる音が響く。
斧による渾身の一撃をウルフは寸でかわし、ダンカンさんの喉元へと飛び込む。
「危ない!」なんて叫んでも今更間に合う訳もない。
だけど、それに気づいてしまった。あんな力任せの一撃を放った理由を。
ウルフの牙はダンカンさんの首に届かず、逆にその首に鉈を打ち込まれ地に伏した。
「ざーんねん!」と悪戯っぽくラッシュさんが笑う。
ラッシュさんが一撃目を放ち、ワザと避けさせウルフの真横に回り、ダンカンさんが打ち下ろす。これも避けられれば側面を取ったラッシュさんが再度攻撃する。
コンビネーションのなせる技。
「はは!上手くいったぜ!」
ガッツポーズで喜んでいるラッシュさんにダンカンさんの蹴りが襲う。
「調子に乗るな。お前の陽動がもっと上手くいっていれば俺の一撃で終わっていたものを」
「結果オーライじゃん!」
ラッシュさんは不服そうに頬を膨らませながらも笑顔には変わりなかった。
そんなラッシュさんにダンカンさんは呆れながらも、無視し、私の隣まで来ると私の肩を叩き、
「おい。呆けている場合か?ウェンのところへ行くぞ」
「わかってる。急ぎましょう」
強く頷いて見せるとダンカンさんはその固い表情を少しだけ崩した。
それがきっと彼の笑顔なんだと私は思った。
ウェンさんの元にたどり着いた時、
「おいおい、遅かったな」
とそんな言葉と共に歓迎してくれたのはウェンさんだった。
近くにあった石に腰を下ろし片手をあげて余裕だと示してくれる。
彼と対峙していたウルフには鋤が突き刺さり既にこと切れていた。
「相変わらずつえーな」とラッシュさんは感心する。
ダンカンさんもそれに頷いた。
ウェンさんは一度背伸びをしてから、
「防御に徹して体力は残し、ここぞという場面で致命の一撃を与えるのは基本だろ?」
それが出来るのは達人だけなのでは、と思ってしまう。
ラッシュさんはため息をつきながら、
「お前みたいにいやらしい戦法できねーよ」と憎まれ口を叩く。
「同意だな」とダンカンさんも口元を歪めた。
「俺が性格悪いみたいじゃないか?」
ウェンさんが笑顔で苦い顔をする。
「そう聞こえなかったか?」とダンカンさん。
「カミラにどなられ過ぎて耳まで悪くなったのかよ?」
耳に手を当てて、茶化すように言うラッシュさん。
三人の仲の良さがよくわかる。
「お前らなぁ。カミラは関係ないだろ。口うるさくて暴力的だけど…」
「聞こえてるよバカ亭主」
ウェンさんは言いかけた言葉を飲み込み慌てて立ち上がり、振り返る。
「うげ!カミラ!?」
「なんだい?化け物を見たように?」
カミラさんは手をぽきぽきと鳴らしながら笑顔でウェンさんにゆっくりと近づいていく。
「な、なんでもないんだ!カミラは今日も綺麗だな!」
その言葉の後、勇猛さを見せてくれていたウェンさんはカミラさんに間接をキめられて絶叫していた。
「カホお姉ちゃん!」
名前を呼ばれ、いきなり抱き着かれた。金糸の髪が揺れる。
「マリアちゃん?」
いきなりマリアちゃんに抱き着かれ困惑してしまう。マリアちゃんは顔をあげ、
「心配したんだよ!いつの間にかいなくなって、心配したんだよ!」
マリアちゃんは目じりに涙を浮かべ、私を心配していたことを何度も伝えてくれた。
剣を仕舞い、小さな体を抱き留める。ゆっくりと腰を下ろし
「ごめんね。心配させちゃって」
マリアちゃんは大きな声で泣き、私の胸にその温もりが伝わってくる。
「何しにきたんだよ?」
カミラさんに解放してもらったウェンさんが不平を漏らすように言う。
「うちのバカ亭主の活躍でもたまにはみてやろうと思ってね。」
剛毅に笑って見せるカミラさんにウェンさんはため息をつき、ダンカンさんとラッシュさんも大きく笑う。
「それにマリアちゃんがべそかいてお姉ちゃんがいないって駆け込んできたんだよ。何かいうことはないかい?」
続くカミラさんの言葉にウェンさんはバツが悪そうに頭をかき。
「心配かけたな。すまない」
「私が勝手についていっただけですよ!ウェンさんは待っているように私に言ってくれましたし」
カミラさんに謝るウェンさん。慌てて訂正をする。
そんな私の後ろから何かが駆けてくる音がした。
振り返ると灰色の毛並みと、白い牙、赤い口が見えた。
ウルフ―
そう気づいた時にはマリアちゃんを突きとばす。顔を隠すように腕を前に出したところに、ウルフの牙が食い込んだ。
痛みが腕を伝う。歯を食いしばり意識を保ち、牙の食い込む腕を放そうとウルフの顔面を殴りつける。
ウルフは微動だにせず私を引きずり森の中へと引き込もうとする。
慌てて腰に差している剣に手を伸ばし、引き抜く。
「カホやれ!」
ウェンさんの声に従い、無防備なウルフの腹を目掛けて剣を…
―突き出せなかった。
戸惑い剣を引いてしまう。
戦うと決めてここに決めたのに…私は…。
意識を手放してしまいそうになる。痛みと、諦めで…。
腕に食い込む牙が不意に離れた。
私が地面に転がると同時に、ギャン!とウルフが甲高い声をあげ中に舞ったのが見えた。
「なに迷ってんだ。死にたいのか!」
鋭い言葉が飛び、顔を上げる。
顔に傷のある30代の男性が私を睨みつけていた。
刀身の長い剣を持ち、体には鉄の鎧をまとっている。鎧から除く体は筋肉が隆起しておりその力強さが見て取れる。
「来るぞ、気を抜くな!」
男性の言葉に慌てて剣を構えようとしたものの、左手の痛みに耐えられず腕を押さえてしまう。
男性は舌打ちし「そこで待ってろ」と吐き捨てるように言い放ってきた。
ウルフには体中に傷があった。頭部には生々しい傷跡。片目も潰れている。それでも、満身創痍な体でも、こちらを威嚇し牙を剥く。
逃げるつもりがなく、徹底的に戦い続けるつもりらしい。
男性とウルフの睨みあいはわずかな時間だった。
たまらず飛び出すようにウルフがその牙を剥く。
「犬っころが、ぎゃんぎゃんが吠えんな!」
男性はすかさず剣を掲げ、深く腰を落としながら振り下ろした。
男性の剣がウルフを両断し、誰が見ても明らかにウルフは絶命した。
男性は一度首を傾げ、訝しむようにウルフと私を交互に見てきた。
「ありがとう…」
男性にお礼を言いかけたところマリアちゃんが駆け寄ってきた。
「カホお姉ちゃん!大丈夫!?ケガが…」
マリアちゃんが私の腕の傷を見て慌てている。私は腕を庇いながら、何とか笑って見せ「うん。なんとか」と答える。
ウェンさん達もすぐに駆け寄ってくれて私の傷を見て、「手当を急ぐぞ」と心配してくれた。自業自得なので本当に心苦しい。
「腕を出しな」
助けてくれた男性にそう言われケガをした腕を見せると、懐から緑色の液体の入った小瓶を取り出し、腕にその液体を垂らしてきた。
液体が傷にしみて痛む。消毒液か何かだと思うけど、思わず目を瞑ってしまう。
「ポーションだ。早く傷に塗り込め」
ポーションと言われてもよくわからないけれど、言われた通りに傷に塗り込む。
少しだけ痛みが引いたような気もするけれど、相変わらず痛い。むしろ感染症とかが怖いので痛み止めより消毒と包帯をして欲しい。
「いたた…」
「お前、本当に冒険者なのか?」
その質問には「わかんないけど」としか答えられない。
男性はため息をつき、一度ウェンさん達をチラリと見てから、
「そのレベルで冒険者ってのもな、もうちょい故郷で経験積んでから来いよ」
言葉が突き刺さる。二ホンは比較的平和だから、剣を使って戦うなんてことないんだから。
「本当にね。帰りたくても帰れないけど」
「家出かよ。それなら何もこんな仕事選ばなくたって」
こんな仕事と言われても、私も好きで冒険者になった覚えはない。出来ればいますぐこの村の住人になりたいとさえ思っている。
「あん?」
ふと男性の顔色が曇った。
「どうしたの?」と聞きながらもその視線が私の腕を見ていることが分かる。
「不良品だったか。まぁ、いい、後は帯でも巻いてろ」
痛みが引いただけ十分ありがたい。
ラッシュさんが「包帯とってくる」と駆け出していてくれたのも素直にうれしかった。
男性は呆れるようにため息をつき、
「最近の冒険者は夢ばかり追いかけて腕前が足りてない。おまけに剣だけ持てば一丁前だと思うのもいただけないな」
「そんなことないよ!カホお姉ちゃんは私を守ってくれたもん!それにウルフだって倒してたもん」
マリアちゃんが男性を強く見返し啖呵を切る。
ただ、可愛らしいだけの啖呵には迫力もなくあしらうように男性は笑って見せ、
「おうおう立派だね。お姉ちゃんは」
嫌味が見て取れる言い方にマリアちゃんは頬を膨らませる。
「むぅ~!嫌い!このおじさん嫌い!カホお姉ちゃんをいじめるもん!」
「こら、マリアちゃん。助けてくれたんだよ」
「だってー…」
不服そうにうなだれたものの、渋々といった感じで男性の方を向いた。多分感謝か謝ろうとしているのは分かる。
男性もそれを理解してか笑って見せ、軽くマリアちゃんの頭に手を置き。
「そうだぞ、チビ。命の恩人だぜ?」
その言い方は…相手を怒らせるだけだと思う。それとも喧嘩を売りたいのかな?
「マリアもうすぐ10歳だもん!チビじゃないもん!もう…大っ嫌い!」
マリアちゃんは頭に置かれた手を払いのけるや否やあらん限りの声で叫び、走り去っていった。
マリアちゃんが走り去ってから、男性は悪びれる様子もなく、
「はは、嫌われちまったな。ついからかっちまったよ。妹さんには後で謝っといてくれ」
そんな軽口にカミラさんが険しい表情で近づき、
「あんたね。カホちゃんの命の恩人だからって、ちょっとそりゃないんじゃないかい?」
「反省してるさ。まぁ、冒険者は無礼者が多いからさ。大目にみてくれよ」
男性はカミラさんを適当にあしらう。
ダンカンさんも口をへの字に曲げ、何かを言いたげではあるが押し黙っているという雰囲気だった。
男性は何を思ったのか懐から紙に包まれた何かを取り出し紙を剥いた。
「ほら」と差し出してきたのは暗褐色調の平たいものだった。それが干し肉と分かるのにはあまり時間は必要なかった。
「食べていいの?」
男性は何も言わず、私に渡してきた。
そういえば朝食もまだだった。腹ごなしには少し足りないけれど、食欲がわく。
干し肉をかじる。独特の臭みがあるものの、塩味が程よい。噛むたびに味が広がっていく。
「菜食主義者のエセ聖人とは違うようだな。なら、なおさら解せないな」
干し肉をかじりながら、「おいしいよ」と感想を言ってみる。
男性はため息を吐き、
「それな、別の個体だがウルフの肉を干したものだ」
これ犬の肉なんだと素直に驚いた。
「なあ、お前は自分が手を汚していないからと言って、私は何の命も奪ったことがない、なんていうのか?」
男性が唐突に語り始めてきた。答えかねる内容に首を傾げてしまう。
言っていることが理解できないのではなく、答え方がすぐには思いつかなかった。
「命を奪うのは悪には違いないんだ。だがな、俺たちはそうしなければ生きていけない。他の命を喰らい、その分その奪ってしまった命に懺悔し、感謝しながら糧を得て生きていくんだ」
何かの命を奪うことで生かされている。だから、それに見合った生き方をしなければならない。これは仏教の教え。
分かってはいるけど、私のいた世界ではその工程を希薄化し罪悪感を薄れさせることによって命の重みをなるべく背負わないように生きている。
人間は気付いてしまったから。
多くの分野で発展しようとすると、多くの物を背負うその重みが足枷となってしまい前に進めなくなることを。
だから徹底的に背負わなくていい物を背負わない。食べ物に元は命があったことをどこか遠くの出来事だとしてしまう。
だけど、多くの人は理解していると思う。その根幹は忘れてはいけないことを。他の命によって生かされていることぐらい。
「とりわけ冒険者なんていう仕事は命の奪い合いになることが多い。それを分かってなきゃ、いつか犬の餌になるぞ」
最後に男は「俺達、冒険者はいつだって命懸けだ」と付け足す。
「分かってる」
今までの世界なら、誰かがやってくれていたこと。
それを自分が生きるために責任を持ってやらなければいけないこと。そんなのは頭の中では分かっている。
ゴブリンに襲われてそれは痛いくらい感じだ。
「…でも、まだ怖いよ」
それでも私の答えはこれだった。
頭では分かってはいるけれど、本質的なところで命を奪うことに恐怖を感じている。
男性は私の言葉を聞くと、「まだ怖い、か」と私の言葉の一部を繰り返し。
「ぷははは!いいね、素直だな!」
大声で笑い始めた。
さっきまでの嫌味な感じも高圧的なものもなく、ただそれが彼の本心だとわかる。
まるで傑作の笑い話でも聞いた後のように男性は目じりに浮かんだ涙を指で拭い、私の頭に手を置いた。
「俺達冒険者は命のやり取りをし過ぎて捻くれていくもんだ。新米の時くらいそれくらいピュアでいな!」
彼の笑顔にカミラさん達も驚いていた。
「包帯あったぜ!」
ラッシュさんが戻ってきた。その手には少し汚れている布が握られている。
ないものねだりはいけないけれど、綺麗な包帯が欲しいな、と素直に思ってしまう。
「お?仲良くなったのか?」
事のあらましを知らないラッシュさんはそのまま気にすることもなく私の腕に包帯を巻き始めた。
ラッシュさんの手際はよくものの十秒程で巻き終わり、「これでよし」と包帯ごと傷口を叩いてきた。
「ひぐぅ―!」
「あ、わりい」
激痛で変な声が漏れる。考えなしのラッシュさんにはカミラさんとダンカンさんの拳骨がお見舞いされる。
さっきの薬で痛みは引いていたけど、今のでぶり返した。
「あんたは冒険者なんだろ。この村には何もないぞ」とウェンさんが男性に忠告するような言葉を投げる。
どこか怒っているような声色だ。存外、私はウェンさん達に大切にされているのかもしれない。
「報酬の話か?」とワザと厭味ったらしく返され、ウェンさんの顔が苦々しく歪む。
男は冗談だ、と笑って見せてから私の頭を再度手を置いた。
「安心しな。こいつに興味が沸いた。新人に世界の厳しさを教えるのもたまにはいいからよ」
興味?私に?
一瞬変な想像をしてしまった。その後の厳しさという単語でよりにもよって想起されたのがあの変態文学の著書の内容なのも相まって。
「カ、カホさんに何をするつもりだ!」
顔を赤らめながらもウェンさんが問いただす。
そういうこと考えたのが一目で分かる。守ろうとしてくれているのもわかる。だけど、威厳とかは持っていて欲しかった。せめて、羞恥くらいは隠して欲しかった。
不埒な考えをしているのをカミラさんは見通してか、そんなウェンさんに肘鉄を放つ。
「何もしねぇよ。ただ、もっとシャンとして貰いたいんでな」
男性は剣をしまうと私に手を差し出してきた。握手かな?と思って手を取ると、引き寄せられ強引に立たされた。
男は手を放し、ひと呼吸置いてから真っすぐに私の目を見て告げた。
「俺の名前はアラン。見てのとおり冒険者さ。それも熟練のな」
自分で熟練とか言うのはどうかと思う。自己紹介をされたからには一応返すのが礼儀。
「私はカホ。紹介できることはあんまりないけどね」
男…ことアランさんは「新米ならそれでいい」と笑って見せ、
「俺がお前の師匠になってやるよ」
唐突な言葉だった。自信に溢れたその言葉に思わず、
「は?」
そう言い返すしか出来なかった。
ウェンさん達が何かを言い返そうとしたが、アランさんは全く聞かず私の手を引いて、
「さて、まずは戦闘訓練だ!」
そういいながら、強引に私をその場から連れ出していく。
頭が追い付かない。困惑している私をよそにアランさんはどこか楽しそうだ。
明確にアランさんの行動を断れなかったのは、彼が私を強くしてくれそうな気がしたから。
甘ったれていて、弱くて皆の足を引っ張るだけの私を少しだけでも強くしてくれそうだったから。