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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第二十五話『イニス』

第二十五話『イニス』


 エルフの少女を助けた次の日の朝…

 郊外にある安い宿屋。その一室に赤い髪、薄い起伏の少ない体つきの少年のような面持ちの冒険者カホは、一緒に行動をすることになった明るい髪のハーフリングの少女アリシアに問い詰められていた。

「なんでカホ怪我してるの!?」

 朝早く起きて、お風呂に入ってから、昨日の夜にホブゴブリンによって受けた傷の手当をしていた最中にアリシアちゃんが目を覚ましてしまった。

 本当はもう少し早く治療を始めて気付かれないようにしようとしていたのに。

「ごめん…」

 と謝ることしか出来なかった。

 アリシアちゃんは私の手当を何も言わずに手伝ってくれたものの、ふと矢筒を見てその隣にあるはずの弓を探し始めた。

「…え?弓はどうしたの?」

「あげたけど?」

 エルフの少女がどうしても欲しそうだったので、あげてしまった。自分でもどうかと思うけど、それで少しだけでもあの子が前を向けるなら…と。

「なんでー!?」

 アリシアちゃんが絶叫し今度は掴みかかられた。そうだよね。アレはオークのバルグ族長から貰った大切な弓だったのに。

 不意に部屋の扉が開いた。

 そこから青いローブを着た男性が顔を出す。

「おいおい、どうした隣の部屋の俺のところまで聞こえてきたぞ…どうしたその怪我は?」

 青いローブの男性、こと魔術師のファレンさんは私の体を見て第一声がそれだった。

 思わずなけなしの胸部を隠すもののファレンさんは「気にしないぞ」と無感動で無慈悲な答えをしてくる。

 いかに私が女性としての魅力がないのかが分かる一言だ。諦めてはいるけれど。

「あ…昨日ホブゴブリンに…」

「飯を食べた後にか?」

 私の言葉にファレンさんは目を丸くしていた。

 どちらかというと、その反応は部屋に入ってきた時にして欲しかった。

 私の胸部を見て…いや、なんでもない。ない物に驚くことは出来ないよね。

「うん…ちょっと散歩に」

「過激な散歩だな」

 ファレンさんは呆れながら、頭を掻き。

「今日は…といいたいところだが、その傷ではな。まぁ、休んでいてくれ」

 折角パーティーを組んだのに、初日からこれでは、先が思いやられるだろう。

 頭を下げて、

「ごめんなさいファレンさん」

「いや、いいさ。傷が治ってからまた行こう。それに俺も今日は読みたい魔導書があったからな」

 寛大な言葉に、彼の大人な態度に頭が下がりっぱなしだ。

「…もしかして」とアリシアちゃんがポツリとこぼした。

 何に驚いているのか分からなかったが、ファレンさんは両手を広げておどけて見せ。

「ああ!もう使い切った!」

 成程、読みたい魔導書があるのは買ったばかりだから気になって仕方なかったのか。

 そう考えるとこの人は大人じゃなくて、ただの子供なのかもしれない。これ幸いとばかりに最もな理由を付けるのも合わせて。

「この人大丈夫かな?」

 私がアリシアちゃんに尋ねたものの、アリシアちゃんはため息をつきながら、

「カホもだよ」

 釘を刺すように言われた。

 確かに軽率だったと思う。

 この中で一番しっかりしているのが、見た目は小学生のアリシアちゃんというのが不安を増大させている。

 そう思うと、今まで会ってきた男性で、ウェンさんがいかに出来た男性だと分かる。

 シャンやミルゴも何処か子供っぽいところが…。

 不意にシャンの顔を思い出した。そういえば、彼から荷物を渡されていた。

 最近バタバタとしていたので危うく忘れるところだった。

「あ、そうだ。『花畑』って知ってる?」

 アリシアちゃんとファレンさんに尋ねると、アリシアちゃんは首を傾げ。

「花畑?花なら森の中に群生している場所は知ってるよ」

 それなのかな、と思いながらファレンさんを見つめると、その表情険しくなっていた。

「…いや、知らないな」

「ファレンさん?」と私が名前を呼ぶと、彼は何も言わずに踵を返し。

「今日は休め」

 そうとだけ言い残して部屋から出て行ってしまった。

 その反応だけで、なんとなくその場所が歓迎されない場所だとは分かった。

 ファレンさんとは昨日からの付き合いとは言え、彼の行動は基本的には善意や優しさを信条としているのは分かる。

「ねぇねぇ、今日どうするの?」

 とアリシアちゃんにねだるように言われる。

 どうやら好都合だったのはこの子もらしい。

 確かにアリシアちゃんはずっと憧れていたアルトヘイムなのだ。もっと見たいところもあるのだろう。

「街を見ようか」

 私がそう告げると、アリシアちゃんは顔を綻ばせ、「行きたいところがあるの」と元気にそう答えてくれた。


 手当が終わり、身支度を済ませてから、アリシアちゃんに案内され彼女の目的地へと向かう。

 街の東側にある大聖堂…の隣にある古ぼけた小さな教会『エアリス教会』だ。

 なんでも、大聖堂は中央国との戦争で停戦協定の為に、聖王国が建てたものらしい。

 至高神ロイドを祀る大聖堂は、ただの『教会』と呼ばれ、アルトヘイムでのエアリス教会はこの小さな教会を指すらしい。

 それでもミサや拝礼は教会の方で行われているので、今では昔から続く行事で以外は使わず、もっぱらとある修道士が学校を開いているらしい。

 アリシアちゃんから行きたいと聞いた時はびっくりしたけど、すぐに納得出来た。

 アリシアちゃんがいかにエアリス様のファンかがよく分かる。聖地巡礼とかいうやつだと思う。

「あ!ここだ!ずっと、村長から聞いてたの。小さくて優しい教会だって」

 アリシアちゃんは着くなりにわくわくと喜んだ様子を見せる。

 ここまで来ると、本当にオタクっぽいなぁ、とは思ったものの口をつむぐ。

 教会の入り口に手を掛けて、一度だけ「勝手に入っていいの」とアリシアちゃんに尋ねると、

「エアリス様の教会は開かれし場所だよ」

 その言葉の意味は何となくだけど分かった。来るもの拒まずをもっとうとしているのだろう。

 だから戦争中にも関わらず、エアリス様の開かれた国であるアルトヘイムにも簡単に入国出来たのだろう。不用心だとは思ったけど。

 教会に入ってまず…驚いた。

 見覚えのある黒い外套、そしてひょろりと高い背に、蛇を思わせる男性が教鞭をとっていた。

「おや?これは、これは」

 と彼も私を見ると少しだけ嬉しそうに口元を綻ばせた。

「奴隷商さん?」と私が声を上げる。

 彼に近づきながら、

「え、ここで…もしかして…」

 言いかけた言葉を制するように、奴隷商さんは手を振り上げ、いつものように。

「ええ!その通りです!私はとても暇なのですよ!なのでここで教師をしているのです!どうでしょう、似合っているとは思いませんか。それに教鞭こそ人を正しく前に向かせるというものです。いずれ私の考えが正しいと世界が分かる時が来るのです!」

 いつもの中身のない演説をしたかと思うと、勉強を受けていた子供達から「またやってる」と嘲笑のようなものがあがった。

 この人はここでもこういう扱いなんだ、と肩を落としそうになる。

「あれ、フィーネ様は?」とアリシアちゃんが声をあげた。

 ここに来るまでに聞いてたけれど、どうやらフィーネさんという人は英雄らしい。

 二つ名が『呪われた騎士』というのがいかんせん怖いけれど。

「ああ、彼女なら今日は夕方まで戻りませんよ。彼女の双子の姉が体調を崩したらしいので」

 奴隷商さんの言葉にアリシアちゃんはキョトンとしてから。

「お姉さんってイニーツィオ様?」

「ええ。よく知っていますね」と奴隷商さんが頷き、アリシアちゃんは笑顔を見せ、得意げに「会ったことないけどね」と付け足した。

 姉妹の話は聞いてなかったけど、どういう人なのだろう。

 妹が英雄だと形見が狭いような気もするけれど。

「もしかして、あなたも入学希望でしょうか?」

「今はカホと遊んで貰ってるから、また今度ね」

 アリシアちゃんが断ると奴隷商さんは「残念です」と肩を落としていた。

 本当にこの人は勉強を教えるのが好きみたいだ。本業は大丈夫かな…と心配になる。

 そう思うと、ペイル君達がいないのが気になる。いつも一緒なのに。

「カホ…?あ!お姉さん!」

 不意にあがった声。声のした方向を見ると、白いローブを着た癖毛の少女がいた。

 かつてシノの村で共闘した…

「えっと、エンファちゃんだよね」

「うん!」

 私の言葉にエンファちゃんは大きく頷いて笑顔を見せてくれた。

 勉強の途中であったはずなのに嬉しそうに私に近づくと、

「あれから『奇跡』の勉強がんばったの。今度こそお姉さんの怪我を治せるから」

 『奇跡』って、確かあの時失敗したやつだよね、とは言わないでおいた。

 奴隷商さんは声を上げ、

「エンファさんのお知り合いでしたか。彼女は元々、奇跡の手解きの為にイニーツィオ助教司祭のところに来ていたのですがね、彼女が忙しいので戻ってくるまではここで勉学をしているのですよ」

「そうだったんだ」とこれは私が独り言ちただけ。

 そして、彼が多分勝手に引き込んだのだろうと思ってしまう。

「中々見どころのある子です。信仰心も厚く、また癒しの心を持っている。『奇跡』の習得はほんの一握りと言われていますが、彼女の年齢で『回復ヒール』を使いこなせる人物を私は見たことがありませんよ」

 何故か得意げな奴隷商さん。

 こういう、子供を褒める時にやけに言葉数が多くなるのもいつも通りで安心できるような、不安なような。

 エンファちゃんは褒められたことが嬉しいのか、照れたように頬を掻き。

「あ、そうだ。先生が探してたよ」

 先生と言われて、思わずロイ君が気を付けをしている姿を思い浮かべてしまった。

 それを言っていた人は確か、

「女騎士…リリアさんが?」

 綺麗な女性で、騎士を思わせる鎧と剣と盾を持っていた私の命の恩人だ。

 エンファちゃんは「うん」と頷いたので、私も「探してみようかな」と答えておいた。

 特に怒られるようなことはしていないけれど、もしかしたらシノの村への送金の件なのかもしれない。会っておくに越したことはないと思う。

 不意にエンファちゃんが手を組み、祝詞を始めていた。

「そういえば奇跡ってそんなに珍しいの?」

 私の言葉にエンファちゃんは目を丸くし、祝詞を途中で止めてしまう。

 そんなに驚くことなのかな?

 ここに来るまでに『戦技』はかなり見たし、『魔術』もいくつか見た。それでも『奇跡』というのはエンファちゃん以外に使っているのを見たことがない。

 しかも失敗していたし。

 奴隷商さんは頷きながら、

「ええ。元々は太古に聖王国でその力を見つけられ、戦技や、魔術と比べても特殊なものですからね。使用するにも信仰心とその人物の人格が深く関わってきます」

 人格が関わってくる、と首を傾げてしまう。

 魔術や戦技と違うと言われてもその二つも余りよくわかっていない。

 奴隷商さんは呆れるように「本当に何も知らないのですね」と言ってから。

「例えば、彼女のような人の傷を癒したいという祈りからは回復、守りたい心からなら結界、正しき物事へと導きたいというなら補助、そして、打ち滅ぼしたいという心からなら攻撃。どれも常に神への純真な祈りが必要となりますが」

「最後だけ物騒じゃない?」

 私の言葉に奴隷商さんはやれやれと肩を竦ませ。

「破邪の心ですよ」

 破邪の心と言われれば多少納得はいくけれど、祈りながら『神様あいつを倒して』というのはどうもイメージがつかない。そういうのは魔法とかだと思う。

 それにそんなことを純真に願うというのは、ある意味ではサイコパスなのでは。

 エンファちゃんがおろおろと慌て。

「心を乱されると全く使えないのも特徴です」

 それが奇跡と今のエンファちゃんの説明だとよく分かる。

「戦技とかとはどう違うの?」

「戦技は、得意な一つの行動を何度も繰り返していくことによって、その者にあった形が作られ、いつしか戦技となるものです。ですが、使い続ければ変質もしますし、強化もされていきます。習得出来るのは多くて3系統が限界とも言われていますね」

「系統?」

 聞き返すと、奴隷商さんは困ったような顔をし。

「詳しくはないんですよ。例えば突きから戦技となったものは熟練すれば変質し、別の戦技ともなり、元の形である戦技もいつでも使えるのですが、同じ突きでも元の形が違ったり、打撃や斬撃、衝撃、防御、歩法等他の形のものとなると合計3つが限界…らしいですね」

 そういうものなんだ、と少しだけ驚いた。

 結構誰もが使っているので、そんな極意のようなものだとは思わなかった。

 そう考えると、アンヌ様の『カデンツァ』は分かりやすかもしれない。

 『銀閃』とも呼ばれる彼女の剣。それをより洗練された強烈な連撃をさらに早く研ぎ澄まし、何度もたたき込む『戦技』。

 それを習得するのに一体どれ程修練を重ねたのか、私では分かりかねる。

「魔術は詳しくありませんが、それ自体は魔力さえあれば使える、一つの学業の分野とでもいいましょうかね。それに比べると奇跡はほんの一握り、数パーセントにも満たない者にのみ宿った力です。これは努力ではどうにもなりませんし、成長することによって失われたり、変質することも多いのですよ」

「失われるの?」

 奴隷商さんの説明の中でもそこは強烈だった。

「信仰心を失えばですが」

 と付け足すように説明をくれて、少しだけホッとした。

「あとは奇跡の使い手には、体のどこかに10大神の紋章が宿るのですが…」

 思い出すように奴隷商さんが一度手を組み、エンファちゃんを見る。

「エンファさんは何処に?」と奴隷商さんが聞くと、エンファちゃんはもじもじと恥ずかしそうにし。

「えと…胸に…」

 そう言いながら左胸を押さえた。

「なら、諦めましょう」

「そうだね…」

 二人して一瞬で納得した。

 見てはみたいけれど、こんなところでなくても女の子を引ん剝く気にはならない。

「ごめんなさい」とエンファちゃんが謝っていた。

 むしろ悪いのは奴隷商さんだ…と思っておきたい。聞いた私も悪いのだけれど。

 不意に奴隷商さんが「黙読を」と一声子供達に告げ、一旦教壇から離れる。

 エンファちゃんは名残惜しそうではあるものの、素直に席へと戻っていった。

 きっと、上達した『奇跡』を見せたかったのだろうけど、またの機会にして貰おう。

 子供達から少し離れたところで、

「カホさんとは少し話したかったのですよ」

 その言葉にアリシアちゃんが反応して私達を見比べた。

 少し焦った様子にも見えるけれど、奴隷商さんが好みなのだろうか。それなら安心して欲しい。彼も私のことを女として見ていない。

「奴隷商さん、『花畑』って知ってる?」

 私がそう聞くと、奴隷商さんは目を見開いた。

「意外です」とそう溢した。

「…あなたの口からそんな言葉を聞くとは思いませんでした」

 それは侮蔑ではなく、本当に驚いている。

 やっぱりそういうところなんだ、とそう考えるとシャンが何をしたかったのか余計に気になる。

「行くのですか?」

 奴隷商さんの言葉に頷いて返すと。

「ブラックマーケットはご存じでしょうか?」

 その質問に首を横に振る。

 奴隷商さんはそんな私を見ると少しだけ安堵のような表情を浮かべた。

「この国の北西にあるのですがね…行かない方がいいでしょう」

「でも、これを渡さないといけないから」

 答えながらシャンから渡された小さな小包を見せると、奴隷商さんは小さく笑い。

「なら、ブラックマーケットが始まる前の、今から行くのがいいでしょう。くれぐれも夕方までには引き返すように」

 それはブラックマーケットも…私が行くようなところじゃないのだろう。

「うん」と頷き、出発しようとしていると、不意にアリシアちゃんの手が引かれた。

「あと、君は絶対入ってはいけません」

「なんで!」とアリシアちゃんが驚きと不平の声をあげた。

 そんなアリシアちゃんを奴隷商さんは一度まっすぐに見つめ、頭を下げた。

「お願いします」

 その態度にアリシアちゃんは言葉を失い、私と彼を交互に見つめる。

 私は戸惑っているアリシアちゃんの肩を叩き、

「アリシアちゃん。すぐに戻るから、ここで待っててくれる?」

 私の言葉にアリシアちゃんは目を丸くしていたものの、不服そうながらも頷いてくれた。

「カホが…そういうなら…でも、すぐに帰ってきてね。まだ…」

 今日は真っすぐにここにきたから、まだ何も出来ていない。

「帰ってきたら一緒に遊ぼうね」

 私がアリシアちゃんにそう告げると、アリシアちゃんも小さく頷いた。

「そういうところなんだね…奴隷商さん」

 私の言葉に奴隷商さんは「ええ…」と頷くと同時に呟いた。

 きっと…アリシアちゃんには見せられないような辛い場所なんだろう。

 腹を括って、教会を出て言われた通りの場所へと向かう。

 途中、行商の中年の女性の隣で不死の勇者アルベルトに似た人が野菜スープを売っているのが見えた気がしたものの、私は不安で先を急ぐしか出来なかった。

 ブラックマーケットと呼ばれる裏通りの近くには物乞いの親子がおり、そのさらに奥の裏路地を進んでいくとボロボロの廃屋のようなものが見えた。

 小さな花畑に囲まれた、二階建ての古屋。

 近づいて行くと、その古屋に何かの看板が掛けられているのが分かった。

 看板の文字を見ようと目を凝らしていると、

「なんだい、あんた?」

 不意に声を掛けられ慌てて振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。

 薄汚れたドレスにやせこけた頬と体。ケロイド状になった顔半分。千切れた鼻、だらりと垂れ下がった片方の袖にはその下には何もないと分かってしまう。

「お姉さん、傷が…」

 思わずそんな言葉を出してしまい慌てて口を塞ぐ。

 血の気が引いているのは私でも分かる。一目見ただけで怖いとか、痛ましいとかそんな感情が噴出する。

 覚悟をしていた。準備もしていた。なのに私は一瞬でそれさえ砕かれた。

 目を見張ることしか出来なかった。

「こんなもん、大したことないよ…」

 痛ましい姿の女性は小さく笑う。

「あ、あの…『花畑』に」

 何とか振り絞った言葉がこれだった。

 きっと裏を返せば、立ち向かえずさっさと渡して逃げ出そうとしていた。

「ほら、ここがそうだよ」

 そう言って彼女は古ぼけた看板を指さした。

 そして、それに応えるように小さな女の子達が入り口から飛び出し、辺りを走り回り始めた。

「孤児院なの?」

 私の言葉に痛ましい姿の女性は首を振った。

「いんや、人間だけとなったアルトヘイムの闇の一部さ」

 彼女はそのまま走り回る女の子達に視線を送り、

「ここはいらなくなった娼婦と、その娼婦から生まれたいらなくなった子供の捨て場所さ」

 いらなくった…人達の…

 その言葉に胸が苦しくなる。息が荒れる。

 アルトヘイムはもっと…優しくて、明るい場所だと思っていた。

 なのに…

「あんた、冒険者かい?ここのは安いよ。一人どうだい?」

 その言葉に震える。

 痛ましい姿の女性を見返すとその瞳が少し優しい色をしていた。

「なんてね、あたし達みたいなボロ屑や、娼婦の産んだ子供なんて見るのも汚らわしいだろ?」

「そんな…こと!」

 慌てて答えると、不意に私の頭を撫でられた。

「いいのさ。お前さんは優しいね」

 その瞳と声は…本当にとても優しくて、考えれば考える程、辛くて泣き出しそうな私が情けなかった。

 向かい合わないといけないのに、この国には勝手に明るさしかないと決めつけていた。

 何も言えず懐から小包を取り出し、差し出すと、痛ましい姿の女性は受け取り、小包を見て小さく笑って見せた。

「これは…シャンからだね」

 尋ねられたことに「うん…」と答えて小さく頷く。

「あいつは元気にしてるかい?」

 続けて聞かれた言葉には…何も言えなかった。

 凄い人だったって言ってあげたい。化け物相手に一歩ひるまず、町を救った英雄だったと言ってあげたいのに。

 なのに、言葉が出なかった。言葉に出来なかった。

「そうかい」と痛ましい姿の女性はそれだけで理解した様子で静かに答えた。

 そして小包を解き始めると、中身が金貨や銀貨であったのが分かった。

 痛ましい女性はそれらを軽く指で撫で。

「あいつはね、ここの現状を変えようとしてたのさ。自分に何が出来るのか分からないけれど、足掻いているようだったよ」

 シャンは…立ち向かおうとしていたんだ。

 ミルゴのように幸せに向かって行動するのではなく、ここにいる人達の為に出来ること…お金を送ることをしていたんだ。

「ここには女の子しかいないだろう。男の子は、働き手として重宝されるが、女の子はある程度大きくなるまでここに放っておかれるのさ」

 その理由は…考えればわかってしまう。

「ここの子供も大きくなれば、夜鷹としてやっていき、またここに堕ちる。そして、それが続く。そんな子供を育てているから野に咲く売れない花園、『花畑』なのさ」

 何も言えなかった。

 苦しくて思わず吐き出したかった。

 今はこうやって遊んでいるのに、いつかこの女性のように…

「多分、あいつはあんたにこんなところを見せたくはなかっただろうね」

 痛ましい姿の女性が小さく笑いながら私を撫でた。

 気付くと涙が流れていた。哀れみや同情で涙を流すなんて、ただの…自己満足でしかないのに。

「門の兵士にでも言ってくれりゃあ良かったのにねぇ」

 シャンはそう言っていた。

 きっと私には見せたくなかったのだ。私が傷つかないように、日の光だけを見せるように。

「ちょっとだけだけど、もてなすよ」

 痛ましい姿の女性はそう言いながら、私を建物の中へと案内してくれた。

 中は外見と同じく酷い有様で、その辺りの廃屋の方がもう少しマシだとさえ思える作りだ。

 朽ちた壁や、柱。床にしみつく血の跡。すえた臭いと埃が舞う息苦しさ。

 二階へと続く階段の先には、見ただけで分かる心を病んでいる女性が奇声を発し、妄想に取りつかれているであろうまだ若い少女がぶつぶつと何かを言い、怒りで手を血まみれにさせた幼い少女もいる。

 そして、階段の下に、赤い頭巾しか被っていないまだ小さな子が私を虚ろな瞳で見つめてくる。

 手はボロボロで、体も傷だらけだ。彼女の足元には小さな血だまりのようなものまで出来ており、それが何かくらい分かってしまう。

 赤い頭巾の少女が私の方へと歩いてくる。虚ろな目でじっとこちらを見て、

「銀貨3枚です」

 その言葉に背筋が冷える。

 そして、彼女の体に刻み込まれた傷を見て言葉を失ってしまった。

 痛ましい姿の女性は立ち尽くす私の手を引き、近くの扉へと案内する。

「イニス、入っていいかい?」

 そう扉に声を掛けると「どうぞ」と静かで優しい声が聞こえてきた。

 それに導かれるように扉が開かれると、赤い頭巾の少女も一緒に入ってきた。

 痛ましい姿の女性はそんな少女に一瞥をくれたものの、諦めたのか何も言わなかった。

 部屋には小さな古ぼけたベッドと小さな窓しかなく、ベッドには一人の女性が体を起こして私を迎えてくれた。

 太陽の優しい光のようなハニーブロンドの長い髪。優しい青空のような瞳。透き通るような白い肌。青を基調とした修道服であろうドレス。

 窓から指す光も相まって、まるで聖女のような姿だった。

「お客様ですか。どうぞ、こちらに」

 そう言いながら私に、イニスと呼ばれる女性は椅子を手で示してくれた。

 言われるがままに私が席に着くと、痛ましい姿の女性はイニスと呼ばれる女性を手で示し。

「イニスはエアリス教会のお偉いさんだよ。こうして、あたし達の傷を見たりしてくれてるのさ」

 その説明をよそにイニスさんは「あまり動かれると傷に障りますよ」とむしろ痛ましい姿の女性のことを心配していた。

「いいのさ。どうせ、老い先短いからね」

 痛ましい姿の女性がそう返すと同時に、赤い頭巾の少女がイニスと呼ばれた女性の元へと駆け寄った。

 何も言わずにジッと彼女を見つめている。

 いや、何かを言いたいのだろう。だけど、そうさせてくれないのは分かる。

 イニスさんは赤い頭巾の少女を手招きし、「メイジー…こちらに」とその名前を呼び、赤い頭巾の少女をベッドに座らせ、布団をかぶせながらその体を抱いた。

「イニス様…私…」と赤い頭巾の少女、メイジーと呼ばれた少女が言葉に詰まっていた。

 イニスさんは首を横に振り、

「いいのです。口に出して傷を抉るのであればその必要はありません。ですが、語ることで和らぐのであればいつでも待っていますからね」

 優しく諭すようにそう告げてから、一つ大きく息を吸い。

「天にまします我らが神よ…この小さき少女の傷を…けほ…けほ!」

 祝詞を言いかけたところで、イニスさんがせき込み、口を押えた。

 そして、ベッドの布団に彼女のものであろう血が飛び散った。

「血が…大丈夫ですか!?」と私が声を上げたものの、すぐ近くにいた赤ずきんの少女メイジーがイニスさんに抱かれた手を振りほどき。

「イニス様…大丈夫だよ…私なんかの為に…『奇跡』なんて…」

 必死に彼女を止める様な声をあげた。

 しかし、振りほどかれた手を意にも留めないようにイニスさんはメイジーちゃんの頭を撫で。

「メイジー、気にしないで下さい。あなたも私の大切な子ですから」

 イニスさんが笑顔を見せると、メイジーちゃんは首を横に振り、虚ろな瞳から涙を流し始めた。必死に何かを言おうとしているものの、言葉に出せずにただ、イニスさんに縋りついている。

「イニス、さっき倒れたばかりだろう…『奇跡』なんてその体じゃもう無茶だよ」

 痛ましい姿の女性が咎めるようにそう言うものの、イニスさんは首を振り。

「天にまします我らが神よ、願わくば御名の光の祝福を傷つきし少女へと与えたまえ…」

 祝詞のように聞こえる。静かで優しい声だ。

「ここに奇跡を、『回復ヒール』」

 光がメイジーちゃんへと集まり、少しずつその体の傷を癒していく。

 本当に奇跡だと思える光景に言葉を失う。

 光が消えた後、イニスさんは再度せき込みながらも「辛かったのですね…」とメイジーちゃんの頭を撫でていた。

 辛そうなのに、必死に痛みを堪えていた。

「イニス様…私、私…!」

 メイジーちゃんがイニスさんに顔を埋め、泣きじゃくり、昨日あったであろう辛いことと必死に向き合おうとしていた。

 イニスさんはただ、静かに彼女を優しく抱き、小さく震える肩を優しく抱きしめ続けた。

 暫くそうしていると、メイジーちゃんがゆっくりと寝息を立て始め、その体をイニスさんに預けた。

「あの…」

「ご心配なさらず。生まれつき体が弱いだけですよ。先ほど、妹も来てくれて看病をしてくれましたので、大丈夫ですよ」

 強くそう言ってはいても彼女の手は震え、汗ばんでいた。

「私は生まれ持ってのこの『奇跡』の力で…出来ることをしたいんです」

 奇跡がどういうものか分からないけれど、それでも彼女のように痛みを伴う力だというのは分かってしまった。

 ファレンさんの話では人を癒すことを魔術で代用するのは禁忌だと聞く。

 痛みを伴わない癒しは暴走しやすく、そこに頼りがちになる。そういうことなのかもしれないと少しだけ納得してしまった。

「まだどうすればいいのか分からないのですが、今はここで傷を癒すお手伝いをしています」

 お手伝いなんて、と言いかけたところで、イニスさんが物鬱げな表情を浮かべた。

「ですが…それがまた彼女達を苦しめているのかもしれません」

 違います、そう言いかけたものの、彼女は首を振り。

「迷っているんです。私は…」

 彼女が迷っている。その言葉に疑問しか浮かばなかった。

 自分の身を厭わずに誰かに癒しを与え続ける…それだけ十分だと思うのにそれですらも彼女には到達点ですらない。

 いや、違う。分かってるのに、その答えに到達しようとしない。

 死んだ方が楽…なんてこの現状を見れば思い浮かんでしまうのに、本能的にそれを考えることから逃げようとしている。

「あなたにもそういうものを感じますね。まだ迷っているのですね」

 そんなことはない。私には目先のことしか見えていないのに、はるか先を見つめる彼女と肩を並べられる訳がない。

 不意に私の瞳を白魚のような手が拭った。

「泣かないで下さい。楽しみや喜びだけではなく、辛さや苦しさを乗り越えなければ世界は見えません。私はそう思っています。」

 そうだ。私はこの世界を見たいんだ。それを見たくないという気持ちと、見なければ先に進めないという気持ちの二つがまだ揺れている。

 楽しいことと嬉しいことが多すぎて、辛いことから逃げようとしている。

 イニスさんの顔を見据えると、彼女は優しく微笑み。

「赤い髪、綺麗ですね」

「イニスさんの髪の方が…太陽みたいで…ずっと綺麗です」

 太陽の優しい光のような髪が、彼女の心をそのまま現わしているようにさえ思える。

 例えその身を焼こうとも、誰にでも同じく光を与えようとしている。

「ありがとうございます。それでも、あなたの髪の方が、熱を帯びた太陽のようで素敵ですよ」

 イニスさんはそう言ってから思い耽るように「強き光を感じます」と続けた。

 熱を帯びた太陽…そんなことない。

 髪は赤くなったけど、私は何も変わらない。いつまでたっても弱い人間だから。

 不意にイニスさんが嬉しそうに頬を緩ませると、

「私の妹の髪も素敵なんですよ。優しい、月の光のような髪が」

 そう言ってから、イニスさんは窓の外を見つめた。

 そこに小鳥が留まる。

 日の光に照らされ、黄色いカナリアに見えたものの、それはこちらの世界でよく見る鳥だった。

 イニスさんはゆっくりと手を組み、祈るようにし。

「生きとし生けるものの、全てに祝福を…それが、エアリス様の御心だと私は信じています」

 そういってから彼女が手をほどき。

「ここをどのようにしたいか…その答えが見つかれば…きっとお伝えしてみせます」

 迷っていたのは、その答えが見つかっていないから。

 工程や過程を目標とする人もいる。それでも、その先の遥か頂点バーテックスを到達点を目指す人だっている。

 どちらがいいか、どちらが卑賎だなんて思わない。

 どちらも正しいんだ。

 到達できないから、と始めから諦めた答えでなければどちらも高潔なんだ。

 だから私はいつまでたっても…ダメなんだ。

「あなたのお名前は?」

 イニスさんに尋ねられ私はゆっくりと頷く。

 これだけは自身を持って言うと決めたから。

「カホです。駆け出し冒険者のカホ」

 私の名前を聞いたイニスさんはゆっくりと頷き、自分の胸に手を当てた。

「カホ…ですか。温かい、いい名前ですね」

 温かい名前…

 その言葉が嬉しかった。苗字はもう名乗らないと決めたけど、お母さんが付けてくれたこの名前だけは自身をもって言える。

 痛ましい姿の女性がメイジーちゃんを抱きかかえようとしたものの、イニスさんは首を振り。優しく撫で続けた。

 痛ましい姿の女性は手に持っていたシャンからの包みを見せ、

「これはシャンからだよ。カホちゃんが届けてくれたんだ」

 イニスさんはその手に握られている中身を見て、少しだけ悲しそうな表情をしたものの、私の方を見て笑顔を見せてくれた。

「ありがとうございます、カホさん」

 私は何も言えなかった。

 シャンのことを伝え…られなかった。

 それどころか、もうここから去りたいとさえ思ってしまう。

「イニスさん…また…」

 言葉が続かなかった。また来ます、と言えなかった。

 怖くて…これ以上の悲惨な状況を見ると自分の心も壊れそうで。

 そっと優しい手が私に触れる。その温かさが勇気付けてくれる。

 イニスさんは微笑みながら。

「無理をしないで下さい。現実に打ちのめされているのですね。闇は深く、あなた一人では抱えられません。勿論、私でも一人では抱えきれません。耐えられずに無理に飲み干せば、自らを傷付け滅ぼします。そうなのであれば、目を背けてもいいのですよ。ご自身を大切にしてください」

 逃げることを嫌う人たちはいる。

 敵前逃亡をした兵士を、怖さのあまりに逃げ出した人々を指して『そこで果てればいい』なんて言う人たちがいる。でも、生きることだって戦いなんだ。

 逃げた傷を負いながらも、生と向き合うことの怖さを知らないといけない。

 それを知らないで、ただ臆病だと指さす人々の方こそ、ただの臆病者だ。

 だから…

「…ううん。私、向かい合いたい。この世界を好きになりたいから」

 しっかりとイニスさんに伝えた。

 私は向き合う。

 まだこの世界のことを何も知らないから。逃げるにはまだ早いと思うから。

 まだやれることはあるはずだ。

 この身と心が傷つき、血を流し、倒れた時が…私が逃げる時だ。

 イニスさんは私の目を見ると、小さく頷きながら。

「闇をも好きになる…ですか。万物への慈愛でしょうね」

「そんな大層なことじゃないんです…知らない部分を無視してたら、好きになったことにならないと思うから」

 万物への慈愛なんかじゃない。

 嫌いなことは嫌いだし、好きになれない人は好きになれない。

 私のお父さんがまさにそうだ。

 あの世界を今でも本当に愛しているけれど、それでもお父さんのことは嫌いだと胸を張って言える。

 でも、知らなきゃいけないんだ。知らないと前に進めないんだ。

「カホさん。あなたにエアリス様の加護があらんことを」

 イニスさんの別れの言葉を聞き、私はその場を後にした。

 シャンがどういう思いでアレを私に託したのかは分からない。

 それでも、見ただけで相当な金額だった。

 何に使って欲しいのか分からない。

 けれど、どうしたいか分からなくても、助けたい気持ちからお金を渡す、募金だと思っておくことにした。

 何とかしたいけど、分からないから…。

 きっとイニスさんもその歯がゆさを噛みしめているのだと思うと、ただただ辛くなる。

 彼女のような先を見ようとしている人でも、どうすれば分からないのだから。

 通りに戻ると、物乞いであろう親子を見かけた。

 近くに置いてある札を見ると、どうやら学校に行きたいらしい。

 彼女にお金を渡したところで、本当にその為に使ってくれるか分からない。

 下卑た考えだけど、もしかするとお金を恵んで貰って、それでいい思いをしたいだけかもしれない。

 それなら、何のためにシャンは私に託したんだろう。

 ちゃんと使われるかも、私が届けるかも分からなかったはずなのに。

「託す…」

 シャンは託したと言った。届けてくれとも言った。

 だけど彼は、どういう風に使ってくれとは言わなかった。

 シャンにとっては、どう使われるかは余り問題ではなかったのかもしれない。

 募金は結果を求めちゃいけない。ただ、自分の善意を渡す…届けるだけだ。

 相手が私の思うような使い方をしなくても、割り切ろう。

 財布に手を伸ばすと、数枚の硬貨が見えた。

 銀貨もあるけれど、これは武器の修理等に使わないといけない。

 だから、私から渡せるのは精々大銅貨だけ。

「ごめん…これしか」

 そう言って、物乞いの少女の持つ器に一枚の大銅貨を入れる。

 物乞いの少女は噛みしめるように小さくお辞儀をしていた。

 器の中には私の前に誰かが入れたであろう大銅貨が一枚見えた。

「気にしないで…私も迷ってるんだ。まだ世界を…」

 好きになれていない…

 それは明白だった。

 戦いが嫌いで、そもそも剣を振るう理由は誰かを守りたいというだけ。

 その結果、私はいつも血に塗れた手をしている。

 命をうばう行為は悪でしかないのに、罪悪感を減らすために魔物だからと、守る為だからと躊躇いなく斬っている。

 この世界を好きになりたいなんて裏を返せば、今は嫌いだと言っているようなものだ。

 そんな私が並べる綺麗事なんて…

「ありがとう…」

 その声に思わず自分の葛藤が晴れていく。

 物乞いの少女はただ、涙を堪えて頭を下げていた。

 心を押しつぶされそうになっていたのに、その言葉だけで勇気を貰った。

「やっぱり好きだな。その言葉は…」

 その為に、戦っている訳ではないけれど、その為にお金を渡した訳じゃないけれど、ふと小さな言葉が私を救ってくれる。

 自分の苦しみが、葛藤が、奪った命ですら全部無駄じゃないと思える。

 知らない誰かでもそうやって助かっているのなら。

 その命の輝きを私は信じているからまだ前を向ける。

 まだ戦える。これからもそうやって、剣を振ろう。

 命を奪うこともあるだろうけど、その分生きて見せる。

 エアリス教会を目指して歩いていると、不意に金糸のような髪が揺れたような気がした。

 ただ、まだ辛くて人の顔を碌に見れない。目をそむけたくなるのは、私が弱いからだ。

 たどり着くと、不意に大きな声が聞こえた。その声に震えてしまう。

「カホー!遅いよ!」

 明るい長い髪を二つに纏めた少女が手を振っている。

 アリシアちゃんが私を迎えてくれた。授業はまだ続いているようだったので、多分退屈になって抜け出してきてしまったのだろう。

「アリシアちゃん。ごめんね。遊ぼうか」

 私がそう言ったものの、アリシアちゃんは私の顔を見るとキョトンとした表情になり。

「カホ、泣いてるの?」

 そう言われてようやく気付いた。

 涙がこぼれていた。それを手で拭いながら、

「目にゴミが入っただけ。何でもないよ…」

 適当な言い訳をしていると、私の手が引かれた。

 アリシアちゃんが私の顔をまっすぐに見つめ、

「もう!無理しちゃだめ!辛いなら言ってよ!」

 辛い…と心の中で繰り返した。

 無理しているつもりも、辛いとも思っていないつもりだったけど、言われた通り今の私はボロボロだ。

 きっと、無理して感情を押し殺そうとしているだけなんだ。

 そんなことにすら、他人からじゃないと分からないなんて、相当まいっているのだろう。

 アリシアちゃんは私の手を掴みながら、

「私はカホの友達だよ!だから、カホが辛い時は支えてあげるから」

 強い言葉だった。

 私を真っすぐに見つめて、そう伝えてくれる。元気づけようとしてくれる。

 胸が高鳴るのが分かる。

「…でも、カホが今は一人にして欲しいなら…」

 アリシアちゃんが不意に目線を逸らした。少しだけ寂しそうな声色だ。

 気遣ってくれている。

 ハリネズミの距離みたいに、私を傷つけないように、それでも支えてくれるように。

 弱いな…私は。

 この世界にも明るい部分はあって、それと同時に暗い部分もあるのに、それだけで心をこんなにも乱すなんて。

 どちらかだけを肯定するなんてしない。それだけを見つめることなんてしない。

 だけど、今は甘えさせてもらおう。

「ごめん。元気付けてくれる。本当は辛くて…倒れそうなんだ」

 私の言葉にアリシアちゃんが目を輝かせ、私を見つめてくる。

 手を大きく広げ、飛び跳ねる勢いで。

「じゃあ、一緒にご飯食べようよ!ここに来るまでに美味しそうなところあったんだ!」

 その言葉が温かくて嬉しかった。

 誰かと一緒にいるのことが、支えてくれることが。

「うん。ありがとうアリシアちゃん」

 私がお礼の言葉を言うと、アリシアちゃんは笑顔のまま少し照れたように頬を掻き。

「私こそ…ありがとう。頼ってくれて…」

 そう言ってから、アリシアちゃんは私の手を引き。

「行こうよ、カホ!元気がないときは、楽しいこといっぱいしようよ!」

 彼女に手を引かれて私も歩き出す。

 温かい小さな手が私に希望を見せてくれる。

 支え合うから人は生きていけるという言葉が実感できる。

 弱った時や困った時は誰かが助けてくれて、そんな人を見たら助けたくなる。

 きっと強い人ならそんなものは必要ないのだろうけど、弱い人はそれを求めてしまう。

 私のように弱い人はきっとこの世界にもいるから、そんな人の為にも助けられるような人になりたい。

 少しでも強くなりたい。心も体も全部。

 今はまだ助けて貰うだけだけれど、いつかアリシアちゃんの支えになれるように私も頑張ろう。

 教会を後にし、私達は遊ぶためにアルトヘイムの街へと進み始めた。

「ねぇ、アリシアちゃん」

 ふと思いついた言葉をこぼしてしまう。

 アリシアちゃんは「どうしたの、カホ?」とキョトンとした顔で私を見上げる。

「エアリス様のお話聞きたいかな」

 私の言葉にアリシアちゃんは目を輝かせ、自身満々な様子で。

「ふふん!カホもようやく興味持ってくれたんだね!エアリス様の凄い話…あ、そうだ!エアリス様が戦争を終わらせた話があるんだ!」

 そう言ってからアリシアちゃんはエアリス様のおかしくも、勇気のある話をしてくれた。



 カホとアリシアの去った後、学業の終わった教会を掃除しながら黒い外套の男、名前を捨てた奴隷商はため息をついていた。

「やれやれ、話をする暇もありませんでしたね」

 本当なら、ラーニャ達の話をしようと思っていたのに、と。

 また会う機会もあるだろうと軽く腰を伸ばしていると、不意に窓の外からこちらを覗く少女の姿を見た。

 私が見返すと、少女は慌てた様子で顔を引っ込め、走り去っていく。

 軽く首を鳴らし、そんな少女を見送る。

 それから夜になるまで掃除や、本の整理を行い、あとはここの主でもある修道士フィーネに任せる。

 街の外に出てまだカホさんがいないか探してみる。

 教会へと帰ってきた時に彼女は傷心していた。あれを見ればそれも仕方ないだろう。

 まさしくアルトヘイムの闇の一つなのだから。

 そんな彼女を少しでも元気付けようと、アリシアという少女が健気にも頑張っていたのは見ていた。

 だが、あの場所へと導いたのは私だ。だったら、本来ならば私が果たすべき責任だ。

 何処かにいるだろうか、と思いながら歩き回ったものの全く見つからない。

 ふとブラックマーケットの近くまで来てしまっていた。

 どうやら今日も開かれているらしい。ここから見るだけでも、奥で奴隷の売買がされているのが分かる。

 ふと、誰かにぶつかってしまった。

 物乞いの母娘だろう、ぼろきれのような服を身にまとった二人だ。

 一人…少女の方は見たことがある。教会を覗いていたあの子だ。

「あなたは…」そう言いかけて彼女の持つ看板のようなものに目を落とす。

 汚い字だが、そこには学校へ行きたいという思いが書かれていた。

「成程」とようやく合点がいった。

 少女は申し訳なさそうに目線を逸らしていた。咎められるとでも思っているのだろう。

「そういうことでしたら…」

 都合しましょう、とそう言いかけて不意に財布が軽いことに気付く。

「金がありません…」

 しまった、としか言えない状況だ。

 あのエルフの少女を買うのに無茶な使い方をした。宿代だけでもかなり苦しい。

 財布の中を見ても大銅貨1枚しかない。

 この1枚も、出来れば食事に使いたいが、

「これしかありませんが」

 仕方ないと割り切り、最後の一枚を少女に差し出すと、彼女は首を振った。

 無理にでも、と押し付けるように彼女の持っていた入れ物に大銅貨をいれる。

 中には物好きが入れたであろう、4枚の大銅貨が入っていたのが分かる。

 物乞いの少女は泣きそうな目で私を見上げてくる。

「なんで…皆優しくしてくれるの…?」

 その言葉に、今まで誰も見向きをしていなかったのが分かる。

 懸命な者であれば、こんな用途不明なものに大事な金を払ったりはしない。

 なら、私は愚かなのだろう。それでも、そうしたいからする。ただそれだけ。

 しかし、この少女が私のこの行動に意味を求めるのなら、答えるしかないでしょう。

「優しさに理由はいりませんよ」

 この行動に理由等ないのだから。

 それだけ言い残し、私はカホさんを探すのを諦めて宿屋へと向かう。

 彼女がもし学校に来られるようになれば歓迎しよう。

 そして、明日、フィーネに頼んでみましょうか。

 授業には生きる術も必要だから、裁縫等も教えらえないかと。

 授業で使う布地や食材くらいなら…なんとかしましょうかね。

 そして、何処の誰だかわかりませんが、見ず知らずであろう彼女に、その優しさを分け与えてくれたことには感謝したい。

 そして、願わずにはいられない。

 あの小さな少女が、いつか差し伸べられた優しさを繋いでくれることを。

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