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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第二十二話『三人の旅路』

第二十二話『三人の旅路』


 古の都アルトヘイム。その領内の街道を馬車が進む。

 長閑な天気、鳥が歌い、花が咲き乱れる中、馬車から一つの声が漏れ出す。

 その声を聞きながら、私…こと名前の捨てた奴隷商は思わず笑ってしまう。

「なんでよ!」と金糸のような長い髪を持つ、フードのある外套で身を包むエルフの女性、セフィラが声を荒げていた。

 その言葉は私に向けられている。

「アルトヘイムに直行じゃなかったの!変な太った人間に会ったと思ったら、いきなり取って返して近くの村で魔物討伐なんて聞いてなかったわよ!」

 説明する程のことでもないのですが、「情報の結果ですよ」と答えておく。

 冒険者『岩蜥蜴』から情報を買い、目的を話した結果、彼はこちらに付いてくれた。

 目的の値段に成りえる金額の提示や、相手の情報まで教えてくれただけでなく、目標を誘導までしてくれるそうだ。

 最近、頭がおかしくなった…と聞いていたが、私から見るに彼の善性が噴き出てしまっただけで、それは冒険者としておかしくなっただけで、人間的に見ると彼は牧師のようにも感じてしまう。 

 そして、その結果としてこちらの手持ちが不足していたので、近くの村と、レンツ子爵領でちょっとした金を稼いだだけだ。

 幸い、レンツ子爵領は前情報としてリザードマンの加工をすることが出来る町と聞いていたので、尻尾を高い値で売りつけることが出来た。

「それに一人で戦わせられるし!」

 セフィラがさらに文句を言ってくる。それは…

「いや、あなた一人で十分だっただけでは…」

 魔物の討伐時に、セフィラが勝手に前に出て、勝手に全滅させただけだ。

 もとより武器のない私は戦闘能力はないですし、もう一人の同行人である若い男性、変わった服装のアルベルトも戦闘能力があるのかどうか分からないですし。

 セフィラが騒いでいたものの、アルベルトから全く反応がない。

「アルベルトは何も能力はないの?」

 そう聞いていたが、多分、セフィラからすると話題が欲しいだけなのでしょう。

 アルベルトは静か過ぎる。自発的に会話することは余りないが、話しかければ応えてはくれる。

「俺は死なん」とアルベルトがきっぱりと言い切る。

「それ以外よ」

 セフィラが不服そうにさらに尋ねると、アルベルトは考えるようにひと呼吸を置き。

「…スキルという程ではないが、あの子から教えて貰った技はある」

「どういうの?」

 セフィラが食いついている。

 ここまでの道中、散々頭がおかしいと彼を罵ってはいたが、存外、彼の人間性は気に入っているのかもしれない。

 それか、彼と話さなければならない程退屈なのか。

「そうだな。今、何を持っている?」

 アルベルトの言葉にセフィラは自分の持ち物を確認するように。

「そうね。矢とあと着替えくらいかしら?」

 そう答えていた。

 私は何となくそれで答えが分かる。恐らく、『スティール』だろうと。

 ハーフリングが得意としていたとされる、離れた位置にある小さなものを音もなく引き寄せるスキルだ。

「なら、それにするか」とアルベルトが答える。

 実演する気だろうか?

 彼は中々エンターテイナー向きなのかもしれない。

「え?」とセフィラが声をあげた。

 スキルを使用したのだろうか、と視線を向けるが、アルベルトはセフィラと向き合っているだけで、特に何かをした様子はない。

「エルフ…セフィラはアルトヘイムで何をするんだ?」

 アルベルトの質問に何をいまさらと言いたくなる。

 セフィラも少し間答えに窮していたものの、

「え?言わなかったかしら?仲間のエルフを助け…」

「いや、聞いていた」

 アルベルトがそれを制するように声をあげる。

 セフィラは怒ったように手を振り上げ。

「なら、何で聞いたのよ!」

 そう声を荒げていた。

 私はそんな二人を微笑ましく見ていたものの、不意にアルベルトが手を広げてみせた。

「ほら」と彼が言いながら手の中にあったものは、女性物のショーツだ。

 私は言葉に詰まり、茫然としてしまう。

 セフィラはというと放心しながら、指をさし。

「…それ…私の?」とアルベルトに確認した。

「ああ」とアルベルトが臆面もなく頷いて見せてから、困ったように眉を潜め。

「すまんな。お前の隙が少なくて、荷物の中のこれしか…」

 言っている間に乾いた音が鳴り響いた。彼の頬にセフィラの平手打ちが直撃していた。

「痛いな」とアルベルトは顔色一つ変えずに不平を申し立てていた。

 セフィラは顔を赤くし、手を振り上げ何度も彼を叩き始め、

「この変態!スケベ!むっつりアルベルト!」

 スケベやむっつりかはどうか、というのはさておいて、確かに表情一つ変えずに女性の下着を盗むのは変態ではあるだろう、と納得してしまう。

 アルベルトは押し付けるようにセフィラに下着を返すと、

「一応手先は器用でな。物を盗むことは出来る。不死の俺には必要ないが回復薬くらいなら簡単に盗める」

 言い訳のような内容ではあっても、その利便性の凄さには感心した。

 彼はスキルなしに盗んで見せた。それも、セフィラから。

 元々、セフィラの警戒心が強いことは知っていた。レンツ子爵領では最後までエルフであることを隠し、彼女が一人で戦わされたとぼやく戦闘でも、基本的に彼女には隙が無く、戦いながらも周囲を見渡し警戒を怠らないからこそ私達が必要なかった。

 勘も鋭く、死角からの攻撃すら避ける彼女だ。

 そんな彼女から、スキルもなしに気づかれずに盗むという余程の技量をうかがわせられる。

 ただ、いかんせん盗んだのがショーツというのはいただけない。そっと視線を逸らして見なかったことにした。

 一応、私も元とはいえ敬虔なエアリス教徒だ。女性を辱めるような行為はしないし、女性が困る姿等は見たくはない。

 エアリスの逆鱗に触れたとすらしている逸話では、ハーフリングがエルフのスカートを捲り、下の布地を露わにしたことから普段怒らないエアリス神から折檻を受けた…という話もある。

 女性への恥辱は時に仲間からすら反感を買う。または親しき仲にも礼儀あり…ということだろう。

「矢があったでしょ!?」

 セフィラが大声で問いただしているのが聞こえる。

「盗ろうとしたんだがな」とアルベルトは言ってからひと呼吸置く。

「あんたが大切にしている矢を盗みきれなかったよ」

 彼がそういうとさすがのセフィラも静かにしていた。

 彼にとっては称賛なのだろうが、セフィラは多分呆れている。

「下着の方が思い入れが少ないのでしょうね」と思わずため息混じりに言ってしまった。

 言ってからしまった…とは思ったものの、振り返るとセフィラは頬を膨らませ…怒っている。

「私はふしだらな女じゃありません!」

 プイッとそっぽを向かれてしまった。

 失言だった。あの子達と別れてから旅が少し寂しくなってしまっていた。

 そして彼等と出会ってまた楽しい旅になってしまった所為で、私の口は軽くなっていたようだ。

「別に、セフィラがそうだとは思ってはいない。下着なんて布だろ。恥ずかしがることか?」

 アルベルトがまたいらないことを言っている。

「アルベルトは黙れ!」

 セフィラの大声が響き、思わず私もおかしくて笑ってしまう。そんな会話をしている間に気付くと城壁が見えてきた。

 古い城壁。エアリス神が一番最後に造ったとされる南側の城壁だ。

 エアリス神としては南側からの日の光が気持ちよく洗濯物がよく乾くので、造りたくなかったらしいが、魔物が攻めてくることを憂慮したエルフによって説得され造ることになったらしい。

 私の故郷アイリスではもっとエアリス神は威厳のある神話が多かったが、アルトヘイムに来てから彼女の意外な一面ばかり聞かされる。

 それらがどうも心地良く、彼女ならきっとそうなのだろうとも思ってしまう。

 聖王国に伝わる…いや、元々信じてはいなかった上に、アイリス皇国でもデマだと決めつけていたが、『聖王国出身で没する前に戻られ余生を過ごし、勇者クレスとの間に子をもうけた』というのが嘘だと確信出来る程に。

 アルトヘイムでエアリス神の話を聞いている限り、彼女には聖王国の掲げる勇者の使命よりも、この国のように自由という言葉がよく似合う。

 だからこそ、最もエアリス神が信仰されているこの国でも、彼女の没した話は『旅に出てそのまま戻らなかった』とだけ伝わり、そちらの方が真実だろうというのが頷ける。

 それくらいエアリス神は自由な存在だ。

 そう言えば、噂程度だが最期の地の一つとされているのが、シノの村がある山だと聞いたことがある。

 この前行った時に確認すればよかったかもしれない。

 城門に近づくと、不意に白いドレスが目に入った。

 兵士ではない女性が門の前に佇んでいた。

 豪奢ではないものの品の良い、透き通るような白地のドレス。銀色のようにも見える白い髪。そして呪われた月のように赤い瞳。

 顔立ちは整っているものの、浮世離れした雰囲気があり声を掛けるのには戸惑われるだろう。

 私が近づくと、女性は一度だけ馬車の中に目を通し、

「旅人か、何の用だ?」

 そう尋ねてきた。静かだが何処か刺すような雰囲気のある声だ。

 女性の質問に答えようとしたものの、女性は自分の胸に手を当てて。

「私は修道士フィーネだ。旅の目的を聞きたい」

 見ず知らずの相手に物を尋ねるのに、まず挨拶をする。それには若干ながら好意を持てる。ましてや相手は修道士…

 そこまで考えてふと嫌な感覚を覚えた。

 アルトヘイムにおいて…呪われた月のような瞳と、白い髪。そして修道士。

 覚えがある。考えがまとまると冷や汗が出る。

「アルベルトだ。お初にお目にかかる」

 不意にアルベルトが自己紹介をする為に馬車から降りてきた。

「ちょ!アルベルト黙れ!」と慌ててセフィラも馬車から飛び出した。

 セフィラはフィーネの前に立つと慇懃な態度になり、頭を下げてから。

「フィーネって…あのエアリス教会の『呪われし騎士』フィーネ様ですか?」

 そんなセフィラの言葉にフィーネは軽く笑いながら、

「その名前で呼ぶのは辞めてくれ。もう剣を置いた身だ。今の私には大層過ぎる」

 当たっていたのか身震いすらする。

 『呪われし騎士』の二つ名を持つ修道士フィーネ。元はと言えばアイリス皇国と中央国との対立から始まった12年前のアルトヘイムと中央国の戦争における英雄の一人だ。

 『血染め』と呼ばれる真紅の剣を持ち、血を纏い戦う姿には戦慄すら覚え、ハーフリングと並び中央国にトラウマを植え付けた人物でもある。

 しかし、彼女は12年前の戦争と同一人物であるとするならいったい今幾つなのやら。

 どうみても彼女はまだ10代後半にしか見えない。

 セフィラが失言だと思ったのか、自分の言動を頭を下げて謝罪していたが、フィーネは気にしていないといった雰囲気を見せた後、

「仕方なかったとはいえ、この呪われた血で2度の戦争に加担し、そして多くの命を奪うことになった。それをもって私を『呪われた子供カースチャイルド』と呼ぶのであれば素直に受け入れよう」

「そういう訳じゃないです!えっと…」

 セフィラはどういう訳か、彼女に畏敬の念すら覚えている。しどろもどろになっている彼女では話が進まない。

「セフィラ。ここは私に任せて下さい」

 私がセフィラに声を掛けてからフィーネ修道士に頭を下げてみせる。

「失礼を承知で尋ねますが、エアリス教会の切り札…フィーネ修道士で宜しかったでしょうか?」

 私の言葉にフィーネは軽く頷くものの、少しだけ眉を潜め。

「その呼び名も廃れている。ハーフリング達がここを去ってから、オーク達も離別し、私の戦う理由はもうないんだ」

 気に障った訳ではなさそうだが、彼女が剣を置いたのは本当らしい。

「失礼しました。私は奴隷商をしています。この町には買い付けと食料等の補充を考えて2週間程の滞在を考えています」

 私の言葉にセフィラが慌てた様子で私の外套を引っ張ってくる。そこまで彼女にはいい恰好をしたいのだろう。

 フィーネは少しだけ考えた様子を見せ、

「そうか。奴隷商だったか」と一言。

「それにしては商品になりそうなものが教材しかないな」

 そう言われて、確かにとしか言いようがない。前の町で売れる物は殆ど売ってしまっている。レンツ子爵領も魔物の襲撃により復興中だったことから喜んで受け入れてくれた。

「…ええ。目がいいのですね」

 素直な称賛をしながらも呆れるようにしてみせると、フィーネは軽やかな笑みを浮かべ。

「一応、門番の仕事と称して、兵士達に頼み込んでここにいる。目ざとく見てしまいすまない」

「何か理由でもあるのでしょうか?」

 私がそう尋ねると、フィーネは自然と。

「とある人を探しているんだ。」

 人探しと言われて少しだけ疑問が浮かぶ。彼女程の者だ。

 教会の伝手を使えば簡単に見つけられるのではないだろうか、とそう思ってしまう。

 それでも自ら外へと出て来て探す程の人物…しかも、態々兵士の真似事をしてまで門で待つのは不合理とも思える。

「おやおや。どういった方ですか?」

 興味半分に聞くと、フィーネは嬉しそうに少し表情を緩めた。

「それがね、ハーフリングが帰ってきてくれたみたいなんだ」

「ハーフリングが!?」

 その言葉には驚いたものの、しかし少しだけ合点がいった。

 フィーネの親友とも言える者には心当たりがある。

 共に戦場を駆け抜けた相棒であるハーフリング『宵闇の担い手』。

 確かにあの戦友が帰ってくるとなれば彼女がここで待つ理由も分かる。

「ここに来た冒険者が誤解を解いてくれたみたいだ。私は、その冒険者に一言お礼を言いたい、そう思ってここにいるんだが、これが中々会えなくてね」

 そんな私を見透かしてか、彼女はやんわりと否定した。

 ただ、また驚かされたことにはなった。

 ただでさえエルフ以上に警戒心の強いハーフリングを説得出来る冒険者がいたとは思えなかった。そんな…ことをしそうな友人ならいるのだが、さすがに彼女とは思いたくない。

「おっと、そろそろ仕事の時間だ。すまない、ここで失礼するよ」

 フィーネは軽く一礼をして去っていこうとする。その姿をセフィラが物寂しそうに見送っていたが「何の仕事だ?」と唐突にアルベルトが口を開いた。

「アルベルト!」

 セフィラが激高したようにアルベルトを諫めるような声をあげるものの、アルベルトは首を傾げ。

「礼拝の時間はもうとうに終わっている。」

「あぅ…」

 今度はセフィラが諫められていた。

 言われ見ればそうなのでアルベルトの不思議な着眼点には驚かされる。

「仲がいいのだな」

 フィーネはそんな私達を見てクスクスと上品に笑いながら、

「教会で子供達に教師をしている。簡単な読み書きくらいなら教えられるからな」

 その表情には何処か嬉しそうな色が見て取れる。彼女自身が戦い以上にしたかったことなのだろう、とその雰囲気だけで分かる。

「金はとっているのか?」

 アルベルトがさらに聞くと、フィーネの表情が暗くなった。

「お恥ずかしながら。形上、大銀貨1枚を入学費用とはしている」

 その言葉から察するに…いや、彼女の態度から見てもそれは本来したくないことなのだろう。無償で子供達に読み書きを教えてあげたい、という彼女の意志はくみ取れる。

 そうなれば教会から無理矢理そう言われているのだろう。

「子供達の未来の為に開いているのにな…」

 愚痴のようにフィーネがそうこぼしていた。

 不意に彼女…いや同じエアリスの信徒として。

「もしよろしければ…ここの教材を一冊を買いませんか?」

 私の言ってしまった言葉にフィーネは顔を上げた。その表情は少し明るい。

「いくらだ?」

「一冊あたり大銀貨1枚でどうでしょう」

 セールストークも忘れて、ただただそう聞くとフィーネは少し考えるようなそぶりを見せた。

「安いな」

 その言葉通りだ。本は一冊安くても大銀貨1枚と銀貨5枚はする。

 ましてや私の選んだ教本だ。大銀貨3枚でも安いくらいだ。

 フィーネは少し考えた後に、軽く首を振り。

「いや…成程な。口添えはしないが私は歓迎するよ」

 そう言ってから、少しだけ困ったように。

「手持ちがないんだ。期待させてすまない」

「いえ。お願いします」

 そう言って、自分の失態に気付く。

 興奮していた。彼女のような子供の未来を憂い、何とかしようと行動している人が、ここにもいることが嬉しかった。

 恐らく彼女も教会から離れられることがあれば、きっと…その愛を無償で子供達へと注ぐのだろう。

「君は牧師が似合うだろうな。…いや、忘れてくれ。その仕事にプライドを持っているのだな」

「ええ。勿論ですよ」

 彼女の言葉には力強さというものはないが、私にもその意志の強さと優しさが伝わる。

 さすが、人間の代表として部族間の会議に列席を認められていただけはある。

 フィーネは会話が終わると、自分を待っている子供達の方へと歩いて行く。

 不意にセフィラが前に押し出されるように出てきた。

 セフィラ自身も驚いた顔をしていたが、それがアルベルトの仕業と分かると彼女は一度だけアルベルトを睨んでいた。

 そして、私もセフィラも見てしまった。

 アルベルトが強い瞳を…セフィラを勇気付けるように視線を送っていることを。

 無言ながらも彼は、後悔をしない選択をするように、と告げている。

 セフィラは一度戸惑っていたもののフィーネを真っすぐに見つめ。

「あの…フィーネ様!」

 彼女が必死に声をあげるとフィーネは再度立ち止まり、「どうした?」と振り返った。

 セフィラは似合わない、といっては本人に悪いが、照れた様子で相変わらずしどろもどろしながら、

「セフィラと言います」

 そう口に出した。そう言えば名前を捨てた私ならともかく、名乗っていなかったな、と思ってしまう。

 セフィラは必死に言葉を出そうと足掻いているものの、緊張からか言葉にならない、吃音のようなものを何度も出していた。

「その…これを…」

 意を決した彼女がフィーネに抱き着く勢いで迫り、被っているフードを僅かに開けた。

 恐らく、それでアレが見えたのであろう。エルフの特徴的な耳が。

 フィーネは目を丸くしていた。

 そして、嬉しそうに口元を緩めるとセフィラを抱きしめ。

「会いたかったよ…ありがとう」

 セフィラはそのまま彼女の体に手を伸ばし、抱きしめ返すと。

「私もです。父からよく聞いていました。私達の仲間…アルトヘイムの人間達の誇りだと」

 泣きそうな嬉しそうな声が聞こえてくる。

「そうか…」とフィーネから声が漏れてきた。

 少しの間二人はそうして抱き合っていたのだが、フィーネは少しだけ名残惜しそうに離れ。

「今日、半日だがここにいて良かったよ。ありがとう。心優しい奴隷商。アルベルト。そして、セフィラ」

 彼女の言葉にセフィラは大きく頷き。

「はい…!」と泣きそうな声が響いた。

 余程嬉しかったのだろう。セフィラがどれ程フィーネのことを思っていたのかは分からない。そんな素振りすら聞いていなかったが、本当に彼女と会いたかったことは分かった。

「しかし、2週間だけか…。少し寂しいな」

 今度はフィーネが名残惜しそうな表情をする。

 彼女にとってもかつての盟友との出会いが嬉しく、別れが必定となるとやはり思う所もあるのだろう。

「あの!」とセフィラが声をあげる。

「いつか、必ず…!ここに戻ります!仲間を…村の再建が終われば…必ず!」

 必死に彼女らしくなく、子供のように誓いを告げるとフィーネは満足そうに頷き。

「待っているよ」

 そう言い残して彼女は教会へと向かっていった。

 かつての英雄の後ろ姿を見送り私達も本来の目的を達成させるために…とりあえず馬のおける宿屋を目指すことにした。

 道中でセフィラに声を掛けたものの、少し彼女を励ますような、いじるような会話になっていまったが、明るく返してくれた。

 これから少し辛い場面を見ることになるだろうが、その明るさなら大丈夫だろうと思える。これも試練へのエアリス神の導きなのだろうか。


 宿を取り、馬や荷物を置いてから、装備と金だけを持って通りを歩く。

 通りの向こうでは露天商等が声をあげ、荷車を引く女性なども見える。

 戦争中だというのにこの国はいつもの姿を示そうとしている。それがこの国のいいところでもあるのだろうが。

 不意に声が聞こえてきた。なにやら騒がしい。

「号外だよ!近くに出た土蚯蚓をドランがやったらしいぜ!」

 そんな内容だった。

 土蚯蚓と聞くと中々に厄介な魔物だったと覚えている。一枚だけビラを拾うとそこには『魔術武具マジックウェポン』であろう武器を携えた若者が写っていた。

 まるで現実を切り抜いたかのような絵に関心していたものの、若者は少し照れた様子を見せてはいるが体には傷一つない。

 実力のある冒険者もいるものだ、と私の良く知る冒険者の少女と思わず比べてしまう。

 あの子は実力はないものの、それを心で支えている。私としてはそう言う若者の方が好ましい。誰かを守る為に最大の力を超えるような。

 それにしても土蚯蚓程の魔物が近くで見かけられ、それを討伐したとなれば、号外には違いないか、と思ってしまう。

 私にもある程度の剣があれば倒せるだろうが、相手は余りしたくない。

 土蚯蚓は硬い上に動きも俊敏であり、攻撃方法も多彩だ。

 きっとあの少女では太刀打ちできないだろう。

 通りを進みながら、ふと何故こんなことを思ってしまったのだろうと思わず自分を嗤ってしまう。私も年だろうか。

 通りの奥へと進み、少しだけ時間を潰す。

 目標の出てくる時間は夕方だ。そして目の前で冒涜的な行為をするのを好むと聞く。

 時間を誤ればショーの途中で手が出せない。早すぎれば、警戒される可能性もある。

 そんな中で、アルベルトに一応指示を与えておく。

 内容としては『勝手は控えて下さい』と伝えておいた。

 勝手に動くことはないだろうが、一応保険として。

 『岩蜥蜴』の情報通りに進んでいくと、アルトヘイムでも吹き溜まりとさえ呼ばれる裏道を通り、ブラックマーケットへと進む。

 珍しい武具やアイテムが立ち並ぶ中、奴隷商達も見かける。

 どいつもこいつも、と思うがこれは仕方ない。

 アイリス皇国が中央国に喧嘩を吹っ掛けた理由の一つとして奴隷解放がある。

 中央国では奴隷がなければ国が傾く程、貴重な労働力として奴隷の存在がある。

 元々、奴隷のような…捨てられた民の地であったアイリスとしてはそれを見過ごせず、『奴隷解放運動』を始めた。

 その結果、中央国に目を付けられてしまい、侵攻ルートの関係上とばっちりとしてアルトヘイムが戦争へと巻き込まれた。

 その戦争の終結…魔王が攻めてきたことからの両国間の停戦の約定には奴隷制の認可が含まれていた。

 アルトヘイムとしては元々廃れていた文化だったので認可し、あくまでアルトヘイムで奴隷を持つには国民のみとして風化をさせようとはしていた。

 つまり私のような流れの奴隷商は売ることに問題は全くない。そして、買うことは出来るが、商品として持つだけで、実際に奴隷として扱うことは禁止されている。アルトヘイムの国民ではないからだ。

 しかし、これが国民なら話は別だ。国民として奴隷を持てる以上、売るまでの間は好きにできるという。

 ビースト達がここを離れ、魔王軍へと渡った理由でもある。彼等は不義理や不条理を嫌う。

 彼らの目にはそういう風に映ってしまったこの約定を改正しようと努力すらしていたと聞く。

 そもそも彼らには家畜すら納得いかないという種族ではある。よくそのことについてオークとはぶつかっていたらしい。

 生あるものは自由に生き、戦い、死ぬべきだ、というのが彼等ビーストの考え方だ。

 残念ながらアルトヘイムは、情報戦で強い中央国によりしてやられている。

 元々開かれた国だ。移民は当然のように受け入れていた。

 結果、中央国や聖王国から奴隷商が流入し、勝手に国民を名乗り、または戸籍を裏から買い、住み着いている。

 そして、異種族が多いからこそ、その奴隷制が主に変態商人や変態貴族から受け入れられ、発展しているという笑えない状況となっている。

 異種族が去った後もそれは変わらない。変態嗜好に近い奴隷を被虐的に売る。

 ここではまさにそうだ。

 服を脱がされ絶望しきったような者達がそこら中に見られる。

 そういう意味では中央国の奴隷はまだマシだ。

 体系化された奴隷制度があり、売られる奴隷も品をなるべく良くし、品質を良くしようと努力している。それが商業努力というものだ。

 しかしここでは違う。一部の人間に売る為の嗜好品のような市場であるから、人の尊厳を踏みにじる為の奴隷売買と言ってもいい。

 はっきりいってここにいるだけで虫唾が走る。

 ラーニャを初めてみたのもここだ。

 彼女は泣くことも出来ず、ただ茫然として、怒りだけをその内に秘めていた。

 歩いて行くと、大声で奴隷を売っている太った奴隷商がいた。奴隷商は大声で自分の商品を蹴りつけ、下卑た言葉を吐いていく。

 そして、その奴隷商の足元には、服を脱がされ四つん這いにされたエルフが彼の靴を舐めさせられたい。

 体中傷だらけであり、乱暴されたような痕もある。

 年はセフィラよりもかなり幼く見える。そんな少女が絶望しきった瞳でただ機械のように動いていた。

 腸が煮えくり返りそうだ。

 下種が…と言葉を言おうとしたところで、不意にセフィラが私の前に出た。

 その瞳が怒りに打ち震え…殺気なんて生易しいものを超えたものを放っている。

「許せない。私が…」

 彼女がゆっくりと黒鋼の弓を取り出した。

 この距離だ。間違いなく彼女はあの奴隷商を討ち取るだろう。それどころかそのまま彼女の感情のままここにいる人間を皆殺しにすらしてしまうだろう。

 ここに来るまでにセフィラは何度か年若い奴隷から視線を向けられ、それだけで心を乱していた。そしてその都度に歯がゆさを押しとどめ、怒りと泣きそうな表情をしていたのだから。

 美しくて強そうで…そして何よりも優しそうな彼女に惹かれた奴隷も多いのだろう。

 酷い話だが、彼女に縋りつくようにその手を握った少年もいた。

「お願い買って」

 そう言われた時に、セフィラの強がりは限界を迎え、膝を折り、その奴隷の少年の体を抱き留めていた。

 金に余裕さえあれば良かったのだが、彼女を引きはがし、少年の奴隷を見捨てるので精一杯だった。

 そんな心を乱しきったセフィラに。

「オークのような考えはやめて下さい」と私が諫めたものの、セフィラは関係ないとばかりに弓を持つ手を放そうとはしなかった。

 これは失策だ。彼女にはオークの友人がいた。

 そうなろうが関係ないのだろう。むしろ、誇る位だ。

 そう考えている時点で私がここに対する憎悪を抱き、あわよくばと思っているのが分かってしまう。

 私もここの奴等と一緒で下種だ。人の事を言えない。

「フィーネさんへの手前もあるだろう。出禁になりたいのか?目的を忘れたか?見捨てていいのか、あの子を?」

 アルベルトの言葉にセフィラはビクリと震え、ようやくこちらを見てくれた。

 上手い物だ。ただ、そのアルベルト自身がかなり正常ではない。

 先ほどから見せる、彼らしくない鋭い眼光はこちらの肝が冷える。

 ふと、セフィラがエルフの少女を見つめた。そして、驚いたように目を開ける。

「あの子…まさか」

 何かに驚いている。

 不意に私の肩を誰かが叩いた。視線を向けると太った冒険者『岩蜥蜴』がそこにいた。

「らしくないぜ。笑えよ」と耳打ちしてくる。

 姿を見ないと思ったら隠れていたのだろう。

 彼はゆっくりとした動きながら、自然とした動きで太った奴隷商の方まで歩いて行く。

 思わず私は彼に言われた通りに笑みをこぼしてしまう。

 腕利きの冒険者であり、私達アイリスの放蕩騎士を壊滅まで追い込む程の実力の保持者が、満面の笑顔を向けてきたのだから。

 さて、戦いを始めましょうか…。

 私は意を決して太った奴隷商の元へと近づく。

 不遜且つ大胆に。

 厭らしく、奴隷商であることを前面に出して。

 私の出来る限りの醜悪で邪悪な笑みを浮かべながら。

 さぁ、勝負と行きましょうか。蹂躙してあげましょう。聖王国の奴隷商よ。

「困りましたねぇ」

 そう言いながら近づく。そして、さらに『岩蜥蜴』経由で得た聖王国の紋章の入ったペンダントを見せつける。

「何のようだ!俺の奴隷をどうしようが…」

「あなたはアルトヘイムの人ですか?」

 怒ったような口調の太った奴隷商を無視し、私が言葉を発する。

「ああ?そうに決まってるだろ。ここでは奴隷制が…」

「ええ、買いに来ました。その子を」

 そう。認められているなら、咎める必要はない。

 私は奴隷としてエルフの少女を買うと、指をさしてみせる。

 ここにあのシノの村の小娘…フローリアがいればきっと私は膝を折るでしょう。

 いや…いてくれたら完膚なきまでにこの男を舌戦で叩きのめすのでしょうね。

 ですが…あなた程度の足元しか見れない相手なら、騙すなんて訳ないんですよ。

「…は?」太った奴隷商が声を上げる。

 掛かった。一度、『岩蜥蜴』に目配せをしてみせると、彼も頷いた。

「お前さ、何言ってるのか分かってるのか?こいつはエルフの…」

「幾らでしょう?」

 矢継ぎ早に次の話へと進める。

 考える時間など与えない。

 きっとカホさんとの出会いはこの為にあったのだと信じている。

 カリデの村で人を信じることに気付かされ、アルベルトとセフィラと出会い、かつての宿敵『岩蜥蜴』ですら巻き込んだ。今の私の仲間達を舐めるな。

「は!大金貨10枚だ」

 太った商人が声を荒げる。それに反応するものは半分以上だ。

 口々にざわざわと余りの値段に口を開く。そして、何人か…いや奴隷商達は小ばかにしたように笑っている。

「こいつはすげえ値段だな!皆、聞いたかよ!たかだか奴隷一人で大金貨10枚だってよ!バカじゃねぇのか!売れる訳ないよな!物価の高いアルトヘイムっていってもよ!」

 『岩蜥蜴』が大袈裟に騒いで見せた。周りの数人が彼を嘲笑する。

 ここまで来れば勝った…いや買ったも同然だ。

「ほう」と言ってから私は少しだけ思案するような恰好をしてみせる。

 太った奴隷商は私を追い払う様に手を動かし。

「分かったらとっとと…」

「ではこれで」

 そう言いながら投げつけるよに金貨の詰まった袋を放つ。

 太った奴隷商は何があったのか分からない様子だった。

 袋を受け取り損ねて中身の一部がこぼれだす。

 『岩蜥蜴』がワザとらしく下卑た声を上げ、大金貨を拾いあげ、声をあげる。

「おお!?すげぇな!初めて見るぜこんな上等な大金貨!」

 彼が声を上げてから、太った奴隷商に怯えるように大金貨を返す。そして、ワザとらしく揉み手をし「俺、鑑定スキル持ってるから、調べましょうか?銀貨1枚でいいですよ」と笑みを浮かべた。

 思わず呆れそうになる。その位置なら貴方ほどの腕なら10回は息の根を止めれているでしょうに。

 そこまで自分の尊厳を捨てては欲しくなかったというのが本音だ。

 あの名前を二つ名としているあなたには。

「買い付け成功ですね。さぁ、行きましょうか」

 言いながらエルフの少女の手を強引に引く。

「お前…!」

 と太った奴隷商が声をあげる。

 待ってましたよ。思わず笑みを浮かべてしまい、相手の太った奴隷商が引いた。

 どうやら私は相当悪どい顔をしているのでしょう。

 まさに好都合というものです。

 セールストークではありませんが、折角です。気持ちよく演説でもしましょうか。

「おや?ここはアルトヘイムですよ?聖王国であれば話も違いましたが聖王国流のジョークのつもりでしたか?いやはや学がないですねぇ。アルトヘイムでは売り物にならない物は鋭銅貨1000枚というのですよ?そんなことも知らない人がいるとは思いませんねぇ、あなた、アルトヘイムの人なのに?」

 最後を強調し、太った奴隷商を指さして伝える。

 そうアルトヘイムの国民であるなら、始めから売らないものへの流儀がある。

 エアリス神の取り決め。この国がまだ1000人程しかいなかった時の無理難題が。

 言い返せなかったのではないだろう。ただ、混乱し何と言えばいいのか分からないのだろう。

 それもそのはずだ。下手にアルトヘイムの住人ではないと言えば私はこのまま王城か、国営の冒険者ギルド『金の翼』に報告するだけの話だ。

 はたまた、幸運なことに出会えたかつての英雄である『呪われし騎士』フィーネという選択肢もある。認めることが”詰み”なことくらい分かってはいる。

 だからこそ足元を掬うのは簡単だ。

「さ、買い付けは終了です」

「金が本物か…」

 そう来るか、と『岩蜥蜴』を一度見るが彼はニヤリと笑う。

 だが、彼は何も言わない。

 もう少し痛めつけろ、ということだと分かってしまう。

 彼も人が悪い。そんなにこの奴隷商に酷い目を合わせたいならあなたがすればいいことだろうに。

「エアリス神に誓いましょう!」

 いきなり大声で、天を指し示すようにポーズをキメて見せる。

 それに周りがポカンと口を開けた。『岩蜥蜴』に至っては大笑いを必死にで押さえている。

 これは人の悪い『岩蜥蜴』への意趣返しでもあるので、私は満足してしまう。

 太った奴隷商は少しの間戸惑っていたが、不意にニヤリと笑い。

「はん、どうだか?」

 そう言い返してきた。それが墓穴と思わないのでしょうか。

 まぁ、混乱しているのでしょうし、仕方ない。

「何も言わないのですねぇ。ここアルトヘイムでは神への誓いをエアリス”様”というのが普通ですよ?私達の友人の一人として彼女を扱うのです。アルトヘイムの国民であれば普通じゃないでしょうか?」

 諭すように、教えるように伝えると太った奴隷商が顔を赤くし掴みかかってくる。

「貴様!」

 どうやら私程度であれば暴力でなんとかなると思ったのだろう。

 こう見えても元『アイリス護教騎士団』の一人であり『アイリスの放蕩騎士』なのですがね。

 暴力で解決は好きではないですし、何よりもまだ勝利していない。

 暴力を振るえば、エルフの少女もまた暴力により支配者が変わっただけと思うだけだ。

 それでは駄目だ。子供の成長を第一に考えるのが私だ。

「一応言っておきましょう。私はアイリス皇国から来ました。国に認められない奴隷商を生業としている者です!ここにいる皆さん…”アルトヘイム”の国民の皆さんも、私の顔をまた見ることになるでしょうから、どうぞよろしく!」

 大声で言ってから「失礼」と太った奴隷商の男の手を振りほどく。

 簡単に振りほどかれたのが余程驚いたようだが、確かに力は強い。

 元兵士だろう、とは思っておいた。

 エルフの少女の手を再度取る。

「待て!」

 そう言って、太った奴隷商が何人かの護衛を呼び出していた。

 数は4人。楽勝でしょう。

 なにせこちらに腕利きがいる。

「やりますか?商談は成立し金も払った。もしやるというならそれは暴利です。なにせたった一人の奴隷にこちらは大金貨10枚も払ったんですから。そこに暴力まで求めるとなるとこちらも抵抗せざるを得ません。なんならこちらの腕利きの…」

 私が中身のない演説をしている間に、何かが駆ける音と、そして何度かの何かが倒れる音がした。

 嫌な予感が…と思っているとアルベルトが立っていた。

 そして私に掴みかかろうとしていたであろう護衛4人が倒れていた。

「終わったぞ」

 いつもの口調より鋭く、怒りを抑えているような言い方だった。

「は?」と声をあげてしまう。

 一度、セフィラに目配せをすると、見ていたであろうセフィラですら目を何度かしばたたかせていた。

「魔法?」とセフィラでさえ言っている。

 一人の護衛が体を起こす。アルベルトはその護衛を覗き込むように見つめ。

「まだやるか?」

 呆れるような言い方だった。

 太った奴隷商がその護衛に近づく。多分、ここにいた誰もが見ていたのに分からなかったのだろう。

 護衛が恐怖に表情を引きつらせアルベルトを指さす。

「こいつ!触れずに…触れずに投げ飛ばしやがった!」

 叫びに似た声に周りがザワつく。

 私はというと、彼の考え方だけでなく実力まで化け物じみているとは思っていなかった。

「この!舐めるな!」

 不意に一人の護衛が剣を抜きアルベルトに斬りかかる。

「俺は別に構わんぞ。退屈していたからな」

 そこまでは想定していなかった。私の脇から『岩蜥蜴』が咄嗟に飛び出そうとするものの、慌てて彼も足を止めてしまう。

 そう、ここで彼は荒事になっても私達を助けられない。そういう約束だ。

 セフィラも慌てて弓を抜くが到底間に合わない。

 武器を持たない…いや、持つことすら嫌うアルベルトがどう対処できるというのだ。

 アルベルトが一歩前に進む。そして、片手を軽く伸ばし、相手の肩に触れたと思うと、そのまま剣を抜いた護衛を地面に叩き伏せた。

 腕に力を入れてはいないのは見て分かる。まるでそうするのが当たり前のような動きだった。

「あ…が!」

 倒れた護衛は白目をむき、そのまま動かなくなってしまう。

「正義の味方気取りが!」

 護衛の一人が声を上げた。アルベルトは事も無げに、興味なさげに。

「別にお前達が悪いとは思っていない。商売としては正しいのだろう。だが、やったツケは払ってもらおう」

 言っている間に立ち上がろうとした護衛が軽く顎を叩かれただけでそのまま倒れ伏した。

「…その子の心の痛みだ。お前達もな」

 アルベルトがそう言いながら周りで見ていた商人達を一瞥した。

 商人達が慌てて店じまいをし、奴隷を引き連れて出て行ってしまった。

 正直頭が痛くなる。

 ここに来るまでにアルベルトのことはある程度聞いていたが、情動が死んでいる…なんて自分で言っておきながら、ここまで怒りには正直とは思わなかった。

「お前…なんだ?何者なんだ!」

 太った奴隷商が口を開くとアルベルトが腕を振り上げる。

「俺か?『勇者』だ」

 そう言いながらアルベルトは素早く拳を引く。太った奴隷商が顔を隠したものの、それは突き出されることはなかった。

 後ろから彼を羽交い絞めしようとしていた護衛が鳩尾を突かれそのまま蹲った。

 ここまで来ては…もう自棄だ。

 暴力で解決はしたくなかったのだが、仕方ない。華麗な脱出劇でも見せようとしたのに失敗だ。一度『岩蜥蜴』を見てみたが、彼は呆れるように、親指で行けと指示してくれた。

 私はエルフの少女を強引に立たせる。

 見るも痛ましい傷が目立つ。特に一部は酷いものだ。

「さて、行きましょうか!さぁ、あなたは今日から私の奴隷です。まずはその恰好から正しましょうか、とりあえずこれを」

 羽織っていた外套を被せたものの、私を見る目に光は戻らない。

 ただ、機械的にそう従っているのだろう。

「そんな目で見るのですね」と思わず溢してしまった。

「では行きましょうか。お転婆お嬢様、手を引いてあげて下さい。下卑た私や女の下着を顔色一つ変えずに手に取る男では可哀そうでしょうし」

 私が声色だけは明るくそうセフィラを名指すと、

「誰がお転婆よ!」

 そう言いながらセフィラはエルフの少女に近づき、その手をしっかりと握った。

「セフィラが以外に誰がいるんだ?」とこれはアルベルト。

 その表情には少しだけ安堵に似た色が浮かんでいる。声も少し柔らかい。

「あなたねぇ!」

 セフィラが声をあげ、エルフの少女の手を引きながらアルベルトの元へと行くと、アルベルトは首を傾げ。

「お嬢様は女性に使う言葉だろ?」

 それは…まぁ。

 セフィラは呆れたようにため息を吐き。

「ああ…はい。もう、いいわよ!」

「何を怒っているんだ?」

 アルベルトを無視してセフィラが歩いて行く。それを追いながらアルベルトが問いただそうとしているが、セフィラは相手にせず。

「知らない!行くわよ!」

 そういって二人が先に行ってしまう。

 そんな二人が中々、良いコンビなのではないかと思えてしまう。

「次はありませんよ。公平な取引でしたので、金はご自由に」

 私は崩れ落ちた太った奴隷商にそうとだけ伝え、仲のいい二人を追って宿屋へと向かう。


 宿屋に着くと既に夜だった。

 そして、二人が治療の為にポーションを勝手に取り出していた。

 それは売り物…の予定なのだが、まぁ、仕方ない。

 来月かその次の月にはシノの村へと行き、マリアちゃんからポーションの供給も出来る訳ですし。

「あの…」と声を上げたのはセフィラだった。

 しおらしい態度に思わず呆れそうになる。お転婆なお嬢様は何処に、とでも言うのも一つだが。

「何か勘違いしていませんか?まだあなたにその子を売っていませんよ?」

 そこでひと呼吸置く。

「それに、契約もまだ結んでいませんし、むしろあなたは、奴隷として売りつけるなんて最低、と怒るべきなのですよ?」

 私の言葉にセフィラは何も言わず、小さく頷いて見せ、一度頭を下げた。

 それから宿の風呂を借りる為に部屋から出ると、太った冒険者『岩蜥蜴』が満面の笑みで立っていた。この宿をとったとは言ってなかったはずだがと、彼の能力の高さには恐れすら浮かぶ。これが私達を追いつめた者…となると納得しか出来ない。

「仕事は終わったな」

 そう言いながら彼は私の肩を叩く、と一枚の銀貨を取り出してみせ、その場を去っていった。確認すると私の懐から銀貨が一枚だけなくなっている。

 彼の技も相当なものだ。

「ありがとうございます。かつての仇敵…いえ『岩蜥蜴』」

 私の言葉は聞こえたのだろうか、彼は満足そうに片手をあげて去っていく。

 宿屋の女将に声を掛け、風呂を貸してくれと頼んだものの「お連れ様の太ったお方がもう頼んでましたが」と言われ、思わず嘆息してしまう。

 確かに、おかしくなっているな、と彼が頼もしくも、その今後に不安も覚えた。

 部屋に戻ると、エルフの少女が蹲っているのが見えた。

 傷はある程度治療出来たのだろうが、それでも心の傷は癒えることはないだろう。

 私から掛けられる言葉はない。適当にベッドに腰を降ろし、セフィラが必死に説得しているのを見ているしか出来ない。

「私…また…汚されるの…」

 エルフの少女がセフィラにそんな言葉を投げかけていた。

 セフィラは言葉に詰まりながらも、何とかしようと必死だった。

「安心して。ほら、見て!」

 セフィラが意を決したようにフードを脱ぎ、特徴的な長い耳をエルフの少女に見せた。

「え?」とエルフの少女から声があがった。

 同族だということを示して、安心させようとしているのだろう。

 確かに他には奴隷商の私か、頭がおかしい上に行動もおかしいアルベルトしかいない。

 アルベルトは何を思っているのか、部屋の出入り口の近くで本を読んでいる。

 読んでいるのはエアリス神の歴史書だ。

 内容はエアリス神が魔王を退治した話だが、殆どただの笑い話でしかない。

「私はエルフよ。あなたを助け…」

 セフィラが必死に安心させようとエルフの少女を抱き留めようとしていたが、不意にセフィラの体が突き飛ばされた。

「いや…もういや!見ないで…見ないで!」

 エルフの少女は取り乱し、私の渡していた外套に身を包み涙を流し始めた。

「穢れた…穢された私を…見ないで!」

 エルフの少女が叫び、セフィラを無視して駆け出す。慌てて入り口の方へ目を向け。

「アルベルト!」

 私が声をあげると、アルベルトは了解したのか、エルフの少女の前に立ちはだかった。

「もう…嫌だ…」

「そうか、分かった」

 エルフの少女が首を振り、アルベルトを突破しようとしたところで、不意にその体を通り抜けるように入り口が開いた。

 エルフの少女は躓くように何度かフラフラとしたものの、自分が今廊下にいると分かると、すぐに走り出してしまった。

「アルベルト!?」

 セフィラが叫ぶ。アルベルトは軽く笑って見せ。

「彼女がそう望むのであれば仕方ないさ」

「あなたねぇ!」

 そんなアルベルトにセフィラが掴みかかるが、アルベルトは不意に窓の外を眺め出した。

「今日は月が綺麗だ。かぐや姫が来ているのかもな」

 確かに今日は銀の月『祝福の月』だ。だが、そんなことは関係ない。

「喧嘩している場合ですか!?行きますよ!」

 私が声を掛けるとセフィラはフードを被り弓を持って駆け出す。

「俺は待つよ。彼女が帰ってくるもしれないしな」

 当の本人でもあるアルベルトはというと本を読み始めた。

「く―勝手にして!」

 セフィラが吐き捨てるように言い残し私と共に外へと飛び出す。

 外に出る時、セフィラが口元を歪め、

「ごめんなさい…」

 私にそう言ってきた。それはきっと、さっきの失敗を悔いているのだろう。

 セフィラとあのエルフの少女…どちらも辛い境遇だろうが、同族でありながら彼女の視点に立てなかった自分を責めている。

 それか、安易な考え…フィーネにしたようにすれば大丈夫だという軽率さを悔いているのかもしれにない。

「どうでもいいです。あの子を…救うのでしょう」

 私は強く言い切ってから

「私は東側を、セフィラは西側をお願いします」

 言い放ち東側へと向かおうとしたものの、手を掴まれた。

「あなた武器は…」とセフィラが私を見つめてくる。

 その手を振り払い。

「必要ありません。今は一刻の猶予もありませんから」

 私の言葉にセフィラは口元を歪め、泣き出しそうな表情をしていた。

 そんな表情はあなたには似合いません、と言いたいが結局、素のセフィラはまだまだ女の子なのだろう。生きた年月こそ私以上でも…母親や父親が恋しければ、誰かに頼りたくもなる。それは私達も一緒だ。

「これ!持っていきなさい…」

 そう言って、彼女の短剣を差し出された。

 エルフの…いや両親の形見らしいものを私なんかに。

 それは私を信用しているからなのだろうか。いや、そんなことはもう知っているはずだ。

 この短い間だけでも、私達はお互いに信用を出来ると分かっているはずだ。

 ならば答えなければならない。彼女の仲間として。

「必ずお返しします。そして、あの子を助けましょう」

 それだけを告げて私は駆け出す。セフィラもそれ以上は何も言わずに駆け出していく。

 自分が正しいとは思ったことはない。

 私はいつまでも、何処まで行っても卑しい奴隷商だ。

 それでも、自分のエゴくらいは貫くと決めたのだ。

 仲間を助けて見せると。



 城壁を抜ける時、兵士の人に声を掛けられた。

 それを無視して走り続ける。

 息が上がる。足が痛い。

 でも、もう嫌だ…あんな綺麗な…本物のエルフに見られてしまった。

 純潔も尊厳も奪われたこんな体を…。

「もう嫌だ…嫌だ…嫌だ!」

 死にたい…もう嫌だ…。

 アルトヘイムで生まれて…両親があの商人達に殺されて…玩具にされて。

「こんな世界―」

 嫌…

「おわっと!?」

 不意に誰かとぶつかってしまった。

 ぶつかった衝撃で尻もちをついてしまい、慌てて外套で隠してから顔をあげる。

 どうやら誰かの背中にぶつかったみたいで、無骨な弓と小汚い麻服、そして―赤い髪が揺れた。

「あ―ごめんな…」

 言いかけたところで、振り向いたのがまだ若い人間の男性だと分かった。

 思わず痛みがこみあげてくる。深く、どこまでも私を傷つけてる痛みと、恐怖が。

 人間は私の方を見ると目を丸くし、

「ごめん。大丈夫?うわぁ!足から血が!」

 そう言いながら手を伸ばしてくる。

 思わずその手を払いのけ、

「いやぁ!触らないで!」

 叫ぶと人間はさらに目を大きくしばたたかせ、「はえ?」と間抜けな声をあげていた。

「触らないで!私をこれ以上…もう…」

 穢さないで…

 気付いた時には走っていた。訳が分からなくて、何がしたいのかも分からずただ走っていた。

「あ、ちょっと!」と人間の声が聞こえてくる。

 それから逃げるようにただ走り続ける。

 走り続けて、何かに躓いてしまった。倒れてしまい、走ろうとしたものの、足の痛みで蹲ってしまう。

 痛い…もう嫌だ。こんな世界…

 涙がこぼれて、もう何もかも…嫌だ。

 不意に繁みから音がした。

 そこから顔を出したのは、醜い老人の顔をした子供のような魔物…ゴブリン。

 そしてそれに連れられるように大きな巨体が現れた。

 緑の巨躯。筋骨隆々とした体。無骨なこん棒を持つホブのゴブリン。

 二匹が私を見ると、口元を歪める。そして得物を構えた。

 逃げる…気も失せた。

 そうだ…死のう…。

 ゴブリンがナイフを振り上げてくる。

 その白刃が…私に向かう。

 きっとこれで死ねるんだ。そう思った時には、咄嗟に腕を前に出していた。

 腕を刃が掠め、痛みが脳を満たす。

―痛い

「痛い!…嫌だ…私…!嫌だ!」

 必死に腕を振るい、ナイフの刃を振り払いゴブリンを突き飛ばす。

 痛みで涙がこぼれる。さっきまで死にたいと思っていたのに、死にたくないと声が響く。

 こんなの嫌だ。けど生きるのも…辛い…

 ゴブリンに飛び掛かられ、体を押さえこまれる。必死に足掻いても離れようとしない。

 何がしたいのか全く分からなくて、どうしうもなくて…ぐちゃぐちゃで…でも。

「誰か…助けて!」

 ただ叫んでいた。

 死にたいって思っていたのに…私の心は生きたいとずっと叫んでいる。

 どうしようもない感情が…どうして欲しいのかも分からなくて。

 ただ…エアリス様が…。

 瞬時、風切り音が響き渡った。

 轟音のような鈍い音と共に、ゴブリンの上半身が宙を舞う。

 力を失ったゴブリンの下半身がゆっくりと倒れ、慌ててそれから逃げ出し、顔を上げると―赤い髪が揺れた。

「大丈夫!?」

 そう言いながらさっきの人間のお兄さんがホブのゴブリンに剣を向けていた。

 祝福された月光を背に受けて、小さな剣。だけど旭のような輝きを放つ剣で…巨大な魔物と対峙する。

 そんなお伽話のエアリス様のような姿に見とれていた。

「―え?」と思わず声が漏れた。

 人間は剣を構え、一歩前に出る。そこにホブのゴブリンが振り下ろしてきたこん棒に剣をあてがい、器用に弾き落とした。

「早く逃げて!」

 人間が叫ぶ。そこに今までの人間から感じていた悪意も敵意も感じない。

 純粋に私を助けようとしてくれている。

 ホブのゴブリンがこん棒を横凪に振るう。

 人間は慌てて身を屈めながら下から掬いあげるように弾き上げる。

「―く!」

 それでも剛腕の一撃には彼の表情が苦渋に歪んでいる。

 再度振り下ろされる一撃…タイミングを誤ったのか今度は人間は弾き飛ばされてしまった。地面に体を打ち付け、傷だらけになりながらもすぐに立ち上がり剣を構え、ホブのゴブリンに向かっていく。

「もう絶対…誰も…」

 人間がホブのゴブリンに斬りかかる。それが簡単にこん棒で受け止められたものの、僅かに人間が押し込んでいた。

「傷付けさせるものか!」

 人間が声を張り上げ、一瞬剣を引く。ホブのゴブリンはたった一瞬とは言え自分の力で前に出てしまい、体勢が崩れた。

 人間はそれを見逃さず、即座に手首を返しホブのゴブリンの指を切り裂いた。

 鈍い音と鮮血が舞う。

 しかし、ホブのゴブリンが腕を振るい、鈍い音と共に人間が殴り倒された。

「人間…さん!」

 慌ててその体に駆け寄り、その体に触れようとしたものの、自分の手が…穢れた手がそれを拒む。

「私…穢れたエルフ…だよ…だから…」

 逃げて…死なないで…

「関係ない!」

 そう言おうとしたのを人間が制した。

 人間は立ち上がり剣を構える。

「大丈夫。絶対傷付けさせないから!もう、目の前で誰かが傷つくのを…見たくないんだ!」

 人間がボロボロの体を引きずり歩き出す。

 このままじゃ殺される。そんなのは分かり切っている。

 そんなの…嫌だ。

 あの人間を…私は…。

「助けたい…」

 こぼれでた言葉に気付き、それと一緒に流れた涙に気付いた。

 不意に手に何かが当たった。それはさっき会った時、人間の担いでいた弓と矢筒だった。

 無骨な作りで、本当に戦う為だけに作られたような弓。

 それでも、その弦には七色の輝きが見える。

 私なんかが…触れて良い物ではない…でも。

「お願い…!」

 弓を手に取り、落ちていた矢筒から一本の粗野な作りの矢を抜き取る。

 穢れた私の手だけど、それでも今は…人間さんを助けたい!

 弓を引くと自然とも言える程簡単に引けた。弓も軽く、狙いを簡単に付けられる。

 人間が特攻していく姿に勇気を貰い、矢を放つ。

 弦から鈴のような音が鳴る。

 それとは逆に、放たれた矢から凄まじいとすら言える風切り音が鳴り響き、その強さを物語っている。

 綺麗な音が心地よく、そして、飛翔する音が力をくれる。

 私の穢れた手からそれが発せられているなんて思えないくらいに…。

 矢は真っすぐに狙い通り、ホブのゴブリンの目を貫く。

 痛みで、悲鳴と共に巨体が数歩下がった。

 それに合わせるように―赤い髪が揺れた。

「断ち、切る!」

 そこに人間の剣が閃き、ホブのゴブリンの胴体を真一文字に切り裂いた。

 胴体を斬られたホブのゴブリンは、一歩後ろに下がろうとし、そのまま尻もちをつくように座り込む。そして、口から血を流し、ゆっくりと仰向けに倒れていく。

 ホブのゴブリンを倒したと分かり、思わず人間に駆け寄る。

 人間のお兄さんはぺたりと座り込み、大きく息を吐いたと思うと、

「あはは…助けられちゃった」

 少しだけ照れたように笑って見せた。

 駆け寄り、その体の胸の部分に僅かな打撲のような膨らみを見つけ、触れようとしてしまい、慌てて手を引っこめる。

「人間のお兄さん大丈…」

「私、女だよ?」

 人間がそう言う。

「え?」

 思わず驚きで胸とその傷に触れてしまう。僅かながら胸がある…。

「え…あ、本当だ」

「くすぐったい」

 人間のお姉さんは小さく顔をしかめてみせる。不快感というより本当にくすぐったいのは分かる。

 不意に私の手に視線がいってしまう。

 穢れた手で触ってしまった…

「あ、ごめんな…さい。触っ…」

「あはは!いいよ、もう慣れたから!」

 お姉さんはひとしきり笑うと、私を見て目を丸くした。

「て…すごい格好してるね?」

 私は外套だけを着ている。これでも私にとってはいつもより着ている。

「うん…私奴隷だから…」と言いながら目を逸らしてしまう。

 何故かは分からない。ただ、お姉さんには奴隷とは言いたくなかった。

 ずっと奴隷なのに、言い慣れたのに…なんでか分からない。

「そっか…」

 お姉さんは少しだけ寂しそうな顔をしてから、立ち上がり。

「私の知ってる人の奴隷商にね、奴隷が何だ、って勉強教えている人もいるんだよ。だからさ…なんて言ったらいいかな。頑張れば…いや違うかな」

 それが私を元気づけようとしてくれているのは分かる。その優しさも十分に伝わっているから。

「ううん…ありがとう」

 自然とお礼が口から出ていた。それが少しだけ嬉しかった。

「どういたしまして!」

 お姉さんは笑顔になり、思いついたように下半身だけになったゴブリンの靴を脱がせ始めた。

「あ、足痛いよね。ゴブリンの具足は割と使えるんだよねー」

 そう言いながらゴブリンの靴を脱がせたと思うと軽く払い、私の方へ差し向けてきた。

「うん…」とは答えて靴は受け取って履いたけれど、その姿には少しだけ引いた。

 よくよく見るとお姉さんの靴もゴブリンの履いていたものと似ている。

 お姉さんはそれからホブのゴブリンの腰蓑に手を突っ込んだりして、薬を見つけたり軽く物色してから。

「街まで送ってあげるね」

 そう言いながら自然と私の手を握ってきた。

 驚いてしまったものの、温かい手を振り払えず、むしろ強く握ってしまう。

「…あの…手が」

「どうしたの?」

 言葉だけ絞りだしたものの、お姉さんは不思議そうに私を見てくる。

「私…穢れて…」

 私のこの言葉でようやく手の方へ視線を落とすと、お姉さんの顔に驚きの色が浮かんだ。

「あれ、私の手、そんなに汚…なかった!」

 思わず言葉を失った。

 お姉さんの手の事じゃないよ…と言おうとしたものの、お姉さんは手を放し。

「ごめん!血まみれだった!しかも、腰蓑にも…うわぇ、気持ち悪いよね!」

 お姉さんは困ったように手を服で拭こうとしたりしていたり、倒れているゴブリンに布がないかを探し始める。

「ぷ…ふふ!」

 思わずそんなお姉さんに笑ってしまった。

 お姉さんはウロウロと辺りを回りながら。

「ごめんね。今、布もないし…」

 お姉さんには関係ないんだ。私が奴隷だと知ってても、穢れていてても…。

 思わずその温かい手を私から握り締めていた。

「ううん!お姉さんの手あったかい!」

 なんだろう。目が熱いのに、全然胸が痛くない。

 ボロボロの手なのに温かくてずっとこうしていた。

「あはは、ごめんね。気を遣わせちゃったかな?」

 気まずそうなお姉さんにしっかりと首を振って応え。

「ううん。ありがとうお姉さん!」

 気付くと自分が笑っていることに気付いた。胸が温かい。手から伝わる温度だけで、心臓が高鳴る。ずっとこうして繋いでいたいと思える。

 お姉さんとアルトヘイムを目指し歩いていると、その熱と光を感じる優しい瞳を見て、

「お姉さんは人間?」とふと聞いてしまった。

 変な質問をしてしまい慌てて、目線を逸らしてしまう。

「そうだけど、どうしたの?」とお姉さんも戸惑っていた。

「ううん!なんでもない!」

 どうみたって、人間なのに、なにを期待していたのだろう。

「そういえばあなたはエルフ?」と今度はお姉さんが私に聞いてきた。

「あ…その…」

 言葉に詰まってしまい、ただ小さく頷くことしか出来なかった。

 お姉さんは感心するような声を上げ。

「やっぱり綺麗だね。憧れるな」

「え…?」

 その言葉に…また言葉が詰まった。

 お姉さんは照れたように空いている手で頭を掻きながら。

「いや、私こんなんだし。女の子らしくないし」

「そんなことない!お姉さん…格好いいよ」

 言ってから、しまったと口を塞ぐ。

 女の子らしくない、と言ってしまったようなものだった。

 お姉さんは綺麗なのに…けど、格好いいからつい…。

「格好いいかぁ…ま、いっか!」

 お姉さんは気にしていない様子で少しだけ嬉しそうな表情をしていた。

 それが少しだけ嬉しかった。

 門が見えてくるとお姉さんは思い出したように、自然と私が担いでいた弓を見て。

「あ…そうだ弓、重いよね。ごめんね。いつまでも持たして」

 お姉さんが言う程重くはないと思う。むしろ軽い。

 重さもお父さんが生きていた時に持たして貰った木で出来た弓と余り変わらない。

 なのに力強さはケタ違いで…

 まるで、人間のお姉さんのようで。

 不意に弓に触れていた。

 エルフ…なんて呼べるような私じゃないけれど、ただ…それでも。

「あ、あの…!この弓…貰っても…」

 意を決してお姉さんを見上げ口に出す。

 私なんかが、エルフの親愛の儀をするなんておこがましい。それでも、お姉さんと…友達になりたい。

「え?」とお姉さんは驚いていた。

「お姉さんから…その思い出…あのごめんなさい。こんな凄い弓…その」

 続けようとしたものの…やっぱりこんな凄い弓を手放せないのは私でも分かる。

 きっと私なんかよりよっぽど価値があるのも…

「いいよ」

「え?」と今度は私が言葉に詰まった。

 お姉さんは少し吹っ切れる様子で空を見上げ。

「それね。私の友達のオークから貰ったんだ」

 その言葉を聞いて、「オーク!?」と叫んでいた。

 オークの話は聞いたことがある。お父さんがよく話していた。粗雑で野蛮な一族。

 ゴブリンより質が悪いとさえ言われていたのに…

「うん。すっごく良いオークなんだ。優しくて強くて」

 優しくて強い…それは私の知っているオークとかけ離れている。

 こんな弓を作れるとも思っていなかった。

 お姉さんは続けるように「あと、割と格好いいんだ」と少しだけ思い出すように笑っていた。

「そうなんだ」としか言葉が出なかった。

「その友達のオークがくれたんだけどね…」

 オークが…人間に?

 そんなの聞いたことがない。だって、奴隷として…酷いことされている時に、たまたま聞いたエアリス様の話でしか聞いたことがない。

 そして、その行為が特別な事だとくらい私にも分かる。

 オークにもきっと、エルフのような親愛の儀があるんだ。

 戸惑い言葉を失っているとお姉さんが笑いながら。

「あはは、そうだよね。でも…」

 不意に私の頭が撫でられた。

「気に入ったんでしょ?」

 温かい手が、穢れた私を…まるで穢れを祓うかのように撫でてくれる。

 ずっとこうしていたい、と思える。

「うん」と頷いて見せると、お姉さんは満足したように頷き。

「だったら、バルグ族長もきっと喜んでくれるから」

 バルグ族長…その名前はきっと忘れない。

 いつか…お礼を言わなきゃ。そして謝らないといけない。

 お姉さんがくれた大切な弓を…オークとの大切な思い出を貰ってしまったと。

 しっかりと弓を握り、その冷たさを感じる。

 そこに私の冷え切ったはずの体温が伝わり、少しずつ温かみを感じる。

 生きているという実感がする。

 思い出は貰ったけれど…私がお姉さんに出来るお返しはこれしかない。

 名残惜しいけれどお姉さんと繋いでいる手を放し、お姉さんの前に立つ。

「お姉さん!」

 私が声をあげると、お姉さんは驚いていたものの、「どうしたの?」と聞き返してくれる。

 私は必死にお姉さんを見つめる。

「あの…私、お姉さんにあげられるもの無くて…」

「いいよ、気にしないで」とお姉さんは軽く手を振っていた。

 違う。私はただこれが欲しかった訳じゃない。むしろ、本当に欲しかったのは…

「あの…この体も他の人のものだから…そのあげられないの…だから!」

 この体は今は他の人のもの。だからお姉さんにあげられない。

 ずっと聞こえていた私の声。穢れているのにエルフを名乗るな…なんて言葉を掻き消すように、心臓が高鳴る。

 お姉さんを見ていると勇気が貰える。

 弱い自分を押し殺して、意を決してお姉さんの胸に抱き着く。

「んお?」とお姉さんの間の抜けた声が聞こえた。

 抱き着くとお姉さんの胸から心臓の音が聞こえる。

 それを聞いていると私の心の中声が聞こえなくなった。おこがましいかもしれないけれど、同じ命を感じる。

「ごめんなさい…こんなのしか…。私の心しか…穢れた私の心しかあげられないけど…受け取って欲しい!」

 私はお姉さんと親愛の儀を結んで…本当に友達になりたい。

 大好きなお姉さんと…。

「そっか。ありがとう」

 不意に聞こえてきたのは、少しだけ悲しそうな声だった。気づくとお姉さんが私を抱きしめていた。

「なんだろ…温かいな」

 そう言うお姉さんの瞳には涙が見えた。

「え…あ、あの…」

 困惑してしまうものの、お姉さんは私を強く抱きしめている。

 拒絶された訳ではないのは分かる。

 ただ、お姉さんが…支えて欲しがっているのは分かった。

「私ね…この前の町で…守れなかったんだ。大切な友達を」

 お姉さんは少しの間、穢れているはずの私の胸を借りて、静かに泣き出した。

 あんなに強くて、勇敢なのに…それでも守れない人がいる。

 そして、お姉さんの明るさと優しさの中にはそんな後悔も混じっていた。

 けど、それがきっと私を守ってくれたんだ。

「ちょっとだけ…ごめんね」

 泣いているお姉さんの頭を抱きしめるようにしていると、自分の穢れなんて気にならなくなっていた。

 今は、大好きなお姉さんの力になりたいと思えるから。

 こんな私でも求めてくれる人がいるのが嬉しいから。

 お姉さんは少ししてから私から離れると。

「ごめん…」と恥ずかしそうにしていた。

「ううん。お姉さん…ありがとう」

 私の言葉にお姉さんは首を傾げていたものの、私は続けて。

「お姉さん…私いつか自由になったらお姉さんのところに行ってもいい?」

「いつでも…とはいっても私、旅してて転々としてるからなぁ」

 私の言葉を聞いたお姉さんは笑顔でそう答えてくれた。

 その言葉を胸に抱き、いつか奴隷から…いや奴隷でもいい。ただお姉さんと一緒にいられるその時を信じて頑張れる。

「ありがとう!それまで絶対頑張る!お姉さんへの…愛を示してみせるから!」

 親愛の儀を結んだ。私の友達。私の友愛を…絶対に示し続けてみせる。

「―へ?」とお姉さんは変な声をあげたものの、すぐに頷き。

「うん、待ってるね」

 優しい笑顔で受け入れてくれた。

 そんなお姉さんと再度手を繋いで城門まで行き、門の所で人間の兵士に声を掛けられた。

「危ないだろ!全く、心配したんだぞ!」

 そう言って、私は諫められた。見ず知らずの人間も私を心配してくれている。

 そんなこと今まで気が付かなった。お姉さんと会って、人間が怖くないって分かった気がする。

「ほら、ごめんなさいは?」

 お姉さんに諭され、「心配かけて、ごめんなさい」と謝ると、人間の兵士はゆっくりと頷き、

「次からは気を付けな。夜は魔物も活発だからな」と優しい言葉を掛けてくれた。

 そんな私をお姉さんは笑顔で見ていたけれど、

「あんたもだよ!怪我したばっかりだろ!」とお姉さんも人間の兵士に怒られ「ごめんなさい」と謝っているのが何だかお姉さんらしいと思ってしまった。

 結局お姉さんと門をくぐり、私の買主のいる宿の前まで来て、お別れになった。

 お姉さんの手が自然と離れ、「またね」と手を振ってくれる。

 寂しい。本当はお姉さんと一緒に行きたい。何をされるか分からないから。

 でも、頑張ろうと思える。優しい人がこの世界にもいると分かったから。

 立ち向かう決心がついたから。

「うん!またね!えーと…」

「カホ!冒険者見習いのカホだよ!」

 お姉さん…カホお姉さんはそう言って自分の宿へと帰って行った。外れの方にあるらしいから、もしかしたらまた会えるかもしれないと思える。

「うん、カホお姉さん…頑張るから…」

 応援しててほしい。

 いつか、一緒に旅をしたい。そんな一緒にいたいと思える人に会えただけで嬉しかった。

 宿の部屋に戻ると、若い、少し変わった服装の男性が窓辺に座り月を眺めていた。

「あの…」と声を掛けると、無表情に。

「帰ったか。心配したぞ」

 その一言に震える。男性は私に近づき、腕の傷を見ると顔をしかめた。そして、私の手に持っている弓を見ると、「どうしたその弓は?」と聞いてくる。

 これは渡せない…

 それだけを思い、弓を隠すように胸に抱き、いつもしていたように外套を脱ぐ。

 恥ずかしいけれど、カホお姉さんとの大切な思い出を守らないと…

「どうぞ…」

 と私が体を差し出すと、男性は外套を受け取り、私ではなく外套を見ていた。

「ほう。どういう風の吹き回しだ?」

 外套を確認してから私に問いただしてくる。

 これも知ってる。やらされてたから。嫌なのに、無理矢理言わされてたから。

 でも違う。今は、自分の意志で立ち向かって見せる。

「体は好きにしてもいい!でも…心だけは好きにさせない!私…好きな人が出来たの!友達が…だから…」

 弓を私の体の後ろに隠し、体を突き出すと、男性は小さく笑って見せた。

「成程。なら好きにさせてもらおうか」

 男性の手が私に触れる。

「え?」

 そして、私の腕を傷に包帯を巻き始めた。

「怪我をしているからな。その後、風呂に入れてやろう。」

 戸惑ってしまった私をよそに男性は丁寧に手当をしていく。そして、さらに靴を脱がせると、ベッドに座らせてくれ、足の裏の傷の消毒を始めた。

 不意に下の階から階段を駆け上がる音がする。

 思わず身が震える。私を買った奴隷商の人と、綺麗な本物のエルフが来る。

 怖くて目を瞑ってしまう。

 ふと男性が少しだけ嬉しそうに声をあげた。

「いや、あいつらも帰ってきたか。ならお転婆お嬢様にまかせるか」

 男性はそう言いながらも手当を続けてくれる。

 思えばこのお兄さんはあんまり怖くない。始めも逃げ出そうとした私を追いかけずに、むしろ行かせてくれた。

 そのおかげで私はカホお姉さんとも会えた。

 この人はもしかしてそれが分かっていたのかな?

「あの…」

「どうした?」と男性が優しい表情を浮かべていた。

「お名前…」

 聞かせて欲しい、と言いかけたところで扉が開いた。

「アルベルト!」

 そう声を上げて、エルフの女性と奴隷商の男性が入ってきた。

 私達を見ると、驚いてポカンとしていたものの、お兄さんが「アルベルトだ」と私の質問に答えてくれてから、二人に、

「どうした?」

 尋ねるように口を開いた。

 エルフの女性はお兄さん…アルベルトさんに掴みかかる勢いで。

「どうしたじゃないわよ!帰ってきているなら先に言いなさい!というより何をしているの!?」

 エルフの女性の言葉に身を竦ませてしまう。そんな私を見てか、エルフの女性は「ごめん!あなたじゃなくて」と私に謝ってくれた。

 驚いていると、アルベルトさんがエルフの女性を見上げ。

「手当だ」と説明してくれた。

「あなたねぇ!そんなことを信じられると…」

 エルフの女性が声を荒げるものの、慌てて自分の口を押えた。アルベルトさんは首を横に振り。

「俺はあの子を世界で一番愛している」

 その言葉に何故か私も恥ずかしくなった。アルベルトさんには好きな人がいて、それもこんなに真っすぐ言えるんだ、と。

「まさか…カホを!?」とエルフの女性の言葉に驚いてしまった。

 それに、アルベルトさんもカホお姉さんを知っているのにも。

 そして、カホお姉さんの恋人がアルベルトさんならお似合いのような気がしてしまう。

 二人とも優しくて、私を真っすぐに見てくれる。

 …少しだけ胸が痛くて悔しいけれど、本当に二人は似合っていると思うから。

 アルベルトさんはゆっくりと首を横に振り。

「カホはいい友人ではあるが、女性としては見ていない」

 そうだよね、と安堵して言いかけた口をつぐむ。

 危ないところだった。何で嬉しかったのかは分からなかったけど、カホお姉さんがアルベルトさんの恋人じゃなくて本当によかった。

「カホ…」とエルフの女性は少しだけ肩を落としていた。

 なんでだろうと思うけれど、まだ怖いのに思わず口が開いた。

 聞いておきたかったから。

「カホお姉さんを知ってるの?」

 そう聞いてしまった。

 怒られる…今まで勝手なことを言ったら…そう思うと体が震えた。

「ああ」とアルベルトさんの声が聞こえた。

 エルフの女性も驚いていた。

「え、ええ…それより何でカホを?」

 尋ねられたので、答えなければ怒られる。

「魔物に襲われている時…カホお姉さんが助けてくれたの」

 説明すると、アルベルトさんは軽く笑いながら「カホらしい」と少し嬉しそうだった。

 本当に特別な関係じゃないんだよね…と訝しんでしまう。

 エルフの女性が私が後ろ手に持つ弓を見ると、手に取ろうとしてくる。

「え…これ?」

 胸に抱き守ろうとすると「盗らないから」と私を安心させるように優しく声を掛けてくれる。

 もしかすると、このエルフの女性も私を…大切にしてくれるのかも、と思ってしまう。

「鋼の弓か?持っていたんだ」

 アルベルトさんがエルフの女性に説明すると、エルフの女性が目をしばたたかせ。

「これ黒鋼よ!しかも…この弦…カホのやつじゃない!」

 その言葉に私はエルフの女性を見上げる。

 この人もカホお姉さんの知り合い?

「なんで持ってるの?」

「え…あのごめんなさい。エルフの…親愛の儀を…その私なんかが…」

 恥ずかしくて目を伏せてしまう。こんな卑しい私が、エルフの高潔な親愛の儀を形だけ真似てカホお姉さんと友達になったなんて。

 エルフの女性は困ったように手を振り。

「いや、それはいいのよ!えっと、それより、もしかしてローブをあげたの?」

「ローブは俺が持ってる」

 アルベルトさんが手に持っているローブをエルフの女性に示すと、エルフの女性は怒ったようにアルベルトさんを睨み。

「早く返し…いや違う!そうじゃない!アルベルト少し黙ってて!」

「分かった」

 怒られたアルベルトさんはやれやれと肩をすくませた。

 エルフの女性は私をじっと見て、「もしかして…」とそこまで言って言葉を失っていた。

 カホお姉さんを知っている…

 もしかしたら、悪い人じゃないかもしれない。

 だけど、カホお姉さんを傷つけられたくない。

 必死にエルフの女性を見返し。

「あの…心を、カホお姉さんに心を捧げたの!だから、この体は好きにしていいから…カホお姉さんのこと…」

 手を出さないで…と言いかけたものの、エルフの女性がアルベルトさんを突き飛ばしてから、私を抱くように前に座り。

「あーもう!誇り高きエルフがそんな易々と…」

 怒られた。知ってる。叩くんでしょ…

 一度目を瞑ったものの、いつまで経っても痛みがこない。恐る恐る目を開けると、エルフの女性はため息交じりに、優しい瞳を私に向けていた。

「まぁ、カホじゃ…仕方ないか」

 そう言いながら私の頭が撫でられた。

 綺麗なエルフの女性が私を、穢れた私に触れてくれた。

「え…?」

「いいわよ!カホじゃ仕方ないから!」

 エルフの女性は私を怒ることもせず、ただ優しく笑っていた。

 戸惑いを隠せず、ただその綺麗で優しいエルフの女性の笑顔を見ていることしか出来なかった。

「それよりいつまで裸でいさす気だ?早く風呂に連れていってやれ」

 アルベルトさんがいきなりそんなことを言い、その言葉で何でか恥ずかしくなった。

 体を隠すように屈むと、同時くらいにエルフの女性がアルベルトさんを睨み付けながら、

「アルベルトは黙れ!」

 と釘を刺した。

「そうはいかんな」

 アルベルトさんはそう言ってから、ゆっくりと私に外套を被せ、

「安心しろ。俺もあいつも、そこのお転婆エルフも君に何か危害を加えることはない。君の愛するカホと同じようにな。俺達も君を守ろう」

 アルベルトさんがそう言い切り、帰ってきた時のように窓辺に座り月を眺め始めた。

「うん…あのアルベルトさん…その…ありが…」

「だから早く風呂に入ってこい。服はどちらかが用意するだろう。あと黙らんとセフィラが怖い」

 お礼を途中で制されて思わず固まってしまう。

「あ…うん」とだけ答えると、アルベルトさんは少しだけ何かを見て嬉しそうな表情をし、

「その後、俺達の知るカホの話をしてやろう」

「本当!?」

 その言葉に思わず声をあげてしまった。アルベルトさんはエルフの女性と、奴隷商の男性を交互に見てから「いいだろう?」と確認を取っていた。

 二人は頷いてくれた。それがとても嬉しかった。

 皆、カホお姉さんの知り合いで、本当は優しい人だと思えるから。

 エルフの女性は立ち上がり、少しだけ困ったような表情をしていた。

「まぁ、いいけど…カホも近くにいるんじゃ…」

「おやおや、雌の顔になってますよ?」

 不意に奴隷商の男性がエルフの女性を茶化し始めた。それがただの悪口じゃないと分かる。仲がいいんだ。

「誰が雌よ!?」とエルフの女性。

「セフィラ以外にいるのか?」とアルベルトさん。

 そんな二人の会話だけでも、本当は仲がいいのが分かる。

「アルベルトは黙れ!」

 とエルフの女性が再度アルベルトさんに釘を刺すと、「分かった。黙っておくよ」と

アルベルトさんが窓の外に目を向けた。

「ええ…アルベルトさんのカホお姉さんの話聞きたい…」

 私が懇願してみるとエルフの女性は困ったような、照れたような表情になり。

「ああ…ううぅ。もう!今回だけよ!アルベルト喋って!」

「今か?」

「違う!」

 二人で言い合いを始めると、奴隷商の男性が愉快そうに笑いだし。

「はは、仲がよろしいですね!」

「あんたも黙って!」

 エルフの女性が今度は奴隷商の男性にも黙って、と言い出した。

 何だか、それだけで明るくなる。気付いたら私も笑顔になっていた。

「いやいや、これだけは言わせて下さい。」

 奴隷商の男性がゆっくりと私の前までくるとしゃがみ込み、私をまっすぐに見つめ。

「お帰りなさい」

 その言葉が…

「ただいま!」

 胸が温かくなる。

 カホお姉さんに助けて貰った時のように。

 この三人と一緒にいられることが嬉しくて、大好きなカホお姉さんがいて、そして…

 温かいこの場所に迎えられたことがただ嬉しかった。

 もう一度だけ、人間を信じたいって思えるから。 

 不意にアルベルトさんが月を眺めながら、

「かぐや姫のお導きかな」

 そんな言葉を溢した。かぐや姫が何なのか分からないけど、きっとエアリス様のような人なんだと思えた。


 最近主人公が出てないような気がするけれど、まぁ大丈夫ですね。

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