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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
2/73

第一話『マリア』

『第一話』


「うん?どこ…ここ?」

 微睡から覚めると青い空が見えた。

 背中に伝わる土の感触、鼻腔をくすぐる草いきれの臭い。

 体を起こし、周囲を見てみる。目に移りこんできたのは木々の緑と青々とした山。そこには一つも人口の建築物は見当たらない。

 ここが小さな丘陵か山かの頂上であることはわかった。

 田舎の田園風景よりもノスタルジックさを感じる。

 家で寝ていたはず、と思ったところで、あの白い空間での出来事を思い出す。

 白いローブを着た老人にいきなり勇者に転生、とか、マルキド・サドの話を夢の中でしていたような気がする。

 そんなせいか、私の記憶にある、人込みの中の小さな家、学校、そこに住んでいた記憶の方が夢だったような感覚もする。

 不意に頭痛がする。よく思い出せない。

 だけど、思い出す必要もないのかもしれない。

 ここで少し現実逃避していて、横になっていた…ただそれだけだと。

 そんな思いが頭に浮かんできたところで首を振る。違う。まやかしなんかじゃない。

 あの家で生きてきたことを忘れたくない。あれは紛れもない真実だったと。

 むしろ、今のこの状況が夢で、目覚めて何事もなく…

 そこまで考えたところでやめた。目覚めたとしても墓の下だろうから。

 自己嫌悪に陥りそうになりながらも立ち上がる。

 気付くと服装は茶色をベースにした簡素な長袖と長ズボンとなっており、ズボンのベルトには鞘付きの小ぶりの短剣が吊り下げられていた。

 こんなのは指輪物語くらいでしか見たことがない。

 あの老人の言っていたことが全て本当なら、勇者とやらになってしまったのだろう。

 半分諦めながら、腰に吊り下げられている短剣を抜いてみる。

 鈍い銀色の刀身が姿を現す。刀身に触れてみると冷ややかな鉄の冷たさを感じる。

 血の気が引く。多分本物。刃物なんて今まで包丁くらいしか触ったことがない。

 どうみても料理に使うような形ではないし、戦闘用だよね。

 ゲームはあまりしないけれど、アールピージーというジャンルくらいは知っている。戦わないといけないのかな?

 そう思いながらふと、刀身に映る自分の姿が目に入る。転生と言っていたけどどうやら変わっていない。いつも通りの見飽きた顔。気になったのは髪の色くらい。まるで焼けたような赤色となっている。

 短剣を仕舞い、

「これが異世界ね…。今の私にとっては現世かな?」

 独り言ちる。

 爽やかな風が吹く。ひんやりとした清涼感のある空気。どこからも雑音が聞こえない静けさ。

 言いたいことはただ一つ。

「気が滅入る」

 この言葉に尽きた。雑然としていてもやっぱり私にはあの平和な世界が一番いい。少なくともこんな暴力装置を持っていないで済む世界のほうが。

 ため息をついても仕方ない、と割り切り人のいるところへと向かおうと決める。

 多分、人の住む町はあるだろうからそこに移住して、この短剣もちょっと使い勝手の悪い包丁を手に入れたと思えばいい。服も最低限の体裁は整っているし、これ以上望むものと言えば当面の食事だろう。

 あたりを見渡し適当な獣道を見つけ、森の中を進んでいくことにした。

 森の中を進んでいる最中、時折聞こえるケモノの声に体を震わせてしまう。時には腰の短剣に手を添え、辺りを見渡す。

 歩くだけで気が滅入る。本当に日本は平和だったのねと痛感させられた。

 ケモノの声に怯えながら進んでいると、不意に違う音が混ざった。

 甲高い―違う。聞き取れる、声?

 耳を澄ませると、獣道の奥の方から悲鳴にも似た声が聞こえてきた。

―助けて

 その言葉を理解するより早く駆け出していた。

 ケモノの声に怯えていたことも忘れ、木々の間を抜け、声のする方向へと走る。

 枝に引っ掛かり、小さな切り傷をつくりながらも、そんなことを気にしていられない。息をあげながらも何度も聞こえてくる助けを呼ぶ声へと向かう。

「誰か助けて!」

 声が近くなり、その声が少女の声だた分かった。飛び出した先は森の中の少し開けた広場であり、そこには10代くらいの一人のへたり込む金髪の少女と、その前に三匹の子供のような体躯をした緑色の肌をした何かがいた。

 奇妙な緑色のものは、こちらに気づくと振り返り。その顔は老人のように皺がこく、明らかに人間には見えない。三匹の中の内、赤い頭巾を被ったものが、私を指さし、それに合わせるように他の二匹も口元を歪め嗤いだした。

「何…こいつら?」

 思わず茫然としてしまう。

 未知なるものへの遭遇の恐怖。

 これは何かで読んだことがあるフレーズ。そういったものと対峙した時、人がどうするべきなのだろう。

「お願い、助けて!」

 その声に現実に引き戻される。

 少女は肩を押さえ、腰を抜かしへたりこんでいたが、その瞳に私が映ると涙を流しながらもすがるように助けを求めてきた。

 正気を保て、と心の中で言葉を噛みしめる。

 体が震えるのを必死に抑え、三匹を睨みつける。

 不意に視界に何かが映った。

―石?

 そう思った時にはその石が私の側頭部を掠めた。

「いっつ―!」

 鈍痛が走る。フラついてしまい1、2歩下がったところで、急に前から何かに押され地面に仰向けに転ばされた。

 頭を地面に打ち付け、視界が一瞬明滅し、次に見えたのは、少女を襲っていたであろう何かが馬乗りになり、短い刃物を振り上げていた姿だった。

「きゃあ!」と自分でもびっくりする悲鳴が出た。必死に動かした足が、馬乗りになっていた何かの股間に直撃し鈍い感触が走る。

 何かが悲鳴を上げ、小さな刃物を落とし、股間を押さえた。慌てて、右手を思いっきり振りその側頭部を殴りつけた。

 子供くらいの大きさしかないそれの膂力は大したことがないのか思ったよりも簡単に私の上から引きはがすことができた。

 のたうち回る一匹から離れ、立ち上がる。息を整えたいところに今度は左肩に痛みが走った。

 投石だと気づいたものの、痛みの走る腕を押さえることしかできなかった。

「ギャギャ、ニンゲン、ヒトリ、イチ!ヨワイ!ヨユウ!」

 赤い頭巾を被ったそれが剣を抜き鞘を投げ捨てた。

 剣はその子供のような体躯には大振りのものであり、明らかに殺すための道具だと分かってしまう。

 殺される―

 痛みと恐怖でパニックになっていくのが分かるけれど、どうしようもない。

 思わず短剣を右手で抜き、痛みで震える左手で支え、切っ先を向ける。

「来ないで!刺すよ!」

 目が熱い。きっと涙が出ている。足の震えが止まらない。歯がカチカチと音を鳴らす。

 殺される―

 ただその事実だけが私の前にある。

 赤い頭巾のそれは醜悪な笑みを浮かべると、剣を振り上げ奇声と共に斬りかかってきた。

 どうしようもない。ただそれだけは分かっていた。私はここで死ぬ。それで終わり。

 でも、あの女の子は―

「わああああぁ!」

 感情が噴き出す。何の感情か分からないごちゃまぜの感情が。ただ、分かるのは『死にたくない』と『あの子を助けたい』という思いだけ。

 思わず飛び出し、必死に腕を伸ばす。

 赤い頭巾をかぶった何かは、不意をつかれたのかその剣が私から逸れた。剣は私の頬を掠め、私のナイフは相手の肩を貫いた。

 鈍い感触と、生暖かい血、鉄の臭い。それらが混ざり合い胃が逆流する感覚に襲われる。

 気持ち悪さに体制を崩してしまい、足がもつれる。

 そのまま赤い頭巾を被った何かを、自分の体重で地面ごと突き刺す形となった。

 その衝撃で赤い頭巾を被ったそれの手から剣が落ち、地面に転がった。

 赤い頭巾を被ったそれは、悲鳴にも似た声を上げ、地面に縫い留められていない手と足をバタバタと振り回す。

 耳をつんざくような悲鳴にたじろいでしまう。そんな私の目の前を石が通り過ぎた。

 振り返ると、さっきから石を投げてきている何かが、こちらを怯えた表情で睨んでいた。

 必死だった。私は赤い頭巾を被った何かが持っていた剣を拾いあげ、駆け出す。

 自分でも驚くような悲鳴とも咆哮とも言えないような奇声と共に、ただただ力任せに横凪に剣を振るう。

 投石をしていた何かは慌ててしゃがみこみ、一撃を避けるや否や、一目散に走り去っていく。

 股間を蹴られた何かも、悲鳴をあげ逃げだし、赤い頭巾を被った何かも恨み言のような奇声を上げて森の奥へと消えていった。

 逃げていった。それが分かった途端に足が力を失い、へたりこんでしまう。

「うっ…」

 えずく。胃の中が逆流する。中身がこみあげてくる。

 必死に我慢していると、涙がこぼれた。

 何をしているのかもう訳が分からなかった。訳の分からないまま、襲われて、殺されそうになって、思わず攻撃して…もう何が何だか訳が分からない。

「お姉ちゃん?」

 不意に聞こえた声に体が震えたものの、顔を上げると先ほど襲われていた少女が心配した様子で私の元へやってきたのが分かった。

 手や膝には擦り傷。肩口には僅かにだけど斬られた後もある。

 少女は戸惑いながらも、私の目を真っすぐ見つめ、笑顔を見せてくれた。

「あの…ありがとう。」

 少女の言葉を聞いて思わず体が動いてしまった。その小さな体を抱き締める。年上なのにすがるように泣きつき、

「よかった…本当によかった。ありがとう…」

 みっともなく泣き崩れた私を少女は優しく抱き留めてくれた。

「お礼を言うのは私の方だよ。助けてくれてありがとう」

 少女もそこまで言うと私の涙につられてしまったのか涙を流して、私が泣き止むのをただ待ってくれた。


 それから平静に戻るのには多少時間が要した。

 平静に戻ってからというと、私は恥ずかしくて穴に入りたい気持ちしかない。

 泣きはらした顔をこすりながら、

「ごめん…訳わかんなくなってた」

 少女は私に笑顔を向け、

「えへへ。大きいのに泣き虫なんだね」

「その言葉は刺さる。まぁ、事実だから言い返せないけど」

 痛いところを突かれて顔が熱い。でも、仕方ないでしょ、私は戦いなんてしたこともないし、刃物を振り回したこともないんだから。

「けど恰好良かったよ!ゴブリンをナイフ一本で倒しちゃったんだもん!」

 目を輝かせて、さっきの戦闘を美談のように話されても困る。さも私が抜群の立ち回りでもしたかのような言いようだったから。

 どう考えてもパニックになって暴れてただけ。

 あの老人には悪いと思うけど、こんな私を勇者にしようとするとか、目が腐ってるとしか言いようがない。

 それに倒したか、と言われてると微妙ね。

 こいつはやばい、関わらないでおこうと思われて逃げていったようにしか見えなかった。

「ゴブリンね」と独り言。

 その言葉には聞き覚えがあった。確か指輪物語か何かで聞いたことがある。

 それに知識として知っているレベルなら、子供のような姿や醜悪な見た目が特徴の妖精だった思う。邪悪な存在とは一重に言えなかったはず。

 ああやって襲ってくるのが普通なのかもしれないけれど、また襲われるかもしれないと思うと、ぞっとする。

 頼みの綱の短剣もなくなってしまった。今襲われたら、逃げるしかできない。

 ふと、さっき私が振るった剣が目に入った。

 幅が広く、小ぶりで簡素な作りの剣。

 大人が持つには少し短いのかもしれないけれど、さっき私が振り回した時、思ったよりも手になじんだ。

 拾い上げて辺りを見回してみると、さっき赤い頭巾を被ったゴブリンが捨てた鞘も見つかった。

 剣を鞘に仕舞い、ベルトに残った短剣の鞘を外してから剣を指す。思ったよりズッシリとした重みが腰にくるものの、そこまで動きは制限されなさそうだ。

「とりあえず、お守り程度ね」

 不安しかないけれど、ないよりはマシだと思う。

 金輪際抜くことがないことは祈っておきたい。

「お姉ちゃんは冒険者だよね?」

 少女に冒険者と聞かれたけど、実際のところどうか分からない。

「そうなるのかな?わかんないけど?」

 偏見かもしれないけれど、冒険者のイメージがララ・クロフトかインディ・ジョーンズぐらいしか思い当たらない。冒険者の定義が分からないけれど、私がそんなスーパースターではないことだけは確か。

「なら村に来てよ。私お姉ちゃんのお話聞きたい!」

 せがむように頼んでくる姿は年相応の姿に見える。

「うん。勿論、案内をお願いしてもいい?」

「まっかせて!」

 自身満々なのも背伸びをしたがっているようで、いい意味で子供らしい。

 ただ困ったことに、お話と言っても出来ることがないんだよね。

「そうだ、自己紹介するね。私の名前はマリア。この山裾にあるシノの村に住んでるの。お姉ちゃんは?」

 そういえばまだ自己紹介もしていなかった。なのにいきなり抱き着いたりして…本当に恥ずかしい限り。

「名前はカホ。何て言ったらいいのかな分からないけど、二ホンから来たんだ。よろしくねマリアちゃん」

 簡単な自己紹介にマリアちゃんは言いにくそうに『カ・ホ』と一文字ずつ区切るように発音してから、もう一度『カホ』と発声した。

 言いにくいのかな?そうは思ったものの、マリアちゃんは笑顔を見せ、

「カホお姉ちゃん!よろしくね!」

 ちょっと発音的に聞き取りにくかったけど、頑張って発音してくれたことは分かる。

「よろしくね、マリアちゃん」と私も返す。

マリアちゃんは「こっちだよ」と私の手を引く。二人で山道を歩いていく。

「二ホンってどこにある国なの?」

 マリアちゃんに尋ねられたものの、「うーん?」と自分でうなってしまう。

 まず私はここがどこか分からない。

 あと二ホンはアジアの東端と言いたいけれど、どこの国にあるのと聞かれては答えに窮する。二ホンという国だよ、と答えたいけれどこの世界の常識とか全く分からないので上手く説明できる気がしない。

 マリアちゃんは「そうだよね地図がないと答えられないよね」と前向きな解釈をしてくれた。

「私シノの村しかしらないから。あ、けどこの前ねアルトヘイムから商人が来たんだよ!」

「そっかー」

 気の抜けた返事になってしまったかもしれない。ダメだ、わからん。アルトヘイムが何なのか皆目見当つかない。とりあえず町か国っぽいのは分かった。

 そんな会話を10分ほどしていると、森が切れ村が見えてきた。

 ちょうど山を降りきったところに山裾に沿うように囲われた腰くらいの高さの塀。

 そして10戸くらいの木造の家が建ち並び、少し離れたところには小さな畑もある。村には、簡素かつ身軽そうな服を着た村人達が数人歩いているのが見える。

 村の入り口を開け中に入ると、マリアちゃんが私から離れ、先に行き振り返る。

「シノの村に到着だよ!ようこそ!」

 なんて可愛らしい歓迎を受けた。思わず笑みがこぼれ「歓迎ありがとう」とお礼を返す。

「マリア!」

 不意に若い男性の声が聞こえた。声の方向を見てみると、20代くらいの男性が血相を変えて走ってきているのが見えた。

 日に焼けた髪と肌を持つ壮観な男性だ。ただ、その見た目に反して瞳は優しい。

「あ、ウェンおじさん!」

 とマリアが手を振ってこたえる。どうやらウェンというらしい。

「どうしたんだ、そのケガ…それにその人は?」

 ウェンと呼ばれる男性はいの一番にマリアのケガを心配し、服の一部を裂き巻き始めた。

「お花を飾りにいったの。そしたらゴブリンに襲われたけどカホお姉ちゃんが助けてくれたんだ!」

 マリアちゃんはウェンさんという方に体をめい一杯使い表現している。その姿は微笑ましいけれど、思い返せばかなり危ない場面だった。中々笑えないピンチだったと思う。

 ウェンさんはマリアちゃんの言葉を聞き、その表情を強張らせた。

「な、また一人で行ったのか危ないだろ!」

 怒られた事にマリアちゃんは体を震わせ小さくなり、「あう…ごめんなさい」と肩を落とし、私の裏に隠れた。

 事情はよくわからないけれど、どうやら彼が保護者のような立場のようだ。

「あなたがマリアを助けてくれたんですね」とウェンさんが私に向き合う。

 ウェンさんの言葉には「たぶん」とだけ答えて濁す。正直自身がない。無我夢中だったし。

「カホといいます。えーとウェンさんでよかったですか?」

 私の言葉にウェンさんは頷き

「ああ、ウォルター・ウェリンガムだ。その…冒険者なのか?」

 それにも「たぶん」としか答えられなかった。どういった人を冒険者と言い表すのか分からない。ましてやあの老人に言われた勇者なんて口が裂けても言えない。

「悪いが、フリーの冒険者に報酬を払えるような裕福な村じゃないんだ。これしかないが」

 そういいながらウェンさんは懐から数枚の硬貨を取り出した。

 銀製のような硬貨を私に差し向けてきた。

 その様子に何となく冒険者が普段どうやって生計を立てているのか分かった気がする。ゴブリンのような存在を倒したり、人を護衛したりしてお金を貰っている職業なのだろう。

「あの子を助けてくれて本当に感謝している。だけど、この村も手一杯なんだ」

 悲痛な面持ちで、申し訳なささが伝わる。きっとこの金額じゃ本来冒険者は雇えないのも分かった。

 お金の基準は分からないし、相場も分からない。それに、マリアちゃんを助けたのは自分の意思。お金が欲しかった訳じゃない。

「えっと…報酬とかより泊めて欲しいんだけど。根なし草だから」

 私の言葉にウェンさんは驚いたように目を見開き、

「あんた本当に冒険者なのか?」

 再度聞かれた。さっきは『多分』と答えてしまったものの、冷静に考えるとやっぱり違うかもしれない。

「わかんないです」と情けない答えをしてしまう。ウェンさんは首を一度傾げた後、

「もしかして勇者なのか?」

「絶対それだけはない」

 これだけは断定できる。強く否定するとウェンさんはさらに困惑したように眉をひそめ。

「そうか。なんていうんだろうな、勇者って世間知らずなところあるからな。あんたみたいな感じで浮世離れしているっていうか」

 浮世離れしている。それはそうね。ついさっきここに来たばかりなんだから。お金の基準とか相場とか土地全く分からないことばかり。

「勇者って複数いるんですか?」

「俺が知る限りじゃ、2人かな?もっといるだろうけど。1年前に現れたのが最後かな」

 その言葉には困惑よりも安堵の気持ちを得た。他にも勇者がいるなら魔王討伐なんて他の勇者に任せてしまえばいい。そんな他力本願な気持ち。

 誰でも良かったというのが分かってホッとした。少なくとも私のような一般人を送り込んで勇者になれ、なんて狂人のそれと変わらない。

 他にもいるから、とりあえず、なら納得も出来る。

 まぁ、それでも私は勇者ではないと胸を張って言えるけど。

 私とウェンさんが話をしていると、マリアちゃんがおずおずと顔をだし、

「ねぇ、ウェンおじさん。カホお姉ちゃん、うちに泊まってもらってもいい?」

 小動物のようにねだる言葉。ウェンさんは頷き、

「分かった。でも、カホさんを困らせたらダメだぞ。いいな」

 優しい諭すような言い方にようやくマリアちゃんは私の後ろから出てきた。大きく頷いてみせる。

「それでいいかな、カホさんも?」

 一応こちらにも確認はとってくれた。もちろん、としか私には答えはないけれど。

「ごはんは後で持っていくよ」ウェンさんがマリアちゃんに言ってから、ウェンさんが私を手招きする。

 近づくと小さな声で

「マリアをよろしくな。この子も人肌恋しいだろうしな」

 そんな意味深な言葉を言われた。

「どういう事ですか?」

 なんて聞き返してから、ふとマリアちゃんの言葉を思い出した。

 ただ、その可能性があるだけで確信はない。邪推になる可能性もあるからやめておいた。

 小さく頷いて返すと、ウェンさんは安堵するような頷いて返してくれた。

「うちのバカ亭主、何やってんだい?若い娘に声なんてかけて、困らせるんじゃないよ」

 不意に怒声が聞こえた。私も驚いたけど、ウェンさんは目に見えて動揺していた。

 声のした方向には、長い髪をかき上げ、日に焼けた肌を持った長身の女性が立っていた。手には収穫したであろう野菜と水の入っている桶を抱えており、体は華奢だが、力強さを感じる。

「カミラ…俺は別に」

 何かを言おうとしたものの、カミラと呼ばれた女性は器用にバランスをとったままウェンさんの臀部を蹴り、

「ほら、次は竈に火をくべな!まだまだ仕事は終わってないよ!」

と仕事を催促する。ウェンさんが尻に引かれているのはよくわかった。むしろ、こんな剛毅な女性の尻に引かれない男性がいるなら見てみたい。

「わかったよ…」

 カミラさんはウェンさんが仕事に戻ると私たちに視線を向け、少年のように笑って見せた。

「マリアちゃんおかえり!あと、冒険者さんもありがとよ!話は聞いてたよ」 

「ただいま!カミラおばさ…おねえさん!」

「おう!カミラお姉さんだよ!」

 やけにお姉さんを強調していた。カミラさんは抱えていた荷物をゆっくりと地面に置き、呆れるように両手を広げ、

「この村には宿も武器屋もないけどね、まぁ、ゆっくりしていっておくれよ」

 何もない、と説明してくれた。確かに、そういった施設のようなものは見当たらない。

「ゆっくり休めそうです」

「そりゃあね。それ以外何もないからね」とカミラさんは笑って見せた。

 それからウェンさんの姿が完全に見えなくなったのを確認してからか、カミラさんは悪戯っぽく笑い、自分の胸元に手を入れると小さな袋を取り出し、私に差し向けてきた。

「それと…あのバカ亭主の小遣いじゃ雀の涙だったろう?ほら、駄賃だよ」

 一度断ったのに、と戸惑ってしまう。意地でも渡したいのか、とも思ってしまう。

 断ろうと首を振って見せたものの、カミラさんは強引に私の手を取り、その袋を握らせてきた。

「こんな小さな村だ。助け合って生きていかなきゃいけないのさ」

 少年のような表情が特徴的なカミラさんが落ち着いた表情をし、静かな口調でそういったので、思わずその袋を受け取ってしまう。

 渋々受け取った私にカミラさんは私の頭を撫で、

「マリアを助けてくれたんだろ。これは正当な報酬だよ。それでも受け取れないならあたしからの感謝の気持ちだ、無碍にしないでおくれ」

 諭しながらも優しさを含んだ包容力にもう抗えなかった。

「ありがとうございます」と袋を握りこむ。

 カミラさんは満足したのか、荷物を拾い上げ、また屈託のない笑顔で

「バカ亭主には内緒だよ。こんな金額ポンと渡す余裕があるなんて知れたらすぐにサボッちまうからね!」

 そう言い残しカミラさんは去っていった。それから「グズ!ノロマ!火がついてないじゃないか!」とカミラさんの声と共に「いや、火がつかないんだって。この木湿気ってる」とウェンさんの悲痛な声が聞こえてきた。

「あはは。ウェンおじさんとカミラおばさんは面白いね」とマリアちゃんが笑っていた。それには同意。

 ついでに、私はこころの中でウェンさんの応援をせずにはいられなかった。



 カミラさんと別れてから、マリアちゃんに手を引かれながら彼女の家へと向かう。

 村の西端にある木造の家で、他の家とそれほど違いがあるとは思えない。

 マリアちゃんは木造の扉を開け、中に入ると振り返る。

 大きく両手を伸ばし、

「わが家へようこそ!歓迎するよ!」

「盛大だね」

 マリアちゃんの盛大な歓迎には思わず笑顔になってしまう。

 それと共に分かってしまうことがある。

 あるはずの言葉がない。かけられるはずの言葉もない。分かっていはいた。

 いかに私が恵まれていたのがよくわかる。

 やっぱり。マリアちゃんは、と言葉に詰まる。

 あの老人と同じことをしようとしていた。だけどそう思わざるを得ない。

 マリアちゃんは部屋の中に入ると、家の中に置いてある薬研の近くまで走り、

「えへへ、お母さんね薬剤師だったの。いつか私もお母さんみたいな薬剤師になるの」

 そういいながら何も入っていない薬研を動かして見せた。

 こうやってたんだよ、とまるで私に説明するように見せてくる。

「うん。マリアちゃんならきっとなれるよ」

 私の言葉にマリアちゃんは照れたように笑顔を見せた。

 パタパタと走り周り家の中を説明してくれる。

 その言葉の中には「お母さんが」と何度も出てくる。

 彼女の母親がどんな人だったのかは分からない。マリアちゃんの表情が明るいことから、その関係は良好だったのだろう。

「マリアちゃんは幸せ?」

 思わず聞いてしまった。

 彼女の答えを聞いてどうする、なんて考えていられなかった。

 ただ、言ってから後悔してしまう。

 誰かより幸せなんて思いたくなかった。幸せだけは相対評価したくなかった。

 マリアちゃんはキョトンとした表情を見せ、考えるような素振りを見せた。

 それから、しっかくりと私の方をしっかりと見つめ

「うん!」

 そう大きく頷いた。

 力強い。不幸だ、とか不憫だとか少しでも思ってしまった私が恥ずかしい。

 彼女には彼女の生き方がある。だったら―

「私も。すっごく幸せだよ」

 こんな世界に来て、後悔していたし不幸だとも思っていた。でも、力強く、真っすぐ生きているマリアちゃんを見てまだ頑張れそうな気がした。

 あの老人は光と熱を届けたい、とか言っていたけど、本当にこの世界に勇者なんて必要なのかな?

 こんなにも強く生きている人達がいるのに。

「今日もウェンおじさんは面白かったし、カミラおば…おねえさんは恰好いいし!カホお姉ちゃんとも会えたし!」

「そうだね」

 まるで夢見事を語るように目を輝かせ、今日の出来事を伝えてくれる。

 山道に生えていた綺麗な花。お母さんのお墓に花を供えにいったこと。薬草を摘んでいたらゴブリンに襲われたこと。

 危ない話も辛い話もあるのに、前に進んでいくその姿に私も頑張ってみようと思えた。

 ゴブリンに襲われて、無我夢中で攻撃して、死ぬかもしれないことに心が折れそうだったのに、もう一度頑張ってみようと思える。

 むしろ熱と光を届けられているのが勇者として送り込まれた私の方だ。

「ねぇねぇ!どんなところを旅してきたの?」

 マリアちゃんが私の話をせがんでくる。旅の話は出来ないけれど、

「うーん、旅はまだ始めたばかりなの。そうだ、二ホンの話をしてあげるね」

「お姉ちゃんの国の話!わーい!」

 飛び跳ねんばかりの勢いで喜んでくれた。

 私はそんな彼女に平和で朴訥な世界を語っていくことにした。

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