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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第十六話『レンツ子爵領 中編』

第十六話『レンツ子爵領 中編』



 次の日―朝の食事を一人で済ませ、仕事を片付けてしまう。

 仕入れの台帳や今回の被害。それにかかる修繕費。そして魔物の討伐についての王都への報酬の手配。

 こういう帳面仕事は割と得意だ。だからこそ、この子爵お抱えの商人なんかを私が任せられている。

 部屋を出て渡り廊下を歩ていると若いメイドがミルゴを見かけ駆け出していたのが見えた。

 ミルゴもあの仏頂面を少し崩し彼女と何か話している。

 まだ気づかれてはいないが、これはマジマジと見るものでもないだろう。

 それに、あの二人が男女の仲となっても、あのメイドも中々可愛らしく愛くるしく、元気な子だ。

 仏頂面のミルゴをもっと笑顔にしてくれるのではないだろうかと思うと不思議と私も嬉しくなってしまう。

 廊下をそそくさと歩いて行くとカホさんの声が聞こえてきた。

「素敵!」

 と何やら明るい声だ。そちらの方へ行くと、豪奢ながらも落ち着いた色のドレスに身を包んだカホさんの姿があった。

 その隣にはメイド長のアンヌが少しだけ誇らしげに立っている。

 私を見るや「どう似合う?」と嬉しそうに回って見せた。

 正直、服装だけでここまで変わるとは思っていなかった。いや、よく見ると違う。

 薄いものの化粧や、若干髪型を変えている。

 多分メイド長のアンヌの渾身のお洒落術だろう。

「驚きましたよ。可愛らしくなられましたね」

 カホさんとメイド長のアンヌにそう言うと、二人とも頬を綻ばせた。

「稽古が終わったからアンヌ様におめかしてして貰ったんだ」

 元気にカホさんがそう言う。

 よく見るとドレス姿なのに二人とも手に木剣を持っているのが恐ろしい。

 二人がここにいるということはカイル坊ちゃんは恐らく勉学の時間だろう。それが終われば魔術の教養もあるので、おおよそカホさんが暇なのは分かる。

「カホさんはこれから何を?」と一応聞いておく。

 多分稽古だろうな、とは思っていたのだが、

「あ、そうだ。商人さん。昨日魔物から取ったものを売りにいきたんだけど?」

 その言葉に固まってしまう。

「その恰好でですか?」

「なんで?」

 折角のドレス姿なのに、何故そんな野蛮なことをしたがるのか分からない。

 いや、売りに行くのは野蛮でもなんでもないものの、カホさんが売りに行く物が魔物由来のものだ。

 カホさんにどう説得するか困ったものの、ふとメイド長のアンヌの手に青あざが見えた。

 手も少し痛そうだ。

 恐らくカホさんのあの恐ろしい剣の一撃を貰ったのだろう。仕方ない。ここはメイド長のアンヌを休ませるためにも引き受けますか。

「いえ、案内しましょう。今日はもう暇なので。あとアンヌはこれからお仕事があるので、ここからは私と行きましょうか」

 そう快諾すると、カホさんは目を輝かせ、逆にメイド長のアンヌはホッと息を吐いていた。相当痛むのだろう。

 カホさんもカイル坊ちゃん相手には手加減は出来るのだが、相手が強ければ強いほど本気でやるタイプなので困ったものだ。

 だからこそ勝てるはずのないメイド長のアンヌにすら一太刀入れてしまえるのだろうが。

 カホさんに連れられ彼女の貸し与えられている客間へ行き、彼女の麻袋をそのドレス姿で担ごうとしていたので思わず私が持つことにした。

 折角のドレスを汚すのはなんだか申し訳ない。

 町へ行くとカホさんはまず…近くの露店を見つけて駆け出していく。

 売りに行くのでは…と思ったものの、串焼きをみるや、2本頂戴、と声をあげる。

 これは疲れそうだ。妙に元気だから余計に厄介だ。

 露天商もその楽しそうな彼女を見ると顔を綻ばせて、何か話している。

 おてんばなお嬢様を引き連れているみたいだ、と思ったのは余談だ。

「商人さん!はい!」

 そう言って、相変わらずの眩しい笑顔で私に串焼きを一本渡してくる。

 多分荷物を持ってあげているお礼なのだろう。固辞するのも失礼なので、受け取ると彼女も買ってきた分を食べ始めた。

 それにしても、折角貰った報奨金の始めての使い道が食べ歩き、とは。

 本当に冒険者は自由ですね、と思わず笑みがこぼれる。

 カホさんと食べた串焼きはいつもより美味しく感じてしまう。

 それからもカホさんは町を回り出し、服屋では買い物に渋っていたにも関わらず、武器屋では矢を数本買ったり、武具の修理を迷わず決めていた。

 所々で、

「昨日の冒険者…さんか?」

 と言われ、その度に「そうだよ!この服可愛いよね」と嬉しそうにカホさんが回ってみせると町民達も苦笑し。

「可愛く着飾って化粧もしたら本当に女の子だな」

「失礼な!いつでも女の子だよ!」

 とこんな会話が聞けた。

 冒険者を嫌う町や村は多いが、カホさんのような愉快な冒険者であれば、意外にもどこでも受け入れられるのではないだろうかと思ってしまう。

 町を回り挨拶し、そして一緒になって買い食いをして…なんてこんな何でもないようなことが少し楽しいと思える。

 彼女にとっては町が新鮮なのか、何をしていても楽しそうだ。

 ついでだが彼女の戦利品については大した金額にはならなかった。私が口添えし、本人きっての適正価格で引き取って欲しい、と告げたので仕方ないと言えば仕方ない。

 少量の金額ですら「結構な稼ぎだね」とお小遣いを貰ったかのように喜ぶ彼女に苦笑もした。

 そうして昼食の時間も忘れて走り回り、屋敷へと戻ると昼食と勉学を終えたカイル坊ちゃんがやきもきしていたようで、彼女を走って迎えに来た。

「カホ!今日も剣の稽古をしよう!」

 そう言って坊ちゃんは先に用意していたであろう木剣をカホさんに差し向ける。

 少しくらい休んだらどうですか、と遊び疲れた私が言おうとしたものの、

「おっけー!じゃあ行こう!」

 と元気に剣を受け取り駆け出す。

「その恰好で?」とカイル坊ちゃんも困ったようにその後を追う。

「気に入ってるからね」とカホさんはどうやらそのままやる気らしい。

 これは仕方ない。それにメイド長のアンヌの姿も見当たらない。仕方なく二人を追う。

「あれ?アンヌ様は?」とカホさんが口に出し、

「アンヌはちょっと忙しいみたい」とカイル坊ちゃんも不思議そうな顔をした。

 多分まだ痛むのだろう、と察しておいた。

 あのメイド長のアンヌですらそんなダメージを負うのだ、私ならアバラが砕けるだろう。

 二人は昨日のように中庭で剣を打ち合う。大体、カホさんの優勢であっとういう間に勝負はつくのだが、カイル坊ちゃんも負けじと立ち向かう。

 そんなカイル坊ちゃんを、自分の持つ少ない知識でもなんとか教えるように、不格好ながら師事する彼女も中々微笑ましい。

 お転婆なお嬢様というより、まるで困ったお姉さんだ、と苦笑してしまう。

「お前もそんな表情をするのだな」

 ふと聞こえてきた主人の声に思わず体が硬くなる。

 顔を向けるとレンツ子爵が私の隣に立っていた。

「レンツ子爵様…どうかされましたか?」

 私の驚きを解せず、レンツ子爵様はカホさんとカイル坊ちゃんを眺め、

「いや、息子の頑張りと、もう一人おてんばな娘が出来たようでね、楽しそうな声に釣られてつい見に来たのだよ」

 その言葉は本心なのだろう。騒がしいような、楽し気な二人の声に時々メイド達も足を止め二人を見守っていた。

「お仕事は進んでいますか?」と私は必死に勇気を振り絞って悪態をつく。

 怒られるかな、と思っていると、レンツ子爵は小気味よく笑ってみせてから、困ったように眉をまげ。

「まぁまぁ、だな」

 どうやら仕事に手が着かないらしい。

 たまにはそういうのもいいのだろう。人には息抜きは必要だ。

「息抜きと思ってくれ」と私の心を読みすかしたような言葉に思わず私が反応に困ってしまった。

―カコン

 そんな音と共に剣が打ち上げられた。カホさんのパリィだろう。

 そう思って視線を戻すと、カイル坊ちゃんが両手をあげて喜んでいた。

「やった!勝った!」

 その一言に驚いた。カホさんは尻もちをつき、悔しそうにそのまま大の字になって寝ころんだ。ドレスに土がつくから止めなさい…という気がそがれる。

「くそー負けたー!」

 それくらいに思わず息を呑んだ。昨日も今日も見ていて、カイル坊ちゃんがカホさんに勝てるなんて全く思っていなかった。

「坊ちゃんが一本取りましたよ!」

 思わず声を上げてしまった。

 子爵様は小さく頷く。そしてその拳が震えていた。

 カイル坊ちゃんが子爵様に気付き駆け寄り、誇らしげにその傷だらけの体で。

「父上!見ててくれましたか!初めてカホから一本取れました!」

 その言葉にもう我慢できなかったのだろう。まだ幼い我が子が、猛者を倒したその姿が。

 手を伸ばし豪快に抱き留めると。

「おお!よくぞやった。我が息子よ」

 嬉しそうに、倒された猛者をそっちのけで喜んでいた。

 とうの猛者ことカホさんはというと、

「もう次は負けないからね!」

 なんて子供のようなことを言っている。聞けば彼女の年は××らしい。カイル坊ちゃんと背格好が殆ど同じなので、もう2、3は下に見えた。まぁ、それは普段の彼女の所作も含まれているのだろうが。

 子爵様はカイル坊ちゃんを離し、その頭を一度撫でると、カホさんに向き直り。

「カホ殿も応援しているぞ」

 その一言にカホさんは大げさに構えて見せ。

「任せて下さい!子爵様!ボコボコにします!」

 その言動はどうかと思う。本当にレンツ子爵様でなければ彼女の言うように打ち首ものだろう。

「はは、手加減はしてあげるのだぞ」と寛大に許すレンツ子爵様には頭が上がらない。

「いやもう強くて手加減の余裕もないですよ!」

 カホさんはそう言うと剣を構える。

 素直な称賛というのが分かる。そして、認められる嬉しさを噛みしめるようにカイル坊ちゃんはさらに元気な声をあげる。

「よし、行くよ!」

 そう言って構え合い、二人が剣を交える。

「次も勝つのは僕だ!」と気迫で押すカイル坊ちゃん。

 カホさんは押されながらも、必死に声を上げ、得意のパリィからのゼロ距離へと飛び込み。

「てりゃー!」

 掛け声と共に一閃を放つ。

 カイル坊ちゃんは一瞬飛びずさったものの、剣を受けてしまい盛大に転げるもすぐに立ち上がり。

「いったー!カホ、本気でやったな!」

 剣を受けた場所をさすりながらも立ち上がる。あんな剣を受けたのに、そこには恐怖はない。絶対に勝つという勇気すら見える。

「ふふん!どや!」とカホさんは子供のように誇る。

「そうこなくっちゃ!」

 カイル坊ちゃんが嬉しそうにまたカホさんに向かっていく。

 しかし、あの剣技に圧倒され見るも間に劣勢へと追い込まれる。

「カホさんはかなり強いみたいですよ」

 私がいい訳のように子爵様に告げる。

 そんな私の言葉に子爵様は小さく笑いながらも自分の息子の成長を見守り。

「聞いてるぞ。アンヌがやけに評価しているからな。そんな猛者から一本を取るとはな」

 剣が弾き飛ばされ、カホさんの投げが決まる。

 地面に転がりカイル坊ちゃんは腰をさする。

「いてて…」と本気で痛そうだ。

 そんな坊ちゃんを勇気付けるように、

「カイルよ。まだやれるだろ?」

 その言葉の返答は必要なのですか、と思うような問いに。

「勿論です!次は勝って見せます!」

 そう言いながら剣を拾いにいくカイル坊ちゃん。

 成長を見守るのは大人の特権だと思ってしまう。

「あら私も混ぜて貰ってよろしいでしょうか?」

 ふとメイド長アンヌの声が聞こえた。振り向くと彼女がいて、思わず大人気ない、と思ってしまう。

 メイド長のアンヌに気付いた二人はその姿を見て嬉しそうに口元を綻ばせるが、すぐに顔を青ざめさせる。

 なんたって彼女が二刀の細剣を携えているから。本当に大人気ない。

「ひぃ!二刀のアンヌ様!?」

「アンヌ…ヤバい」

 二人が恐怖の声をあげる。

 あんな剣技を見せられたら、そうなるのも無理はない。

「頑張れ息子たちよ!私でもアンヌには勝てん!」とまるで子爵様は煽るような言い方だ。

 メイド長のアンヌは軽く準備運動をし始める。

「えっと、またなんで?」

 私の質問に、彼女は茶目っ気を見せ。

「ふふ。お食事前にちょっと運動をと思いましてね。それにカホさんの心地いい剣技とまた交えてみたくなってしまいました」

 『銀』や『足長蜂』とも呼ばれる恐ろしきメイド長のアンヌですら、やはり興味のある剣技なのだろう。それともカホさんに惹かれるのだろうか。

 それにしても、仕事をそっちのけで子爵様の前に出てくるとはそれは豪胆ですらある。

「今日は料理もちゃんと作るのだぞ」と子爵様からの鋭い一言。

「も、勿論です!子爵様!」と恐ろしきメイド長もしっかりと答えた。

 メイド長のアンヌが軽く剣を振り、

「さてと、始めましょうか」

 そう言って、試合が始まった。

 ものの、数秒と言える時間で決着がつく。

 カイル坊ちゃんは本気の彼女の力に成すすべなく、四肢を突かれた。

 子爵様の前でそれはどうかと、と言おうと思ったものの、子爵様が楽しんでおられるので、口は挟まないようにした。

 唯一の希望でもあるカホさんはなんとか彼女の『銀閃』を潜り抜け、剣を振るうがあっさり細剣で躱され、首元を斬り払われる。

 …だけでは済まず、そのまま細切れにする勢いで切り裂かれた。

「ぎゃー!」

 木剣だからよいものを…。

 本当に大人気ない。朝の仕返しのつもりだろうか。それともカホさんへの本格的な師事が始まったのかもしれない。

 カホさんがやられるとカイル坊ちゃんは驚愕した表情で、

「アンヌ…ヤバい」

と恐怖を口に出したものの、すぐに笑顔を見せた。

 そこまでたどり着いてやる、といった強者に挑む顔だ。

 二人がメイド長と剣を交わしそろそろ食事の時間だと思ったところに…

「お?やってんじゃん?」

「全く、今日もか?暇なのか?」

 またタイミングの悪い時に二人が来た。

 二人とも子爵様を見るなり慌てて頭を下げ「お邪魔してます」と挨拶していた。

 そんな二人に子爵様も軽く手を振って応える。

 二人は同時にカホさんを見ると、

「おいカホ!」とシャン。

「カホ!」とミルゴ。

 同時だった。稽古をつけにきたのだろうけど、気が会い過ぎだ。

 そんな様子も子爵様には受けが良かったらしい。

「少し前までは泣き虫だったのにな」

 とシャンとミルゴを見て笑みを浮かべていた。

 当の二人は

「俺からだ!」

「俺だって!」

 とカホさんの師事の件を取り合っている。

 状況が状況ならカホさんがもてているようにでも見えるのだろうけど、あの二人からするとカホさんは弟のようなものなのだろう。

 そんなカホさん人気に嫉妬したのはカイル坊ちゃんだ。

「ええー!シャン、ミルゴ、今日は僕にも教えてよ!」

 その言葉に慌ててシャンが向き直る。

「勿論ですよ坊ちゃん!」

 その変わり身の早さだ。

 そして、それを分かっていたのかミルゴは軽く笑って見せ。

「なら、まず俺がカホとだな」

「ちぇ、ずるいなぁ」とシャンは愚痴のようなものを零す。

「あ、そんなこと言えるの?カイル君も結構強くなってるよ。さっき一本取られたし」

 カホさんの言葉にシャンは驚いたように目をしばたたかせ。小さく笑うと、いつもカイル坊ちゃんとの相手に使う剣ではなく棒を取り出した。

「へぇ、そいつは…楽しみだ!」

 その姿にカイル坊ちゃんは嬉しそうに声を上げ、すぐに剣を構えた。

 カイル坊ちゃんにとっても、いやこの町の誰にとっても槍を使うシャンこそが憧れの一つなのだ。

 槍で相手にしてくれるその嬉しさで、カイル坊ちゃんは擦り傷だらけの体ながらも懸命に剣を振るう。そして、シャンも一人の男と認めるようにカイル坊ちゃんと対峙する。

 そんな横で、カホさんはミルゴの華麗とも言える盾捌きに圧倒され地面を転がった。

 彼女が上体を起こし、その体を起こす為にミルゴが手を差し出す。

 カホさんはその手を取りながら、太陽のように笑い。

「あはは!結局皆揃っちゃたね!」

 照れながらのその言葉は、きっと自然に口から出たのだろう。

 そして、私は…いや子爵様も同じことを思い出していたのだろう。

 幼いシャン達三人が剣を打ち合っている隣で、今は亡き奥方様がまだ赤子のカイル坊ちゃんを抱いて見ていた。そこに私達が見にくると言っていた一言と同じだ。

―屋敷は広いのに結局皆揃っちゃったわね

 その言葉を噛みしめるように、子爵様が口元を綻ばせ、

「今日は私もいるぞ?」

 あの思い出の言葉をこぼした。カイル坊ちゃんは分からなかっただろうが、三人組は少しだけ照れたように視線を逸らした。

 この場所は奥方様の愛された場所であり、そして、私達にとっても思い出の場所なのだ。

「あっ、やば!今のなし!」とカホさんの相変わらずの間抜けな声が漏れた。

 そんなカホさんを中心に笑いがおこる。

 奥方様はもういないがここには笑顔がある。

 そして、少しの間だけになるだろうが、カイル坊ちゃんのお姉さん役の、お転婆なお嬢様がいる。

 過去の幸せは戻らなくても、今のこの幸せは噛みしめていたい、そう思うばかりだ。

 余談だが、この後ここにいる全員があの若いメイドに、食事の時間に遅れていると告げられ、今度は子爵様と一緒に走って向かうことになった。

 別に子爵様がいないと始まらないのだから急ぐ必要はない。

 それでも、何となくお互いのバカさ加減を笑いながら走っていくことにした。




 カホさんが来て3日目。

 いつものように朝食後廊下を歩いているとシャンが何やら手紙を読んでいるのが見えた。

 多分、王都の花からの恋文だろう。

 紙自体はかなり古く粗末なものなのでふと疑問にも思うが、何やら優しそうな表情を浮かべる彼の邪魔をしてはいけないと思ってしまいその場を後にした。

 廊下を歩いていると赤い髪が揺れた。メイドの服を着ているが…まさか。

 そのメイド服を着た赤髪の少女はこちらに振り返ると、

「今日はこれにして貰っちゃった!」

 やけに嬉しそうだ。

「なんで『給仕服(メイド服)』を?」

 活動的な彼女に合わせてなのだろうか丈も短い。もしかして雇われたいのだろうか?

「アンヌ様が仕立ててくれてたの」

 まぁ、そうだろうとは思っていた。

 それにしても、彼女が来てからメイド長のアンヌがやけに砕けた性格になったものだ。

 ここまでお遊びをする人ではなかっただろうに。

「はは!本当にお転婆姫だな」

 不意に聞こえた声に私は姿勢を正す。

 カホさんは頬を膨らませ振り返り、

「もう!…って子爵様!?」

 慌てて姿勢を正した。

 私も驚いている。いくら執務がある程度終わったと言ってもこんなところを散歩に来る人でもないはずだ。

 レンツ子爵は片手を振り、

「よい。君のような冒険者はそうでなければ」

 寛大な言葉を掛けるも、カホさんは分かっていないようだ。

「えへへ」と照れたような表情を浮かべる。

「今日はどうするのだね?」

 子爵様の言葉にカホさんは少し考えるような素振りをし。

「うーん、狩りにいきたいけど、この服汚すのもな」

 開幕の一言が狩りだったのは聞かないでおこう。

 余談ではあるが、昨日の晩餐の後、カホさんが干し肉を作りたいとあのワイルドボアを解体した肉を干すことになった。あのドレス姿で。

 その姿を見て、さすがのレンツ子爵様も反応に困っていたが許可はしてくれた。

 彼女の些末なワイルドさにはもう何か言うことはないだろうと思えてしまう。

 私自身、慣れたくはないが慣れてしまった。

 カホさんの言葉から聞くに暇なのだろう。

 カイル坊ちゃんの勉強もまだ終わらないだろうから。

 よくよく考えると朝のこの時間帯暇なのであれば坊ちゃんと一緒に勉学に励めばいいのに、と嘆息しそうになる。

 その辺をしないというのは彼女のお転婆振りを加速させている。

「なら、私と市勢を見て回らないか」

 その提案に耳を疑った。

 そしてこれには私も少し反省する。昨日の晩餐の時についついカホさん町を巡った話をしやけに興味を持っていたからだ。

「え?」とカホさんが声を漏らすものの、子爵様が「構わないか」と再確認すると頷いて返していた。

「丁度メイドの恰好なのだ。構わんだろう」

 軽く笑いながら子爵様がやけにのり気なので、ここは立てるしかない。

「では、護衛を何人か…」と言いかけたところで子爵様が笑い出す。

「はは、面白いことを言うな」

 そして大真面目に私とカホさんを見比べる。

「カホさんとお前がいれば事足りるだろう?」

 言葉に詰まる。

「はは…御冗談を」

 とは言えたものの、結局無理矢理連れ出される形となってしまう。

 カホさんは一応愛用の剣を腰に差し、私はというと彼女が渡してきた国宝級とも言える黒鋼の弓を持たされてしまった。

 固辞したのだが、丸腰では恰好がつかない、と子爵様に殆ど押し付けられた。

 せめてこの弓でなければとは思ってしまう。

 持ち主のカホさんに至っては「使う分にはいいよ」とのこと。私がこれを持ち逃げするとは思わないのだろうか。

 出かけるまでの間、子爵様は私が持つ弓についてカホさんに熱心に尋ねていた。

 彼女の話は荒唐無稽ではあるものの、冒険者によくある大袈裟な話ではあった。

 聞くや、オークとエルフと手を取り合ってあの”歩く災害”を倒した、なんていう話だ。

 それが本当なら、彼女は既に英雄として王都で凱旋をしているだろう。

 5年前の災厄を引き起こした魔物の討伐だけでなく、エアリス様の伝説のような他の種族と手を取り合っての偉業を喜ばぬ者はいない。

 変わり者の彼女でも、魔物の討伐が報酬となるくらいは知っているはずだ。

 せめてオーガくらいなら、話に信憑性も出る。

 だが、彼女の冒険譚は中々小気味よく法螺話としてはよく出来ている。

 特にあの恐ろしき剣技を使う彼女が”歩く災害”に対して何も出来ずに転げまわる場面なんて、考えるだけで思わず笑みがこぼれてしまう。

 町に出ると子爵様が歩く姿に皆が手を振り、

「子爵様!おや、そちらの可愛らしいメイドは?」

 と気さくな声も聴ける。

 これもこの子爵様の人柄のなせる業だろう。

 そして可愛らしいと言われたお転婆メイドはというと、「えへへ…」と照れていた。

「よく見たら鬼人の冒険者さんじゃないか?」

「んな!?誰が奇人よ!」

 と民からもいじられる始末だ。態々反応する彼女も悪いが。

 戦いの時は勇ましいのに、普段は全くそれを感じさせない。

「あの戦いぶりはびっくりしたよ!」と露天商が声をあげると。

 子爵様は小気味よく笑い。

「はは、私も余りのお転婆振りに驚いているよ。この恰好で狩りをしたい等と言った時はね」

 と朝の会話を披露すると、「そりゃ大変だ」「手綱をちゃんと握っていて下さいね」等と答えが返ってくる。

「ああ…ちょ、ちょっと子爵様…!」

 本人は本気で恥ずかしがっている。

 一度こちらを見てきたが、私が助けられるとでも?

 子爵様は不意に足を止め、カホさんの背中を軽く押す。

 ふと気付くとここは町の中央だ。

 そしてカホさんはその中でも丁度中央にいる。

 子爵様は両手を広げてみせ、大きく演説するように声をあげる。

「皆、この子は町を守ってくれた冒険者のカホさんだ。何かとお転婆なところもあるが、心優しい子だ。よろしくしてやってくれ!」

 その言葉に町民が笑顔を見せ、

「昨日散々食い荒らしていきましたよ」と露天商が。

「結局服は買ってくれませんでした」と服屋が。

 クスクスと笑いながら彼女を歓迎してくれる。町からもいたるところから彼女を歓迎するような声があがる。

 カホさんは照れたように頬を掻き、その頭に子爵様の手が乗せられる。

「今は私のメイドだがな。少し狂暴だぞ」

 その言葉で周りが沸いた。

「そんな恐ろしいメイド達がいりゃ子爵様に手を出そうなんて奴いませんよ!アンヌ嬢もいるのに!」

 そんな言葉にカホさんは困惑しながらも、「ちょっと!」と不服そうな声をあげる。

「私もそう思うよ」と子爵様も大きく頷く。

 カホさんは困ったような照れたような表情でワタワタと落ち着かない様子だ。

 そうして市勢周りが始まり、カホさんは昨日のように…いや、昨日以上に食べられなかったものを見つけては買いに行き、満足そうに食べていた。

 途中、子爵様の分も買うべきか迷っていたものの、それを察した子爵様が三人分を頼む等、彼の心を読む才能には感心せざるをえない。

 まぁ、しかし子爵様がそんなことをするので民としては反応に困っただろう。

 子爵様から直にお金を要求していいのかどうか困り果てていた。

 三人で露店商から買ったサンアイという魚の姿焼きを齧っていると、ふと門の方から何かが聞こえてくる。

「騒がしいな」と子爵様が鋭い視線を送る。

 そして私達の横を兵士達が駆けていくが、子爵様を見ると慌てて止まり頭を下げた。

「何かあったのか?」

 私が聞くと、兵士は畏まった様子で。

「ゴブリンが攻めてきたようです。今よりその対処に向かいます!」

 そう言い残し門の方へと向かっていった。

 またか、と思わず肩を落としたくなる。

「最近は魔物の活動が活発だな。カホさん、屋敷に先に戻っておいて…」

 子爵様が言いかけた時にはカホさんは兵士に混ざって走って行っていた。

「あなたは護衛ですよ!」

 思わず声を張り上げると、カホさんは手を振りながら、

「任せて!この町の人達、皆を守るから!」

 笑顔を見せ、そのまま行ってしまった。

 本来の性格なのだろう。私達が知るカホさんという人物は如何せん戦いが好みなように映ってしまう。

 ただ、昨日そうでもないことをメイド長のアンヌから聞かされた。

 初日、身を清めている時に「まだ斬るのは怖い」と彼女はそう言っていたらしい。

 それでも「誰かが傷つくのはもっと怖い」とも…。

 あの恐ろしい剣技を振るう彼女がそんなことを言うのだろうか、とは思ったものの、その根底にある守りたい気持ちは分かった。

 そうでないと、カイル坊ちゃんが放った魔術から、身を呈して見ず知らずの子供を守ったりは出来なかっただろう。

「行ってしまいましたね」

 と私達が彼女を見送っていると、買い物籠を持ったメイド…いやメイド長のアンヌまでもが駆け出して行った。

 絶句した。

 メイドが二人、兵士と一緒に駆けていく…なんて夢でも見ているのか、と。

「アンヌ様!」と若いメイドが驚きの声をあげ、そこにメイド長のアンヌが提げていた買い物籠が投げ渡された。

「先に戻っておいて下さい!」と凛とした彼女の声が響く。

「アンヌも行ってしましたね」

「そのようだな」

 私が思わずそう呟くと、子爵様はまるで分かっていたように答えた。

 子爵様は食べ終わった魚を露天商に渡し、軽く手と口を拭いた。

「よし、私達も行こうか」

 その言葉を聞き間違いかと思った。

「子爵様!?」

 私が驚きの声を上げている間にも子爵様は歩き出し、

「はは!たまにはいいではないか。妻の愛した子達が戦う姿を見るのも」

 私は…どちらかと言うと遠慮したい。

 しかし、名目上、子爵様の護衛だ。仕方なくついていくことにした。

 門の近くにつくと、戦闘は既にこちらの優勢なのが明らかに見て取れた。

 それもそのはずで、魔物は残りホブのゴブリンが2体と、あとゴブリンが数体。そしてその内1匹はリーダーらしきがいる。

 あくまでこれが残りであって、殆どのゴブリンが倒れ伏し、三体いたであろうホブのゴブリンは丁度カホさんの一撃で沈んだところだった。

 見る限り、胴を一閃…という離れ業だ。

 ホブのゴブリンでなければ両断していたであろう深い傷にゾッとする。

「惜しいな」とその瞬間が見れなかったことに子爵様が少し残念そうだった。

 明らかに異質な状況を少し楽しんでおられる様子だ。

 なにせ、カホさんの恰好はメイド服で、そんなカホさんに群がろうとするゴブリンを二刀の細剣で切り伏せるのもメイドだからだ。

 メイドが闊歩し、暴れまわる戦場はいかがなものか、と思ってしまう。

 そんな鬼のようなメイドにホブのゴブリンが襲い掛かる。

 丸太のようなこん棒を振り上げ、メイド長のアンヌを狙う。

「アンヌ様!」とカホさんが声を上げる。

「お任せ下さい」と察したのか、メイド長のアンヌは軽く両手の細剣を振るう。そして、どういう原理なのか前へと歩くだけでその攻撃を回避してみせた。

 次の瞬間にはホブのゴブリンは悲鳴のような咆哮と共にその手から鮮血が舞う。

 そこでやっとメイド長のアンヌが指を切り裂き、こん棒を弾いたのだと分かった。

 太刀筋すら見えなかった。

 そう思っていると、今度はそのホブのゴブリンが膝から崩れる様に体勢を崩された。

 いつの間にかカホさんが後ろを取り、足の腱を切断していた。

 目まぐるしい戦闘に私では全く理解できないまま、

「ごめんあそばせ」

 メイド長のアンヌが悪戯っぽくそう笑い、飛び込むと同時にその顔、首筋、心臓を殆ど同時とも言える速度で刺突を放った。

 ホブのゴブリンの一体が成すすべなく倒れ伏していく。

 あの二人が強いとは思っていたが、これ程とは思わなかった。

 兵士達もさすがに驚いている。

 メイド達が魔物を蹂躙している姿なんて、おとぎ話でも聞いたことがない。

「よっしゃ、間に合った…って、なんでメイドが2人もいるんだよ!」

 援護に駆け付けたのであろうシャンがそんな間抜けな声をあげる。

「鬼のようなヤバいメイドは一人で十分なのにな」

 ミルゴのややうんざりした声。

「聞こえてますよ」と言いながらもメイド長のアンヌはゴブリンの攻撃を軽々と受け流し、その首筋を舞うように斬りつける。悲鳴を上げられぬままゴブリンは絶命した。

 一瞬メイド長のアンヌが何かに視線を向けたものの、すぐに他のゴブリンが放った矢を弾いて見せた。

「アンヌ様!私がやります!」

 カホさんが、声を上げる。

「おまかせします」とそちらを見ずにメイド長のアンヌが答える。

 後ろからメイド長のアンヌに攻撃しようとした、槍を持ったゴブリンに一気に肉薄し、ゼロ距離から一気に切り上げた。

 鈍い音が響く。骨と肉を断つ音。そして断末魔。

 ショートソードであるにも関わらずゴブリンは両断され、その胴体が宙に舞う。

 その胴体が私の近くに落ちてきたものだから、思わず悲鳴をあげてしまった。

 実戦で見るとこれ程恐ろしいものだとは思わなかった。カホさんの一撃必殺の剣技。

 そして相対的にメイド長のアンヌの剣技は、美しく端正だ。

 まるで戯曲に現れる英雄のような洗練された剣術にはほれぼれする。

 冒険者の剣と、騎士の剣。その二つの明確な違いがこうも現れるとは。

 しかし、本当に不思議なものだ。ゴブリンの交差攻撃に対して、メイド長のアンヌから何も声を掛けられていないのにも関わらずカホさんがカバーに入った。

 本当に息が合っている。

「はいはい!じゃあ、ミルゴ、でかいのいくぜ!」

「合わせろよ!」

シャンとミルゴが息を合わせ、残りのホブのゴブリンへと立ち向かう。

 無骨な骨の斧を持ったホブのゴブリンは渾身の一撃をミルゴに打ち下ろす。

 しかし、ミルゴは微動だにしなかった。むしろ盾で受けた斧ごとホブのゴブリンを押し返した。

「ぬるいな」とミルゴはため息に似た息すら吐く。

 ふらりと一歩足を引いたホブのゴブリン。その眼前には既にシャンが飛び出していた。

「遅すぎんだよ」

 ニヤリと笑い、槍の一閃が正確にその頭を貫く。

 たった一撃でホブのゴブリンは力なく倒れていく。

 一瞬だ。

 どうやら私は正当な評価が出来ていなかったようだ、と思わず恥ずかしくなる。

 シャンやミルゴであれば、ホブのゴブリンなら倒せる、と思っていたがこんなにも心強い戦士であったなんて思わなかった。

 4人は声も掛け合わずに敵陣へと向かったかと思うと、一カ所に集まり、お互いの背中を預け合う。

「おい、カホ!突破口は作る。後は二人で頼むぞ!」とシャンが。

「アンヌさん!俺が道を作ります!」とミルゴが。

「ええ、ミルゴ、シャン任せます!」とメイド長のアンヌが。

「任せなよ!アンヌ様は私が守って見せるよ!」とカホさんが。

 4人はそれだけの会話でゴブリンリーダーの一団を見つめ、カホさんが大きく息を吸い、

「せーの!」とその掛け声が終わると同時に飛び出した。

 周りにはまだ他のゴブリンがいるにも関わらず、大将を狙いにいった。

 4人が一斉に駆け出し、それにゴブリン達が反応する。

 一番手はシャンだ。

 飛び込むように突きを繰り出し、最前線にいたゴブリンを穿つ。

「そらよ!」

 さらにそのまま槍を振り回し周りを薙ぎ払う。

 そんなシャンに弓と槍が襲うが、それをまるで分っていたかのようにミルゴが簡単に防ぎ、槍を持ったゴブリンをそのまま押し返し吹き飛ばした。

「回避くらいしろ」とミルゴが呆れる。

「お前がいるのに?」とシャンも悪態をつきながらミルゴの横佩を突こうとするゴブリンに一閃を放つ。

 ミルゴはシャンに背を預けるように盾を突き出し、さらに向かってくる数匹を跳ね上げる。

「アンヌさん!」

 そのまま、ミルゴが空に盾を構える。

「では、ご期待にお応えしましょう」

 それを分かっていたかのように盾を踏み台にしメイド長のアンヌが空中に放り上げられたゴブリンを切り刻み、そのまま敵の前線を飛び越える。

 メイド長のアンヌはスカートを押さえながら飛び込み、着地と同時に周りにいたゴブリンを切り払い、さらに一歩踏み込みリーダーの首筋にその二刀を突き刺すと同時に銀色の閃光が舞った。

「あら、手ごたえがないのですね?」

 一体何連撃をしたのだろうか、と驚愕を通りこして恐ろしさすら覚える。

 ゴブリンリーダーは成すすべなく文字通り切り刻まれた。

 そんなメイド長のアンヌの背中に数匹のゴブリンが迫る。

「アンヌ様!」

 そう声が響き、カホさんが一匹を薙ぎ払い、そのまま返す刀でもう片方を攻撃を弾く。

 攻撃を弾かれたゴブリンは無防備となり、そこにメイド長のアンヌの鋭い一撃が閃いた。

 さらに、まるで打ち合わせていたように二人はすれ違い、お互いの背中に迫っていたゴブリンを同時に突き刺す。

 メイド長のアンヌは華麗に。

 カホさんは粗野に深々と突き刺し、

「でぇぇぇい!」

 深々と突き刺さった剣を振り抜くように、ゴブリンの体を両断しながら、一気に周りを切り払った。

 その二人を守るようにシャンとミルゴも合流し、残りを切り伏せる。

 最後ともいえる弓を持ったゴブリンが弓を番えるが、その首に槍が突き刺さる。

 シャンが投げた槍で絶命したゴブリンはあらぬ方向へと弓を放ち、倒れ伏す。

 この間ものの何秒間だった。

 その間に、一体どれ程の魔物を倒したのだろうか? 

 何もしていなにの手が震える。余りの出来事に高揚が抑えられない。

 まさしく『英雄』や『勇者』と呼ぶに相応しい4人の姿が目に焼き付く。

「見よ。この町を守る者の勇姿を!心強い冒険者の姿を!」

 子爵様が喜びと感動で噛みしめるように私にそう同意を求めてきた。

「ええ…思わず私も心が躍りました」

 私も同意し、その4人に心からの栄誉を送った。

 子爵様は手を叩き、

「素晴らしい!愛しのセルビアの愛した子達の勇姿が!そしてあの子…カホさんもまるで『アイリスの放蕩騎士』ではないか!」

 その子爵様の言葉に思わず頷いてしまう。

 亡き奥方様の遊び相手だった3人の子、アンヌ、シャン、ミルゴは立派な戦士となりその勇姿をしかと見せてくれた。

 そして、カホさんも確かに『アイリスの放蕩騎士』のようであった。

 『アイリスの放蕩騎士』はただの『勇者』の冒険奇譚ではない。主人公はコロコロと代わる。47人の騎士の内の一人が選ばれる逸話集だからそれは仕方ない。巷でも感情移入がし難い等と言われることもある。だが、本質はそこではないのだ。

 強い騎士が強大な魔物を倒し村を守るエピソードもあれば、中には、ただの騎士が、町の者と協力し、魔物を倒すというエピソードもある。

 まさに、カホさんはその後者の騎士のエピソードに似ている。

 能力ではシャンやミルゴ、ましてや『銀』とも呼ばれるアンヌには比肩出来なくても、その勇気がまるで周りを強くし導いてくれる。

 戦いが終わり4人が集まっていく。

 不意にシャンとミルゴが何かに視線を送るものの、すぐにお互いに拳を合わせたり肩を組んだりとその姿は旧来の友人そのもので、仲睦まじい。

 一度だけ私はその二人が見た方向に目をやるが、町の人や旅をしてきたであろう人がいるだけで特に何もない。

 シャンはカホさんの頭を撫でると

「へ!やるじゃん!チビメイド!カホには似合わねぇけどよ!」

 シャンがそんな悪態をつくと、カホさんはショックを受けたように。

「ええ、似合ってない?可愛いと思うのに…」

「服はな」とシャンが追撃する。

 メイド長のアンヌはそんな悪態をつく友人に呆れながら、

「いえいえ、カホさんはお可愛いですよ」とカホさんを抱き留める。

 ミルゴも頷き。

「俺も似合っているとは思うぞ」

 その言葉に抱き留められながらもカホさんがシャンを見返し。

「ほら、シャン聞いた?ミルゴは分かってるよね!」

 ミルゴは仏頂面を崩しクスリと笑い、

「鬼のような戦い方をするヤバいメイド姉妹のようでな」

 その一言にカホさんが目を丸くする。

「ミルゴ!?」

 不平の言葉をカホさんが漏らすと、メイド長のアンヌはさらにカホさんを強く抱きしめる。

「ふふ、カホさんみたいな妹なら是非欲しいです」

 満更でもない言葉だ。

 シャンはやれやれと首を振り、カホさんを指さし、

「つーか、短くね?パンツ何回か見えたぞ?」

 その一言にカホさんは顔を赤らめ、

「スケベ!」

 大きな声をあげる。確かにここからでも見えた。私は何も思わないが、周りの兵士達は確かに困っていたな。

「あらシャンそんなこと言いますの?」

 メイド長のアンヌは睨むような、ジトリととした目をシャンに向ける。

 シャンは頭を掻き、「カホのパンツ、じゃなー」と本気でうんざりした様子を見せてから、心底残念そうに。

「アンヌのは見えなかったんだよな~惜しい!もうちょっと…だったのに!」

 そこまで言うといきなりにシャンがカホさんに、

「因みに今日は何?」と下種な質問をしていた。

「え、白のレー…あ!変態!」

 カホさんがしまったと目を白黒とさせる。

 何を驚いているのか分からないが、恐らくいつものだろう。

 亡き奥方様の趣味で「かわいいから」という理由で子爵様のメイドはいつもレースとガーターの下着を履いている。だから何だろうと思うのは私だけだろうか?

 シャンもその事は知っているはずだ。むしろカホさんも同じものを履いているのに。

 シャンの一言と共に、メイド長のアンヌはカホさんを解放し、笑顔と共に細剣をしっかりと携える。

「あら、シャン。昨日の続きを今しましょうか?」

 その表情から本気だということが容易に良い取れる。

 シャンはしまったと言わんばかりに、慌て始め、

「え…真剣で!?」

 そんなシャンがミルゴとカホさんを見やるが二人は拳を突き出し。

「やっちゃえアンヌ様!」

「アンヌさんやってしまって下さい!」

 二人の声と意見は一致していたようだ。

 シャンは目に見えて狼狽し、

「おいミルゴ!カホ!ちょ、悪かったって。本当もう許してくれよぉ!」

 そんな先ほどまでの勇姿をかき消してしまう声をあげるが、ゆっくりと恐ろしきメイド長が近づき、

「そこにお直りなさい」

 その言葉に思わずシャンが逃げ始める。

「逃げるが勝ちだ!」

 走り出すシャンを恐ろしきメイド長は笑顔を浮かべ、少しだけ楽しそうに、

「お待ちなさい!今日という今日は許しません!」

 恐ろしきメイド長もそんなシャンを追っかけ始める。

 そんな二人をミルゴとカホさんは指を差して笑い始める。

 追いかけられながらもシャンも笑顔を見せ、メイド長のアンヌも矢張り楽しそうだ。

 私達…いや兵士達も、そして民達ですら、愛嬌があるものの頼もしき英雄を笑顔で見ていた。

 屋敷に帰ると、ことの経緯を先に帰った若いメイドから聞いたカイル坊ちゃんに不平を言われることになった。

「僕も皆の勇姿を見たかった」と駄々をこねる姿に子爵様は困ったようにご機嫌を取っていたのを覚えている。

 ただ、子爵様は少し意地悪に笑い、

「あれこそ、まさに英雄の姿だったぞ。心が躍ったものだ」

 その言葉にカイル坊ちゃんは心底悔しそうにし、英雄と称えられた4人は驚きと共に照れたようにそっぽを向いてしまう。

「お前はそんな英雄達から指南されているのだ。たまには我慢しなさい。でないと私がそんなお前に焼きもちを焼いてしまうではないか」

 そんな奥方様に似た冗談を言うと、カイル坊ちゃんは少しだけ誇らしそうに胸を張り、

「じゃあ!今からまた剣術の指南をして貰ってもいいですか!」

 キラキラとした目で4人を見る。

 さすがにそれは…と思ったものの、英雄達4人を見るとむしろ暴れたりないといった雰囲気だった。

「今日は勝つからね」とカホさんがシャンに視線を送る。

「100年早ぇよ!ミルゴを倒してから言いな」とシャンはミルゴに。

「お前に俺が負けるとでも?アンヌさんなら話は別だが?」とミルゴがメイド長のアンヌに。

「あら?私は3人共…いえ、4人同時でも宜しいのですけど?」とメイド長のアンヌがカイル坊ちゃん、そして皆に視線を送る。

 そんな仲の良い者たちを見て、触発されたのか、子爵様が肩を回し始め。

「なら、私も負けてられんな」

 そう来たかと、私は項垂れてしまう。

 ただ子爵様がこちらに視線を向けてくる。

 きっと私のようなものでもこの英雄達や貴族達に加えてくれているのだろう。

「子爵様はさすがにご自愛下さい…」

 と私がこぼすと楽し気な声が響いた。

 それからはいつも通り、皆がへとへとになりながらも訓練し、談笑し時にはカホさんの冒険譚、時には三人の思い出話、子爵様ののろけ話に花を咲かせ、いつものようにあの若いメイドが呼びに来るまで晩餐すら忘れていた。

 彼女も慣れてしまったのか少しだけ楽しそうに、

「今日も晩餐をお忘れですよ」と私達を諫めてくれる。

 本来ならシャンとミルゴは兵舎に帰って食事を摂るのだが、カホさんが来てから何故か自然と一緒に食べるようになってしまっている。

 ふと子爵様が茶目っ気を利かせ、メイド長でありながらアンヌも混ぜて食事を摂る。

 それはまるで奥方様が健在であった時の食事風景のようで、私としてもとても温かい食事風景であった。

 こんな状況を作った赤い髪の冒険者はというと、何も気付いていない様子で、美味しそうに食事を摂る。

 メイド長のアンヌとは姉妹のように、カイル坊ちゃんには姉のように、シャンとミルゴとは悪友のように接し、そんな彼女を子爵様はまるで娘のように扱い、彼女の冒険譚が食事に花を添えてくれる。

 ふと、カホさんが私を見ると、

「あの時商人さんに出会えて、本当によかったよ!」

 その言葉に思わず手が震えてフォークを落としてしまった。

 慌てて普段なら絶対にしないことなのに拾おうとしてしまい、手を引っ込めると机に頭をぶつけてしまった。

 そんな間抜けな私を周りは笑うが、そこに嘲笑はなく、むしろ温かみを感じた。

 カホさんの言葉が嬉しく仕方なかった。

 私は英雄でもなんでもないのに、私との出会い喜んでくれ、そして楽しい思い出がたくさん詰まったあの頃を甦らせてくれたのだから。

 



 次の日、空は曇り空だ。こんな時は朝から何か明るいニュースが欲しい。

 そう思うと、ふと思いついた。最近の私の朝の楽しみがある。

 いつものように起き、カホさんがどんな格好をしているのか楽しみにして廊下を歩いていると、ふとメイド長のアンヌが見えた。

 相手はカホさんだ。今日は彼女持参の服らしい。

 地味ながらも可愛らしいスカートとシャツを着ている。活動的な恰好にも見え、彼女にはよく似合っている。

 初対面にあの服であればきっと彼女への印象が違うものとなっていたであろう。

 それくらいには彼女は少女らしい可愛らしさがある。化粧等なくても、身を清め、服装さえ改めればどこにだっている少女そのものだ。

 二人は何かの会話をしている。

 ここのところ、この場面で見るのが、どうも甘い場面ばかりだったので、一瞬冷や汗が出る。

 …勇気のない私は思わずその場を後にしてしまった。

 もし、あの二人が男女の仲…いやそれはないが、そういうものと近い仲となっていると考えるだけで…恐ろしい。

 片や日々冒険者達を相手に百戦百勝の剣技、片や日夜魔物との戦いに鎬を削り、ゴブリンを両断する剣技。

 これ程までに恐ろしいペアもいないだろう。

「ならカホさんが男役かな」

 思わず笑みと共にこぼした言葉に、先ほどまで少女らしいと言っていたのはどこの誰だろうと自嘲がこぼれた。

 今日は彼女の奇をてらうような恰好が見れなかったのは残念だが、あの恰好もあの恰好で意外な一面を見れたのは、楽しかったとしておこう。

 朝のカホさんが暇な時間、私が仕事の確認が終わってから、ふと中庭を見ると4人が既に集まっていた。

 子爵様と勉強中のカイル坊ちゃんの姿はないが本当に仲がいい。

 今日はどうやら彼女の持つ剣を鞘に納めたまま、その特徴をレクチャーしているようだ。

 そう言えばカホさんが「木剣は軽いからすっぽ抜けそう」とか言っていた。

 十分な重量はあると思うし、これ以上重い獲物を彼女に訓練で使わせれば、あの剣技もあり、けが人が出ることは必須だろう。

 呼ばれてもいないが私は4人の訓練風景を見ていると、

「アンヌ様、明日には発とうと思うんだけど」

 カホさんがそう切り出した。

 その言葉に他の3人だけでなく、私ですら落胆を隠せない。

 彼女は冒険者だ。別れは必然だ。彼女のいる時間が余りにも楽しく、温かいからついつい忘れてしまっていた。

 メイド長のアンヌは一度だけ目を伏せ、

「アルトヘイムへ行かれるのですね?」

 何か理由でも…という言葉にならない言葉も聞こえてくる。

 メイド長のアンヌですら彼女との別れに物寂しさを隠せないのだろう。

 また、アルトヘイムへ行く…という言葉だけでも、魔族との戦争への参加や、容易に英雄へとなる旅の途中だと分かってしまう。

「まぁね。とりあえず物見遊山かな」

 特に理由はないようだ。思わずポカンとしてしまう。

 シャンは目を丸くし、

「魔族との戦争に行くんじゃないのか?」

 カホさんは困ったように「戦争とか嫌い」と本心からそう答えていた。

 どう見ても戦いの剣技だが、彼女でも嫌いなものはあるようだ。因みに私に至っては戦いすら嫌いだ。

 ミルゴがシャンの肩を叩き、

「シャン。彼…彼女は冒険者だぞ」

「分かってるって…おと…女だな」

 二人して別れの前ですらカホさんをいじっている。

「もう!」とカホさんが不平を漏らす。

 シャンはいつも通りとしても、あの堅物ミルゴも大分打ち解けたじゃないですか、とこれは私の心の中だけでとどめておく。

 ふと、シャンが何かを思い出したように懐に手を伸ばす。

 取り出したのは小さな小包だ。

「アルトヘイムに行くなら、これも持って行ってくれよ。中身は見るなよ」

 いつもと違う、少し真面目な雰囲気だ。

 カホさんは首を傾げ、

「うん?どこに持っていけばいいの?」

 その答えにシャンはらしくない雰囲気で、

「アルトヘイムに行って門番にでも『花畑』と言えば分かるさ」

 『花畑』と言われて私は首を傾げる。

 彼が口々に愛を謳う『王都の花』達の待機場所は『プランター』や『花屋』と呼ばれている。粗野な野に咲く『花畑』等とは言わなかったはずだが。

「花好きなんだ?意外だね」とカホさん。

 王都へは行ったことがないだろうから仕方ないとはいえ、ここまでの無知さだといっそ清々しい。

「お?あったりまえだろ?逆に花が嫌いな男なんているのかよ」

 シャンが嬉しそうに声を上げる。カホさんはキョトンとして首を傾げている。

 そしてメイド長のアンヌはジトリとした目でシャンを睨む。

「シャン、お前はもう黙れ」とミルゴが釘を刺す。

 一応とは言え、カホさんのことを女性扱いはしているらしい、彼なりの気遣いだろう。

 シャンは「悪い悪い」と悪びれる様子すらない。

「おいおい…俺の言う『花畑』ってのは…」

 そこまでシャンが言いかけたところで、ふと…何か咆哮のような音が響き渡った。

 獣のような低い太い声だ。

「何だろ?変な声がしたよ?」

 何らかの魔物の声だろうか、と私も少し不安になる。

 カホさんは少し間の抜けた声をあげたものの、シャン達三人はすぐに何らかの異常に気付いたらしい。

「シャン、行くぞ!」

 ミルゴが声を上げ駆け出していく。

 シャンはその背中に続こうとするが、一度カホさんの方に視線を送ると、

「おい、カホに託したからな、頼むぞ!絶対に届けてくれ!」

 いつもの彼らしくない言葉にカホさんは気圧され頷いて応えた。

「え?うん…どうしたんだろ?」

 首を傾げるカホさんをまるでこの場から離れさすようにメイド長のアンヌがその背中を押す。

「さ、カホさん。発つのでしたら挨拶を子爵様へと…」と彼女は気を配る様にそうは言っているものの、その表情は固い。

 不意に町の方向から閃光が走り、何かが爆ぜるような音がする。

 それに合わせるように悲鳴が聞こえてきた。

 カホさんはその声にいち早く反応を示し、剣を携えると駆け出した。

「…行ってくる!」

「カホさん!」とメイド長のアンヌが声をあげる。

 私は思わず「アンヌは子爵様に報告を」と告げてから、カホさんの背中を追う。

 カホさんはまるで疾風のように駆けていきみるみる内に私との距離が空いていってしまう。

 それを何とか埋める様に必死に走り門についた時…私は思わずへたりこんでしまった。

 倒れ伏し、既に動かなくなった者や、重傷でうめくことしか出来ない者。必死に助けを求める声。

 それらの先に獅子と蛇と山羊の頭がこちらを睨んでいた。

 体は獅子。その背中に山羊の頭が生え、尾として蛇がのたうつようにこちらをジッとみつめていた。

 巨体の歪な生命を持っている魔物…

「キマイラ…なのか?」

 私はその魔物の名を口にする。

 伝承でしか聞いたことのない化け物だ。

 かつて、北方国、別名魔術大国で作られた禁忌の魔術により、三種の魔物から生まれた歪な生命を持つもの。

 魔術を完全に遮断する体。その巨体に似合わぬ俊敏さ、そして剛力。

 造り上げた魔術大国ですらその制御が出来ず、なんとか追い払ったものの、捨てられた民の地…今のアイリス皇国を襲った。その時、たまたま旅をしていた人間の頃のエアリス様がその窮地に赴き、死闘の末倒したと言われる神話の生物。

 何がどうなっているのか全く分からない。あんな化け物が何故ここにいるのかすら。

 地獄としか言いようのない光景が広がっている。

 傷ついた兵士がへたり込み、キマイラが腕を振り上げる。

 どうしようもない…そんな最期の瞬間が目に浮かんでしまう。

 そんな中…赤い、閃光のような光が駆けていく。

「でえええい!」

 剣を振り上げたカホさんが、恐ろしき剣技でキマイラの振り下ろした腕を弾き返した。

 高い音が鳴り響き、キマイラを一瞬とは言え、圧倒した。

「早く逃げて!」

 カホさんの声が響く。そして、彼女は剣を構えキマイラを見据える。

 他の兵士達は恐怖で立ちすくむ者もいる中、彼女はキマイラの眼前であってもまったく怯みすらしない。

 何故、そのようなことが出来る…

「この町は…守る!」

 彼女の声が響き渡った。

 その声、その思いでようやく私は正気へと戻った。

 彼女はいつだってそうじゃないか、誰かを守る時、彼女は何も恐れずに立ち向かう。

 私は震える体を何とか奮い立たせ、駆け出しカホさんの後ろで倒れている兵士に肩を貸す。

「ありがとう。商人さん」

 カホさんの言葉を誇りに私は必死に兵士を引きずる。

 キマイラはまるで新しいおもちゃを手に入れたようにカホさんを睨み、その腕を振り下ろす。

 カホさんはそれを弾き落とし、牙の一撃を躱し肉薄するように戦う。

 だが、攻撃はまだ出来ていない。隙がないのもそうだが、それ以上に周りに傷ついた兵士が多すぎる。このままでは彼女は下手に動けないのだ。

 誰かを守る為に自分を犠牲にしてでも、その場から動けないのだ。

 剣を振るえない私でも…誰かを助けることは出来る。彼女が安心して戦えるように、今の私に出来ることをするしかない。

「皆!力を貸してくれ!彼女を…彼女が守りたいこの町の人々を助けて下さい!」

 私の声に兵士達は武器を捨て駆け出し、救助へと向かう。

 少しずつ人がはけてきた。もう少しだ、そう思っている間にふとカホさんが転げまわる姿が見えた。

 キマイラの一撃を避け損ねたのだろう。

 荒い息を吐きながらも鋭い瞳でキマイラを睨みつけ、再度剣を構える。

 カホさん一人では無理だ。誰か…

 そして気づいてしまった。

 この町の英雄が倒れ伏しているのだ。

「シャン!ミルゴ!」

 その名前を呼ぶと二人はボロボロの体ながら必死に立ち上がろうとしていた。

「あ…くそ…!」

「まだだ…!」

 シャンとミルゴがやられる程の敵…だからこそ、兵士達が茫然としてしまったんだ。

 昨日この町の希望とすらなった4人の英雄の二人…それが、こうも簡単に…。

 シャンは血のにじむ手を地面に打ち付けると、必死に立ち上がり、

「カホ!山羊だ!山羊の魔法に気を付けろ!」

 その声に応えるようにカホさんが山羊を見上げる。

 その口から光が漏れ出していた。

 魔術ではない。魔法の力だ。

 瞬時、カホさんのいる地面に向かって何かが降り注ぐ。それが稲妻であり、地面…石畳みを砕くほどの威力を示した。

 カホさんはシャンの一言で山羊を見て、咄嗟に、まるであれだけの魔法を知っていたかのように飛びのいて避けて見せた。

「おい…ミルゴ…いけんだろ?」

 シャンが震えながら立ち上がる。

「当然だ…使え!」とミルゴが大切な自前のポーションをシャンに投げつけた。

「感謝だな」とシャンがそれに口を付け、飲み終わると同時に投げ捨てる。

「行くぞ。カホを…皆を守るぞ!」

「おうよ!これ以上、傷つけさせねぇ!」

 ミルゴとシャンが立ち上がり、そしてキマイラへと特攻する。

 その背中を目で追うしか出来なかった。

 兵士達の撤退は進んでいくが、強大な魔物相手にたった三人で挑むのは無謀でしかない。

 キマイラの山羊が不気味な声を上げる。

 その瞬間、山羊に光が集まり始める。魔法の準備だということは分かっても、私には何も出来ない。

「ヤギの魔法が邪魔だ!」

 シャンが叫ぶ。カホさんは獅子からの攻撃を受け止めるだけで精一杯とい感じで、

「こっちは…手が…離せない!」

 そう言っている彼女に蛇の牙が襲う。

「この…!」

 慌てて避けるが、同時に繰り出される獅子の爪を受けきれずにカホさんは盛大に吹き飛ばされる。

 したたか体を打ち付けながらもカホさんは立ち上がり、剣を構えて特攻する。

「こっちは押さえる!」

 その声に応えるようにシャンが飛び込む。

 獅子は狙いをカホさんからシャンへと変え、爪を振り上げる。

 瞬時、鈍い音が響いた。

「よそ見だね!」

 カホさんの声が響き、獅子の腕を剣で貫いていた。

 獅子はそのままカホさんを潰そうと力を込めていたが、その腕を踏み台に一気にシャンが山羊へと肉薄する。

「ばっちりだ。行くぜ!戦技『閃光槍ライトニングスピア』!」

 彼の掛け声と共に戦技を放つ。

 閃光のような鋭い突きが放たれ、鋭い音と不気味な悲鳴と共に山羊の片目が貫かれた。

 山羊の溜めていた魔法が暴発したのかあらぬところに稲妻が落ちていく。

 山羊を貫き着地したシャンを蛇の牙が襲う。

 その間にミルゴが入り、地面に盾を突き刺す。

「戦技『石のストーンキャッスル』!」

 ミルゴの周りに石の壁が生まれ、蛇の牙を防ぎ、さらに潰されそうになったカホさんを救うように石壁がキマイラを持ち上げる。

「ごめん!助かったよ!」

 カホさんがキマイラの下から即座に逃げ出す。

「へへ、上手くいくじゃねぇか!」とシャンが体勢を整え、ミルゴの元へと。

「何年お前と組んでいると思ってる!」

 ミルゴが叱咤するように言い、未だ健在の山羊を睨む。

「ならトドメは私が…」

 不意に空から声がしたように凛と澄ました声が響いた。

 閃光が舞う…としか表現できなかった。

 瞬時に無数の閃光のような斬撃がキマイラを襲い、怯んだキマイラの隙を狙ったかのように山羊の頭に『銀閃』が襲い掛かる。

 獅子の咆哮が辺りに響く。

 気付いた時には山羊は見るも無残に切り刻まれ、獅子の体から千切れ地面に落ちていた。

 そして、空から舞い降りるように一人の女性が降り立つ。 

 その姿にカホさんと、シャン、ミルゴが声が目を見開いた。いや、私もだ。

「アンヌ様!?」とカホさんが彼女の名前を呼ぶ。

 メイド長のアンヌはいつものメイド服に、簡単な胴当て、小手、具足、そして銀色の細剣を二刀携え、キマイラと対峙する。

「町民の避難を子爵様がしておられます。ここは耐えましょう!」

 彼女はそうとだけ言うと、一気に駆け出した。

 それに合わせるようにこの町の英雄達も駆け出す。

「当然だろ!ここは俺達の…掛け替えのない場所だぞ」とシャンが。

「ああ、レンツ子爵そして奥方様…セルビア様が愛した町だ」とミルゴが。

「ええ、私達の大切なこの場所をこの町の人達を…」とメイド長のアンヌが。

「絶対、これ以上傷付けさせない!」とカホさんが。

 それぞれの思いを…同じくする思いを口に出し、

「必ずこの町守る!」

 4人の声が合わさる。

 まるで希望が揃ったようだった。

 この町の3人の英傑と、希望と勇気をくれる冒険者。

 4人の英雄が強大な魔物へと立ち向かう姿に思わず 兵士達も沸き上がり、震えながらも武器を取り、その英雄達にへと並ぶ。

「レンツ子爵様の英雄達に続け!」と彼等が奮起し各々の武器を振るう。

 その様はエアリス様を崇拝し、正義と自由の為に剣を振るった『アイリスの放蕩騎士』の一つの物語以上であり、まさしくエアリス様の神話そのものだった。

 キマイラがその腕を振り上げる。

 カホさんが剣を振るい、キマイラの一撃を弾く。

「行くよ!皆!」

「お前が仕切るんじゃねぇよ!」

 シャンが呆れるようにカホさんが弾いた手を槍で突き刺す。

 そんなシャンに尾の蛇の牙が襲い掛かるが、それを寸でミルゴが防ぐ。

「そういうのは男に任せておけ!」

 ミルゴが盾の裏から蛇を剣で斬りつける。

「あら、そういうのは私に勝ってみせてからして下さいね」

 メイド長のアンヌのその言葉とほぼ同時に無数の斬撃が蛇の尾を襲う。

「なら、ご愁傷様、だね!」 

 カホさんがキマイラに肉薄する。深く踏み込み、腰と肩そしてしなるような腕を使い、キマイラの腕を一閃で斬り飛ばす。

 腕を斬り飛ばされたキマイラが悲鳴を上げ仰け反る。

 その瞬間を逃さず兵達の武器がキマイラの獅子の顔へと振り下ろされる。

 あまりの迫力に言葉を忘れてしまう。

 勝てる…それが明らかに見てとれた。

「畳みかけます!」

 メイド長のアンヌが切り込み、キマイラの体を駆け巡るように無数の斬撃が放たれる。

 そして…

「え…?」

 メイド長のアンヌのその驚きの声と共に彼女に稲妻が走った。

「アンヌ様!?」

 カホさんの声が響く。

 魔法の直撃を受けたメイド長のアンヌが力なくキマイラ…獅子の顔の前に落ちていく。

 何が起こったのか分からなかった。山羊の頭を潰したはずだ。

 なのに…また、そのキマイラの巨体の上には山羊の頭が出現していた。 

 キマイラが眼前に落ちてきたメイド長のアンヌを捉え牙を剥く。

「させるか!」

 その牙がメイド長のアンヌの体を貫く、その一瞬早くシャンが飛び出し深く踏み込み、鋭い突きでキマイラを押しかえす。

 槍が深く突き刺さり、引き抜こうとしたのだろうが、まるでそれを待っていたかのようにキマイラ蛇の尾がシャンとメイド長のアンヌの体を薙ぐように吹き飛ばした。

「シャン!アンヌ!」

 二人の名を呼ぶが、返事はない。壁に体を打ち付け、そのまま動く様子がない。

 私は駆け出し二人の元へと行く。そんな私の前にキマイラが立ち塞がる。

 巨体をもたげ、その獅子の口が私を捉える。

 不用心だった…そうとしか言えない。

 燃えるようなキマイラの口が目の前に広がる。立ちすくみ何も出来ずにいる。

「どけ!」

 声が響きキマイラの獅子の顔に大盾があてがわれ、そのまま突き飛ばす。

 キマイラが仰け反り、ミルゴが獅子の顔に剣を振るう。

 しかし、剣は届かず、キマイラの獅子の爪により叩き折られた。

 ミルゴが盾を構えるも、その死角から蛇が襲い掛かる。

「ミルゴ、後ろ!」

 私が叫ぶが、ミルゴは反応しきれなかった。

 そんなミルゴを庇うようにカホさんの剣が閃いた。

 しかし、剣は蛇に華麗に避けられ、隙の出来たカホさんに再度蛇の牙が襲い掛かる。

「まだまだ!」

 カホさんは寸でそれを回避したものの、足を僅かに切り裂かれた。

 蛇の尾が引こうとしたする瞬間にカホさんが踏み付けるように蛇の頭を押さえ、地面ごと突き刺すように剣を突き下ろす。

「終わりだ!」

 鈍い音と共に蛇の尾の頭蓋が割れ、数度跳ねるように蠢いたが、そのまま動かなくなった。

 獅子が咆哮をあげ、腕を振り上げる。

 カホさんは獅子を見つめ、剣を…

「え…?」

 そんな声と共にカホさんが膝から崩れ落ちる。

 何が起こったのか…それはきっと彼女にすら分かっていない。

 気付いた時には私は目を覆ってしまっていた。

「受けろ『火炎矢ファイアボルト』!」

 カホさんに獅子の爪が襲い掛かる瞬間、炎の矢がキマイラ穿つ。

 炎を受けたキマイラは身を捩り後ろへと飛びのいた。

 この魔術は…

 その答えはすぐに出た。

 私達を救うためにあの子が…

「カイル坊ちゃん!」

 私がその名前を叫ぶと、カイル坊ちゃんは震える足を必死に堪え。

「カホ!父上が避難は間もなく完了すると!」

 その言葉を告げながらもカイル坊ちゃんは再度杖を構える。

「カイ…」

 カホさんがそれに応えるように立ち上がろうとし…血を吐き倒れてしまう。

「カホ!」

 カイル坊ちゃんが思わず駆け出していた。

 キマイラがそれに反応する。

 キマイラがその牙を剥き、魔術を警戒するように一度ステップを踏んでから飛び掛かる。

 私は咄嗟にカイル坊ちゃんを抱き留め、地面を転がる。

 それと同時に私の背中に鋭い痛みが襲う。

「あ…」

「早くお逃げ下さい!」

 私はカイル坊ちゃんが何かを言う前に、叱りつけるようにカイル坊ちゃんを押し出す。

 近くに来ていた兵士がカイル坊ちゃんを抱き留め、駆け出す。

 それだけで安心出来てしまう。

 カイル坊ちゃんは子爵様の血と、亡き奥方様の血を色濃く受け継いでいる。

 そのフットワークの軽さには、本当にいつも困らせられる。

 だけど、これで十分だ。私の愛したこの町の希望を守れるのだから。

 私のような非力なものでは…これで十分だろう。

 振り向くとキマイラは私を狙っているのが分かる。

 それが普通だ。魔物という知性のない物であれば目の前にある弱い者を狙う。

 自然の摂理に準ずるのが魔物というものだ。

 しかし…妙だ。北方国を蹂躙したキマイラは魔法への耐性があったはずだ。それに体組織を修復する能力等なかったはずだ。

 そして何よりも、魔術を警戒するようにカイル坊ちゃんを狙った…。

「させっかよ!」

 鋭い声と共に槍がキマイラの頬を貫く。

「早く下げろ!」

 シャンの声が響き、兵士が私を抱えて走り出す。

 そんな私達を追い打ちするように稲妻が地面を穿つ。

 私と兵士は直撃こそしなかったものの吹き飛ばされ地面を転がる。

 シャンは必死に槍を振るい、ミルゴがそれをカバーする

 そこに飛び込むように銀色の閃光が駆け抜ける。

 メイド長のアンヌが自慢の二刀ではなく、一刀とだけとなった細剣を閃かせ獅子を切り刻む。

「アンヌさん!」

 ミルゴの掛け声と共に、メイド長のアンヌはミルゴの盾を蹴り飛び上がる。

 瞬時に山羊の頭に無数の斬撃が打ち込まれる。それと同時に彼女の着けていたであろう鎧達が地面に落とされた。

 メイド長のアンヌが着地するのと、痛みでキマイラが怯んだのは同時だった。

「戦技…」

 メイド長のアンヌの凛とした声が響く。

 『アレ』を使うその隙が出来たのだ。

 メイド長のアンヌの『真なる銀閃』を。しかし、あれは二刀でないと…

 メイド長が振り向きながら、深く踏み込み、一閃を放つ。

 それが獅子の腕を穿つ。さらに一撃。

 さらに…と無数とも言える突きが繰り出され、その都度に速度を増していく。

 閃光…まさに銀閃に相応しい速度となった剣閃が次々とキマイラの四肢を、その首を貫いていく。

 まさに独壇場の連撃にキマイラは成すすべなくその肉を抉られ続け、一つの演奏を終わらせるように、細剣を振るい、メイド長のアンヌが突き抜けるように鋭く突き込む。

「『カデンツァ』!」

 メイド長のアンヌの凛とした声と共に、最後の一撃が繰り出された。

 キマイラは吹き飛び、起き上がろうとするものの四肢をズタズタにされ悲鳴のような咆哮を何度もあげる。

「アンヌ!」とシャンが心配するような声をあげる。

 メイド長のアンヌは声を出そうとしたものの腕を押さえ、その表情が苦痛に歪む。

 相当無理をしたのだろう。ただでさえ『戦技』の使用には苦痛を伴うというのに、あれだけの技だ。細剣ですら保持するのは気力で持っているのだろう。

 それにしても驚きの生命力だ。メイド長の奥の手である『カデンツァ』を受けても、まだキマイラの息があるのが信じられない。

 オーガですら一撃で葬るあの技をして。

 しかし、今度こそ…いや!

「まだです!油断しないで下さい!」

 私の声に反応し、即座にシャンとミルゴが駆け出す。

 メイド長のアンヌは駆け出そうとしたものの、足がふらつき、その場にへたり込んでしまう。

 今までのダメージと疲労で動けないのだろう。

 顔色は蒼白となり、既に息は絶え絶えといった様子だった。

 私の嫌な予感は的中した。

 すぐに再生を始めたキマイラがボロボロの体をひきずり、無理矢理戦わせられるように腕を振るう。

 それで自分の腕が千切れ鞭のようにしなり、目測を誤ったシャンが吹き飛ばされる。

 シャンは何も出来ずに吹き飛ばされ、私のすぐ後ろの壁にぶつけられた。

「シャン!」

 私は叫び…それが見えた。

 赤い髪の少女が体を引きずりながら、何かを口に入れているのが…それが瓶だと分かると赤い髪の少女はそのまま噛み潰していた。

 瓶が口の中で割れ、血をしたたらせながら、赤い髪の少女は必死に這いずる。

 そんな…赤い髪の少女…いや、カホさんを誰かが見ていた。

 旅の者だろうその人物は…魔物とこの町の英雄の戦いを常に見ていた者だ。

 その者が手を振る。

 それに合わせるように傷だらけのキマイラがミルゴを飛び越え、カホさんへと向かう。

 キマイラはカホさんの前に立つとその腕を振り上げる。

 潰される…そう思った瞬間に、キマイラが取って返した。まるで、獲物を間違えたかのような動きだ。

 狙いはカホさんではない。

 キマイラが咆哮を上げ、彼女を狙う。

 座り込み、動けなくなっていたメイド長のアンヌだ。

 メイド長のアンヌは状況が分からず、ぼんやりと顔を上げる。

 その体にキマイラの腕が…振り下ろされる。

 寸でだった。赤い閃光…いやカホさんの剣が閃いた。

 まだ動くこともままならなかったであろう体を無理矢理動かし、キマイラの前足を切り飛ばすと、カホさんはそのまま倒れ伏す。

「アンヌ様…逃げて」

 その言葉を言いながらもカホさんは体を震わせるように何度か立ち上がろうとしている。

 メイド長のアンヌはそんなカホさんを抱き起こし、キマイラから守るように背を向ける。

 まるで我が子を庇う母のように。

 キマイラが残った前足で爪を振り上げる。

「カホさん…」

 メイド長のアンヌの悲痛な声。それに応えるように大きな背中が二人とキマイラの前に立ちはだかった。

 ミルゴが二人を庇い、その背中から大きく切り裂かれた。

 ミルゴはその一撃すら微動だにせず、二人を見つめると小さく笑って見せた。

 キマイラの攻撃を受けたミルゴは背中から大量の血を流し、そして切り裂かれた背中は胸まで届く一撃となっていた。

「ミル…ゴ…?」

 小さな…声がカホさんの声が響いた。その声にメイド長のアンヌもようやく気付いた。

 自分達を守った仏頂面の不器用でも心優しい男の姿が。

「無事だな…」

 ミルゴはそうとだけ言うと、誇らしいような表情と共にゆっくりと倒れていく。

 地面に大量の血を流し、この町の英雄が倒れ伏した。

「そ、そんな…嘘でしょ…ねぇ!ミルゴ!起きてよ!ミルゴ!」

 メイド長のアンヌが泣き叫びその体に縋りよる。

 いつもの淑女然とした彼女はそこにはなく…最強の剣士の姿もなく…

 ただ一人の、友人を失ったか弱い少女の姿があった。

 長年の友との別れ…そんなものをお構いなしにキマイラが牙を剥く。

「…お前が」

 地獄から響くような怒りを孕んだ声…。

 それがカホさんから発せられると気づくのに時間が必要だった。

 気付くとカホさんが獣のように飛びつき、キマイラの目を剣で抉っていた。

 キマイラは悲鳴をあげ何度か爪をその体に突き立てる。

 だが、カホさんは止まらず剣を握る手から血が飛び散りながら剣を深く突き刺し続ける。

 痛みからか、キマイラが叫び身を捩りカホさんを吹き飛ばす。

 カホさんは地面にしたたか体を打ち付けたものの、すぐに立ち上がると同時に全身から血を噴き出しながら剣を構え駆け出す。

 その悪魔のような姿に…いや、伝承のスルスト族のような姿に一瞬キマイラが怯んだ。

 飛びのき逃げようとするが、カホさんがその体に追いすがるように追いかける。

 走るだけで足から血が流れ、口からは声にもならない咆哮を上げながら。

 その恐ろしい姿に身が震える。

「なぁ、カホは?ミルゴは?アンヌは?」

 不意に聞こえた声に私は驚いてしまう。シャンだ。

 シャンは虚ろな目で、すでに死んでいてもおかしくない程の血を流しながら、ポツリとと呟いていた。

 自慢の持ち替えの片腕は潰れ、息も荒い。

「ミルゴは…」

 私はそこまでで言葉に窮してしまう。

 私の言葉を聞くとシャンは少しだけ満足そうに、そして悲しそうに口元を歪めた。

「そうか…カホとアンヌはまだ生きてんだな…」

 どこにそんな力があるのか、顔を上げると、悪魔のように剣を振り上げ、咆哮と共にキマイラと対峙するカホさんの姿を見たのだろう。

 その恐ろしい姿を見て、シャンは涙を流していた。

「泣いてんのか、カホ…」

 そう言うと震える体で立ち上がり、槍をしっかりと握りこんだ。

「アンヌ…」と勇気を振り絞るように。

「ミルゴ…」と仲間の死を悼むように。

 声をこぼしながら、シャンはキマイラを睨みつける。

「くそが…本当によ。女を泣かせやがって…くそが…!」

 シャンは槍を片手で構える。

「シャン…引いて下さい!」

 シャンは大きく槍を持ち上げ、

「泣いてる女を…放っておかねぇよ…な。男前な俺が…よ!」

 必死にその言葉で自身を奮い立たせる。

 思いっきり槍を振りかぶり、

「おおおぁぁ!戦技『閃光投槍ライトニングジャベリン』!」

 体から血を流しながらもシャンは戦技を放つ。

 シャンの槍は閃光を纏い、風切り音と共に飛翔する。

 槍はキマイラには向かわない。

 真っすぐにあの旅の者の腕を串刺しにした。

 男は腕を貫かれ悲鳴をあげる。

「な…ぎゃあああああ!」

 悲痛な悲鳴が響く。シャンは血を吐きながら立ち上がり、ミルゴが使っていた折れた剣を拾あげると、旅の者に向けて構えた。

「てめぇの仕業だな…レンツ子爵直属の兵士を舐めんな…!」

 シャンが叫び、それに応えるようにキマイラがカホさんから離れ、旅の者を守るようにその傍につく。

 キマイラを操ることが出来る…そんな訳がない。

 そうは思っても、そのキマイラの行動がそれを肯定しているようにしか見えない。

 思えばそんな場面はあったが、そもそも魔物のような知性のない物を操ることが出来るなんて考えもしなかった。

 シャンは旅の者を睨み付け、

「この子爵領の人間かどうかくらい…わかんだよ!」

 そう言いながら足を引きずりながら近づいていく。

 旅の者は恐れるように身を引き、キマイラの背に隠れる。

「俺達が…ミルゴが…アンヌが…カホが…皆が…命を懸けて…笑顔を…守ってきた大切な人達を…」

 噛みしめるように。

「レンツ子爵が…セルビア様が…愛した人達を…」

 思い出すように。

「これ以上…傷付けさせねぇ!させて、たまるかよ!」

 シャンがその思いを口に出し切ると、折れたミルゴの剣を構え、足を引きずりながら駆け出す。

「く!キ、キマイラ!殺せ!」

 たまらずといった雰囲気で旅の者が叫び、キマイラがシャンへと向かう。

 キマイラは既に崩れかけの体でシャンに牙を剥く。

「シャン!」

 私は叫ぶことしか出来なかった。

 牙がシャンの体を捉え、メキリ―という鈍い音が響く。

「ありがとよ…」と誰に対して言っているのか分からない言葉を彼は吐き、剣を振り上げる。

「カホ…ごめんな…後はまかせたぜ…」

 鈍い音と共に鮮血が舞う。かみ砕かれながら、シャンが折れたミルゴの剣でキマイラの目を貫いていた。

 その手が剣から離れた時、シャンは笑っていた。そしてその口が小さく動く。

―皆を…守ってくれよ…

 そう聞こえた気がした。

 シャンの体は、キマイラの牙によりかみ砕かれ、血が舞う。

 キマイラが食事でも楽しむかのように、咀嚼をするように口を動かす。

 その首筋に向けて閃光が走る。

 いや、赤いオーラのような…まるで血が蒸発でもしたかのようなひずみを纏ったカホさんだった。

 カホさんは剣を突き立てると、必死に叫ぶ。

「放せよ!シャンを…放せよ!この…!」

 痛みでキマイラが身を捩る。それでもカホさんは離れない。

 キマイラが爪でその小さな背中を抉る。それでも、カホさんは一歩も引かない。

「この野郎ー!」

 カホさんは泣き叫ぶ声と共に、剣で切り裂いた切り口を、そのまま無理矢理突き抜ける様にさらに力を込めていく。

 キマイラから悲鳴が響く。空気の漏れるような音が響き、獅子の口から血が流れる。

「……!」

 …そして、カホさんが呪いのような言葉を上げ、剣が遂には獅子の首を切り落とした。

 気付くとキマイラを操っていた旅の者の姿はそこにはく、キマイラはそのまま再生することなくこと切れていた。

 勝利だというのは分かる。奴が操るだけでなく、再生までさせいた…その事実には驚愕すら覚えた。

 髪だけでなく体まで赤く染まった少女はふらふらとした足取りで、倒したキマイラにすら一瞥をくれることもなく、シャンの体を揺すり始めた。

「起きてよ…ねぇ…」

 赤い少女はただ、力なく繰り返す。

 何度も揺すり、その名前を呼び続け、

「シャン!お願いだよ…もう…嫌だよ…目を開けてよ…ねぇ…」

 その悲痛な姿に何も応えてあげられなかった。

 誰も勝利に歓声などあげなかった。

 気付くと雨が降り始めていた。

 赤い少女は茫然とした様子でシャンから離れるとミルゴを見つめ、

「ミルゴも…なんで…どうして…」

 歩いてその場に駆け寄ろうとするも、足がもつれへたり込む。

「なんで…なんでよ!」

 悲痛な叫びが響き、赤い少女は涙を流し、ただ泣き続けた。

 少年のような姿。明るい笑顔。お転婆で愛嬌のある姿。恐ろしき剣技を使う。そんなものが全て掻き消えるようなただ、泣き叫ぶ少女がそこにはいた。

 メイド長のアンヌもただ、蹲るようにミルゴの体を抱きながらただ泣いていた。

「なんでよ…なんでこんな…」

 カホさんが地面を殴りつける。そこにはさっきの鬼気迫るものはなく、流れた彼女の血が石畳に落ちるだけだった。

 それも振り始めた雨ですぐに流れていってしまう。

「ちくしょう…ちくしょう…!」

 恨みと悲しみの満ちた声が響く。

 二人の英雄を…いや、友人を失い、守れなかったという誰に向けての憎悪でもない言葉。

 もし、彼女が向けているのが何なのか…言うならばきっと自分か、世界になのだろう。

 誰も彼女に声を掛けられず、大きな物を失ったことに俯いていた。

 そんな彼女に向かって誰かが駆け寄る。そっと彼女を抱きしめると、まるで悲しみを分かち合う様に涙を流した。

「カホ…泣かないでくれ。君達のおかげで…僕たちは」

 カイル坊ちゃんは友人の悲しみを受け止めるように、血と雨で汚れながらカホさんを抱きしめた。

 カホさんの泣き声は一瞬だけ止んだものの、また涙を流し、その感情を露わにした。

 カホさんは泣いて、泣き続け、ただカイル坊ちゃんの胸で泣き続けた。

 カイル坊ちゃんも必死にカホさんを抱き留め、ただその肩を抱き涙を流した。

 悼ましい雨が降りしきる中、私達はただ、失ったものを噛みしめるしか出来なかった。


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