表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
18/73

第十五話『レンツ子爵領』

第十五話『レンツ子爵領』



 街道を一迅の風が吹き抜ける。

 晴天の空、おだやかな気候、鳥の歌。

 長閑な草原を背にそんな中、一台のホロ馬車がゆっくりと街道を行く。

 ホロ馬車を引く商人が目の前に近づいてくる古い城壁の都市を指さし、

「冒険者さん。見えてきましたよ」

 そう呼びかけると、ホロ馬車の裏から、少年のような顔立ちをした、起伏の少ない体つきの少女が顔を出した。

 あどけない表情であり男の子のような容姿。体中瑕痕だらけでボロボロ。冒険にはうってつけであろう円形の小盾と、ショートソード。

 身に纏っている可愛らしい服装でなければ、彼女が少女とは分からないだろう。

 少女は嬉しそうに顔を綻ばせると、「やっと着いた!」と小躍りする勢いだった。

 そんな少女を見ていると思わず笑顔がこぼれる。

 燃えるような赤い髪が揺れる。

 その熱と光を感じる強い眼差しが、この領最大の都市、アルトヘイムを見つめる。

 この少女…カホと私が会ったのはつい数日前に遡る。




 雨の止んだ森を商人である私と私のホロ馬車が行く。

 私は王都アルトヘイムとレンツ子爵領の間を主に行き来する子爵に仕える商人であり、時にはレンツ子爵の要請で付近の村へと赴き、買い付け等もしている。

 今はカリデの村に出現したリザードマンの鱗を買い取りに行き、その帰りである。

 リザードマンの鱗は丈夫さと軽さに優れる。長く使うには工夫がいるが、優秀な加工職人を抱えているレンツ子爵は兵士の使用するスケールプレート等に使えるとして私に命じたのが今の経緯だ。

 村では口々に皆が赤い髪のアイリスの放蕩騎士様が救ってくれた、と中々面白い話も聞けた。これはレンツ子爵様に伝えよう。彼は根っからのアイリスの放蕩騎士のファンでもあるからだ。

 護衛は2人。二人共レンツ子爵の兵士であり腕前に信用は出来る。

 何ならレンツ子爵の兵士の中では1、2を争う腕前だ。

「足元が悪いですね」と馬の脚がとられていることをそれとなく私が言うと、兵士は欠伸をしてみせ。

「その分ゆっくり出来ますよっと。過労で死んじまう」と冗談で返してくる。

 もう一人の生真面目な兵士は「子爵様へ無礼だぞ」と諫める。

 二人はそのまま口論を始め、静かさというのはこの二人には似合わない。

 私はこの凸凹コンビを気に入っている。

 不真面目ながらも、槍を振るえば魔物を一方的に圧倒する『疾駆』のシャンと、生真面目な性格から太盾で守らせればまさに鉄壁である『城壁』のミルゴ。

 義理の息子とも言える大事な二人を貸し与えて下さる領主様には本当に頭が上がらない。

「適当に食事にしましょうか?」と私が提案すると、二人の兵士は「勿論」、「まだ結構です」と相変わらずの平行線であった。

 そんな二人が言い争っている中、ふと目の前の茂みから何かが飛び出してきた。

 慌てて馬を止めると、異変に気付いたシャンが飛び出し槍を構える。

 ミルゴは盾と剣を持ち、私の隣に立つ。

「安心しな」とシャンが声をあげる。

 そして倒れてきた…赤い髪の子供を片手で持ち上げ、「瀕死だな」と笑ってみせる。

 そんなシャンにミルゴは怒りを露わにし、

「シャン!何をしている!民を助けるのは我々の任務だ!」

 怒鳴られてもシャンは槍を置いて片手を振りながら、気にしていないというような様子だった。

「分かってるての…もったいねぇけど、ほら」とシャンが貴重なポーション(回復薬)を赤い髪の子供に飲ませた。

 ポーションを飲ませたところ、赤い髪の少年は苦しそうな息を吐き、目をあけたものの、すぐに気絶してしまった。

「ミルゴ、ポーションまだあるか?かなり弱ってる!」

「言われてなくても」

 ミルゴがポーションを飲ませ始めるとシャンはやれやれと肩を落とし、「銀貨1枚もすんのになぁ」と呆れたように言って見せた。

 そして、意地悪くミルゴを見る。

 ミルゴはシャンのそんな態度に眉を潜ませ、

「この子に払わせる気か?貴様には兵士としての矜持が…」

「ねぇな。ミルゴが今日、奢ってくれんならいいけどよ」

 シャンのそんな寛大なのだか、横柄なのだかの言い方にミルゴは説教を途中で止め、ため息を吐き。

「また金欠か…」

「仕方ねぇだろ王都の花が高騰してんだ」とシャンは悪びれる様子がない。

 そして、それはミルゴの反感を買うと分かって言っているのだろうと項垂れたくなる。

 王都の花…というのは娼婦のことだ。全く、真面目にお勤めにいっていたと思えば、彼という男は。

「これも人助けってやつだろ?」と続けたシャンにミルゴが詰めようるように語気を荒げた。

「金がないのは王都で女なんか買うからだろ!」

「おいおい。花は人生に彩をくれるんだぜ。もしかしてミルゴはまだ童貞?」

 ロマンチックに言うが、シャンに至っては下半身が脳のような男だ。そんな男の言うロマンチックな言葉に彩はない。

「やかましい!」とミルゴは否定しない。

 真面目なミルゴは結婚を誓い合った女性以外の肌には触れない…と普段から言ってそうだ。

「ぷぷぷ、俺はもう100人は切ったぜ」

「全部、娼婦だろうが!」

「娼婦でも花には違いないだろ?花の美しさは自分で決めるものだ。偏見はよくないぜ」

 そこまで言ってシャンはワザとらしく驚いてみせ、

「もしかして、純潔以外ダメとか?ピュア~」

「貴様ー!」とミルゴがシャンに掴みかかる。

 二人が言い合いをしている中、赤い髪の少年はゆっくりと目を開け、そして痛むのか目を瞑る。

「いつつ…」

 苦悶の表情を浮かべる少年に二人は殆ど同時に「大丈夫か?」と声を掛け、シャンはミルゴをニヤニヤと見つめ、ミルゴは視線を逸らした。

「取り合えず、町まで行こうか」と私が提案すると二人は頷き。

 その瞬間、何かが繁みから姿を現した。

 人間種を優に超える身長と緑色の体を持つ魔物―ホブのゴブリン。

 魔物を認めた二人の動きは早かった。シャンは少年をミルゴに預けると槍を手に取り、ホブの前に躍り出る。

「ミルゴ!」とその一言でミルゴは少年を抱きかかえ、大盾を構える。

 私は慌てて荷物から剣を取り出してからミルゴの後ろへと隠れる。

 恐らく、この赤い髪の少年を襲っていたのであろうホブは茫然とした様子で立ち尽くしている。

 シャンはホブを睨みつけていたが、ふと不用意に歩き出す。

「シャン、何をしている!」

 ミルゴが声を荒げるとシャンが槍の先で軽くホブを突く。

「いや…それがよ」と言っている間にホブの巨体が倒れていく。

「もう死んでる」

 その言葉と共に轟音を立ててホブは仰向けに倒れ、カランと何か鉄製の物が落ちた音がした。

 それは恐らくホブの首の後ろに刺さっていたであろうショートソード(グラディウス)だと気づくのには少しの時間要した。

 よくよく見ると少年は体中傷だらけながらも、腰には剣の鞘を差し、体には軽装ながらも鎧を着ている。

「こいつが…やったのか?」

 シャンが驚いた表情を浮かべ、ミルゴは抱きかかえた少年を見つめる。

 私もそれは一緒だ。

 シャンやミルゴならホブを倒せるが、それにしてもこんなか細い少年が倒せるような魔物ではない。

「なんなんだよ、こいつ…」

 私達は得体のしれない物を見てしまったようなそんな不気味さに襲われてしまった。

 少年の回復を待つ…必要もなく、少年は数分すると目を開け、

「いだだだ!」と首筋を押さえ始めた。

 やけに高い声に驚いた。見た目からして美少年といった雰囲気のある少年は、私達を見ると首を傾げたものの。

「もしかして、助けてくれたの?」

 言葉遣いも女性のようであった。

 シャンとミルゴが頷くと、少年は「ありがとう。死ぬかと思ったよ」とお礼を言った。

 それから何処にそんな力が残っていたのか、フラフラとした足取りながらもホブの近くに落ちた剣を拾い上げ腰に差し、藪の中へと入っていこうとする。

 ミルゴは慌てて少年を掴み、

「待て、どこにいく!?」

 傷を心配していった言葉に少年はキョトンと驚いた表情をしたものの「向こうに荷物置いてきちゃった」と藪の中を指さし、構わず歩いて行く。

「一人で行こうとするな!」とミルゴが少年の方へ駆け寄る。

 そして、ミルゴがその先を見て足を止めた。

 シャンもそれに続き、同じく茫然とした様子で「なんだこりゃ」と声を漏らす。

 二人が見つめる先には…複数のホブの死体とそのお付きであろうゴブリンの死体が転がっていた。

「あ…こりゃ…?」とシャンが足を止め少年を見つめる。

 魔術を使った形跡もなければ仲間がいた気配もない。

 それに、私のスキルで見ても、この少年からは何の力も感じない、

 少年は頭を押さえながら、ゴブリン達の中に落ちていたバッグと盾を拾あげると肩に担ぐ。さらに、ゴブリンの持ち物等を漁り始めた。

 私は漂う血の臭いだけで気持ち悪くなるのに、まるで慣れているかのように少年はいくつかの戦利品を取ると戻ってきた。

 戻ってきたものの、頭を押さえ、

「いてて…最後の一匹の時に木に頭をぶつけちゃって。血出てる?」

 そう言って見せてくるが…ぱっくりと割れている。まだ塞がっていない。

 生々しい傷を見せられただけで、思わず気持ち悪くなる。

 それに、ポーションを2つも使ったのに関わらず傷が癒えないなんて聞いたこともない。

「お前、一人でやったのか?」とシャンが聞く。

「えへへ。まぁね」と少年は少しだけ誇らしげに言ってからまるで文句でも言うように。

「本当に失礼だよ。女の子が寝てるところにいきなりやってきて攻撃してくるなんて!」

 そう言った。寝込みを襲われたのに返り討ちにした…ということより。

「あ?」とシャン。

「は?」とミルゴ。

「へ?」と少年…いや彼じゃなく彼女は…

「「女!?」」とシャンとミルゴが口を揃えた。

 少女は泣きそうな表情で二人を見返すと。

「失礼だよ!女の子だよ!」

 大きな声で悲鳴のようにそう告げた。

 少年のような赤い髪の冒険者…カホさんとの出会いはこんな感じだった。


 カホ君…もといカホさんは怪我もまだ治り切っていない上に、目的地がアルトヘイムだということもありそのまま放っておくことも出来ずに馬車へと招いてあげた。

 馬車に乗ってからというものの、シャンとミルゴが困った表情をしている。

「シャン…お前から見てどうだ?」とミルゴが隣に座るシャンに聞く。

「やべぇよ、全然反応しねぇ…まじで女なのかよこいつ…」

 そういってシャンは自分の股間に視線を落とした。

「どういうこと?」とカホさんは怒りを露わにしている。

 慌てたミルゴが取り繕うように、

「いや、俺はカホさんは可愛らしいと思うぞ」

 その言葉にカホさんの表情が明るくなる。結構…バカな子なんだと私は思ってしまう。

 そんなミルゴを心の底から心配するようにシャンが肩を叩き。

「ミルゴ…お前そういう趣味だったのか?」

 その言葉にミルゴは慌てた。

 確かに男の子にしか見えない娘が好み…というのはどうかと思う。

 それにしたってお世辞だと分かってあげればいいものを。

「違う。女性としての魅力はないが、子供っぽさ…あ…」

 とミルゴも言葉に詰まる。

 つまり…まぁ、彼女には全くと言って女としての魅力がない。

 薄っぺらく起伏が殆どない体形に、少年のような面持ち。小汚い恰好。見れば見る程少年のようにしか見えない。

「もう…まぁ、言われなれたけどさ」

 カホさんは不服そうに口を尖らせる。

「そうだろうな…」とシャンがまた要らないことを言うと、ミルゴが慌てた様子で。

「シャン!いくら本音はそうでも…あ」

 彼の生真面目さが裏目に出るとは…まぁ、見ていて微笑ましい。

「泣きそう」とカホさんは明らかに肩を落としている。

 そんな彼女にシャンが肩に手を掛けようとし手を引っ込める。

「悪ぃ…俺そういう時…女なら抱いてあげるとかすんだけどさ…お前は無理…」

「酷過ぎない!?」

 それは私も思う。もう少し…頑張ってあげて欲しい。

 私自身もカホさんを、女の子とかなり意識してようやく思えている。

 多分話していると忘れてついつい「カホ君」と言ってしまいそうだ。

 ふと丘を抜け、私達の愛する町が見えてきた。

「あれがレンツ子爵領ですよ」

 私が後ろにいるカホさんに声を掛けるとカホさんも顔を出し、

「わぁ、大きい!」と少年…いや子供のような感想をあげる。

 もう少し、女の子らしい…いや、そんな感想は私にも思いつかないけれど。

「早くお風呂に入りたいなぁ」とウキウキしている。

 彼女の服からは何日風呂に入っていないのかと心配になる程、血や汗の臭いがする。

 ただ、それでも不思議なのは彼女の体には殆ど傷がなく、さらに言えば服も擦りむいていたりはするものの、殆ど破れてはいない。

 服に染みた血が自分の血でなく魔物の血であり、魔物からの攻撃を受けない程の技術を持っていることは容易に想像できる。

「そういうところは女の子なんだな」とシャンが声をあげると、カホさんはシャンを指さし。

「失礼だよ!」

 と声をあげた。君もね。まぁ、今のはシャンが悪いか。

「もうすぐ着きますので、お風呂であれば宿にありますよ」

 私の言葉にカホさんは目を輝かせてから、座り。

「馬車って意外に快適だね」と笑顔を見せてくる。

 その笑顔は意外にも女の子らしさがある。

 彼女の年がいくつなのかは分からないが、レンツ子爵の長子カイル坊ちゃんとそう変わらないだろう。

 ふと馬車の車輪が大きく揺れ、後ろから「うわ!」と高い声が聞こえた。

 それがカホさんの声と分かる。一応後ろ見てみるとミルゴが落ちてきた荷物を受け止め、シャンが彼女を受け止めていた。

 なんだかんだであの二人は優しい。ホッと胸を撫でおろしていると、カホさんがミルゴの持っている荷物から零れた物を見つめる。

「これは?」と拾い上げたのは緑色の鱗だ。

「ああ、リザードマンの鱗ですよ」

 私がそう答えると、カホさんは珍しそうに見つめ、

「ああ、あの硬いヤツ。これって売れるんだ?」

「そりゃあまぁ、買う人がいればね」

 この辺ではアルトヘイムか、レンツ子爵領でしか取引する先はないだろうが、見る人が見ればその価値は計り知れない。

 残念なのは4匹もいたリザードマンのうち、綺麗な鱗が2匹分しか取れなかったこと。

 しかし残り2匹の焼けた鱗にも使い道はある。焼けた鱗を細かく砕き、溶かすことで建材や盾の保護剤となる。これはこれで十分な収穫だろう。

 そして、カリデの村の住人にリザードマンの鱗が売れると教えたと言われる変わり者の奴隷商人には感謝しなければいけない。尻尾を持っていかれたのは痛手だが。

「あー、カリデの村の奴少し取っておけばよかったかな?」

 ふとカホさんがそんな声をあげた。

「え?」と言葉に詰まる。

「あはは。カリデの村に居たときにリザードマンに襲われてね」

 その言葉に…あの村人の話を思い出した。

 赤い髪のアイリスの放蕩騎士…

「ちょ、ちょっと待てよ。赤い髪…」とシャンが。

「お前がアイリスの放蕩騎士か!?」とミルゴも落ちてきた荷を置いてから問い詰める様に聞く。

「違うよ」とカホさんは自然に否定した。

 嘘はついてないように見える。

「な、なんだ。…まぁ、そうだよな」

 シャンは肩を落とし、ため息を吐いた。

 レンツ子爵が『アイリスの放蕩騎士』の熱烈なファンなのだが、実を言うと領内の兵士達の大半が好んでいる。

 それもそのはずで、『アイリスの放蕩騎士』という物語は正しく勇者の物語だ。

 今では異世界から来るものを『勇者』とは呼んではいるが、これは聖王国が勝手にそう決めただけである。元々、『勇者』という言葉は人間の頃のエアリス様を指す言葉であり、またそのような活動をする『アイリスの放蕩騎士』こそアルトヘイム領にとっては勇者そのものであるからだ。

 また少し前にレンツ子爵領はアイリスの放蕩騎士に救われたという逸話も残っている。

 カホさんはふと、

「『アイリスの放蕩騎士』ってあれだよね。中央国の魔女の弾圧のその非道を打ち倒す為に立ち上がった47人の騎士の話だよね」

 その話を聞き、思わず私は耳を疑った。

 そんなカホさんの言葉にシャンは「違うって」と一言言ってから、

「国を捨てたエアリス様を信奉する騎士達が各地を回り、正義と自由の為に戦う冒険奇譚だろ?」

 さらに、付け足すように「俺は2巻のオーガ退治が好きだな」と続けた。

「え、そうなの?」とカホさんは本気で驚いている。

 ミルゴも頷き。シャンの言葉に肯定してから。

「確かに…物語が作られた時は当時アイリス皇国へ中央国からの魔術への弾圧はあったはずだが、一応は童話だぞ。そこまで政治的に扱き下ろすような内容は書かれていない」

「そうだよね…」とカホさんが肩を落とす。

「君、カホさんと言ったね」

 思わず私が声を掛けると、カホさんも「そうだけど」と答える。

「是非、レンツ子爵と会って欲しいけどいいかい?」

 私は少し彼女に興味が沸いてしまった。

 何故、アイリスの真実を知っているのかそれも含めて気になってしまった。

「こんな格好で?」と小汚い恰好をこちらにみせるように腕を広げて見せる。

 思わず言葉に詰まり、

「何とかするよ」

 とは答えておいた。

「確かに臭いが…やばいな…」

 シャンが顔をしかめる。

「気にしてるの!あー、もう!早くお風呂入りたい!」

 駄々をこねるようにカホさんが声を荒げる。

 もう少しですよ、とそれを諫めふと見えてきた町の門に違和感を感じた。

 それに気づいたのはシャンとミルゴもだ。

「おい、ミルゴ!」とシャンが鋭い声をあげ、槍を手に取る。

「分かっている!」とミルゴは盾を剣を持つ。

 町…そして門の前にはレンツ子爵領の兵士達が武器を取り、何かと戦っている。

 犬の頭と人間のような体。素早く、そして確かな膂力を持つ魔物。

「『コボルト』だ!」

 私が声をあげると、シャンとミルゴは馬車から飛び出し駆け出す。

「先に町へ、道を作る!」

 シャンの頼もしい声と共に、その手に持つ槍で馬車の前方にいるコボルトを不意打ちと共に討ち取る、

 こちらに気付いたコボルトの数匹が群がってくる。何とか馬車を走らせ門まで急ぐ。

 荷物を満載している馬車だ。追い付かれるが、安心している。

 ミルゴが馬車へと群がるコボルトを見据え盾を構え大きく地面を踏みしだく。

「戦技『石のストーンキャッスル』!」

 地面に振動が走りミルゴの周りに石の壁が築かれる。

 コボルト達は急の出来事に反応出来なかったのだろう。石壁の向こうから悲鳴が聞こえる。

 もう少しで町だ…そう思った私の前に影が通る。

 コボルトが私に飛び掛かってきた。

 馬車から振り落とされてしまい体をしたたか打ち付ける。目をあけるとコボルトはナイフを振り上げこちらに振り下ろそうとしていた。

「うわああぁぁ!」

 悲鳴をあげ、顔を腕で守るようにしたと同時に、肉が切り裂かれる音が響いた。

 赤い髪が揺れた。

 顔をあげるとコボルトが切り裂かれているのが見えた。

「カホさん…」

 と名前を呼んだものの、彼女は軽やかなステップを踏み、彼女の後ろから飛び込んできたコボルトのナイフを剣で受けた。

「よっと!」と軽い掛け声と共に、大きく踏み込み前傾姿勢になりながら剣を振り上げる。

 それだけで、ナイフを弾き飛ばした。

 高い金属音が鳴り響き、コボルトのナイフは空高く舞う。

 それに気を取られている間に、再度肉の切り裂かれる音が響き、コボルトが倒れ伏していた。

 その腕前に一瞬声が出なかった。

「へへ、コボルトくらいなら楽勝だね。それに乗せて貰った恩もあるしね!」

 そう言うとカホさんは私の前に立つ。

「早く逃げて」と彼女が静かに言う。私はそれに応え兵士達のいる門へと走り出す。

「腕は立つんだな…ちょっくら力を貸してくれよ!」

 シャンがカホさんの隣に立つ。その隣には自然とミルゴも集まる。

「任せて!」

 カホさんが声をあげ、突っ込む。

 コボルトの一匹が大げさに後方へと飛ぶ。カホさんの足と剣では追い付けない。

 だからカホさんはさらに前へと進む。

 だが、罠だ―!

「カホさん、危ない!」

 私が叫ぶもカホさんは関係ないとばかりに突っ込み、その四方からコボルトが襲い掛かる。

 やられる―そう思った時にはカホさんが後ろに飛んだ。まるで分っていたかのような動きだ。

 ナイフを避けられたコボルトが地面に着くと同時に、シャンの槍とミルゴの剣が襲い掛かった。

 二人に近かった二匹は成すすべなく絶命し、残りもそれに慌てて飛びのくも、コボルトの一匹をカホさんの腕が捉え、コボルトは地面に引き倒されると同時にその喉元を掻き切られた。

 一瞬で三匹を仕留める。その余りの強さに周りが沸く。

「息が合うね」とカホさんが二人に笑いかける。ミルゴとシャンも笑みを見せ。

「腐れ縁だからな」とミルゴ。

「臭い縁だな」とシャンが皮肉を言う。

「もう!失礼な!」カホさんはそう言いながらも笑顔を見せた。

 ふとシャンが何かを見た。それが何かは分からなかったが、門の向こうに視線を送っていた。

 不意にそんな三人を避けるように何かが駆けてくる。

 凶悪な牙をもったボアの魔物、ワイルドボアと、そしてその背に乗ったコボルト。

「ビーストライダー!」と私が叫ぶと、門の付近の兵士が槍を構える。

 槍を突き出すが、コボルトの指示により俊敏な動きで避けられ、兵士が横佩から吹き飛ばされる。

「ダメだ!町に入られる!」一人の兵士が声をあげ、剣を振るが、ワイルドボアから飛び出したコボルトが兵士に組み付きナイフを振り下ろした。

 兵士は肩を貫かれ、慌てて振り払おうとするが、ビクともしない。

 他の兵士もカバーに入るが、組み付いていた兵士を蹴り飛ばして簡単に攻撃を避けられてしまう。

 門の前にいた兵士達が混乱し、連携が取れない。

 コボルトを狙うとワイルドボアに突き飛ばされ、ワイルドボアの俊敏さに気を取られているとコボルトからの不意打ちを受ける。

 カホさん達が駆けてくるが、三人を相手にするつもりは毛頭ないようで、コボルトはワイルドボアに乗り縦横無尽に駆け始める。

 そんな間にも門に残りのコボルト達が攻めてくる。

 シャンが必死に走りビーストライダーを追うが、到底追い付けない。

「くそ!ミルゴ!お前の戦技で!」

 と声を掛けるが、ミルゴは門の前に立ち、押し入ろうとするコボルトを何とか抑えていた。

「バカが!ここを守らんと一緒だ!それに間に合わん!」

「じゃあ、どうすんだよ!」

 シャンがイラつきながらも傷ついた兵士からビーストライダーを引き離す。

 不意にカホさんが自分の荷物を投げた。

 汚いボロボロの麻袋。さっきまで馬車にあったはずだ。

 多分取りに行ったのであろうそれから何かを取り出した。それは矢筒と弓だ。

 その弓に驚かされた。業物に違いない鋼の弓だった。

 カホさんは弓を引くとビーストライダーに向けて矢を放つ。風切り音と鈴の音が鳴った気がした。

 しかし、カホさんの放った矢はビーストライダーの命令によりワイルドボアが急停止し避けられた。

 だけど、それで十分だ。

「ナイスだぜ!カホ!」

 シャンが飛び込んだ。『疾駆』と呼ばれるだけある一瞬の素早い踏み込みだ。

「戦技『閃光槍ライトニングスピア』!」

 光を纏った高速の槍がワイルドボアを捉え、さらにその上に乗るコボルトごと刺し貫く。

 脳天を一撃で砕かれたワイルドボアは絶命し、コボルトも胴体を突かれ吹き飛んで頭を石畳みに打ち付けた。

「やったね!」

とカホがシャンと手を叩き合う。

「お前もやるじゃねぇか!」とシャンもカホさんの手を取る。

「こう見えても結構戦ってきたからね」

 二人がまるで友情を確かめあっているものの…

「お前らこっちも手伝え!」

 コボルト数匹を押しとどめているミルゴの怒声が響く。

「ごめん!」「悪い!」と二人が駆けて行く。

 兵士達もそれに応えて駆け出す。それからは早かった。ものの数分も掛からない内にコボルトは壊滅し、逃げ出していった。

 兵士たち…そして隠れながらも見ていた領民達が歓声をあげ手を振り上げる。

 さすがだ、とシャンとミルゴを誇りに思い、さらに冒険者のカホさん…

 不意にその姿がないことに気付いた。

 どこにいるのか…と思って探すと、町の中で倒れているワイルドボアに近づいていた。

 弓を置いて腰からナイフを抜き、その体に突き立てようとしたところで、

「おい…」とシャンがその肩を掴んだ。

「え…どうしたの?」とカホさんが驚いた様子で見返していた。

「お前何をしようとしてんだ?」

 それは私も思った。ただ、大体分かるのが困る。

「え?解体」

 多分癖なのだろうけど、こんな中…それも町中で何をしようとしているんだ。

「あのな…いや、冒険者からすれば普通なんだろうけどよ…」とシャン。

「町中で解体はやめろ」と呆れた様子でミルゴが止める。

「ええ…美味しいのに」

 カホさんは不服そうにナイフを仕舞う。

 そんなカホさんにやれやれと二人は首を振り、手を差し出した瞬間、

「いやぁ!」と悲鳴が響く。

 ビーストライダー…いやあの背に乗っていたコボルトが起き上がり、町人に飛び掛かろうとしていた。

―ゴン

 とその横顔に何か…いや盾が直撃した。

 それがカホさんが投げたと気づくのに少し時間が必要だった。

 コボルトが怯んだ隙にカホさんは地面に置いていた弓を手に取り、即座に射る。

 異常なまでの鋭い風切り音と共に、鈴のような高い音が鳴る。

 それがあのカホさんの弓から発しているのが分かり、その弓を見て思わず私は目を見開いてしまった。

 矢は真っすぐにコボルトへと飛び、喉に突き刺さった。

 コボルトは訳も分からないままフラフラと揺れ、そして倒れ伏した。

「よし!久々に当たった!」と嬉しそうにカホさんが胸の前で拳を握る。

 そんな彼女の言葉以上に、

「その弓を良く見せてください!」

 私が彼女に頼むと、カホさんは困ったように眉を曲げたものの、弓をこちらへと渡してくれた。

「貰いものだけど…あげないよ」

 とは言いながらも素直に渡してくれる。

 弓は鋼…などではなかった。

 弓の本体はオークの持つ、複合合金技術。それも純粋な黒鋼のみを使用された物。

 弦に至っても、あの鈴のような音と、よく目を凝らせば分かる七色の輝き、幻獣とまで言われる川馬ケルピーの鬣が使われていると分かる。

 間違いなく至高の一品…『魔術武具マジックウェポン』ですら比肩出来る価値がある。

「鋼の弓じゃねぇの」とシャンが不思議そうに見つめてくる。

「これは黒鋼の『複合合金弓コンポジットボウ』!オークの武器です!」

 思わず興奮で声を荒げてしまう。

 シャンとミルゴはことの重大さに気付きを目を丸くする。

 当の本人は…というかまぁ、分かっていましたけど。

「うん?使い易いとは思ってたけど、いいものなの?」

 全く価値を知らなかった。

 そんな気はしていた。これ程の武器を持ちながらも彼女はずっとあの粗野な作りのショートソード(グラディウス)を振り回していたのだから。

 物も新しい。恐らく鍛造されて間がない。価値としても金貨、いや大金貨にも届くかもしれない逸品だ。それをあんな安物の麻袋に無造作に入れていた…。

「どこでこれを…」

 恐る恐る聞くとカホさんは首を傾げ、こちらの驚きを全く理解していない、

「オークから貰ったんだけど?」

 オークが自分達にしかない秘術と言える鍛造技術の武器を、くれた?

「そ、そんな馬鹿な!一族でもなければ、ましてやこの黒鋼はオークの族長クラスが持つ栄誉の武器ですよ!」

 まくしたてるもカホさんは耳を塞いで目を閉じてから困ったように。

「いや…オークに友達がいるの。『おもしろバルグ』じゃなくてバルグ族長が」

 族長が友達?あと…族長を『おもしろ』呼ばわり…

 愕然としてしまう。この子のバカさ加減…いや異質さに冷や汗が出る。

「こいつマジでなにもん。なんか怖いんだけど」

 シャンは顔を引きつらせる。

 それは私も同じだ。オーク程人間嫌いで魔族寄りのエルフもいないのに。

 オークの信仰もエアリス様を除けば10大神には注がれず、もっぱら彼らが戦いの神と崇める”生きる神話”であり魔族のスルスト族のみだ。

 それならばまだ復讐に燃えるダークエルフや、滅びた村のエルフの生き残りの方がまだ話も分かる。

 カホさんは私から弓を受け取ると、またあの麻袋に詰め込み担ぎあげる。

 そして投げた盾を拾い、助けた町人の怪我をある程度だけ確認する。

 感謝の言葉に戸惑いながらも照れた様子で返し、ついでと言わんばかりにコボルトの手に持っていたナイフを拾い上げて戻ってきた。

「さてと…」と言いながら彼女はワイルドボアを今度は引きずり始めた。

「おい…何してる?」

 シャンがようやく正気を取り戻す。

「え…町の外でなら解体してもいいよね?」

「マジで言ってんのお前」

 正気を疑いたくなる。魔物の肉は食べることもあるがそこまで執着する程ではないと思う。

「だって勿体ないじゃん。あ、この短剣は鋼鉄かな?」

 また近くに落ちていたコボルの短剣を拾い上げる。余談だが彼女が拾ったのは粗鉄の短剣であり鋼鉄ではない。物の価値を根本的に分かっていない様子だ。

 売れそうだから取り合えず拾う…というよりただのごみ漁りに近い。

 今まで色々な冒険者を見てきたものの、彼女程異質な存在はいなかった。

「カホさん!それより…」

 あまりの光景に忘れそうになっていた。彼女はアイリスに縁のある者だろう。

 その来訪にはレンツ子爵がきっと喜ぶ。もしかすると晩餐まで呼ばれるかもしれない。

 引き留める様に声を掛けたものの。

「取り合えず今日の宿代だけでも稼いでくるね。もうお金ないんだ」

 そう言いながらワイルドボアの死骸を引きずり、鼻歌混じりにしきりに「お風呂に入れる」喜んで出て行く。

 なんというかもう…引き留める気すら失せた。

「今日の宿代ってあれを解体するのか?」

 ミルゴが言葉を失いながらも冷静な言葉をこぼす。

 辺境の村ではどうあれ、この規模の町では魔物の肉や毛皮は殆ど金にはならない。

 拾っていた鉄の短剣ですら大銅貨になるかどうかだ。

「なぁ、やっぱ男だって。俺の息子が縮むんだけど」

 シャンはやれやれと首を振る。

 私も思わずため息が出た。逞しいのやらなんなのやら。

 ただ一言だけ私達と周りの兵士、そして町民が同じことを言った。

「変わってるなぁ」

 その言葉と共に、思わず皆して笑い合い、そしてお互いの生存を喜びあった。



 その後、荷物を纏め、物は兵士達に預けシャンとミルゴを連れて子爵の住む屋敷へと向かう。

 屋敷の入り口で軽く泥と血を落としてから汚れた鎧と武器をメイドに預ける。

 服を着替え、軽く身なりを整えてから、子爵の御前へと赴く。

 レンツ子爵は私達の帰りと、そして門での戦闘に気を揉んでいたらしく、会うなりに両手を広げて歓迎した。

「よくぞ戻ったな」と貴族らしからぬ歯牙にかけない態度にはいつもながら好感を覚える。

 私も頭を下げ「お待たせして申し訳ありません」と返すとレンツ子爵は軽く手を振り、気にしていないという様に答えてくれる。

「シャン、ミルゴよ!よくぞ守ってくれた。そして、帰還しての戦いぶりも見事だと聞いたぞ」

 その労いの言葉にシャンとミルゴは平伏し言葉を受け入れる。

 そしてベルを鳴らすと、若いながらもこの屋敷でメイド長をしているアンヌが盆と共に報奨金を持参した。

 それらをシャンとミルゴは受け取り、さらに平伏する。

 ただ、盆にはあと一つ報奨金が入っているであろう袋がある。

 レンツ子爵もキョロキョロと辺りを見て少し困った様子だ。

「あの子爵様…実は」

 私が切り出すと、

「ああ。聞いているとも。赤い髪の少年だろう」

 そこまで聞き及んでいるとは思わなかった。

「メイド達が噂をしていたよ。勇敢で剣の腕が立ち、珍しい弓を持つと聞いた」

 さらに大層美形だそうだな、と笑って見せる。

 それに反応したのはシャンだ。一応女心を分かってあげようとしているのだろう。

 シャンは隣にいるミルゴに目配せをし、お互いに子爵の間違いを指摘するように押し付け合っている。

「彼にも僅かながら賞金を用意したのだが、今はどちらに?」

 結局折れたのはシャンだったようだ。シャンは顔を上げ。

「あの子爵様…そのいいっすか?」と敬語になり切れていない言葉を子爵様に向ける。

 本当に無礼なのだが、子爵様がそんな些末には取り合わないからいいものを。

「どうしたシャン?」

「あいつ…女です」

 その言葉に子爵様だけでなくメイド長のアンヌまでもが驚いていた。

「…彼女にも僅かながら賞金を用意しておいた」

 言い直した…とは言わない。まぁ、冗談の好む彼だ。これも今日の彼の肴になるに違いない。

「それで…彼…ではなく彼女は何処に?」

 そこまで聞いて、思わず私が言おうかと逡巡していたが、ミルゴが「失礼ながら」と切り出し。

「外で魔物を解体してます」

 その言葉に周りがシン―と静まり返る。

「…え?」と子爵様が声を漏らし、メイド長のアンヌと目を合わせ合う。

「本当なのか?」そう尋ねられたので、私も言いにくいが。

「ああ、はい…その通りです」

 肯定するとさすがの子爵様も反応に困り、「ああ…そうか」とだけ言葉を漏らした。



 子爵様の目通りの後、私は子爵様に命じられカホさんを探しに行く。

 因みに子爵様が『その生き方には尊重はしてやってくれ。出来れば丁重にもてなすように』と彼女を気遣っての言葉も頂いている。

 つまり、堅苦しいのが嫌がり、固辞するようなら仕方ない…ということだろう。

 ただ、レンツ子爵としては話が聞きたそうだったのでなるべく連れていこうとは思う。

 町の門の方を見ると、兵士達と談笑している赤い髪が見えた。

 談笑というよりは男に見えることをいじられている…といった雰囲気だ。

「カホさん!」と声を掛けたところ、カホさんもこちらに気付き兵士に手を振ってからこちらに走ってきた。

 そしてそんなカホさんと私の前に立つように一人の少年が割って入ってきた。

「おい、そこのお前!」と不遜な態度を取り、カホさんを指さす。

 それを聞いた兵士達が一度目を向けるが、困ったようにそっぽを向いてしまった。

 カホさんに声を掛けたのは、この子爵領の…いやレンツ子爵の長子カイル坊ちゃんだった。

「坊ちゃん?」と私が声をあげるものの、カイル坊ちゃんはカホさんを指さし。

「そこの汚らしい冒険者!」

 そう言い放つ。それにはさすがに兵士達も睨んでいたが、何故かすぐに笑いだした。

 いや、笑いごとではないのに。

「…気にしてるのに」とカホさんはむくれてしまう。

「ここはレンツ子爵の町だ。そんな恰好で入り町を汚すことは許さん」

 そんなこと…あるか。確かに、カホさんは返り血等でかなりひどい恰好をしている。

 その辺の野盗の方がマシな恰好に見えるかもしれない。

「いいじゃん。お風呂くらい入らせてよ」

 そしてまだお風呂が第一なのか。それなら、兵士達と談笑している時間に入ってしまえばいいのに。

 カホさんはやれやれと首を振り、前に立つ少年が誰か分からない様子で通り過ぎようとしてしまう。

「それ以上動いてみろ…僕は本気だぞ!」

 カイル坊ちゃんが腰から短いワンドを取り出す。

 まずい―

 そう思ったものの、カホさんは意に返さず歩き始める、多分、あんな杖なら攻撃されない…とでも思っているのだろうが、カイル坊ちゃんは剣術だけでなく魔術にも長けている。

 カイル坊ちゃんが杖を振り上げる。

「炎よ!我が声に応え敵を撃て」

 しかも…あれは攻撃魔術だ。

「その形は矢!敵を撃ち滅ぼす矢と成せ!」

 カイル坊ちゃんの詠唱が続く。確か、三行の魔術詠唱だったはず。まずいと思った時には走り出し、

「坊ちゃんお止めください!」と叫んでいた。

 カイル坊ちゃんは気にせず、カホさんを見据え杖を突き出した。

「我が声に応えよ!彼の者を撃ち貫け『火炎矢ファイアボルト』!」

 詠唱が終わると、杖の先に魔力が収束し、炎の矢が放たれた。

 炎の矢は真っすぐにカホさんに飛翔する。

「カホさん!」私が声をあげ、彼女を見た時、彼女は一度だけ後ろを見ていた。

 何を確認していたのか、荷物を素早く捨て、盾を振るった。

 直撃だった。その盾に…

「―遅いよ」

 静かな一声と共に盾の一振りで炎の矢は消えた。

 思わず息を呑む。

「え?」とカイル坊ちゃんは目の前で起こった事に茫然としていた。

 私もそうだ。魔術を打ち払うなんて…常人じゃ考えない。

 炎が掻き消え、その先でカホさんが怒気の孕んだ目でカイル坊ちゃんを射すくめていた。

「どういうつもり?」 

 そしてカホさんが後ろにもう一度視線を向ける。そこには町民の少女がいて、カホさんに手を振っていた。

 カホさんもそれに応えるように軽く笑って手を振り返していた。

 少女はそのまま父親であろう兵士に飛びつき、兵士は一度だけカホさんに頭を下げ、娘に何かを言い聞かせている。

 避けていたら…あの子に当たっていた。

 カホさんの手には魔術の熱で出来たであろう火傷が見える。

 そこまでしてでも彼女は守ったのだとと分かっていまう。

「あ…」とカイル坊ちゃんが声を出せず、怒りを露わにしたカホさんに怯えたじろぐ。

 カホさんは荷物を拾い直すと、もう一度子供と兵士の方に手を振り、

「さってと…お風呂に行こう!」

 いつもの調子に戻る。背伸びをしながらさっきまでの威圧感が全く消えている。

 得体のしれない子だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。

 ただ、少しだけ彼女の性格が分かった気がする。普段はふざけているのに、ああいう時は本当に怒ると。

 誰かを傷つけたくない…そういう意思を感じた。

 カホさんはカイル君の脇を通り、

「私は今、子供の相手をしている暇はないしね」

と言いながら通り過ぎるが、ただ、その発言…

「子供…だと!」

 カイル坊ちゃんの神経を逆なでにする言葉。

 カイル坊ちゃんは怒りを露わにしカホさんを睨みつける。

 カホさん自身も驚きながらキョトンとしている。これは彼女が悪い。

「あのカホさん…?」と声を掛けたところ。

「あ、さっきの商人さん。これどういう状況なの?」

 これ以上ややこしくなると収集が着かなくなる、

「あれはレンツ…」と言いかけたものの、

 カイル坊ちゃんが細剣を抜いた。

「僕の魔法を破っただけで、勝ったと思うな!」

「え?剣を抜いたんだけど…」とカホさんは目を丸くする。

 少し怯えも見えるが、先ほどコボルトと散々戦い、おまけに魔術を弾いてみせたにしては迫力がない。

 カホさんは慌てて手を振り、

「ちょ…待ってよ!」とまるで停戦を申し込むかのように言うがカイル坊ちゃんは聞かず、剣を突き出す。

「ぼ、坊ちゃん!」

 カイル坊ちゃんを止めようとしたところで高い金属音が鳴った。

 綺麗な軌道で剣と持ち手だけを弾く…

―パリィだ

 カイル坊ちゃんはいきなりの衝撃で目を白黒させ、カホさんにその襟首を掴まれる、

「ああ、もう!話を聞きなさい!」

 彼女の怒声と共に、カイル坊ちゃんに頭突きが見舞わされた。

 痛そうにカイル坊ちゃんは額を押さえて尻もちをつく。

 これは…いよいよ不味いような。

 私から血の気が引く。最悪どちらか死ぬかもしれない。しかもそれが十中八九カイル坊ちゃんなのが本当に不味い。

 秀才とは言え、まだ年若いカイル坊ちゃんと、歴戦の冒険者…その実力の差は歴然だ。

「く、舐めた真似を…!」

 カイル坊ちゃんが剣を振り、

「戦技『疾空閃』!」

 その声と共に疾風の刃がカホさんを襲う。

「わ…と!」と間抜けな声ながらもカホさんは盾で受け、軽く吹き飛んだものの、すぐに立ち上がった。

 そしてまたもや後ろを見て、今度は誰もいないのをか確認する。

 カイル坊ちゃんは再度剣を構え、荒い息を隠すこともせず剣を振るう。

「戦技『疾空閃』!」

 疾風は真っすぐにカホさんに飛ぶが、

「もう!勘弁してよ!」

 簡単に避けられてしまう。

 彼女は本当にやる気が…ないのだろう。

「ふん!男の癖に情けないぞ。避けるだけか?」

 それはカホさんにとっては一番の禁句だ。

 ただ、カホさんの瞳はあの怒気を孕んだものではない。

 止めなければいけないのだが、彼女ならカイル坊ちゃんを何か正しい道に導いてくれるような気がしてしまう。

 そう思うと動けなかった。

「もう怒った!」

 カホさんが剣も構えずに荷物を捨ててカイル坊ちゃんへ近づく。

 そんなカホさんにカイル坊ちゃんは再度『戦技』を放とうとするが、腕が攣ったのか、その手を止めてしまう。

 その痛みに耐え、必死に剣を突き出した。

「終わりだ!」

 剣は真っすぐにカホさんを捉えていたが、剣に盾があてがわれ、そのまま引き込まれるようにカイル坊ちゃんの体勢が崩れる。

「失礼だよ…私は女だ!」

 慌てたカイル坊ちゃんの体を受け止めるようにカホさんは剣を持つ手首を掴み、腕に手をあてがうようにする。

 そのまま、どういう理屈か、カイル坊ちゃんが地面に叩きつけられた。

「―が!」

 カイル坊ちゃんの苦悶の声が漏れ、カホさんはそのまま腕を引き、器用にうつ伏せにし、腕を背中に回し関節を固定し、盾を背中にあてがう。

見事な制圧だ。

 カイル坊ちゃんは華奢なカホさんが乗っているだけなのに動けず、藻掻いていると、

「折るよ―」

 冷ややかなカホさんの声が耳を打った。

「それだけは…!」と私が声を上げるとカホさんは私に優しい瞳を向けてくる。

「く、くそ…この…」

 カイル坊ちゃんは何度か手や足を動かしたが、本当に藻掻く以外出来ないような状態だった。

「まだ足りない?」と笑顔でカイル坊ちゃんの腕を捻ると悲鳴が上がる。

 余程痛いようだ。

「ま、参った。だから…お、折らないで…!」

 カイル坊ちゃんの降参を聞くとカホさんも満足そうに手を放して見せた。

 カイル坊ちゃんは解放された後、涙ぐみ、痛めたであろう手をさする。

 そんな彼にカホさんがしゃがみこみ、

「もうこれに懲りたらもう人に簡単に剣を向けちゃダメだよ!」

 頭を軽くポンと叩いてそう言って見せた。

 まるで、悪戯をした弟を諫める姉のように。

 カイル坊ちゃんは驚いた様子でただカホさんの瞳をみて、少し照れ臭そうに目線を逸らした。

「こっちも怖かったんだからね」とカホさんが続けると、さすがの強情な坊ちゃんも諦めたのか、

「悪かった。謝るよ…」素直に謝って見せた。

「えへへ、偉いじゃん!」

 カホさんはやたら嬉しそうに頬を綻ばせカイル坊ちゃんの頭を撫で始める。

「撫でるな!子供扱いするな!」とカイル坊ちゃんは暴れる。ただ、照れながらも余り嫌っている様子は見えなかった。

 幼い時に母を亡くし、子爵様が愛妻家であり他の妻を娶らなかったことから、兄妹のいない坊ちゃんはもしかすると寂しかったのかもしれない。

 そういう意味では、この冒険者との一件はカイル坊ちゃんには新鮮に映ったのかもしれない。笑えない姉弟喧嘩だ。

「よっと、ごめんね。腕痛くない?」

 そう言いながらカホさんはカイル坊ちゃんの手を軽くさすり、伸ばしたり曲げたりをした。

「だ、大丈夫!心配な…いてて」

「あちゃ…手加減が足りなかったかな?」

 何だか微笑ましいものの、姉弟喧嘩と見るにしても魔術や真剣を使わないで欲しい。

 こちらの胃が痛む。

 カホさんに暫く腕を見て貰っていると、ふとカイル坊ちゃんがカホさんを見上げ、

「名前を聞いても、いいかな?」

 その言葉にカホさんが「私は…」口を開きかけたところで、ふとカイル坊ちゃんが慌てた様子を見せる。

「ま、待て!僕から名乗る!」

 そう言って頑張って父君のように振舞おうとする…それは一つの成長だと今までのことを…多少は大目に見ることにした。

 カホさんが剣を抜かなかったから良い物を…とは項垂れたくなる。

 カイル坊ちゃんは立ち上がると、まだ痛む手をさすりながらも、しっかりとカホさんを見つめ。

「僕は偉大なる父にしてレンツ子爵領当主の長子カイラルディア。皆からはカイルと呼ばれている」

 それに応えるようにカホさんも立ち上がり、

「私は…は?えええぇぇ!」

 絶叫した。そうですよ。ここの領主のご子息ですからね。

 おまけに先ほどまで散々痛めつけたり、その誇りを貶したのだから。

「どうした?急に…」

 カイル坊ちゃんは不思議そうにカホさんを覗き込む。

「ごめんなさい。知らなかったとはいえ…まさかここの領主様の子供に…」

 カホさんは慌てふためいている。これが他の領であれば間違いなく打ち首だろう。

 そんな何処か愛嬌のあるカホさんを見てカイル坊ちゃんは腹を抱えて笑って見せる。

「ぷ、あははは!面白いんだね!冒険者さん」

「な、なによ!どうせ打ち首とかにする気でしょ!絶対に逃げてやるから!私はまだこの世界を見たいの!好きになりたいの!」

 その言葉にカイル坊ちゃんはしっかりと、

「ない!そんなことは絶対にしない!皆も見ていてくれたか!冒険者さんは尋常に僕と立ち会い、そして僕に勝利した!これは僕の負けだ!」

 しっかりと胸を張った宣言に、周りからは苦笑が漏れたものの、その小さな貴族に町民達は口々に「子爵様のご子息らしい」と嬉しそうだった。

「信じていい?」とカホさんはまだ疑っていた。

「ああ!エアリス様に誓う!」

 カイル坊ちゃんの一言にようやくカホさんも安堵の息を吐き。

「ありがとう。私は駆け出し冒険者のカホ…よろしく…お願いします」

 途中言葉に詰まったのは、カイル坊ちゃんが貴族だと知ったからだろう。

 まぁ、そんなことを気にするタイプでもないのだが、これはこれで見ていて楽しい。

 さっきまで大切なカイル坊ちゃんに暴力を振るっていたのだ、これくらいの罰は愛嬌と思っておいて欲しい。

「良かったらこれから僕の家に来てくれないか?」

「家って…」

 困っているカホさんの手をカイル坊ちゃんが強引に引く。

「ああ!偉大な父が立てた屋敷だ!」

「ヤバいね…」とカホさんの表情が曇った。

 ようやく私の出番が来た。

 なんだかんだ胃が痛くなりそうな場面もあったものの、カイル坊ちゃんのおかげで屋敷にはもてなせそうだ。

「では行きましょうか」と私が声を掛けると幾分かカホさんの緊張も解けたようだ。



 カホさんと坊ちゃんと共に屋敷につくなり、

「うはー…凄い。」

 とカホさんが声をあげる。

「ふふん、当然だ!父上はそれだけ偉大だから!」

 カイル坊ちゃんも誇らしげに胸を張る。

 とは言っても、子爵の屋敷としては案外手狭ではあるのだが、外を知らないカイル坊ちゃんにとっては、この屋敷が一番なのだろう。

 まぁ、こんな手狭な屋敷になったのはレンツ子爵が『いらない部屋があると妻が迷う』という一言かららしい。

 亡き奥方様は相当の方向音痴であるのは知っている。現在のメイド長のアンヌが、メイド見習いの幼い頃からその案内役をしていたのも微笑ましい思い出だ。

「ねぇ、お風呂はあるの?」

 とカホさんは相変わらずそのスタンスを崩さない。

 屋敷に招いたのはいいが、確かにその薄汚い恰好では子爵様の前には出せない。

 いくらおおらかな子爵様でもさすがに顔をしかめるだろう。

「勿論だ!一緒に入…」とカイル坊ちゃんが言いかけたところでカホさんがずいと睨む。

「私、女なんだけど?」

「す、すまない!」

 バツが悪そうに坊ちゃんは視線を逸らす。

 ふと奥からメイド長のアンヌが歩いてきた。カホさんが来たという連絡は受けているはずなので、カイル坊ちゃんを迎えに来てくれたのだろう。

「アンヌ!」とカイル坊ちゃんは彼女に飛びつく。

 メイド長のアンヌもその体を抱き留めると、

「あら坊ちゃん、いつもより甘えん坊ですね。どうされました?」

 メイド長のアンヌがカイル坊ちゃんを軽く撫でてから、カホさんを見てクスリと笑い。

「坊ちゃんのお友達ですか?」

「ああ!冒険者のカホだ!」

 カイル坊ちゃんがカホさんを紹介すると、メイド長のアンヌも丁寧に頭を下げ、にこやかに笑いかける。

「ふふ、カホさん。坊ちゃんと仲良くしてあげてくださいね」

「あはは…うん」とカホさんは少し気まずそうにしている。

 別にメイド長のアンヌが綺麗だから、ではないだろう。

 むしろさっきの笑えない喧嘩の所為だというのは私くらいしか分からない。

「風呂は入れるか?カホがさっきから入りたいとずっと言ってるんだ!」

「ええ、勿論。あと…」

 メイド長のアンヌはそこまで言うとカホさんの体をまじまじと見て、

「お召し物もよければ洗っておきましょうか?」

 そんな親切心を見せる。

 メイド長のアンヌは元々卑俗の身で、子爵の奥方様に拾われた子ということもあり、この屋敷で受けた親切を他にも振りまける心優しい女性だ。

「お願いしてもいいの?」

「ええ。坊ちゃんのご友人とあればこのメイドにお任せくださいませ」

 何の裏表もない言葉にカホさん自分の胸に手を置いてから、しっかりと頭を下げた。

 まるで何かを噛みしめるような、嬉しそうな表情をしていた。

 彼女にも何か思うことはあるのだろう。そして、それが優しい思い出や、感動といったものだというのは分かる。

「あの…アンヌ様のご厚意に甘えて…お願いします」

 カホさんは横柄な冒険者らしくない言葉を使う。

 メイド長のアンヌは一瞬驚いたような表情を見せた。

 まさか、会ってすぐに『様』付けをされるなんて思わなかっただろうから。

「ええ。任せて下さい。お召し物も用意しましょう」

 そう言って少し嬉しそうにカホさんの手を引き、「ではこちらに」と浴場へと連れていく。

 カホさんは「汚れます…」と一瞬目を逸らしたものの、メイド長のアンヌも何処か嬉しそうに彼女の手を強く握り浴場の方へと歩いていった。 

 後に残ったのは私とカイル坊ちゃんだ。

 少しの沈黙の後、私は意を決する。

 さっきから、カホさんがいるせいで、心を許し、母のように慕うメイド長のアンヌにも、長年の付き合いの私にも言えないわだかまりがあるのは分かっている。

 そしてそれを言葉に出来ないのも…。

 貴族とは言え、まだ子供だ。

 こういう時にこそ、大人が先導してあげなけばね。

「坊ちゃん。何故あのようなことを…カホさんが大人しい方であったから良かったものの」

 私がそう切り出すと、カイル坊ちゃんはハッと驚いた顔をした。

 なんで分かったの…とでも言いたそうだった。

 カイル坊ちゃんは俯き、

「僕は…いや、今に思えばただ嫉妬していたんだ」

 嫉妬と坊ちゃんは答えた。貴族であれば他よりも裕福で恵まれている…。

 嫉妬されることはあっても嫉妬することなんてない。それは違う。

 貴族とて一人の人間に違いない。重すぎる使命を背負い孤高に立つ。

 そして、孤高にて称賛も何も得ず、ただ皆を守る。それがレンツ流の貴族だ。

「コボルトが襲ってきた時、僕も戦おうと思って屋敷を抜け出したんだ。でも、怖くて隠れてしまった」

 そんなのは私と一緒だ。きっと坊ちゃんも見てしまったのでしょうね。

 あの赤い髪の冒険者の勇姿を。それに続くシャンとミルゴを。

 私も新鮮だった。まるでおとぎ話の『アイリスの放蕩騎士』のような姿に思わず心が打たれた。

「あんな僕と年もそう変わらない冒険者が勇敢に町を…父の町を守っていたのに…僕は面汚しだ!」

 カイル坊ちゃんは涙を堪えながらも自分を責めている。

 だけどそれは違う。そんなこと誰も望んでなどいない。

 怖くて当たり前なんだ。それに立ち向かう強さは本当に尊い。それが未だないからといって、面汚しなどとは思わない。ましてや幼いカイル坊ちゃんに。

「それだけでは道理にも理由になりませんよ」

 諭す言葉を送り、ただ、その答えが出ない以上今出来るアドバイスは一つ。

「今は、カホさんにちゃんと謝ってあげて下さいね」

 あなたが認めた友人を大切に…と。

 カイル坊ちゃんは涙を拭き、

「勿論だ!僕はいずれ偉大なる父の跡を継ぐ男だ。それにカホは僕の友人だ。過ちは必ず正さなければならない!」

 そう言い切った。そこまで考えているとは思いませんでしたね。

「あと、カホさんを見習うのもいいですよ」

 人を守ろうとする…その時の彼女の一瞬だけ見せたあの姿。

 あれは紛れもない彼女自身だ。あの姿は見習ってほしいと心から思う。

「…うん。僕は周りを見れていなかった」

 落ち込む坊ちゃんを慰めてあげたいが、後悔は必ず前へと進む原動力になる。そう信じている。

「守るべき大切な…父の愛する民を危うく攻撃しかけた。カホがいなければ…僕は…!」

「その答えは出たのですね」

 そっとその小さな『貴族』を抱き留め、 

「坊ちゃん、それが子爵様と同じ貴族というものです。民を常に導く立場にて、そして民を守る立場にもいるのです」

 レンツ子爵はだからこそ愛されている。爵位こそ、下級の貴族であっても、町民は、彼の町民を愛するという生き方を愛している。

「その心は例え貴族から学ぶことがなくとも、例えば卑賎な生まれからでも感じることが出来たのなら、その思いを大切にして下さい。そうすればきっとお父上のようになれます。その高潔さを忘れないで下さい」

 大切なのは生まれではない。それが我々エアリス様の信徒の考えの一つである。

 私の言葉にカイル坊ちゃんは私の胸から離れしっかりと私を見つめる。

「うん…分かった。だけどカホを卑賎とは思わない!例えそうであったとしても、あの一瞬だけでも高潔な騎士や貴族のあるべき姿だった!」

 その言葉は心地いい。周りからの言葉全てを受け入れるのではなく、自分をしっかりと持つ。

 偏見を乗り越えてこそ友と見られる世界がある。

 それこそがこのアルトヘイム領で愛される女神エアリス様の願いだ。

 かつてこの地に国はなく、小さな冒険者の旅団を率いていた人間の頃のエアリス様がこの地に訪れ、風化した岩壁を見て『ここには”かつて国”があった』と言って、国の再興を謳い、建国を決めたらしい。

 ただの岩壁を国にする為に、近くにいた多くの種族、エルフや、オーク、ビースト、ハーフリング、ドワーフ、魔族達等いった者達に声を掛け、友人となり共に協力し、各地から集まった人間種と手を取り合い、ようやく生まれたごったまぜの国。

 それこそ『アルトヘイム(かつての国)』だ。

 そんな歴史があるからこそ、愛されるようになった信仰。

 エアリス様は、各地で救いをもたらし、伝説を残し、『勇者』として認められ、いつの間にか神として各地で崇められるようになった。

 それでもアルトヘイムでは”神”ではなく、この地に国を築いた友人の一人のように彼女を”様”で呼ぶのだ。

 それを誇りに、エアリス様のように協力し、道を示しあい、友を大切にして欲しい。

 太陽のような強き輝きと月のような優しい光をもって、どんな者達にでも接して欲しい。

 それこそ私達の願いだ。

「勿論ですよ。坊ちゃん、そうやって経験を積むのですよ。偏見ではなく正しく見るのが大切です」

 そう言って少し成長したカイル坊ちゃんに。

「宿題は坊ちゃんが剣を向けた理由ですね。これは、またご自分で答えを出して下さいね」

 これは意地悪ではない。いずれ自分で見つけねばならない答えだ。

 きっと坊ちゃんは強くなりたい…そしてあの目…熱と光を持つ優しくも強い瞳に惹かれ、導いて欲しかったのでしょう。

 エアリス様のような姿に映る彼女に。

 だからこそ、そんな試練の女神に挑んでみたいと思ってしまったのでしょうね。

 その私の中での答えをそっと隠し、坊ちゃんを見つめると、そこにはあどけない少年の顔ではなく、しっかりと見据えた貴族の顔があった。

「分かった。必ず出して見せる」

と強く頷くだけで、本当にもう教えられることが少なくなるのを寂しく思ってしまう。

 立ち上がり「その意気です」と一度だけ頭を撫でると、カイル坊ちゃんはさらに頷いて見せた。

 そうこうしていると、ふと奥から楽しそうな声が聞こえてくる。

 メイド長のアンヌとカホさんだ。

「これ、男物だよね?」といいながら、体を清めてきたであろうカホさんが、満更でもない様子で見に包んだ燕尾服を着こなしている。

「似合いますわよ」とメイド長のアンヌ。恐らく本心から言っているであろう。

 確かに私もそう思う。

「執事って感じで結構好みかも」

 そう言いながらクルリと回ってみせ、ネクタイに触れる姿は様になっている。

 ただ、その言葉には多少肩を落としそうになる。

 女の子扱いして欲しいのなら、断るなりすればいいのに。

「まさしく男装の麗人ですわ」

 メイド長のアンヌは嬉しそうに手を叩く。多分、彼女の趣味なのだろう。

「その言い方なら女の子扱い…なのかな?」

 違うと思いますが?

「商人さん。どう?」

 そうカホさんが聞いてきても答えかねる。

「お似合いですよ」とだけ言っておくとカホさんは少し顔を綻ばせ。

「ドレスも着たかったけどね」

 ならそちらを着ればよかったのでは?

 カイル坊ちゃんはそんなカホさんをしっかりと見つめるがまだ、謝罪はしにくいようだ。

 多分、思わず言ってしまったのだろうが、

「ならドレスは明日着て見てくれ!きっと似合うから!」

 顔を赤らめながらそう言い、カホさんも「似合うかな~」と照れた様子で返していた。

「あら?私はこちらが好みですけど」とメイド長のアンヌは少し残念そうだ。

 それはあなたの趣味だ、とは言わない。

「おーい、男女!」

 遠くから声が聞こえ、すぐにカホさんが反応する。

「誰がだ!」

 睨みつけた先にはシャンとミルゴがいた。

 二人もこの後の晩餐に呼ばれているので、一応礼装を纏っている。

 とは言っても、ミルゴはきっちりと着こなしているが、シャンに至ってはネクタイを緩め、シャツをズボンから出しかなり着崩している。

 シャンはカホの言葉を意にも返さず、

「おう!子爵様が探してたぜ!飯の前に話があるってさ!」

「え…う、打ち首とか?」

 飯の前に打ち首…?どうしてそんな発想になってしまうのだろう。

 そんな趣味のある本でも読んだのだろうか?

「は?何かしたのかよ?」とシャンは本気で心配していた。

 カホさんはチラリとカイル坊ちゃんを見つめる。カイル坊ちゃんもバツが悪そうに眼を伏せた。

 そんな二人を見て、シャンはニヤリと笑い咳払いをし、

「お前に…け、…ん!賞金があるらしいぞ?」

 ワザとらしいどもりだったが、心ここにあらずのカホさんは目を丸くし。

「懸賞金懸けられてるの私?」

「違う!さっきのコボルトの襲撃の件の報奨金だ!シャン、貴様という奴は!」

 ミルゴがしっかりとフォローに入る。

 カホさんはシャンを睨みつけ「意地悪」と呟くと、シャンは気にしていない雰囲気で。

「悪い、悪い!なんかさ、カホってこうやっていじるの楽しいんだよな!弟みたいでさ!」

「性格悪い!ね、アンヌ様!」

 カホさんに同意を求められたメイド長のアンヌも「ええ、シャンは意地悪ね」とクスクスと笑って見せた。

 シャンはそんなメイド長のアンヌに近づき、

「そんなこと言わないでよ…ね。アンヌも意地悪な男が意外にいいって教えてやるから…俺と今晩どう?」

「ふふ、遠慮しておきますわ」

 一言でバッサリと切って捨てられ「フラれちまったー。厳しいー!」とシャンはワザとらしく大きく嘆いて見せる。

 そんな様子を私達は思わず笑ってしまう。

 メイド長のアンヌは、カホさんとカイル坊ちゃんを抱き留め、

「それに、私、尻の軽い人よりカホさんやカイル坊ちゃんのように真っすぐで優しい人が好きなので」

 抱き留められた二人は顔を赤くする。

「ええ!?アンヌ様…私、女の子だよ!?」と困惑しながらカホさん。

「ア、アンヌ!」と少し照れながらも嬉しそうにカイル坊ちゃん。

「じゃあ、今度は優しく誘おうかな?」

 シャンは相変わらずのノリだが、その体をミルゴに引かれ、

「やかましい!シャン、お前いい加減にしろ!話が進まんだろう!」

「あはは、ジョークだよ…幼馴染を本気で口説かないっての!」

 さすがに怒られてシャンも静かになり、

「ま、あれだよ。旅の資金、にでもってさ」とカホさんにそう告げた。

 この変わり身の早さ。

 カホさんはメイド長のアンヌに解放して貰うと目を輝かせる。

 因みにカイル坊ちゃんはまだ抱きしめられており、恥ずかしそうに小さくなっている。

「本当、嬉しいな!矢もなくなっちゃたし、そろそろ武器も修理したかったんだ!」

 第一声がそれとは…彼女には呆れてしまいそうだ。

「女ならさ、服とか宝石にしろよ…」とシャンが呆れる。

「そうだな」とミルゴも同意。

 カホさんは面目なさそうに「そうでした」と小さくなる。

 言いたいことが終わった…というより、これから二人は報告の関係があるらしくその場を後にした。

 二人がいなくなり、メイド長のアンヌも気を使って席を外してくれた。理由としては報奨金の用意の為に子爵様のところへ、と。

 本当に気遣いが出来る人だ、と何の理由も浮かばずここにいる私にため息が出る。

「カホ!」

 そういってカイル坊ちゃんが切り出す。

 カホさんは名前を呼ばれたことに不思議そうにカイル坊ちゃんの方を見た。

 カイル坊ちゃんは中々言葉を出せずにいたものの、意を決したのかしっかりと頭を下げる。

「さっきは本当にごめんなさい!剣を向けて…それに、民を守ってくれてありがとう!」

 その言葉にカホさんは思わず圧倒されたのか、困ったように眉を潜め、照れたように頬を掻き。

「そんな気にしてないよ!それに、こっちもごめん。腕、まだ痛いよね…」

 その言葉にカイル坊ちゃんは顔をあげた。許して貰えたことがきっと嬉しかったのだろう。

 カイル坊ちゃんは気丈にも腕を回してみせ。

「平気だよ!こんな痛みで泣いていたら父のように偉大な男に成れない!」

 その姿にカホさんも安堵の表情を浮かべ「よかった」と胸を撫でおろしていた。

 カイル坊ちゃんの仲直りも済んだ…と思ったところで不意に坊ちゃんがカホさんに手を差し出していた。

 これには驚いた。仲直りの握手だろうか、と思っていると。

「だから…その、あとで剣の稽古を付けてくれないか!」

「え?」とカホさんから声が上がる。

「僕はどうしても強くなりたいんだ!偉大なる父のように!」

 強い決意を感じる言葉だった。思わず私が置いて行かれた。

「そして…民を守ってくれたカホのようにも強くなりたいんだ!」

 その言葉で思わず安心してしまった。

 レンツ子爵様、ご子息はきっと大丈夫ですよ、と思わず思ってしまう。

 カホさんは逡巡していた。

 それはそうだろう。子爵様からの許可も出ていないのだから。

 ここは私が助けるところだ。安心していい様に目配せをすると、カホさんも諦めたように頷き。

「…いいよ。我流だからあまり教えれないけどね」

 その言葉にカイル坊ちゃんが嬉しそうに大きく頷いた。

 私は…まぁ、子爵様には少し呆れられるだろうけど、この後彼をちゃんと説得出来るよう言葉を考えておくことにした。



 子爵様の御前へとカホさんと共に行くと、

「君が冒険者のカホ君…いやカホさんだね」とレンツ子爵が困った顔をする。

 そして、隣に立つメイド長のアンヌに耳打ちをする。

「アンヌ…何故あんな服を?」

 近くにいるのでそれが聞こえるのだなんとも言えない。

「似合うと思いまして」とメイド長のアンヌに至ってはキッパリと言い切る。

「まぁ、似合ってはいるな」

 困惑しながらも子爵様は称賛に似た言葉を漏らす。

「子爵様…酷くないですか…あ、しまった!」

 思わずカホさんが声を上げてしまう。

 その言葉に思わずこの後のことを考え私の顔が青ざめる。カイル坊ちゃんの願いで剣術指南の約束を取り付けなければならないのに。

 子爵様は小さく笑い。

「はは!いや、構わん。礼を失せども、その心意気は聞いておる。町民を助けてくれたのだな。感謝こそすれ罵倒などせんよ」

 冷や汗が出た。子爵様ならそう言ってくれるとは思っていたが、心臓に悪い。

「暫く滞在していってくれ。息子の友人ともなれば喜んで迎えよう」

 その言葉と共にメイド長のアンヌが報奨金をカホに渡す。

 受け取る礼儀はここに来る間に教えたものの、右足と右手が一緒に出たり、セリフを忘れたりと本当に困る。

「ありがとうございます!」

 極めつけはこれだ。教えましたよね、と思わず叱咤したくなる。

 ただ、気持ちよく明るい声に、子爵様が喜んでいた。

「あと…」と自信なさそうにカホさんが口を開きかける。

 これ以上彼女に任せてはいけない。そう思い、強引ながらも話を切り出すことにした。

「失礼ながらレンツ子爵様」

 私の言葉に子爵様は少し驚いたものの「続けよ」と許可してくれた。

 こうなれば自棄だ。

「カイル坊ちゃんが彼女から是非剣の師事を受けたいと!」

 必死にそう伝えると、子爵様は面を喰らった表情をした。

 現在、カイル坊ちゃんにはメイド長のアンヌが細剣の師事をしている。

 そしてカイル坊ちゃんにとって母親代わりのメイド長のアンヌ以外からの師事の希望ともなれば興味も沸くはずだ。

「ほう?カイルがか?」

と驚いた様子を見せる。

「はい!勿論です!」

 こう答えてから、あとはやるしかない。

 反論を受け流し、なんとか無理矢理でも聞いてもらうしかない。

 そもそも手持ちの材料が少ない。カホさんが我流剣技というのもいただけない。

「しかし、彼女の武器はカイルのものとは違うが、それに我流剣術では技に偏りが出ると聞くが?」

 まずはこれを…

「ええ。ですが、我流なればこその柔軟性から対応力を学び、また、いかなる武器へも慣れることは大切です」

 ちょっと無理がある。正直もう「すみませんでした」と言って発言を取り消したい。

 メイド長のアンヌの細剣の技が冴えており、態々アルトヘイムから呼んだ騎士仕込みというのもアドバンテージが大きすぎる、

 技術ではカホさんの能力では勝てないことは分かっている。学べることは少ないと分かっている。

 だからこそ技術以外のところを売り込むしかない。

「また、彼女の町民を守る心と姿に激しく心を打たれたようです!」

 言い終わってから子爵様が押し黙っているのを見て、胸が締め付けられる。

 逃げ出したい。

 カホさんに視線を送ると、真っすぐ私を見て、期待するような目をしていた。

 本当にもう自棄だ。負けられない。

「どうかお願いします!」

 必死に頭を下げる。

 そして、考えた結果、もう売り込むところのないカホさんの剣技を恨む。

「お前もやけに必死だな」

 その子爵様の言葉に言葉が詰まる。

「あ…」

 そうだ。私はどちらかというと臆病な人間だ。言われたことは真面目にはするが、それ以外をするとなると怖くて中々言い出せない。

 そんな人間だからこういう本番で怖くて、言葉が詰まる。

 子爵様を見ると、小さく笑っていた。

「ならばよいぞ。お前の顔に免じて許可してやろう。それにカイルも楽しみにしているのだろう?」

 その言葉が嬉しくて胸の内が温かくなるのを感じた。

「ありがとうございます!」

 必死に頭を下げる。

 メイド長のアンヌが、「それでは失礼をします」とカホさんと稽古へと向かう。

 私と子爵様だけが残り、まだ胸が高鳴るのを必死に抑える。

 いっそのことメイド長のアンヌと一緒に出ていけばよかったと後悔する。

「お前もやれば出来るではないか」

 子爵様の言葉に思わず言葉が出なかった。

「真面目で真っすぐで言うことをよく聞く。だが、私が間違った意見を出した時や他の意見を思いついた時は、たまには自分の意見を出してくれ。私は中々頭が固いのだ」

 その言葉が彼に認められた…いや、今回の自分の頑張りを認めれていたことを実感する。

「はい!肝に銘じます!」

「はは。お前の成長祝いだと思ってくれ」

 子爵様にそう言われ、小恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちがごちゃまぜとなり、思わず「ありがとうございます」とカホさんが言ったような言葉を出してしまった。



 子爵様に失礼し、私は自分の仕事を軽く片付けてから、一応自分の申し出たカホさんとカイル坊ちゃんの稽古を見ることにした。

 そして驚いた。

―カン

 と軽い音を立てて細剣型の木剣が弾き飛ばされた。

「え―」と声を上げたのはメイド長のアンヌだった。

 対峙するのはカホさん。手にはショートソード型の木剣を持っている。

「まさか…」

 そう思い見ると、ビタリ、とメイド長のアンヌの首筋から胸に掛けて木剣の刃をあてがうカホさんの姿があった。メイド長のアンヌはというと細剣を弾き飛ばされ、殆ど両手を上げているような恰好となってしまっている。

「やっと勝った!アンヌ様に勝てた!」

「あらあら」とメイド長のアンヌは気の抜けた声を上げる。

「アンヌ。どういうことですかこれは?カイル坊ちゃんは?」

 私が声を掛けるとメイド長のアンヌは細剣の木剣を拾いながら、

「いえ、カイル坊ちゃんが余りにもコテンパンにされたので、思わず私が立ち会ったのですが…」

 それはきっと親心なのだろうが、それにしても大人気ない。

 『銀』のアンヌとも恐れられたあなただ、余程カホさんを倒してしまったのだろう。

「これで1対3だね!アンヌ様、もう1回お願いします!」

 その言葉に絶句してしまう。たった三回と…。

 百戦錬磨の剣豪ですらメイド長のアンヌと一度手を合わせたいと訪れる程なのに。

 そして、百戦百勝のアンヌと恐れられている。

 いくら手加減していたって…たった三回。

 背筋が冷える。私はもしかして化け物を引き入れてしまったのかと。

「カホさん!次は僕だ!」とカイル坊ちゃんが果敢にカホさんへと挑んでいく。

「お、やる?自信満々だよ!」とカホさんも嬉しそうにカイル坊ちゃんと剣を打ち合う。

 私は少し離れたところでメイド長のアンヌと腰を降ろす。

 二人の剣戟を見る…というより恐ろしかったので思わず離れてしまった。

「カホさん、かなり強いですね」とメイド長のアンヌが切り出す。

 その言葉に、あなたらしくない、と言いそうなるのを堪える。

「相性の問題では?剣には詳しくありませんが…」

「ええ。それもあると思います。なので、私が3回勝ったのでしょう」

 メイド長のアンヌはそう言った。その言葉に思わず耳を疑う。

「え?」

 聞き直すと、メイド長のアンヌは少し嬉しそうに頬を綻ばせ。

「私も一通り武器は扱えますが、多分、斧や戦斧、斧槍、大剣、槌ではカホさんには相手にならなかったと思います」

 少し誇らしげな姿にまるでカホさんに勝ったのが、その原動力だとでも言わんばかりだった。ついでに、メイド長のアンヌが器用なのは知っていたが一通りの武器が使えることにも戦慄した。私は碌にナイフすら振れないのに。

「槍ならどうですか?」と私が言うとメイド長のアンヌはその表情を曇らせた。

「私程度の腕では、恐らく一撃を外した方が負けるようことになりますよ」

 その言葉の重さが私にも分かる。

 いや、それ以上に騎士の奥義すらも学んだメイド長のアンヌがここまで言うのが恐ろしかった。

「一番得意の細剣ですらこの有様ですし、二番手の片手剣では勝つのは難しいかと」

 呆れるような言い方だった。

 そう言えばメイド長のアンヌは片手剣も得意だ。

 だが、細剣の腕は比べ物にならない程に凄まじい。

 大抵の冒険者相手には片手剣で完膚無きまでに叩きのめせてしまう。細剣を使うことの方が稀だ。

 ただ、この前来たアランという冒険者に至っては、始めこそ遊びで片手剣で相手していたが、アランの腕がかなり立ち、簡単に打ち負かされてしまっていた。

 5本勝負で彼の腕を認めたメイド長のアンヌも1敗してから細剣に持ち替えたものの、2対2まで持ち込まれていた。

 冒険者アランはあのメイド長のアンヌを追いつめたものの、意外に負けず嫌いの彼女は最後には本気を出して細剣のアレを取り出してしまい一瞬で倒してしまっていた。

 余りの出来事に私ですらその光景には絶句した。

 まぁ、あの時の冒険者アランにも驚かされた。

 メイド長アンヌの圧倒的な力を見せつけられたにも関わらず、もう一戦を子供のような目でねだっていたのだから。

 メイド長のアンヌが嬉しそうにそれに応え3戦もしていたのはかなり印象的だった。

 メイド長のアンヌは軽く吹っ切れるように空を見上げ。

「斬撃は殆ど撃ち落され、刺突も下手な箇所に打ち込めば前へ出ながら受け流され、一気に接近を許してしまいゼロ距離へと持っていかれます」

 その言葉に違和感を感じる。

「ゼロ距離への接近―なぜそんなことを?」

 そんなことをする必要が見受けられない。

 そんな殺すか殺されるかしかない距離に何故好き好んで飛び込むのか、全く理解できない。

 メイド長のアンヌは私の言葉を聞くと小さく笑い。「戦いが嫌いでしたわね」と私を気遣うような言葉を掛けてくれてから、カホさんを見つめる。

「実戦の中でいかにあの小さな剣で一撃で倒すか…そういうのが見て取れます。恐らく工夫に工夫を重ね、一撃の破壊力に重きを置き、敵より早く倒すといような戦い方をしてきたのではないでしょうか?」

 私も釣られてそちらを見ると、カイル坊ちゃんの剣を弾き、一気に懐へと踏み込み、その胴体へ一閃をしている姿が見えた。

 カイル坊ちゃんは吹き飛び、地面に転がる。

 その一撃は私にも得体の知れないものに見えた。あんな細い腕、短い剣にも関わらず、剣圧がここまで届くような一撃。

 ゼロ距離へ一気に近づき、肩と腰を使い、それと同時ともいえるタイミングでしなるような腕で一撃を放つ。

 まさに…

「まるで殺すためだけの剣」

 メイド長のアンヌの言葉が耳を打つ。

 思わず「ああ!」と声をあげてしまうが、カイル坊ちゃんは痛みに耐え、すぐに立ち上がり、再度カホさんに勝負を申し込んだ。

 カホさんはと言うと安堵のような息を吐き「ブレーキが間に合わないよ」と困ったように眉を曲げた。

 恐らく坊ちゃんに手加減はしてくれているのだろうが、確かにあれではメイド長のアンヌが気にする訳だ。

 あんな攻撃何度も受ければ、カイル坊ちゃんの身が危ない。

 恐ろしい剣技だ…そう冷や汗が伝う。

 まるで実戦しか経験していないような。

 ふと試合を見ていると、カイル坊ちゃんの剣がカホさんのパリィによって弾き飛ばされあ。

 そうだ。カホさんの得意技はアレのはずだ。守りの剣技とも言われる、パリィ。そしてディフレクトだ。

「しかし、カホさんの得意技はパリィでは?」

 私の言葉にメイド長のアンヌは小さく笑う。

 そして目を細める。

「それもカホさんのスタイルから編み出したものでしょう。パリィは本来身を守る術ですが、彼女の場合は完全に攻撃の要です。いかに相手に肉薄するかの方法でしかなく崩す、躱す、いなすの内にただパリィがある、ただそれだけ。これらを使い分けて懐へと飛び込み全身を使っての一撃で、その命を絶つ…というのが彼女の剣技の本質でしょうね」

 冷静に言っているものの、その手は震えている。

 恐らく、百戦百勝の彼女でもその恐ろしさを知ったのだろう。その剣技を身に着けざるを得なかった彼女の修羅のような半生を。

 私が見た時も、一歩カホさんが踏み込み、剣を振るっていたらメイド長のアンヌが地面を転がる姿をみたのだろうから。

「恐ろしい剣技ですね」

 と私が素直な感想を言うと、「耐魔物用でしょうね」と言って見せてから、

「ええ。恐らく練習でなければ、私はいずれ胴を真っ二つにもっていかれてしまうでしょうね」

 やれやれ、笑えない冗談だ。

「その頃、カホさんは穴だらけですけどね」

「ふふ。それも違うんですよね」

 その言葉に首を傾げてしまう。

 よくて3回に1回カホさんが勝つだけ。本来ならもっと多くの数が必要かもしれない。

 なのに、何故、メイド長のアンヌがそんなことを言うのか分からなかった。

「見ていていってくださりますか?」と彼女がそう言うので、頷いて返す。

「さ、カホさん。余りカイル坊ちゃんを虐めないで下さい」

 と彼女が声を掛けると、カイル坊ちゃんは起き上がり「練習だよ」と不平を漏らす。

「坊ちゃんの仇はこのメイド長のアンヌが取りますわ」

と細剣を構える。

 練習が始まって、明らかな技量さはすぐに分かる。

 メイド長のアンヌは殆ど動かず、カホさんの剣をいなし、確実にカウンターを打ち込んでいく。カホさんはそれを必死の体でなんとか躱していくが、ふと肩への突きに対して見誤ったのか簡単に当てられた。

「まず一本です!」

 メイド長のアンヌが勝ち誇るように告げるとカホさんは「もう一本」とさらに始める。

 次はかなり早く終わった。

 カホさんが踏み込み、剣を打ち払ったが、その力を利用したメイド長のアンヌが首筋を狙う。それを庇うように飛び込んだカホさんの足を細剣で当ててみせた。

「これで2本…」

 そうして、転機が訪れた3本目。

 今度はカホさんが防御に徹した。

 メイド長のアンヌの一撃をすべていなし、フェイントもまるで分っているかのような胆力で動じない。

 攻撃にはパリィをし、遠間からの一閃は回避する。さっき、メイド長のアンヌの言っていたような狂気の剣術はそこになく、ただ上手いとしか思えなかった。

「よいしょ!」と痺れを切らしたのかカホさんが踏み込みながら大きく剣を振り切る。

「惜しいですわ」とメイド長のアンヌはそれを簡単にいなしてみせる。

 そして体勢の崩れたカホさんの首筋に向かって突きを繰り出す。

 カホさんに直撃する…と思っていたものの、カホさんは首を曲げそれを寸でで避けてみせ、さらに腰を深く落とし、腰の捻りとしなるような腕で剣を振り切った。

 風切り音がここまで聞こえるような鋭い一撃だった。

 それだけでいかにカイル坊ちゃんへの一撃が手心を加えたものか分かる。

 私に向けられている訳ではないのに、見ていて冷や汗が出る一撃だ。

 それをメイド長のアンヌは足を踏みかえ、まるで舞うようなターンをして見せ避ける。その美しい動きには「さすが」としか声が出なかった。そして再度、細剣でカホさんの首を狙う。

 体勢が崩れたカホさんは…

 まるで膝を抜くようにさらに前傾姿勢になり、首を庇うように剣で守った。

 そして倒れそうになりながらも、その獣のような体勢のまま剣を振りかぶる。

 しかしメイド長のアンヌは手首を返し、まるで鞭のようにしなる軌道で防御の上から小手に軽く当てて見せた。

「三本目」と彼女が言うとカホさんは諦めたように倒れた。

「惜しいですね」

 とメイド長のアンヌがそういうと本心から悔しそうに。

「強すぎー!」とカホさんが声をあげた。

 さっきの光景を見てゾッとした。

「アンヌの細剣は凄いだろ」とカイル坊ちゃんは気づいていない様子だ。

「やばいよ…あんなの。強すぎない?」とカホさんは称賛している。

 しかし、違う。周りから見ていて、おまけにメイド長のアンヌから言われてようやく気付いた。

 実戦であれば、あのまま振り切ればメイド長アンヌの足が両断されていた。それだけではない。最悪、振り上げたら心臓へと直撃する軌道だった。

 それに…その答えに気付いた。

「もしかして…!」と声を上げると、試合の終わったメイド長のアンヌがこちらに来る。

「そう。彼女は絶対に急所や戦闘不能へと追い込める箇所を狙いますけど、自分の急所は躱んですよ。正直、狙っているのに当てられる気がしません」

 メイド長のアンヌが少し悔しそうにその表情を歪めた。

 『足長蜂』とも言われた彼女ですら…と言葉が出なかった。

 彼女程の技術を以てしても急所を狙えない…ということに驚愕としか言えなかった。

 余程の修羅場を潜り抜け、あの我流剣術を身に着けたのだろう。

 敵を殺し生き残る為の剣術を。

 そう思うと、初めて彼女と会ったあのホブのゴブリン達との戦いの跡も違って見える。

 思えば、ホブ達もゴブリン達も心臓や、脳天、首筋くらいしか斬られておらず、一目では斬り殺されたことすら分からず、魔術で倒したかと錯覚した程だった。

「彼女の剣術、中々カイル坊ちゃんにはいい刺激になると思いますよ」

 刺激が強すぎる。子爵様に何も言われなばいいのだが、と不安になる、

 こんな恐ろしい剣技を使用すると分かっていれば推薦なんてしないと後悔すら覚える。

「お?楽しそうじゃん!」不意にシャンの声が聞こえた。

 顔を上げると、シャンが笑顔と共に、吹っ飛ばされているカイル坊ちゃんを見つめていた。

「晩餐の前だぞ」とミルゴが呆れたような表情になる。

 確かにこの後、晩餐だというのに、カイル坊ちゃんに至っては擦り傷だらけで、泥だらけだ。

「なぁ、俺もやっていい?」と言いながらシャンが棒を槍のように振り回して見せる、

「お前な…」

 ミルゴ呆れるようにため息を吐く。

 この後晩餐なのはこの二人もそうだ。態々汚れる必要はない。むしろまだ時間があるから湯あみでも、と言うのが普通だ。

「あら、そろそろ終わろうと思ってましたのに」とメイド長のアンヌが不服そうに言う。

「いいじゃん。カホ、ほらきな…相手してやるよ」

 メイド長のアンヌさんの言葉も聞かずに彼は何故か不得手な盾を手に取る。

 そして、隣にいるミルゴ投げ渡した。

 ミルゴは受け取り、首を傾げたところで、シャンが棒でミルゴを指示し。

「ミルゴが」とそう悪びれる様子もなくいってみた。

 私は絶句してしまう。

「はぁー!?」とミルゴはワンテンポ遅れて絶叫する。

「マジで!やってみたい!」

 カホさんは目を輝かせミルゴの前へと立つ。

「狂戦士(バーサーカ―)か、お前は?」

 ミルゴは呆れながらも、カホさんと向き合う。

 もしかすると、彼にとってもカホさんの力は気になるのだろうか。

 ミルゴは木剣の長剣を手に取り、盾を構える。

 試合が始まるとカホさんは一気に駆け出す。本当に怖い物知らずだ、と呆れたくなる。

 カホさんは盾に剣を振り下ろした瞬間、その盾が前へと押し出されるように動き、カホさんの体を簡単に弾き飛ばした。

 シールドバッシュだ。

 カホさんは転げまわり、今度は近づいて盾に蹴りを放つが、しっかりと腰を落としたミルゴの盾はビクともせず、さらにシールドバッシュを受ける。

 今度は威力は低かったのか、カホさんは片足立ちのような状態になり、そこに素早くミルゴの突きがカホさんの足に当たる。

「俺の勝ちだ」

 その圧倒的な強さにカホさんは尻もちをつき、

「盾って崩せないんだね」

 そう言って見せた。

 そんな彼女にミルゴはため息をつき、

「カホ、お前も構えてみろ」

 そう言って、彼が盾を放り投げる。カホさんは盾を受け取ると、構えてみせ、

「こう」と確認するように構えたところに上に蹴り上げるような蹴りをミルゴが放つ。

 それだけでカホさんの盾は浮き、仰け反った。

「うわっと!」

 と二歩も下がりカホさんはようやく体勢を立て直した。

 ミルゴはそんなカホさんの手に剣を添えるように当て、

「お前盾は誰から習った?妙な教え方されていないか?」

 心配そうにそう言うとカホさんは困ったような表情をし。

「弾く為に使ってる…かな?」

 その一言にミルゴはため息を吐き。

「構えろ。教えてやる」とそう言って、盾の正しい構え方を師事していた。

「腰をもっと落とせ!強力な攻撃へは肩を当てろ!」と結構厳しい指導だ。

「ひん!」とカホさんから情けない声があがるが、ミルゴはお構いなしだ。

「盾は守る為にあるものだ。基本を捨てるな!」

 ミルゴの物言いに、カホさんは、「私の盾小盾だよ」と反論すると、ミルゴはなら胸に当てろ、と語気を強めた。それから、「アバラを意識しろ、簡単に折れるぞ。脇で固定しろ。腰を使え」と彼の師事が終わった頃にはカホさんが疲れ果て膝をついていた。

 ミルゴはというと満足したように若干嬉しそうに頬を綻ばせている。

 多分コボルトに対して投げつけたのを見て思うところがあったのだろう。

「盾はいいぞ!仲間を守り、その命を守れるのだからな!お前も盾を持つのだから大切なものを守れるようになれ!」と彼の熱意と美徳の伝わる説法までしていた。

 シャンの無茶振りがこれの為だったのでは、とそう考えると呆れてしまう。

 ミルゴの師事が終わると次はシャンが棒を構える。

「次は俺だな。カホ、槍特にスピアの特徴ってなんだと思う?」

 カホさんは疲れた様子ながらもシャンに向き、

「リーチ?」とそう答えてみせた。

「残念!それじゃあ点数やれないな。ほら、こいよ!」

 嬉しそうにそう言うと棒を構えた。因みに私もリーチだと思っていたのは余談だ。

 カホさんは息を整えると大きく息を吸ってから片手剣を構えた。

 カホさんは剣を片手に突っ込む。それをシャンはまるで分っていたかのように棒を突き出す。

 その圧倒的なリーチで牽制してみせて、カホさんが後ろに飛ぶ。

 そこにシャンが一歩踏み込みさらに突きを入れるが、それを予想していたであろうカホさんが剣を振るい弾き下ろす。

 シャンは軽く足を組み替え、弾かれた棒の力を利用するように手を持ち替え、回すように打ち下ろす。

「いい!」とカホさんが驚きの声と共にそれを何とか避ける。

 追撃をするようにシャンは持ち手を変え、短く持ち一気に飛び込むと鋭い突きを放つ。

 カホさんはそれを受けようとするが、その威力に剣が弾かれる。

 剣は手から離れなかったものの、シャンはさらに持ち替え、カホさんの足を掬うようにウ振り払った。

 盛大な足払いを受け、カホさんは抵抗も出来ずに倒れ伏す。

「ぶべ!」

 と顔面から地面に落ちる。

 その姿に満足したようにシャンは棒を回して見せ、最後には肩に担ぐ。

「はっはー、こういう使い方も出来んだぜ!」

「いてて…」とカホさんが体を起こす。

 シャンはカホさんに棒を突きつけ、

「何か分かったか?」

 そう聞く。正直私には持ち直して打ち方を変えるしか分からなかった。

「持ち替えと…短く持ったりしてたよね」

「それで?」とさらに尋ねる。

 それ以外ないでしょうに、と彼の意地悪さに呆れてしまう。

 カホさんは少し考え、そして。

「距離と速度、威力が…変わった?」

 距離は分かるとしても、速度…と思わず驚いてしまった。

 シャンの突きや振り回しはどれも早く私では同じに見えてしまった。

 それを明確に違いとして見れるなんて。

 そしてさらに…。

「柔軟性―かな?」

 カホさんのその答えにシャンは満足そうに笑う。

「その通りだ!槍、特にスピアは堅実にいくならそのリーチを活かして、間合いの外から。接近されても、慣れれば短く持って使えんだ。あと、投げるのもいけるぜ」

 合っていたようだ。私の戦闘への理解度の低さがよくわかる。

 彼達が見ている世界はきっと私の知るような1秒の世界よりももっと早い世界なのだろう。それこそ、1秒の何十分の一といった。

 その中での柔軟性がどれ程戦いに明暗を分けるのか…私には計り知れない。

 シャンは軽く振り回してみせ、最後には背中に担ぐような恰好を取り、

「ま、いってみりゃ棒術の応用が出来んのさ!これはお前の剣でも一緒だな!」

 彼ほどの熟練の槍術の使い手だからこその技術なのだろう。

 そして、カホさんの片手剣それもショートソードでも応用で出来ると彼は言って見せたが、到底私にはそうは思えない。

「なるほどね。やりにくかったよ…」とカホさんはため息を吐く。

「俺だからな」とシャンは不遜な態度をとって見せる。

 カホさんが、痛めたであろう小手をさすっていると、

「さてと、カイル坊ちゃんにはまた後日として、もう時間もねぇし…」

 とシャンが切り上げるような声をあげる。

「ああ、そろそろ行くぞ」

 ミルゴはそう言いながらカホさんの手を心配するようにハンカチを取り出して差し出す。

「おう!」とシャンが声を上げ、ミルゴに棒を差し向ける。

 ミルゴはさすがに怪訝そうな顔をし、「何故構える?」と呆れる。

 もうそろそろ晩餐の時間だ。土がついてしまったカホさんとカイル坊ちゃんの服も代えなければならない。

「お前と決着つけようかな、と」

 そんなシャンにミルゴは付き合ってられないといった雰囲気で。

「明日にしろ。バカに付き合ってられん」

 そう言ってから木剣等を片付け始める。

「それにお前とやればどちらかが怪我をする。晩餐前に出来るか」

 それもそうだ。この子爵領で1、2…いや2、3を争う二人だ。ただでは済まないだろう。

 シャンは残念そうに構えを解き、

「はぁー残念。童貞はやっぱこういう時に意気地ねぇな」

―挑発した

 ミルゴは片付けていた盾と剣を手に取り、

「貴様ー!よりによってアンヌさんの前で!」

 構えて怒りの形相でシャンを睨みつける。

「お?やるかい?」と乗り気のシャン。

「頭勝ち割ってやる!」

 ミルゴが怒声と共に突っ込む。

 シャンもそれに応えるように腰を落として、

「お、こいよ!」

 そう言いながら、低く構えて突っ込み、鋭い突きを放つ。

 鈍い音が響く。突きはミルゴの盾に防がれたものの、シャンはすぐさまその盾を蹴り付けるがビクともしない。

 ミルゴが盾に剣を隠しながら突き出すと、まるで分っていたかのように盾を踏むように後ろに飛ぶ。

 ミルゴは堅実で、シャンは器用だ…としか思えない。

 少なくとも戦闘が苦手は私にとっては二人の攻防が凄まじいとは分かっても、正当な評価なんて出来ない。

「おいおい!寝てんのか?それとも『疾駆』の名にびびってんのかよ!」

 シャンは下がりながら、今度は棒のリーチを活かして突き出す。

「貴様こそ!ぬるいぞ!『城壁』を侮るな!」

 ミルゴはそれを真っすぐに受けるとそのまま踏み込み、盾を突き出す。

 盾に押し出された棒をシャンはすぐさま短く持ち直し、回すようにミルゴの足を狙う。

 ミルゴはその足払いを読んでいたのか、すぐさま棒を踏み付ける。

 そして剣を突き出そうとするとが、シャンは器用に片足を上げ、棒をてこの原理で弾き上げる。

 ミルゴは体勢を崩されたものの、盾をしっかりと構え、シャンの連撃である回し打ちを防ぐ。

 そのまま崩れた体勢で棒を弾きながら盾で押し返す。

 二人が肉薄する。

 シャンは弾かれた反動を利用しての打ち下ろし。ミルゴは体勢がやや崩れているが下から斬り上げ。

 どうなったかというと…

「ごぶ!」

「がは!」

 二人の一撃は同時に頭部に直撃した。

 ノックアウトし二人とも倒れ伏す。

 想定以上に近づかれ、振り下ろしが僅かに遅れたシャンに、体勢が崩れてしまっていて最高速を出せなかったミルゴ。

 多分あの場面では距離を取るのが正しいのだとは思うが、二人から、『絶対ぶちのめす』という意思を感じた。

 それが勝負を逸らせたのだろう。

「あちゃ…相打ち?」とカホさんが目を丸くして呆れていた。

「俺の方が早かっただろ!?」

 そんなカホさんにシャンらしくない熱気を見せる。

「いいや俺だ!」

 とミルゴまでも負けず嫌いを発揮する。

「んだとー!」

「やるか!」

 二人でまた言い合いを始め、不意にメイド長のアンヌが木剣の細剣を取り出した。

「ふふ、仲がよろしいですね」

 そう言いながら二人に近づく。

 思わず青ざめてしまった。メイド長のアンヌさんが笑顔で静かに怒っている。

 それもそうだ。この場は二人の師事の場でもあるのに、そっちのけで始めているのだから。

 いや、その怒りの中には彼女の闘志も見える。二人の気にあてられたのだろうか?

「もう一回やるか?」とミルゴが構える。

「望むところじゃねぇか?」とシャンも構える。

 そんな二人に凛と澄ますような声が響く。

「あらあら。私はお二人同時に相手でもよろしいのですけど?」

 その一言でミルゴとシャンもようやく気付いたようだ。

「は?」

「へ?」

 二人が声を上げると、メイド長のアンヌは二本の細剣を構えて見せた。

「これから晩餐なので、手早く片付けますね」

 シャンとミルゴから一気に血の気が引く。

「あ、アンヌさん…その!」とミルゴがいい訳をするように一歩引く。

 シャンは顔を引きつらせ、メイド長の二刀の細剣を見つめ。

「ちょ、ちょち待ってよ、アンナさん!しかも二刀で!?」

 そんな二人を意にも留めず、メイド長のアンヌは細剣の片方を自分の顔の前へ、もう片方は相手に突き出す。

「さて、軽い運動をしましょうか」

 声は柔らかい。顔も笑っている…だけど気迫でゾッとする。

 二人が慌てながら武器を構え、ミルゴが前、シャンが一歩下がる。それを見て取ると、メイド長のアンヌは口元を綻ばせ。

「3、2、1…始め!」

 その恐ろしきメイド長の掛け声と共に、シャンが前に出た。

 ミルゴの盾に隠れるようにして、リーチを活かして戦うと見せかけての奇襲だ。

 そこに足を動かさずにメイド長のアンヌの突きが繰り出される。

 合わせるようにシャンが深く踏み込んで突きを出す。

 メイド長のアンヌの武器は細剣だ。リーチで劣るはずなのに…と思ったものの、まるで意志を持つかのようにシャンの槍に絡みつき、うねる様な軌道で槍を弾いた。

 シャンは武器を弾かれ、その体勢が崩れるとメイド長のアンヌがそこに飛び込む。

 慌ててミルゴがカバーに入り盾を突き出す。

 すると空に影が舞った。

 メイド長のアンヌは盾を踏み台にし、スカートを片手で押さえながら飛び上がった。

 かなり余裕そうだと思わず呆れる。

 ミルゴの後ろに着地する前に、そこにシャンの鋭い突きが放たれる。

 メイド長のアンヌはそれを空中でいなし、まるで羽根でもあるかのようなゆっくりとした軌道でシャンの棒に降り立ちったと思うと笑顔を見せ…

「ふべべ!」

 シャンの悲鳴が聞こえた。

 殆ど見えなかったが、シャンに連続の突きがお見舞いされたのは分かる。

「まだまだ遅いですね。シャン」

 メイド長のアンヌは二刀の細剣を回して見せ、礼をする。まるで舞踏のようだった。

 シャンが倒されたものの、メイド長のアンヌが見せた隙。それを見逃さずミルゴが突撃する。

「おおお!」

 盾でメイド長のアンヌにタックルをかますが、まるでそうするのが当たり前のように、メイド長のアンヌは一歩だけステップを前に踏む。

「あら、ミルゴはよそ見ですか?」

 自然と真後ろを取られ、ミルゴが振り返る間もなく、二刀の細剣でミルゴも切り刻まれた。

 何が起きたのか分からなかった。何故ミルゴ程の男が目の前にいて、前に飛び出しただけのメイド長のアンヌに攻撃を当てられなかったのかが。

 勝利したメイド長のアンヌは一礼と共に見ていた私達に「お粗末様でした」とまるでそれが始めから用意されていた劇のように言って見せた。

いや、むしろさすがレンツ子爵領最強と言われているだけはあると言うべきなのだろう。

 あの二人を軽くいなすなんて。

 そう思うとあの命知らずな冒険者アランの腕前は相当なものだったのだろう。

 一対一で、一瞬で負けたとは言え、彼女の二刀細剣にも打ち込み、3戦とも受けたのもたった一撃だったのだから。

「カイル君こんなの知ってた?」

 カホさんが引いている。余りの強さに血の気も引いてしまっている。

「アンヌ…ヤバいね」

 カイル坊ちゃんがカホさんの悪い影響を受けてそんな言葉を漏らす。

「あらカイル坊ちゃん。そんな言葉ダメですよ」

 メイド長のアンヌは笑顔で諫める。そこに迫力がある。

「ひぃ!あ、はい!分かりました!」

 カイル坊ちゃんが慌てて姿勢を正す。それに合わせてカホさんも姿勢を正す。

 この二人もメイド長のアンヌの真の恐ろしさに気付いたのだろう。

 そうは思いながらもとっくに姿勢を正している自分が情けない。

「素直でよろしい」と彼女は悪戯っぽく笑って見せる。

 女神のような美しさと優しさの裏にある恐怖…本当に怖い人だ。

 そんな時、鐘がなる。そして、一人の若いメイドが走ってきた。

 彼女を見てミルゴが慌てて体を起こしたものの、何も言わず視線を逸らしてしまう。

 若いメイドは私達を見て、困ったように。

「あの!皆さん…もうお食事の時間ですが?それに、アンヌ様!?」

 その言葉に私だけでなく、メイド長のアンヌまでもが笑顔のまま表情を青ざめさせた。

「失礼します!」と慌てて恐ろしきメイド長が駆け出していく。

 そんな姿を私達は笑って見送ったが…

「あの…皆さんもですが」と若いメイドに告げられ私達も慌てて駆け出す。

 どろどろで傷だらけ、これから晩餐へ行くような格好ではないのにお互いに笑顔で笑って見せる。

 晩餐の会場へ着くと、子爵様はさすがに驚いたものの、すぐに笑い出し、

「元気がありまっているのだな!」

 と笑って済ませてくれた。そのおおらかさには本当にありがたい限りだ。

 時間に遅れただけでなく、こんな泥だらけなのだから。

 若いメイドが他のメイドを呼び一生懸命泥を落としてくれたものの、まだ服はボロボロだ。

 そして、子爵様が訓練の経緯を聞くとまた剛毅に笑い。

「はっはっは!それで二人ともそんな顔なのか!」

 シャンとミルゴに向けてそう告げると、

「いやー…ミルゴが悪いっす」とシャンがミルゴをフォークで指す。

「シャンお前もだろ」とミルゴがナイフでシャンを指す。

「あとアンヌさんがヤバいっす」

 続けたシャンの言葉に子爵様は小さく笑い。

「ああ、アンヌが食事の準備も忘れて没頭するとは余程楽しかったのだろうな!」

「し、子爵様!?」

 恐ろしきメイド長は顔を赤らめ慌てた様子を見せる。

 食事をしながらミルゴが、

「ああ、さすが『銀』アンヌだ」

 その言葉にシャンが、首を傾げ。

「あれ、『足長蜂』じゃなかったっけ?」

 と言いあっていた。

 因みにどちらも正しい。

 『銀』は彼女を師事していた騎士から与えられた彼女の称号であり、彼女の神速の剣筋の異名『銀閃』から付けられたものらしい。

 師事していた騎士が悲しそうに「私は化け物を生んでしまった」と帰って行ったのは不憫に思えて仕方ない。

 そして『足長蜂』は彼女の美しさと、すらりと伸びる肢体、そして急所のみを的確に突いてくるところから、冒険者達に恐れられ付けられたあだ名だ。

 実戦なら何度死んだか、とうんざりした顔で帰っていく腕に自信のある冒険者達をどれだけ見たことか。

 普段はこの二つで呼ばれることが多いが、私が知るだけでも『悪夢』や『なぶり殺し』等と物騒な通り名もある。これらは手加減した相手からよく呼ばれるが余りに酷い名だ。

 また、彼女の本気である二刀細剣を使う程の相手がいないことからこれらの通り名すら陳腐に思えてしまう。

「なにそれ?」とカホさんが興味を持ったようだ。

「はは!彼女をこの辺で知らぬものはおらんよ。正統騎士から直に剣術の手解きを受け、免許皆伝とまで言われたのだからな。その『二つ名』も板についているな!」

 子爵様が誇らしげにそう告げると、当の本人は恥ずかしそうに視線を逸らした。

 奥方様を守りたい、と思う一心で始めた剣技が今ではアルトヘイムにおいての一つの伝説や伝統とすらなっているのだ。考えただけでも恐ろしい。

 カホさんは「やっぱ強いんだね」なんて言いながらメイド長のアンヌを見ると、当の本人は恥ずかしさで盆で顔を隠した。

 彼女の淑女らしさを塗りつぶすような剣技は、確かに今の彼女には持て余しているだろう。

「カホ、あの人が怒ると怖いんだ。『悪夢』のアンヌとも呼ばれるくらいだからな」

 珍しく照れているメイド長のアンヌをミルゴが茶化すように言う。

「全く、美人なのになー、二つ名が『なぶり殺し』なんじゃ男も寄り付かねぇよ!」

 シャンがさらに茶化すと、メイド長のアンヌは二人を睨みつけ。

「あら、二人とも聞こえてますけど?」

 メイド長のアンヌに釘を刺されると二人はワザとらしく。

「はい!メイド長の料理は最高です!」

 これはミルゴ。今日は彼女が作っていないであろうにも関わらず。

「いや、今日の料理も最高ですね!」

 シャンも同じようなことを言う。

 メイド長のアンヌは膨れっ面をし、そっぽを向く。

 三人は旧来の仲だ。

 メイド長のアンヌがまだ幼い時…剣を習っていない時からの友人だ。気の置けない友人というものだろう。

 私も彼等や彼女が幼い頃からここに仕えている。

 本当の姉弟のように奥方様と遊んでいる姿は今でも目に浮かぶ。

 三人で今は亡き奥方様に、奥方様が愛するこの町を守る騎士の誓いをし、その約束通り鍛錬しここまで立派になってくれた。それは嬉しく思う。

「はっはっは!いや、結構結構!」

 子爵様がまるで自分の本当の息子達がはしゃぎ合うのを見るように三人を満足そうに見つめる。そこに客人のカホさんも入りさらに満足そうだ。

 ふと、そこに本当のご子息が入っていないのに気づいた。子爵様もそれに気づき、

「どうしたカイルよ?元気がないぞ?」不安そうに尋ねると、カイル坊ちゃんは恐ろしきメイド長を一度だけ見て視線を逸らし。

「アンヌ…ヤバい」

 その一言でメイド長のアンヌは慌てた様子になる。

「こら坊ちゃん!」

 必死に諫めるが子爵様はそれが気に入ったようだ。

「ははは!いやいや、それでこそ我が領にて最強の剣士だ!我が息子ですら恐怖で声が出んとはな!まるでおとぎ話のスルスト族ではないか!」

 それは笑えない。さすがに”生きる神話”とさえされているスルスト族と一緒にされるのは彼女が可哀そうだ。

 ふとカホさんが首を傾げていた。恐らくスルスト族を知らないのだろう。

 それも仕方ない。口伝以外では伝承にしか残っていない存在なのだから。

 中央国では見かけた情報だけで場合によっては報奨金が出る程だ。

「もう子爵様!私はただのメイドですよ!」

 メイド長のアンヌがそんなことを言うが、一般人の私から見てもあなたは”ただの”ではないことは分かる。

「ただのメイドが大の男泣かすなよ」とシャンが苦笑する。

「もっと優しくお淑やかにして欲しいものだな」とミルゴも笑って見せた。

 それにメイド長のアンヌがまた反応する。

 そんな悪友達との話が続き、楽しい時間が過ぎていった。

 晩餐が終わり私は離れにて立てられている私の寝室へと向かう。

 そして、今日の一日を記す。

 子爵様にカホさんのことを余り紹介出来なかったものの、それでも楽しい食事だった。

 もう、彼女のことをアイリスの縁ある者と紹介する気もないくらい、楽しかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ