第十三話『月見の丘』
第十三話『月見の丘』
「ねぇ、アル―」
そう言って、俺の大事な人が、俺の名前を呼んだ。
どうした、とそう聞くと彼女はもう動かすことも難しいだろうに俺の額に自分の額をくっつけ。
「私ね、アルと会えてよかった」
そういうと力なく額を離した。俺はその額を支える。
小さな体で今まで俺を支えてくれた。
「アル…」と小さな声が俺の耳に届く。
「泣いてるの?」
彼女はそう言うと、少しだけ嬉しそうにほほ笑んだ。
「ああ…そうだ」と俺は認め彼女の手を強く握る。
「忘れていいから、泣き止んで」
彼女はそういうと俺の涙を拭い、少しだけ笑顔を見せた。涙を流しながら。
俺はただ彼女の手を握るしか出来なかった。
「最後にいい…?」
彼女は力を振り絞り、そっと俺の頬に唇をつけた。
「ごめんね」と小さく舌を出してみせた彼女を離さないように強く抱きしめる。
「気にするな」と彼女にそう返し、俺も彼女の思いに応える。
「うん。バイバイ。アル―私ね…死んだら…」
彼女の言葉は最後までは続かなかった。
力なく横たわる彼女を抱きしめ続けた。
「覚えている」
彼女の言葉の続きを俺は知っている。
だから、約束だ。
夜の森。フクロウの声と、風の音しかない中、私は弓を構える。矢をつがえ、思いっきり弦を引く。
狙いを定め、息を大きく吸い、そして息を止めゆっくりと脱力するように矢を放つ。
矢は真っすぐに…飛ばずに狙ったもののかなり手前に落ちてしまい、それに驚いた角兎が逃げ出してしまった。
「あっちゃー」と今日の食料の確保に失敗した赤い髪の冒険者…ことカホは肩を落とす。
レヴィアちゃんと戦った後、ゴブリンが持っていた弓と矢を確保した(※強奪に近い)のだけれど、やっぱり上手くいかない。
今のところ10射中1本しか当たっていない。
難しい。私は剣の方が得意なのかな、と半分諦めたくなってきた。
遠距離から攻撃出来る武器があると便利だと思ってはいたのに、ここまで当てれないとは思っていなかった。
「仕方ないか」と今日の肉は諦めて、その辺に生えている食べられる雑草を引き抜き、数日前に獲った干した魚を食べることにした。
この魚も元々は弓で狙ったのだけど全く当たらず、仕方ないので剣で突き刺してとるという野蛮な方法で獲ったもの。本当に自分の女子力に自信がなくなってくる。
あとは安全そうな場所を探そうと思いながら森の中を進んでいくと、ふと光が見えた。
気付くと森を抜けてしまったらしく、大きな月が丘の向こうから地上を照らしていた。
森を抜ける気はなかったので少し困ってしまう。
ミグの実も残り少ない。枯草も枝も持っていない。これではせっかく積んだ食べられる雑草が無駄になる。
ふと、月を背に…いや丘の上に誰かがいるのに気づいた。
―女の子?
シルエットだけしか見えなかったので、よくわからなかった。
こんな夜中に危ない―とこれは人に言えたことはないものの、近づいていくと不意にその姿が消えた。
狐につままれた気分になり、ポカンとしてしまう。
「誰だ?」
後ろから声を掛けられた。
振り返ると長身の男性がいた。整った顔立ち鋭い目つき。現世ではよくみたジャケットにジーパン姿の男性は私から見ると普通なのだが、こちらに来てからを考えると明らかに浮いていた。
「私は駆け出し冒険者のカホだよ」
簡単な自己紹介をすると、男性は少し驚いたような顔をした。それは私の反応したのではなく、むしろ自己紹介ということ自体に驚いた様子だった。
「あなたは?」と聞き返すと、男性は興味なさそうに「アルベルト」とだけ答えた。
アルベルトは私を無視するように脇を通り過ぎ、丘に腰を下ろすと月を眺め始めた。
気まずい。もっと何かないの?
「何してるの?」
そう尋ねてみたものの、アルベルトは自分に聞かれたと思わなかったのか少しの間してから、こちらを向いてきた。
「月を見ている」
一言くらいしか返してくれない。
「コミュ障なの?」と思わず言ってしまうとアルベルトは首を傾げ。
「…勇者か」
そう言ってきた。コミュ障と言って勇者扱い…意味が分からない。
「違います!」
強く否定するもののアルベルトは相変わらず興味なさそうに。
「何か勘違いしているな」
思案しているような仕草をしてはいるものの、感情というものが全く見えない。
「何よ!私は勇者じゃないの!それだけは間違いないから!」
さらに強く否定するとアルベルトがじっとこちらを見つめてくる。性格はどうあれ、あと男前な彼に見つめられると思わずドキリと胸が高鳴る。
「何?」と睨みながら返す。そのついでに、
「どうせ、男かと思ったでしょ?知ってるよ!」
「いや、勇者じゃないなら、何故向こうの言葉を知っている?」
そう言われ意味が分からずポカンとしてしまう。
「…あのさ」
「勇者は向こうの世界から来た者たちを言う言葉だ。気に入らないなら否定すればいい」
言いかけた言葉を制される。なんだろう。感情がないからか、やけに会話のテンポがつかめない。
「そうなんだ。」と一応頷いて応えるとアルベルトは月見に戻った。
勇者は向こうから来た人々…というのは驚いた。
多分普段、この話を聞いていたら驚きでなんらかの反応をしていたのだろうけど、それ以上にその驚きをかき消してしまうアルベルトとの会話の難しさに頭を悩ませる。
「…ねぇ、ここでキャンプしてもいい?」
私が一応アルベルトに聞くと、アルベルトは顔色一つ変えず、本当に疑問な様子で、
「何故俺に聞く?」
「いや、アルベルトは帰ってくれなさそうだし」
「帰るところがないからな」
辛い。人形か機械と話しているようで、本当に辛い。
何か会話を切り替えようと思案し、
「お腹減ってる?」
「気にしたこともない」
ダメだった。アルベルトは相変わらず月をじっと見つめ、時折懐から取り出した紙に何かを書いているけれど、それが『英語』だと分かると理解する気も失せた。
そうして少しの時間が流れる。アルベルトは相変わらず月を眺めている。
「居づらいよ!ちょっと話してよ!」
私が不平を漏らすとアルベルトは一度こちらを見てから立ち上がった。
「…じゃあ、席を外すよ」
邪魔と言った覚えはないよ!
「違う!なんか、こう…そうだ、勇者の話してよ!」
「俺も勇者だ」
その言葉に次の言葉が詰まった。
「え?」と言葉を漏らすとアルベルトは軽く首を振って見せ、
「君も勇者…と呼ばれたくないんだったな。まぁ、向こうから来たのなら何か『神の恩寵』か『スキル』を持っているはずだが?」
「ないよ」
それにそんなこと感じた覚えもない。
スキルとかギフトとか言われても全くピンとこない。
「そうか」
アルベルトはそう言うと月見に…
「終わりにしないで!なんか話してよ!」
不服を口にすると、ふとアルベルトの表情が綻んだ。
あれ、笑った?と思ったのは余談。
アルベルトは口元に浮かんだ笑みを隠そうともせず、少し嬉しそうな声色で。
「いや、昔一緒に旅をしていた子がよくそうやって話しかけてくれてたんだ」
そこまで言うと「よく怒られたな」と懐かしむような言い方だった。
これこそ好機到来。話の話題が出来た。
「へぇー、どんな子?」
興味津々な私。それに女の子とくれば彼女やそういった人だろう。失恋でもしたのかな、と下卑た考えも持ってしまう。
「そうだな…いや、どんなと言われても素敵としか言えないな」
甘い!甘すぎる!
それで終わらせないで欲しい。
別に体形とか顔がどうの、と聞く気はないのだけれど、せめて…
「好きだったんだ」
「ああ。好きだ」
一瞬だった。アルベルトは顔色一つ変えずにその答えを出した。自身満々に。
「…っ。愛していた…とか」
「ああ。愛している」
照れることもなく、ただ本心からそう告げてくる。思わず聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
「―っ!ちょっと、私には刺激が強いかな…」
「痛むか?」
刺激が強いとは言ったけどそうじゃない。
「心が…」
「どういう意味だ?」
首を傾げられた。いや、そのままの意味なんだけど。
「じゃあ、その子は今どこに?もしかして…結婚とか…」
言いかけて思わず顔が熱くなる。
こんなに彼が思っている相手なのだ。出来れば二人には幸せになっていって欲しい、と思ってしまう。
さっき失恋がどうのこうのと思ってしまっているから少し後ろめたいけれど。
アルベルトは私の言葉を聞くと、月を指さした。
「月?」と私がその指の先を追う。
もしかして彼は月を愛し過ぎて頭がおかしくなったのだろうか?
月を女の子と見立て、彼女とか言ってしまっているのだろうか?
そうなると反応に困る。
「彼女は月の魔族だったからな。死ぬと、故郷の月に帰るらしい」
月の魔族―?そういうのもいるんだとは思うものの、死という言葉に嫌な予感がする。
「…そうなんだ」
勇気を持って聞く…なんて出来ずに今度は私が一言で片づけようとしてしまう。
「亡骸はこちらに残るから墓はそこにあるんだがな」
そういってアルベルトは丘の奥にある、小さな花畑を指さした。
「う、うーん…」
反応に困る。
アルベルトははっきりは言わないけれど、死別したのだろうとは分かってしまう。
「何か食べるか?」とアルベルトが唐突に聞いてきた。
多分、さっき私がお腹をどうのと言ったからだろう。
「え?何か持ってるの?」
「ちょっと待ってろ」
そう言ってアルベルトは立ち上がり森の中へと入っていった。
近くに彼の家でもあるのだろうか?
そう思って彼を見送り数分が経った。
彼を見送ってから少しして、森の中から彼が戻ってきた。手にはボア(※イノシシのような魔物)を引きずって歩いてきた。
その体にはいくつかの怪我も見える。
「ほら」
「へ!いや、アルベルト!怪我、どうしたの!?」
「狩ってきた。怪我は気にするな」
そう言って彼がボアを渡してくる。大きさとしては中級のボア。
私も一度狩ろうとしたけど、素早い上に力も強いので仕留めることが出来なかったのを覚えている。
ボアを受け取ると、血抜きが終わっているのが分かる。この短時間にどうやったのか聞きたくなる。
「いいの?」と確認する。
「ああ。腹が減っているのだろう」
と彼が答えてくれたので、剣を抜き、かるく水を含ませた布で洗ってからその肉を捌く。
捌きながら「どれくらいがいい?」と聞いてみたが、アルベルトは首を傾げて見せる。
「食べないの?」
と冗談混じり聞くと、
「ああ」としっかりと頷いた。
「あのさ、食べないと元気でないよ」
「俺は食べなくても大丈夫なんだ」
食べなくても大丈夫?意味が分からない。
「なんで?」と聞くとアルベルトは首を傾げた。
それが何で私がそう聞くのが分からない…といった様子だった。
「勇者としての『神の恩寵』が『不老不死』だからな」
アルベルトは何の感情もなくそう言った。
「…え?」と言葉に詰まる。
「俺は死なん。もう、何百年もこの世界にいる」
その言葉が私には恐ろしく思える。
それに、アルベルトが言っていた女の子の話も少し違って聞こえてしまう。
臆面もなく愛している…そう言える女の子。
その離別は…
「と、とりあえずごはんでも食べよう!私こう見えても…料理…下手ですけど…食べたら少しは元気出るって!」
話を逸らすとふと、アルベルトがまた笑って見せた。
「あの子もよくそう言っていた。楽しみにしていいか?」
思わずその笑顔が嬉しくなってしまう。
「任せてよ!」
きっと私じゃ彼の孤独を癒すことは出来なくても、その笑顔が嬉しかった。
それにしても本当に一途なのだと分かる。
アルベルトの言う女の子の話になると急に柔和になったように感じる。
キャンプの準備をし、調理をしながら、
「そうだ。アルベルトのあの子の話を聞いていい?」と聞くとアルベルトはやはり少しだけ嬉しそうな声色になり。
「つまらない話だぞ?」
「いやー、そうかな?なんか、一緒に寝たり…とかしてそう。なんちゃって」
茶化すように言うと、アルベルトは考えるような素振りをし。
「ああ。よく一緒に寝ていたな」
「はいぃ!?」
思わず手元が狂う。
私にはその話題は刺激が強すぎる。
「寒いのが嫌いなのか、俺の布団によく潜りこんできたからな」
何の感情も見えない。本当に一緒に寝ていたのだろう。言葉通りに。
それでも少しは恥ずかしがるとかして欲しい。こっちが恥ずかしくなる。
まぁ、相思相愛?なのだろうとは思う。
「あ…あはは、な、成程」
私が言葉に詰まるとアルベルトは察したかのように。
「ああ。そうだった。もう長く生き過ぎて死に過ぎた所為でな、全うな情動は持っていない。とっくに擦り切れている」
そう言いながら苦笑いする私をよそにアルベルトは愛した女の子の話を始めた。
勇者として転生したものの剣や武器に全く才能もなく、殺されればいつの間にか蘇っている…そんな俺はただ何の意味もなく各地を放浪していた。
とはいっても俺が放浪しているのは仕方がない。
死なない、老化しない体を訝しまれ、一つ所に留まれば奇異の目を向けられる。
それに慣れても、気味悪がられるのが分かる。だから各地を歩いて渡っていた。
この近くの森の中を歩いていた時、あの子とあった。
俺はもう既にもう何百年生きたか分からなくなり、全てがどうでも良く思っていた時に、運悪くオーガと出会ってしまい、また食われるのだろう…そう諦めていた。
俺が諦めていたその時、オーガとの間に割って入ったのが彼女だった。
小柄な体躯に、呪われた月のような赤い目と夜のような黒い髪を持った小さな少女だった。
「あんた死にたいの!」
そう言って俺に怒鳴りつけてきた。
俺が死ぬのは構わないが、他人を巻き込む必要はない。
「俺は死なん」と彼女に事実を伝えてみたが彼女は俺の…恐らく『神の恩寵』を見たのにも関わらず。
「だからといって、死ぬのはダメ!怖いのよ!」
死が怖い…そう思ったことはこちらに来てから一度しかなかった。
死んだところで次の日くらいには再生をしているからな。
「俺には不老不死の『神の恩寵』がある」
そう説明してみたものの、少女は全く引かず武器を構えた。
「…下がってて!守ってあげるから!」
そう宣言した彼女はその言葉通りに俺を守り、そしてオーガを倒してみせた。
だが、相手はあのオーガだ。強い彼女でもさすがに怪我を負わされた。
「大丈夫か?」
座り込み傷だらけの彼女にそう言ってみると、
「いてて!あ、大丈夫!?怪我はない?」
逆にこっちの心配をしてきた。それが新鮮だった。
「怪我をしてるのは君だ」
当時の俺は呆れながら伝えると、彼女は傷だらけの体でありながらも立ち上がってみせ、
「これくらいへっちゃらだよ!なんたって、月の魔族なんだから」
「魔族なのか?」
俺が聞き返したものの、彼女は怒ったように口を尖らせ。
「月!月の魔族、なの!」
やけにその『月の魔族』というのを強調してきた。
「すまない。月の魔族なのか?」
俺の言葉に彼女は顔を引きつらせ、
「あなた…なんか気持ち悪い。お人形さんみたい。感情ないの?」
気持ち悪いだろうな。死なない人間であり、もう、生きる気力もないのだから。
なのに体だけは永遠に朽ちないのだから、人形よりも質が悪い。
「すまない。もう擦切らしている」
俺が本心から伝えると彼女はワナワナと震えだし、まるで駄々をこねるように。
「もうちょっと話してよ!さっきから一言か二言くらいしか言ってないよ!怒るとかないの!」
怒るとかと言われても事実だ。俺は気持ち悪い等と言われるのは日常なことだし、むしろ彼女のような労わる言い方の方が新鮮だ。
人間は集団で人をこき下ろす時、簡単に本当に残酷なことを言うのだから。
彼女は俺の前で笑顔を見せ、さらにそれを強調するように自分の口を指でひっぱって見せ、不格好な笑顔を見せた。
「もっと、こう!笑ってさ!ほら、ほら!」
それは俺にとっては本当に嬉しいとは思えた。俺を気にかけてくれることに。
ただそれでも彼女とは関わらない方がいいとは思えた。
俺のこんな体では。
「すまない。君のようには笑えない」
俺の言葉に彼女は口を引っ張ていた指を離し、困ったような笑顔を見せ、
「うーん…あんた生きてて楽しい?」
そんなもの決まっている。
あの悪魔のような少女の神に出会ってしまってから…
「いや全く。死ねるのなら死にたいな」
本心だった。
俺の言葉を聞くとあの子は俯きながら、
「…そっか」と短く寂しそうに言って見せた。
あの子は優しいから、きっと俺に気を使ってくれたのだろう。
そう思っていたが、違ったんだ。
「じゃあさ!あたしが、あなたに一杯楽しいこと教えてあげるよ!」
両手を振り上げて自信満々にそう言ってきた。
「その体でか?」と俺が聞き返すと、引っぱたかれた。
「痛いな」と不平を漏らすとあの子は顔を真っ赤にし、早口でまくしたてるように大声をあげた。
「へ、変態!スケベ!?な、なに言ってるの!あ、わ、わたし…その、ま、まだ、だし。それにこんな…体だし…その…」
その反応の意味が分からなかった俺は彼女の体に触れると、「ふぇぇ!」と気の抜けた、間抜けな声を上げた。
無視して彼女の体の手当を始めると彼女は戸惑ったように「えっと…」と声を漏らしてきた。
俺は嬉しくて仕方なかったんだ。
こんな俺を気にかけてくれる優しい人、いや魔族と会えて。
「楽しいことを教えてくれるんだろ?まず傷を治せ」
俺を気にかけて…笑顔を見せようとしてくれる彼女に…希望を持ってしまったんだ。
「う、うん…任せない!」
彼女は自信を持ってそう言ってから、少しだけ恥ずかしそうにし。
「あの…生きることの楽しさだよ?」
そう確認してきた。
「そう思っていたが、違うのか?」とこれは本心から聞いた疑問だった。
「いや…うん。そうだよ」
「なら、教えてくれ。退屈していたからな」
俺はそれから一呼吸置いて、本心から、
「あと、ありがとう」と助けてくれた彼女にお礼を言えた。
それだけで自分の胸が満たされた。
俺の言葉にあの女の子は笑い出し、
「あのさ、あんたの名前教えてよ!」
「アルベルトだ」と俺の言葉に彼女は大きく頷き。
「アルベルト…じゃあ、アルね!」
そう言って、俺の愛称を決めてくれた。
「アル?」と確認するようにもう一度言ってくれた。
「え?気に入らなかった?」と心配するように言った彼女には悪いが、俺は嬉しかった。
「いや、なんだろうな」
答えきれない感情を口に出せずにいると、彼女は笑顔を見せ、
「ふふ、笑顔が可愛いじゃない」
満足そうにそう言ってきた。そんな彼女に俺は、
「お前の方が可愛いと思うぞ」と本心を口にした。
俺の言葉を聞くとあの子は顔を赤くし、
「ええ!ちょ、ま…えへへ」
何故か嬉しそうだった。
「俺は男だからな。可愛くはないと思うが。比べる対象の違いだな」
「もー!そういう意味じゃないよ!」
不平を漏らす彼女と…それから手を繋いで一緒に旅をすることにした。
私…ことカホはアルベルトの話をそこまで聞き、思わず。
「アルさんさぁ」と怒りを見せる。
「新鮮な呼び方だな」
アルベルトさん改めアルさんは小さく笑う。
「女心分かってないよね!」
絶対その時点でその女の子アルさんのこと好きじゃん!と言いたいけれど、それを女心を置き換えて不満を伝える。
アルさんは首を傾げ。
「君もじゃないのか?」
酷い。
「それ…男に言われるっていうの辛いんだけど」
もう、この人は私の事を生物的には女性とは見ていても女の子扱いはしてくれないのだろう。
それから私が調理している隣でアルさんは次々に彼女との話をポツリポツリと話し始めた。
一緒に釣りをしたこと。
一緒に雪を見て、かまくらを作ったこと。
一緒に町でご飯を食べている時に、お互いの料理を交換したこと。
一緒に旅をしたこと…
ふと、彼の顔を見ると、笑顔が浮かんでいた。
話していると言葉からは分からなくても、確かに嬉しさが表情から見て取れる。
自然と楽しい記憶を思い出しているのだろう。
「別れは唐突だったよ」と彼がそう切り出した。
「あの子は急に動けなくなり、ゆっくりと体が石のように冷たくなっていった」
その言葉に何も言えなくなってしまう。
彼がさっきまで見えていた笑顔はそこにはなく、少しだけ物鬱げな表情をした。
「奪われていく体温をずっと噛みしめていた」
彼が悔しがるように拳を握る込み、ふと緩んだと思うと。
「俺が泣いているのを嬉しそうに見ていたな」
「それは!」
思わず声をあげてしまう。
彼には分からない…のかもしれないけれど、きっと違うと言ってあげたかった。
アルさんはゆっくりと笑ってみせた。
「大丈夫だ。それくらい分かるさ」
アルさんはゆっくりと息を吐き。
「ずっと考えていた。死なないのは生きていないのと同じだと」
月を見上げながら嘆息混じりにそう言ってから、
「俺はあの子に…200年もかけて貰って、その命が尽きる時まで一緒にいて貰って、ようやく俺自身が生きていると気づかせて貰ったんだ」
その一言は悲しみと同時に決意と希望に満ちていた。
これは私が茶々をいれたりする必要はない。本当に愛していいるのだろう。彼女が亡くなってからもずっと。
「ここにいるのはやっぱり忘れられないから?」
私が意地悪を言うと、彼は首を横に振った。
「いや、違うな。俺はあの子に会いに行く為にこの『月見の丘』にいるんだ」
ふと嫌な予感がする。
「それは…」と確認するように聞くと、アルさんは真っすぐ月を見つめ。
「あの子は月の魔族は死ねば月に帰ると言っていた。」
月に帰る…この世界での常識は知らないけれど、少なくともそんなことを信じられなかった。
「それを信じて、月に行く道を探している。具体的にはロケットでも作ろうと思っている」
アルさんは本気だった。本当に月に行こうとしている。
「けど…」と止めるような声をあげると、アルさんは微笑んで見せた。
「いなかったら、なんて言わないでくれ。あの子がそこにいるなんて半信半疑なんだ」
そう言ってからアルさんはゆっくりと息を吐く。
空に浮かぶ月に手を伸ばし、
「それに、本当に月にあの子がいたらロマンチックじゃないか」
そう言ってから彼はゆっくりと笑ってみせた。
「それに、何もしていないと生きるのが辛くなる。目標がないと自分を見失いそうになる」
ただ無限に生きる…その苦しさを私は知らないし、その辛さも分からない。
だけど、現にここに生きるということへの情動をスリ切らした人がいる。
それでも彼が”自分”を持っているのは彼を愛した魔族の女の子のおかげなのだろう。
「あの子はそうやって、俺に生きる希望を持たせてくれた」
それが分かっているのか…。
やっぱり二人はお互いが好きだったのだろう。
「折角無限の命があるんだ。諦めずあの子を迎えに行きたいのさ」
それは凄くロマンチックだ。思わず、あの話を思い出す。
「あはは、じゃあもう一度、かぐや姫に会えれば何をしたい?」
「かぐや姫?」とアルさんは首を傾げる。
どうやら知らないらしい。
言われてみればその通りだ。彼は書記に英語を使用している。
なんで言葉が通じるのか分からないけれど。
「私の故郷の本だよ。月に帰ったお姫様の話。確か不老不死の薬を人間に渡してくれるんだけど、その人間は焼いちゃったとか…」
私の言葉にアルさんは考えるように顎に手を置いた。
「興味深いな」と一言。
そう言ってから彼はそのまま月を眺めた。
状況は違うけれど、帝が不死の薬を飲んでしまったのなら…どうするのかと私もその答えが気になった。
「そうだな…」
そう言ったものの、彼は目を瞑り、答えを出せなかった。
風が吹く。聞こえるのは鳥の鳴き声と、草木の揺れる音。そして火の揺れる音だけ。
不意に、手を握られた。
それがアルさんの手だと分かり、慌てて振り払うと、アルさんも驚いた様子だった。
「すまない。あの子がそこにいる気がしてな」と彼は本心から謝ってみせた。
「私もびっくりしたよ。もう!もしかしてそうやって女の子を口説いているの?」
不平を口にすると、アルさんは少し驚いたように目を丸くし。
「口説く理由があるのか?俺はあの子を世界で一番愛している」
甘い言葉に思わず言葉を失う。
「うーん…」調子が狂う。
話をしている間に完成したスープを彼に差し出す。
アルさんはスープに口を付けると一瞬その顔をしかめた。
その顔だけで分かる。私も口を付け、苦みと臭みしかないスープに嫌気がする。
「あ、お肉どっちがいい?」
と焼いていたお肉を指し示してみる。
均等のつもりだったけど、明らかに片方が大きい。こういうところにも私の女子力の低さが現れているのだろうか?
「決まったよ」とアルさんは顔を上げる。
アルさんが獲ってきたくれたのだし、大きい方をあげるつもりだったのだけれど、こういうところで私は意地汚い。
「もう一度、あの子と手を繋いで…旅がしたいな」
絶句してしまった。
違う。そうじゃない。
今聞いているのはお肉なの!と言いたくなる。
私とは違い清廉な答えに、思わず声を荒げてしまい。
「もう、甘いな!」
甘い会話に不平を漏らす。アルさんは首を傾げ。
「そうか。この雑草スープは苦いが。あと不味い」
「味じゃないよ!」
それは私も思ってたよ。生臭いし美味しくない。そんなの普段からよく食べている私がよくわかってるよ。
私の姿を見るとアルさんは小さく笑いだし、それが済むと。
「久々に笑ったよ。今日は月が綺麗だからな。もしかしたら、かぐや姫が降りてきたのかもしれないな」
「私のこと?」
そんなことはない。私が茶化すと私を大真面目な瞳でアルさんが見つめ。
「何を言ってるんだ?あの子のことに決まっているだろ?」
「知ってた」
真面目なんだからと言いたくなる。
アルさんはゆっくりとその瞳の鋭さを柔和にし、
「君には感謝しているよ。あの子の話を聞いてくれて」
彼のその本心からの言葉が少しだけ嬉しかった。
本当にあの子に一途だね、と言葉が漏れると彼は少しだけ嬉しそう目を細めた。
―次の日
結局あの子の話が気になってしまい、深夜帯まで話を聞いてしまい、アルさんが「見張っていてやるから寝てもいいぞ」と言う言葉に甘えた。
目が覚めると、アルさんが昨日と同じように月が見えなくなってはいるのに空を見上げていた。
「本当にずっと起きてたんだ?」
「ああ。そうだが」と不思議そうに聞かれ複雑な気持ちになった。
まぁ、彼のあの子への一途さなら間違いが起こることもないは分かっていた。
旅の支度をはじめるとアルさんは不意に。
「そうだ。お礼代わりに君に一つ教えておこう」
そう切り出してくる。
彼はそう言うと私の目の前に立ちジッと見つめてくる。
「え?」
訳が分からずそんな素っ頓狂な声を上げてしまう。
「俺を殴ってみてくれ」と大真面目に言ってくる。
思わずあの変態文学を思い出してしまい、
「いやだよ」と否定する。
「…何故だ」とアルさんに至っては不服そうだ。
「なによ。その不服そうな顔」
と言っている私の胸をアルさんが不意に触れてきた。
揉まれるとかではなく、本当に自然に手を置いてきた。
「ひっ、いやぁぁぁ!」
思わず手を振り上げ相手の頬を叩こうとすると、私の体が浮いた。
手首を掴まれ捻られた…とは分かったもののそのまま何も出来ずに地面にたたきつけられる。
「へ?」と私が声をあげている間に腕を背中に持っていかれ体重を掛けられる。
痛みが腕と肩に走る…そして息が制限される。
「―折るぞ」とアルさんの声が静かに響いた。
ゾクリと背筋が冷える。思わず体から力が抜ける。そうしないと本当に腕を折られるというのが分かってしまう。
ふと、痛みが消えるとアルさんが手を離し、私から離れていく。
「ここまででワンセットだ」
そんなことを真顔で言うので思わず平手打ちをしておいた。
余談だけど、私の平手打ちをアルさんは一度返そうと手を伸ばしてきたものの、首を傾げて途中で止めた。
なぜ、今平手打ちをされるのだろう…といった雰囲気で。
勿論、乾いた音と共に平手打ちは直撃したものの、アルさんは意にも返さず。
「あの子が教えてくた体術だ。なんでも極東の『合気』と『柔道』を合わせたものらしい」
簡単な説明をしてから、
「痛むか?」
そう言って首を傾げてみせる。
また検討違いなことを言っている。
叩かれたのは痛かったから、とでも思ってるのかは分からないけれど。
「なんで胸触ったの!?」
私の言葉にアルさんは首を傾げ。
「あの子がそう教えてくれたんだが?女性相手に胸を触ると大体ひっぱたいてくると」
いらんことを…と言いたくなる。
「あの子にもよく練習台になってもらった」とアルさんは思い出すように月が消えた空を見上げた。
「ふん…それで、アルさんの大好きな子はどんな反応したの?」
「『どう?』と言ってきたな。」
その言葉に思わず反応出来なかった。
練習中に胸を触らせて、「どう?」はないと思う。
「鍛えているだけはあったな。練習の時に俺が触っても微動だにしなかったから、その場合の返しの難しさを教えてくれたよ」
それは0点だと思う。照れるなりはした方がいいよ。
「違うと思うけど」
「実践的ではあっただろ?」
「違うと思う!」
実践的という言葉が泣くよ。
「アルさんさぁ…その女の子こと、女性として見てないの?」
疑問に思ってしまう。愛しているとは言っていたけど、彼にとっては友達程度の間隔なのかもしれない。むしろ、男性と女性の区別をかなり曖昧にしているのかもしれない。
「どういう意味だ?女性だろ?」
その言い方は絶対、生物的には女性…と思ってるよね。
「そういえば、一緒に寝る時に時々服を…」
「それ以上はやめてさしあげろ」
何の臆面もなく言う言葉ではないと思う。
少なくとも女の子の方もアルさんのことを好きなのは分かったけど、もう少しお淑やかに出来なかったのかな?
いや、この人を見てたら多分それくらいしても反応ないんだろうな…と会ったこともないけれどその女の子に同情してしまう。
「そうなのか」
とアルさんは相変わらず興味なさそうだ。
多分、精神的な部分には反応するのだろうけど、肉体的なものには本当に興味ないんだろうな…と女の私が思っていて悲しくなる。
そういうのは男性の役割だと思うのに。
アルさんは軽く技の出し方とコツを教えてくれ、次に
「先に一通り技を教えよう。次は剣と盾を持っての技だ」
そう言ってきたので、剣を鞘にしまったまま抜くとアルさんは首を傾げた。
「どうした?剣を抜け」と催促してくる。
「怪我するよ?」
「俺は死なん」と当然とでも言いたそうだ。
剣を抜こうとしたものの、結局手が止まってしまう。
練習とは言え、やっぱり人に剣を向けるのは抵抗がある。
「それでも嫌だな」と私が答えるとアルさんは頭を掻き、バツが悪そうに。
「そういえばあの子の俺が怪我するのを嫌がっていたな」
本当に優しい子だったのだろう。不死でも大切な彼に傷ついて欲しくなかったのだろう。
アルさんは分かってくれたのか、鞘にしまったまま練習を付けてくれた。
教えてくれた技は剣を使っての制圧と、剣を握られた場合の崩し、そして盾での制圧。
どれも実用的かと言われれば私にとっては使えるといったもの。
前々から思っていた、いざ人間と戦うことになった時に、怖くて剣を振れない私にとって、これらの制圧をコンセプトととした技はありがい限りだ。
…まぁ、こんな技術を学んでいるとレヴィアちゃんにバレたら殺されるだろうけど。
『侮辱しているのか!』と怒る彼女が目に浮かぶ。
あの膂力の前では間接をキめたところで腕力だけで引きはがされそうだし。
訓練が終わった後、私は荷物を纏めながら
「アルさんはこれからどうするの?」
私の問いかけにアルさんは首を軽く鳴らし、
「そうだな。暫くは…あと100年位はここにいるよ」
そう答え、一度だけもう見えなくなった月を眺め『月見の丘』にまた腰を下ろした。
未練がましいとか、女々しいとか…そういう風にも捉えられるけど。
無限の命の中で感情を擦り減らしてしまい、そういうものは何処かに置いてきてしまったのだろう。
それでも、最後に残ったのが、彼にとっての愛というものならそれは本当に甘い話で、思い出に浸り足を止めることも人には大切なのだと思う。
「またね」と私が別れの挨拶をするとアルさんも片手を振って応え。
「暇になればまたこい。俺はいつでも退屈だからな」
なんて言いながらも今は忙しそうだ。きっとあの子のことを考えているのだろうから。
私は去り際にふとアルさんの姿を目で追う。
「まだ、生きてみるよ」とアルさんが目を閉じ呟く。
その隣に昨日見たあの女の子がいるような気がした。