番外 とある日のシノの村
とある日のシノの村
私こと…名前も故郷も捨てた奴隷商は馬車の修理や替えの馬を手に入れれたことから、カリデの村を発ち、この何もない、大陸一貧しいとさえ言われるシノの村へとやってきた。
村が出来た経緯は歴史書によると50年以上遡る。中央国とアルトヘイムの戦時中に監視所として中央国によって作られたらしいが、これといった産業になるようなものがなく、防衛拠点として使われた後は放棄されたらしい。
そこに戦争で焼け出された者たちが住み始めたが、幾度となく戦争に巻き込まれ、魔物に脅かされ『死の村』と呼ばれる所以になったらしい。
そんな死にかけの村らしく、一番大きかったであろう家は焼け焦げ、柵は殆どが壊されていた。家畜なんて見当たらない。
村に到着すると、村の入り口に一人の青年が立っていた。壮観な顔つきをしており、やけにこちらを睨んでくる。
「奴隷商人がなんのようだ?」
厳しい口調で私を睨んでくる。恐らく彼がカホさんの言うウェンさんだろう。
私がセールストークを始める為に馬車から降りる。
そして向き合ったが、青年は睨みながら、
「この村はまだ復興中で苦しいが、お前のような奴に家族を売り渡すことはしない」
どうやら聞いていた通りの人物らしい。曲がった事が嫌いだからこそ、村の者を売るなんてしない。その考えは尊い。しかし、残念ですね。あなたは根本的に私に勝てない。
なにせ、真っ向から売りにきたのですから。
「いえいえ、むしろ売りにきたのですよ」
青年は一瞬目を丸くしたが。
「奴隷を買えと?舐めてるのか?」
それが経済状態と、そして信義から来るのは分かっている。
そしてこういうタイプに一番ダメージを与えることが出来る言葉も勿論知っている。
「ええ。奴隷を買って、奴隷として使うか、それとも村の一員として迎えるか、それはあなた次第ではありませんか?」
そう、私は外道な仕事をしているが、仕事の客として選ぶのは彼のような善良な人間が多い。そういう人間にこそ…
「―っ、同情をさそうつもりか!?」
その通りです―と言うと私が悪者になってしまうので、適当に首を振って見せ。
「いえいえ、復興でお金は足りなさそうですし、貸付でどうでしょう?」
勿論、同情うんぬんについては答えず話をすり替える。
ここまで持ってこれれば私の自慢のセールストークに持っていける。
さぁ、勝負です。存分に勝たせて貰いますがね。
「先に言っておきます。私はこの仕事にプライドを持っています!だからこそ、売り出すのは全て一級品!」
さぁ、売り文句ですよ。私を心の中で汚く罵り、子供達を私から救うような英雄になってみせなさい。それが例え私の掌の中ででも。
「まだ子供ですが、読み書きと算術はある程度出来ます!そして栄養状態も十分!なによりも…」
この続きを言おうと思って、一瞬戸惑う。
効果はあると思うのですが、いかんせん反感を買うと話すら聞いて貰えなさそうです。
逡巡してしまったものの、切り出すことにした。
失敗すれば今度彼女にあったら、全て責任をなすりつけよう。それも面白そうですし。
「カホさんのお友達です」
男性はキョトンとした。
「―は?」
そりゃそういう反応になりますよね。私もこんな間抜けなセールストークをしたくはありませんでしたよ。
「カホさんのお友達です」
再度言うと、男性はわなわなと震え、
「なにやってんだー!」
絶叫した。
いや、引き合わした私が言うのもアレですが、子供みたいな人なので思った以上に懐いてしまったんですよね。
男性が怒ってしまったのでこれ以上、この売り文句は無駄でしょう。そうなると、やっぱりこの男性が一番心を乱したのは、やはり善性に訴えかけることですね。
いや、今も心は乱してい入るのですが、これでは話にならない。
次なるセールストークを考え、どうするか悩んでいると、
「バカ亭主落ち着きな」
そう言いながら、男性と同い年くらいの気の強そうな女性が現れ、男性の頭を軽く叩いた。
「いた―。すまないカミラ…」
カミラと呼ばれた女性はため息をつき。
「それで?カホちゃんの名前を出したらあたし達が買うとでも?」
おや?と言いかけた。この人はやけにしっかりしている。男性的とでも言うのか肝が据わっている。
「いいえ。話を聞く限り、この子達を預けるに足る人物だと思いましてね」
私の言葉にカミラと呼ばれる女性は眉をひそめた。
「預ける?何言ってんだい?」
この方は、話が分かる。
そうと分かれば畳みかけるしかありませんね。
冷めた感情で激情を隠しながらも、冷静にこちらの一言一言をしっかりと聞いている。そして吟味してくれる。
成程、男性の方が善性の体現者であれば、その激情を押さえるのが彼女の役目ですか。お似合いですね。夫婦でしょうか?
そして、こういう相手がいるのなら、嘘を付く必要もない。
「私は商人です。そして、プライドを持っています。いい商品を売るならば、よい買い手を求めている。その辺の馬の骨に私の大切な子達…いいえ、大切な商品の奴隷を売るなんてとんでもない!そしてこの子達を売るに十分な環境がここにはあります」
「ふーん。いくらだい?」
これには驚いた。二言目も必要ないとは。そして言い足りないのが悔しいです。
「カミラ!」と男性の方が驚きの声をあげる。
私は指を二本立てて見せ、
「5人で金貨10枚…といいたいところですが、9枚に負けておきましょう。」
「高いね」
女性は間断なくそう言ってきた。
「それだけの価値があります」
しまった…と思った時には遅かった。おだてるや、お世辞をいうべき言葉に対してハイペースな返答に思わず、本音を引き出された。
「成程。あんた面白いね」
女性は小さく笑って見せる。
これは本気でいかないと…毟られますね。
「貸付の利息の期間は?」
カミラと呼ばれる女性はいきなりそれを聞いてきた。手ごわいですね。
「そうですね。新年を迎える毎に金貨一枚でどうです?」
「あんたが雲隠れするかもしれない。新年を迎えた後にあんたが来て、そん時にあたし達が払えなければ、でどうだい?」
本当に厄介ですね。
こちらとら商人ですよ。こんな何もないところに1年に1回も来ないに決まっているでしょうに。
しかも、つまり2年後に来ても貸付金は金貨1枚だけにしようと言いたいのですよね。
鬼ですか、と思わず言いたくなってしまう。
「おや、これは手堅い。しかし、私とて商人ですよ?大した特産品もないのに、一年に一回も来いとおっしゃりますか?」
さっきの私の逡巡の内、言えそうな部分だけ抜き出して伝えると、カミラと呼ばれた女性は
「あるよ」
と即座に答えた。
「は?」
思わず声が漏れた。この辺には何もないはずだ。
あったとしても、酒の材料にもなるクコの実くらいだが、それも中央国には無数とも言える栽培所がある。
もとより酒の生産量を重視していないアルトヘイム領ではクコの実などその価値は低い。
「丁度いいだろバカ亭主。こいつを使おう。馬を買って人手を増やすより早いよ」
「おい、カミラ!あれは…」
男性が止めるような言い方だった。
これは何か新しい特産品が出来た…と考えた方がいいのでしょう。多分、木彫りか、酒でしょうか?
「奴隷商を嫌いなのは分かるよ。あたしも大っ嫌いさ。でも、こいつからはあの嫌いな足元を見るような下卑た感じがしない。少々ずる賢そうだけどね」
おや、と声が漏れた。
この女性はエアリス様の信徒なのだろうが、どこかカホさんと似た価値観を持っている。
それは元護教騎士団の私達に似たものだ。
「誉め言葉と受け取りましょう」とおどけて見せる。
それに、彼女の言う新しい産業が気になる。
「ほら、こいつだよ」
そういって女性は懐から一本の小瓶を取り出した。
青い液体の入った小瓶。
「これはポーション?」
初級か、いや中級回復薬に近い。
確かにこれなら…
「どうだい?金額としては?」
カミラと呼ばれた女性が笑う。
しまった―
驚きの連続で思わず平常心を失うところでした。
「大銅貨5枚…」
「そりゃ、あんたの懐へいく分かい?取り過ぎじゃないかい?」
見通されたのは私の責任ですね。そうですね、これはぼったくりです。
始めに安い金額を出しておいて、適当にあげて利益をあげようとした私が悪い。
いくらなんでも大銅貨5枚はないだろう、と反省する。
「そんなこと言うなら、無かったことにするよ?」
「…中央国でも銀貨1枚以上で売れますね」
急かされて思わず本音が出てしまう。
いや、これは素直に答えるのが正しい。これ程のものだ、買い付けない訳はない。
「アルトヘイムは冒険者の活動だけでなく、魔王軍との戦いもある。ポーションの供給は足りていないはずです。それを勘案すれば…」
まさか…言いかけたところで分かってしまう。
先ほど、女性は馬と人手を買うより…そう言った。元よりこれが村を復興させるだけの物だと分かっており、それを一番近い都市アルトヘイムに売るつもりだったのですね。
「一つ大銅貨8枚でどうだい?」
キツイ…!
いや、確かにそれでも利益が出るのが悔しい。無理もないのがまた何とも言えない。屈服しそうです。
楽して稼ぐには後大銅貨1枚分は値引きして欲しい。
「取引する気になったかい?」
畳みかけられ、頷きそうになる頭を必死に回転させ考える。
いや、まだだ。商人としてのプライドが許さない。
相手に言われたことをホイホイと信じて売りにいくのはただのお使いです。そう、考えるのです。
「確認です。量産体制は?」
「一日にフル活動で10個だね。あんたが1か月に1回来るとして、来るまでに100本くらい用意しようか?」
1か月に100本…十分過ぎる。売り方さえ工夫すれば、私の取り分としても月に金貨数枚分はこれだけで稼げる。
「ただ、あたしらには瓶を作るだけの力がない。あんたにはその買い付けも…」
そこだ!
見つけましたよ突破口を!
この村には鍛冶屋のような施設が見当たらない。
「必要ありません」
私は自信満々に手を振り上げてみせる。
「舐められたものですね。私は商人ですよ」
そう一言置いてから始める。私が得意のセールストークの時間です。
さぁ、反撃開始です!
「木工が出来るのであれば樽を一つ用意して下さい。その中に入れてくれれば十分です。その重さで買い取らせていただきましょう」
ます一撃、そして次で致命の一撃をお見舞いさせて貰いましょう!
「瓶は買い手に用意してもらいます。少し安値にする代わりに、入れ物に補充するという売り方にしましょう。これは東方で学んだ売り方ですが、手元に残り、捨てるか、雀の涙でしか売れなかった瓶が再度使えるという画期的なアイデアです。そして、瓶の無いものには私が仕入れた瓶を売る」
早口で相手の反撃の隙を与えない。もし挟まれたとしても全て受け流してみせましょう。
「ただし、金額は…」
カミラと呼ばれる女性は頭を掻き、諦めたように顔をしかめた。
「分かった…大銅貨7…」
「大銅貨9枚ですね」
彼女の言葉を遮るように一人の女性…髪の長い整った顔立ちの女性が割って入ってきた。
「「フローリア?」」と男性とカミラと呼ばれた女性が声を合わせた。
どうやらこの二人にとっても意外だったらしい。
それにしてもなんと豪胆な。値段を引き上げてきましたか!
しかし、勝利を目前に痛いタイミングでしたが、これなら大丈夫でしょう。
この女性がしたことは、お互いの利益に反するような提案だ。適当に言いくるめられるでしょう。
「失礼ですが、あなたは…」
フローリアと呼ばれた女性と目が合う。
ふと、早く排除しないと彼女の援護で私がボロボロにされてしまいそうな気がしてしまう。それが本能的に察せられる。冷や汗を隠しながらも、早口でさっさとまくしたてようとしたところで、フローリアと呼ばれた女性がキョトンとした表情で。
「私達にいい様に言ってますけど、その商売の仕方でポーションの需要を一手に引き受けようとしているだけですよね?むしろ瓶売りの方が不都合、とか?」
何故…そのことを!
「言っておきますが、瓶は一本…大銅貨1枚以上するのですよ。なのに何故、金額の引き上げを…」
「あら、商人さんなら、ポーションを売りながら、隣に置いておいてそれ以上に儲けるのじゃないかしら?大量に仕入れて割引して貰うとか?」
痛いところを突く。しかし、それは墓穴です!
「それなら、あなたがたのポーションも…」
「需要と供給から考えると、ポーションの方が高いはずですよ。さっき商人さんが言ったじゃないですか、空き瓶なんて雀の涙以下の価値と」
この小娘…!
「瓶がなければ、液体のポーションをどうやって運びますか?」
なんなんだ…この小娘は。この力は一体?
まさか勇者か?こういう能力を持つ勇者がいると聞いたことがありますが…。
「商人さんは、さっき重さで買う、そして入れ物に補充して売ると言いましたよね?つまり、持ってきた物がなんであれ量で売るつもりですよね。王国の兵士には樽に入れたまま。家庭になら持ってきた鍋にでも入れてあげる。だから、瓶なんて”必要ない”と言ったんですよね?」
嘘をつけない自分が情けない。
いや、嘘を付かない方がいいと思ったのはあのカミラという女性が物分かりがいいからですし、これは仕方ないと割り切るしかないですね。
それにしてもこの小娘はそんな小さなことからそこまで答えを…
そこまで考えふと嫌な予感がしてしまう。
答えを出すことに特化した能力…まさか―
「正直なんですね」
「う…しかし…」
「しかも瓶なんてすぐ割れるものですよ。ずっと残り続けるって考える方がおかしいですよね?あなたは、冒険者が追加でもう一本買っていくとか、そういう副産物的な利益を狙っている。違いますか?」
「―っ」
絶句した。この小娘は…一体どうやってそのことまで知ったのですか?
やはりあの勇者の能力『神の恩寵』の『回答者』を持っているとしか思えません。
「ですが、手数をかけることですし…」
フローリアと呼ばれる女性が小さく笑ってみせる。
可憐な笑顔ですが、私の背筋が凍る。
「譲歩しましょう!大銅貨8枚と銅貨5枚です」
彼女が笑顔でそう宣言する。
まさしく…いや、これこそ『致命の一撃』―
情けまでかけられ、私のプライドが音を立てて崩れていく。
こんな小娘にここまでやられるなんて…私の奴隷商に身をやつしての6年がなんだったのかと言いたくなってしまう。
「フローリア…どうしたんだい?スコップを振り回してから変だぞ?」
男性が心配するような声をあげた。
「私も、カホちゃんみたいに強くなろうと思ったんです」
またあの子ですか…と項垂れたくなってしまう。
あの能力を持っている勇者がいるとなると、これ以上ボロを出せばこちらが不利になるばかりですね。本当に厄介ですよ。『神の恩寵』持ちの勇者は。それも、『神の力』クラス持ちは。
「これは…貸付金が増えなさそうですね」
諦めてそう呟くとカミラと呼ばれた女性が目を細める。
「その分そいつで稼げるだろ?」
そりゃそうですけどね。もっと楽に稼げるはずだったんです。
その『神の力』を持った小娘がいなければですが。
「当然です。私の腕ですから」
この言葉が物凄く空しく感じてしまうのは、やはり敗北から来るのでしょう。
ため息をつきたくなるのを押しとどめ、
「このポーションを調合したのは…」
「カホの家族だよ」
カミラと呼ばれた女性がそう答えた。
ここに家族がいたのか、と驚いてしまう。
「おや?カホさんはてっきりアイリスに縁か、その出身かと思ってたんですが?」
「アイリス?どこだいそれ?」
カミラと呼ばれた女性が首を傾げた。それが教養レベルの低さを感じてしまう。
そして、こんな教養レベルの村の小娘に負けた私がより惨めに感じてしまう。
「あ…そうですか」としか言えなかった。
カミラと呼ばれた女性が声を掛けるように
「おーいマリアちゃん!」と呼ぶ。
マリアちゃん?ちゃん付けということはまだ若いか、カホさんと余り変わらない少女でしょう。
そう思っていたものの、声に応えて走ってきたのは…
「マリアです」
私の子達と同い年くらいの少女だった。
「こんな小さな子が…」
私の子達はまだ十分なスキルを覚えていないのに…
悔しくてこの場を離れたくなってしまう。
しっかり教養をし、語学を学ばせた。体力もある。
そう全ては天才や秀才に比肩出来なくとも、一個人で見れば優秀だと呼ばれる為に…
それを…こんな…
「良かったね。あんたのポーションちゃんと完成してたよ!」
「本当!?」
マリアちゃんと呼ばれた少女はカミラと呼ばれた女性の言葉に、私の子達を褒めた時と同じように飛び跳ねて喜んだ。
そして、自分のやってきたことが否定された気がしてしまう。
こんな一人の幼女に…しかも天才に!
何が何もない村ですか!?勇者もいれば、天才もいる!こんな状態なのに何故今まで隠し通してこれたのですか!?ここの村長はよっぽどの阿呆なのですか!?
叫びたくなる言葉を必死に堪え、ため息を吐く。もう耐えられない。
思えばこの状況を作ったのは、カホさんです。
本当に変わった子ですね。
しかし、何も悪いことではないことは分かってしまいます。
この村なら間違いなく、あの子達を幸せにしてくれるでしょう。
そう思うと、心が温かくなってしまう。
「ははは!これはいい!よい巡りあわせです。是非、取引させて頂きたい!」
思わず笑ってしまう私が、今の状況を楽しんでいることを理解させられてしまう。
人生は驚きの連続です!
「ウェンさんでよろしいですね!」
「なんで俺の名前を…」
「カホさんから聞いたんですよ。ゴブリンの大群を前に一歩も引かずに戦い、そして勝利を収めた方と」
私の言葉にウェンさんは照れたように頬を掻いた。やはりこの人は曲がった事が嫌いなだけで、村の家族を守ろうと敵意を向けていただけなのですね。
ならば、この人から信用を勝ち取るのが私の…あの子達への最後の手向けです。
「そして何よりも曲がった事が嫌いなあなたなら、この子達の成長を歪ませることはないでしょう」
そういってから、これでは足りないことくらい分かってしまう。
だからこそ、私は全てを使って見せる。
負け続きでも、これだけは勝って見せましょう。
「この子達をお願いします。私の大事な商…いえ、大事な”家族”です!」
頭を下げ、ただこの子達の将来を思い、伝える。
ウェンさんは困ったような表情をしていたが、その背中を押すようにカミラと呼ばれた女性がその背中を叩く。
「バカ亭主…あんたはどうすんだい?ここまで来て村長代理のあんたが首を横に振るなら仕方ないけどね」
本当に出来た女性だ。男の顔を潰さずにそんなことを言えるなんて。
ウェンさんは少し逡巡したように考えたものの、首を縦に振り。
「―分かったよ。引き取る。だが、もうこの子達を奴隷と言わないでくれ。この子達はこれから自分で生きて、自分で道を見つける。もう、だれかの道具じゃない」
ウェンさんはそこまで言うと、決心したように私を真っすぐに見つめてくる。
「これからはこの村の家族だ!」
ああ、そうか。
彼の姿に誰か―いや、あの赤い髪の少女の姿が連想されてしまう。
「勿論ですよ」
ウェンさんの答えは、青臭いが、心地いい。こういう顧客を待っていました。
カホさんに似ているのか、それともカホさんが似たのか…それは分かりませんが、あの子の道には必ず彼の影響があるのでしょう。
「あと、言い過ぎた。すまなかった」
ウェンさんは謝って見せた。それもあの子と似ている。
思わず笑顔をこぼしてしまい、
「こちらこそ、無理を言いました。そして、ありがとうございます」
仲直りの儀式として握手を交わしこれで終わり…なんてことはありませんよ。
私は商人です。それも汚い手を平気で使う奴隷商人です!
カミラさんと、フローリアさん。この二人は中々手ごわいからこそ、男だけのこの場に最後の一撃…悪あがきをさせていただきましょう!
「あとですね!教材があるのです!こちらは一冊大銀貨5枚でどうでしょう?」
「まだ売りつける気か!?」
「全20冊ありますが、貸付金の利息をこっちは半分にします。さらにはなんと全巻購読で金貨2枚分をお引きしましょう!さぁ、このチャンスは今だけです!どうでしょう!?」
「今はあなたからの借金があるんだからまた今度にして下さい!」
やはりそうなりますか。ですが、知っていますか?あなたは勇者ではなくとも正義の味方なのですよ。
「それでいいのですね?」
含み笑いを見せてニヤリと笑って見せる。
「…何が言いたい?」
ウェンさんは顔をひきつらせた。掛かったと思わず小躍りしてしまいそうになる。
「そんなあなたに朗報です。なんと私の子達は、いえ、今日からあなた方の家族となる子達は識字率も高い。おまけに読み書きも出来る!」
「さっき聞いたぞ!」
「いえいえ、その子達にさらなる教養を学ばせる、またはそこのマリアちゃんにも読み書き等を学ばせるにはこれらは必須かと!」
ウェンさんは顔を引きつらせ、一瞬何も知らないマリアちゃんに視線を落とした。
そう、それでいいのです。子供を思うあなたは助けざるをえないでしょう。
「―っく、子供を盾にするのか…なんて卑劣な!人の心がないのか!?」
私はその言葉を笑って見せる。
それは私が勇者や正義ではないからこそ出来るのです。悪だからこそ救える『物(財布)』があるのです。
「さぁ、どうします!さぁ!さぁ!」
私が嗤うとウェンさんは一度目を伏せ、口を開きかけた。
これで、私の…
「なにやってんだいバカ亭主」とカミラと呼ばれた女性。
「今はいりません、って答えでいいんですよ。借金を返してからです」とあのにっくき小娘。
二人から止められウェンさんは小さくなり、「ごめんなさい…」と素直に謝って見せた。
思わずため息が出てしまう。
「また空振り…ですか。ははは、残念です!まぁ、また様子を見に来た時に売りつけるとしましょうか!」
ここまで敗北するといっそ清々しいものです。
まぁ、それでもこの子達をここに預けられるのなら、吉としましょうか。
唯一の勝利は大きかったですし。
「ほら、今日からここがあなた達の住む家ですよ」
と声を掛けると、ファウ達が馬車から降り出した。
ファウは戸惑いながら「皆で?」と私に聞いてきたので頷いてみせると嬉しそうにその表情を綻ばせた。
カールはきょきょろと見回し、マリアちゃんと目が合うと恥ずかしいのか目線を逸らした。
私から見ても、確かにあの子は可愛らしいと思う。昔、エルフの子を見ましたが、その子と比べても遜色ないでしょう。
ペイルは丁寧にこれからお世話になるウェンさんとカミラさんにお辞儀をする。
ホロは一瞬、暗い顔をしたものの、少しだけ泣きそうな表情をし「ありがとう」と小さな声でお礼を言ってくる。
そして、一人だけ降りてきていないことに気付き、手が焼ける子に手を伸ばす。
ラーニャを抱き上げると、
「おじさんは?」
そう聞いてくる。
「私は旅に出ます」
何とか絞り出した答えがこれしかなかった。
ラーニャを降ろし、ウェンさんの前へと行かせ「手のかかる子ですが、お願いします」と念を押す。
ウェンさんは小さく頷いてみせた。
「もっとマシな言い訳はないのかい?」
カミラと呼ばれる女性が呆れてみせた。
ラーニャは泣きそうな表情で、俯きながら。
「…じゃあ、また会えるよね?」
また会える可能性…そんなことを言われても、応えかねるとしか言えません。
魔物が多いアルトヘイム領で生きてまた会える可能性は…
「会える!」
声をあげたのはウェンさんだった。
ウェンさんは不安げなラーニャの肩を叩き、私の目を見るように伝えると、
「君達は預けられただけだ。この人は見捨てた訳じゃない。この人は必ず会いに来る!そうだろ!」
ウェンさんの瞳が強く…いやあの赤い髪の少女の持つ光に似た温かさを感じる。
「本当…」とラーニャがまだ不安そうではあるが私を見つめてくる。
答えよう。素直に。私の思うがままを。
「ええ、勿論ですよラーニャ。…あなたとの6年間の旅はとても楽しかったです」
これだけでは別れの言葉ですが、まだですよ。
「だからこそ、こんなところでお別れではありません。まだまだ、あなた達の成長を見たいんです私は」
そうだ。私は自分の売った奴隷を見捨てたりはしない。それが私のプライドでもある。
ラーニャの頭を撫で、
「必ずまた来ます。だから、いい子でいるんですよ」
私の言葉をラーニャは涙で腫らした顔をしっかりと拭い大きく頷いた。
「絶対だよ!絶対…ラーニャが大きくなるまでだよ!」
「ええ。当然です!あなたは達が大きくなるまで、ずっとです!」
これは無理な約束をしてしまいましたね。
私がいつまでも生きてここにたどり着くなんて、中々難しいでしょう。
それでも、だからどうした、とでも言いましょうか。やってやれないことはないですよ。
この子達の為なのですから。多少の無茶くらいしましょう。
「ほら、今日からうちの村の一員の子達だ。挨拶しときな!」
カミラと呼ばれる女性がマリアちゃんの背を押す。
マリアちゃんが一番近くにいたカールに手を出すが、カールはというそっぽを向いてしまう。
困った顔をしたマリアちゃんに一番始めに手を差し出したのは、意外にもホロやペイルではなく、ファウだった。
あんなに引っ込み思案だったのに、本当に成長したのですね。
そうは言っても、生来の引っ込み思案が中々抜けないみたいで、言葉を出せないでいる。
「マリアです。カホお姉ちゃんの家族です!」
そんなファウにマリアちゃんは率先して挨拶をする。
ファウは嬉しそうに表情を綻ばせ。
「ファウです。カホ姉ちゃんの、お嫁さんです!」
その言葉に私…いやここにいる全員が固まった。
マリアちゃんに至っては放心している。
これは私の教育ではない。カホさんが何かしたのだろうか?もし間違いがあったのなら、あの子の首を…いやいや。
マリアちゃんが正気に戻るまで少し時間を要したが、
「カホお姉ちゃんのばかー!」
村中に響く声でそう叫ぶと、周りから笑いがこぼれた。
「カホちゃん…本当に何やってるんだよ…」とウェンさんは呆れた。
「あはは、あの子男の子にしか見えないからねぇ」とカミラさんは腹を抱えて笑いだす。
子供達は順次挨拶をしていき、膨れっ面ながらもマリアちゃんはそれに応えていく。
私は早々に立ち去る為に書類を用意し、ウェンさんに渡す。とはいっても、この子達を売る金額等は先に決めていたので、殆ど渡すだけだった。
「さてと…」と準備を済ませ村から去ろうとすると、
「変わってますね」
そうあの小娘…フローリアさんに言われた。
「それは当たり前です。私は商人です。新しいことに挑戦し開拓していくものですから。奇人変人等言われて当たり前なんですよ」
私の答えにフローリアさんは首を振り、
「いえ、子供達の心を物のように扱わず、奴隷という言葉で縛らなかったんですね」
彼女の能力は本当に厄介ですよ。しかし、妙ですね。『回答者』はあくまで現在の事象に対しての答えを導き出す能力だったはずでしたが、こういう内面に対しても回答出来るのですね。
「…さて、なんのことでしょう?私はどんなものでも余すことなく一律に見ますから。物も人も神でさえ、全てを一律に。私にとってそれ以上は金だけです」
「心は?」
そう突かれ、何も返せない。
「私は凡人です。あなたのような勇者とは違うのです」
「あはは、私、勇者じゃありませんよ」
フローリアさんは笑って返してくる。その返しの速さからよくも言えますね。はっきり言って嘘くさい。
だからこそ任せられる。私の大事な教え子達を。
「私は忙しいので、それでは、さようなら…」
別れを告げ、馬車に乗り込み出発すると、
「おじさーん、またねー!ありがとうー!」
振り返るとラーニャが手を振っていた。それに合わせるようにペイル達も手を振り始めた。皆が口々に私への感謝と別れを告げている。
思わずため息が出る…
あの子達をもっと教育しておくべきでした。
奴隷商に手を振る『奴隷』が何処にいますか。
全く、教育が足りなかった。識字率と読み書きだけでは駄目ですね。
私と別れる時に、恨みつらみと共に、自由を噛みしめ、私の背中にナイフでも投げつけるように教育しておくべきでした。
ああ、目が痛む。今年は春が早いですね。もう、目が痒い…。
「完敗ですね。私もまだまだ、ですか…」
いい風だ。
あんな子にあって、触発させられるなんて、まだまだな証拠です。
確かに感じたあの熱と光。そして、それに似た輝きに魅せられるなんて、言い淀むなんて…私はまだまだ努力が足りませんね。
ああ、そうだ。今度ここによる時にはラーニャには服を、ペイルには歴史書を、カールには剣を、ホロには絵物語を、ファウには料理の本を買っていこう。きっと喜んでくれますよね。
そうする為には私はいつまでも健康でいなければいけませんね。
まだまだ、教え足りないことが多いのですから…。
晴天の中、奴隷商は街道を行く。
こんな日がいつまでも続きあの子達の無事を祈りながら。