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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第十話『戦神』

第十話『戦神』



 酷い雨が降りしきる中、私…ことカホは森の中を走っていた。

 軒を求めて走るが近くに建物すらない。朝は晴れていたのに、気づけばこんな状態で、山の天気の変わりようの早さに驚いている。

 近くに流れている川は氾濫しており濁流となっている。

 普段なら川の近くで野営をするのが日常なのだけど、こう雨が降りしきる中では川に近づくのも気が引ける。

 幸い、水は前日に汲んだものがあるし、食料もまだある。

 川から離れて適当な岩場でも探そうかと思ったところで、濁流にのみ込まれそうな川岸に一人の少女が倒れてるのが見えた。

 慌てて取って返し、少女に駆け寄る。

 放っておけばこのまま濁流にのみ込まれるだろう。

 少女はまだ10代くらいであろう幼い容姿であり、私と一緒で起伏のない体つきをしている。しかし、煽情的とも言える肩やふとももを露出させたローブを着ており、服装と容姿がいかにもミスマッチしているようにも感じた。

 そして何よりも目が言ったのは頭から生えている羊のような角だ。

 その体を抱き起し、「大丈夫?」と声を掛けると少女はゆっくりと目を開け、か細い声で、

「う…腹が減った」

 そういい終わるとそのまま気絶してしまった。

「…え?」

 どうしようか、とも思ったのだけどこんな濁流の近くに置いておくわけにもいかない。

 少女を背負い、ついでに彼女の荷物を探してみたものの辺りにはなかったので同業が盗んでいったのだろうと勝手に決めつけ軒を探すことにした。



 濁流となった川を後にして、10分程歩いたところに、岩が丁度いいくらいに突き出した洞を見つけた。

 そこに少女の背を持たれかけさせ、私は荷物を降ろす。

 洞とは言っても二人が横になれるだけの広さはない。よくて一人分が寝られるスペースがあるだけだ。 

 それでも石が雨を凌ぐ屋根となっているので十分だ。

 それに幸いとも言えるのは、恐らく誰かが前にここを使っていた跡があることだ。火を使ったであろう焦げ跡、そこまで濡れていない木や枯草が残されており、手持ちのミグの実を使うことで火を起こすことが出来る。

 焦げ跡を軽く掘り、その周りに軽く石を積む。火をつけて、剣を土台にしてその上に鍋のように使っている鉄製のお弁当箱を置く。

 食事の調理を軽く済ませ、とりあえずぼとぼとになって気持ち悪い鎧を外し、ついでに服も脱ぎ着替えておいた。

 しぼると結構な水が出てくる。

 連れてきた少女の服も脱がそうかと思ったものの、煽情的なローブを少し捲った後にやめることにした。具体的に言うと下着すら履いていない。

 さすがに全裸で寝ころばせるのは気が引ける。それに、ローブの布面積が小さいので、水に濡れていてもそこまで気持ち悪くないだろう。

 彼女が起きて、気持ち悪いというのなら、着替えくらいは貸そうと思う。最も、貸せるのは常日頃から小汚いと思っている麻の服だけど。

 火にあたりながら冷えた体を温めていると、ふと少女が寝返りをうつように体を傾ける。石に背中を預けているだけだったので、そのままこちらに倒れてきた。

 少女の頭が私の膝の上にその体重を預ける形になる。調理中だから少しは戸惑ったものの、気持ちよさそうな寝息を経てる彼女に野暮なことは出来なかった。

 ただ、人の頭をのせるのは意外に足が痺れる。石でも持ってきて代わりにしようかな、とは思ってしまう。

 少しの時間そうしていると、

「ん、ここは?」

 そう言いながら、私が助けた少女が目を覚ました。

「あ、目が覚めたんだ。大丈夫?」

 と声を掛けながら、そろそろ起こそうかと思っていたので丁度よかったというのが本音。

 そして、そろそろ体を起こして欲しい。ずっと正座のような座り方をしているので足が痺れてきた。

「ああ、問題ない。それより何だここは?」

「近くにあった洞穴だよ。魔物の巣になってたらどうしようかと思ったけど、雨に濡れるよりはマシかなって」

 少女は成程、と小さく言うと、手を私のふとももに伸ばしてくる。

 こそばゆくて思わず顔が引きつる。

「ふむ…」

 膝枕がお気に召したのだろうか、少女は動こうとせず、私の膝に頭を預けたまま、ぼんやりと炎を見ていた。おまけに、安定した位置を探すためだろうか、何度か頭を動かし、離れようとしてくれない。

「石じゃ、頭が痛いかなって、それに横になるには狭いし」

「ふむ。なんとも粗野で安い枕だな」

 粗野で安い…それが私の価値かぁ、と思わず漏れそうになった。その通りなのが泣けてくる。

 それに粗野で安い、と言いながらも少女は頭を除けようとは思っていないらしい。

「気に入った?」と茶化すように言うと、少女はフンと鼻を鳴らし、

「バカを言うな」

 そう言いながらようやく体を起こしてくれた。

 少し照れているようにも見える。存外、私の膝枕はお気に召したらしい。存外、私の女子力はまだ捨てたものでもないのだろう。

 少女が体を起こすと私を指さし、

「人間よ。妾は魔族のスルスト族だぞ。頭が高いとは思わぬのか?」

「あはは、ごめんね」

 魔族だったのか、と思いながらも敵意はないのは分かる。

 私に対して敵意があるのなら、膝枕をしていた時点でもっと反応があるはずだ。

 そういえば、私は一応とは言え勇者として召喚されていたのだ。それも魔王を倒すように言われて。

「魔族ってことは魔王軍だったりするの?」

「我等は戦いの神を奉じ戦士の戦いを賛美する一族だ。群で動くのは好かん」

 少女は憮然とした様子でよういうと、「何も知らんのか?」と不思議そうな表情をした。

 私は「こっちに来て日が浅いんだ」とぼかして答える。

「ふむ…勇者か?」

「それは違う」

 ずいと顔を近づけ否定すると、圧倒されたように少女は目を丸くし。

「そ、そうか…。済まぬな」

 「詫びとは言っては何だが」と彼女が切り出し、

「魔族が全て魔王の味方ではない。先代の阿呆が魔族による統一などとは言って戦争を始めているがな。他を…いや、むしろ我等を巻き込まないで貰いたいものだ」

 少女はそこまでいうと、不敵に笑い。

「それにもし、先代の阿呆が協力を申し出てきていたのなら、即座にその場で首を落としてやるさ」

 少女はそこまで言うと笑いだし「まぁ、落とす首はもうないがな」と物騒なことを言う。

 魔王も代替わりするんだ、と見当はずれのような答えをしておいた。

 戦う気はなくても、少し話してみたいとは思っているのは、自分がバカなのだろう。いや、分かり切っていることだけど。

 少女の方から小さく、可愛らしいお腹の音がする。

 少女を見ると、顔を少し赤くする…なんてことはなく肉を一心に見ている。

 お肉が好きなのだろうか?

 肉も表面を見る限り、丁度いい感じだ。食事の準備が整ったので、剣を火から離し、

「はい、どうぞ」

 お肉の入った入れ物を差し出すと少女は目に見えて嬉しそうな表情を浮かべ、

「気前がいいな。まぁ、それも仕方ないだろう。妾は貴様より強いのだからな。存分に媚びるがいい。もちろん、命は助けてやろう」

「あはは。じゃあそうしておくね」

 入れ物を渡すと少女は憮然とし、

「なんだ?変なことでも言ったか?」

「お腹減ってたんでしょ。元からあげるつもりだったから」

 私が何か変なことでもいったのだろうか?少女は首を傾げ、

「変わった奴だ」そう言いながらも肉を素手で掴み口の中に放りこんだ。

 随分豪快な食べ方だ。結構大きめに切っていたから頬が膨らみ、もちゃもちゃと音を立てながら食べている。おまけに手に着いたであろう油を舐めて見せ。

「ほう。これは…中々粗野な料理だな。ただ焼いただけか」

「お気に召さなかったかな?」

 私の言葉に少女は少し慌てた様子を見せ、

「気に障ったか?すまんな。こういう言い方しか知らんのだ」

 遠回しだけど気に入ったくれたようだ。まぁ、岩鹿の肉の傷んだ部分を切り落として焼いただけなんだけど。

「あはは、料理は得意じゃないんだ」

 私はそんな言い訳を言いながら、もう一枚焼いていた肉を取る。

 それを少女がジッと見てくるので、「いる?」と聞くと、「当然だ」と不遜な態度ながらもそれが美味しかったと言ってくれているようで嬉しかった。

 少女にもう一枚の肉をあげると、また一口で食べてしまった。

「おいしい?」

「うむ。粗野…ではなく、美味だ。肉など久しいからな。褒めて遣わすぞ」

 今度は先ほどの言動を踏まえてか、素直に美味しいと言ってくれた。

 何だか妙に嬉しい。もっと料理の勉強をして、この子を餌付け…じゃなくて色々食べさせてあげたい。

「もしかして何処かの国のお姫様だったり?」

 言葉の節々から漂う傲慢さというか高貴さ?がそれを物語っている気がする。

 正直言葉の高貴さ等というのはあまり詳しくない。

 吾輩は猫であるの猫のようだ、と言えばいいだろうか?

「我等は国等持たん。だから姫等と言われても違うとしか答えられんな」

 国を持たない魔族か、とぼんやりとした感想しか生まれなかった。

 人間にだって国を持たない部族はあるし、そんなに不思議でもないか、と勝手に納得しておく。

 もう一つの料理を少女に出すと、少女は一瞬顔をしかめた。

 自作の匙を渡すとそれも消えたので、手で食べさせようとしたと勘違いされたのだろうか?

「こっちはシチューか」

 そう言いながら私の作ったスープを匙でかき回し始めた。

 食べられる野草が完全に溶けてしまい、肉の油が浮いてて少し濁っている。見た目は確かにシチューだけど、シェフとしてはスープです。

 勿論、そのことに少女も気づいたようで「すまん」と謝ってくれた。

 少女は訝しみながらもスープに口を付け、顔をほころばせた。

「ふむ、塩が利いておる。戦いに不可欠な塩を我に振舞うとは中々殊勝な心掛けだ」

 塩は確かに貴重だ。なにせ、小さな一袋だけで銀貨1枚もするのだから。

 なんとなくだけど、銀貨が千円札くらいの価値と思っている私にとって、小袋一つで千円もする塩というのはぼったくりとしか思えない。

「旅に慣れてないの?私もだけど」

 私も自分の作ったスープを口に運びながらそう聞くと、少女は目に見えて不機嫌そうに眉をひそめた。

「なんだと?貴様のような人間と一緒にするな。我等一族はその生涯を武芸の旅に出ている」

 そう言われても餓死しそうになってたし。

「獣とか狩らないの?」

 少女は「狩れれば狩っている」とため息を吐き。

「妾のスキルの所為だろうな。この辺の低級の魔物は我の威圧オーラで避けていってしまうからな」

 スキル?よく分からないけど魔族が持っている特殊能力なのかな、と適当な解釈をしておく。

「まさか空腹に負けるとはな」と少女がため息を吐いた。

 その姿は年頃の少女そのものであった。思わず小さく笑ってしまい。

「そういえば武器は?」

 私の言葉に少女は首を振り。

「そんなものはいらん」

 いらないのか、便利なのに、と先ほどまで鍋を温める為に使っていた剣を見つめる。

 ここまで折れず曲がらず、ずっと私と一緒に戦ってきたけど、こんな主人に使われていることが不憫に思えて仕方ない。

「魔法使いなの?」

 武器が必要ないなら、と聞いてみたが、少女は困った表情をし。

「魔法使いというのは人間としての杓子でか?」

 魔法使いの杓子…と言われても分からない。そもそも、言い方から察するに魔族と人間では魔法の捉え方が違うのだろう。

「ごめん分からない」

 私が謝って見せると、少女は呆れていた。

 しばらく食事を楽しみ、ふと少女が私の顔をじっと見てきた。

 また、男と間違われるのだろうかと不安になったものの、少女は不思議そうに。

「ふむ。しかし、変わっておるな。我のスキルの効果を受けんのか」

 そんな独り言をつぶやいた。

 それから、雨が止む気配もなく、仕方なくここで眠ることにした。

「ちょっと狭いけどごめんね」

 私の荷物もあるので一人がようやく横になれるくらいなので座って眠ろうとしていると、

「おい、こっちに来い」と少女に手招きをされた。

 そのまま座るように促され、私が座ると少女は自然と私の膝に頭を載せ横になった。

「気に入った?」

「感謝しろ。使ってやる」

 憮然とした表情ながらも声色は明るい。

「ふふ、ありがとう」 

「気色悪い笑い方をするな」

 少女は不服そうながらも、その口元が僅かに綻んでいた。

 魔族がどういう種族なのか全く分からないけど、こうやって自然と体を預けてくれている姿から見ても分かり合える種族に違いない。

「おやすみ」

「うむ。歌でも歌っているといい」

 いきなりのご所望に驚いた。小さく一度咳払いをする。

 こちらに来てからあまり歌っていない。喉は大丈夫だろうか、と少し不安だ。

 歌はそんなに得意じゃないから人前で歌うのは小恥ずかしいけれど、ただ、歌うことは好きだ。

 この少女が歌って欲しいというのなら、頑張って歌ってみよう。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 歌うのは私が小さい頃…風邪で寝込んでいる時や、眠れなかった夜にお母さんが歌ってくれた子守唄。

 ゆりかごに揺られる子供を見守る優しい歌。

 そこには種族だとか、生物であるとかそういうものは全て抜きに、一つの命を優しく見守り、起こさないようにしている優しい世界。

 下手だから技巧には凝れない。ビブラートとかそういうのはナシで、ただ自分の出来る限り音程だけを合わせる。

 これを選んだのは別にこの魔族の少女を子供や赤ちゃん扱いしているからではなく、やっぱり好きな歌だからなのだろう。

 一曲を歌い終えたところで次は何にしようかと思案していると、

「よい歌だな…」

 少女がぽつりと呟いた。

 どうやら気に入ってくれたらしい。好きな歌だけに私も少し嬉しくなってしまう。

 少女は私の膝枕で寝転がったまま、

「カナリアとはなんだ?人間の国の神か?」

 どうやらこちらの世界にはカナリアはいないらしい。それが少し寂しく感じる。

 自分の愛したあの世界ではない、新しい世界にいることが如実に分かってしまうから。

「鳥だよ。私の故郷にいる黄色い鳥で、可愛らしい声で鳴くんだ」

 自分の愛した世界に別れを告げるようにそう説明する。

「そうか…見てみたいな」

 少女のその言葉が何だか嬉しかった。

 興味を持ってくれるだけで、話すだけで、その都度にあの世界を忘れないように思い出させてくれる。悲しい思い出も辛い思い出も多かったけど、それらをすべてひっくるめて私はあの世界を愛していた。

「何をしている。もう一度だ」

「寝ないんだ」

「そのうち寝る。黙って続けよ」

 不服そうというより子供がねだるようで可愛らしくみえた。

「黙ってちゃ歌えないよ」

 思わず茶化すと、少女は膨れっ面になり。

「…もう知らん」

 拗ねるような言い方がより一層可愛らしく見え、その頭を撫でながら、

「ごめんごめん。アンコールね」

 そう前置きをしてからもう一度、私の下手な歌を披露する。

 気付くと雨は小雨になっており、風も穏やかだ。

 そんな優しい伴奏のような音達と合わさり、少しだけ上手く歌えた気がする。

 少女は聞きながら「優しい歌だな…」とポツリと呟き、ゆっくりと小さな寝息を立て始めた。

 私はその少女が眠るまで見守り、それからゆっくりと瞳を閉じた。

 目を閉じると、さっきまで私が歌っていたあの歌をお母さんが歌ってくれているのを思い出し、私も微睡の中へと落ちていく。



 明るい光が瞼を打つ。目が覚めると、いつの間にか横になっていたことに気付いた。

 あの魔族の少女の姿を探すと同時に、

「世話になったな、人間」

 少女は既に起きていたらしく、私の目の前に立っていた。

 その背中には青空が見えており、石の屋根から僅かな水滴が地面に落ちていた。 

 私は起き上がり、「おはよう」と声を掛けると少女は照れ臭そうに

「おはよう…」

 と返してくれた。

「妾はもう行く」と彼女が別れを告げてきたが、朝ごはんにしようか、と提案するとその足を止めた。

 迷っている様子だったが、首を横に振り、

「最後にお前の…」

 言いかけた言葉が途中で切れる。

 森の奥から何かが聞こえてくる。足音と何かをなぎ倒す音だ。

 そして少しの間してその音を出して者が姿を現した。

 老人のような顔をした子供のような体躯をした魔物ゴブリンが二匹、そして、そのゴブリンを筋肉質にして大柄にしたような巨躯の魔物。

 その巨躯の魔物は手に丸太のようなこん棒を持っており、それで木々をなぎ倒しながらこちらに近づいてくる。

「あれは…」

「ほう。ホブか。あれは、まずいな…」

 少女は目を細める。

「強いの?」

「不味くて、臭いが強い」

 冗談にしても勘弁してほしい。さすがにゴブリンを食べる気にはならない。下手に私達と姿が似ていることもあるし。

 ホブと呼ばれる魔物が咆哮をあげる。敵意をこちらに向けているのは分かる。

 剣を取り、盾を掴み少女の前に出る。

「下がってて!」

「勝てるのか?」

 少女はやけに落ち着いている。相手の体躯からしても強敵だというのは分かるのに。

 私が剣を構えると、ホブと呼ばれる魔物が大きく嗤いだした。

 それが私を敵にも見なしていないというのは何となく分かる。

「わかんない。けど、やるしかないよ。」

 剣を構えながら魔物に少しずつ近づく。

「だけど、時間は稼ぐよ。その間に逃げて」

 勝てるかどうかは分からないけど、この子を逃がすための時間くらいは稼いでみせる。

「そうか。では、見ているとしよう」

 少女の緊張感のない声を後目に私は魔物の群れへ突っ込む。

 狙うはまだ丸太のようなこん棒を担いだままのホブへ。不意打ちというには堂々としているけど、構えていない以上先手は取れる。

 それに他のゴブリンは逃げるように繁みの方へと隠れた。どちらにしても私にはこれしか選択肢がない。

 剣を突き出そうとした瞬間、影が落ちてきた。

 それがあの丸太のようなこん棒だと気づいた時には咄嗟に横に飛びのいた。

 瞬時、こん棒が振り下ろされ地面を抉った。

 振動が足に伝わる程の衝撃に思わず身が竦みそうになる。そして、さらに早い。

 構えてすらいなかったのに、私の突きより早く振り下ろしてきた。あのまま突っ込んでいたら頭蓋を叩き割られていた。

 考えていられるのも束の間で、ホブと呼ばれる魔物はこん棒を横に振るう。

 それを盾で受けたものの、足が宙に浮き吹き飛ばされた。

 地面に体を打ち付け、痛みで顔が歪む。

「ぐ…この!」

 何とか立ち上がれはするけれど、尋常じゃない膂力も相まって攻略の糸口が見つからない。盾で攻撃は受けきれない。盾を使ってのパリィで跳ね除けられるような膂力じゃない。

 出来るとすれば受け流しが精一杯だけど、それもあの振りの速度では失敗する可能性の方が高い。

 相手を崩すことが出来ないなら…

 相手を見据え、駆け出す。

 ホブと呼ばれる魔物は相変わらず構えもせず、そして突っ込んできた私に対して両手でただ振り下ろしてくる。単調な攻撃だ。ただ、体躯と武器の獲物から考えてそうしているだけで反撃も受けずに倒せると考えるなら正しい判断なのかもしれない。

 それでも私には散々戦ってきた経験という名の力が勇気をくれる。

 ホブと呼ばれる魔物ではなく、こん棒を見据え足を止める。

 こん棒が振り下ろされ、地面が砕かれる。

 それとほぼ同時に、私はそのこん棒を踏み付け、一気に飛び込む。

 剣を振り、その首を狙うが寸でのところで避けられ両断とまではいかなかった。ただ、その首には浅くない傷を与えることが出来た。

 距離を測り違えないか不安だったけど、足も動かさずに振り下ろしてくるのだから、見切るのは容易。

 それに目印があった。私の位置は変わっていても、地面を砕いた後は残っている。その円周上の一歩手前で止まればいい。

 それすら気づかず安全圏で余裕を見せ、弱いからと舐めてかかった報いだ。

 ホブは切り裂かれた首を手で押さえ、着地した私目掛けてこん棒を横薙ぎに振るう。

 片手での振り…とは言っても遠心力がついているし、体の大きさの違いからパリィで弾き上げることも出来ない。

 一歩踏み込み、腰を深く落としながら腕の下へと潜り込む。

 こん棒は空振りし、そして無防備になった脇腹へ剣を突き刺す。

「ガラ空きだよ!」

 剣に力を入れ切り裂こうとした…ところで不意に頭部が揺さぶられた。

 突然の出来事に訳が分からず、ふらつき倒れそうになる。

 痛みが遅れてやってくる。頭部への鈍い痛み…

 理解するより早く、私の体が吹っ飛ばされた。吹き飛ばされる瞬間、ホブと呼ばれる魔物の足が見えたからきっと蹴られたのだろう。

 地面に転がり、何とか立ち上がる。

 まだ頭がくらくらする。痛みを感じた頭部に手を触れると赤い液体が手についているのが分かった。

 そして、私の頭を打ったであろう石が転がっているのも…。

―投石

 忘れていた。ゴブリンは群れで動く時、遠距離型が混ざっていることを。

 逃げたんじゃない。隠れたんだ。

 揺さぶられ、ぼんやりとする頭をなんとか正気に戻し、剣を構える。

 まだ動ける。そう言い聞かせ一歩踏み出す。

 不意に私の右肩に激痛が走った。

 痛みで足を止めてしまう。その正体を見てみるとそれは一本の矢だった。

 二匹とも遠距離で攻撃をしてくる。

 だからといってどの辺りにいるかは分かっても、正確な位置が分からない。

「この…」

 一方的な攻撃に折れそうな心を必死に奮い立たせる。

 ホブと呼ばれる魔物がニヤリと笑い、何かを腰蓑から取り出し、私が切り裂いた傷口に塗り込んだ。

 驚愕としか言えなかった。

 傷が一瞬で治癒した。薬を塗った後には瘡蓋すらない。

 今までの攻防が全て無駄になった。

「おい、人間。そろそろ退け。お前では勝てんと分かっていたはずだ」

 少女が静かにそう言う。まだ逃げていなかったんだ、と言っている暇もなく、私は駆け出す。

 痛みでおかしくなりそうだ。それでも、戦わなければ生き残れない。

 剣を振るおうとするものの、駆け出した私目掛けて石が打ち付けられ、矢で足が止められる。痛みで歪む視界の先からあのこん棒で薙ぎ払われる。

「がぁ!」

 吹き飛ばされ、苦悶の声が漏れる。攻略の糸口が全く見つからない。

 瀕死の私にトドメを刺すためだろうか、ホブと呼ばれる個体がゆっくりと近づいてくる。

 下卑た笑みを浮かべ、弱ってボロボロになった私を蔑むように。

「お願い…逃げて」

 立ち上がり少女を背にするが、少女は私を遮るように前に出た。

「向かってくるか…どれ、受けてやろう…」

 少女は自身満々だ。だけど、その体に向けて石と矢が放たれた。

 痛みが走る。

 思わず飛び出しいて、少女を庇う形になった。

「人間…」

 背中に刺さった矢が意識を奪ってくる。泣き出してうずくまってしまいたい。

 それでも、歯を食いしばり矢を引き抜き少女をしっかりと見つめる。

「大丈夫…!だから、逃げて…」

 息も絶え絶えでこんな傷だらけなのに説得力ないよね。

 膝が笑い、そのまま倒れそうになる。必死に耐えて剣を握り、近づいてくるホブと呼ばれる魔物を睨みつける。

「今は休め、後は任せよ」

 少女はそういうと私を支えゆっくりと地面に腰を下ろさせてくれた。

 魔物達は嗤いだし、ホブに至っては嗤ってこちらを指さしている。悔しい。

 私を休ませると少女はホブと呼ばれる魔物を睨みつけ、

「勇猛なる戦士に非道の仕打ち、戦士としての誇りは無いのだな…」

 そこまで言うと手を振り上げた。

「貴様ら…覚悟は出来ているな!」

 少女の怒声が響き渡る。そして彼女から風が流れるのを感じる。その正体が何かは分からないけれど、その風にホブと呼ばれる魔物がたじろいだ。

「ヴォルデモード!」

 少女が天に向かって手を上げ声を響かせる。

 それに応えるように空が光り、その正体が地面を砕きながら降り立った。

 空から降ってきたのは一本の大斧だ。少女の身をゆうに超える巨大な戦斧。

 少女は斧に手をかけると軽々と持ち上げてみせる。その姿は明らかに異質だった。

 ホブと呼ばれる魔物はたじろぎ、逃げようとする素振りを見せたが、何かに後押しされるように咆哮をあげて威嚇し、こん棒を振り上げ吶喊してくる。

「来るか。ならば応えよう。参る!」

 少女がホブと呼ばれる魔物を見据えた瞬間、何かが彼女の頬を切り裂いた。

 それが矢だと分かるのに数瞬要した。

 少女は肩を震わせ、

「下種が!」

 怒りを露わにし、地面を踏み込んだ。

 その瞬間、地面が大きく割れ、振動が私にまで伝わる。

「姿を隠して水を差しおって、戦いを侮辱するな!」

 少女が手を振るとゴブリンが隠れているであろう繁みに光が収束し、轟音と共に爆裂が巻き起こった。

「魔法…?」

「下がっておれ。後は妾が引き受ける!」

 少女に諫められ、身を引く。というより完全に怒っているのが怖い。

 とはいっても、この様子を見るとそもそも私より圧倒的に強いのは分かる。どうやら足で纏いはいつもながら私だったようだ。

 ホブと呼ばれる魔物がこん棒を振り降ろす。渾身の一撃だったであろうそれは、地面を砕いたが、少女は飛び上がり、それをいとも簡単に避けてみせた。

「その闘志は、心地よかったぞ」

 斧を両手で担ぎ、小さく笑って見せた。

 ホブと呼ばれる魔物は何も出来ず、少女を睨みつけていた。

 それもそのはずで斧が振り下ろされるかと思っていたら、少女は空中で一回転し踵落としでホブと呼ばれる魔物を叩き伏せていた。

 ホブを踵落としで叩きつけ、少女はその反動でさらに高く飛ぶ。

「今こそ喝采を!妾を賛美せよ!血を捧げし神に感謝を示せ!」

 少女の声が響き、地面に倒れるホブと呼ばれる魔物にその大斧が振り下ろされる。

―一撃だった。

 何の抵抗もなく斧の刃はホブと呼ばれる魔物を両断し、轟音と共にそのまま地面ごと断ち切った。

 衝撃が森を駆け抜け手前にあった木は根元から抜け、木々の枝が吹き飛ぶ。

 ホブと呼ばれる魔物を倒したところで少女は一度その亡骸の前に片膝をつき、

「良くぞ向かってきた。誇って逝くがいい。我との戦いをリーバ神への土産話にでもすることを許そう」

 少女は言い終わると祈りをするように瞑目した。

 不意に何かが走る音が聞こえた。

 それが魔法で吹き飛ばされたゴブリンだと分かる。直撃は免れたのか、体はボロボロだが元気そうだ。

「逃げるか…腰抜けめ」

 少女が呆れるような声を出す。

 助けて貰ったことに感謝しようと立ち上がろうとした時、肩に痛みが走った。

 何かで突き刺されたような痛みだ。

 振り返ろうとすると腕を拘束され地面に引きずり倒された。

 油断していた。

 まさか、逃げ出したゴブリンとは別の個体が私の後ろに回っていたなんて。

 私はゴブリンにより盾のようにされる。

 逃げ出したと思われたゴブリンは弓矢を構え、少女に狙いをつける。

 少女は…睨んだ。

「余程、死にたいようだな…その行為、妾への侮辱だと知れ!」

 その言葉の後に地面を踏み込む。衝撃が走る。

 威圧が私の体を突き刺す。

 いや、ただの威圧じゃない。黒い靄のような目に見える怒りが辺りを飲み込んでいく。

 それはきっとゴブリンも一緒だったのだろう。息が止まったような悲鳴をあげ私を離して逃げ出した。

 だが、その体は瞬時に捉えられ首から掴み上げられる。

 ジタバタと暴れるゴブリンを、怒りで赤く染まった目で睨みつける少女は鬼や悪魔にか見えなかった。

 それに、さっきまで前にいた少女が一瞬で私の後ろにいたゴブリンを掴んでいた…なんて目を疑ってしまう。

「戦いを愚弄した貴様等は黄泉路にすら送ってやらん。魂諸共消し飛ばしてくれよう」

 ゴブリンが声にならない叫びをあげたが、その体が閃光に包まれ、そして爆裂音と破裂音が響き、衝撃と爆発と共に塵も残らずに消え去った。

 弓を構えていたゴブリンは弓を投げ出し走り出していた。

 少女は一度、膝を曲げ、飛び込んだ。一歩で10メートルはある距離を詰め、大斧を振り被る。

「どこへ行く?死んだ仲間が待っているぞ?」

 ゴブリンの悲痛な声が響き、大斧が振り下ろされた。

 後には無残にもバラバラとなったゴブリンの死体だけが残りその一撃の凄まじさを物語っていた。

「戦いを汚し、勇敢にも挑み敗れたともがらを見捨てる者達よ、貴様らには地獄すら生ぬるい」

 少女は怒りを露わにし、大斧を地面に突き刺す。その衝撃で砕けた地面が破片となり空を舞う。

「よし、終わったぞ人間。お前の…」

「おぐぅ!」

 私は飛来する石を避けられずに顔面に直撃した。

 倒れ、薄れていく景色の中、少女が駆け寄ってくるのが分かる。視界が完全にブラックアウトしてからも、

「おい、人間。生きてるか?」

 と声を掛けてくれているけど、立ち直せる気がしない。

「おーい…」

 その声を最後に私の意識は闇に飲み込まれていった。



 顔が痛い。頭も痛い。体も痛い…のだけど、妙に頬が柔らかい。

 温かい感触を不思議に思いながら目を開けると心配そうな表情をした魔族の少女の顔がすぐ近くにありこちらを見ていた。

「うん…?」

 状況が飲み込めず体を起こそうとし、不意に少女のふとももが見えた。

「起きたか?世話を掛けさせるな。人間」

 ため息混じりに少女がそう言ってくる。

 どうやら気絶したらしい。そして、今の状況は膝枕をしてくれているのだろう。

 よくよく見ると昨日眠った洞にいることも分かる。

「起きたのなら体を起こせ。重いぞ」

 少女が体を揺すり、私の頭を除けようとする。

「何か気持ちいいね」

 折角なのでもう少しこうしていたい。笑顔を見せてみるが少女はまたもや呆れたようにため息を吐き。

「当然だ。生まれが違う」

「酷い」

 私の答えに少女は小さく笑って見せた。

 年頃の少女のような笑顔に思わず安堵してしまう。さっきの怒髪天が恐ろしかったから。

 膝枕が心惜しいが体を起こすと少女は何かを取り出した。

 黒焦げた緑っぽい肉だ。狩ってきたくれたのだろうか?

 それにしても、もう少しマシな肉はなかったのだろうかと、そのビジュアルに戸惑ってしまう。 

「ほら、喰うがいい」

 差し出された肉を受け取り、余りの見た目のグロテスクさに顔をしかめながら、安全かどうかを確認してしまう。具体的に言うとまず臭い。

「臭い…」

 どぶ川のような腐った臭いがする。

 これは食べ物じゃないと思う。

「喰え」

 少女はさらに強く言い迫ってくる。威圧に押され恐る恐る口に運ぶ。

 もちゃりとした独特の気色の悪い食感と、歯応え。さらに見た目通りの不味さに噛むのを途中で止めてしまう。

「固い…まずい…」

「飲み込め。喰え」

 魔族の少女が折角作ってくれたのだ、吐き出す訳にもいかない。

 必死に噛み、その度に溢れてくる不味さに気が遠くなりそうになりながらも、何とか飲み込む。

 飲み込んだ瞬間、胃が異物を除去しようと逆流してきそうになり思わず口を手で押さえる。

「うぷ…なにこの肉…」

「ふむ。仕方あるまい。ホブの肉だ」

 それを聞いてさらに吐き気を催す。ゴブリンの親玉みたいなものの肉を食べさせられるとは思っていなかった。

 吐きそうになっている私をよそに少女は背伸びをし、

「戦士の魂を断てば、肉を喰らうのは我々の掟だ。その者が生きてきた歴史を尊ぶ。それが例え貴様らオーガ以下の味の人間であってもな」

 戦士の掟。その命を尊ぶ。そういう高尚な行為というのは分かったけど、それを私に適用させようと思ったのはなんでだろう。

 嫌がらせかと思ったよ。むしろ、嫌がらせとしてやってくれた方が精神的に楽だよ。

「そうなんだ」

 どうでもいいけど、オーガの肉も不味いんだろうなとは思った。

「食したな」

 少女がニヤリと口元を歪めた。

 驚いている私を後目に少女は立ち上がり、「立て、人間」と命令をしてくる。

 言われるがままに立ち上がった私の手を少女は掴み、強引に洞から連れ出す。

 先ほど戦っていた場所まで来ると、少女は私の剣と盾を投げつけてきた。

「来い」

 言われた言葉の意味がわからず茫然としてしまう。

 そして少女が私を睨んできたのでようやく理解出来た。来いというのは、「かかってこい」ということ?

「ちょ、ちょっと待って!どういうこと!?」

 戦う理由もない。そもそも勝てる訳がない。ホブ相手にぼこぼこにされた私がホブを一撃で倒してしまえるような人とどうやって戦えと!?

 少女は空を仰いでみせ、

「我等は戦士を祀る一族だ。貴様の勇気に戦士の心意気を見た」

 少女はそこまで言うと私を見据える。

「妾が勝てば人間、貴様の魂をリーバの元へ、貴様の肉と勇気を妾が血肉と魂の糧とする」

 少女が言い切ると、天に向かって手を上げる。

「ヴォルデモード!」

 鋭い言葉に応えるように天からあの大斧が現れ地面を砕いた。

 少女は大斧を片手で担ぎあげ、私に不敵な笑みを向ける。

「…貴様が勝てば、我等が戦いの神の祝福を授けよう。そして、妾のこの身も、この魂も貴様に全て捧げよう」

「そんな…」

 いらない!と言いたい。色々と言いたいことはある。

 戦いの神の祝福なんて欲しくないし、そもそも私は女の子だし。

「問答無用!」

 魔族の少女が飛び込んでくる。

 僅か一歩で距離を詰めてくる。

 慌てて、剣と盾を手に取るも瞬時に蹴り飛ばされた。

 手加減してくれているのか、鈍い痛みだけが響く。ホブを一撃で昏倒させれる程の膂力を持っているにも関わらずこれで済んでいるのは彼女の優しさなのだろうか?

 顔を上げると彼女が大斧を振り上げていた。

―これは死ぬな

 少女の目は本気だ。多分両断してくる。

「ぬああぁぁ!」

 慌てて一歩踏み込み、盾を振るう。

 パリィ―

 違和感が走った。少女は片手だけで大斧を振っているにも関わらず、ビクともしない。

 そのまま、力に逆らえず吹き飛ばされた。

「ぬるいな」

 少女はため息混じりに言葉を漏らし、ゆっくりと近づいてくる。

 立ち上がり盾を構えるも、それを蹴り飛ばされのけぞった私に、少女は足を踏みかえてもう一撃蹴りが放たれた。

 余りの衝撃でまももや地面を転がることになる。おまけに鳩尾を蹴られたことにより息が詰まり、痛みで動くこともままならない。

「お遊戯会のつもりか?子供でももう少し思慮深いぞ」

 少女がまたもやゆっくりと近づいてくる。

 盾を構えてみせたところ少女が首を振った。

「戦う気はないと…。ならば、その腕ごと切り落としてくれよう」

 大斧を下段から切り上げるように振るう。こちらの盾…いや腕を狙っている。咄嗟に盾を持つ手を引き、前へと飛び込む。

 斧の刃が肩と腕を掠める。斧が振り上げられる瞬間を狙い盾で相手の腕ごと…

「あれ?」

「なんのつもりだ?」

 両手持ちで…しかも左手を支柱にして持っている…。つまり私が弾いたのは何も持っていない右手…。

 しかも、盾を掴まれた。

 引きはがそうとするもビクともしない。

「やはりこの腕が邪魔だな」

 少女の冷ややかな声が響き、私を無感動に見つめてくる。

 射すくめられ足が止まってしまう。

 少女は片手で大斧を振り下ろしてくる。

 それはこのまま盾を腕と共に切り落とす軌道だ。

 私が悪いのだろう。戦いと言っていたにも関わらず、剣を振るうことを恐れてしまった。

 不意に少女の目に光が見えた。泣いている…。

「だあぁ!」

 気付いた時には剣を振るい、斧の刃に当て力の限り振り抜く。

 高い金属音が鳴り響き斧の軌道は逸れ、少女の背の方へ向かい地面を砕く。

 私は咄嗟に盾を手離し距離を取る。

 少女は驚いた表情をしていたが、すぐに笑みを浮かべ盾を投げ捨てた。

「そうだ。それでいい!」

 少女が地面を斧で切り裂きながら突っ込んでくる。

 両手で剣を構え、しっかりと少女を見据える。

 何が目的かなんて分からない。彼女が本気なら私はとっくに死んでいる。

 何かを伝えようとしている。それか、戦いを教えようと手解きしているようにしか見えない。

 だから、もう格好悪いところばっかり見せられない。泣いている姿なんてもう見たくない。

 斧が振り上げられる瞬間を狙って、両手で持った剣で逸らす。

 高い金属音が鳴り響き、衝撃は走る。一撃を逸らすだけで手が痺れる。

 片手ではきっと支えきれなかった。

 少女が連撃…斧を振り上げ、返す刃で一撃を振り下ろしてくる。体を逸らしながら、腰と肩…そして息をいっきに吐ききり、降ろされる斧に刃をあてがいながら相手の力を利用し軌道だけを変えて弾き落とす。

 少女が「ほう」と声をあげ笑顔を見せた。がら空きとなった胸部が見える。

 そこに剣を―

「どうした?何故、剣を止める?」

 剣は少女の前で止まる。突き刺せる距離だ。でも、前に突き出せない。怖くて、傷つけたくなくてこれ以上剣が動かせない。

「やれ」

 少女が斧を持つ手を離して両手を広げて見せる。

「やってみせよ!」

 私の剣を掴み、少女は刃を自分の胸に当ててみせる。もう少し力を入れれば突き刺さる距離だ。

「妾に戦士の誓いを立てて見せよ!」

 少女が激高し私を責め立てるように告げる。

 少女が剣から手を離す。私の剣はそのまま彼女を刺すことはなく、ダラリと地面に向かってその切っ先を向けた。

「私は…戦士じゃないよ」

 きっと…こんな答えじゃ納得いかないよね。怒りを買って殺されるかもしれないけれど、それでもこの子を傷つけたくない。

 少女は怒りを露わにし私の首を掴み、斧を振り上げた。

「腑抜けにも程がある!」

 私は何も言い返せず、小さく頷く。

 少女は舌打ちをし私を投げ飛ばすように解放し、

「貴様のような腑抜けに使った時間が惜しい。間抜けめ!腰抜けめ!大馬鹿物め!」

 罵倒とも悲しみともとれる言葉を吐き出した。

「ごめんね…」

「うるさい!貴様なぞもう見たくもない!消えよ!失せろ!」

 少女は俯き、怒りを地面にぶつけた。踏み込まれた場所の地面が砕け散った。

 私は荷物を纏めながら、一度少女に目を向ける。

 少女は動かず、ただ地面を睨んでいたが、顔をあげ私を睨みつけてくる。

 怒りに震えた表情をしていた。だけど、少し悲しそうだった。

「人間…名前を言え!」

 言葉の意味は理解は出来たけど、その言葉が信じられなかった。

「え?」

「名前を言え!」

 言いながら私に掴みかかる勢い近づいてきた。私を涙ぐみながら睨みつけてくる。

 答えない理由がない。

「駆け出し冒険者のカホ」

「カホ、か」

 少女は私の目を一心に見つめ。

「カホよ。今一度言う。今一度問う!妾をその剣で斬れ。さすれば、貴様に力をやろう!この先の武運長久を、英雄としての力を、全てを屈服させ、世界を覆せる程の力を!」

 少女はそこまで言うと一度言葉に詰まった。俯き、「だから…」と、か細い声だ。

 そして、顔を上げた時には涙を堪えながら、私に強く訴えかける瞳を向けた。

「―いいから妾の願いを聞け!」

 その言葉の必死さが分かる。

 願い―。

 その願いで私が斬る…ということへの罪悪感が減るのかもしれない。

 だけど、違うんだ。私は罪悪感なんかで剣を振らないんじゃない。

 私の態度だけで答えが分かったのか少女は、「そうか…」と悔しそうな表情をした。

 少女はそっぽを向き、歩き出す。

「全くとんだ腰抜けだ。戦士として喰らうに値しない。命を断ちリーバの元へ旅立たせる価値すらない!お前みたいな好機も掴めぬ者は下等なゴブリンにでも食われてしまえ!」

「ごめんね…それでも、傷つけたくないんだ。それは変えれない」

 少女が足を止めた。そして睨んでくる。

「貴様は弱い癖に、その哀れみ以下の同情を誘おうとする言葉は妾の…我等の戦いを愚弄していると分からぬのか!命があるだけでも…」

 そこまで言うと少女はハッとしたように言葉をつぐんだ。

「ごめん。でも、これが私の意志だよ。そして、答えなんだ」

 私にはもうこれしか言えない。本当に甘ちゃんだと思う。

 何を対価に貰えたとしても、それでも私はまだ怖いんだ。

 それに人を傷つけて、そんなことをしてまで力は欲しくない。

 少女は私の言葉を相手にもせず背を向けた。

「…妾はスルスト族のレヴィアだ」

「え?」

 思わず声をあげてしまう。

 それが名乗りだと分かったものの教えてくれた理由が分からなかった。

「ふん!聞こえんかったか」

 少女は歩きだし、「…もう言わんぞ」と拗ねたように言う。

「ううん。ありがとう。レヴィアちゃん」

 ちゃんと聞こえていたからこそ、その名を呼ぶと彼女は振り返り、駆け寄ってきた。

 そして、私に飛び込んでくる。

 その体を抱き留め…首筋に噛みつかれた。

「ぎゃあー!」

 痛い!歯が食い込んでいる!?

 引きはがそうにもとんでもない力で掴まれてビクともしない。

 少しして噛みつてきたレヴィアちゃんは歯を離したものの怒った様子で、

「誰が”ちゃん”だ!小娘呼ばわりするな!死にたいのか!魂諸共消し飛ばすぞ!」

 痛い。絶対血が出てる。

「すみません…」

 噛まれた首筋をさすりながらもレヴィアちゃんの表情が怒っているのではなく、頬を少し紅潮させ恥ずかしがっているだけだと分かる。

「わかったな、次はないぞ」

「あはは、ありがとう。」

 頭を軽く撫でてあげると、ムスッとした表情を浮かべながらも、

「―まぁ、存外悪くないものだがな」

 その言葉の後に「お前のような弱い奴がいきがるのを冷めた目で見るのもな!」と取り繕う言葉がやけに可愛らしく見えた。

「今日は機嫌がいい。命拾いしたな。後、肉と塩と…歌に感謝しておけ、カホよ」

 指を差されたものの、そこにはさっきの鬼気迫る彼女はいない。

「ありがとう…レヴィアちゃん」

 これはフリではなく、自然とちゃんを付けてしまっただけ。まぁ、喜んでいるし、いいかな、と言った後に反省はしない。

「ふん。勝手に言っていろ」

 レヴィアちゃんはそう言い残し去っていく。

 その背中を見送り「またね」と言ってみたが「次はない、と言っているであろう!」と怒られた。ただ、本当に何となくなんだけど、心の底から嫌われている感じはしいない。

 もしかすると、本当に塩と肉とあの歌で仲良くなれたんじゃないかと思える。

 次、もしも会えたなら、今度はもう少し美味しい料理を作ってあげよう―そう思える。

 その時にもしも戦いを挑まれても、絶対にこの答えは変えないけどね。







 カホというどうしようもない甘ちゃんな冒険者と別れた後、スルスト族のレヴィアはため息をついた。

 戦いを賛美し孤高を愛する魔族。それがスルスト族。

 高い魔力を持ち、戦いの神からの祝福を受けた剛力と刃すら通さぬ体。この世界において最強の種族とも言われている生粋の戦闘種族。

 数は少なく、国を持たず、常に自分の命を懸けあって戦い、立ち向いし者へは神への試練として乗り越えた者も、そうでない者も賛美する。血塗られた教義を持つ魔族。

 スルスト族は勝てば相手を喰らい自分の血肉とし、負けた時は戦いの神の祝福と共に自分の全てを相手に捧げる。

 名前を名乗ることは殆どなく、名前を告げるのは生涯の伴侶と認めた者か、自分を打ち負かした友と呼ぶべき者のみ。

 そんな自分の信じてきた教義に泥を塗るようなことをしてしまった。

 勝ったのに、名乗らされたのは屈辱以外の何者でもない。

「やれやれ、頑固な奴だ」

 と文句を言いながら頭を掻く。

 鬼気迫るような戦いをみせ、おもわず体を疼かせたかと思うと、急に腑抜けになる。

 人間が喉から手が出る程欲しいであろう戦いの神の祝福ですら蹴って見せた。

 訳の分からん人間だ。

 弱い癖に、一丁前に一族のユニークスキルである『威圧』にすら抗ったかと思おうと、最大のチャンスをやったのにも関わらず臆病風に吹かれ剣すら突き出せない。

 しかも、自分の意志を通した…とまで言って見せた。

 思い出しただけで腹が立つ。あんな弱い人間が何故思い通りにいかん。

 拳を握り込み、すぐに力が抜けた。ため息が出る。

「これは…妾の負けなのだろうな」

 『剣(戦う意思)』は折れたものの、『カホの心(戦わない意志)』を折れなかった…私の負けだ。

 ただ、もし同じスルスト族の者にあった時に、あの首筋につけた『呪印』をどう説明をするかに困る。

 小娘呼ばわりされたことで怒りに身を任せて、カホとの出会いが嬉しくて思わずしてしまったが、あれは失策だ。

 私を打ち負かしたと説明してしまうと、きっとカホは一瞬で殺されてしまうだろう。

 そう考えると、他のスルスト族に手を出させない為に、同性だが伴侶というのも案外アリなのかもしれない。

 それに、どうせ友と認めてしまったのだ。今更、他の一族に茶化されようがどうでもいい。

 刃を交え、妾が狩った獲物を与え、相手からも獲物を受け取る。順番こそあべこべだが、友情の儀を受け入れさせたのだ。あの人間…カホも妾の大切な友人だ。

 友人も伴侶もそう変わらんだろう。妾にとってはどちらも命を懸けて守るべきものだ。

「カホ…」

 再開の時まで生きているのだぞ、そして 少しは成長しているのだぞ…

 そう願い自分の旅へと戻る。

 不意に鳥が鳴いているのが聞こえた。

 その歌を聴いていると、自然とカホの歌っていたあの歌を口ずさんでいた。

 エアリス教徒が好きそうな歌だと思っていたが、口に出すとこの歌詞の優しさが甘く口当たりがいい。エアリス神の掲げる苛烈なまでの平等や、試練はここにはない。

 優しい歌だ。

 こんな歌を作れるカホの故郷にいつか行ってみたいと思える。

―そして、二人でカナリアの歌を聞いて、琵琶を食べて、木鼠を目で追い、夜になったら月を見ながら…そして眠くなったらまたカホに歌って欲しい。

 そう思うと、思わず自分の表情が綻んでいるのが分かってしまう。

 らしくないと言って取り消そうかと思ったものの、考え直してやめた。

 たまには笑顔で歩こう。それに、こんな優しい歌を口ずさんでいては自然と怒りの表情がなりを潜めてしまう。

 ふと、私の肩に一匹の鳥が止まった。

 この辺りには余りいない鳥だ。確か渡り鳥の『冒険鳥ヴァンデル』だ。

 人懐っこくて肉が旨い、群れで動かない変わった鳥だったはずだ。

 食料には丁度いいが、私の歌を気に入ったのか共に歌ってくれる。

 折角の観客だ。なら、丁重に扱ってやろう。

「よし―共にいこう」

 そう言って、いつまで一緒にいられるか分からない弱い生き物を連れての旅を始めた。

 たまにはいいだろう。このお調子者鳥や馬鹿者鳥とも呼ばれるこいつにも、あのカホのように愛嬌がある。

 変わり者となったスルスト族の少女が歌と共に旅路を行く。



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