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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第九話『かつての英雄 下』

第九話『かつての英雄 下』


 街道を歩いていき、途中薬草の採取等を済ませた頃には日は傾いていた。

 段々と周りは暗くなっていく。

 幸い近くに小川があるし、手近なところに腰を下ろせそうな石もある。

 石に腰を降ろし、荷物を置く。

 凝った肩をほぐすようにコキコキと鳴らす。

 食事と武器の点検をするために、近くに落ちていた枯れ木と枯草を拾い集め、一カ所へと持っていき、生えているアブラダケを置き、ミグの実を添える。ミグの実に目掛けて、離れたところから剣で突くとパン―という音と共に火花が散り、それがアブラダケに伝わり徐々に火が大きくなっていく。

 適当なところでアブラダケに木の枝を差し、取り出す。

 いい感じにこんがりと焼けているが、油の塊みたいなものなので美容の大敵…なんて言ってられない。

 少し火から離し、油を落としながら、新しく買った袋から肉を取り出す。

 岩鹿の肉は殆ど赤身なので、普通に焼くとすぐ黒くなってしまう。

 焼きながらその上にアブラダケを置きじっくりと弱火で火を通す。

 ある程度焼けたところで、アブラダケごと口に運び軽く噛む。

 素朴且つワイルドな味だ。折角塩も買えたので、かけようかとも思ったが、値段が値段なだけに使いにくい。

 そういえばと女主人さんがくれたお弁当を広げてみる。中にはパンと鉄製の水筒のような鍋が入っていた。

 鉄製の水筒のような鍋には中敷きがあり、上には干し肉と魚とちょっとした葉物。下にはコンソメスープのようなものが入っていた。

 鉄なんて高価なのに…女主人さんの好意と、その優しさ、剛毅っぷりには頭が上がらない。

 水筒のような鍋は丈夫そうなので、今後は材料さえあればちょっとしたスープも作れるだろう。火で温めようとしたものの取っ手まで火が通ると落としてしまうので…

「ごめんね」と謝りながら、剣の上に載せて温めることにした。

 剣にも熱が伝わってくるけれど、布切れを巻けばそれほど気にしなくていい。少なくとも剣の使い方としては0点だけど。

 こんなに貰っていいのだろうか、と女主人さんが持たしてくれたお弁当を食べながらそう思う。何かお返しを…って貧乏な私には無理だな。

 ワイルドな焼肉をコンソメスープのようなスープに浸して食べると、中々いける。今日は豪勢だ、と独り言ちてみた。

 食事が済み、今度は装備の点検を始める。さっき酷い使い方をした剣に謝りながら、水に漬けた布切れで磨いていく。これが正しい使い方ではないだろうけど、剣の刃に血や肉片がそこら中についているので、それを落としてあげるだけでもマシにはなると思う。

 ふと騒がしい音が聞こえてきた。

 馬の蹄の音だ。

 魔物かもしれないと思い、剣の手入れをそこそこに握りこむ。

 余談ながら、食べれそうな魔物だと嬉しいと思い、音のした方向を見ると、馬が引く小さな馬車が見えた。

 馬車ということは冒険者か商人だろうと、軽く肩を落とす。

 食料を買い込むべきだったと今更ながら後悔する。

 何やら急いでいる様子だ。魔物にでも追いかけられているのだろうか?

 不意に馬車が私の前で止まった。慌てて、戦闘態勢を取ると、

「あんた冒険者か?」

 そう言って、馬車から鷲鼻の商人が私に声を掛けてきた。

「そうだけど?どうかしたの?」

 聞き返すと、商人は慌てた様子で、

「次の村まででいい。あんたを護衛に雇いたい!」

 いきなり私に依頼をしてきた。私にとっては初めての依頼だ。

「え?」

 思わずそう言ってしまった。

 そして、商人が来た方向を見る。その先にはカリデの村が見えていた。




 カリデの村での2日目が終わろうとしていた。

 夜も更け、子供達はようやく眠りについた。

 それにしても変わった子だった。赤い髪を持つ、少年のような冒険者。冒険者はあまり名前や出身を名乗りたがらないが、折角だ、聞いておいてもよかったのかもしれない。

 あんな熱と光を感じる者なら。

 この子達を割引してでも預けたい…と始めて思ってしまったのだから。

 奴隷商を始めもう6年か。

 ラーニャ…あの街での非道を見兼ねて咄嗟についた嘘がここまで板についてしまうとは自分でも驚きだ。

 そして、これこそが私の本業にふさわしいと思い大事な鎧や剣まで売ってしまったのだから。

 あの時以来、厄介事に自ら首を突っ込んで、自分の不運によく嘆いたものだが、今はそんな暇すらない。

 今まで売ってきた子供達や大人がたまに会うと、「苦労した甲斐はあった」と言ってくれるのが、何だが誇らしく思えるようになってきてしまっている。

 始めは後悔の旅だった。少しの同情でラーニャを買ってしまい、寝首を掻かれそうになりながらも共に過ごしてきた。

 その間に今いる子達以外にも5人程買い、勉学を教え売り込みながら世界を回り、その結果か、いつの間にかラーニャと打ち解けてしまっている。今では彼女を何処に売ってやればいいのか逡巡している。

 後悔等していない。私の信仰は変わっていない。例え、崇拝する女神の名を貶めたとしてその名を呼ぶことがなくなったとしても、私は彼女の聖典を信じている。

 ふと、子供達に読ませないようにしていた本を手に取る。

 これが私の生き方だ、と強く思いゆっくりと胸に抱く。

 ただ、これはいずれ処分しなければならないと思っている。その理由も、時々ホロが勝手に開けてしまい、その度に、あの子の底知れぬ才能を持つ目で私を見てくる。正直肝が冷える。

 聡いペイルにでさえ隠し通しているのに。

 懸念することは多いが、ファウはかなり手を焼きそうだ。多分、今のままで一人で売ることになったりすれば、唯でさえ不安で情緒が乱れているのだ。最悪正気を失うかもしれない。誰か信用の置ける子…カールと一緒に売ってあげれれば一番いいだろう。

 ふと、何かが駆けていく音がした。

 馬車か、とその音の正体をある程度推理した。

 外に出てみると行商のような男が馬車で通り過ぎるのが見えた。

 そして、村の中央に何かを捨てて行った。

 小さな袋だ。

 近づいてみると、ふと生臭い臭いがした。

 嗅いだことのある臭いだ。色々な意味で嫌悪している臭いでもある。

―そう、魚の腐った臭いだ。

 ふと、音がさらに聞こえた。

 水が這いずるような、濡れた音。そして、魚の腐敗臭よりもさらに嫌悪感を覚える、生臭さ。

 振り返ると…奴らがいた。

 人間の身長を超える2メートル程の巨躯。ぎらぎらとした鱗を持つ体。鋭い爪と、大きな水かき。そして、蛇のように細く鋭い瞳のそいつらは私達人間のように立ち、そして手には他の死骸から作られたであろう禍々しい槍を携えていた。

―ああ、くそ…

 そう言いかけた言葉を飲み、あらん限りの声で叫ぶ。

「全員起きろ!」

 私の声は村中に響いただろう。声を聞きつけ、村人達が一斉に明かりをつける。

 私の声をそいつら…リザードマンは威嚇と思ったのか、身を震わせ、喉の奥を揺さぶるような低い声で鳴く。

 私は腰に隠していたナイフを手に取り、リザードマン4体を睨みつける。

 村人達が異変に察知したのか武器を手に出てくる。

 私は目を疑った。

 彼らの武器は弓だからだ。しかも、その矢尻は…鉄以下の銅岩製だからだ。

「リザードマンだ!?」と村人の一人が声を荒げた。

 それに続いて、他の村人達が声を荒げ始めた。

「あの奴隷商が呼び寄せたのか?」

「疫病神が!」

「くそったれ、一緒に射殺してやる!」

 口々に言われ、私は前をリザードマンに、後ろを村人に囲まれる形となってしまった。

 リザードマン達は涎を垂らしながら、恐らく私の後ろにある彼らの食料を見ていたのだろうが、生きの良い人間たちを見てその目を輝かせた。

 最悪だ。

 濡れた状態のリザードマンの鱗は粘り気と滑りがあり、通常の鉄の武器なら簡単に弾かれるか、力が伝わらず切断や刺突は出来ない。

 唯一、彼らの弱点となるのも重打ではあるが、これだけ濡れている状態だと余程の達人でもいない限りそれも通用しないだろう。

―なら。

 思い切りは大事だ。例え、こんなナイフ一本では勝てなくても。

 リザードマンが吠え、こちらに槍を振り上げる。

 その瞬間を見逃さず、ナイフで槍を持っていない方の水かきを斬りつける。

 僅かに切り込みを入れることが出来た。その瞬間、リザードマンの一匹が怯んだ。

 硬い鱗を持っているからこそ、通常傷つくことがない魔物だ。不意の一撃でなら怯ませることも出来る。

 リザードマンが怯んだのを見るや否や私は駆け出す。

 それと同時にリザードマンに大量の矢が放たれていく。

 だが、矢はその鱗を貫くことが出来ず弾かれ、折られる。

 それにより、リザードマン達の注意が私から逸れ、安全に攻撃し喰らうことが出来る、村人へと向けられることになった。

 私は走り、自分の馬車へと戻る。

 逃げ出そうと馬車に鞭をいれたところで、私の馬に一本の矢が刺さった。

 馬は不意の一撃に絶叫し、体を跳ね上げ、そのまま私の馬車をひっくり返した。

「逃げられると思うな!卑しい奴隷商が!」

 村人の一人が私を罵倒してくる。最悪だ。剣も鎧も盾もないのに…

 顔を上げると地面に体を打ち付けた子供達がいた。皆、突然の出来事に困惑しており、中にはケガをしている子もいる。

 その中からラーニャを引っ張り出し、その背中を押す。

「皆を連れて逃げて下さい!」

「え…おじさ…おじさん!お願い、ファウが…!」

「早く!」

 困惑しているラーニャをよそに私はペイル、カール、ホロを引き出す。

 ホロは頭を打ち付けたらしく、フラフラとし、カールも肩が上がらない様子だった。

「ラーニャ、カールに肩を貸してあげて!ホロは僕が背負っていく!」

 幸いペイルは私のらしくなさに状況を呑み込めないながらも、皆を指揮し始めてくれた。

 そして、最後の一人、まだまだ不安定で、絶対に一人には出来ないファウを探すが馬車の中を見回しても見当たらない。

 外から村人の悲鳴が聞こえてくる。あんな武器では勝ち目なんてない、急がなければ。

 私はきっとこの村から生きては出られない。だからせめて、あの子達だけでも逃がしてあげないと。

 崩れ落ちた木箱を掴み、投げ飛ばすようにどかせると、ふと荷物の下から桃色の髪が覗いていた。

「ファウ!」

 その名前を必死に呼び、荷物の下敷きとなっていたファウを引きずりだす。

 そして、ドロリと手に生暖かい感触がした。

 手が赤く染まっていく。

 ファウは落ちてきた木箱に頭を打ち付けたらしく、大きな傷を負っていた。そして、そこに追い打ちのように圧し掛かってきた圧力により、息も絶え絶えだ。

 血は見慣れているはずだ。だが、尋常ではいられなかった。

 必死にその体を揺さぶり、

「ファウ…目を開けて下さい!あなたは私の…!」

 必死に声を掛けるが全く答えは返ってこない。

「あなたにはきっと幸せな毎日が待っているんです!だから…死なないで下さい」

 何度も声を掛けていた私を何者かが突き飛ばしてきた。

「ぐ…!」

 体を木箱にぶつけ、一瞬目の前が暗くなった。呼吸が辛いが何とか目を開ける。

 そこにはあの忌々しいトカゲ…リザードマンがファウの小さな体を拾い上げているのが見えた。

 リザードマンは死肉と赤肉を好む。そして、血の臭いに敏感だ。

 だから、瀕死をファウを…餌として。

「あああああ!」

 ナイフを握り締め、飛び込む。飛びつくようにナイフを振り下ろし、リザードマンの片目を抉る。

 リザードマンは痛みで咆哮とも悲鳴とも言える叫び声をあげ、体を大きく横に何度も振る。

 そのまま体にしがみつこうとするも、滑りで振り落とされそうになりながらも、再度力を込める。

「私の商品に手は出させない!」

 力を込め、リザードマンの首に手を回し、滑り落ちそうになりながらももう一度、ナイフを引き抜き、振り下ろす。

 赤い血しぶきが舞う。

 何もしなければ、きっと私とあの子達はここは逃げられるかもしれない。だが、ファウを…私の大事な…

「…この子達を守る!」

 ナイフを深く突き入れ、渾身の力でリザードマンの片目の眼球を抉り出す。

 リザードマンは苦悶の叫びをあげ、身をよじりる。私は再度ナイフを振り下ろし、その脳髄を狙うが、ナイフが片手で弾かれる。いや、折られた。

 そのままなすすべなく弾き飛ばされ、地面にしたたか体を打ち付けてしまった。

 ―くそ!

 剣があれば…こんな奴らに遅れを取るなんて…

 そう思いながら、私はボロボロの体を引きずって立とうとしていた。

 ファウだけでも…

 その一心で、何の策もないのに突撃する。

 リザードマンはまさに食事をしようとし、その大口を開けていたが、私を見ると蚊でも払うかのように槍を振るい私を薙ぎ払った。

 痛みが体に響く。

 どうしようもない痛みが…

―それでも。

 足掻き、もがきながらなんとか立ち上がろうとするが足に力が入らない。

「誰か…誰もでもいい…」

 口を開くと自分の口から声と共に血が混じる。

「あの子は…世界をほんの少ししか知らない子なんだ。ちっぽけな悪意にさらされて、傷ついた子なんだ。幸せと優しさを少しずつ…その身に噛みしめている子なんだ。」

 自分のことなんてどうでもいい…私は…

「最近ようやく…笑うようになったんだ…だから!」

 あの子にもっと幸せを知って欲しい…!

「エアリス神よ、彼女を助けてくれ―!」

 パキャリ―と何かが割れる音がした。私は…目を見開いてそれを見ていた。

 血しぶきと共に、ファウの小さな体が、ゆっくりとリザードマンの手から離れていくのを… 





 そして、巨躯の影が倒れ、その先に月光を背に受けた小さな少女がいた。

 その姿は神話に出てくる、あの姿に似ていた―

「ごめん…遅くなって」

 そう言って、燃えるような赤い髪をした少女は傷だらけの体で、涙を流しながらファウの体を抱きしめた。

 リザードマンは脊髄から剣を突き刺され、喉を貫通し、一撃で絶命していた。

 硬い鱗を…どうやって?

 その答えに気付いたのは私の外套からする生臭さだ。

 しがみつき、必死に藻掻いていた私の服が、あの滑りを取ったのだろう。

 赤い髪の少女…いや冒険者はファウを私に託し、「村を助けてくる。待ってて」と言い残し、憎しみに満ちた目を奴らに向けた。虚ろな目で突き刺さった剣を引き抜き、駆け出していく。

 朝に見た輝かしい、あどけない少年のような瞳ではなく、そこには怒りと憎しみと悲しみしかなかった。

 冒険者が出ていくと同時に私の大切なラーニャ達が戻ってきた。

「おじさん!ごめんなさい…お姉ちゃんに…助けに…」

 とりとめない言葉だ。きっと、この子達が私とファウを助ける為に、あの冒険者を呼んできてくれたのだろう。

 だが、あの子の腕では到底、鱗の鎧があるリザードマンには勝てないはずだ。

 だったら、どうする…私はどうすれば…

「おじ…さ…」

 ふとか細い声が聞こえた。

「ファウ!しっかりしてください!」

 その名を呼ぶと、ファウはゆっくりと笑顔を見せ、

「えへへ…まもれ…たよ」と小さな声と共に気を失った。守れた?とその言葉を疑問に思っていると、ラーニャの泣き声が響く。

「ファウ!ごめん…私…ごめん!」

 ラーニャはファウに泣きつきながら必死に謝罪の声を和え続ける。

 ペイルが俯きながら、ラーニャを支え、

「ファウが、助けてくれたんです…僕は年上なのに…なにも!」

 後悔で胸が張り裂けそうなそんな悲痛な表情をしている。

 きっと、木箱が落ちてきた時に、誰かを突き飛ばし助けたのでしょう。自分の大切な…

 そんなことを考えてどうなる?無駄だ。

「ペイル!ラーニャ!」

 私が声をあげると二人は体を震わせた。だが、私はこの方法がある。私の優秀な子達なら出来るはずだと。

「はい!」

「ひっ…!」

 名を呼ばれた二人は体を震わせ、ペイルは何とか返事をし、ラーニャは頭を抱え、目をつぶってしまう。

 だが、信じている。皆なら…必ず。

 私は木箱を指さし、

「そこらに転がっている木箱を破壊してもかまいません!上級回復薬ハイポーションの在庫があったはずです!見つけ出しファウに使って下さい!」

 私の言葉にラーニャが戸惑いを隠せていなかった。

「え、でも…」

「いいですね!」

 叱りつける勢いで命令する。私らしくない。命令をするのも、そして高価な上級回復薬ハイポーションを使え等というのは。

 私の意をくみ取ってくれたのか、年長の二人は涙を拭い頷き。

「うん!分かった…絶対見つける」

「分かりました!絶対にファウを助けます!」

 二人が決意と共に近くに置いていた鉈で木箱を壊し始めた。

「カールとホロはファウの傷の手当を!」

 カールは痛めた腕を押さえることもせず大きく頷き、

「ああ、絶対死なせねぇ!」

 と自分の着ていた服を破り、包帯を作り始めた。

「おじさん…どこにいくの?」

 いつもの間延びした言い方ではない、ホロらしくない言い方だ。聡いあなたなら分かるのではないでしょうか?

「あなた達とあなた達の家族を守ってくれた…彼女に、その恩を返すんです」

―ファウも、あの子も死なせる訳にはいかない

 



 馬車から飛び出すと目の前の光景に目を疑った。

 惨殺された数人の村人の死体。重症で叫ぶ者たち。逃げ出す者達。その中に、一人だけ明らかに異質なものが混ざっていた。

「ああああぁ!」

 獣のような咆哮が響き、一匹のリザードマンが口から血を吐き、絶命したところだった。

 そんな様子に、村人ですら、忌むべき私に気づかなかったようだ。

 異様な光景だった。

 あんな、優しそうな、戦いを忌避すらしていそうなあどけない少女が…獣のように後ろからリザードマンに飛びつき、その全体重を使って、硬い鱗を脳髄ごと刺し貫いていた。

 さらに痙攣しているその体に何度も剣を振り下ろし、確実にトドメを刺す。

 その姿は血にまみれていた。

 鬼気迫る姿に、彼女が私の子供達にしていた与太話のゴブリンが50匹くらい村に襲ってきて、返り討ちしたというのが現実味を帯びてしまう。

「まさか、本当だったのか?」

 目を疑い、少しの間硬直してしまう。

「2つ…あと2匹!」

 剣を構え、咆哮のように声をあげる彼女にリザードマンは臆するように後ずさりした。

「お前達は絶対に許さない…許せない!あの子が何をしたって言うんだ!」

 きっと彼女が敵意を向けているのはリザードマン達だ。何も知らないから。

 だが、その言葉に…村人でさえも目を逸らした。

 後ろめたいのは、きっと皆そうなんだ。私もだ。

 赤い髪の冒険者は何かに気付いたのか剣を構え特攻していく。

 その姿は狂犬のようだった。

 もう止められない。ただ、眼前の魔物を殺すために彼女は剣を振るう。

 そう思ったのは、浅はかだった。

 赤い髪の冒険者は、逃げ遅れた宿屋の女将を狙うリザードマンの前に躍り出ていた。

 リザードマンが女将目掛けて槍を突き出したのを剣で弾きながら前に出る。だが、巨大な槍は弾ききれず、赤い髪の冒険者の肩を掠め、その身から鮮血を舞わせた。

「舐めるなぁ!」

 剣を突き出すが、硬い鱗に阻まれてしまう。

「カホちゃん!」と宿屋の女将が悲痛な声をあげる。

 あんな傷だらけで、立っているのでさえ困難なはずなのに、彼女は剣を構える。

「ごめん…貰った服に穴が開いちゃった…」

 そう言い残すようにリザードマンに突っ込み、槍による薙ぎ払いを屈んで避け、持っていた盾でその横面を殴りつけた。

 殴られた衝撃でリザードマンが2、3歩後ずさりした。

「カホちゃん…」と女将が再度声を掛け、その表情を青ざめさせた。

「あいつらは…許さない…」

 地獄から響くような深い恨みの籠った声だった。あの少女が出すような声ではなかった。

 見とれていた訳ではないが、その迫力に圧倒され、自分を見失っていた。

 私は…大事なファウを置いてまでここにきたのは、あの子を死なせない為だ。

 リザードマンが口を大きく膨らませる。赤い髪の冒険者は関係ないとばかりに突っ込んでいく。

「防げ!」

 私の声に反応するように、赤い髪の冒険者は盾を構えた。その瞬間、リザードマンの口から高圧の水球が吐き出され、赤い髪の冒険者が吹き飛んだ。

 地面を転がったものの、すぐに立ち上がり、またもや特攻していく。

 あの子を死なせてはいけない。

 取り戻させないといけない気がする。あの光と熱を―。

 ファウは大丈夫だ。必ず、私の優秀な子達が助けてくれる。だから、私は…ここでベストを尽くす。

「村の皆!私は卑しい奴隷商人だ。だが、あの子はこんなところで死んではならない!頼む、力を貸してくれ!」

 あらん限りの声を出し、必死で懇願する。

 私一人ではきっと不可能だ。だが、この村の住人の腕と、私の商品があれば、きっとあの子を助けることが出来る。だが…

「手はあるんだな」

 若い男性が私の前に立った。

「ああ」と私が頷くと、

「あんたの為じゃない。あの子を助けられるなら…」

 若い男性はそこまでいうと、顔を上げ、

「皆!力を貸せ!あの子を、カホちゃんを助けるぞ!」

 その声に周りは逡巡していたが、すぐに数人が駆け付けてきた。

「勝ち目はあるんだな」と私に確認してくる。

 私は強く頷き、馬車の中へ引きいれる。村人達は馬車の中に入ると、ファウ達を見て顔色を青ざめさせた。

 それが自分達の所為だと分かってしまうからだろう。

「今は…あなた方を攻めません。言いたいことはいくらでもある。私の優秀な子達を傷つけたあなた方に…ですが、あの冒険者を救いたいのです」

 私の言葉に村人達は頷き、また最初に私の言葉に応えてくれた男性はすぐに目ぼしを付けてくれた。

「こいつだな」

 そう言って、私の商品の一つであるアブラダケの詰まった樽に触れた。

 恐らく、彼は武器や、リザードマンのことをよく知っているのだろう。頷くと、「ミグの実はあるのか」と聞いてきた。

「いくつか」と答えた時だった。

「必要ない。俺がなんとかする」

 そういって、職人のような服を着た男が声をあげた。

 彼は軽く空中を指で切るようにして見せた。そして、火が灯る。それが魔術だと分かる。

「俺は火の魔術が使える。戦闘では役には立たんが、火を点けるくらいは出来る」

 これは助かる。ならば、勝てる見込みは高い。

「あとは尻尾をどうするか…だが、まず援護しよう」

 武器に詳しい男が決心したようにアブラダケの入った樽を他の男達と外へと運び出す。

 外へ必要な装備を持ち出したところで鈍い音が響いた。

 赤い髪の冒険者がリザードマンの槍を砕いた音だった。しかし、その前には2匹のリザードマンが立ち塞がり、お世辞にも善戦しているような状態ではなかった。

 1匹のリザードマンの突進を転がるように避け、尻尾に斬りかかるが、切れ込みをいれれるのみで弾かれる。

「準備急ぐぞ!」

 武器に詳しい男性が矢でアブラダケを突き刺し、矢尻に巻き付けてるように纏わせていく。

 それに続いて他の村人達も同じように始めた。

 不意に悲鳴が聞こえた。

 声の方向を見ると、あの赤い髪の冒険者が一瞬の油断をつかれたのか、左の肩口をリザードマンに噛みつかれ、その体を拘束されていた。

「ああああ!こ、この!」

 剣で頭部を突き刺すがまるで通らない。

「急いで下さい!」

 私が声をあげ…そして、目を疑った。

 あの赤い髪の冒険者が邪悪に笑っていた。

「やめろ…」

 思わず声が漏れた。

 そんな言葉を聞かず、赤い髪の冒険者は自分の剣をリザードマンの顎の下から突き入れ、自分の胸ごと突き刺した。

「捕まえた…これで、終わりだ…」

 無茶苦茶だった。あの傷では瀕死なんていう話ではない。それなのに、自分を傷つけても勝利を目指すのは狂っていると言い表すしかなかった。

 赤い髪の冒険者は、まるで死を望むかのようにゆっくりと自分の身を切り裂きながら剣を動かしていく。恐らく自分の体…いや腕ごと切り裂いてでも仕留めようとしている。

 止めなければ…あのままでは…

「お姉ちゃん…だめ!」

 不意に聞こえた声。弱弱しくも、しっかりと意思を感じる、優しい声。

「ファウ?」と私の声が漏れた。

「ファウちゃん…?」と赤い髪の冒険者の手が止まる。

 心なしか目に光が戻った気がする。

 ファウが馬車から顔を出し、震える体で、今にも倒れそうにもなりながら赤い髪の冒険者をしっかりと見つめていた。

 赤い髪の冒険者は目を見開き、そしてダラリと剣を持つ腕を力が抜けた。

 リザードマンが突き刺された痛みからか、赤い髪の冒険者を投げ飛ばすように吐き出した。

「きゃあ!」

 赤い髪の冒険者は短い悲鳴をあげ、倒れ伏す。そこにトドメを刺そうとリザードマンが駆け出していく。

「お姉ちゃん!」

 馬車からラーニャが飛び出していった。手には鉈を持っている。

「待て!危ない!」

 私の声も聞かずに手に持った鉈を振り上げ、冒険者が斬りつけたであろう尻尾に一撃を振り下ろした、

―ブチンという鈍い音と共に、尻尾が千切れ、リザードマンは前のめりに倒れた。

 しかしすぐに起き上がり、ラーニャを見下ろすとその手にある鋭い鉤爪を振り上げた。

 ラーニャは腰を抜かしてしまい、震え、ただその爪を見つめていた。 

 咄嗟だった。

 駆け出していて、ラーニャを庇っていた。

 背中に激痛が走る。致命傷…に至るかもしれない。それでも、この腕で抱いた、この子を守ることが出来るなら、ここで死のうと本望だ。

「おじさん!」

 ラーニャの泣き声が耳に響く。

「戦技…『必中の矢』!」

 リザードマンの咆哮が響き渡った。

 振り返ると、リザードマンが苦しそうに目を掻いている。

 その目には一本の矢が刺さっていた。

 さっき聞こえたのはあの武器に詳しい男の声だった。

 戦技を持っていたのか、と素直に関心してしまう。そして、そのレベルの戦技に疑問に思ってしまった。

「伏せろ!」

 その声が、あの武器の詳しい男から発せられたのだと気づいた時にはラーニャを庇い身を低くした。

 瞬時に風切り音と共に、数本の矢―いや火矢がリザードマンを襲った。

 火矢の殆どはリザードマンの鱗に弾かれたものの、数本は突き刺さり、そして括りつけらえたアブラダケのエキスがその体に伝わり、瞬時に赤い炎が生まれた。

 突如火に包まれたことにリザードマンはのたうちまわるように、暴れ出し顎に突き刺さった冒険者の剣が抜け落ちた。

 リザードマンは強靭な肉体を持っているのではない。這いつくばっている時はその体勢を崩すことが出来ないが、もっぱら攻撃の際には立ち上がり、バランスをとる為に尻尾で踏ん張っている。それを切ることが出来れば、動きは鈍くなり、力も防御もおざなりになる。さらに湿潤した鱗が攻撃を受け流す役割を持っているが、それも燃え上がったことにより乾き、ボロボロだ。

 今、この二つを失った…今なら剣は通る!

 一度、あの赤い髪の冒険者に視線を送るが、まだ倒れている。打ち所が悪かったのだろうか痙攣したように時折動くのみだった。

 ここまで来て…諦めかけた時、不意にリザードマンの前に二つの影が躍り出た。

「僕だって、やるんだ!」

「俺だって、やってやる!」

 ペイルが冒険者の剣を、カールがラーニャが使った鉈を拾い上げ、冒険者が切り裂いていた喉に振り下ろした。

 二人の一撃は喉を完全に切り裂き、ゆっくりとその巨躯がのけぞり、倒れた。

「ペイル、カール…」

 怖かっただろうに、二人は初めて魔物を斬り、手を震わせていた。

 そして、最後の一匹が咆哮をあげる。

 それがこちらに向かっていると分かったが、足が動かない。いや、血が…

 深い傷を負い過ぎた、目も霞んできている。

「おじさん…」

「やるしかねぇ!」

「くっ…」

 ラーニャの悲痛な叫びと、カールとペイルが私達を守ろうとその場を動こうとしない。

 だが、ペイルとカールでは勝てない。

「逃げなさい…早く!」

 必死に言葉を紡ぎ、ラーニャを突き飛ばす。

「相手を良く…」

 不意にホロの声が聞こえた。彼女は私に目もくれず小脇に何かを抱えて飛び出し、リザードマンの前へと躍り出た。

「逃げて下さい!」

 私が必死に叫ぶが、それも遅い、既に最後の一匹はホロに向けて槍を振り上げ、突き出そうとしていた。

「…見る!」

 誰かから…いや、あの赤い髪の冒険者から習ったであろう言葉。

 ホロが必死に首と体を横に倒した。リザードマンの一撃はホロの肩を掠め、そして、ホロは黒い液体…アブラダケのエキスを抽出したランプの燃料壺をリザードマンの口の中に投げ入れた。

 リザードマンは怯みもせず、壺をかみ砕き、もう一度槍を構える。

「今!」

 そう言いながら、ホロは頭を抱えて倒れ込むように飛んだ。

「おうよ!これでカンバンだ!戦技『必中の矢』!」

 武器に詳しい男の声が響き、そこに村人の一斉の火矢が放たれた。

 矢は相変わらず弾かれたが、その内の一本…あの武器に詳しい男が放った戦技の矢がリザードマンの口に直撃する。

 瞬時、壺の中の燃料に火矢が引火し一気に爆発と共に炎上した。

 轟音が響く。

 赤い光と熱が一瞬で巻き起こり、衝撃が身を打つ。

 爆発の後、黒煙の中からノソリノソリとリザードマンが歩いてくる。

 体の鱗は焼け焦げ、口は爆ぜ血を滴らせ、片目は炎で潰れていた。

「まだ生きてるのかよ!」

 カールが驚愕し、一歩身を引いた。

 ペイルは何かを決心したように剣を強く握し締める。

 そんなペイルの肩を誰かが叩いた。

「ナイスガッツ…」

 そういって、あの赤い髪の冒険者がペイル手から自分の剣を受け取った。

「お姉ちゃん!」

 ラーニャとホロが悲鳴にも似た声をあげる。

「姉ちゃん…!」

「お姉さん…」

 カールとペイルも驚きの声をあげていた。

 全身ボロボロで、血が滴っているにも関わらうず彼女は立ち上がった。

 その目は煌々と炎に照らされたように光り、何かを決意した温かいものを感じる。

「カホちゃん、下がってくれ、あとは…俺達が…」

 武器に詳しい男が弓を捨て、赤い髪の冒険者の隣に立つ。その手には鋭いナイフ…中央国の紋章の入ったものを持っていた。

 しかし、彼女はそれらを手で制して、震える手で剣を構えた。

「これはケジメだよ…」

 何のケジメなのか全く分からなかった。君はもう十分だ。だから、死にに行くようなことはしないでくれ、とそう思っても声が出せない。

 赤い髪の冒険者はゆっくりと最後の一匹に歩いて近づき、悲しそうに目を伏せた。

「ごめんね…。何も悪くないのに…生きたいよね…でも」

 リザードマンが槍を突き出す。

「お姉ちゃん!頑張って!」

 ファウの声が響く。彼女もまだ声を出すのも辛いだろうに、精一杯の声援を送った。

 赤い髪の冒険者はその声援に応えるように一歩、ゆっくりと前に出ながら、打ち下ろすように盾を振るう。

 鈍い音がし、槍は地面を穿った。

パリィ―だ。

 槍が弾かれ、前のめりになるようにリザードマンが体勢を崩す。

「私も…生きたい!」

 赤い髪の冒険者は、相手に何かを誓うように…まるで祈りを込めるように剣を突き出した。

 全身を使っての―渾身の突き。

 まさに致命の一撃…

 剣は焼けた鱗を簡単に貫通し、刃が背中に突き出る程突き刺した。

 それが致命の一撃となり、リザードマンは口から血を吐き、何度かその体を震わせた後、絶命した。

 赤い髪の冒険者は倒れたリザードマンをしばらく茫然と見ていた。

 まるで死を悼むように。悲しい瞳でその前に佇んでいた。

 戦いが終わったのが数刻分からなかった。

「助かった…のか…」

 不意に村人の一人がそんな声をあげた。

「カホさん…」と武器に詳しい男が赤い髪の冒険者に声を掛けた。

 しかし、赤い髪の冒険者はまるで、そうすることが当然かのように、歩き出しファウの元へと行き、その体を抱き留めた。

「良かった…ファウちゃん…良かった…!」

 抱きしめられたファウは一瞬、辛そうに表情を歪めたものの、涙を流しながら自分の無事を喜んでくれる冒険者の背中に手を回し、

「お姉さん…痛いよ…」と小さく笑って見せた。

「皆も…よくがんばったね…もう先生面出来ないや」

 赤い髪の冒険者はそう言い、ペイル、カール、ラーニャ、ホロの四人に笑顔を見せた。

 私は思わず、そんなことはない、と言ってあげたかったが、彼女のその悲しそうな表情に何も言えなかった。

「その…」と村人の一人が赤い髪の冒険者に声を掛ける。

 赤い髪の冒険者はチラリと一瞬みたものの、すぐに、自分の服に視線を落とし、

「…って、あー!折角貰った可愛い服がー!」

絶叫した。

「え…?」と周りから声があがる。

「うぅ…気に入ってたのに…」とウソ泣きを始め…いや、悲しいのは本当だろうが、彼女がそうする理由を察せてしまう私にとっては矢張りウソ泣きだ。

「しかも…また血まみれだぁ…くっさーい…」

 その瞳は泣いていた。

「よ!駆け出し冒険者!男前になったな!」

「男の俺から見ても惚れたよ!男なら!」

「いい戦いだったな!男気溢れてたぜ!」

 村の者たちはその意味を知らずに彼女を称えてみせた。勝利に酔っているのだろう。

 だけど、彼女は完璧主義者ではないにも関わらず、英雄でもないのに、これでは不服なのだ。いや、足りないのだ。

「なんだとー!女の子だよ!」

 無理して笑顔を作っているその姿が痛ましい。

 それに気づいてか、ペイル達は何も言えず、俯いてしまった。

「カホさん。どうしてここに?」

 そう聞いたのはあの武器に詳しい若者だった。

「え?なんか、次の村に行こうと思ってたら、商人が通ったの。そしたらリザードマンから逃げてるとか言ってたし。カリデの方から来てたから戻ってきたの。」

 そこまで言うと、ラーニャに視線を送り、

「そしたらラーニャちゃん達が走ってきてたのが見えて、話を聞いたら…ね」

 余程走ってきたのだろう。靴は泥にまみれている

 そして、リザードマンから受けたのではないであろう切り傷だらけだ。この夜間に走ってきたのだ、他の魔物なりに襲われながらもここに来たのかもしれない。

「何とか間に合った…」

 安堵の色が一切見えていない。彼女は…

「ま、待ってくれ!」

 そういったのは宿屋の女将だった。

「せめて休んで行ってくれ!」とそう続けた。

「いやー…お金節約しないといけないし!暗いけど、野宿は慣れてるから大丈夫だよ!」

 無理して去っていこうとする。

 殆ど、気力で立っているに過ぎないのにも関わらず、彼女は自分が許せないのだ。

「待ちなさい!」

 宿屋の女将が大声を上げた。

 振り返った、赤い髪の冒険者の瞳は涙に濡れていた。

「カホちゃん…」と女将がその名を呼ぶ。

「お姉ちゃん」とラーニャ達が声を掛けると、赤い髪の冒険者は堪えていた涙を流し始めた。

「あはは…あの…ごめんなさい。怖かったよね…」

 誰に謝るでもなく、赤い髪の冒険者は…勇猛に戦ったことに涙を流した。

「私…その、友達が死ぬかもって思って…もう…訳が分からなくて…」

 ファウのことや、ラーニャ達のことを思っているのだろう。

「駄目だよね。きっとこの子達も生きようとしていただけなんだよね…」

 憎しみで剣を振るい、ただ、リザードマンを殺して回ったことを恥じていた。

「それに…皆を…助けられ…なかっ…!」

 村人の死を…名前も知らぬ者たちの死を彼女は嘆いていた。

 なんと声を掛けてあげればいいのか全く分からなかった。

 そんな、若くまだまだ未熟な駆け出し冒険者の少女を宿屋の女将が優しく抱きしめた。

「いいんだよ。あんたのおかげで助かった者がいるんだ。だから、せめて恩返しさせておくれ」

 その言葉に、彼女は泣き崩れ、勝ったにも関わらず泣き続けた。

 大粒の涙を流しながら「ごめんなさい」と何度も誰に対しての謝罪か分からない程謝り、勝利をもたらした彼女が泣き止むまで相当の時間が必要だった。




 戦いが終わった。

 私、ことカホは居た堪れない気持ちになっていた。

 戦いで傷ついた体では動くこともままならず、手当を受けた後、皆が食事の準備等をしているのをぼんやりと見つめるしか出来なかったから。

 あの鷲鼻の行商に依頼をされ、理由を聞くと、

『カリデの村に罠はしかけたが、リザードマンが追いかけてくるかもしれない、だから護衛として受けてくれたら大銀貨を1枚払う』

 …という内容だった。

 それを聞き、私は思わず駆け出していた。

 カリデの村が危ない。そして、あの子達を助ける為に、と。

 だけど、間に合わなかった。

 村人の中の数人は既に動くことはなくなり、荼毘にふされていく。

 子供達も怪我を負い、奴隷商さんにいたっては重傷だ。

 もう少し早く走れたら…

 もっと早く気づけたら…

 一瞬、助けに行くことに迷わなければ…

 怖くて足を止めなければ…

 皆が無事だったのかもしれない。そう思うと、自分の無力さが歯がゆい。

 リザードマンは強敵だった。硬い鱗に、強靭な肉体。そして得物である槍だけでなく、鋭い鉤爪。皆の協力がなければきっと今頃、私は死んでいた。

 結局私は人頼りだ。

 シノの村のウェンさん達のようにはいかない自分がもどかしい。

「何であんなことしたんだ?」と奴隷商さんが村人に問い詰められていた。奴隷商さんは何も答えず、目を逸らす。

 いや、正確には村の中央にある何かの袋を見ていた。

 もしかして、あれが罠―

「答えろよ!卑しい奴隷商人!」

 壮年の男性が奴隷商に掴みかかる。

「待って!」

 声を上げ、走り出そうとしたものの痛みで動けず、その場に倒れ込んでしまう。

 行かなきゃいけない。誤解を解かないと。

 あの人は変わってるだけで、悪い人じゃない。この件にも関わっていないんだ。

 血が溢れてくる。もう気を失いそうだ。だけど…もう少しだけ動いて!

「やめろ!」

 周囲を切り裂くような鋭い声が響いた。

 それを発したのはあの武器屋の男性だった。

 武器屋の男性は年長であろう奴隷商に掴みかかった男性の腕を振り払った。

「お前ら…この人が何をしたか覚えてるか?言ってみろ!」

 武器屋の男性の言葉に、他の村人がうろたえた。

「こいつが…リザードマンを…」

「違う。この人は何かに気付いて俺達を起こしただけだ。それに、俺は聞いたよ。馬の走り去る音を。中には聞いてる奴がいるんじゃないのか?」

 武器屋の男性は睨むように村人を見渡した。

 きっと、真実は分かっていて…でも現実を認めるのが怖くて言えない者がいるのだろう。

「村を襲わせるだけなら、俺達を起こす必要はなかったはずだ」

 武器屋の男性が問い詰めていく。

 その凄みに圧倒され、

「だが、こいつが来たせいで…」と言いながらも壮年の男性は身を引いた。

「エアリス様にそう言えるか?」

 武器屋の男性がその言葉を放った壮年の男性を睨みつける。

「平等に見ろ。偏見を捨てろ!この人がこの村への腹いせをしたかったのなら、何故、俺達に手を貸した?この人が、俺達の嫌う下卑た奴隷商と同じなら、何故子供を庇った?」

 その姿は見ていた。

 私が怒りに身を任せていた時、彼の声が助けれてくれた。

 彼が商品にも関わらず使用した道具に助けられた。

 痛みで、もう気を失いそうになっていた私が、ラーニャちゃんを助けている彼を見た。

「俺達は『平等』に一人の人間としてこの人を見なきゃいけないんだ!」

 武器屋の男性の一言が村に響く。

 その声は痛みで動けなかった私の心を打った。きっと、信仰を大事にしているこの村の人ならその言葉の重みはもっと違うと思う。

「共に戦って分かっただろ!この人は信用すべきだ!奴隷商なんていう言葉で縛るんじゃない!」

 武器屋の男性がそう言い切る。

 そうだ。縛っちゃいけないんだ。カテゴリ化することで無駄は省ける。だけど、関わるのが無駄と切り捨てた物の中にだって、良い人がいる。

 大衆が嫌おうが、そのカテゴリに属しているから個人を評価しないなんて、間違ってる。それは区別じゃなくて、差別だ。

「…ああ、その通りだよ」

 女主人さんが武器屋の男性の隣についた。

 周りからドヨメキが沸いた。

 女主人さんは持っていたのであろう包帯を奴隷商に巻き始め、

「あんたには助けられたね。その…奴隷商だからと悪かったね」

 女主人さんの言葉に奴隷商は小さく笑って見せ、

「何を言うんですか、あなた達に助けられたのは私ですよ」

 女主人さんと武器屋の男性を交互に見上げてみせた。

 武器屋の男性は頭を下げ、

「俺達はエアリス様を信仰してるのに、あんたを偏見してたよ。平等に見れていなかった。すまない」

「それは私に言うことではありませんよ。エアリス神に言って下さい」

 間髪を入れず、奴隷商はそう言い返した。

 そういえば、お祈りをしないような人だった。それに彼は、私に一度も『エアリス様の加護』というよく聞くフレーズを言わない唯一の人だ。

「信仰はその者の為にあるのです。信仰に反した行動は、自身を顧みる必要はあっても、人に懺悔をし、安らぎを求め、口にすべきではないでしょう」

 奴隷商さんの口から似合わない言葉が出てきた。

「…それでも、言わずにはいられないのなら、私は赦しますとしか言えません」

 それはまるで…

「はは、聖職者みたないなことを言うな」

 武器屋の男性が私が思ったことと同じことを言ってくれた。

 奴隷商は軽く首を振り、

「商人ですから。言葉も信仰も必要なら売りますよ」

 そんなあっけからん様子に、

「もう十分だよ。遠慮しておく」

 武器屋の男性は断ってみせていた。

 それだけで、二人は随分打ち解け合ったのだと分かる。

 そして周りも、もう彼のことを悪しざまに言うことはなくなっていた。

 結局何も出来なかった、いや、する必要がなかった。

 強い人達がいるこの世界で、弱い私に出来ることは少ない。自分の陰惨な過去と向き合うことが出来る人達が数多くこの世界に息づいているのだから。

「しかし、困りましたね。リザードマンのせいで馬もやられてしまいましたよ」

 奴隷商さんのその一言で村人の一人が顔をしかめた。

「あれは…」

「いえ、もう済んだ事です。あなた方に助けられました。ありがとうございます」

 言いかけた言葉を遮るように奴隷商は話を聞かずにお礼を言った。

 本当に彼は人の話を聞かない。

「はは!あんた…」と顔をしかめた村人は笑顔になり、周りもそれに続いて少しずつその表情を柔らかく変えていった。

「…そこでですが、もしよろしければ宿を…5人分いえ、6人分借りれませんか?あの子供達と、そこの勇敢な冒険者の為にね」

 6人?と首を傾げてしまう。 

「あんたは?」と当然のように武器屋の男性が聞く。

「はは、低俗な奴隷商は…」

「じゃあ俺が一つ取るよ。あんたがそこを使いな。いいな、女将さん」

 武器屋の男性は奴隷商さんが言いかけた言葉を聞かずに勝手に話しを進めていく。

「ああ、勿論だよ」

 それに合わせて女主人さんが大きく頷く。

 ポカンとしていた奴隷商さんは、一瞬は逡巡したであろうけど、二人の顔を見て諦めたのか口の端に笑みを浮かべた。

「…恩に切ります」

 彼がその言葉を受け入れ、そしてラーニャちゃん達を呼んだ。

 子供達もある程度の治療が終わったらしく、涙を流しながら嬉しそうに彼に飛び込んだ。

 …とはいっても皆怪我をしているのは知っている。

 正確には飛び込んだのはラーニャちゃんだ。

「あだだだだ!」と奴隷商さんらしくない悲鳴が響く。

「ラーニャ!あなたは勉学は出来てももう少しお淑やかさを学びなさい!」

 顔を真っ赤にし、ラーニャちゃんに説教をする奴隷商さん。

 そんな姿に村の人達も思わずその様子に笑っていた。私も笑わせて貰って、嬉しさにこみ上げる涙を少し拭った。




 薬草を漬けてあるから、と言われお風呂へと入った。

 傷がしみるだろうし、感染症等が怖い。それも大丈夫と言われたけど、半信半疑なものの好意は無碍に出来ない。

 それに体は血まみれ、私の血とリザードマンの血で酷いことになっている。少なくとも体は洗いたい。

 それに…

「うわぁー、あったかい!」

 脱衣所から出ただけで、テンションが上がっているラーニャちゃんを皮切りに、ホロちゃん達が続く。

 ファウちゃんはおっかなびっくりした様子で「お金…大丈夫かな」と金銭面を心配していた。

 そういえばファウちゃんの傷が治っている。

 かなりの出血だったけど、もしかして軽傷だったのかもしれない。何にせよ、傷が癒えたことには安心した。

 ちなみに、男の子達も始めは一緒に入る予定だったけど、

『カール!僕たちは後で入ろうね!おじさんの傷も心配だし!』

 とペイル君が理由を付けて固辞した。無理矢理入れようとしたけど、カール君が、

『え?姉ちゃんとおっさんが一緒に入ったらいいんじゃねぇの?』

 そう言ったので、断念した。さすがにペイル君をいじり…もとい一緒に入れたいが故に女子を捨てるのは割に合わない。

 奴隷商さんも困っていたし。

 体を洗いながら、軽く腕や足を伸ばす。切り傷の痛みはあるものの、幸い、骨は折れてなさそうだ。傷がある程度塞がったらまた旅に出られそう。

 ラーニャちゃん達の体にも擦り傷が多く、洗うのは困難を極める。もちろん、気になっていたファウちゃんの頭の傷だが、やっぱり綺麗になくなっている。

「どうしたのお姉ちゃん?」

 逆にそう聞かれた。深くは聞かないようにしていたけど。

 湯殿には浸からないでおいた。子供達は皆楽しそうに入っていたけど、私の傷からはまだ血が流れている。この温かいお湯に浸かりたい気持ちはあるけど、さすがに湯を汚してはいけない。

「お姉ちゃんも入ったらいいのに!」

 ラーニャちゃんが元気に声をあげる。

「ごめんね。傷が浸みるから。痛いの嫌なの」

「あはは!お姉ちゃんも!ラーニャもそうだよ!」

 ラーニャちゃんはお行儀悪くお湯の中で泳ぎ始める。やんわりと諫めながら、ふとファウちゃんが私の手を掴んできた。泣きそうな顔で私を見ている。

 もしかして、傷が痛むのかな。

「痛いの…ごめんね…お姉ちゃん」

「いやいや、ファウちゃんは悪くないから!」

 これは少なくとも自業自得。だって、自分から無茶苦茶な動きで突っ込んでいったんだし。

「お姉さんの指示、グッジョブー」

「どうしたのホロちゃん?」

 不意にホロちゃんが声をかけてくる。私何か指示とかしたっけ?

「相手を良く…見る!」

 ポーズを取りながらホロちゃんが、私のあの言葉を繰り返した。

 それは適当に言っただけだから勘弁してよ。

 恥ずかしくて死にそう。言った本人が相手の動きもよく見ずに大けがしたんだから。



 お風呂が終わって、温かい体を拭きながら、酒場となった宿屋に戻ると、すでに出来上がっている酔っぱらいが奴隷商さんを取り囲んでいた。

「最低な奴もいるがあんたは違う。本気であの子達を守ろうとしていた。仕事がどうあれ、あんたを見ていなかった。悪かった!」

 どうやら、お酒の力とは言え打ち解けたようだ。

「いえいえ、当然のことでしょう。誰だって私のような者には関わりあいたくないでしょうし」

 対する奴隷商さんは全く酔っていないようにも見える。お酒に強いのだろうか?そう思ったものの、彼が飲んでいるのが水だった。

「俺達は平等と試練の女神、エアリス様の信徒だからな!今度こそ、ちゃんとあんたを見るぜ!」

 そういって奴隷商さんに抱き着き始めた。はたから見てて思わず引いてしまう。

「悪かったな。あんたの子供達にも怪我をさしてしまって…」

 その言葉を言ったのは先ほど彼に掴みかかった壮年の男性だった。その言葉の意味は分からなかったけど、奴隷商さんは笑って見せていた。

「皆無事です。その言葉だけでもありがたく受け取りましょう」

 あっけからんとし、こちらに視線を送ってくる。

 まるで何か悪だくみでもしているようだ。

「そして、栄誉ある愛と自由の国のアイリスの放蕩騎士様もいることです!今日は楽しみましょう!」

 は?

 あなたは私がアイリス出身じゃないって知ってるよね?

 つまりこれは…

 奴隷商さんがニヤリと笑って見せる。

「そうだな!アイリスの騎士様がいるからな!」

「おお!そうだ!騎士様も飲めよ!」

 酔っぱらいがこちらに絡んでくる。

「私は飲めないよ!」

 私を売りやがった!

「硬いねぇ!それもさすがアイリスの騎士だ!」

「アイリスの騎士とエアリス様に乾杯!」

 話を聞いてくれない。これだから酔っぱらいは!

 周りが好き勝手にアイリスの騎士と私を持ち上げ、乾杯を繰り返していく。

「あの…誤解…」

「いいって、分かってるから。言わなくていいから!」

 武器屋の男性までもが…いやこの人はからかって言っている。そんなにお酒の臭いがしない。酔ってるフリだ。

「では、私はお風呂に行きましょうか!カール、ペイル行きますよ!」

 奴隷商さんは恰好を付けて颯爽とお風呂場へと逃げいていく。

「ま、待って!」

「いいえ、待ちません。お風呂が楽しみでしたので!では、アイリスの騎士様、さらば!」

 人を売るだけじゃなく、逃げた。最低だあの人!

 それから暫く喧しく煩くも、明るく楽しい飲み会が続ていく。

 仲間の死を弔い、その悲しみを超える為に酒を喰らう。

 今生きていることへの感謝と喜びを噛みしめて。

 まぁ…その中で私達は食事をし、私に至っては常にいじられ続けたのだけど。

 やれ、アイリスの騎士だ、やれ男の子だ、と。少し失礼じゃないかな?

 深夜を超えた頃、お腹も膨れて眠気が襲ってくる。

 途中からファウちゃんに至っては寝落ちし、その小さな体を私に預けていた。

「ねー、お姉ちゃん。寝むい…」

「そうだね。そろそろ寝ようか」

 ラーニャちゃんにも限界がきたようだ。一番元気にはしゃぎまわり、村の人達にお酒を注いだりしていた。

 ホロちゃんは、気づくと他の村人さんの席へと行き、色々な食べ物を振舞われ…途中から眠ってしまっていた。

 カール君はお風呂から帰ってくると、村人の人が持っていた弓を見て目を輝かせ、必死にその作り方を聞いていた。

 ペイル君は…女性陣に囲まれおもちゃにされていた。私もそれに混ざりたかった。

 本人達…ペイル君を除いて遊んでいるつもりだったのだろうけど、村の人達の可愛がりは相当なものだった。

 子供がいない村だからこそ、自由な立ち振る舞いをするこの子達が眩しく見えたのだろう。

 ファウちゃんを抱っこし、ラーニャちゃんの手を引く。眠っているホロちゃんに声を掛けてみたものの、寝ぼけているのか「おんぶ」とせがんできたので、背負ってあげる。

 言いたいことは中々重い。

 体の小さな子達だから、なんとかなると思ったけどこれはしんどい。2階までいけるだろうか?

「ははは、騎士様は子供にも優しいな!」

 武器屋の男性が私を茶化してくる。

「違うんだよー…」

 泣きそうにりながらも、進もうとすると女主人さんが私の背中のホロちゃんを抱きかかえた。さらに、自然にラーニャちゃんも抱え上げ、全く苦もない様子だ。

「手伝ってあげるよ。ほらいくよ」

 女主人さんは軽やかな足取りで階段を上っていく。さすが子育て経験者…とは言わない。それはまた彼女を傷つけることになるから。




 赤い髪の冒険者、名前をカホという少女が酒場から去った後、奴隷商の私はカールとペイルを先に寝に行かせた。

 7人分の宿を取ったのだが、どうやら3部屋しかないらしく男性と女性が二手に別れて部屋を取ることになった。

 そろそろ寝ようか、とも思っていだが、

「なぁ、一杯くらい付き合ってくれよ」

 そう言って、殆ど素面に近い武器に詳しい男に誘われた。

 やれやれ、この人も上手く躱すものだと呆れそうになりながら、彼の誘いを無碍にも出来ず申し出を受け入れた。

 武器に詳しい男は、子供達が去っていった後、

「あんたは何処出身なんだ?」

 その質問には答えかねる。もう、出身は捨てた身だ。

「北方ですよ。小さな村ですがね」

 適当に誤魔化すように答えると、武器に詳しい男は「やっぱりな」と一人ごちた。

 今度はこちらが聞いていいのでしょうか、とそう思い、

「あなたは戦技を何処で学んだのですか?」

 余り興味のない質問をしてみた。武器に詳しい男は軽く首を横に振り。

「元、冒険者だからな。訓練なんてしていないさ」

「なる程、腕が立つ訳です」

 恐らく嘘だろうとは見抜いておく。冒険者でもそうそう『戦技』という高等技術は持っていない。

 ましてや碌に訓練もしない冒険者が『奇跡』や『魔術』と並ぶ三大スキルの一つである『戦技』をそう簡単に身に着けることは出来ない。

 そうなると、あの戦技からすれば察しはつく。

『必中の矢』はどう見ても暗殺向きだ。

「中央ですか?」

 私の質問に武器に詳しい男はその表情を暗くした。

「…元だ」

「ええ、でなければアイリスの騎士様は今頃は墓の下でしょうし」

「彼女は違う。俺が保証する」

 成程、彼は相当手を汚したのでしょう。その手で、あの戦技で。

 だからこそ、元といったのでしょう。それはそうでしょう。罪もない者を人知れず殺して回る等正気ではいられない。

 正気でないからこそ、同情しこのようなところに埋没しているのでしょうし。

「私もですよ」そう静かに告げると武器に詳しい男は頷いた。

「あの子達だが俺達の村では引き取れない…だから、少しでもいいとこに連れていってやってくれないか」

 武器に詳しい男がそう言ってきた。

「勿論です。それに、宛があるんですよ」

「どこだ?」

 そう聞かれたからにはちゃんと返そう。

「シノの村ですよ」

 私の言葉を聞いた彼は驚きながら「あそこには」と言いかけ言葉を飲んだ。

 この人はもう任務を解かれているはずなのに律儀なものだ。

 アルトヘイム領内での事象について調べる必要は既になくなっているはずなのに。

「…いや、カホちゃんの紹介か?」

 彼の答えに私は頷く。

「ええ。見てみたいんです。ゴブリンの大群にも屈しない強い人達を。もしかしたら、あの子達を…」

 もしかすると、私も正気ではないのかもしれない。滅びかけていて、大した産業もない村に奴隷を売りつけにいくなんて。

 だが、彼女から感じた熱と光を信じたくなった。

 これも酒の所為かもしれない。

「はは、アイリスの騎士様がいうのなら、もしかするとな」

 彼は酒を煽り一気に飲み干した。

 本来ならこの男の言動は疑うべきだ。だが、共に戦い、信じて見たくなった。

 それに、ファウが…その命を散らしそうな時に起こった、あの奇跡のような出来事を見て高揚していることも事実だ。

 信じる者は救われるのではないか…と。

 らしくない。どうやら私も正気ではないようだ。

 もし、彼が今まで言った事が全て私を騙すためのことだったのなら、それはもう仕方のないことだと諦めもつく。

「あなたとも、休戦しておきたいのですが?」

 私の提案に彼は目を伏せた。

「やっぱりか。どうせ、元だ。攻撃はしない。エアリス様に…いや、大いなるロイド神に誓う」

 やはり彼は…元とはいえ私の敵だった。

 だが、それでも分かり合えたと思いたい。

 その内、寝首をかかれるかもしれないがそれは自業自得だろう。その寝首を掻くのが彼ならば受け入れてやるのも悪くない。

「ならば、私もエアリス神に誓いましょう。その騎士として」

 私の言葉を聞くと、彼は「らしくないな。なんで奴隷商なんだ」と笑いだした。

 確かに教義に悖る行動だが、仕方ないと言うほかない。

「必死だったんです。あの子…ラーニャを助けたいと思ったんです」

 それが私に言える精一杯だった。

 彼はそんな私を笑いながら、

「俺も、そんな感じだな。この村が滅びそうなのを見てられなくて、岩鹿の狩り方を教えたんだ。中央じゃ珍しくないからな」

 彼はその後、一瞬顔を暗くし「俺に勇気がなかったんだ」と悔いた様子を見せた。

 それが何を意味しているのか分からなかったが、私も注がれた酒を飲む。

 彼の胸中は分からないが、私はこう言える。

 教義を捨てても誰かを助けたいとした私の行動は、間違っていなかったと思いたい。

「始めて良かったですよ」

 と私がそういうと、彼は笑顔で盃を掲げ。

「辞めて良かったよ」

 彼はそう締めくくり、「さて、飲むか!」と声を上げさらに酒を煽った。

 私も釣られて飲むが数杯で気持ち悪くなった。下戸なんだ私はと、机に突っ伏すと、「寝首掻かれるぞ」と彼は笑えない冗談を言ってきた。

 全く、本当に…心のおけない人だ。

 友というのは彼のような人を言うのだろうか。





 2日後―


 私、ことカホは、カリデの村で子供達と遊びながら傷を癒していたけど、そろそろ旅発つことにした。

 まだ傷が癒えていない、と引き留められたものの、いつまでもお世話になる訳にいかない。それに、まだ色々な世界を見たいと思っている。

 幸い、骨や筋には思ったよりもダメージはなく、動くこと事態に制限はない。

 そんな青臭いことを言っていると女主人さんも呆れた様子を見せ、あの服を渡してくれた。

 戦いの後、お風呂に入っている間に洗ってくれ、直してくれていたようだ。今着ている服も借り物。男物のジャケットとシャツに下は活動的なズボン。なんでこれをチョイスしたのだろう。

「縫ってくれたの!ありがとう!」

 そうお礼を言い、受け取ると。

「そりゃね。あたしのあげた可愛い服なんだから」

「私も可愛いって言って欲しいなぁ」

 なんておねだりしてみたものの、

「はいはい。男前だね」

 と軽くいなされる。それにしても男前はヒドイと思う。

「ありがとうね。カホちゃん」

 そう言って、女主人さんは私の背を押してくれた。

「どういたしまして!」と言いながら、ふと女主人さんが困惑した表情をしているのに気づいた。

「どうしたの?」

 聞いてみると、

「うーん。男らしいし、恰好いいけど、可愛いところあるのよね」

「本当ですか!?」

 食いつく勢いで聞き返すが、女主人さんは首を傾げ。

「でも結婚出来なさそうね」

「あ、はい…」

 それはもう諦めてます。ただ、女として見られないと思うと辛い気持ちになる。

 ふとファウちゃんに抱き着かれた。慰めてくれるのだろうか?

「えへへ、じゃあ私、大きくなったら結婚してあげる!」

 トドメだね。これは。小さい子は怖いよね。悪意なく結構エグイことするよね。

 因みに、この2日間、ファウちゃんとは相部屋だった所為もあり、やけに距離が近くなった。

「女の子…だよね」

「うん…!」と無邪気に笑うファウちゃん。

 そうだよね。このくらいの歳だったら大人の人に誰にでも言っちゃうよね。でも、女同士に言うのはやめて欲しい。

「…ありがとう」

 諫める言葉も見つからず受け入れるとファウちゃんは嬉しそうに飛び跳ねた。

「あっはっは!子供には甘いね!まぁ、良かったじゃないか!未来の奥さんが出来て!」

 女主人が剛毅に笑う。

「結局…男の子扱いなのね…」

 肩を落としたくなる気分だ。そして、借りていた服を返そうとしたものの、「似合ってるから持っていきなさい」と。

 嬉しいのだけど、何故男物を!?

 固辞したのだけど、どうにもならず結局、男物の服を着たまま旅に戻ることにした。

 村を出ていくとき、馬車がなくなってしまったので、暫くここに居着くことになった奴隷商さんやその子供達、村の人達が見送りに来てくれた。

「さてと、行ってきます!カリデの村にエアリス様の加護があらんことを!」

 私が声を上げて別れを告げると。

「いってらっしゃい。いつでも歓迎するよ!カホ君!」

「君じゃなくてちゃん!もしくはさん!」

 失礼なことを言ってきたのは武器屋の男性だ。この2日間、奴隷商さんと仲良くなったようでよく一緒に飲んでいたのは印象的だった。

 そして、下戸の奴隷商さんが飲み過ぎて私にリバースしてきたのも印象的だった。

「私も傷が治ったら出発するよ」

 奴隷商さんは恰好付けているが、明らかに二日酔いだ。

 気持ち悪いといいながら、子供達に背中をさすってもらっている。恰好ついてないよ。

「カホお姉さん、また会いましょう」とペイル君に続いて、

「またねーカホお姉ちゃん!」元気に手を振るラーニャちゃん。

「相手を良く見るお姉ちゃん。またねー」と最後まで追い打ちを欠かさないホロちゃん。

「また稽古してくれよな!」とカール君。

「約束だよ!カホお姉ちゃん!」とファウちゃんが必死に手を大きく振る。

 私も「約束するね」と再開を約束する。

「ファウは本当にカホ姉ちゃん大好きだよな!」

 とカール君がファウちゃんの頭を撫でる。

「うん。お嫁さんにして貰うの!」

 ファウちゃんも満面の笑顔でカール君に応えカール君も大きく笑ってみせる。

「おう!ファウならいいお嫁さんになれるぜ!…あれ?うん?」

 おかしいことに気付いて欲しい。そんな隣でペイル君は頭を抱えていた。

 そして、私はとんでもないことを約束してしまったのでは、と今更後悔してしまう。

「行ってきます。女将さん」

 最後に女主人さんにそう告げると、彼女は少し困った表情を浮かべた。

「あー、今更だけど女将さんて呼び方やめてくれないかい?」

 皆そう呼んでるのに、とは言えなかった。

 女主人さんは照れるように頬を掻き。

「なんかお母さんって聞こえちまう。だから、そのままにしてたんだけどね」

 言い終わった後にバツが悪そうに剛毅に笑い飛ばし。

「あんたはあたしの娘じゃなくて、カホちゃんだ!立派な駆け出し冒険者さ!だからカホちゃんとして見送らせておくれよ!」

 立派な駆け出し冒険者…。

 まだ私の旅はほんの始まったばかりで、隣の村であるシノの村からここまで来ただけ。

 それでも、冒険者として認められた。

 頑張ろう。もっと先に行こう。まだ見ぬものを…この世界を知り、好きになりたいという思いを確かにしていきたい。

「はい!」

 強く頷き、今度こそ最後の別れを言う。

「いってきます…えーと…女主人さん?」

 私の気の抜けた言葉に女主人さんは目を丸くし。そして笑い出した。

「そういえば名前言ってなかったね。まぁ、そんなもんでいいんだよ。その地に根付かず、鳥のようにどこまでも行くのが冒険者さ!」

 その地に根付かず、鳥のようにどこまでも行く。

 そうだ。そうしよう。私もそういう冒険者になろう。

 まだまだ辛いことは多いし、困惑することも多いけど、この世界をもっと知りたい、この気持ちだけは絶対に嘘じゃないから。

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