88:スガモの悲願①
その晩、夕食前にプチ会議。
議題は、ユニおの角を市長クエストのために譲渡していいものかどうか、だ。
「シュウさんと姐さんはどうしたいんですか?」
顔を見合わせる愁とタミコ、そろって首をひねる。
「うーん……手放すのはちょっと忍びないけど、それで難病に苦しむ少女が一人救われるっていうなら……」
「アベシュー、めがおかねになってるりす」
「タミコはどうしたいの?」
「おもいではあたいのむねのなかにあるりすからね」
「お前のそういうとこ好きだよ」
「だっ! だれがヨメりすかー! やだりすー!」
デレたタミコのリスビンタぺしぺし。
まあ、ユニおも人助けに使われるなら責めはしないだろう。ましてや相手は十歳に満たない無垢な少女だ。
「ただ……手に入れた経緯をどう説明したもんかねえ」
「正直に答えちゃうと、オオツカにユニコーン狩りのツアーが組まれちゃいますね」
「だよね」
「でもそれはそれでしかたない気もしますけど。狩人と獣は本来そういう関係ですし」
「でも友だちだもんね。獣とか関係なくね。できれば平和に暮らしてほしいかな」
「りすね」
「そういうとこ、らしいですけどね。二人とも」
彼が具体的になにをしてくれたということはないが、彼の存在は孤独だった愁とタミコにとって、生き物の温もりを感じられる癒やしや励みになるものだった。別れ際にしても、勝手ながらささやかな絆のようなものすら感じられた。
その彼を、金に目がくらんで苦境に追い込むような真似は絶対にしたくない。
「これで病気の女の子が救えるなら、それはそれでいい。だけどユニおさんたちにも迷惑はかけたくない。つーわけで、なんかうまくできる方法がないか検討したいんだけど……ノア先生、いかがでしょう?」
「あとであたいのしっぽニギニギしていいりすよ?」
揉み手で窺う愁とタミコ。ノアは息をつき、タミコの尻尾をニギニギする。「ああっ……あとでっていったりすのにぃ……!」。
***
翌日。雨は降っていないが若干蒸し暑い曇りの日。
営業所の窓口に、いつものようにカイケがいる。「アベさん、おはようございます」と昨日鼻血を噴いたままあうあうと退散した不審人物にもプロの営業スマイルで応じてくれる。
「はあっ!? ほんとですかっ!?」
そんなカイケでも、ひそひそ伝えるとびっくり仰天。すぐに奥に引っ込んでいき、例によって上司と相談し、愁たちを二階の面接室に連れていく。「ここでしばらくお待ちください」ということで、お茶と煎餅が出てくる。
工事現場かという騒音をたてて煎餅をかじりちらすタミコ。静かにお茶を飲むノア。愁はちょっと眠くなってくる。
どれくらい経ったのかわからないが、後ろでドアの開く音がしてはっと我に返る。入ってきたのはカイケと、初対面の三十代半ばくらいのイケメンだ。しゅっとした長身痩躯、緩やかな天然パーマ気味の黒髪、白い作業着のようなものを着て黒縁のメガネをかけている。狩人っぽくない雰囲気だ。
「初めまして、ノマグチ・エイキと申します。スガモ市長のご息女の主治医です」
向かいに座る彼の物腰は柔らかい。優しそうな人だ。そういえば昔入院したときに手術を担当してくれた人もこんな感じだった。
「ユニコーンの角をご持参いただいたとのことで、慌てて馳せ参じました」
言われてみると額にはびっしり汗をかいているし、無理やり荒い呼吸を押し殺している。そのせいで何度かむせる。
「しっ、失礼。それで、あの、さっそくですが……」
「あ、はい」
テーブルの上にそれを置く。ノマグチとカイケが息を呑む。
「触っても……?」
「どうぞ」
おそるおそるという風に、ノマグチがそれを手にとる。いろんな角度から眺め、ルーペで覗き、においを嗅ぐ。オオカミ臭がまだ残っているので案の定少し顔をしかめる。
「面接のときからそうでしたけど、オウジといい今回の件といい……アベさんってほんとぶっとんでますね」
「褒めてます?」
「もちろんです」
ふう、とノマグチが角をテーブルに戻し、目頭を指で揉む。その手が震えている。
「実物を見るのはこれで二度目ですが……本物とよく似ているようにお見受けします。信じられません……まさか、ほんとに……」
「はい、本物っすけど」
「あ、すみません、お気を悪くされましたら。これまでもさんざん、その……本物を騙る品を提示されてきたもので。なにせ、とても希少な品ですから」
「なるほど(さんぜんまん)」
「あの、これをどこで……?」
「えっと…………わかりません」
「は?」
「親父の形見だったんで。どこのメトロで手に入れたとかは聞いてません。ずっと肌身離さず持ってました」
などという細かく突っ込みづらい親子のストーリー(ノア案)。
ノマグチが思案顔になる。
「アベさんのお父さんはとても優秀な狩人だったそうです。アベさん自身も、わけあって狩人としては日が浅いですが、レベルも経験値も達人級です」
正直、この場にカイケが同席するのは想定外だった。最初から別の人に声をかけるべきだったか。
【心眼】――人の感情を色覚で認識する(と思われる)菌性の持ち主であるカイケ。これの由来に関する嘘を見抜いた上で、そしてこれが本物であるという唯一の本音を見抜いた上で、話を合わせてくれているのだろうか。
「……真贋の検証のため、ほんの少しだけかけらを採集させていただいてもよろしいでしょうか?」
「いいですけど、少しだけ?」
「この折れた部分をちょっとだけ削って、かけらをほんの少し採取させていただければと」
「それで本物かわかるんですか?」
「はい。市長のご息女と同じ〝菌糸硬化症〟のラットに投与してみるつもりです」
「きんしこうかしょう?」
「はい、あ、すみません。その説明がまだでしたね」
ノマグチがくいっとメガネを上げる。
「ご息女の患っておられる病です。幼少時にのみ発症する先天性の疾患で、全身の筋肉が硬質化してしまう難病です。全身にめぐる菌糸がかたくこわばり、筋肉や内臓の動きを阻害し、やがて死に至ります」
「うわあ……」
「いわゆる菌糸不全系の病気の一種で、具体的な原因は未だに解明されていません。特に重篤になりやすく、通常の治療法では症状の進行を食い止めるのが精いっぱいで、根治させるにはユニコーンの角を材料とした治療薬を投与するしかありません」
「その病気の子って結構いるんですか?」
「正確な数はわかりませんが、数万人から数十万人に一人と言われています。このスガモ市にいる患者は現在二人だけです。お嬢様が発症したのは四歳の頃でした。以来四年間、屋敷の外に出ることも叶わず、じわじわと進行していく病状を食い止めるだけの日々を送ってきました」
ノマグチが沈痛な眼差しが眼鏡の奥に隠れる。
「明日には薬が手に入るんじゃないかという希望にすがりながら、真綿を締めるような緩やかな絶望に耐える日々です。それが幼い彼女にとってどれほどの恐怖か。大人はただ手を握り、励まし、慰め、ときおり荒む心の受け皿になってやることしかできない」
そこで言葉が切れると、部屋が静まり返る。タミコもノアも気の毒そうにしている。
ふう、とノマグチは一つ息をつき、小さくうなずく。
「……これが我々の求め続けた本物であると、個人的には願ってやみません。ただし、あの子とご両親にぬか喜びはさせられない。厳密に検証させていただきますので、お待ちいただけると助かります」
「はい、それでだいじょぶです」