85:狩人ギルド総帥トウゴウ・アドム
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「83:強くなろう①」でのククルカン孵化シーン追加に伴い、本話のククルカンに関する記述も修正しました。
鬼教官と化したギラン(とつられてわめく肩乗り上官)に急かされ、丸一日の強行軍で地上へ到達する。鉱夫たち採掘物と一緒に上りの業務用エレベーターで上がり、案の定嘔吐するタミコとノア。
「なんか、ジメジメすんなあ……」
「あたいのけがカビちゃいそうりす……」
地上で一行を出迎えるのは、しとしとと霧のような細かい雨だ。気温もわりと高く、湿気が肌にまとわりついてくるような感覚がある。
いつの間にか、六月も半ばをすぎている。シン・トーキョーで迎える初めての梅雨だ。
メトロは深層に行くにつれ、季節感がなくなっていく。オオツカメトロにいた頃は年中ほとんど気温差がなかった。エアコン依存症だった愁としては、これから訪れる夏が楽しみ半分不安半分だったりする。
「梅雨から夏にかけて、狩人としては書き入れ時なんですけどね。メトロ獣の数が一気に増えたり、この時期にしか咲かない菌糸植物なんかもあったりして」
「なるほど」
ギランが狩人ギルドで事の顛末を報告すると、ただちにオウジメトロの封鎖が言い渡され、オウジの街はちょっとした混乱に陥る。入り口の工場には鉱夫や狩人が殺到し、怒号や揶揄が飛び交う事態に。事が事だけに末端のギルド職員らには情報は下りてきておらず、「金脈を掘り当てた」「かつてない強大なゴーレムの出現」「毒ガスの蔓延」など根も葉もない噂であふれ返る。
そのまま愁たちは、ギルドの用意した温泉宿ですごすことになる。要はギルドによる調査が完了するまでの待機時間だ。
温泉めぐりをしたり(パンツ泥棒を湯船に沈め)、温泉まんじゅうやに舌鼓を打ったり(「うまたにえんりす!」)、ギルドを通して戦利品の一部を売却手続きしたり(ミスリルやヒヒイロカネ以外の一部だけでも百万円を超えて鼻血)。
アスカヤマの丘でピクニックしたり(渾身のおにぎりでメシマズの汚名を返上)、双子とともに浴びるほど飲んだり(酔わせるとノアは脱ぎたがるという貴重な事実が判明)、近場の森で身体を動かしたり。
あるいはタミコが人生初の換毛期を迎え、「あたいハゲちゃうりすー! ぴぎゃー!」と大騒ぎになる。室内飼いとエアコンの普及でペットの換毛期が曖昧になるという話を聞いたことがあるが、地上の気温に彼女の身体がきちんと反応した結果のようだ。
ノアにしきりにブラッシングをねだるが、数日もすれば肉体の変化にも慣れて「あたい、ちょっとやせたりすかね?」と幾分スマートになったボディーを見せつけてきたりする。
そんなこんなで、まったりのんびり平和な日々を堪能する。深層での地獄が嘘のような穏やかさだ。
幸いなことに、というか。ノアは――表面上は特になにも変化はない。
たまに、彼女の中にいると思われる〝キラキラ(仮称)〟に話しかけてみるも反応はない。いつものノアがきょとんとした表情を返してくれるだけだ。
(……でも……)
彼女の中にナニカがいることは確かだ。それは愁もタミコも確信している。
そしてそれが、日に日に大きくなり、いずれノアを支配して――そんな風に妄想して不安になる。
そんな日がいつか本当に来るのだろうか。それまでにどれくらい時間が残されているのだろうか。
(もっと魔人について調べないと)
魔人研究のオーソリティーである教団に話を聞こうと、ノアに内緒で彼らの元を訪れる。
この街にはベテランの説教師がいる。オウジ到着時、愁を睨みつけたあのおっかない男だ。若干気が進まないところもあるが、背に腹は代えられず、面会を願い出る。しかし彼の弟子らしき人たちにやんわりお断りされてしまう。なんでも、彼の腹心がメトロで事故死して、えらく気落ちしてしばらくふさぎこんだままだという。
(あー、それもそっか)
(アラトの宿主? の美人さん、ここの人だったっけ)
(そんで……殺したの俺だし)
弟子たちに不穏な様子はない。彼らレベルでは事故死という嘘が事実として伝えられているようだ。
上司のほうは真相を聞かされているはずだ。長年同じ釜の飯を食った者が人類の宿敵そのものだった、それを見抜けなかった。その心中は痛いほどに察せられる。
(つーか、ギランから聞いた以上の情報となると)
(教団の上層部とかに聞くしかないかもかなあ)
メトロ教団教祖。現存する三人の糸繰士の一人。
その人に会えれば、なにかわかるかもしれない。
ただし、そうなったとき――なんとなく、腹をくくらなければいけない気がする。
愁自身の秘密が明かされる。この国の中枢に横たわる謎に、否応なく巻き込まれていく――。
そんな覚悟が必要になる気がする。
ギランは調査のほうに協力しているらしく、同じ宿なのにほとんど顔を合わせることはない。ショロトル族と〝糸繰りの民〟の交流交渉においても彼が仲立ちになるという話だから、忙しくやっているようだ。
そうして、地上に戻ってから二週間後。ようやくギルドからの呼び出しがかかる。
広めの会議室でギランとともに待ち受けるのは、ふさふさとした白髪とヒゲが印象的な六十代くらいの男だ。がっしりとした体格で上背もある。只者ではない威厳と風格が漂っている。
「お初にお目にかかる」
その男が渋い声で名乗る。
「狩人ギルド総帥、トウゴウ・アドムだ」
ひゅう、と双子がそろって息を呑む。
***
「どうぞ」
テーブルの向かいを勧められる。双子に背中を押され、愁がその真向かいに座ることになる。
(なんかオーラすげえな)
ギルドに所属する狩人は六万人ほどと聞いている。〝人民〟以外の菌職を持つ人口の約半数。その六万人の頂点に位置するのがこの人なのだ。
その眼光は鋭く、目に見えるほど濃密な精気がみなぎっている。口ヒゲに思いっきりまんじゅうのカスが付着したままだが、誰も指摘できない。
「ひそひそ(タミコ)」
「ひそひそ(80こえてるりす)」
確か上位菌職のレベル上限は80前後のはずだから、この人はそこに到達しているわけだ。ギルドのトップにして、人類最強クラスの狩人。傍若無人を絵に描いたような双子でさえ借りてきた猫のようになっている。
「いやいや、〝魔人狩り〟の諸君にお目にかかれて光栄だ。総帥などという地位に就いて二十年になるが、そのような栄誉に浴する機会は一度もなかった。そういう意味では君たちは、私など及びもしない偉業を成し遂げた英傑というわけだ」
「〝魔人狩り〟?」
「魔人討伐を果たした、あるいはそれに協力した狩人に与えられる称号さ。とはいえ、現役でそれを担う者は一人もいない。五十年前の戦争の折りにそれを得た先輩も、今では縁側で茶をすするジジイだからな。ばっはっはっ」
「総帥」とギラン。
「お前にしてもそうだぞ、ギラン。ちょっと前まであの鼻垂れオオカミだった小僧が、都庁も手を焼いとったイケブクロの暴君のみならず、魔人まで討ち果たすとはなあ。俺もジジイになるってもんだなあ、ばっはっはっ」
大きな手で頭をぐりぐりわしゃわしゃされるギラン。ちょっとうざったそうにしている。
イケブクロの暴君、というワードが出た瞬間、隣のノアがぴくっと反応したのを愁は見逃さない。
「……君がアベ・シュウくんだね」
「あ、はい……」
ふいにまっすぐ視線をぶつけられ、愁としては若干たじろぐ。
「話は聞いているよ。魔人討伐においてギランと並び死力を尽くした豪傑とね」
「はい……恐縮です」
ショロトル族を含め、魔人戦においての殊勲者はギランということになっている。愁自身の希望によって。
「まさかそれが、本部でも噂になっていたスガモの最強ルーキーとはね。納得した反面、英雄譚にしてもできすぎだ。こう言ってはなんだが、派手な経歴とは裏腹に印象の薄い容貌という噂も事実のようだ」
噂の発信源は誰だ。カイケかアオモトか?
「支部から報告された君の経歴や実力については、本部でも懐疑的な者が少なからずいたのだが……一目見た瞬間わかったよ、君は本物だとね。これでも伊達に長く生きてないからな、人を見る目というものにはそれなりに自信があるんだ」
「あたいのきょういくのたまものりす」
「なんでそんな大層なもんじゃないです」
「ばっはっはっ。頼もしいコンビじゃないか。アベくん、それとタミコくんだったか、今後ともシン・トーキョーと我らがギルドのために尽力してもらえるとありがたい」
「総帥、本題に入りましょう」とギラン。
「おお、そうだな。呼び出しておいて申し訳ないが、私も次の予定があるのでな。というわけで、諸君らに伝えるべき事項は二つある。先ほどから話している魔人討伐の件と、ショロトル族の件だ。先に後者のほうを伝えておこうか」
ごほん、とトウゴウが一つ咳払いをする。
「都庁の使節団とショロトル族との間で、早晩、族長ナイを利益代表に据えた友好協定が結ばれる予定だ。彼らは都庁政府並びに狩人ギルドの庇護下に入り、生活技術や教育などを供与される。こちら側としては三十二階以降の資源採掘への協力を仰ぐことになる。もちろん彼らの諸々の権利保護にも努めるつもりだ」
狩人にとってはミスリルを始めとした希少鉱物資源が最優先の目的なのだろうが、友好な関係を結べるのならショロトル族にとっても悪くない話なのだろう。
「一部の有志が彼らの集落へ駐留することを望んでいて、彼らもそれを受け入れてくれるという話になっている。実際私も赴いたんだが、なんというか……使節団の中に、彼らの愛くるしさにあてられた者が多くてな。いやまあ、私もその……あの無垢な瞳、豊かな体毛、『ワン』というあざとい語尾……ちくしょう、オヤマ氏め……」
憎らしげに唇を噛むトウゴウ。内心にやりとする愁。しょせん人類はモフモフには勝てないのだ。
「ともあれ、ファーストコンタクトでこれだけ友好的な交渉が進められたのも、諸君らの貢献によるところが大きい。狩人ギルドを代表する者として、感謝の意を表明させてもらう。ありがとう、彼らにとっての英雄よ」
「心配なのは――あのククルカンですね、総帥」
「ああ、私もこの目で見てきたよ。実に美しいヘビだった。すでに体長は余裕で私を超えているけどな」
愁たちがあそこを発つ前は、せいぜい体長一メートルほどだった。この短い間に倍以上にも成長しているようだ。
「現在もショロトル族が餌付けをしているが……爬虫類は刷り込みがないからな、完全に懐きはしないだろう。ギルドの〝幻術士〟に【調教】を任せてみるつもりだが、果たしてうまくいくものか。あれが三十一階に放たれる際は、なるべく三十階と三十二階を結ぶルートから遠ざけた場所に縄張りを持たせるようにしたいが……」
その先を言いよどみ、肩をすくめるトウゴウ。
「まあ、今のうちに討伐してしまうのが狩人としては最もリスクの低い話ではあるんだが、当然ショロトル族がそれを望んでいない。今はまだ人的被害の出るほどのレベルではないが……いずれは難しい選択を迫られる日が来るかもしれんな」
ショロトル族としては、ククルカンはある意味崇拝の対象だ。彼らの身内に被害が出たとしても、それも運命だと受け入れてしまうだろう。しかし狩人はそうはいかない、人的被害が想定される獣であれば駆除を念頭に対応策を練る必要がある。
人と獣。果たしてどこまで寄り添い合っていけるものだろうか。愁としてもなるべく穏当な未来をたどることを願うしかない。
「とまあ、いろいろと課題も多いが、ショロトル族に関しては地道に友好な関係を築いていこうと模索中だ。ときどき諸君らも顔を見せに行ってやってくれ。彼らも喜ぶだろう」
「はい」
まだモフが足りない。
「では、もう一つの用件。魔人の討伐についてだが……」
トウゴウはそこで一呼吸置き、お茶をすする。
「諸君らも知ってのとおり、魔人とはシン・トーキョーの平和を脅かす災厄であり、これを討つことは狩人ギルドの悲願である。ギルドは見事それを果たしてくれた諸君らの奮闘と献身を称え、栄典と褒賞の授与を検討しなければならない、と個人的には考えているんだが……」
褒賞でぴくっと耳が動く英雄の面々。
「魔人再来という最悪の報せを、果たしてそのまま世間へ公表したものかどうか……という点で、ギルド・都庁・教団の各組織の上層部は真っ二つに割れている。無理もない、五十年前の戦争の折り、人に化け人の世に潜むという魔人の性質は、民衆の間に疑心と不和を招いたのだ」
トウゴウもギランも難しい顔をしている。先ほどの話は、二人の見解とは異なるのかもしれない。
魔人討伐の事実は、シン・トーキョーの堅固さや狩人の活躍をアピールする機会になるし、社会に対して潜在的な危機への警鐘にもなる。
しかし反面、それを公表することで徒に社会への混乱を招く結果になるかもしれないし、万が一他にも身を潜めている魔人がいるとなれば、そいつらへ刺激を与えることにもなりうる。
事実の隠蔽と言ってしまうと悪印象だが、社会の安定と秩序を保つことを考えると、確かに難しい判断かもしれない。
「というわけで……諸君には申し訳ないが、現在の情報統制は今後もしばらく続くことになる。諸君らも口外しないよう努めてもらいたい。もちろんギルド本部としては、諸君らの貢献に対する恩義を忘れることはない。今後必ず、なにかしらの形で報いることを約束しよう」
まあそういうことなら、と目が¥マークになった英雄たちはうなずく。
「五十年という時を経て再び現れた魔人……これが乱世の呼び水とならなければよいのだがな。諸君らのような同志がいてくれることは、私のような隠居寸前の老骨には本当に心強い思いだよ。どうかこれからもよろしく頼む」
それからしばらく雑談を交わし、時間ということでお開きになる。
「――アベくん」
退室しようとしたところで、トウゴウに呼び止められる。
ドキッとしながら手招きのままに近寄ると、もじゃもじゃの白ヒゲ面がぬっと寄ってくる。
「君に一つ朗報があるんだ」
「朗報?」
「ああ。君が手に入れたというヒヒイロカネについてだ」
チクりやがってエロオオカミ。
「それで武器をつくることを望んでいると聞いたが、それを取り扱える職人はシン・トーキョー広しと言えど、たった一人しかいない。同じヒヒイロカネで都知事閣下の刀を打った名工だ。彼と渡りをつけるアテはあるのかね? 差し出がましいようだが――……」
前言撤回。グッジョブオオカミ。
「リクギメトロ~予兆編」、スタートです。