84:強くなろう②
「ようやくみんな寝静まったみたいだな」
砦の片隅で、ギランと二人きりになる。実際はタミコもいるが、もはやおねむで目をしぱしぱさせている。
深夜に男同士で密会というのもアレだなと思う。近くにクレがいないことを【感知胞子】で確認。
「本題としては、地上に戻った際にギルドに報告する内容についてだ。君と私とで大まかな方向性を決めて、それを他の者たちに共有する形で行こうかと思う」
魔人の出現、そして討伐。国家的危機に相当する事件を隠匿するわけにはいかない、ということらしい。
愁としても菌職バレさえ回避できればそれでいいと思っている。英雄様に矢面に立ってもらう気満々ではある。いっそ三十一階の発見者の栄誉も譲ってしまいたい。
「その前に、いろいろと訊きたいことがあるんだろう?」
「そっすね……つか、いつから気づいてました?」
「再会したとき、ジャージの背中に穴が開いていたろう? その時点で【阿修羅】持ちだってことは見当がついていた」
「あ」
ナイトゴーレム戦の直後か。初歩的すぎるミスだ。
「なのに自己申告では【光刃】使いだという。通常ではありえない組み合わせだ。他にもまあ、『チワワ』というオヤマ氏の知っていた犬種のこともそうだし、君自身の雰囲気が他の〝糸繰士〟と似ていたこともそうだし……という感じで、薄々というかほぼ確信していたよ」
「なるほど」
不可抗力の部分もあるが、だいぶボロが出ていた模様。反省材料だ。
「……君がそれを隠したがる気持ちは理解している。私としても、恩人に後ろ足で砂をかけるような真似はしないつもりさ」
「イヌ科ならではの説得力っすね」
「ときどき使うんだ、と言っても私は霊長類だけどな。ともあれ、君の秘密は守る。背中を預け合った戦友として約束する」
ちょっとこそばゆくて気恥ずかしくなる。悪い気はしない。
「あ、えっと……上司つーか、イケブクロの族長さんとかにも?」
バツが悪そうに頭を掻くギラン。
「そこはなあ……うちの族長が知れば、是が非でも君をスカウトしようと画策するだろうな。三度のメシより有能な若人が好きだから。しかしそうなると内外でのドタバタは必至だ。私も女性を口説く暇もなくなるほど忙殺されることが想定される。それは絶対に避けたい」
「私情やん」
まあ、どういう思惑があるにせよ、黙っていてくれるならありがたい。
「ありがとうございます。その件はそれでだいじょぶです。んで……話変わるんですけど。魔人ってなんなんすかね?」
ギランが懐から小瓶をとり出す。中には細かく砕けた金色の石――〝菌石〟が入っている。
マンガやアニメに毒された世代からすると「復活したらどうすんの! 滅却処分はよ!」とさけびたいところだが、完全に死んでいるので問題ないという。研究素材としてギルドに提出するそうだ。
「〝超菌類〟の化身、人類の悪行を断罪する負の遺産……いろんな憶測が今なお語られているが、端的に言えばこの〝菌石〟こそが魔人そのものだ」
からからと小瓶を振ってみせる。こんな綺麗でちっぽけな金色のかけらが、あの恐ろしい怪物そのものだという事実が、今でもぴんとこない。
「やつらはどこからともなく他の生物の体内に寄生し、記憶や経験を読み取り、宿主を変えながら成長していく。やがて完全に宿主を乗っ取り、宿主以上の力を発揮する怪物となった者を、我々は魔人と呼んでいる」
「寄生……」
奇しくもゴーレムやゾンビと重なる気がする。
「魔人の由来、本質、目的……それらは我々にも未だにわからない。他のどんな生き物とも異質な存在……一つはっきりしているのは、そのほとんどが人類にとって明白な悪意と害意を持っているということだ」
「ほとんど? 敵対しない魔人もいたってことですか?」
「ああ……戦争の際に中立の立場をとった魔人もいたそうだ。私もそれ以上のことは知らないがね。人類の宿敵と認定されて五十余年、魔人は未だに謎だらけだ。教団が最も魔人研究に熱心な組織だが、私の知識も彼らにとっては氷山の一角にすぎないのかもしれないな」
小難しい話にタミコが落ちる。愁の太腿の上で鼻ちょうちんが膨らみはじめる。疲れもあってしかたないのだろうが、大事な話なのであとで共有しておこう。
「今回の自称アラトは、覚醒体――魔人本来の力を発揮する形態をそう呼ぶが、その扱いは明らかに未熟だった。戦争の頃に暗躍した魔人と同レベルだったなら、今頃私たちはこうしてぬくぬくとはしていられなかっただろうな」
あの強さでまだ未熟だとしたら、成熟した個体はどれほどになるのか。想像もつかない。
「一方、まだ公には認められた見解ではないが……未成熟な魔人の覚醒体の発現は、我々が〝魔人病〟と呼ぶ症状と同一だという説もある。症例も目撃者も少なすぎて憶測の域を出ていないが、私もその説が妥当だと思っている」
「……魔人病……」
野盗の頭領の変わり果てた姿を思い出す。あの顔つき、雰囲気、黒い体液……多くの部分でアラトと重なる。
頭領の不気味なセリフとノアの言葉が重なる。アベシュウノキラキラ――。
魔人性が宿主を変えるものであり、魔人病と同質のものである、という仮説が事実なら――。
「それが事実なら……魔人病患者は未来の魔人の温床ということになる。人類にとっての最悪の爆弾になりうる存在だ……放ってはおけない」
ぎゅっとてのひらを握りしめるギラン。
戦いのあと、愁はノアの異変についてギランに打ち明けてしまった。気絶していた他の面々には内緒のまま、ギランにだけ。
魔人病の男と戦ったことまでは伝えていない。だがギランは今、愁と同じ推測に至っているようだ。
「……君が見定めるんだ。そのときを。あるいはそれがどんな存在なのかを。糸繰りの国と君にとって、災いとなるのか、歴史を変える者となるのか――」
あのときノアが――ノアの中にいたなにかが生み出した、白銀色の菌糸玉。隠し倉庫で目にしたミスリル鉱石にも似た色のそれは、ギランの推測では【霊珠】というものらしい。
摂取者に【聖癒】以上の治療効果と各種能力の向上効果をもたらし、魔人戦争を人類の勝利に導いた超有名な菌能だ。その使い手は人類史上ただ一人、教団の教祖のみだという。
あれがなければ、愁はアラトを討つことができなかった。
彼女の思惑は。彼女はなにを望んだのだろうか。
彼女の本質は。彼女はノアをどうするつもりなのか。
――見定めなければいけない。この目で。
「私も、できる限りのことはしよう。まずは一から情報収集だな。教団の連中は曲者が多くて油断ならないんだがね」
「ありがとうございます……姫のために、ですかね」
ギランの耳がぴくっとする。
「ノアがアラトに撃たれたとき、あの子のことをそう呼んでましたよね」
「……聞き間違いじゃないか?」
「あの子となにか、個人的なつながりでもあるんですか?」
だから、胸の内に仕舞ってくれようとしているのだろうか。彼女の中にいるかもしれないものについて。
ギランは立ち上がり、背中を向ける。小さく首を振る。
「……彼女の口から聞くといい。男の口で女の過去を暴くのは野暮というものだ。そして……できれば彼女には、私のことは伏せておいてほしい」
振り返らずに軽く手を振る。そしてざっざっと足音が遠ざかっていく。その背中が見えなくなったところで、慌てて足音が引き返してくる。
「……忘れてた。本題がまだだった」
「ですよね」
***
テントに戻って横になろうとすると、隣で眠っていたノアが目を覚ます。
「ごめん、起こしちゃった?」
「……いえ、ずっと寝てましたし」
戦闘終了後、何度か目を覚ましたものの、ほとんどずっと眠ったままだった。
とはいえ、まだ眠そうだ。目がとろんとしている。
「……もっかい確認なんだけど、やっぱりなにも憶えてない?」
【霊珠】を――口で直接――あばばばば。
「……はい。あの魔人? になんかくらって、気づいたら全部終わってて。ていうかボク、なんかしました……?」
「いや、その……俺の雄姿を見てなかったんだなって。アカウシタケでガンギメして魔人ぶっ倒したとことか」
「すいません、全然……でも、見たかったなあ。ボク、なんの役にも立てなくて……すいませんでした……」
ノアの頭をそっと撫でる。首を振ってみせる。
「……キラキラ?」
「え?」
「いや、なんでもない」
彼女の奥で眠っているのだろうか。それとも聞こえていないふりをしているのだろうか。
いずれ再び言葉を交わさなければいけない。見定めなければいけない。いつか――。
「……明日、ノアがだいじょぶならここを出るよ。だから今は、ゆっくりおやすみ」
「……はい、おやすみなさい……」
ノアが目を閉じてすぐに、安らかな寝息が聞こえてくる。それを確認して、愁も隣に腰を下ろす。
懐に入れていたタミコを隣に横たわらせ、自分も横になる。
「……アベシュー……」
「ん? 起こしちゃったか」
タミコがもぞもぞと寝返りを打ち、愁に背中を向ける。尻尾がくたっとする。
「……あたい、なんにもできなかったりす……」
「俺は助けられたよ」
「それだけりす……みんながボロボロになっても、あたいはみてるだけだったりす……」
ちゅん、と鼻を一つすする。
「……あたい、もっとつよくなりたいりす……」
愁はうなずいて、その背中をそっと撫でる。
「俺もだよ」
仰向けになり、目を閉じる。
「もっと強くならなきゃ、魔人相手でもみんなを守れるくらいに。もっと知らなくちゃ、この世界のことを。だから……明日からまた、一緒にがんばろうな」
「……りっす。あたいについてくるりす」
「そうこなきゃだね、上官」
頬にふわっとした感触が触れる。タミコがすりすりしている。ちょっと暑くて寝苦しいが、まあいいか。
「おやすみ、タミコ」
「おやすみ、アベシュー」
***
達成感と疲労困憊で泥のように眠った翌朝も、やはりオオカミの遠吠えで叩き起こされて怒りしかない。
ノアも元気になり、いよいよ地上への帰還のときだ。
一週間も滞在したショロトル族の砦。ようやく打ち解けた仔ショロトルたち。お世辞にも文明的な生活だったとは言えないが、名残惜しさがないと言えば嘘になる。小一時間くらいお別れのハグをしたい。
マッコの「マタコイ、アベ!」と目に涙をいっぱいに溜めた顔には思わずもらい泣きしそうになる。ええいああ。
だが、出発の前にやることがある。お待ちかねのクエスト報酬山分けタイム。ということで狩人七人、ショロトル族の隠し倉庫に乗り込む。
「石! 宝石類はあたしらに回せよ!」
「姉ちゃんエメラルドあった! こりゃ大物だぞ!」
唖然とする族長を尻目に、目を血走らせて倉庫内を引っ掻き回す姉妹。
「醜い、実に醜い……これが英雄たる者の姿か……」
「「エロオオカミはヘビの抜け殻でもしゃぶってろ!」」
ギランはそもそも金鉱石を求めてやってきたらしいので(指輪をつくって女の子に送りたいというどこかで聞いたような動機だ)、それらしいものを求めて物色。
クレは特に現物でほしいものはないようで、適当に金目のものを漁っている。愁たちの支払う雇用報酬もこれで賄う約束になっている。
そして愁。なにを置いてもミスリル。とりあえずゴロゴロと無造作に転がる鉱石キノコをがっつりゲット。これでどれだけ製錬? できるだろうか。基本は合金にして加工するらしいが、いろいろつくれたらいいな。ふひひ。
「今後の人類との経済交流も考慮してほどほどに」というギランの牽制もあって、あとはノアとタミコの目に留まったものだけにしておく。タミコはとにかくピカピカの石を求めてごそごそしている。
――と、ノアが部屋の隅で硬直している。
ひいじいメモをぺらぺらとめくり、ぶるぶると震えだす。
「ノア、どしたの?」
「……ししし、シュウさん、こここ、これにしましょう……」
瞳孔が開きまくって息も絶え絶えなノアが差し出したのは、赤橙色の綺麗な鉱石だ。ドッヂボールほどのサイズの大きな鉱石キノコで、まるで太陽のような煌めきを放っている。見た目以上にずっしり重い。
なんだなんだとみんなが集まってくる。
「あたしらも初めて見る石だな」
「見るからに価値ヤバそうだな」
「ナイさん、これは?」
「私たちの祖先の戦士が、ここよりもっともっと下の階層で見つけたという石ですな」
「……ひひ、ひひ……」
「落ち着けノア」
「ノアがこわれたりす」
ぽかんとする一同を見回し(ギランだけはなにか気づいたらしく、口をあんぐりしている)、ノアは引きつった顔で言葉を絞り出す。
「……ヒヒイロカネ、だと思います……ミスリルを超える……菌糸寄生の適性もある……地上最強の金属……」
「……マジか」
「アベシューとノア、はなぢでてるりす」