79:自称オウジメトロのラスボス
静けさが戻ってくるのと同時に、霧もまた戻ってきたようだ。
白濁した空気の向こうから足音が聞こえてくる。ギランたちだ。クレとシシカバ姉妹、それとショロトル族が数名。
「ビショップを倒したようだな。よくやってくれたな、アベくん」
「はい、おかげさまで……強かったっすけどね」
「ああ、さすがは僕のシュウくん……誰にもできないことを平然とやってのける、そこにシビぶっ」
頬ずりしようとしてくるので掌底で顎を打ち抜いておく。
しゃがみこんでいる愁の前にギランが腰を下ろし、肉球のてのひらを差し出す。もにゅっと握手。
「こっちも大変だったよ。トレントが厄介だったもんで、もらった【火球】も全弾撃ち尽くした」
「しばらく牛肉見たくねえな」
「今度のBBQは豚にしとくか」
双子も隣にどかっと座りつつ、ぺちぺちと愁の肩を叩く。みんな傷だらけ血まみれ埃まみれだ。
「あの、他のショロトル族は?」
「負傷者を連れていったん戻らせたよ。全員命に別状はないし、犠牲者も出なかった」
マッコが仲間たちとマウマウと無事の再会を喜び合っている。
「つか、陽動のおかげでどうにかなったけど、単騎駆けならギランさんのがよかったんじゃないすか? 俺より強いだろうし」
そうなると愁の役目はゾンビ軍団相手の耐久戦になっていたわけだが。
「……いや。多少の年の功はあっても、ポテンシャルの差は歴然だ。【蓄積】を得た時点で、君はもはや私など優に超えてしまっている」
謙遜かと思いきやが、わりと真面目な顔なので愁も返答に困る。
――この男は、ギランは、自分になにを感じているのだろう。どこまで気づいているのだろう。
訊きたくても訊けない。墓穴を掘りそうだから。
「……さてと、小休止もここまでだ。まだ戦争は終わっていないからな。いよいよ本丸攻略、といきたいところだが――」
一同の目が祭壇を見上げる。
この都市で最も巨大で最も高いそれは、身じろぎの一つもせずに未だに沈黙を保っている。
(そういや『アステカの祭壇』って、ネットじゃネタ的にタブーみたいな扱いになってたな)
太陽神に生贄を捧げる、最も空に近い場所。
ナイの話によると、ククルカンの卵はゴーレムを連れてきた女の手によって祭壇の頂上にある社の奥に仕舞われたという。孵化を迎えたとき、真っ先に彼らのおやつになるようにと。まさに生贄だ。
卵をとり戻し、ルークを討たない限り、三十一階に元の平穏? は訪れない。だが――。
「……まだ、出てこないのか?」
「……はい……」
なんとなく小声になるギランと愁。
タミコに視線を送る。彼女はぷるぷると首を振る。レベルが見えない、つまり存在を確認できないようだ。
「つかさ、ほんとにいんのか?」
「これが全部ゴーレムってありえなくね?」
双子が半信半疑なのも無理はない。三年もの間戦ってきたショロトル族ですら、実は初登場時以来一度もその姿を捉えていないのだ。
「いるとは思うんすけど……」
愁は一度それの気配を感じている。気のせいだったのではと問われれば否定もできないが。
「とにかく一度、祭壇に登ってみるしかないかな。ずっと眠ったままとかこっそり餓死したとかだったら助かるんだけど」
「シャシャッ! あたいにおそれをなしたりすね!」
シャドーボクシングを始めるイキリス(イキったリス)。そのちっこい拳が何度か空気越しに祭壇を叩いたとき――ドンッ! と地面に強い衝撃が走る。
「ぴぎゃっ!」
間髪入れずに地面が低いうなりをあげて震動する。愁たちは立ち上がり、その震源らしき方向に注視する――明らかにそれは、祭壇のほうから伝わってくる。
「……マジで……」
「……来やがった……?」
そして――祭壇の側面がけたたましく爆ぜ、そこから一対の巨大な腕が生じる。
「出たぞ!」
ナイの言葉を再現するかのような光景だ。巨大ゴーレム、ルークの登場だ。
しかし、なぜこのタイミングで。まさか本当にタミコの挑発で――いやないか。
まるで兜の角のように弧を描いたその腕が振り下ろされる――祭壇の頂上めがけて。社が粉々に吹き飛んで粉塵を撒き散らす。
「――は?」
その場の誰もが唖然とする。
ゴーレムの腕が社を破壊した。あの祭壇をまるごとボディーとしているとしたら、ハエを追い払おうとして自分の頭を叩くサルのような行為だ。
と――飛散する瓦礫に混じって落ちてくるものがある。石畳の上でバウンドして「ぐえっ」とつぶれたカエルのような声を漏らす。
「いったた……なにすんねん、このボケェ!」
人間、女性だ。くわっと目口を見開いて祭壇に向けて怒鳴っている。
というか、あの高さから落ちて「痛い」で済んでいるのか。受け身をとったようには見えなかったのに。
「あれ……アンナちゃんじゃね?」
「ほんとだ……おい、アンナちゃん!」
双子が声をかける。顔見知りのようだ。
「うげっ、見つかっちった。せっかくこそこそスニークってたのに」
バツが悪そうな表情を見せる彼女は、ジャージの上に白っぽいローブを羽織っている。三十歳前後だろうか、栗色のロングヘアーの似合う美人だ。ものすごい美人だ(大事なこと)。
「知り合いか? えらい別嬪さんだが」とギラン。
「ああ、ヤノ・アンナちゃんだよ。教団の説教師見習いの」
「元狩人らしくて、よくメトロで顔を合わせたりな」
確かに、メトロ教団の説教師やその弟子っぽい人たちがあんな服を着ていた気がする。
「なんであの子がこんなとこにいんだ?」
「つーか、あぶねえって。おい、アンn――」
駆け寄ろうとした二人を、ギランが襟首を掴んで制止する。
二人の抗議の声をかき消すように、またも祭壇が鳴動する。
がらがらと表面が崩れていく。鋭角な錐台が低く轟きながら形を変えていく。
「……ルーク……」
やがてそこに現れたのは、体長二十メートルを有に超える岩の巨人。三体目のゴーレム、ルークだ。
思わずあとずさる愁たちだが、ルークは目もくれず(目はないのだろうが)、アンナと双子が呼んだ女性のほうに一歩目を踏み出す。それだけの挙動で地面が揺れ、霧が吹き飛び、埃が巻き上げられる。
愁はノアの肩に乗るタミコに目を向ける。察した彼女だが――その身体が小刻みに震えている。
「……ゴーレムは、75くらいりす……」
三体の中でトップだが、図抜けているというわけでもない。もっとも、あの巨体だけでレベル云々という脅威度ではなくなっているが。
「でも……あのひとは……」
タミコの目は、ルークではなく、それと向かい合う、比較すればアリのようにちっぽけな女性に向けられている。
「あーあー……すっかりママの顔を忘れちゃったみたいね。まあ、私もあんたらの名前憶えてないけどさ」
アンナがやれやれという風に頭を振り、手をかざす。生じた【戦刀】を上段に構える。
「つーわけで、悪い子には、おしおきだべぇ~」
――99りす。
タミコのかすれたつぶやきは、かろうじて愁の耳に届くのがやっとだった。目の前で発せられた破壊音にほとんどかき消されてしまったから。
飛び上がったアンナがルークの胸に突き刺さったかと思うと、立て続けの衝撃が巨体を揺るがし、三度目のそれで背中がはじけ飛ぶ。ぐらりとよろめた巨人が、ゆっくりと、コマ送りのように、仰向けに倒れ落ちる。
もうもうと立ち込める土埃の向こうで、刀を肩に担いで佇む女性の影は、この上なく不吉な死神のように見える。
***
「うげっ、ぺっぺっ。砂が口に入っちゃったよ」
そこらに唾を吐きかけながら、アンナがてくてくと呑気な足どりで近づいてくる。バランスボールほどありそうな白い毛玉をずるずると引きずりながら。あれがルークの本体か。どろっとした体液をこぼれさせ、触手一本動かさない。すでに息絶えているようだ。
「アンナちゃん……」
「マジかよ……」
双子もようやく悟ったようだ。
彼女がアンナを騙る者なのか、それとも本性を隠していた本人なのか、それはわからない。
だが、今はどうでもいい。その言動、ここにいるという事実、その悪魔的な力。
――もはや疑いようがない。
彼女こそが、この一連の件の黒幕、ゴーレムを解き放った張本人だ。
「ったく……死んでんのかって心配してこっそり社に入っただけなのに、親の顔も忘れて敵認定しやがって。あの卵、まだ孵化してなかったみたいだけど、あれを守るのが行動原理にすり変わってたのかな? のくせに自分で社ごとぶっとばしてりゃあ世話ないけどね」
ぶつぶつ言いながら服についた埃を払う。
「普通の獣よりよっぽど頭いいくせに、真ん中の部分が空っぽだからすぐに不条理な方向にバグる……いつになったらまともな本能とかが芽生えるんかね? AIから進化したメトロ獣は」
一瞬、愁の思考が停止する。
聞き間違いでなければ、彼女の口から発せられたのは、元の時代で耳慣れたフレーズだった。
「……えーあい?」
アンナがぴくっと反応し、顔を上げる。
「あー、ごめんごめん。ただの独り言だから。独りっていうか? 自分会議してるっていうか? 私の中の純情な感情がゴーレムの裏切りで凹んでるだけだから」
なにを言っているのかわからない。それでも、確認せずにはいられない。
「えーあいって、あのAIのこと?」
他にすべきこと、考えるべきことは山ほどあるはずなのに、そう訊かずにはいられない。
アンナの目が丸くなる。なんだか興味をそそられたみたいに。
「……AIはAIだけど。人工知能、Artificial Intelligence。って言ってわかるかな? 私も言葉知ってるだけだけど」
思考だけでなく心臓まで鷲掴みにされたような感覚に陥る。
この時代で、メトロの奥で、そんな言葉を耳にする日が来るとは。
(ゴーレムはAIから進化した獣?)
(それが事実だとして、どういう意味?)
「つーか君、誰? あ、私はヤノ・アンナちゃん。メトロ教団の見習いやってまーす☆」
ピースサインを目尻に当ててウインクするアンナ。
「ざけんな! お前がアンナちゃんなわけねえだろ!」
「ニセモンが! 本物のアンナちゃんはどうした!?」
「やだなあ、シシカバさん。二十階で一緒にウイスキー片手に女子トークした仲じゃん。私こそがアンナちゃんだよ? 地上じゃあちょっとネコかぶってたけどね。だーれも本当の私に気づかないんだもんね」
双子の肩が震えている。「ふざけんなよ……」と妹がかすれた声でつぶやく。
「でもまあ、ここも見つかっちゃったし、スニークアンナちゃんもバレちゃったし。いい加減私の正体にも気づいちゃってるんでしょ?」
「――ああ、もちろんさ」
ギランが一歩前に出る。【騎士剣】を抜きながら。
「すべてはお前が元凶だ、魔人め」
アンナが口の端を持ち上げ、にたりと笑う。見る者の背筋を凍りつかせる禍々しい笑みだ。
「そう呼ばれるのも何年ぶりだろうねえ……アラト、魔人アラト。それが私の本当の名前」
アラト――本当の名を告げた彼女が、ゆっくりと腕を上げる。軽く指を握り、親指を溜めている。
――【白弾】!
どーん、とつぶやいたと同時に親指がはじかれる。
愁はとっさに庇おうとしたが、間に合わない。
こふっ、と背後でノアが息を詰まらせる。みぞおちの横あたりに、背中まで通じる穴が空いている。じわじわと血のしみが広がる。
「ノアっ!!」
「姫ぇっ!!」
愁とギランのさけびは届かない。ノアは力なく崩れ落ち、倒れる寸前で愁が受け止める。彼女の手から愁の【火球】が転がる。
「あああああっ!」
「くそがぁあっ!」
同時に双子がアラトめがけて駆け出している。
姉が【戦槍】を突き出し、妹が指先から【雷球】を放つ。
――その腕が。姉の右腕が、妹の左腕が。肘から先が切り離されて飛んでいく。
二人の苦痛の悲鳴が響くが、それも長くは続かない。二人とも腹に蹴りを受けて吹っ飛ぶ。
「あははっ! 前々から思ってたんだよ、おんなじ顔で見分けつかねえって! これでわかりやすくなったねえっ!」
アラトは【戦刀】についた血を払い、さも楽しそうに身体を揺する。
ノアの傷口に【聖癒】をかける。傷口がじゅるじゅると再生していく。彼女の頬にそっと触れてから、愁は立ち上がる。
「……タミコ、クレ。ノアを頼む」
「アベシュー……」
「シュウくん……」
身を焼かんばかりに湧き起こる灼熱を、すべて足腰にこめて【跳躍】する。周囲が残像を描いて後ろに飛んでいき、【戦刀】を振りかぶった女が視界いっぱいに迫る。
「あああああっ!」
両手と菌糸腕、二対の【戦刀】が光芒を描く。それらをことごとく受け止めたアラトは、それでも十メートル以上後ろまで靴底を滑らせ、わずかにかすめた頬の傷を手の甲で拭う。
「……【阿修羅】に【光刃】か、面白い組み合わせだねえ」
荒く息をつきながら、怒りと憎しみで沸騰しそうな頭を必死になだめながら――いや、ダメだ。まったく冷静になれない。
「さっきのAIの件といい、ますます君に興味が湧いてきたわ。よし、君だけは生かしてあげる。もしくは綺麗に殺して私の中に迎え入れてあげてもいいかな」
「……なに言ってんのか全然わかんねえけど……俺は、お前だけは生かしておかねえって決めたから」
「あはは、怖い。なんでそんな怒ってんの? さっきのあのガキ、もしかして君のいい子だったりした? それとも双子のお姉さんのほう? 童貞っぽい顔してるもんね、君」
前に突っ込みかけた愁を、ギランが肩を掴んで制止する。
「落ち着け童貞」
「どどど童貞ちゃうわ」
「頭を冷やせ。君がそんなんじゃ、勝てるものも勝てん」
そう言って隣に並び立つギランも、毛は逆立ち、牙を剥く唇が震えている。喉の奥から低いうなりが漏れている。
「え、聞き間違い? 勝てるつもりでいんの? イケメンウルフさん、あなたが言ったんだよ。私は魔人だって」
「そうだな、お前は魔人だ。そして我々は狩人だ。亡国の災厄を討ち果たすため、我々はその牙を研いできた。こそこそと裏で這いずりまわるしか能のない道化風情が、いつまでも人間様をなめるなよ」
両手に握った【騎士剣】が赤い光を帯びる。【炎刃】だ。
アラトの顔から笑みが消える。ふーん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。
「オオカミ面して人間様ねえ。そこまでひどく言われちゃあ、私も本気出すしかないよねえ?」
彼女の【戦刀】がひゅんっと空を切ると、まとっていたローブが二つになってはらりと落ちる。
「【光刃】と【阿修羅】、それに【炎刃】。六対二はずるいもんねえ」
ズグンッ! と彼女の背中が裂け、菌糸腕が生じる――二対、四本。
そこから派生した【戦刀】四振りと、彼女の握る二振り、合わせて六本がずず……と黒い靄を帯びる。ゲームなら魔剣や呪いの武器などと呼べそうな禍々しさだ。
「これで互角かな? レディーに対してあれだけ啖呵切ったんだから、ちょっとくらい楽しませてよね」
「……ギランさん、挑発しなくてもよかったんじゃないすか?」
「……軽口を叩けるほど落ち着けたなら、無駄でもあるまい?」
怒りはまだ腹の奥でぐつぐつと煮えているが、全身ににじむ冷や汗がそれを凍りつかせていく。
クモのように六本の腕をたたえ、アラトは再び笑う。
「――んじゃあ、始めましょっか。わたくし、自称オウジメトロのラスボス、魔人アラトです。よろしく、そして死んでね」
オウジ深層編、ラストバトルです。




