78:【障壁】
文字どおり口火を切るのはノアとマッコの【火球】だ。
二つの巨大菌糸玉がビショップの壁となったミノタウロスに命中。朽ちかけた屍肉を爆散させる。
「ふっ!」
同時に飛び込んだ愁の巨大【戦刀】が走る。腐れ筋肉ボディーを一太刀で斜めに通り抜ける。
前から左右から、残りのミノタウロス三体が迫る。重い身体に似つかわしくない鋭い突進だ。
一体が足を絡めとられてつんのめる。ノアの【粘糸】だ。斜め後ろに飛び退きながら【火球】を放ち、ミノタウロスの背中に大穴を開ける。
マッコが身軽に跳ねまわって翻弄しながら、次々と【尖針】――菌糸の針を投げつけるが、浅く刺さるばかりで中には届かない。そのちんまりした身体を鷲掴みにしようと伸びる腕を「らあっ!」と横から愁が斬り落とす。
――と同時に目をみはる。「マ――」、頭上に無数の赤い球体が降り落ちてくる。ビショップの【火球】の雨だ。
手下もろとも――連鎖する小爆発、まぶしいほどの閃光と頬を灼く爆風。
とっさにノアとマッコの襟を掴んで【跳躍】。間に合った、一歩遅ければ全員火ダルマだった。
「あっち! くそっ、躊躇なしかよっ!」
ジャージの袖にかかった火を慌てて払う。どこのメトロも獣社会はブラックばかりだ。
起き上がったノアとマッコが【火球】を放つ。ビショップは避けない、そのまま直撃――その直前で爆炎を上げる。半透明の光のようなものが壁をつくり、攻撃を阻んだようだ。まるでファンタジーの魔法バリアみたいに。
「シュウさん、【障壁】です!」
ノアがさけんで教えてくれる。うろ憶えだが、〝療術士〟系統の胞子によるバリアを張る能力とかなんとか。
「しっ!」
【戦刀】を地面に突き刺して手放し、両手で【白弾】を放つ。見えない壁にギィンッ! と金属のこすれるような音とともに空中ではじけ、地面に転がる。さらにノアとマッコの【火球】投擲。炎と煙が晴れた先で――当然のごとくビショップは無傷だ。
お返しとばかりにばらまかれた【火球】を必死に避けながら、「かっけー! あれちょっとほしい!」などとちょっぴり悔しい。
「もういい、みんな下がってろ!」
彼女らは取り巻きが多く残っていた場合の保険要員だ。いくらなんでも格上を含む多勢相手に単騎で無双できると自惚れるほど愚かではない。
それをどうにかとり除いた今――【火球】が通じない(二人に渡した残弾も少ない)、しかもやつには広範囲制圧能力がある、という現状では多勢の利は活かしづらい。むしろ万が一の事故のほうが怖い。
「こっからは俺がやる」
ギランたちがザコを引きつけ、身を削り、稼ぎ出したのがこの状況だ。
学習能力の高い相手に同じ手は通用しない。ここで仕留めなければ(時間的にも)次のチャンスはない。双子にドヤされる程度で済む話ではない。
「……なあ、タイマンでケリつけようぜ。恨みっこなしでな」
話が通じたのか――ビショップが杖の石突をどすっどすっと倒れたミノタウロスの死体に突き刺す。ズズズ……と死体が菌糸のようなものでつながり、二体が再び立ち上がる。ずっけえ。
後ろを振り返ると、素直な女子たちはすでに物陰に隠れて見守りモードになっている。「シュウさん気をつけて!」「がんばるりすー!」「マウー!」。吐いた唾は呑めない。
「しゃーねえな! ちくしょうめ!」
女性陣の声援を背に、愁は腕に力をこめる。チャージされた【鉄拳】がロボットの腕のように膨れ上がる。ゴッゴッ! と胸の前で叩き合わせた拳が鈍い音を鳴らし、女子には伝わりづらいエモさを演出してくれる。
さあ、第二ラウンド開始だ。
***
雨のように降り注ぐ【火球】、【雷球】、【氷球】、【尖針】。
地面が爆ぜて石礫を撒き散らす。耳をつんざく電撃が迸る。着弾箇所が瞬く間に凍りつく。鋭い針が石畳が突き刺さる。
愁は必死に回避しながら、しかし広場から廃屋側へ追いつめられる。
「うおっ!」
とっさに壁の奥に身を潜めるが、ミノタウロスの太い腕が壁を破って掴みかかる。
「あああっ!」
身を屈め、壁に胞子光をまとわせた【鉄拳】の正拳突き。壁もろともミノタウロスが吹き飛ぶ。視界が晴れたとたん、頭上に光る色とりどりの菌糸玉が目に入る。
「コスプレゴーレムのくせにヒャッハー系かよクソがぁああっ!」
一発一発の威力は愁のチャージ【火球】には及ばないが、速射性と連射性が桁違いだ。手管が豊富なのも厭らしい。
ここまで弾幕シューティング並みとは完全に想定外。さすがはレベル70オーバーの化け物だ。
弾速がそれほど早くないのが救いだが――あのナイトと同様、こいつも愁の動きを学習しはじめている。かわす位置を予測しての攻撃、時間差と緩急、あるいは逃げ場をなくすような包囲爆撃。なかなか近づかせてくれない。
ジャージも肌も焦げ、腕や背中には【尖針】が刺さったままだ。靴は凍らされたのですでに裸足だ。回避に専念してもゴリゴリと削られていく。
「こなくそっ!」
ビショップの指示か、逃走経路をふさぐように配置されたゾンビを殴り倒す。威力、防御力、小回りやバランス――諸々考慮すると愁の手持ちの近接攻撃手段の中でトップに躍り出たチャージ【鉄拳】。【光刃】をまとわせればレベル40程度のミノタウロスでも一撃で粉砕できる。間髪入れず襲いくる弾幕。ちくしょう、少しくらいドヤらせろ。
抜群の使いやすさを誇るチャージ【鉄拳】だが、一つ欠点がある。これを解除しないと「手から菌糸を出す系」の他の菌能を出せないのだ(通常の【鉄拳】もそうだが)。【阿修羅】は菌糸腕から菌能を出せるのに。この差はよくわからないが、できないものはできないのだからしかたない。
なので、万能サブウェポンの【阿修羅】が【円盾】や【大盾】で遠距離攻撃と防御を補う。ちなみにこんなこともあろうかとマントは着てきていない。ジャージの背中の穴も今や菌糸腕にとってのノースリーブと化している。
とにかく回避。瓦礫の上を飛び回り、石畳を駆け抜ける。
その隙間に未チャージの菌糸玉。あえなく【障壁】に阻まれるが、そのわずかな間だけ攻撃が止む。ほんの一瞬のインターバルでしかないが、攻撃と防御を同時には行なえないようだ。
ビショップの体力切れを狙っているわけではないが、それにしてもこれだけ贅沢に菌能をばら撒いているというのに、息切れするような気配さえない。
「うおっ――」
突然膝がガクッと落ち、とっさに地面を転がるようにして爆撃から逃げる。すぐさま【鉄拳】で地面を叩いて立ち上がる。
持久戦をするつもりはないが、体力勝負は分が悪い。元から【火球】搾り出し作戦での無理も祟っているし、【不滅】でのダメージ回復もバカにならない。
第二ラウンド、まだ三分も経っていないはずだが、これ以上はジリ貧だ。
(――腹くくるか)
ほんのわずかな空白の時間。ビショップが杖を構えている。
「ふうっ、ふうっ……」
息を整える。
(今の俺なら――やれる。勝てる)
(だから――最後に全部搾り出せ)
神経を研ぎ澄ませる。【感知胞子】のフィードバックを余さず脳に知覚させる。
「ふっ――」
ビショップが杖を振るう。同時に、愁は地面を蹴る。
高速で後ろへ流れていく景色が、降り注ぐ菌糸玉の雨が、コマ送りのようにゆっくりと感じられる。
光をまとった一対の【大盾】が頭上で爆ぜる。衝撃で押される上体を下半身が前に突き動かす。【鉄拳】を頭の前で交差し、削られるのも構わずに、最小のダメージでたどり着けるルートへ身を投げ込む。
「おおおおおっ!」
最後の距離を【跳躍】でつぶし、勢いそのままに【鉄拳】を叩き込む。
ビギッ! と半透明の壁がひび割れる。いけるか。
「おああああっ!」
全体重を、全気合を、全アベ力をこめて、がむしゃらに拳を繰り出す。
【障壁】が粉々に割れて霧散する。だが消えたそばから新たな【障壁】が生まれる。
「ずりいわっ!」
それでも構わず全力攻撃を続ける。ビショップもこの間は反撃には転じられない。
「そろそろ、限界――」
五発、十発、十五発、二十発。
息が切れる、肩が軋む、腕が回らなくなる。
息継ぎしたい。止まってしまいたい。お風呂に入りたい。
「――だから」
菌糸腕が【障壁】にぴたっと吸いつく。その手には、直径十センチほどの白い砲弾が握られている。
「終わりだ」
渾身の右ストレートが、菌糸腕ごと砲弾の尻の部分を打つ。
その瞬間――【障壁】をぶち抜いた一筋の線がビショップの左胸に突き刺さる。
石造りの表情は変わらない。それでも、一歩よろめいて胸の穴に手を当てたビショップの表情は、信じられないと語っているかのようだ。
【鉄拳】で必死に【障壁】を破ろうとしていると見せて、菌糸腕が用意していた。チャージ【白弾】を。
通常の十倍以上に膨れ上がったそれは、まるで砲弾のようで、指ではじいた程度では撃つことができない。
思いきり殴ってようやく撃つことができる――当然狙いはつけづらいが、その貫通力と破壊力は愁の手持ちの遠距離攻撃手段で最強だ。
「終わんなかったけど、もう一発あんだよね」
チャージ【白弾】の発射台となった右の菌糸腕は焦げて指がズタズタになっている。代わりに、もう一発を握った左の菌糸腕が愁の前にセットされる。
ビショップが杖を振り上げる。同時に、愁は笑う。
「――俺の弾、くらえよ」
定規で引いたようにまっすぐに放たれた白い砲弾。
【障壁】が砕け、ガラスを散りばめたように煌めく。
白線がビショップのみぞおちに吸い込まれ、突き抜ける。
ビショップの全身が激しく痙攣する。その口から、穿たれた穴から、身体中のひび割れから、糸のように細い触手と体液がどろりとこぼれ落ちる。
そして、ひび割れが全身へと伝わる。
「……すんませんね、先輩」
かつてこの地に降り立った〝糸繰士〟の像が、がらがらと乾いた音をたてて崩れ落ちる。
***
「アベシュー!」
「シュウさん!」
「マウッ!」
その場に尻餅をついた愁のところに、女子三人が駆け寄ってくる。
「おー……最後助かった。ありがとね」
「そんな、ボクたちあれくらいしかできなくて! でも無事でよかった! 新技炸裂でしたね!」
「ヒヤヒヤしたりす! もっとはやくだせばよかったりす!」
ぺちぺちと興奮気味に愁を叩く二人をよそに、マッコは甲斐甲斐しく身体に刺さったトゲを抜いてくれている。よくできたお嫁さん的な気遣いを見せつけるチワワ娘。
「あれ、近づかないと当てられないんだよね。殴って撃つもんだから全然狙いつけらんなくて。そのへんは今後の訓練次第かな」
しかも発射台が必要になるから【阿修羅】とセットだ。必殺技とも呼べる威力ではあるが、その分使いどころが難しい。
「つか、急に静かになったな」
いつの間にか、東側の戦闘音が止んでいる。ゾンビが機能停止した、のだろうか。
術者が死ねばゾンビも死体に還る。最初の見立てどおり〝幻術士〟の【傀儡】の強化版みたいな能力ということか。いずれにせよ、これでギランたちのほうに集中していた軍勢も無効化されたはずだ。
これでもう、三十一階にゾンビは生まれない。
ショロトル族も他のメトロ獣たちもひと安心といったところか。
(……まだ、もうひと仕事残ってるけどな)
巨大な祭壇を見上げる。そこに潜んでいるはずのルークは、これだけ近くで派手なドンパチが起こっても、あるいは仲間の二人が討ちとられても、未だにその姿を見せる気配はない。愁もその存在を感じたのはたった一度だけだ。
(いるにはいるんだろうけど、どうして出てこない?)
(まあ、今すぐ出てこられてもちょっとアレだけど)
「……ねえ、ビショップの胞子嚢、食ってもいい? とり出してもらえると助かる」
「あ、はい」
間もなくノアが持ってきたのは、やはり黒い胞子嚢だ。
「悪いんだけど、俺一つもらっちゃっていい?」
「シュウさんのお手柄ですから、むしろ二つともどうぞ、と言いたいところですけど」
「あたいもたべてみたいりす」
「マウ」
「正直だね君たち」
というわけで、一つを愁が、もう一つを仲よく三等分して実食。
「もちゃもちゃ、いつものあじりす」
「もっとくっさい系かと思ったけど普通ですね」
「マウ」
味はともかく、一口呑み込むごとに、身体に重くのしかかっていた疲労と苦痛が和らいでいく。レベルアップも菌能習得も起こらないが――筋肉や骨に温かい炎を入れられたような感覚があり、身体に力がともる。思わずてのひらに目を落とす。
(……もしかして、ステータスアップ的な?)
レベルアップとは別に、胞子嚢の捕食で身体が強化される例もある、といつだったか聞いたことがある。これがそうなのだろうか。寄生品と同じく劇的な変化とはならないようだが、それでも死闘を経て一歩でも強くなれたのだとしたらありがたい。
「いぎぎっ」
「んあっ!」
「マゥウッ」
三人娘がほぼ同時に身体を引きつらせる。これまた仲よくレベルアップしたようだ。これでタミコは42、ノアは28、マッコはたぶん41。
「ボス級とはいえ、たったあれっぽっちで……よっぽど上質だったのか、それとも黒い胞子嚢が特別なんでしょうか……」
ノアは喜ぶというより驚いている。
「ナイトもそうだったけどさ、やっぱり魔人? の影響を受けたやつは黒くなったりするってことかね? その女がほんとに魔人だったらの話だけど」
「……ひいじいのメモには載ってなかったですけど……」
思案顔になる愁とノア。そのかたわらで、おこぼれシスターズの三女となったマッコが、嬉しさのあまり長女をひっくり返してお腹をモミモミペロペロしている。「ああ……ケダモノ……あらっぽい……!」。
オウジ深層編ももう一息……!




