72:ショロトル族とククルカン
本話終盤のセリフ「五年前」を「三年前」に修正しました。
族長・ナイの話によると、ショロトル族はたった十匹で始まったという。
今から百数年前――定かではないが、〝東京審判〟後――彼らは気づけばオウジメトロの地下三十一階にいた。
(自我が芽生えた、ってことかな)
(通常のチワワが超菌類の作用で魔獣になって、自我が芽生えたのか)
(それともどこからかこの世界にやってきて、以前の記憶を失っているだけなのか)
ともあれ、ショロトル族はあの遺跡都市にささやかな生活基盤を築き、徐々に個体を増やして群れをなしていった。幸いにもその頃はグレムリンにしろミノタウロスにしろ、今ほど強くも大きくもなかった。メトロ獣たちとの生存競争の中でその数を増減させながらも、彼らはたくましく生き抜いてきた。
そして、今から七十数年前。
この地に初めて〝人間〟が訪れることになる。
その「毛なし巨大グレムリン」は、自らを「地上に生きる〝糸繰りの民〟」と名乗った。独自の原始的な言語しか持たなかった彼らには、その言葉そのものからして理解できなかった。
彼らのことが気に入ったのか、〝糸繰りの民〟はその地に居座り、彼らとの距離を辛抱強く縮めていった。最初は警戒していた彼らも、害意がないことを悟り、しだいに心を開いていった。
オヤマ・マスオと名乗ったその〝糸繰りの民〟は、彼らに多くのものをもたらした。
詳細な意思疎通を可能とする言語、数を数えるための計算、暦という概念、狩猟のノウハウ、建築技術や生活の知恵。故郷である〝糸繰りの国〟について語るオヤマはとても楽しそうだったという。
〝カラテ〟と呼ばれる徒手空拳技術も熱心に伝授されたが、手足の短い彼らに使いこなすことは難しかった。残念ながら、今ではほとんど絶えてしまっているという。
「オヤマ・マスオは、先史の世界では学校で言語を教える先生をしていたらしいんだ。有志の生徒にカラテも教えていたらしい」とはクレの補足だ。国語教師にして空手部の顧問、というところか。
この三十二階を発見できたのも、あるいはこの砦を築くことができたのも、オヤマの助言と協力があればこそだった。彼らとオヤマは深い絆で結ばれ、オヤマは七年に渡ってこの地下世界に留まり続けることになった。
オヤマは当初、彼らに〝チワワ族〟という種族名を提案したが、それが無力な愛玩動物であるという由来を知り、彼らはぷりぷりと憤った。そのために改めて授けられたのが〝ショロトル族〟という種族名だった。由来は、先史の遺跡都市に似た地で崇められていたという神の名前だという。
やがて別れのときが近づいたとき、オヤマは「一緒に地上に来る気はないか?」と彼らに提案した。彼らはそれを断った。
オヤマは彼らの意思を尊重し、この地の秘密を守ることを誓った。「いつの日か別の〝糸繰りの民〟が現れたとき、俺が教えた言葉や知識で、君たちと彼らが仲よくなってくれたら、こんなに嬉しいことはないよ」、少し恥ずかしげにそんなことを語っていたという。
オヤマが通ってきた階段は、一・二日もすればメトロの復元力によってふさがってしまう。オヤマがやってきたあと、そして帰るために再び壁に穴を開けたあと、それに気づいた者はいなかったようだ。
彼が地上へと帰ったあと、再び別の人間によってその秘密が暴かれるまで、およそ六十年、ショロトル族は孤高に生きながら、彼への恩や彼の教えを忘れることはなかった。
「これが……オヤマの残した語典です。〝糸繰りの民〟の言葉を失わぬよう、族長に引き継がれてきたものです」
ナイが持ってきたのは、紐で綴じられたボロボロの分厚い紙束だ。族長と少数の側近、そして次の族長候補――マッコがそれらしい――は読み書きができるらしい。
「これがなければ、言葉はどんどん失われてしまうので。あなたたちに来ていただいたのが、完全? 完璧? に失われてしまう前でよかった」
「さすがにマウ語は俺らもわからんしね」
「りすね」
ギランが愁の肩にぽんと肉球を置く。
「伝説の〝糸繰士〟だけが発見し得た秘密の楽園……君たちはどうやって発見したんだい?」
「あー……えっとー……完全に偶然っていうか……」
ククルカンというのは、あの遺跡都市付近に生息していた巨大なヘビのことだという。
名づけたのはオヤマだ。神話においてショロトルと双子の関係にある神の名前だ。
他のどんな獣よりも強靭で、俊敏で、猛毒の牙を持ち、あらゆる攻撃をはじく鱗を持ち、炎の飛礫を吐き、どれだけ傷ついても死なない生命力を持っていた。オヤマの推定では、じゅうぶんに成長した個体はレベルにして80以上とのことだった。
「未発見の巨大メトロ獣か……興味深いね」とギラン。
ショロトル族にとって、あるいは三十一階のメトロ獣たちにとって、ククルカンは当初、自然災害のような抗うことのできない絶対的な存在だった。多くの同胞がやつの牙にかかり、やつに焼かれ、やつの餌となった。
だが、同時にやつは、この地の守り神のようでもあった。
オヤマが去ってから十数年後、三十一階に無数のゴーレムが出没し、メトロ獣たちを食い荒らす騒動が起こった。ショロトル族も多くの犠牲を出す事態となった。
破滅的な被害が広がっていく最中、先陣を切って岩人形の軍勢を蹴散らしたのがククルカンだった。ショロトル族たちはそこに破壊と守護の神の姿を見、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
「ククルカンはつ、つ、ツガイ? を持たず、一匹で卵を一つだけ産みます」
単為生殖というやつか。オスがいるのにメスだけで産卵するヘビがいるとネットで見たことがある。
「卵が孵ると、親はしばらくその面倒を見て、死にます。子どもの餌になるのが最後の子育ての仕事です。寿命は二十年くらいです」
「ほえー、壮絶だなー」
親が子どもを食べてしまうというフィリアルカニバリズムとは真逆だ。子どもに自分を食べさせるとは、まさに究極の食育。確か中東の砂漠にそんなクモがいたとかなんとか。ソースはやはりネット。
「卵は、さ、さ、産卵? から十年で孵ります。きっかり三千六百回、夜が来たあとです。これまでずっとそうでした」
「きっかり? てか十年も卵にいんの? すげえ」
恐竜でも確か数カ月とかだった気がする。
「あれ、でもそんなヘビ、ボクたちは遭わなかったですよね」
「あたいもきづかなかったりす」
密林でレベル80の巨大ヘビといきなり出くわしていたら、それこそメンバー全員お漏らしものだ。
「……今、ククルカンはいないのです」
「え?」
ナイはぐっとうつむき、わさわさと首を振る。
「殺されました。三年前……やってきた二人目の〝糸繰りの民〟に」
愁たちは言葉を失う。
二人目の人間? 三年前に?
そいつに殺された? レベル80の化け物が?
「残された卵から、次のククルカンが産まれるまで、あと七日。それまでになんとしても、あの祭壇の中に捕らわれた卵を奪い返さなくてはならないのです」
明日か明後日に続きます。
 




