68:ニゲロ
ノアがガイドブックの最後のページにざっくりとした地図を書いている。
三十階の階段を南端として、愁たちは中心にある巨大な祭壇の南西側にいる。半径の半分くらいは進んだだろうか。
「今日はここまでにしよっか。いろいろ疲れたし、戦利品もたんまりあるし」
順調なら明日の昼には祭壇までたどり着けそうだ。
ノアのたっての希望でフロタキタケを使うことにする。水をお湯にするキノコだ。
「ほんとは服も全部洗濯したいですけど……せめて身体くらい洗いたいんで」
ノアもタミコも、あのゾンビ戦から身体にしみついた腐敗臭が気になっていたらしい。
泉の水を穴の空いていない水瓶に溜め、キノコをぽいっと。それでホカホカのお湯のできあがりだ。
「レディーファーストで。俺らはそのへん見張りしとくよ」
「ありがとうございます。姐さん、背中洗いっこしよっか」
「りっす」
後ろでしゅるしゅると布地が肌を滑る音がする。彼女たちの名誉にかけて覗き見などするつもりは毛頭ないが、周囲警戒のための【感知胞子】だけは不可抗力として許してもらう。
「シュウくん、僕らも洗いっこしようよ」
「却下」
天井が夜の色に変わり、霧で濁った夜が訪れる。
夕食の最中、タミコが突然立ち上がる。
「くるりす……!」
愁たちはすぐに火を消して手近な建物に隠れ、息を潜める。
グレムリン、ミノタウロス、それにレイス。気怠げな足どりで近づいてくる。続いてむわっと立ち込める腐敗臭。
――ゾンビだ。
あのときのようにきびきびとした動きでないのは、獲物の気配を見失ったからか。広場を物色するようにうろうろと歩き回り、やがて森の中へと去っていく。
「……やっぱりまだいたね、ゾンビ」
タミコたちが沐浴している間、愁とクレで周辺をうろつくゾンビを数匹片づけた。また時間が経てば別のやつらが寄ってくるかもしれないと警戒していたが、思ったとおりだ。最初のときもそうだが、広場の周辺はゾンビが集まりやすいようだ(獲物も集まりやすいから、だろうか)。
クレが顎に手を当てて思案顔をしている。
「どうしたの?」
「いや、なんていうか、ちょっとした違和感っていうか……」
ノアは首をかしげている。愁もぴんときていない。
「ゾンビってさ、ほっといたらどうなると思う?」
「いずれ全身の肉が腐り落ちて土に還るんじゃないですか?」
「そうだよね。僕らが今日仕留めたやつらは胞子嚢をとり出したから、ゾンビにはならない。ていうか、メトロ獣がメトロ獣を牙にかけたときも、普通は胞子嚢を残したりはしない」
「なるほど」
やつら自身の餌食になるようなことさえなければ、基本的には無秩序に増えたりはしないということか。グレムリンたちがあれほどゾンビを恐れていたのもうなずける。
「だから、普通ならメトロのどこかで突然ゾンビが湧いたとしても、一定数以上にはならずに時間の経過で自然と収束してくもんなんだけどね……なんかおかしい気がするよね。まあメトロに常識なんて求めてもしょうがないのかもだけど」
今このフロアで進行しているゾンビハザードは、あるいは自然ではないなにかに原因があるのでは。クレはそう言いたいようだ。
この先へと進んでいけば、いずれその謎も解けるのだろうか。知りたいような、知りたくないような。
「夕食だけ済ましたら、なるべく家の中から出ないようにしよう。そのへんの石材で入り口もふさいで。タミコ、ちゃんと寝る前におしっこ行こうな」
「こどもあつかいすんなりす。あたいはりっぱなレディーりすよ」
「レディーは人の上でおもらししません」
***
翌日。
森の中心に近づくにつれ、霧が深くなっていく。
通常のメトロ獣との遭遇はほとんど出てこなくなり、代わりにゾンビが幅を利かせるようになる。腐敗臭もどんどん濃くなっている気がする。
霧の奥から突如現れるアンデッド――というテレビ越しでも悲鳴不可避なシチュエーションをリアルにくらって「ぴぎゃーーー!」となるタミコ。あたりのゾンビをおびき寄せてしまった罰としてみんなでこしょる。「ああ……ダメなあたい……もっとおしおきしてぇ……!」。
やがて夕闇ほどにあたりが薄暗くなってきた頃、靴底が踏みしめるものが草地から石畳へと変わる。
わずかに開いた灰色のベールの隙間から見えたのは、間違いなくあの祭壇だ。
(……着いた)
愁たちはようやくたどり着いたようだ。この巨大な密林の中心部に。
「気を引き締めていこう。まずはあの付近の調査。安全が最優先で、なにかあればすぐに離脱できるようにね」
森側から左右に進み、様子を窺ってみる。石畳で整備された道が、放射状に祭壇へ続いている。建物や石柱、石像が並び、都市をなすように密集しているが、石畳の隙間から這い出た菌糸植物によって呑み込まれようとしている。
愁たちは建物の陰に身を潜めながら進んでいく。進行方向にゾンビがいる場合だけ、後ろから忍び寄って速やかに処理する。
「……とまるりす」
タミコの押し殺した声で足を止め、路地の陰から大通りのほうを窺う。視覚でも【感知胞子】でも、ゾンビやメトロ獣の姿は確認できない。
「どうした? なにかあるのか?」
「……きこえるりす……したから……」
「下? 下って――」
足下に目を落とす。
なにも聞こえない――と、地面がかすかに揺れた気がする。
「あそこりす」
ごごん、と石畳が持ち上がる。そして――愁は思わず声を漏らしそうになり、自分で口をふさぐ。
地面の下からひょこっと頭を出したのは、チワワだ。
ちんまりとしたぬいぐるみのような獣がぞろぞろと二十匹以上這い出てくる。それぞれ手(前足?)には石器のようなものを持っている。リーダーらしき赤い頭巾をかぶった個体がなにか合図をすると、数匹ずつ別の通路へと分かれ、音もなく霧の向こうへと消えていく。
「……見た?」
「見たよ」
「見ました」
「ちんちくりんりすね」
「うん? うん」
ついにその姿を現したチワワ。しかも群れ。
仕草、統率性、所持品。明らかに、間違いなく。
メトロ獣とは異なる、人間に近い知性を持っている――魔獣だ。
「にしても、なんでこんなところに――」
ずん、と地面が大きく揺れる。
(なんだ?)
にわかにあたりの空気がざわめきだす。断続的な鈍い破壊音がビリビリとわずかな振動とともに伝わってくる。
「……あのチワワたちですかね」
「なにかと戦ってる……?」
キャンキャンと甲高い悲鳴も混じっている。間違いなさそうだ。
だが、いったいなにと?
重く響くような破壊音からして(それがチワワたちのものでないとして)、明らかに重量級だ。トレントかミノタウロスか、あるいは――ゴーレム。
「みんな、逃げる準備しとこう」
「いいんりすか?」
ノアの上にいるタミコと目が合う。
「確認しなくていいのかってこと?」
「たすけないんりすか?」
ああ、とその考えが頭になかったことに気づかされる。
「いやまあ……チワワとか以前に、獣同士の争いかなんか知らんけど、巻き込まれるのはちょっとね」
魔獣のチワワ……惜しい、興味は尽きない。できれば接触してみたかった。
だが当然、こうなれば自分たちの身の安全が第一だ。せめて事前に意思の疎通などができていたならともかく。
「……ゾンビも集まってきてる。路地を抜けて森に逃げ込もう」
愁が先頭に立って狭い路地を進む。立ちふさがるゾンビは一息で両断し、叩きつぶす。
戦闘音が迫ってきている。霧がうっとうしい、ここへきて【感知胞子】はますます狭まっている。あたりの様子がわからない。
森へ出るには一度大通りに出る必要がある。あと少し――というところで止まる。
――チワワたちの声が聞こえてくる。かなり近い。
「まううっ! まうわうっ!」
「まうっ! まおんっ!」
単なる吠え声にしてはイントネーションがはっきりしている。まるで言語のように。
ずんずんと重い足音が大きくなる。愁は建物の陰から覗き見る。
「……ゴーレム……だよな……?」
これまで見てきた不格好な岩人形ではない。ほとんど石像だ。
体高にして三メートルほどだろうか。ジャガー? チーター? ネコ科の肉食獣のような顔つきをしている。頭には羽飾りに似た突起が立ち、ローブを羽織っているように彫られている。手足はがっしりとして長く、両手に石の剣を握っている。背後でのたうつ尻尾も石だ。
ひと目でわかる、明らかに普通のゴーレムではない。成長個体とも異なる得体の知れなさがある。
チワワが三匹、じりじりとあとずさりながらジャガーゴーレムと対峙している。毛並みはボサボサ、黒ずんだしみのようなものが身体中に付着している。血だ。
「まうあっ! まうっ!」
一匹が左から切り込む。ジャガーの薙ぎ払いが空を切る。間一髪で横に転がっている。
その隙に一匹が逆側から飛びかかる。互いに石器を突きつける呼吸ぴったりの挟撃――だがジャガーは造作もなくそれを受け止める。ギャリリッ! と石のぶつかり合う音が甲高く響く。
三匹目――あの赤頭巾の個体がてのひらに生み出した青い菌糸玉を投げつける。直撃したジャガーの足が凍りつき(【氷球】だ)、バランスが崩れる。すかさず二匹が追撃。しかし手の甲で防がれ、力任せにはじき返される。
近接二人と【氷球】【火球】を駆使する菌能使いのリーダー。その動きは俊敏、その連携は巧みで、いくら攻撃を浴びてもびくともしないジャガーに必死にくらいついている。
「タミコ、わかるか?」
タミコがノアの手の上からそっと覗き込む。
「……チワワは30から40くらいりす……でも……」
声が震えている。
「ゴーレムは?」
「……な、70りす……」
愁のてのひらに汗がにじむ。ノアとクレも言葉を失っている。
あのサタンスライムと同レベルのゴーレムか。
チワワたちには申し訳ないが、安易に助太刀しなくて正解だった。
「シュウさん、すぐにここを離れましょう」
「あ、ああ――」
鈍い音がする。通りに目を戻す。
ジャガーの両剣の切っ先から、ぽたぽたと赤黒い液体が滴っている。
一匹は串刺しのままだらりと四肢を垂れ下げ、もう一匹は首を刎ねられて地面に転がっている。
ブンッ! と石剣がうなりをあげる。串刺しのチワワが投げ放たれ、リーダーに直撃する。後ろに吹っ飛び、地面を滑る。
小さなうめきとともに起き上がろうとしたリーダーと――愁の目が合う。
一瞬の静止、硬直。
真っ黒な目がこぼれそうなほどに見開かれている。
「……タs――」
リーダーが口を開きかけ、躊躇うように口をつぐむ。
ジャガーが距離を詰めている。石剣を振りかぶっている。
「――ニゲロ」
剣閃が走る。けたたましく石畳を砕く。
命運を悟って目を閉じていたリーダーが、呆然と見上げる。黒い目がその身体を抱える愁の姿を映している。
「……あー、やっちまった……」
愁は自嘲気味に笑う。とっさに【跳躍】でこのチワワをかっさらってしまった。
ジャガーが剣を引き抜き、闖入者のほうに顔を向ける。
「お前誰だよ?」とでも言いたげに小首をかしげ、しかし切っ先を向ける。
「ナン……デ……?」
リーダーチワワが愁の腕の中でつぶやく。
「なんでって……俺もわかんないし」
こいつは最初、「タスケテ」と言おうとした。だが命乞いの言葉を呑み込み――「ニゲロ」と言った。
同じ種族ではない、味方でも顔見知りですらない愁たちに。
それを理解した瞬間、身体が無意識に動いていた。気づいたら腕の中がモフッとしていた。
(あー、勝手なことしちゃったなー)
向こう側でタミコとノアとクレが口をあんぐりしている。当然だろう、チームリーダーが独断で飛び出してしまったのだから。妹分と上官にどれだけしかられても足りない。臨時メンバーにはお詫びにパンツの一枚くらいくれてもいい。
後悔はここまでだ。ここを無事に切り抜けることだけに全力を尽くそう。
三人と一匹と、できればもう一匹で。
双剣を構えるジャガー。チワワを地面に下ろし、両手に青白く光る【戦刀】を握る愁。
「飛び入りで悪いけど、やるなら恨みっこなしでいこうか」
そう告げて、愁は地面を蹴る。
次回、6/3(月)に更新予定です。間に合えば6/2(日)に……ムリポ……。
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