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幕間:岩人形と囚われの少年

 仕事はきつくて怖かった。

 当然だ。自分の身の丈の何倍もある岩人形の真正面に立たなくてはいけないのだから。


「おい、近くに出てきたぞ! 準備しろ!」


 〝岩人形の坑道〟、オウジメトロ。彼はここで鉱夫見習いとして勤めていた。

 十に満たない非力な彼の主な役目は、正面からゴーレムの気を引いて、大人たちが槍や大鎚を打ち込む隙をつくることだった。


「そこ動くな! とどめ刺すまでじっとしてろ!」


 距離が近すぎれば鷲掴みにされて、死ぬまで体液を吸い取られてしまう。かと言って離れすぎたり注意を引けなければ大人たちを危険に晒してしまう。それでも一年以上に渡る実務と親方の指導のおかげで、彼はそれなりにその役目をこなせるようになっていた。


「死ねや! このデカブツが!」

「まだ動いてんぞ! ちゃんと急所に当てろ!」


 血走った目でよってたかってゴーレムを仕留めにかかる大人たちを、彼はいつも冷ややかな目で見つめていた。


 彼は十人ほどで構成された一つのフロアを担当する中規模グループに属していた。親方は仕事に厳しい人で、彼を甘やかさず、かと言って特別いびったりもしなかった。そのおかげもあってか、半人前にすら満たない子どもであることを踏まえても、彼に当てられた分け前はそれほど悪いものではなかった。


 けれど、彼は仕事が嫌いだった。


 稼ぎのほとんどを、ろくに働きもせずに昼夜呑んだくれた養父――みなし児だった彼を引き取った男に奪われるから。

 そのくせ稼ぎが少ないと殴られたりするから。

 先輩たちに親方の目を盗んでストレスの発散に付き合わされたりするから。

 きつくて怖いから。


 そういったいくつもの理由以外に、最も大きな原因は別にあった。


 ――ゴーレムをかわいそうだと思ってしまったからだ。

 

 

 

 確かにやつらは恐ろしい。

 どこからともなく湧いて出て、生き物の生き血と胞子嚢をすする。

 見かけによらず獰猛で貪欲。「メトロの恵み」としての可愛げなどどこにもない。

 

 だが――彼ら鉱夫が活動する階層の個体は若く愚かで、鈍く弱い。


 もちろん菌職を持たない普通の人間からすれば怪物には違いないが、数と武装と経験でいくらでもひっくり返せるレベルでしかない。


 少なくとも彼がグループに加入してからは、一人としてゴーレムの餌食になった者はいなかった。全体を見れば事故や犠牲はいつまで経ってもなくなりはしないものの、それも年々減少しているという話だった。


 あくまでも人の手に落ちた十階以上の話だが、ゴーレムはもはや狩る者ではなく狩られる者だった。


(なのにあいつらは――どうして出てくるんだろう?)

(わざわざ殺されに出てくるようなもんじゃないか)


 やつらは亡霊でもただの動く岩でもない。れっきとした生き物であり、まぎれもない命だ。

 人喰いの怪物にして、しかし死ぬために地の底から生まれ出てくるだけのか弱い存在――。


 なんだか滑稽に思えた。憐れにも思えた。

 そして、自身と重ねて見ることさえあった。


 どこへも行けず、地の下をモグラのように這いずり回り、怪物を前に命を晒し、そう遠くない未来――このメトロで死ぬのも時間の問題だ。


 岩人形たちとなにが違うのだろうと思った。彼らは自分の映し身であり、未来の姿だと。


 だとしたら、これは己の分身を殺す仕事に変わりはなかった。


 だから彼はこの仕事が嫌いだった。ゴーレムが嫌いだった。ゴーレムが死ぬのを見るたび、己の魂も静かに削られていくようだった。

 

 

    ***

 

 

 その日、彼らのグループは地下十階を担当することになった。鉱夫の職場としては最も深く危険な場所だ。


 半日以上歩き続け、階段を下り続け、ようやく着いた地下十階。ここに三日留まらなくてはならなかった。


「帰りがつれえんだよなあ」

「早く昇降機の建設始まんねえかな」

「今からやるっつっても、完成まであと五年か十年かって噂だしな」

「その頃にゃあ俺らはゴーレムに食われてメトロの塵だわな」


 仲間が口々にぼやいていた。


 これまでに二・三度ほどしか経験のないその階層を、彼は休憩時間に探索してみることにした。


 「このへんはまだメトロ獣も出るからな。あまり遠くへは行くなよ」という親方の忠告を無視して歩き続けた。このまま逃げてしまうのもいいかなと脳裏によぎった。逃げきれるわけがないはわかっているのに。


 足元が揺れるのを感じた。ゴーレムが現れる兆候だ。

 反射的に身構えた彼を、壁から突き出た岩の腕が捕らえた。

 

 

 

 気がつくと見知らぬ場所にいた。

 草むらに寝転がっていた。雑草が頬に当たるちくちくとした刺激で目が覚めた。


 最初、そこがメトロの中とは信じられなかった。


 まるで広い野原のようだった。ホタルゴケが明るく照らし、岩壁はしみ出た水でしっとりと濡れ、柔らかい地面には菌糸植物が生い茂っていた。小さな虫が飛び回り、ネズミがちょろちょろと歩いていた。


(――ここはどこだろう?)


 一人で歩いていたら、ゴーレムの腕に捕らえられた。殺されると思った瞬間意識を失って――そして目を覚ましたらこんなところに。


(というか、なんで僕は生きてるんだろう?)

(いや、もしかして、ここは天国ってやつ?)


 ぱっと見いかにも平和そうなこの光景は、確かにそれにぴったりだ。しかしながら、天国にしては岩壁がずいぶんメトロっぽい。草花も明らかにメトロの植物だ。


 幸か不幸か、メトロの中にいるのは間違いないようだった。


 問題は、ここがメトロのどこかということだ。


 彼の知る限り、十階にこんな場所があるというのは聞いたことがなかった。


 となると――未発見の場所か。


 ゴーレムというメトロの構成要素そのものを肉体に利用するその性質上、オウジメトロには「隙間」が多いという。それがメトロの変動によっていわゆる隠し部屋や隠し通路になったりする。オウジが都庁直轄メトロとして本格的に稼働しはじめたのは十数年前だが、未だにたびたびそういったものが発見されたりしているらしい。


(ここも、そういう場所の一つなのかな)

(だとしても、僕はなんでこんな場所に?)


 ずん、と部屋が揺れた。


 音のしたほうを振り返ると、壁の一部がずるずるとこちら側へ押し出されてきた。まるで内開きの扉のように。


 それを押し開いて入ってきたのは――一体のゴーレムだった。


 これまで相手にしてきたゴーレムとは異質な姿をしていた。彼が見てきたゴーレムは、どれも首と頭がなかった。それが普通だった。


 なのに、そのゴーレムには頭部があった。目も鼻も耳もない、ゴツゴツとした四角い頭だった。


 その頭部がギロリと彼のほうを向いた。表情がなくても、それに視覚がなかったとしても、その意識が自分のほうに向けられたのだと彼にはわかった。


 案の定、地面を踏み鳴らしてゴーレムが近づいてきた。己の威容を見せつけるかのような、堂々とした足どりだった。


「ひっ――」


 彼はその場に尻餅をつき、じりじりとあとずさった。立ち上がって逃げたかったが、足腰が言うことを聞いてくれなかった。


(死ぬ、殺される――)


 ここには親方も大人たちもいない。囮になるくらいしか能のない非力な子どもが一人いるだけだ。


 死ぬために這い出てくる怪物――そう憐れんでいたものが、死そのもののように一歩ずつ彼に近寄ってきた。


 ゴーレムが左腕を伸ばした。彼は頭を抱え、地面にうずくまった。


「……え?」


 節くれだった岩くれのてのひらに、ちっぽけな白い毛玉が乗っていた。


 頭に角をつけた仔ウサギ――アルミラージの幼体。丸まって眠っているようだった。


 それを草むらにそっと下ろすと、ゴーレムは関節を軋ませながら踵を返した。


 扉を掴んで引っ張り、閉めて外に出ていった。


 再び野原に静けさが戻ってきた。


 なにが起こったのか、彼には理解できなかった。


 ゴーレムが仔ウサギを連れてきた。それを置いて去っていった。

 食料であるはずの彼を、あるいは仔ウサギを。

 殺しもせず、一滴の血を吸いもせず。


 残された一人と一羽。もぞもぞと寝返りを打つ白い仔ウサギを、彼はいつまでも呆然と見つめていた。


本エピソードは「54:〝王殺しの銀狼〟」で語られたお話です。


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