57:センジュトライブの怪人
絶対に負けられない戦いがここにある。
命まで奪うつもりはない、とクレは言っていた。
どこまで信じられるかわかったものではないが、少なくともその縛りは愁には適用されない。
「悪いけど、こっちは殺す気でいくよ」
シン・トーキョーに決闘罪はないはずだが、狩人同士の私闘を縛るような掟はあったと記憶している(スモーはスポーツ枠のようだ)。
とはいえ――仕掛けてきたのは向こうだ。万が一殺してしまったとしても正当防衛だ。この変態の命よりは自分の肛門が大事だと胸を張って言える。
「もちろんだよ。シュウくんって呼んでもいい?」
「やめて。精神攻撃やめて」
クレがぐっと身を屈め、軽く開いた手を前に出す。
なんというか、レスリングの構えに似ている。
「……菌糸武器は出さないの?」
「僕は持ってないんだ。〝闘士〟だからね、レベル50にして持ってるのはバフ系がほとんどさ。信じなくてもいいけどね」
まさか、丸腰のまま突っ込んでくるつもりか。いくら武術家と言っても、それは無謀な気もするが。
「センジュトライブ支部所属、クレ・イズホ。推参」
「……スガモのアベ・シュウ。〝聖騎士〟。レベルは68」
クレが目を剥く。これで怖気づいて引き下がってくれればいいものを、しかし目の輝きがますます強くなる。
「……ちょっと信じられないけど、むしろほんとだったらいいな……たまらない……!」
変態をさらに興奮させてしまった。藪蛇だったか。
愁は遠慮なく【戦鎚】を出す。丸腰宣言を鵜呑みにするわけではないが、これまでの対人戦の経験から左手は空けておく。
万全を期すなら【阿修羅】も使うべきなのだろうが、できれば他人に見せたくない。最後の最後の奥の手だ。
「そうだ、もう一つ宣言しておくよ。僕は打撃は一切使わない」
「は?」
「というわけで――」
じり、とクレの足が砂利を踏みしめる。
いっそう低く屈めた姿勢も、笑みの途絶えたその表情も、身体にまとう赤青まだらの異形の印も、さながら獲物に飛びかかる寸前の獣という威圧感だ。
にや、とクレが笑う。
「いざ尋常に、勝負!」
言い終えたのと同時に、クレが弾丸のように一歩目から加速し、低く低く突進してくる。
(はええ!)
だが愁は反応できている。【戦鎚】を振り下ろす、頭に直撃コースだ。あ、これ殺したかも――。
と思いきや。それを紙一重、本当に数ミリほどの間隔でクレがかいくぐる。
(マj――)
外れた【戦鎚】が地面を叩く。同時にそれを握りしめた右手の甲に、クレが左手を重ねる。下から右手を添え、身体をひねる。
「うおっ!」
気づいたら、と形容できる。
それくらい一瞬で、なんの違和感もなく、愁の身体がぐるんっと横に宙返りしている。背中から地面に落とされる。
(小手返し!)
愁の反撃の下段蹴りをかわし、クレが右腕に絡みつく。足で挟んで肩を固定し、肘を伸ばす。
腕ひしぎ十字固め。
「はは! とったd――」
極まる、その寸前で愁は左手の【鉄拳】で膝を打つ。「ぐっ!」とクレの顔が痛みに歪み、腕にかかる力が緩む。そこを強引に引っこ抜いて外す。
「らあっ!」
振り下ろした拳が地面を砕く。後転してかわしたクレはそのまま距離をとる。
「……完全にとったと思ったのに。僕の高速極めより先に反撃するなんて、技を予測してなきゃできない芸当だ」
「小手返しだよね? それに腕ひしぎ」
最初の右手をひねって投げ飛ばした技。何度か受けた経験がある。合気道の小手返しだ。
大学の学友の一人が合気道サークルに所属していた。ゲームとアニメしか興味のない青瓢箪のくせに、いやむしろそういうやつが中途半端な力を得たせいか、酒が入るたびに技をかけたいとにじり寄ってきたものだった。
そのおかげでいくつかの技は体験済みだ。学友のそれとは別次元のキレだったが。痛みを覚える間もなく身体が勝手に飛び上がって――そうでなければ手首が破壊されていただろう。
「へえ、よく知ってるね。ちょっと驚きだ」
しゃべりながら、クレは手首を曲げ、肘を伸ばす。関節のストレッチだ。
「テンタクルのように相手に絡みつき、極め締めへし折り自在の古流殺法〝ジュージュツ〟。そこから派生した崩しと制しの理合、不可思議パワー〝アイキ〟を用いた伝統護身術〝アイキドー〟。そして鍛え上げた肉体を駆使した組み投げで魅せる勇者の格闘術〝レスル〟。僕が使うのは、その三つの武術を融合させた〝クレ式活殺術〟さ」
柔術、合気道、レスル? はレスリングか。総合格闘技ならグラップラーと呼べる類の使い手のようだ。
「いずれもセンジュでは廃れて久しく、数少ない文献のみに残された超至近距離戦闘技術さ。メトロ獣相手には無用の長物とされてきたからね。なのに君、さっきの外しかた……センジュ以外の狩人ならほとんど対応ができないもんだけど……恐れ入るねえ……」
褒められても嬉しくはないが、確かにとっさに対応できたのはよかった。でなければ右肘が砕かれていただろう。
「言ったとおり、僕は打撃は使わない。投げ締め極めのみでの狩りを追求する。それがサブミッション・マスターである僕の矜持だ」
クレがぺろりと舌なめずりをして、再び身を屈める。そして愁は、もう一つの恐ろしい事実に今さら気づく。身体中を悪寒が抱擁する。
「というわけで――仕切り直しといこうか」
延々と密着攻撃のみを求めて襲いくるガチ勢という悪夢のような敵を相手にしなくてはならないという悪夢のような事実に。
愁はジャージの上着を脱ぐ。その下は背中の開いたタンクトップ一丁だ。
「おっ? 君も本気かい? それでこそヤリがいがあるってもんさ」
「やりが絶対カタカナだろそれ」
このまま真っ向勝負でも勝てる自信はある。
地上に出てから立て続けにレベル50オーバーの人間と戦った経験は大きい。
それでも無理に相手の土俵に付き合う必要はない。というか近づきたくない。
遠距離で削るほうが精神的に楽だ。相手が超至近距離を望むなら、突き放して戦うのが常道だ。
(【火球】や【雷球】メインで行く?)
いや、相手の敏捷性を考えると当てるのは難しそうだ。おそらく「そういう戦闘経験」も豊富だろう。
(なら【白弾】で?)
いや、あのスピードの相手を狙い撃てるだけの精度はない。まだまだ絶賛訓練中だ。
(いやいや――なら、数撃ちゃ当たるの精神でよくね?)
「……決めた。面白そうだからこれで行こう」
「おっ? なになに?」
呑気に喜ぶクレの顔から、笑みが消える。しゅるしゅると愁の背中から生じた菌糸が一対の菌糸腕をかたちづくるのを目にして。
「……あ、【阿修羅】……〝聖騎士〟じゃなかったの……?」
当然の疑問だろうが、愁は答えない。
警戒を強めてさらに低く身構えるクレ。腕をだらりと弛緩させる愁。
「――悪いけど、もう近づかせないから」
ちっ、とクレの頬が裂けて血が飛ぶ。
目を見開くクレ、だが驚きも束の間、横に飛び退く。後ろの壁にぢゅんっ! と穴が開く。
「まっ、マジかよ!」
ダダダッ! と地面が爆ぜる。足を狙ったはずが小刻みなステップで回避する。
「うまくかわすじゃねえか!」
「ちょっ、あっぶね! 僕が穴だらけになっちゃうよぉっ!」
愁、第十四の菌能、【白弾】。
白いドングリの尻を強くはじくことで、弾丸並みのスピードで発射される。
「ノア! 頭引っ込めてろっ!」
「は、はいっ!」
「行くぞっ! 〝俺の両手は機関銃×2〟!」
今命名した。
***
愁の両手と菌糸腕二本、計四つの銃口から間断なく放たれる白い弾丸。けたたましい破砕音とともに石床が爆ぜ、壁がえぐれ、跳弾が飛び交う。
とにかく乱射。狙いなど定めない、弾幕で近づけさせない。
そして緩急。菌糸腕が弾丸から投擲へと切り替える。
指先から放たれた菌糸玉が火柱を上げ、局所的な電気を撒き散らす。
「わりいな! 一方的なジェノサイドだ! ヒャッハーーー!」
「うあっ! 弾丸系だけじゃないのかよっ!?」
さながら災害のような暴力が遠巻きに繰り広げられる。もう二度とあの変態を近づかせない、その断固たる決意の元、持てるすべての遠距離攻撃を余さずにぶつける。
クレは回避一方だ。皮膚が裂け、肉がえぐれる。
距離を詰めようにも、それ以上の機動力を持つ移動砲台である愁を捉えられない。
やがて一発が肩に命中し――パッと飛び散るのは血ではなく菌糸のかけらだ。
(【白鎧】ってやつか)
実物を見るのは初めてだ。体表に菌糸の薄い膜をまとう、タミコの菌糸甲羅のような防御型の菌能だ。気づけば彼の上半身は赤青の斑ではなくうっすらと白い菌糸で覆われている。
「ぐっ!」
続けて弾丸が頭を庇うクレの腕に三発命中。菌糸のかけらに混じって血も飛び、ガードの姿勢が揺らぐ。【白鎧】、薄いだけあって頑丈さは盾系には及ばないようだ。
「しっ!」
愁が放った弾丸ががら空きの胸へと吸い込まれる――その寸前、クレが弾丸をはたく。まるでハエでもそうするかのように、横からぱちんと。大きく逸れた弾丸がその背後に着弾して地面に落ちる。
「……は?」
「……悪いね。これだけくらえば見切れるさ」
得意げなクレめがけて今度は左右から同時に弾丸を放つ。彼の両手がぱぱっとはじく。背後に着弾。
「親指をはじくという動作は、小さいようで大きい。その手首の腱、前腕の筋肉。それらが作動する『起こり』さえ見極められれば、これくらいの芸当はわけないさ」
(いやいやいやいや)
(るろ剣じゃねえんだから)
ぽたぽたとてのひらから落ちる血をべろりと舐め、クレがぐっと身を屈める。
「僕としては君の菌職が気になるところだけど……勝負がついてからでもいいしね。ピロートークのネタにとっとくよ」
手負いの獣が不退転の覚悟をかためたかのような特攻の姿勢だ。あるいは変態が渾身のリビドーをターゲットへと解き放とうとするかのような。
「さあ――今度はこっちのターンだ」
一瞬の静寂。
汗だくになった二人の、張りつめた空気の中で深度を増していくその呼吸が、重なる。
クレが地面を蹴る。まっすぐに、愁めがけて。
四つの腕から弾丸が放たれる。
クレの身体がブレる。弾丸が【白鎧】を浅く削っただけで通りすぎていく。
「もらった――」
超高速のタックル。だが愁はそれを読んでいる。
カウンターの膝がクレの鼻面にめりこむ――いや、紙一重でくぐり抜ける。
「にっ――」
口の端を上げたクレが、愁の軸足を払うように絡みつく。アキレス腱固め。
腱がビキッと緊張し、ブチッと切れる――寸前で愁の手から生じた【戦刀】がクレの顔面へ伸びる。クレがのけぞって切っ先をかわした隙に足を引っこ抜く。
「これも対応するのか!」
膝立ちの状態のクレの肩口めがけて【戦刀】を振り下ろす。
――とったと思った、
のに。
じゃりっとクレの膝が滑り、半分踏み込む。左手首と手刀が重なり、【戦刀】がいなされる。
(座技かよ!)
これも友人に見せられた。正座の姿勢から膝で歩き、立った相手に対処する合気道の技だ。ドヤ顔でアパートのフローリングでデモしていたらスラックスの膝がツルツルになって半泣きになっていたやつだ。
バランスを崩した愁の左下にクレが入り込む。腕を胴に回す。そして――。
「はあっ!」
来る、バックドロップ!
残像を描く速度で天井がバック転。後頭部から地面に叩き落とされる――寸前で【阿修羅】の腕が地面に突き刺さり、勢いを殺す。
「な――」
腰を掴む腕をほどき、愁がバック転で地面に降り立つ。
「くそっ!」
クレが愁の手首を掴みにかかる。愁はそれを払いのけ、拳を繰り出す。それをクレが捌き、掴まえようとする――目にも留まらぬ攻防、めまぐるしく攻守が切り替わる。
スピードも重さも愁が上だ。二種類のバフをもってしても完全には埋めがたい差がある。
それでもクレの手捌きと判断力はそれを補って余りある。愁が長袖を着たままであればとられていたかもしれない。
だが攻防に菌糸腕が交じると、回転数さえも上回った拳がクレを捉えはじめる。
ガードが間に合わず、ゴゴゴゴッ! と被弾した顔面が瞬く間に腫れ上がり、鮮血が散る。
「しっ!」
勝負を決める渾身のフック――それをすり抜け、クレが腰へタックルを仕掛ける。
組みつかれる寸前で愁は相手の腕を両手で掴み、靴底を焦がしながら押し返す。完全にタックルの勢いを殺し、互いの動きが止まる。
「ふうっ、ふうっ……」
「はあっ、はあっ……」
二つの荒い呼吸が重なり、束の間の膠着を演出する。
――フィニッシュはこれにしようと決めていた。
菌糸腕の菌能の正式名称【阿修羅】を知ったときから妄想していた、有名マンガの必殺技。
危険な技を人間相手に実践する機会など持てるはずもない――こんなときでもなければ。
「――これで終わりだ」
「え?」
「おおおおおおおおっ!」
疲弊した身体からありったけの力をかき集め、布団を引っ剥がすようにクレの身体を持ち上げる。
上下逆さになったクレの頭が愁の首の横に乗る。
両手でクレの両腕を掴み、菌糸腕で両足を掴む。ひっくり返ったクレが大股をおっぴろげるような体勢になる。
「ちょっ! なにこれっ!? 僕今どうなってんの!?」
「シン・トーキョーのレスラーもこれは知らんのか。舌噛むなよ」
ほくそ笑む愁。そしてわずかに身を屈め、太ももに力をこめる。【跳躍】。
天井スレスレまで跳び上がり、そのまま急降下。
「らあああああああああああっ!」
「ああああああああああああっ!」
おたけびと悲鳴が重なる。
「【阿修羅】バスタアッーーーー!」
ズドンッ! と地面を陥没させて着地する。
肩に、腕に、全衝撃が等しく突き抜ける。
かは、とクレが乾いた声を漏らす。
愁がその手を離すと、彼はどさりと崩れ落ちる。
どういった箇所にどういったダメージが与えられたのかは愁にもわからない。
ともあれ、クレは動かない。白目を剥いて気絶している。
「悪いけど、俺の勝ちだね」
センジュトライブの怪人、クレ・イズホ。
超人パワーの前に散る。
愁は勝った。守り抜いたのだ。プライドと尻を。
拳を高々と振り上げ、灼熱を帯びた闘魂を顎に宿らせる。つまりシャクれさせる。
「ご唱和ください! 一、二、三、ダァーーーッ!」
隙間から覗く女子二人は白けた目をしている。




