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4:菌糸玉

「アベシュー! おきるりす! このねぼすけが!」

「んあ? ちょちょ、リスビンタやめて」


 タミコが押し殺した声で騒いでいる。頬をぺしぺし打たれてうとうと状態から引きずり出される。


「いるりす! すぐちかくりす!」

「マジか……いよいよか」


 心臓がどくんと跳ねる。全身が粟立ち、握りしめた手が震える。

 初日以来の、メトロ獣との正面対峙。真剣勝負、命の奪い合い。

 覚悟していたとはいえ、恐怖感マックス。ビビり不可避。


「……ゴーストウルフ? それともゴブリン?」

「どっちもりす!」

「へ?」

「そいつらがたたかってるりす! オオカミとサルはなかわるいりす、しょっちゅうバトってるりす!」

「なるほど……犬猿の仲ってやつか」


 メトロ獣同士の喧嘩……今の愁にとっては怪獣大戦争だ、のこのこ首を突っ込んだりしたら命がいくつあっても足りない。


「おわったところをやるりすよ! さいごにたってたやつを、うしろからバッサリ!」

「なるほど……漁夫の利ってやつか」


 壮絶な殺し合いの末、消耗しきった勝者を不意打ちし、アガリを総取りする。卑怯にもほどがあるが、そこは弱肉強食の野生界。遠慮していたらいつまで経っても地上へ脱出など叶わない。卑怯上等、やるしかない。


 てのひらに意識を集中する。しゅるしゅると糸が紡がれ、刀の形をなす。


 菌糸刀、ずっと出したままでいられたら新しく出す必要はないのだが、あいにく消費期限がある。数十分? 一時間? 正確にはわからないが、一定時間をすぎるとしなしなに朽ちていき、最後には砕けて粉々になってしまうのだ。


 新品の白い刀身を目の前に掲げ……それでも勇気はなかなか奮い立たない。腕を食いちぎられたときの痛みと恐怖が甦ってくる。


 こんなちっぽけな武器一振りだけで、果たしてあの化け物を仕留められるだろうか。


「アベシュー、てがふるえすぎてザンゾーをえがいてるりす!」

「ややややるしかないよな! ちちち地上に出たかったらさ!」


 柄を強く握りしめ、目を閉じること数秒。大きく息を吸い、自分の頬をぺちっと叩く。


「行こう、タミコ。これが最初の一歩だ」




 出入り口前の通りを左に進み、横道に入ったところで足を止める。タミコのように耳がよくなくても、すでに獣たちのおたけびは肌に浴びるほど近づいている。


「ガァアアアアッ!」

「キャアッ! キャアッ!」


 物陰からそっと覗く二人、男とリスは見た状態。数十メートル離れたところで、巨大な灰色の狼と青い毛並みの猿が組んずほぐれつ大格闘している。


 ゴーストウルフと比較すると、青ゴブリンは小柄だ。身長一メートルそこそこ。全身くすんだ青色で、二足歩行の猿だ。


 ゴブリンが持ち前のすばしっこさと獰猛さで、牙を剥いて掴みかかっている。噛みつき、引っ掻き、毛を毟る。


 それでも体格の差はいかんともしがたいらしく、ゴーストウルフの一撃を前に呆気なく吹き飛ばされる。あるいは大きな顎で首元を噛まれ、振り回されて壁に激突する。前評判以上にゴーストウルフが圧倒している。


 やがて青ゴブリンが血まみれで地面に伏せ、立ち上がる気力も失い――と、そこへ。

 奥から現れたのは二匹目のゴブリン。赤毛の猿――赤ゴブリンだ。


「キキャアッ!」


 絶叫とともに赤ゴブリンが駆ける。駆けながら腕を振るった瞬間――「ギャアウッ!」とゴーストウルフが顔をのけぞらせてうめく。


(――針?)


 赤ゴブリンが放ったのは、白く細長い針金のような武器だ。おそらく愁の刀と同じ、菌糸の針。それがゴーストウルフの目に突き刺さっている。


「キャキャキャッ!」


 距離をとり、両手で交互に針を投げる赤ゴブリン。出会い頭に片目をつぶされたゴーストウルフはかわすこともできず、全身に投擲を浴びてハリネズミのようになっていく。


「ガァアアウッ!」


 一方的な展開になり、機は熟したとばかりに赤ゴブリンが地面を蹴る。両手に握る針を直接突き刺そうと飛びかかる。


 勝負は決した――かに思われた。だが。


 タイミングを合わせて跳躍したゴーストウルフの牙が、赤ゴブリンの首に絡みつく。けたたましい破砕音とともに地面に叩きつけ、首をへし折る。ゴキッ、という鈍い音が岩壁に反響し――動くものがなくなった数瞬後、静寂を自ら破るようにゴーストウルフが「ウォオオオオオッ!」と勝鬨を上げる。


「……大番狂わせかよ……」


 赤ゴブリンが推定より弱かったのか、それともゴーストウルフが強かったのか。おそらく後者だろう。そんじょそこらの個体ではないということだ。


 とはいえ、勝者も満身創痍だ。身体中血まみれ、身体中至るところに針が突き刺さっている。


(どうする、どうする?)

(あんなバケモンに勝てんのか?)

(手負いの獣が一番怖いって――)


「アベシュー……」


 愁はタミコを肩から下ろし、両手で刀を握りしめる。

 目をつぶり、大きく息を吐き、「ああああああもおおおおおっ!」と頭の中でさけぶ。開いた目は涙を交えて血走っている。


「――骨は拾ってくれ!」


 物陰から飛び出し、一気に駆ける。かつてない勢いで周囲の風景が後ろへ流れていく。


 口から意味不明なおたけびが発せられている。腰蓑一丁、おたけびながら刀を担いで突貫する成人男性。会社の人に見られたらもう一度入院させられそうだな、などと考えて口の端に笑みを貼りつけたまま、愁は頭上まで掲げた刀を巨躯の狼めがけて振り下ろす。




「アベシュー! ちまみれりすー! しぬなりすー!」


 甲高い声でびーびー泣くタミコ。


「だいじょぶだから……すぐ治るから……たぶん……」


 壮絶な泥仕合となった。


 相手は手負いとはいえ遥か格上、スーパーゴーストウルフ。それでも片目がないのをいいことにちょこまかと動き回り、チクチクと斬りつけまくった。レベルアップによる恩恵か、これまでの人生で最高にキレた動きを発揮することができた。


 だが、敵の反撃もすさまじかった。まさに野生、生への執念を感じさせる抵抗だった。豪腕の一振りでふっとばされ、爪で脇腹をえぐられ、左腕がちぎれる寸前まで噛みつかれた。


 それでもどうにか――本当にどうにか、勝利を拾うことができた。何度も何度も頭を叩き斬られた狼は、舌を投げ出すようにして血溜まりに横たわり、もはや呼吸もしていない。


 愁は自分の負傷具合を確認する。あまり直視したくないが、切り裂かれた肉から骨が見えている。かじられた腕は骨も砕けている。


 だが――傷口の肉がじわじわと盛り上がり、出血を抑えている。青黒いカビがかさぶたのようにまとわりついている――これが再生を促しているらしい。この数日で何度か自傷して効果を確認したりしたが、今回のような全治何週間かかるのかという重傷でももりもり治ってきている。


(これも菌能、だよな?)

(自己再生のスキル、か)

(ヘタしたら腕もげても生えてきそうだわ)


 ゲームならまさにチート級の性能だ。


 一・二分もすると出血は完全に止まり、痛みはあるが身動きがとれるようになる。狼よりも猿よりも自分が一番化け物のような気がしてくる。


「アベシュー、すごいりす。もとのツルツルのしおがおにもどっていくりす」

「塩顔言うなや。つーか、腹減った……」


 猛烈な疲労感と空腹に襲われている。初日もそうだったが、再生には相応の栄養とかエネルギーを消費するようだ。


「アベシュー、なおったらほうしのうをえぐりだしてやるりす!」

「わかってるよ(さっきまで泣いてたくせに)」

「ぐずぐずするな! ハリアッハリアッ!」

「どこの上官だよ」


 ――と。


「ぐあっ!」


 とっさにタミコを庇うように飛び出したが、肩を思いきり殴られてふっとぶ。


「アベシュー!」


 駆け寄ってくるタミコを後ろに庇いつつ、愁は片膝立ちになってそれと対峙する。


「……生きとったんかワレ……」


 狼にかじり殺されたはずの青ゴブリンがそこに立っている。


 青い毛並みは血まみれズタボロ、左腕はあらぬ方向に曲がっている。ぜえぜえと肩で息をしながら、それでも血走った目でギロリと愁たちを睨みつけている。


「キキャァアッ!」


 青ゴブリンが怒声をあげる。血の混じった唾を飛び散らしながら。


 愁は立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。傷はまだまだ完治していない。エネルギーが足りないのか、手放してしまった菌糸刀を新たにつくろうとしても、てのひらから糸が出てこない。


「やべ――」


 青ゴブリンが飛びかかってくる。まっすぐに伸びてくる牙と爪を、愁は地面を転がって回避するが、アクロバティックに旋回した青い短躯が迫ってくる。その足の裏で腹を蹴り抜かれる。ベキッと肋が折れ、吹き飛んで背中から岩壁に激突する。


 痛みにうめく口からぼとぼとと血がこぼれる。チビのくせに、死にぞこないのくせに、とんでもないパワーだ。


「アベシュー!」


 愁の前にタミコが滑り込んでくる。庇うように立ちふさがり、青ゴブリンに向けて「シャーッ!」と牙を剥く。


「ああああたいがやるりす! あああアベシューはひっこんでるりす!」

「……つってもお前……」


(戦闘力ないって話だろうに)


「……だから……」


 相手も必死だ。いつ動きが止まっても不思議ではない。それでも、怒り、怯え、憎しみ、恐れ――それらを綯い交ぜにした生存欲求が、そのまま殺気をこめた気迫として現れている。


 愁は気圧されそうな弱気を噛み殺し、ぐぐっと腕に力をこめ、起き上がろうとする。


 こっちだって同じだ。死力を尽くせ。

 やらなきゃ死ぬ。それだけだ。

 それがこのメトロの、今の俺がいる世界のリアルなんだ。


 そうして愁は顔を上げ――ふと、自分の指先が赤く染まっているのを目にする。


 血――ではない。糸だ。赤い糸。


 それが指先から生じ、しゅるしゅると形をなしていく。直径二・三センチほどの、赤い木の実のような球体だ。中心に白い模様というかマークのようなものがある。水滴のようにもヒトダマのようにも見えるマークだ。


「なんだこれ……」

「き、きんしだまりす!」


 振り返ったタミコがさけぶ。


「これが……」


 タミコが話していた、菌糸武器とは別の菌能の形――。


「キキャアアアアッ!」


 投げて効果を発揮するもの、食べることで効果を得るもの、だったか。

 そう聞いたときには正直ピンとこなかった。

 だが、こうして自分の手にそれが生じた今。これがどちらの類なのか、本能的に理解できる。

 これは――前者だ。


「タミコどけぇえっ!」


 身体が自然と動く。どうすればいいのかを理解している。

 腕を振り抜く。遠心力と手首のスナップ、そして放とうとする意思。

 指先から剥がれ、赤い菌糸玉がまっすぐに放たれる。


 飛びかかってきた青ゴブリンに空中でぶつかり、菌糸玉がぐしゃっと崩れた瞬間――ボゥッ! と鈍い爆発音とともに青い獣が眩しい火に包まれる。


「ギャァアアッ!」


 青ゴブリンが焦げたにおいを撒き散らしながら地面をのたうち回る。呆然としていた愁だが、その隙に立ち上がり、菌糸刀を拾い上げる。


「うう……ああ……あああああっ!」


 そこから意識が曖昧になる。とにかく必死にガムシャラに得物を叩きつけ、気づいたら血と焦げで赤黒く変色した青ゴブリンの無残な死体が目の前に転がっている。


「……はあ……はあ……」


 呼吸も体力も、そして気力も限界を迎え、愁は膝から崩れ落ちる。タミコのキーキーとさけぶ声がやけに遠くに聞こえる。




「……シュー、アベシュー! くちをあけるりす!」


 なにかねっとりしたものを、口元にぐいぐいと押しつけられている。

 言われるままに口を開くと、間髪入れずにねじこまれる。一瞬にして生ぐささが口いっぱいに広がるも、切実にそれを欲していた身体が無意識のままに咀嚼し、飲み下す。


 食道を通って胃に落ちたそれが、優しい熱になって身体に染み渡っていく。気力が、体力が、活力が戻ってくる。


「……タミコ……」

「アベシュー!」


 目の前に、ちんまりシマリスの泣きそうな顔がある。見れば彼女の身体は血まみれだ――彼女自身の血ではなく、おそらく先ほど愁が口にした胞子嚢、あれを死体から摘出したせいだろう。


「うぐっ!」

「アベシュー!」


 急激な緊張が全身を襲う。痛み――というより筋肉や骨の強いこわばりだ。それも一瞬で綺麗さっぱり消えてしまう。なんの余韻も残さずに。


「……だいじょぶだよ、レベルアップしたみたい」

「よかったりす! びゃー!」


 愁の鼻面にしがみついて泣きわめくタミコ。背中をつまんで放すとぴろーんと糸を引くタミコ汁。


 愁たちを囲うように、三体の獣の死体が転がっている。ゴーストウルフ、青ゴブリン、そして赤ゴブリン。

 菌糸刀の切っ先でつんつんつついてみる。三匹ともぴくりとも動かない、完全に死んでいるようだ。


「すごいりす! ダイショーリりす! タイリョーりす!」


 今泣いたリスがもう笑う。キーキーはしゃいで踊るタミコ。一緒に踊りたいところだが、今はほっと気が抜けすぎて、その場にへたりこむことしかできない。


「……生き残った……」


 まさに命がけの死闘だった。こうして無事でいられる今が信じられない。


 初日の狼のときはほとんど実感がなかったが、今回の経験は人生史上最も凄絶で過酷で――最も脳汁が出たことは間違いないだろう。


 崖っぷちで発動した菌糸玉のスキル、燃える菌糸玉。文字どおりの隠し玉。今回の勝利はもちろんそのおかげというのもあるが、それ以上に――「負けない」「生きる」という意思を貫けたからこそだった。ビビっても泣きそうになっても、それでも最後まで折れずに戦えたからこそだった。


 自分のような凡人に、平成でのうのうと暮らしていた一般市民に、そんな底力を発揮できる日が来るとは――。


 そうして得たものは大きい。レベル4への成長と、念願の胞子嚢。それも六つだ。


(……なんだろう)


 ちょっと楽しいと思ってしまった自分に気づいて、愁は苦笑する。

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