39:三大禁忌
翌日、オブチから査定が返ってくる。愁たちの所持品の売却額、しめて九十五万円也。
昨日の見積もりのほぼ上限額だ。相当がんばってくれたようだ。愁もがんばって鼻血を堪えておく。
「それなりにうまく値を上げられたと思います。どうしますか?」
「ありがとうございます。じゃあそれで」
相場というのがわからないが、そのうちの十万円をオブチに渡すことにする。オブチは受けとりを渋るが、これまでの旅館の宿泊費用も彼に持ってもらっているので、愁としては彼の手にねじ込んででも受けとってもらうつもりだ。
「お三方の外套ですが、来週には完成する予定です。やはり特殊効果つきの逸品になりそうですよ」
昨日の昼食後、紡績やら加工やらまでやっているという仕立て屋の工房に出向き、採寸を行なった。そこの親方はオブチ並みのゴツい身体でヒゲもじゃで強面で、しかし針を操りハサミを滑らせる手つきはまさに熟練の職人を思わせるものだった。ちなみに代金は素材持ち込みということでだいぶ値引きが入り、他の素材分と合わせて三人で二十万ほどだ。
「うっし、あとは家だけだね」
いつまでも宿暮らしというわけにはいかない。せっかく生活資金ができたのだから、どこかに部屋でも借りて自活しなければ。
「あこがれのマイホームりす! ぴぎー!」
「賃貸だけどね」
オブチ同様に顔の広いコンノにツテを当たってもらい、手頃な貸家をさがしてもらっているところだ。明日、候補の物件を見学させてもらうことになっている。
「そういえばノアはイケブクロトライブだったっけ? イケブクロに家があるの?」
「市外にあばら屋っていうか、ひいじいと二人で暮らしてた小屋があります。もう何年も帰ってないですけど……」
「じゃあ、俺らとスガモで三人で住むって形でいい? 一応部屋を分けられる物件を選ぶつもりだけど」
「はい! りっす!」
「それあたいのりす」
JKとの同居が決定してしまった。若干ドキドキ。仕事でのパートナーであり一回り以上も下なのだから、なるべくそういう目で見ないようにと心に誓う。誓うだけならタダだ。
翌日にコンノと一緒にいくつかの物件を内見する。ビルの上階の一室、ファミリー向けの集合住宅。街の西門にほど近いところにあるパン屋の裏に、他よりも条件のいい一軒家の物件がある。
1LDKでトイレと風呂と洗面所つき、家賃一月四万円。他の同じスペックの物件よりも一万円以上安い。
元々はパン屋の主人が奥さんと二人で住んでいたが、結婚して子どもが生まれてから借家にしているそうだ。
「実は私も昔は狩人でね、二十年前に引退してこの店とこの家を建てたんだ」
パン屋の店主は五十代くらいの男性だ。このふっくらした人のよさそうなおじさんが、菌糸武器を手にメトロ獣とやり合っているところはうまく想像できない。
その木造の平屋は外装も内装も若干古い。左右の建物が二階建て以上なので日当たりもあまりよくない。とはいえ必要最低限の設備は整っているし、小さいながらも庭つき。今の三人には申し分のない物件だ。一部屋を女子部屋にして、愁はリビングのほうで寝ればいい。
「くんくん……アベシュー、ここにするりす」
「決まり手はにおいかよ」
確かに店から漂ってくるこの香りはやばい。店に並んでいるパンもおいしそうだし、朝食は焼きたてのパンという少女マンガ的な生活も送れる。
「正直、西門付近は今はあんまりオススメできないんだけどね」
コンノがこっそり耳打ちしてくる。
「つい先月だけど、市の西側に新しいメトロができちまってね。そっからしょっちゅうメトロ獣が出てくるってんで、西門付近の住民も多少不安になってるんだ。まあ門の守りは厳重だし、あんたみたいな腕っこきなら問題ないかもだけど」
「もんだいないりす。あたいのまえばでおっぱらってやるりす」
「メトロ深層の強いメトロ獣はめったに地上には出てきませんし、よっぽどのことがなければ門が破られることはないですよ」
タミコもノアも特に気にするそぶりはなさそうだ。
というわけで、この世界での新居が決定。パン屋の裏の素敵なおうちだ。
即入居可ということで、翌日には宿を出て(タミコと仲居さんが別れを惜しんで泣き)、いざ入居の準備にとりかかる。実際にはのちほど役所への届け出などが必要になるが、ひとまずコンノの名義としておき、狩人登録と戸籍の取得が済んでから正式な居住者となる予定だ。
家中を掃除して回り、全開の窓からカビくさいにおいが抜け出た頃、大量の荷物を抱えたノアたちが戻ってくる。オブチなどは片手でソファーを担いでいる。さすがは狩人。
夜には大家からのパンの差し入れを囲み、ささやかな入居祝いをする。
五年ぶりにありつくアルコールだ。夢にまで見たビール――ではないが、オブチの持ってきた赤ワインだ。百年前は酔っ払ってベランダから落ちるという醜態を晒した愁だが、それしきで懲りる愁でもない。元から酒には強い自信がある、節度さえ保てれば健康に楽しめる。保てれば。
「うまうま! ひょうめんがカリカリ! なかはふっくら! まえばがとまらんりす!」
メロンパンに埋もれていくタミコ。
そしてついに、ノア秘蔵のカトブレパスベーコン解禁のときがくる。
熟成期間を経て今日の昼に庭で燻されていたそれが、待ってましたと言わんばかりにちゃぶ台の上にどーんと鎮座する。神々しいまでの黄金色とピンクの肉塊。ごくり、と一同の喉が鳴る。
「あーこれ超うめえ……」
肉は弾力が強く、噛むほどに旨味が広がる。燻された香りが心地よく鼻を抜ける。
そのままがぶっとかぶりついてもうまい。火で炙ってもうまい。薄くスライスしてパンに挟んでもうまい。タマゴと一緒に焼いてもうまい。もうなにをどうしてもうまくなってしまう罪の塊。
タミコは「もうむりす」と腹も頬もパンパンになってちゃぶ台の上でヘソ天している。リスというよりチンチラみたいになっている。
「――にしても、すげえなこれ」
パーティーがお開きとなり、愁はノアとタミコに続いて風呂に入っている。檜かどうかはわからないが木箱の浴槽。ギリギリ足が伸ばせるくらいのサイズだ。
シン・トーキョーの風呂事情。市内には太陽光の温水設備らしきものが見かけられたが、あいにくこの家には備わっていない。だが――先ほど「この国の湯沸かしのシーン」を見て度肝を抜かれた。
浴槽に水を張り、その中にノアがキノコをぽんっと投げ込むと、それがしゅわしゅわと泡をたてて融けていき、なんと冷たい水がほかほかと湯気の立つお湯に変わっていたのだ。
フロタキタケというキノコの加工品(干物)らしい。どこの町でも一つ百円くらいで売っているそうだ。相変わらずというか、科学的な原理は不明。ちなみに大量の水にしか反応しないとのことで、食べても死にはしないという。
「すげえな、菌糸植物」
コンロの火はガスではなく、菌糸植物の木炭にマッチで火をつけたものだ。これがよく燃えるし煙もほとんど出ない。夜の明かりも燃えツクシという菌糸植物で、先端に火をつけると長時間燃えてくれる。
このスガモ市には電気もガスも通っていない。それでも地下を流れるメトロと街中に出回る種々の菌糸植物のおかげで、かなり高度な文明生活を送れるようになっている。
(もっと都会の街なら、電気とかも通ってるんかね?)
風呂上がりにお茶を飲みながら、愁はノアに尋ねてみる。
ノアがぎょっと目を見開き、そわそわと落ち着かなくなる。まるで怪談話でも聞かされたみたいに。
「うーんと……シュウさん、その話はお外ではしないほうがいいですよ」
「なんで?」
「……魔人が来るから、なんて言われてます」
「魔人って、魔人病だの〝魔人戦争〟だの聞いたけど、それが電気と関係あんの?」
「魔人っていうのは――」ノアが手帳をめくりながら言う。「人間と似た姿を持つ知的生命体。人間以上の知能を持ち、人間以上の菌能を操り、人間以上のレベルを誇る。性格は残虐、人の世にまぎれ、人を殺すことと人の世に混乱をもたらすことを喜びとする……ひいじいのメモにそう書いてあります」
「なにそれ怖い」
まさに〝魔人〟にふさわしいプロフィールだ。
「五十年前のシン・トーキョーは、今よりも文明的に発達していたと言います。その最先端を走っていたのが、最古のトライブの一つ、シンジュクトライブでした。ひいじいの手帳によると、メトロの水源やバイオ燃料を利用した発電施設というのをつくり、先史の科学技術の一端を復活させていたそうです。車、電灯、電話など……」
「うおー! さすが新宿!」
「シンジュクー! しらんりすけど」
「ナカノのお隣さんだよ」
「現都知事が初代族長として興したトライブですからね。けれどそれを……最高の技術と軍事力を誇ったシンジュクトライブを、たった五人の魔人が滅ぼした。それはやがてシン・トーキョー全土を巻き込んだ戦に発展した――それが〝魔人戦争〟です」
語り部ノアの剣呑な迫力に、タミコが怯えて愁の膝にしがみつく。
「凶悪なメトロ獣の軍勢を率いた魔人と、〝糸繰士〟を中心とした人間の連合軍との大規模な戦争。結果、魔人とその軍勢は全滅し、人間側が勝利しましたが、シンジュクを含めた三つのトライブが壊滅し、六人の〝糸繰士〟を含む五万人が命を落としました」
「マジかよ……」
「マジりすかよ……」
リビングが数秒ほどしんと静まり返る。
「魔人やメトロは、発達しすぎた人間の文明をリセットするために現れた――そんな説を唱えたのがメトロ教団でした。以後、このシン・トーキョーでは科学技術の研究や発展に上から蓋というか、政策的に歯止めがかかっているんです。教団が定め、都庁が認めた三大禁忌。『壁への干渉――壁と接触すること、壁を越えること』、『メトロの過度な開発と資源の過剰浪費』、そして『先史文明の復活』です」
「それで電気もガスも使われてないのか……」
「ボクはひいじいの手帳があるから『電気』とか『石油』とか、単語と意味はなんとなくわかりますけど、今の若い子はそういうエネルギー技術みたいなもの自体ほとんど知らないと思います。もはや封印された知識だから」
できないのではなく、やらないを選んだわけだ。科学の過度な発達を抑制するために。
行きすぎた文明のリセット――なんだか二十一世紀のエコロジストの妄想話のようにも聞こえるのは気のせいだろうか。SFアニメにありがちな設定のように思えるのは気のせいだろうか。
教団の人に話を聞いてみたい気もするが、典型的な無宗教の日本人としては、新興宗教というのは関わるのも怖い響きがある。
まあ、愁としては(五年のメトロ生活を差し引いても)これまでのスガモでの暮らしに特に不便は感じていない。もちろん贅沢を言えばキリがないし、スマホもテレビもないというのは少々寂しいが、なければ死ぬというわけでもない。ネコ動画枯渇症も実物が見られる環境だから発作は起きない。
「魔人ってさ、こないだの頭領みたいなやつなのかな? 魔人病って言ってたよね」
あの人間でも獣でもないおぞましい化け物の姿が脳裏に甦る。
「魔人と近い獰猛さや殺傷能力、死後に変貌する化け物然とした姿から、魔人病は『魔人のなりそこない』なんて言われたりしますが、本物の魔人とどこまで関連があるのかはわかりません。ひいじいはそれについて考察していたっぽいんですが、その部分の字が汚すぎて読めないんですよね」
試しに見せてもらうが、そのページばかりでなく全体的にミミズのたくり系の文字なので非常に読みづらい。これを解読できるのは一緒に暮らしてきた曾孫くらいのものだろう。
「〝魔人戦争〟から五十年、今の子どもにはお伽話とか躾のネタになってますが、狩人ギルドは『やがて来たるべき亡国の災厄』として魔人を現実的な脅威と定めています。『有事の際はシン・トーキョー全土の狩人の力を結集させ、これの討伐に当たる』という掟の条文があるくらいで。真面目に捉える人はほとんどいないみたいですけどね」
「狩人にとっても無関係な話題じゃないってことか」
愁と同じ〝糸繰士〟六人を殺した魔人。どれほどの怪物なのか想像もつかない。とはいえ都合よくいや都合悪く自分たちの前に現れることもないだろう、なんて考えるとフラグが立つから考えない。
「まあ、とにかく目先の問題だよな。狩人になれなきゃしゃーないし」
愁は壁掛けカレンダーに目を向ける(柄も絵もない日付のみのシンプルなやつだ)。
今日はトーキョー暦百七年、五月十五日、水曜日。
三日後の十八日、土曜日。月に一度の狩人ギルド新規会員登録審査会がある。
ギルドに所属して晴れて狩人を名乗れるようになるためには、能力診断を含めた面接試験をパスする必要があるらしい。
「だいじょぶですよ。ボクとオブチさんできっちり対策を教えますから」
ノアがどんと胸を叩く(薄い部屋着なのでぶるんと揺れる)。
「俺、面接苦手なんだよね……」
百年の時を経て甦る、就活一勝二十七敗の悪夢。
別に人見知りとか口下手というわけでもないが、スーツ姿の面接官と向き合っていると舌が鈍り、頭が回らなくなってしまう。圧迫面接ともなると亀のごとく手も足も出ない。
「シケンなんて、あたいのまえばにかかりゃあイチコロりすよ!」
「頼もしいけどわかってないよね」
シン・トーキョーの狩人ギルドにおいて、マンガやラノベにありがちな地下の鍛錬場で「お前の実力を見せてみろ」的な脳筋試験は存在しないらしい。
その必要がないからだ。レベルも菌職も、試し紙で可視化された指標として確認することができるから。
つまり、このまま無策で試験を受けると百パーセント〝糸繰士〟がバレる。
加えて愁がこの時代の生まれではないことも問答でバレる可能性が高い。
いかに菌職の試し紙を回避し、愁の正体を見破られずに試験をパスするか。それが肝心だが、オブチとノアのおかげで試験対策はばっちりだ。
ばっちり? いや、不安。
シミュレーションどおりうまくやれるかどうか……。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。どうかがんばって」
狩人のジャージに着替え、タミコを肩に乗せ、家を出る。日差しが眩しい。昨晩あまり眠れなくて目がどんよりしている。
「アベシュー、ねれなかったりすか?」
「あ、バレたか」
というわけで、いざ、狩人ギルドの営業所へ。
現存するトライブなどの情報はのちほど別枠で更新します。




