表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/195

35:【不滅】


12/27:「■菌職と菌能に関する解説と各職菌能リスト」の公開に伴い、修正を行ないました。


 ぱたぱたと窓ガラスを叩く音がする。

 ふと見ると空がいつの間にか鈍色になっている。雨が降ってきたようだ。午前中は気持ちのいい快晴だったのに。


 愁は赤い線が氾濫した試し紙に目を戻す。


「えーっと……なんかすごいことになってるっぽいけど……ちょっとまだ実感ないわ……」

「最初に確信したのは――」とノア。「アベさんから百年前の人だって聞いて、実際に【不滅】の菌能を目にしたときです」

「【不滅】? あ、前にも聞いた気がする」


 オオツカメトロでノアに会った日、彼女がそんなことをつぶやいていた。


「メトロでアベさんの手に傷をつけたとき、青っぽいカビが傷をふさぐのを見ました。ひいじいの手帳に書いてあった【不滅】の特徴と同じだった。それで確信が持てたんです、アベさんは嘘をついていない、本当に百年前の人間なんだって」


 愁の第一の菌能、再生菌糸。【不滅】というのはそれの正式名称のようだ。


「【不滅】は、一般的な自然治癒能力強化の【自己再生】よりも遥かに強力な再生能力です。大抵の傷はたちどころに治る。ちぎれた手足すら生えるし、よほどひどい怪我を負わなければ死ぬこともない」

「結構無茶してきたけど、みんな治ったね」


 これまで自分の身体を囮にするようなことはさんざんやってきたし、手足を食いちぎられることもザラだった。今でも五体満足でいられているのは百パーセントこのチート能力のおかげだ。


「傷が治るだけじゃなくて、老化もほとんど止まるとか」

「まあ確かに俺、今百三十歳? だけど……」


 不可思議現象で冬眠していた百年間を除外しても、オオツカメトロで五年をすごして二十八歳だ。不毛な穴ぐら生活でさぞ煤けたアラサーになってしまったと思いきや、今日鏡を見たときにはむしろ「二十三の頃とほとんど変わってないやん」という印象だった。まさか菌糸にアンチエイジングまで施してもらっていたとは。



「アベさんが百年以上眠っていられたことも、【不滅】の効果以外には考えられないと思います。眠ってしまった原因については想像もつきませんが」


 愁はてのひらに目を落とす。その皮膚の下に脈づく菌糸を思う。


 目覚めたとき、全身が青黒い菌糸に覆われていた。薄々そうではないかと思っていたが、実際にこの力がなかったら今頃は骨も残っていなかったというわけか。


「……どうして百年も経って、今頃目を覚ましたんだろうね……?」

「わかりません……そもそも【不滅】は普通の狩人には習得できない能力だし、ギルドの文献にもざっくりした情報しか載ってないので……」

「基本菌職はおろか、上位菌職でさえ習得することはできません」とオブチ。「逆に〝糸繰士〟の十二人は、漏れなくその能力を持っていたそうです。存命の三人の〝糸繰士〟は、アベさんと同じ前の時代から生きている人だと」

「さっき言ってた人だよね。あ、だから長生きってことか……」

「ぶひゅー、いずれもどえらい人ばっかりですよ。シン・トーキョー都知事、メトロ教団の教祖、そして最古のトライブの一つであるネリマトライブの族長。彼らは先史からの生き証人であり、シン・トーキョーの建国に大きく関わった生ける英雄です」

「その三人は【不滅】の菌能のおかげでほとんど年をとらず、百年前とほぼ同じ姿を保っているといいます。アベさんと同じですね」


 愁はちゃぶ台に肘をつく。その拍子にかたわらにいたタミコがこてんっと転げ落ちる。畳からキーキー抗議の声があがる。


「……そっかあ……平成の生き残りがまだ……」


 会ってみたい――愁はそう思わずにはいられない。

 あの時代のこと、あの時代の人々のこと、この世界のこと。

 彼らの口から聞きたいことが山積みだ。


(一つ目標ができたな)


「話を〝糸繰士〟に戻すと――」とオブチ。「〝糸繰士〟は全六系統の菌能に加え、【不滅】のように〝糸繰士〟でしか習得できないユニークスキルも使えると言います。国の名を由来とするくらいですから、それだけの存在ということです」

「アベさんはいくつ菌能を持ってますか?」とノア。

「えっと……十七個かな」


 ノアが呆れたように苦笑いし、オブチが頭を抱える。


「ボクは今、三個です」

「僕は三つですね。アベさんから見たら少ないと思われるかもしれませんが、基本菌職の場合、生涯をかけて大抵は四~六個、それ以上習得できたら万々歳です。上位菌職だと十個とかいったりするみたいですけど」

「自分の資質に合った能力を五・六個程度……しかも覚えられる能力を選べるわけじゃないんです。誰にどういうものが宿るかは、個人の適性やそれまで培ってきた経験などが反映されるという説が有力ですが、まだはっきりとは解明されていないんです。ボクが『この能力がほしい!』ってどんなに望んでも、覚えられるかどうかは未知数で」


 つまりスキルガチャか。基本菌職で最大六個前後、やはりシビアだ。


 愁としては今のところ第十四以外の菌能はまんべんなく使ってきたし、チート性能も三つ四つある。ガチャ運に恵まれすぎてSNSで自慢したら骨も残らんばかりに炎上しそうだ。


「しかし、十七個って……もはや僕なんかよりもよっぽど人間離れしてますね、ぶひゅー」

「ひいじい……の手帳によると、ある〝糸繰士〟の人は菌能二十八個、レベル98だったそうです。おそらく現存する三人もそれくらいの能力は持ってるかも」

「マジか」


 上には上がいるものだ。


「そりゃますます化け物ですね……僕ら基本菌職の上限はどんなにがんばってもせいぜいレベル65程度です。上位菌職でも確か80そこそこだったかと」


 菌職によるレベルキャップもあるのか。そうなると愁のレベル68というのは基本菌職のほぼ限界値、確かに「相当すごい!」ということなのだろう。


「アベさんが五年間という短い期間でそこまで強くなれたのも、もちろんアベさん自身の努力もあるんでしょうけど、菌職も関係してるんじゃないかと思います。一般的な狩人のレベリングだと、一年につき三つずつくらい上げられれば順調なほうです。当然高レベルになっていけば上がりづらくなるし」

「あとはあたいのおかげりすね」

「うん。あとでまたこしょってやるから」


 タミコも五年で12から40だから、かなり順調な部類に入るようだ。


「ぶひゅー。相手にしてきたメトロ獣のレベルも一因ですよね。50オーバーのメトロ獣と毎日やり合うなんて、普通の狩人からしたら正気の沙汰じゃないですから。密度で言えば通常の何倍もの濃さですよ」

「その分地獄でしたけどね」

「ちじょうはテンゴクりす」


 愁は大きく息をつき、湯呑のお茶を飲む。すっかりぬるくなっている。

 雨はますます強くなってきている。みんなが押し黙ると窓や屋根を叩く音が部屋を満たしていく。


「なんつーか……謙遜するわけじゃないけど、なんで俺なんかがそんなすげー感じなんだろうね」


 急な展開すぎて実感が湧かない。十五歳の誕生日にいきなり母親に「あなたは勇者なのよ! 旅立ちなさい!」とか言われたような気分だ。

 前の時代では特別なことなんてなにもなかった。勇者どころかただの会社員の息子だ。もう一つ遡れば農家の孫だ。

 勉強も運動も可もなく不可もなく、大学も中の中の上くらい。営業成績も三人の同期ではドベと僅差の二位、というかブービー。女の子にも特別モテたこともない。もうなにもかも普通の男だった。


(……どうして俺なんかが……)


 自分のようなド素人がここまでやってこれたのも、この超レアな菌職のおかげだった。

 そう考えると腑に落ちるが、そもそもたった十二人しかいない選ばれた存在と肩を並べられるなんて、神様のイタズラと呼ぶ以外に納得できる説明があるだろうか。


「……まだ実感ないけど、いろいろわかってよかったよ。ありがとね、ノア」


 気づいていて、いろいろと気を回してくれていた。

 彼女の言うとおり、とても長い話になった。

 メトロでこんなこんがらがった話を聞いていたら、それこそ脱出どころではなくなってしまっていたかもしれない。


「最初に会えたのがノアでよかったってことか。ノアと、そのひいじいのおかげだね」

「そんな……アベさんたちはボクの命の恩人ですから……」


 ノアはちょっと照れくさそうに頭を掻く。ほんのり頬を赤く染める様などはスマホの目覚ましの画面に設定したい。


「そう言ってもらえてよかったです。だけど、実は……ここからが一番大事な話なんです」

「ほえ?」

「りす?」


 まだ続きがあるのだろうか。正直ここまででいったん大学ノートに整理したいくらいなところだが。


「アベさんはこの菌職のことを、できるだけ世間の目から隠す必要があると思います。知られればきっと、少なからず世間を騒がせることになるから」

 

 


 いったん小休止。

 ノアがみんなの湯呑にこぽこぽとお茶を注ぐ。急須の中もぬるくなっていて、湯気は昇らない。


「えーと……まあ別に言いふらすつもりもないけど……なんかまずいの?」


 話を呑み込めず、そろって首をかしげる愁とタミコ。


 別に元から吹聴して回るようなことは考えていなかったが、それがそんなにまずいことなのだろうか。確かにそれだけ希少となると、周りからいろんな目で見られそうではあるし、できるだけ秘密にしておきたいというのもわかるが。


「シン・トーキョーの礎を築いたのは、十二人の〝糸繰士〟でした。破滅から生き延びた人々をまとめ上げ、各地にトライブをつくり、国を再興した。その後、トライブ間の紛争や内紛、度重なるメトロ獣の襲撃、五十年前の〝魔人戦争〟などを経て、十二人のうち今も存命なのは三人だけです」

「言われてみると、【不滅】なのに死ぬんだね」

「誰がそう名づけたのかはボクも知らないですけど……『どれだけ大仰な名前がついても、生き物は必ずいつか死に、土に還る。真の不滅などありえない』ってひいじいの手帳にも書いてあります」


 愁もボススライムと最初に戦ったとき、栄養不足で傷を治せずに死にかけた。やはり再生能力にも限界があるということか。


「現存する八つのトライブでは――」とノア。「ネリマトライブ以外は主に上位菌職の人物が族長を務めています。基本的に族長は世襲制――親類がそれを継ぐ形です。菌職は確率的に子に遺伝する傾向がありますが、〝糸繰士〟の子孫にも〝糸繰士〟は遺伝しませんでした。〝糸繰士〟は最初の十二人以外には現れなかったんです」

「上位菌職とかって親の遺伝かと思ったけど」

「そのケースが一番多いかもですね」とオブチ。「狩人の夫婦からは菌職持ちが生まれやすいと言われたりしますが、逆に〝人民〟の子が生まれることもあります。ちなみに亜人性も同じで、遺伝もありますが突然変異でも生じます。僕も五歳くらいまでは普通の子どもだったんですけど、その頃から急激に変化が現れて、あっという間に豚っ子でしたよ。なんらかのウイルス性疾患という説もあるくらいです、ぶひゅー」

「ほえー」

「りすー」

「ともあれ――」とノア。「そういう意味で〝糸繰士〟は、この国の礎を築いた象徴であり、今でも民衆にとって神聖化された存在なんです。都庁政府の威光、教団のカリスマ性と影響力、ネリマトライブの並外れた統率性――それらは〝糸繰士〟がトップであることが少なからず影響していると思われます。他の組織にとってそれ以外の指導者が必ずしも優れていないわけではないと思いますが……仮にもし今、十三人目の〝糸繰士〟が現れたとなると、各トライブはどういう反応を示すでしょうか?」

「どういうって……」

「つまりアベさんは――」とオブチ。「ご自身では自覚はないでしょうが、このシン・トーキョーにおいて非常に稀有な人材であるというだけでなく、同時に高度に政治的な存在でもある、ということです」

「そんな、大げさな……」


 望むと望まざるとにかかわらず、世間に影響を与えてしまう身分ということか。

 こんなどこにでもいる塩顔元社畜が、世間を騒がせる超VIPに大出世なんて。


「一つの憶測ですが――」とオブチが続ける。「アベさんの存在が世間に知れ渡れば、他のトライブの族長や幹部は心中穏やかでいられるでしょうか。無理やり傘下に引き入れようと画策するかもしれないし、逆に不穏分子として排除をめざすなんてことも……」

「ちょ、やめて。マジ怖いんすけど」

「いやまあ、あくまで極論です。前例がないことなので、どんな風に転がるかなんて想像でしかないですけど……都庁にしろ教団にしろ、とりあえず各方面をいろいろと騒がせてしまうことは間違いないでしょうね。イカリさんはそれを見越して、アベさんをこの町に連れてきたわけです」


 一同の視線がノアに注がれる。


「スガモ市は、市民の自治によって統治される都市です。仮に〝糸繰士〟が周知されてしまったとしても、トライブ領よりも影響は多少小さいものになるでしょう。イカリさんはそこまで考慮に入れた上でこのスガモに連れてきたということです」


 ノアが照れくさそうにうつむいている。イケブクロを選ばなかったのは野生児丸出しのオオカミファッションへの気遣いだと愁は勘ぐっていたが、その一万倍深い事情があったのか。


「それに、この場に僕とユイ様を同席させたのも、アベさんのためってことです」

「ほえ?」

「アベさんの今後のために、事情を知る口のかたい味方が必要だったということです。僕が行商人で顔も広いっていうのもあるからでしょうけど……とはいえ、なかなか面白いものを背負ってしまったな、というのも正直なところです。信用していただいたのは光栄ではありますが」

「まあ、命の恩人に後ろ足で砂かけるような真似はできんわな」


 苦笑するオブチとユイ。

 愁はノアに目を向ける。


「どうしてそこまで……?」


 あのメトロの中で愁の正体を知った上で、その微妙な立場に思いをめぐらせ、ここまで連れてきて、オブチたちを味方に引き入れようと気を回したりして。

 出会ってたった二日やそこらの間柄なのに。命を救われた恩返しとしても、こんなにも面倒なことに首を突っ込もうなんて。


 ノアは小さく笑い、首を振る。なんでもない、という風に。


「ようやく現在の話は終わりです。ここからは――未来の話をしましょう」


 ――未来、か。


 タミコが心配そうにきょろきょろと見上げている。愁はその頭をむきゅっと撫でる。


「……俺はこの先、どういう風に生きてけばいいか、ってことだよね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ