29:キレイナノミセテ
4/21:愁の菌能の名前、【煙幕】→【煙玉】に修正しました。
「――別に舐めプしてたわけじゃないんだけどさ」
アベが刀と盾を地面に捨てる。
「いや、してたんかな。ステの暴力で楽勝だろとか、そんな腕してるあんたにこれ使って勝っても嬉しくないな、とか。甘いよね、タミコに怒られちゃうよね」
毛皮の外套を脱ぎ捨てると、その背中から白い腕が生じる。
(あ、【阿修羅】)
(まさかそんなレアスキルまで――)
アベ自身の腕は【鉄拳】で硬質化している。拳同士をガツンガツンとぶつけ合わせている。
「本気でやるよ。ようやく地上に出られたその日に舐めプでゲームオーバーなんて、草も生えないし」
菌糸腕の指先から菌糸玉が放たれる。二人の間の地面に落ちた瞬間、ボンッ! と煙を生じさせる。
(【煙玉】か!)
たちまちあたりが灰色に包まれる。ムラスギは耳を澄ます。聴覚強化――【聞耳】で空気の動きを察知する。
ブンッ! と菌糸腕が顔面すれすれを通過する。わずかにかすって耳が半分ちぎれる。
二撃目はかわせない。腕をクロスしてガードする。骨まで響く衝撃を、後ろに飛んで吸収する。
煙の範囲から出る形になる。アベものそりと出てくる。
「なんでガードできたの? 煙ん中で見えてたの?」
アベが呑気な口調で言う。
(そりゃ)
(こっちのセリフだろうがよ)
それがムラスギの神経をさらに逆撫でする。
「……ふざけんなよ……」
「え?」
「ざけんじゃねえ!」
怒りに身を任せ、ムラスギは地面を蹴る。
【跳躍】。自身の出せる最大速度での突進。数メートル手前でふんばって制動をかけ、地面を這うようにアベの左側に回り込む。
左の鉤爪で地面をえぐる。舞い上がった土がアベの顔面に降りかかり、その隙にムラスギは懐に潜り込む。
「死ねぁっ!」
鉤爪を振り上げる。そして――視界が高速でブレる。
横に吹っ飛ばされ、背中から地面に叩きつけられ、ごろごろと無様に転がる。
「あがっ、がっ……!」
一番下の肋骨が折れている。拳の形の打撃痕がくっきりと刻まれている。【鉄拳】による殴打だ。
煙幕の中で正確に狙ってきた。目つぶしも通用しなかった――顔についた土を今頃になって払っている。
見ずに反応したというのか。同じ【聞耳】持ちだとしても、あのタイミングで正確なカウンターを打てるものか。
「名前わかんないから〝鉄拳〟って呼んでるけど、文字どおり鉄拳制裁だわな」
「……てめえ、菌能いくつ持ってやがんだ?」
どうにか立ち上がり、ダメージ回復の時間を稼ぐために言葉を投げかける。
「いくつだろうね。まだあるけど、もう終わりにするよ」
ムラスギは歯を食いしばる。先ほどの一撃は身体の芯にまで響いている。膝が笑う。
それでも――怒りはさらに満ちていく。痛みを押し殺し、意識をどす黒く染めていく。
「……ふざけんな……」
「へ?」
「てめえらは――俺からまた奪うつもりかよ! 群れなきゃなにもできねえカスどものくせに!」
「自己紹介乙」
「俺は特別なんだ! ミナミスナメトロを踏破した、レベル55だ、腕がありゃあ達人にだってなれた! この世に認められた一握りの才能なんだよ!」
「はあ」
「二十人以上の狩人をぶっ殺してきた! てめえらじゃビビってできねえことも俺ならやれんだ! だから殺していいんだよ、殺したいだけ殺すんだよ! 誰にも邪魔させねえ、もう二度と俺からなにも奪わせねえ!」
「無茶苦茶言ってんね」
「腸見せろよ! てめえのクソの詰まったクソなげえやつをよぉっ!」
ムラスギが跳躍する。最大速度はとうに超えている。低く低く、上段からの攻撃がメインとなる菌糸腕をかいくぐるように。
振り上げた鉤爪が、アベの顎に突き刺さる――その寸前で、菌糸腕がムラスギの右腕を受け止める。
一条の光が走る。折れた鉤爪が後ろに飛んでいく。
(――は?)
(バカな、魔鉄骨だぞ)
信じられない、それでもムラスギは怯まない。すかさず左腕で薙ぎ払う。
バキッ! と左の鉤爪も折れる。根元から肉と骨を破り、血を撒き散らす。
そのとき初めて、アベの拳が青白い光をまとっているのに気づく。その手刀で鉤爪を折ったのだ。
(――【光刃】?)
(嘘だろ?)
その拳がムラスギの腹を突き上げる。「がはっ!」とムラスギの口から血の混じった胃液が吐き出される。
「お前が倒れるまで、殴るのをやめないッ! 通じねえか!」
容赦なく振り下ろされる四つの拳。ムラスギの顎を、肩を、胸を、こめかみを打ちつける。でたらめな拳筋でも一発一発が信じられないほどに速く重い。
自慢の鉤爪を失い、ズタボロに打ちのめされ。
「がぁああーーーっ!」
それでもムラスギは膝をつかない。顔を上げ、吠える。途切れた鉤爪の切れ端を振りかぶる。
その胸に、貫手の形に変えた【鉄拳】が突き刺さる。指先が皮膚を破り、肋骨を割り、肺に達する。
「――あ」
貫手が引き抜かれる。血が噴き出す。身体から力が抜けていく。
「――言い忘れてたけど、俺ほんとはレベル66なんすわ」
視界が暗くなる。感覚が失われ、気づいたら倒れ落ちて空を見上げている。
(――ざけんな)
奪われるのか。またしても。
地獄から這い上がって、またここまで積み上げたのに。
(ざけんな、ざけんな!)
(こんなガキに! 俺が、この俺が、俺g――)
「――もう壊れちゃったのか。つまらない」
頭の中で声がする。
「もう少しくらい、彼のキラキラを見せてくれるかと思ったのに」
聞き慣れない声。男とも女ともつかない、奇妙な声音だ。
もはや目も耳も機能していないはずだ。なのに、頭の中に直接響くように、とてもはっきり聞こえる。
(誰だお前?)
「君の中に、えーと、間借り? してた者だよ。ああ、君のおかげで言葉を憶えられたんだ。ありがとう、思ったことをきちんと言葉にできるって、こんなにも楽しいんだね。私はとても感謝してるよ。なによりよかったのは、あの毛なしザルの名前が知れたことかな。アベシュウっていうんだね」
(なにを言ってる? なんだお前?)
「いつもなら私もここでいったんおしまいで、適当に他の個体に移るだけなんだけど。せっかくだから直接彼と触れ合ってみたいと思って」
(なんの話だ?)
「というわけで――ほんの短い間だったけど、お世話になりました。君の身体もらうね。いいよね?」
(どういう意味だ?)
「私自身の意思で生身を動かすのって初めてだから、たぶんぐちゃぐちゃになっちゃうけど、どうせもう使いものにならないんだし、構わないよね?」
(やめろ)
「えーと、君の記憶にある、殺した人にかける手向けの言葉? 私が言ってあげる。『お前の死体で楽しませてもらうぜ』」
(これ以上、俺から奪うな)
(やめろ、やめてくれ――)
「あはは」
ぷつん、と意識が途切れる。その先には光も音もない闇が永遠に続いている。
***
動かなくなった頭領の身体を見下ろして、愁はふうっと息を吐き出す。
(――……結構強かったな)
(一回りレベル下だったのに)
ひたすら戦いづらかった。経験と技術の差、ということだろうか。
リーチのある武器に臆することなく懐に飛び込んでくる相手には、どうしても刀では対応しづらかった。
ボススライムを倒して得た第十七の菌能、鉄拳。
メトロ脱出の道中では試しに数回使った程度だったが、相手の戦いかたとうまく噛み合ってくれた。
(……最初から菌糸腕を使えば、もっと楽できたんだろうけど)
舐めてかかったつもりはないが、やはり甘さのせいだろう。言語化が難しい、意地というかプライドというか、そのような不定形で非合理的な感情によるものだ。腕を失った相手に対して腕四本で挑むというのは、たとえ勝ったとしてもすっきりしないものが残るかもしれない、と。
感傷的な理由だけでなく、レベル差的に使わなくてもなんとかなりそうだという打算があったのも事実だが、それも含めて油断というものだ。相手は毒を使っていた、万が一が起こる前に対処すべきだった。反省、うちのちっこい上官にこってりしかられようと思う。
(まあ俺、再生菌糸のおかげで毒効きにくいんだけど)
(解毒玉もあるけど、まあ絶対ってわけでもないしね)
あたりを見回す。
頭領を含め、この場に倒れているのは十人だ。
――オブチの姿がない。頭領と戦う前には倒れているのを確認したのに。
逃げたのだろうか。いや、仲間をとり戻しにあの洞穴に潜っていったのだろう。
彼を殴り倒したのはとっさの判断だった。共闘の形になれば彼の人質に惑わされるし、口ではああ言っても完全に敵に回られるようなことになれば脅威だった。しこたま殴られて若干ムカついていたのも事実だが。
ともあれ、これで終わりか。
愁が倒した部下は死んではいないだろう。正直殺してやりたいとは思ったが、やはりその直前で手加減をしてしまった。
だが、目の前に倒れている頭領はもう動かない。左胸にぽっかりと穴を開けている。
(あー……死んじゃったね、こりゃ)
(これで俺も……人殺しかあ)
(恨みっこなしって言っとくの忘れちゃったわ。化けて出るかな)
どうしても生かしておいてはいけない人種だと思った。怒りを抑えられなかった。
という言い訳はどうあれ、殺したのは自分だ。それが事実だ。
「優しい人だーとか言われてた一時間後にはこれか、はは……」
罪悪感というよりは「あーあ」「やっちゃった」的な思いのほうが強い。そして妙に冷静だったりする。それがむしろ怖くもある。
あとからぐちぐちと悩むパターンかもしれない。あるいは「そんなもんだよ」とすっぱり割り切れるのかもしれない。どちらにせよ、もう引き返せないのは確かだ。
(もう真っ当な仕事には戻れないかなあ)
「アベさん!」
「アベシュー!」
ノアとタミコが広場に下りて駆け寄ってくる。
「イカリさん、だいじょぶ?」
「あ、はい……その、ありがとうございました。二度も命を救ってもらって……」
「いやいや、そんな……」
「というか、さすがですね。あの頭領の男、〝腕落ち〟とはいえレベル50以上だってタミコさんが……」
「まあ、確かに強かったね。俺が毒の効かない体質じゃなかったら、ちょっと危なかったかも」
「あたいたち、ヒヤヒヤしながらみてたりす。きんしわん、なんでさいしょからつかわなかったりすか?」
「いや、まあ……意地っつーかなんつーか……すいません……」
「チョーシこきモードはケガのもとりす。あとでペナルティーりす」
「イエッサー」
ちなみにペナルティーは「上官が満足するまで誠意をこめてこしょる」。質量ともにおざなりでは到底達成しえない難関だ。
さて。後片づけをして、さっさと町に行きたい。コンノも心配しているだろうし。
疲れたし腹も減った。これまでの苦労の垢を風呂で落とし、ふかふかの布団で寝るというご褒美を味わいたい。
「んでこいつら、どうすっか? 何人かまだ生きてると思うけど。町に行って憲兵連れてくる?」
「その間に逃げられちゃいますね。全員とどめを刺す……っていうのは、アベさん的にはなしですか?」
「うーん……つっても、じゃあ町に連行するってのも、車はおろかリヤカーもないs――」
ノアと、その肩に乗るタミコが目を見開いている。
嫌な予感とともに振り返ると、背後で一人、起き上がっている。
――頭領だ。
膝は糸繰り人形みたいに力なく曲がっている。途中で折れた右の鉤爪は、ただの棒になって腕にぶら下がっている。
首はこくんとうつむいたままで、表情は見えない。立ち上がりはしたものの、そこから動こうとしない。生気も殺気も感じられない。
「タミコ、ノア、下がって」
二人を背に庇い、身構えながら、愁はまず再生菌糸の可能性を考える。
この能力が自分一人の専売特許などと思ったことはない。他の人が使えても不思議ではない。
だが、左胸の穴は開いたままだ。再生されている様子はない。
「……キ、キキ……」
頭がかくん、と横に九十度倒れる。そしてゆっくりと背筋を伸ばす。
目から血の涙が溢れている。口からも、鼻からも血が流れていく。だらだらととめどなく。
ギシュッ、と肩が鈍い音をたてて膨れ上がる。
のたうつように身体が身震いするたび、関節がありえない方向に曲がり、あちこちの筋肉が盛り上がっていく。愁と同じ程度だった上背はすでに遥か見上げるほどまで伸びている。
「……どうしてそんなにおっきくなっちゃったんですか……?」
頭領は答えない。ゴキゴキと丸太のような首を振って鳴らすだけだ。
どしん、と腕を地面につく。四足の大型獣のような姿に変わった頭領は、首を持ち上げ、べったりと垂れ下がった黒髪の隙間から白目まで真っ赤に染まった目を覗かせる。
(……恨みっこなしって言い忘れたから)
(……マジで祟られちゃった感じ?)
「キ、キキ……キレイナノ……ミセテ……」
ほとんど口は動かないまま、その喉の奥から声が漏れ出る。平板で無機質で、人のものとは思えない低い響きだ。
次回、野盗戦完結です。




