28:頭領ムラスギvs禁呪法使い
愁は眼下に野盗を見下ろす。高低差は二メートルほどか。
ハンマーで殴りつけた二人は倒れたままで、残りは八人だ。
まずは頭領以外を片づけたい。タミコに右目をつぶされた槍持ち、中央手前にいるナタ持ちの二人がレベル二桁以上。こいつらが最優先だ。
他にも弓を構えているのが三人いる。その弦は今にもはじかれそうなほどにギリギリまで引き絞られている。こいつらも注意しておかないと。
愁は右手を握って前に突き出す。
人差し指を立てる。
「メ……」
しゅるっと人差し指に燃える菌糸玉が生じる。
「ラ……」
続けて中指に燃える菌糸玉が生じる。
「ゾー……」
続けて薬指に燃える菌糸玉が。
「マ……!」
続けて小指に以下略。
最後に親指に生じさせ、五つの菌糸玉がそろう。
夢の禁呪法が今ここに実現する。
「フィンガー、えー、あー、オラァーーッ!」
土壇場で名前ド忘れしたので勢いでごまかす作戦。指先から放たれた菌糸玉が広場へとばらまかれ、けたたましい爆音と五つの火柱を生じさせる。
「うぁあああっ!」
「ぎゃぁああっ!」
「火がぁああっ!」
直撃は叶わなかったが、三人を爆風で吹っ飛ばし、一人の衣服に着火させる。広場は瞬く間に混乱に陥り、その隙に愁は飛び降りる。
「来たぞ! やれっ!」
頭領の怒声にすぐに反応できたのは、やはりレベル二桁の二人だけだ。各々の手にした武器を振りかぶり、愁を左右から挟むように突っ込んでくる。
槍が愁の胸を狙って突き出される。愁は絡みつくようにギリギリでかわし、脇に挟んで力任せにへし折る。その穂先を槍持ちの太ももに突き刺す。短くうめいたその頭に肘を打ち込んで薙ぎ倒す。
続いてナタが迫ってくる。愁はそれを指で掴んで受け止める。目を見開く男に邪悪に笑いかけ、そのまま一撃で――と思いきや、ナタを離した相手の左手が獣じみた白い爪を生やす。菌能だ。
「んがっ!」
目玉をえぐりろうとしたそれをひらりとかわし、手首を掴む。怒りをこめてぎゅっと握りしめる。ベキッ! と鈍い音とともに手首が魚肉ソーセージくらいに圧縮される。耳障りな悲鳴をあげる男の顔面を拳で打ち抜いて黙らせる。
間髪入れず、感知胞子の領域に矢が侵入してくる。それを素手で払いのけ、お返しに電気玉を投げる。黄色い菌糸玉が弓持ちの足下に着弾し、一瞬の閃光とともに電流が走る。弓持ちが前のめりに崩れる。
「ひっ!」
一人が声を詰まらせ、逃げていく。それを追うようにもう二人。
――その首を、頭領の鉤爪が引き裂く。水鉄砲のように血が噴き出して、三人は声もなく倒れる。
最初の燃える玉の延焼が収まっていき、あたりは焚き火の光だけの薄暗さに戻っていく。
その中で立っているのは、今や愁と頭領だけだ。
「あっという間だな。やっぱザコは何匹いてもザコだわ、使えねえ」
頭領が血に濡れる鉤爪を舌先で舐める。そして愁のほうにゆっくり近づいてくる。
狂気のにじむその目に、愁は一瞬気圧される。
獣とは違う、人間の欲望に満ちた悪意と殺意。
こんなにも不快で、穢らわしく、おぞましい。
――これから先は、未体験の領域だ。
「前言撤回するぜ。お前みてえなさ、『俺はつええ! 特別なんだ!』って勘違いしてるゴミの腸を掻き出すのが、俺のなによりの生きがいなんだ。奴隷にするにゃあもったいねえ」
「そうすか」
愁は菌糸刀と菌糸盾を出す。
手の震えを握り殺す。恐怖を怒りで上塗りする。
「ノアの言ってたことがよくわかったよ。あんたみたいなやつは……生かしといちゃいけねえわ」
二人は広場の中央で対峙する。
にいい、と頭領が口の端を持ち上げる。
「ひひ、行くぜっ」
両腕の鉤爪を構え、地面を蹴る。
***
野盗の頭領――ムラスギがその地位に自らを落としたのは一年前だった。
元々はカメイドトライブに属する集落で農民として暮らしていた。
特に不自由のない生活だった。代々保有する土地は水はけがよく良質な野菜が実ったし、南のメトロはカメイドを挟んでいるので凶暴なメトロ獣がやってくる心配もない。父も弟も働き者だったし、同じ集落の住民たちは家族同然の気のいい人ばかりだった。
そんな中で、彼だけが異質だった。
幼い頃から森や山で獣をいたぶることが好きだった。暴力が好きで、獣の悲鳴が好きで、血の色が好きで、腸の色が好きだった。
両親ともに〝人民〟だったので、ムラスギは自分もそうなのだろうと信じていた。〝人民〟なんて苦労してレベルを上げても、天井は誰でも手が届くほどの高さしかない。なので積極的にメトロ獣を狩ろうという気もなく、あくまでも弱い生き物をいたぶるという趣味に興じることだけに熱を注いだ。あんなまずいものをこぞって食べる狩人の気が知れない、という思いは半ば嫉妬から来るものだった。
ところが、十五歳の頃。
罠にかけて殺したオオカミの胞子嚢を食べたとき、偶然にも最初の菌能が発現した。
自分が〝人民〟ではないと初めて知った瞬間だった。自分が特別な存在なのだという神からの啓示と受け止め、ムラスギは獣のように歓喜した。
それから一年間、手頃なメトロ獣を狩ることに没頭し、規定のレベル10まで鍛えた。そして家族の反対を押し切ってカメイドトライブ所属の狩人になった。
最初は読み書きもできない田舎者の〝細工士〟とバカにされ、相棒もなかなか見つからなかった。最初の二年でレベルを18まで引き上げ、その間にギルドの職員から最低限の読み書きを習った。そうして彼にようやく最初の相棒ができた。レベルも年も下だったが、同じく農民上がりの気のいい青年だった。
組んでから一カ月は順調だった。初めての相棒に対して彼は気を遣い、尊重した。しかし彼の粗暴さや残虐さは隠そうとしても隠しきれるものではなかった。大した経験値も持たない小物の獣ですら積極的に手にかけ、笑みを噛み殺しながら腹を割く姿を相棒は気味悪がりだした。
そのうちに大きな口論が何度か起こり、激高した彼は相棒を殺した。それが初めて経験した殺人だった。
喉仏を掻き切られて動かなくなった相棒の姿に、彼はこれまでの人生で一度も味わったことのない類の興奮を覚えた。普段獣をそうするように死体を弄ぶうちに二度も絶頂した。獣よりも強い狩人を殺すこと――これこそが自分のさがし求めていた究極の生きがいなのだと悟った。
四十歳までにレベルは55にまで達し、カメイド以外の支部でも多少は名の知れた存在になった。人生の絶頂期とも言える時期に差しかかっていた。
その手で殺めた狩人は二十人を超えた。相棒を手にかけた際はメトロ内での殉職として報告し、証拠は一切残さなかった。
だが――。
ある日、メトロの中で一人で行動していた狩人を襲おうとしたところで、他の狩人にとり押さえられた。
前々から彼は、水面下で同僚たちから疑いをかけられていた。彼が手にかけようとした「うまそうな獲物」は、有志たちが悪魔の正体を暴くために用意した囮だったのだ。
レベル差はともかく、多勢に無勢だった。彼はその場で袋叩きに遭った。
全身を打ち据えられ、足を折られ、首を刎ねられる寸前、彼は狩人たちに命乞いをした。もう二度と人は殺さない、獣の腸で我慢するから、と。
狩人たちは彼の両腕を切断したうえでその望みを叶えた。そこはメトロの奥深くであり、その状態で彼が逃げおおせる確率は皆無に等しかった。さんざん陵辱してきた獣たちに食われ、メトロに還る。それが下衆に与えられる最大の贖罪の機会だと言い残して、狩人たちは去っていった。
結果として彼は生き延び、メトロを脱出した。いくらかの幸運と、恐るべき憎悪と執念のなせる業だった。
両腕を失い、狩人としての立場を失い、獲物を殺すための菌能も奪われた。
それでも彼は諦めなかった。人里離れたところで傷を癒やし、腕を失った身体でも戦う術を模索した。故郷であるカメイドを離れ、遠いオオツカの地にたどり着き、そこで無能な野盗どもをまとめ上げた。
彼は第二の人生を楽しめる幸運を神に感謝していた。
最初に捕らえられたのがオブチだったのもそうだ。所持していた金品の価値だけでなく、腕もそれなりに立つ。自身よりもその相棒を大事にする気質は奴隷にもってこいだった。
来るべきスガモ市襲撃のための、貴重な一つ目のコマになりそうだと思った。
ムラスギの目的――それはスガモ市の市長の邸宅を襲撃し、秘薬を奪うことだった。
捕らえて殺した商人から仕入れた情報だ。市長の娘は大病を患っている。数十年前までは呪いとさえ呼ばれた、体内の菌糸が硬化してやがて死に至る難病だ。
その治療のためにと市長は各地からあらゆる薬をとり寄せていた。その中には、失われた手足すらトカゲのように再生できるという秘薬も含まれているらしい。
それを手に入れることができれば――狩人たちに奪われた腕を、力を、すべてとり戻すことができる。
スガモの警備は厳重だ。〝人民〟の部下が百人いたところで壁を破ることさえ叶わないだろう。
だが、狩人のコマが数人いれば別だ。夜闇に乗じてこっそりと潜入し、邸宅に奇襲をかけ、秘薬や財産を奪うことができる。
そのためにコマを増やすことが目下の課題だった。
そして今日、新たに見つけた狩人。七人からの部下をものの数秒で退けた戦いぶりを目にして、なかなか使えそうだとムラスギは喜んだ。利用できれば目的に一気に近づきそうだ。
そのために一瞬の隙をつき、やつの相棒をさらった。
案の定そいつは一人で乗り込んできた。これで二つ目のコマを手に入れたも同然だった。
――そのはずだったのに。
「……予定変更だ」
目の前にいる男は、【戦刀】や【跳躍】だけでなく【火球】と【雷球】も使う。明らかに上位菌職だ。
奴隷にするには危険すぎる。振るえば怪我する刀など必要ない。
ここで始末しなければいけない。
ムラスギは左の鉤爪の先端に付着した血を舐めとる。こちらに視線を誘導しつつ、右の鉤爪を腰に結んだ袋に突き刺す。さらさらと粉がこぼれる。麻痺性毒のザブンタケの粉末だ。少女の狩人をさらった際の煙幕に混ぜたものと同じだ。
切っ先に黄色い粉がたっぷり付着する。血管から直接毒を入れられれば、【毒耐性】の菌能でもない限り、行動不能は免れない。
一分後に動けなくなったこいつの腸をかき回すことを想像し、ムラスギは舌なめずりをする。
「ひひっ、行くぜ」
【跳躍】。腕を奪われたムラスギが使える数少ない菌能だ。
地面の上を滑るように一気に間合いを詰め、鉤爪を走らせる。
一掻きだ。それで勝ちは決まる。
アベの【戦刀】が鉤爪とぶつかる。鉤爪を断とうとした太刀筋だが、ギャリリッ! と耳障りな音とともに鉤爪が絡みつき、刀を斜めに払い落とす。
「ひゃあっ!」
もう片方の鉤爪を振るう。アベは律儀に【円盾】で受けるが、ムラスギは表面をガリッと浅く滑らせ、【戦刀】を握るアベの伸びた腕を狙う。
「くおっ!」
その寸前でアベが足蹴で突き放すようにして距離をとる。
(――防ぎやがった)
かなり強引だ。まるでかすり傷さえ嫌ったかのように。
「……あのさあ、毒でしょ? さっきこそこそやってたの。気づいてないと思った?」
肌が粟立つ。
粉末を付着させたのは完全に死角だったはずだ。見えていなかったはずだ。
(なぜ気づきやがった?)
(俺の背中が見えてたってのか?)
「……ひひっ、だからなんだっつんだ?」
ムラスギは開き直り、笑う。左の鉤爪も袋に突き刺す。
「俺は腕がこんななんだぜ? 少しくれえハンデくれてもいいだろ?」
「そうだね。一人じゃケツも拭けないもんね」
「ひひっ、そうでもねえさ。慣れりゃあ――」
会話を遮るように、今度はアベのほうから距離を詰めてくる。鋭い振り下ろしだ。
鉤爪で受け止めるが、重い、そのまま押し込まれる。
「らあっ!」
ムラスギ自身ではなく鉤爪を断つのが狙いか。そのままアベが力任せに振り抜く。
しかし、刃が通りすぎても鉤爪は傷一つついていない。
(ひひっ、当然だ。俺の自慢の腕だからな)
高レベルの菌糸武器は鉄や鋼をも断つ斬れ味を誇る。それでもムラスギのこれは、メトロの深奥部でのみ採掘できる魔鉄骨を削り出した逸品だ。菌能を失う前から愛用し、数えきれないほどの獣や人間の血を吸わせてきた。
ムラスギはそれを、腕の骨に直接刺して固定している。今や名実ともに肉体の一部なのだ。
驚くアベの顔面にお返しの一撃を繰り出すが、やつは「んがっ!」と首をのけぞらせてかわす。
そのまま後ろに離れようとしたところを、ムラスギが前へ詰める。
武器のリーチはムラスギのほうが小さい。離れれば不利だが、逆に懐はボーナスステージだ。
「くあっ!」
案の定、アベは刀を振れずに攻めあぐねる。
至近距離から縦横無尽に襲いかかる鉤爪を、それでもアベは盾ではじき、俊敏な反応でかいくぐる。
(とんでもねえ反射神経だ)
(マジでレベル45かよ?)
(むしろ俺よりはやくねえか?)
「――けどな」
立ち回りを見ればわかる。アベは対人戦闘の素人だ。
頭の悪い獣としかやり合ったことのない、典型的な狩人バカだ。
鉤爪に注意を向けさせ、半歩踏み込んで足をかける。アベがわずかに体勢を崩した瞬間、鉤爪がその腕を狙う。
――と、ギィンッ! と鉤爪がはじかれる。
(なに?)
アベの拳が――手首から先が銀色に煌めいている。金属の皮膚で覆ったかのように。それで払いのけたのだ。
(【鉄拳】かよ)
(つーかこいつ、いくつ菌能持ってやがんだ?)
【戦刀】、【戦鎚】、【跳躍】、【火球】、【雷球】、【円盾】、そして【鉄拳】。少なくとも七つ。
(上位菌職なのは間違いねえが――)
(ちょっとばかし多彩すぎやしねえか?)
【戦刀】と【円盾】をメインにしているあたり、〝聖騎士〟なのはほぼ確定だろう。だがそれ以外の系統も、使い勝手のいいスキルが目白押しだ。今のムラスギには眩しすぎるほどに。
「……ずりいじゃねえかよ」
こちらはそのほとんどを奪われて、使えるのは【跳躍】と【聞耳】だけだ。
憎悪と嫉妬が胸の内で燃える。怒りで身体が震える。噛み締めた歯がみしみしと音をたてる。
こいつはなにがなんでも殺さなければ気が済まない。
必ず毒を入れてやる。そうして動けなくなったところで腹を裂く。生きたまま一つずつ内臓を引きずり出してやる。
決めた、必ずそうしてやろう。
そうしなければ、明日はない。




