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27:逃がさねえ

 月が出ていない。森の中は真っ暗だ。

 それでも感知胞子があれば木にぶつかるようなことはない。新しく踏み荒らされたばかりの獣道を感知して進んでいく。

 タミコの嗅覚は聴覚ほど優れているわけではない。それでも愁の進む方向にノアのにおいが点々と続いているのを感じるようだ。間違っていない、この先にノアとあの男がいる。


(つーか、わざとだろうな)


 アジトで待っている、と男は言っていた。つまりこれはお誘いの道標、罠だ。


(うは、こええわ)

(人間マジでこええ、獣とは別の意味でこええ)

(そんで……獣の万倍ムカつくわ)


 早足で十分ほど進むと、そのさきにかすかにオレンジ色の明かりが見えてくる。ちろちろと燃えるように照らされた木々がふつりと途絶え、突然視界が開ける。


「……よお、お早いお着きだな。ひひっ」


 そこは円形の窪地で、広場のようになっている。

 焚き火が二つある。口から尻まで串を通された鳥が焼かれている。その周りを囲うようにみすぼらしい男たちがいる。野盗だ、全部で十人。

 愁はタミコに合図して、一人で下りていく。


「えれーじゃねえか。きちんと言いつけどおり一人で来るなんてな」


 広場の真ん中に先ほどの男が岩に腰かけている。その数メートル後ろに――ノアがいる。

 マントと上着を剥がれている。上半身裸のまま、後ろ手に縛られ、うつ伏せに倒れている。気を失ったままのようだ。陶器のようなつるりとした背中が露わになっている。


「小僧かと思ったらメスガキとはな。しかもよく見りゃ上玉だ。もうちょいゆっくり来てくれたら、俺らの楽しむ時間もあったのにな。ひひっ」


 頭領が笑うと、周りの男たちも追従する。やはりあいつがボスのようだ。

 もはや愁の視界は真っ赤だ。炎の色もかすむほどに。


「おっと、ストップだ。それ以上動くな、お前の大事なメスガキの命が惜しけりゃな」


 部下がノアの背中に槍を向けている。愁は歯噛みして歩を止める。

 事前に感知胞子で調べたところ、広場の周りに伏兵はいない。奥には岩壁が切り立っていて、そこに洞穴が開いている。その中まではさすがに胞子が届かないので、奥にまだ仲間がいるかもしれない。


「お前、名前は?」

「阿部愁」

「アベシュウか、いいね。所属とレベルを言え」

「所属はない。自由民ってやつだから。レベルは……よ、45」


 周囲がざわっとする。


「……お前、年は?」

「に、二十八」

「二十八でレベル45か。自由民にしちゃ大層だが、なくはねえか。試し紙でもありゃよかったが……さっきの反応見りゃ、あながち嘘ってわけじゃなさそうだしな」


 あまり嘘が得意なほうではないが、信じてもらえたようだ。言ってみるものだ。


「アベ、このメスガキが大事か?」


 頭領はノアのゴーグルを首に下げている。おもちゃのように指先でいじっている。


「まあね」

「ならお前には二匹目のイヌになってもらおう。ちょっとしたガキの使いを頼みてえんだ、うまくやってくれりゃあこいつは返してやる」

「イヌ? 二匹目?」

「嫌ならいいんだけどな。このメスガキを寄ってたかって穴ボコだらけにするだけだから。いつまで正気を保てるか賭けるか? ひひっ」


 彼女を人質にして、なんらかの悪事を手伝わせようということか。どの時代でもカスはカスだ。


「よし、お前の先輩を紹介してやる。おい、オブチ。立て」


 頭領が目を向けた先に、男が一人倒れている。ぼってりとしたやや肥満気味の身体だ。

 部下がその脇腹を何度か蹴りつけると、巨体がのそっと起き上がる。


(……ブタ?)


 彼はブタの顔をしている。つぶらな目、平たくて大きい鼻、蝶の羽のような広がった尖耳。


(うおー……リアル「紅の豚」……)


 シン・トーキョーにはこんな生き物? 人間? もいるのか。とんでもない。

 だがその顔は――何度も殴られたのか――痣やコブや鼻血にまみれている。左目はほとんど開いていない。


「オブチ、お前に最初の仕事を与えてやろう。さっそくできた後輩を躾けろ。その拳でな」


 オブチと呼ばれたその男が、足を引きずるようにしてゆっくりと愁のほうへ近づいてくる。


「妙な真似はするなよ。奥にいるお前のメスネコのえぐり出された目ん玉と対面したくなかったらな」

「や、やめてください……ユイには手を……」

「だったら言うことを聞け。さっさと動け、ノロマのブタ野郎が」


 このブタ男も狩人――そして言葉のとおりなら、奥の洞穴に人質をとられているということか。

 間近で見ると、そのブタ顔は滑らかで生々しい。やはり映画の特殊メイクのようなものではなく、本物だ。上背は百七十五センチの愁より多少大きい程度だが、肉が厚い。肥満気味だが首も手首もがっしりと骨太だ。

 愁の前に立ち、オブチは握りしめた拳をぶるぶると震わせている。右目が揺れている。ぷひゅー、ぷひゅー、と呼吸が荒い。


「オブチ、アベを殴れ。手を抜いたらその分お前のメスネコを痛めつけてやる。アベ、黙って殴られろ。一発でもよけたら次はこのガキだ」


 悪事を手伝わせる、その前に心を折ろうという算段のようだ。殴るほう、殴られるほう、いずれも。


「そんな……」

「いいっすよ」


 躊躇うオブチを、愁が促す。こんなのどうってことない、と表情で語ってみせる。内心はビビりまくっているが。

 オブチが歯を食いしばり、夜空を仰ぎ、そして目を見開く。


「……すいません」


 ぶ厚い拳が飛んできて、愁の頭が大きくのけぞる。

 思った以上に重い。痛い。見かけ倒しの図体ではない。


「ほれ、オブチ。次」


 オブチが拳をかため、もう一度振るう。愁の頬をしたたかに打ち抜く。


「ってー……」


 愁は鼻血をてのひらで拭う。ここまで思いきり殴られたのは五十階ぶりだ。しかもなかなかパワーがある。オーガやレイスほどとはいかないが。


「へー、結構タフじゃねえか。オブチ、意識なくなるまでぶっ倒せ」

「それは……」

「……いいっすから(よくないけど)」


 下卑た男たちの薄ら笑いが並ぶなか、ゴッ、ゴッ、と鈍い音が広場に響く。

 愁の顔面はたちまち血まみれになる。それでも倒れることなく、膝に手をついて踏ん張っている。

 オブチはというと、赤黒く染まった拳を震わせ、肩で呼吸している。まだ十発もいっていない。狩人からすれば息があがるほどの運動ではないだろうが、精神面の疲労のほうが大きいのだろう。


「もう、無理です……これ以上は……」


 彼の目に涙がにじんでいる。


「……だいじょぶっすよ、まだ……」


 愁の顔は血にまみれている。だが、痣や腫れは一つもない。

 正確に言えば、それらはできたそばから修復されている。抜けた歯さえにょきにょき生えてきている。オブチはそれに気づいていないようだ。


「……逃げてください」

「へ?」

「隙をつくります……その間に、彼女を連れて……」

「オブチ! 手を止めんな!」

「やれ! クソブタ!」


 外野から野次が飛ぶ。オブチの握りしめた拳から血が滴る。愁の血ではない。


「でも、そしたらあんたが……」

「……僕は別にいい……ユイだけは助けたい、けど……それでも、自分のために他の誰かが犠牲になることを、気高いあの子は望まない……だから……」

「いやいや、やめてください」

「え?」

「邪魔なんで」


 愁の感知胞子が、こそこそと動いているちっこい毛玉を捉えている。広場の裏側から潜り込み、足音をたてずにゆっくりと野盗の足下を縫い、そしてノアに槍を突きつけている男の背後まで到達している。

 時間稼ぎはじゅうぶんだ。

 愁は大きく息を吸い、さけぶ。


「やれ、タミコ!」

「ぎゃぁああっ!」


 突然の悲鳴に、その場にいる者の視線がそちらに向けられる。

 同時に愁は一歩踏み出し、オブチの懐に入り込んでいる。


「――すいません」


 握りしめた拳を、オブチのゴム鞠のような腹に全力で叩き込む。


「ごあっ!」


 身体をくの字に折ったオブチが、胃液を吐き出しながらその場に崩れ落ちる。

 最初に愁たちのほうに振り返ったのは頭領だ。


「てめ――」


 なにか発するより先に愁は全力で跳躍している。ほぼ水平に突き進む勢いそのままに、頭領を広場の端のほうまで蹴り飛ばす。踵を返し、目の前で硬直している二人を菌糸ハンマーの一振りで薙ぎ払う。

 槍持ちは左目を押さえて地面に転がっている。血がどくどくと溢れている。その横ではタミコが、ノアを庇うように仁王立ちして周りを牽制している。その姿は愁の目にもはっきり映っている、菌能を解いたようだ。


「タミコ、グッジョブ!」

「りっす!」


 タミコを肩に乗せ、ノアを脇に抱える。背中めがけて飛んできた矢をハンマーで叩き落とす。頭領が起き上がるのを尻目に駆け出し、跳躍力強化で一気に広場の外へと脱出する。


「さくせんせいこうりすね」

「お手柄だな、タミコ」


 広場に入る前、タミコのリスカウターでその場の戦力をざっくり測っていた。頭領はレベル50以上、槍持ちとナタ持ちが15前後。それ以外は3~6といったところだった。

 一桁台のザコは戦力としては物の数に入らない。ノアの話が途中だったが、おそらく「菌能を覚えられないやつら」だろう。


 だが、レベル50の頭領を出し抜くのは一筋縄ではいかない。二桁が二人いるのも侮れない。

 正面から乗り込んではノアを無事に救い出せないと思った。

 なので、二人の立てた作戦は、「愁が頭領の注意を引き、その隙にタミコがノアを救い出す」というシンプルなものになった。


 ノアは広場のほぼ中央あたりに寝転がされていた。いくらタミコが小さくても、他のやつらに一切気づかれずに近づくのは困難だった――あの菌能がなかったら。


 タミコ、第五の菌能、保護色。


 毛色を自在に変えて周りの風景に融け込ませ、自分の身を隠す能力だ。なんらかの光学的作用のある胞子をまとう能力と愁は推測している。


 あくまでも透明になるわけではない。よく目を凝らせばほんのり見えるし、愁の感知胞子はごまかせない。

 それでも見通しの悪い新月の夜で、タミコの姿を捉えることは難しい。スニークリスはまんまと広場の中央まで忍び込み、一番の邪魔者だった槍持ちに奇襲をかけることに成功した。おかげで愁は頭領を退けてノアを救い出すことができた。


「あんなやつら、ごじゅっかいのバケモンにくらべたらコオロギりす」

「それな」

「――逃がすんじゃねえ! なめやがって! 追うぞ!」


 下の広場から頭領の怒声が聞こえてくる。結構本気で蹴り抜いたつもりだったが、案外元気なようだ。


「アベシュー、どうするりすか? にげるりすか?」


 腕に抱えていたノアをそっと下ろし、オオカミのマントをかけてやる。一瞬ちらっと目に入った豊満な乳肉は記憶から消すことにする。少なくともそういう努力をする。


「タミコはここにいて。ノアを頼む」

「りっす。アベシュー、きをつけて」

「おう、任しとけ」


 愁は広場の縁に立ち、野盗たちを見下ろす。愁の姿を見つけた彼らは、身構え、矢を番えている。

 顔にべっとりとついた血を、てのひらで拭う。ツルッとした無傷の塩顔が覗く。


 ――正直、よく我慢したものだ。


 もうこらえなくていいと思うと、自然と笑みが浮かんでしまう。

 殺しを止めた愁に、優しい人、とノアは言った。


(やっぱさ、違うね)

(俺はそんな立派な人間じゃない)

(だって今は、こいつら全員八つ裂きにしてやりたい)


 指先からしゅるしゅると生み出す糸に、その黒い感情をこめていく。


「悪いけどさ――『逃がさねえ』はこっちのセリフだから」

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