173:遺す言葉
ちょっとずつ肌寒くなってきた今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私は完璧なまでに風邪をひきました。キンタマの風邪に続き、本体の風邪です。
薬ガブ飲みして24時間まるっと寝たところ急速に快復し、よっしゃー治ったーと調子こいてたらまたしても具合悪くなってきた今ココ。
みなさまも体調を崩されませんよう、お気をつけください。
「――これで、全員そろったようだの」
ヨシツネとしてはツッコミが追いつかなかった。
謎の激流によって深い水の中に引きずり込まれたと思ったら、そこでタミコがふよふよと泳いでいて、かと思ったら今回の作戦に参加した他のメンバーたちもそろっている。
イカリ・ノア、ハクオウ・マリア、アオモト・リン、ギラン・タイチ、〝凛として菌玉〟、決行前になぜか姿を消していたウツキ・ソウ……みんな同じように泡のようなものを頭にかぶっている。
「えっと、いろいろ訊きたいんですけど……とりあえず、あなたがなんなのかが一番気になりますね……」
場を仕切っているのは鮫人間――鮫の頭をした大柄な二本足の化け物だ。状況が状況だけに、そしてこれほど桁外れの圧を持つ鮫の獣とくれば、正体はなんとなく察しがつく。
「ワシはサトウ、さすらいの旅鮫だの。よろしくの」
「サトウ……やっぱりか」
〝氷絶龍鮫サトウ〟――五大獣王の一角だ。
「あたしの師匠だよ」とウツキ。
「あたいのマブダチりす」とタミコ。
唖然としたが、一番引っかかったのが「獣王の弟子のくせに弱くないか?」という点だった脳筋族のヨシツネ。
「改めて皆の衆、不肖のウツケが世話になっとるの」
「あなたが僕らをここまで運んでくれたんだね?」とクレ。
「左様。ちなみに次の質問を先回りするとの、その頭にかぶっとるのはワシの菌能【泡膜】だの。あんまりつついたりしたら割れちゃうから気をつけての」
水中で呼吸できる菌能。当然ながら初体験だし話に聞いたこともない。
「そのサトウさんが……なぜ僕らを?」とヨシツネ。
「一応の、このへんにはよく来とったんよ。近頃はメトロの水が騒がしゅうて、なにやら危ういことでも起こるんでないかと、うちのウツケにも見張らしとったんよ。まさかあいつ、本気で兄弟を食おうなどと……」
兄弟……獣王たちにつながりがあるという話はヨシツネとしても初耳だ。
「はあ……ワシもいよいよ重い腰ヒレを上げにゃならん。あのナメクジ野郎がイタチ野郎を食ったときが、この世の終わりの始まりよ。荒事は性に合わんのだがの……」
あの自称ツルハシ・ミナトと同じことを言う。一体で災害のごとき戦力を持つ獣王が三体も集結する――ナカノはいったいどうなってしまうのか。
「さて、あまりここでふよふよと悠長なこともやってられん。お主らを地上に送り届けよう、その先は避難するなりついてくるなり好きにせえ」
「ねえ、ちょっと待って」
クレが周囲を見回しながら挙手。
「さっき『全員そろった』って言ったよね? 僕の記憶が正しければ、一人足りないと思うんだけど」
「……あ」
言われてヨシツネも気づいた。今回の任務で組分けされたメンバーのうち――あの人がいない。
一足先にここに来ていた者たちの目が――ダイアナとキナミに向けられる。
「……ああ」
ダイアナが、欠けた左腕をぎゅっと掴みながら、答えた。
「あいつは……バトラーは……――」
「――阿部くん、少し巻き戻してみるか?」
「……お願いします」
リョーショーがしわがれた手をかざすと、画面がパッ、パッ、と切り替わり、シークバーを遡るように動きが戻っていく。
映ったのは、
「――うふふ……君はなんて素敵なんだ、ケァル氏……敵を引き裂くたくましい四肢、シルクのような滑らかな毛並み、理知的な瞳と裏腹にワイルドなにおい……ああ、小さい獣推しだった私に新たな扉が……」
「ヒュウンヒュウン……」
「くそっ……なぜあのとき私はグーを出したんだ……こうしている今も姫が危険に晒されているかもしれんのに……姫ーっ! ウォオオオーーーンッ!!」
「ふむ、映すパーティーを間違えたな」
「組むパーティーも間違えてますね」
アオモトとケァルとギランの地獄絵図から別の映像に切り替わる。
「つまらん、ああつまらん……なぜ儂だけ一人ぼっちでカビくさい洞穴をえっちらおっちらせにゃならん。足腰の弱った老人のために、セクハラしがいのある小娘を一人や二人よこしてもバチは当たらんではないか。ええい、ムカムカしてたまらん。ムカムカしてムラムラする……よし、ズボンを脱ごう。最強狩人〝凛として菌玉〟は、下腹部の中心に風圧を受けると無敵の開放感を得ることができるのだ――……」
「わざとやってます?」
「そんなわけあるか。私に丸出しのジジイを覗く趣味でもあると思うのか? くそう、記憶に焼きついてしまったじゃないか……ちょっと待ってくれ……ああ、今度こそこれだ」
菌玉のキンタマが消え、代わりに映ったのは、
「――はあっ、はあっ……」
あたりには動くものがなくなり、自身の鼓動と呼吸以外なにも聞こえなかった。ダイアナ・ワンダは石柱にもたれ、【蜘蛛脚】で身体を支えるのがやっとだった。菌能を維持する余力もないが、万が一に備えて解除するわけにはいかない。
「……終わった、みたいね……」
そばで応戦していたキナミがダイアナの肩に戻った。彼女もダイアナと同じく満身創痍のようだ。
十数年ぶりに、命の際まで刃が届くのを感じるほどの死闘だった。
数えきれない獣の軍勢と、〝指揮者〟と呼ばれる高位の個体が同時に三体。個々のレベルはさほど高くはなかったが、一糸乱れぬ連携や達人級の狩人が使うようなレアスキルにギリギリまで追い込まれた。一人だったら果たして切り抜けられたかどうか。
「……バトラーは……?」
「……獣を何体も引きつけていったけど……たぶんあっち……」
そこは無数の石柱が乱立する広い空間だった。足元の血溜まりを避ける余力もなく、死骸の転がる中を【蜘蛛脚】に寄りかかるように歩いていく。
耳元でキナミが息を呑み、同時にダイアナも気づいた。
「……バトラー……」
ダイアナの腹心の部下、【岩盤翼】のスドウ・バトラーは、石柱に静かに身を預けていた。
二人が近づいても、バトラーはぴくりとも反応しなかった。全身を染める血はすでに乾いて黒ずみ、薄く開いた目にはなにも映していないようだった。
「起きろ、おい」
「…………」
「その程度の出血でねんねかよ? その無駄にデカい図体は飾りか?」
「…………」
「なんとか言えよ……おい!」
ダイアナは膝をつき、バトラーの右腕をなくした肩口にそっと触れた。
「だから……上で待ってろって言ったんだ……! なにが『これでおそろいですね』だ……! 昨日なくしたばっかりのお前と私じゃあ年季が違うんだよ……!」
ぽたぽたと、地面に水滴が落ちた。
「……なあ、私についてきて、ほんとに後悔しなかったか……? 本部から逃げるようにナカノに来て、出世とも無縁のまま僻地で燻り続けて日々で……それでもお前だけは私の隣に居続けてくれて……私はお前に、なにを返せたんだろうな……?」
言葉がそれ以上続かず、ダイアナは背中を震わせた。その首筋に、キナミがそっと抱きついた。
「……スドウさんが……」
それ以上見ていられず、愁は画面から目を離してうなだれる。
ナカノ警備団の副団長、スドウ・バトラー。ダイアナの全力奴隷を自称する、バリトンボイスのナイスガイ。
愁自身は言葉を交わす機会は少なかったが、傍から見ていてダイアナや団員たちからは厚く慕われているようだった。右腕を〝指揮者〟に奪われたのが昨日のことだ、それでもナカノに残って戦ったのだ。ナカノのために、そしてきっと、なによりダイアナのために――。
「惜しい仲間をなくしたようだな」
「そうですね」
「おいおい照れるぜ、がっはっは」
「「…………」」
愁とリョーショーがおそるおそる振り返ると、
「すっ、スドウさんっ……!?」
ぎょっとして飛び上がる二人。後ろに彼が立っていた。
死んだはずの彼が、画面の中でボロボロになっていた彼が、まったくピンピンした姿で腕組をしている。失った右腕もそこにある。
「いやあビビッた……じゃない……ふむ、これは驚いた」
リョーショーは心臓に手を当てながら冷静に観察するふり。かなりビビったようだ。
「菌糸ネットワークをたどってきたか、しかしどうやってこの座標を……そうか、我々に引っ張られて……」
「なんだかよくわからんが……つまりここは、あの世か?」
「え?」
「だって……死んだだろ、俺? そこに映ってたじゃん、俺の死に様」
あっけらかんとしているスドウに、むしろ愁のほうが呆気にとられてしまう。
「いや、だとすると……君も死んじまったのか、〝アカバネの英雄〟さん?」
「いや、その……」
「いや、半分違う」とリョーショー。「ここはいわゆる死後の世界ではなく、阿部くんはまだ死んではいない。ただし君と私が死者なのは間違いないので少々ややこしいんだがね」
「そうかそうか。やっぱりよくわからんが、俺はすでに死んでるのか」
「…………」
先ほどのダイアナの映像も含めて、愁はなんと声をかけたものかわからなくなる。
「がははっ! そんな顔をするな、英雄くん。俺も狩人の端くれ、こんな日が来る覚悟はできていたさ。悔しいことこの上ないが――悔いはない」
満足げに目をつぶるスドウ。
「そうだ……俺はあの女性のそばで、最期まで……だけど、あの女性を一人に……」
「……スドウさん……?」
彼の巨躯が、すうっと透けていく。まるで未練を解消した幽霊のように。
「……アベくん、君はまだ死んでいないんだよな?」
「そのはず、ですけど……」
ここに来た前後の記憶が未だに不明なので断言はしづらい。そうであることを願うばかりだ。
「ならば……ワンダ様に一言だけ、頼まれてくれないか? あなたの奴隷になれて幸せでしたと。あなたの罵倒は天界の清風、あなたの靴底は女神の抱擁……思えばあなたと出会って二十余年、ギルドの訓練中に完膚なきまでに叩きのめされてからというもの」
「全然一言じゃない」
そうしているうちにも、スドウの身体はみるみる薄れていく。彼自身もそれに気づき、「もう時間もないようだ」と小さくつぶやく。
「じゃあ……これだけは伝えてくれ。――――…………と」
「……約束します、必ず」
「ありがとう。君もどうか無事d――……」
消えた。
そこにいたのが嘘だったかのように、なんの痕跡も残さず、彼の身体は消えてなくなった。
愁もリョーショーも、そのまましばらくなにも言わない。暖炉の部屋に沈黙が満ちる。
「……今のは、スドウさんの……魂?」
「魂をどう定義するかによるだろうね。ワタナベのように『個人の能力や特性の核となる胞子嚢』と定義するなら明確に異なるし、我々現代人がスピリチュアルな概念として抱く『故人のユニークな意思や精神を内包するエネルギーの凝縮体』をイメージしても、やはり実体とは異なるだろう」
「はあ」
「我々の身体には菌糸が宿っている。すべての菌糸はつながっている、すべてのメトロもつながっている。やがて生命がその役目を終えたとき、安息なる魂がたどり着く先は、この国の最奥――〝伊邪那美〟の待つ〝幽宮〟さ」
「全然意味――……がっ……!?」
ドクンッ。
愁が胸を押さえてうずくまる。内側からなにかが激しく脈打ち、今にも胸骨を突き破りそうなほどだ。苦しさと痛みで呼吸もできない。
「どうやら君も、時間のようだ」
「……なっ……」
「覚醒のときが来たのさ。残念ながら、楽しいおしゃべりもここまでだ」
「……にっ……」
ズブズブと、足から床に沈みはじめる。まるで沼にはまったみたいに。
「ちょっ、これっ……うおおっ……!」
「地の底より復活せし、最後の〝糸繰士〟よ……いよいよ刹那の繭を破るときだ。私の罪滅ぼしを託す、などと烏滸がましいことを願う資格もないが……せめて君が、この新世界に希望を紡がんことを」
「……ゴチャゴチャ……」
「そして最後に……私も一つだけ言伝を頼みたい。哀れなる我が息子に……ショーモン……いや正門に会うことがあれば――」
「うるせーーーーっ!!」
最後の力を振りしぼった愁の絶叫に、リョーショーがぎょっとする。
「くそっ……肝心な部分ほとんど曖昧なまま言いたいことだけ言いやがって……! こちとら全然わからんくてモヤモヤしたまま結局思わせぶりジジイの自己満に付き合わされただけじゃねえかっ……!!」
「い、いや……それはすまんかったけど……でも私のせいってわけでもないし……」
必死の抵抗も虚しく、腰、腹、胸……と沈み続けるのを止められない。それでも、
「アッタマ来たりすわ……! ゼッテーここに戻ってきてやるりすわ……! 次に会ったときは、知ってること全部こっちが納得するまでしゃべらせっからな……憶えてやがれ……!!」
肩、首、頭……最後に残った手で、親指を立てる。
「アイル……ビー……バック……!!」
「……ふふっ。見事だ、阿部愁くん……」
真っ暗闇の頭上で、リョーショーの声が遠ざかっていく。
「私はここにいる……必ず勝って、生き延びて……またここに……――」
暗闇の水底へ沈んでいく。
ごぽっと吐き出された泡が、小さな光の灯る遥か頭上の水面へと昇っていく。
(……そうだ)
思い出した。
こうなる直前の記憶。
パシャリと、血溜まりへと沈んだ記憶。
(俺は)
激痛を発していた胸の疼きが、
焦がれるほどの熱へと変わり、
愁の手から無数の糸を迸らせる。
『――お前に……託すよ……』
糸を握りしめ、ぐいっと引っ張ると、
身体がゆっくりと浮上しはじめる。
(わかってる)
(すぐに行く――)
そうして、舞台は再び戦場へと戻る。
さあ続きが気になる展開!というところで大変恐縮なのですが、
ここで連続更新はいったんおやすみとさせていただきます。なるべく早く戻ってこれるようガンバリス。
それまでコミックス版1~4巻と、先日ファイアクロスにて更新された続きを読んでお待ちいただけると幸いです。高瀬若弥先生のツイッター(エックスとは呼びたくない)を見たら可愛いタミコのイラストが載ってました。ぜひチェックしてみてください。
よろしくお願いいたします。




