172:〝不如帰〟
〝指揮者〟の放つ【斬糸】がメトロの壁や床を切り刻み、嵐のように岩の破片が舞い飛ぶ。
その切れ味と視認性の低さは脅威だが、斬撃を飛ばすには腕を振るう動作を必ず伴う。タイミングに慣れれば見切るのは難しくない――が初撃からあっさり見切っているクレはさすがと言うべきか。
斬撃が途切れた一瞬の隙、踏み込もうと意識を切り替えたヨシツネを待ち受けるかのように、【爆塵】の胞子がキラキラと舞う。
「――ふんっ! 死体を投げるゲームッ!」
ヨシツネは足元のメトロ獣の死体を投げつけ、その軌道に飛び込む。【爆塵】は胞子同士の連なる燃焼によって爆発を起こすため、胞子を散らして濃度を下げればそこは安全な通り道となる――火に包まれることに変わりはないが。
起爆。皮膚や服をヂリッ! と焦がす熱風を無理やり突っ切る。
半分に折れた刀を逆手に持ち、鞘代わりにもう一本の刀を押さえる。
「第八章、〝不如帰〟」
居合のように刃を滑らせ、振り抜く。
「はぁっ!!」
解放された剣閃が加速する。〝指揮者〟の剣を大きくはじく。切り返しの袈裟斬りが胴を裂き、体液が噴き出す。
(浅いか)
踏みとどまった〝指揮者〟が、その刃にドロリと紫色の胞子をまとう――【蝕刃】。
「ハァッ!」
頭をかち割らんとする上段の一撃。ヨシツネは受けずに前転で躱し、膝立ちの構えから再び〝不如帰〟を放つ。刃と刃の衝突音が重く響く。
「また刀を折られたいのかい?」
〝指揮者〟がにやりとし、力任せに【大太刀】を振って牽制し、間髪入れずに【斬糸】を放つ。躱すタイミングがズレたヨシツネは左肩を抉られる。
ヨシツネの間合いから〝指揮者〟の間合いへ。
右の【大太刀】と左の【斬糸】による中距離からの一方的な攻撃。
防戦に回るヨシツネ。【斬糸】を折れたほうで弾き、【大太刀】はもう一振りで捌く。けたたましい衝突音を鳴り響かせながら、身体中削られて血飛沫をまといながら、
「――はっ、どうしたっ!?」
笑うヨシツネ。
「――……なぜっ、折れっ、ないっ!?」
焦燥する〝指揮者〟。
「さあ、なんでだろうなっ!」
ヨシツネはパリィに近い防御をしている。刃が交錯する瞬間に相手の刀の腹を打ち払っている。
【蝕刃】との接触を最短に、刃にかかるダメージを最小に。加えて受ける箇所を数ミリ単位で変えている。いかに【蝕刃】の作用とこいつの馬鹿力があろうとも、これならば【不壊刀】を破られる道理はない。
(やっぱりこいつは――)
〝指揮者〟には、元となった人間の菌能や身体にしみついた技術が、確かに受け継がれている。
しかし、記憶や自我がない。
それ故か、理合いがない。菌能と技をぶつけるだけの脳筋でしかない。
(お前なんかより)
(フクハラさんのほうがよっぽど手強かっただろうよ)
能力の数と、身体能力の差。それをヨシツネは、理合いで埋める。
押し寄せる激流を、ただ一点の突きで穿つように。
「――っ!」
風を唸らせて振り切られた横薙ぎ。それをヨシツネは、地面に這いつくばるほどに屈んでかわす。その体勢のまま、
「〝不如帰〟」
上段の軌道を描く変則の一撃。〝指揮者〟が間一髪で【大太刀】を盾にする。
「無駄だ――」
ピキッ、と乾いた音を聞いたのは、ヨシツネだけではないだろう。
第八章〝不如帰〟――菌能を発動する体力に乏しいヨシツネとしては、二刀を生み出す負担を考慮してほとんど使用してこなかったが、単純な破壊力ではトラブ流随一の技だ。
居合とは納刀状態からの一太刀ゆえの無拍子と即応性こそが真価。つまり〝不如帰〟は構えこそ似ていても本質はまったく異なり、言ってしまえばただの「デコピン」だ。
左の鞘代わりは力を溜める発射台。そこから解き放たれるのは、全身の筋力を連動させた渾身の一刀。
「ぐっ!!」
食いしばった歯茎から血を噴きながら、幾度目かの〝不如帰〟。
すべてのそれらをヨシツネは、寸分違わず同じ箇所に当てていた。
耳障りな破砕音とともに、〝指揮者〟の【大太刀】が真っ二つに折れる。
「はっ! ざまあっ!」
喜色満面のヨシツネは、すでに折れた刀を手放し、一刀を諸手に持ち替えている。
〝指揮者〟が左手を【針盾】に変えようとする。その一瞬の隙は【斬糸】で思うまま攻めさせてきた駆け引きが生み出したものだ。
「――――」
残りの力を振りしぼり、前へと踏み込むヨシツネ。
横薙ぎが右胴を一閃。
ヨシツネの背後で、〝指揮者〟の身体が上下に分かれ、ずるりと崩れ落ちた。
「僕の勝t――」
振り返ったヨシツネを、
満点の星空のごとく煌めく胞子の光が包み込み、
爆発した。
「――――…………」
耳鳴りがした。なにか聞こえた気がするが、はっきりと聞きとれない。
「――……ぶ、かい……?」
軋む身体を起こして、顔を上げる。
「……まったく……残心を怠るとは……まだまだだね……」
ヨシツネを庇うように仁王立ちする人影――
「……え……?」
全身焼け焦げたクレの身体が、ぐらりと揺らぎ、頭から倒れ落ちるところをヨシツネの腕に受け止められた。
「クレさんっ! なんで……!?」
「……ほら、ヨシツネくん……残心」
はっと顔を上げたヨシツネの目に映ったのは、
「……ブブッ……ブブ、ブブッ……」
蜂の羽音のような低い唸りとともに、その上体を浮かび上がらせる〝指揮者〟の姿だった。
途切れた半身の断面からびゅるびゅると無数の触手状のものをのたうたせ、顔は不出来な蕪のようにボコボコと変貌している。
(これは)
(菌糸……?)
ずっと疑問だった。
他の菌能は普通に使うのに、なぜ【大太刀】や【針盾】は自身の腕ごと形状変化していたのか。
(こいつの身体自体が)
(菌糸なのか――?)
絶命寸前の際に菌糸が暴走し、このような節操なき怪物へと成り果てたか。
「ブルゥウウウウッ――!!」
形容もできない絶叫とともに触手がうねり、ヨシツネとクレへと迫る。
カッと瞬いた黒い剣閃が白い包囲を切り払う。同時にヨシツネが抱いた思いは、
(どうしても未熟だな、僕は)
刃を腹に突きたてたくなるほどの、自身への恥と怒り。
燃え盛るその熱を無理やり力に換え、地面を蹴った。
(足りない)
血路を切り拓き、夥しい泥のような体液を浴びながら、
(全然足りない!)
改めて、飢えを実感せずにはいられない。
(お前の強さを)
(僕によこせ!)
最後の一歩を力強く踏み込み、
「第十三章、〝除夜寺〟」
左の斬り上げから始まる、神速不可避の十三連撃。
その一刀目が胴体に届く、
「――っ!」
寸前。
分断された下半身による蹴りが、ヨシツネの脇腹に刺さる。
「がふっ!」
血を噴いてのけぞるヨシツネ。〝指揮者〟の触手が数本、下半身の断面に刺さっている。ハクオウ・マリアの人形繰りのように。
「くっ――」
どうにか踏みとどまったヨシツネの、
頭上に【大太刀】が迫る。刀身を完全に修復させ、【蝕刃】をまとった上段切り下ろし。
(かわせない)
受ければ圧力でつぶされる。
それでも受けざるを得ない。
刀をかざした瞬間、
【大太刀】が叩きつけられる。
「っ!?」
――寸前で、剣筋がガクッと逸れ、地面を砕いた。
「はっはーっ! イサキが大漁だよーっ!!」
クレだ。〝指揮者〟の触手を束ねて引っ張っている。満身創痍の身体がまらだに赤らんでいる――死の淵での能力強化、【逆境】が発動した証だ。
「ったく、最後まで――」
ヨシツネは【大太刀】を蹴って駆け上がり、
「余計な真似――」
真一文字に【不壊刀】を奔らせる。
「ありがとうございますっ!!」
刎ねた頭部が、断末魔の声をあげる間もなく、空中で無数の肉片と化した。
「はい、ヨシツネくん。ヤバい葉っぱ」
「すーはー」
「はい、ヨシツネくん。あいつのタマ」
「もぐもぐ」
意識朦朧状態での胞子嚢はきつい。むせそうになるが「はい、ヨシツネくん」と先回りして水筒を渡してくれる。
「おかんモードはすごくありがたいんですが……なんで僕より元気なんですか?」
「【自己再生】あるからね、僕」
「あー」
ヨシツネはすべての力を使い果たしていた。もう一歩も動けそうにない。
「……クレさん、もうあんまり時間ないですよね?」
「だねえ」
「一人で……先に行ってください。僕もあとから――ごふっ! ごふっ!」
「はいはい、深呼吸深呼吸」
ベポラミントの袋を口に押しつけられ、そのままひょいっと肩に担がれる。
「まあ、君一人くらいなら普段ランニングのときに背負ってる重りとそんな変わらんしね」
「急がないと……大変なことになるんでしょう……?」
「だからと言って、君を置いて一人で逃げるようなら、僕はシュウくんに顔向けできない」
「クレさん……」
「そんな僕では、シュウくんのし――背中を追う資格はない」
「台無しになりかけましたよね今――……?」
クレが足を止めた。ヨシツネと同じ音を聞いたようだ。
「……なにか……」
「……聞こえるね……」
揺れている。ゴゴゴ……と地鳴りのような音がみるみるうちに大きくなっていく。
「下だっ! ――」
クレがヨシツネをぽんと後ろへ投げ下ろし、身構えた瞬間、
地面が砕け、噴き出した大量の水に二人は飲み込まれた。
「がぼっ……!?」
「がぶっ――」
天井に叩きつけられるかと思いきや、まるで巨人の手に掴まれたかのようにものすごい力で地面の穴へと引きずり込まれる。
(ヤバい)
(息が――)
穴の中は水で満たされたトンネルがうねりながら続いている。激流が意思を持つかのように、二人の身体を無理やり運んでいく。
――と、
激流は広い空間にたどり着いたと当時にふっと途切れ、二人は重力のない薄闇の中に放り出された。
「ごぼっごぼぼっ……ん……?」
ぽこんっ。
「「……え……?」」
思わず二人で顔を見合わせた――お互いに、透明な泡をかぶっている。カボチャのヘルメットみたいにすっぽりと。
「息が……できる……?」
「さすがにこれは……僕も初体験――…………?」
二人の目の前を、
ピンクのリスが通りすぎていった。
「「…………」」
ちっこい泡をかぶり、海藻のように尻尾をゆらゆらさせ、短い四肢をばたばたと掻いて。
左から右へ、右から左へ、すいーすいーと往復している。
「……タミコちゃん……?」
リスはくるりと振り返り、
「このドンガメが! 〝オオツカのカッパ〟とよばれたあたいのおよぎをみるりす!」
クワッ! と毛玉畜生の雄叫びをあげた。
コミックス4巻、好評発売中りす。
ストアでお求めの際は星ポチとかレビューとかいただけるとありがたいりす。
あと4巻の続きもファイアクロスで公開中なのでよろしくりす。デブリス降臨回。




