160:元凶
ドラクエのテーマ曲と一緒に行進したい。
ノアたちが〝凛として菌玉〟らと合流した、その日の夜。
「そりゃまあ、戦争に勝つってだけが生存戦略のすべてじゃねえし。人間ってのはいろいろめんどくせえよな」
ギランにとっては己の地位も命もすべて捨てる覚悟で挑んだ戦いだった。
にもかかわらず――なにをされたのかわからぬまま敗北し、無傷のまま虜囚の辱めを受けている。自慢の毛並みがハリも艶も失ってしんなりしてくるのも当然というものだ。
「獣はあくまで道具、よくて兵器だ。品質さえ問わなけりゃ【宿木】の獣はいくらでも量産できる、だが人間の駒ってのはそうもいかねえ。今の俺らみてえな組織にとっちゃ、人間の仲間は多けりゃ多いほどウェルカムなのさ」
数日前、気がつくとこの部屋にいた。四方を窓のない岩壁に囲まれ、ホタルゴケの青っぽい光がぼんやりと部屋を照らしている。胞子と湿気を含んだ独特のにおいからしても、どこかのメトロなのは間違いないだろう。
「……私がすごすごと貴様の下につくとでも?」
「相変わらず強情っぱりなワンコだなあ。散歩の途中で歩くのやめた柴犬か」
「お前らに与する理由はない。それが不服なら、殺せ」
「まあそう言うわな、テンプレだけど」
自称ツルハシ・ミナトは床に寝そべって頬杖をついていた。だらしなく無防備にも見えるが、見え見えの不意打ちが通用する相手でないのはわかっていた。
「でもな、タイチ。いずれお前は自分の意志で俺に尻尾を振るぜ。……って漫画みてえにフラグ立てとこうかな、ひゃひゃひゃ」
ギランは壁から離れ、男の前に腰を下ろした。
「思わせぶりなセリフはもう聞き飽きた。人を口説くならそれなりの態度を見せてもらおうか」
「おっ、いいぜ。なにが聞きたい?」
「なぜ〝越境旅団〟を名乗る? 戦力が必要と言っても、彼らは子どもだぞ」
「酔狂でガキを飼う趣味はねえよ。あいつらは俺の切り札だぜ」
「切り札?」
「俺が〝越境旅団〟にこだわったのは、なにもカバーがお誂え向きだったってだけじゃねえ。重要なのはあのガキどもだよ。ちなみにカワタローくんはぶっちゃけ別になんだけど、まあ保護者枠な」
確かにアベ・シュウさえ追いつめたあのトロコという少女は脅威だろう。だがそれ以外の子たちは、話に聞く限り狩人の基準で初級者レベルだ。切り札と呼べる実力があるとは思えない。
「〝禍尾窮螺〟の話は聞いてんだろ? あらゆる菌能を封じる『呪いのナイフ』さ。〝糸繰士〟にさえマホ○ーンぶっこめる超チート性能なんだけど、その反面少々めんどくせえ制限があってな」
「制限?」
「ヒキフネ村出身者にしか扱えねえんだ。原理はさっぱりだが、他のやつがあのナイフを使っても呪いを発動させられねえのさ。〝糸繰士〟のこの俺でさえな。血筋や遺伝子、育った環境や年齢、まあ検証材料はいろいろあるが答えはまだ出てねえ。つまりあいつらは残弾の限られた貴重な切り札ってこった、村の生き残りはもういねえからな」
団長はよいしょと起き上がり、あぐらを掻く。
「子守のカワタローくんは、ガキどもにも懐かれててそのへんは申し分ねえんだが、いかんせん腕っぷしがなあ。特別弱くはねえんだけど、近頃インフレがひどいからなあ。お前さんなんかがフォローなんかやってくれっと安心なんだけどね。あいつらも喜ぶと思うぜ、ガキって犬好きじゃん?」
グルル、と怒りで無意識に喉が鳴る。
「私にイケブクロや都庁に弓を引く手伝いをしろと?」
「そうだな、お前が裏切り者のオオカミ野郎だったのはあのクーデターんときだけだもんな。だけどお前、一つ勘違いしてるぜ。俺のターゲットは、都庁でも教団でもねえ」
「ふざけるな! イケブクロでもスガモでも、あれだけのことをしておいて、なにを今さら――」
食ってかかろうとした瞬間、団長のてのひらがギランの口元に伸びて言葉を遮る。本人はその場から動かず、文字どおり腕だけが蛇のように伸びて。
「俺もさ、趣味と実益を兼ねてこの国をメチャクチャにしつつって予定だったんだけどさ。そうも言ってらんなくなったんだわ、〝使徒〟が生まれたってのがマジならな」
「……〝使徒〟?」
「半世紀以上も前の、タイラのジジイの与太話が現実になりやがった。となると〝伊邪那美〟と〝伊邪那岐〟の実在も真実味を帯びてくる。今さら人間同士でやり合ってる場合じゃねえんだ、邪魔するならぶっ殺すけどな」
その手が元に戻ったかと思うと、今度はその指が天井に向けて伸びていく。
「……いったいなんの話を――」
指がぞわぞわと枝分かれしていく。一つの枝からさらに別の枝が生まれ、空間に樹形図のような模様を描いていく。
「ああ、なにを言ってるかわからねえと思うが、俺も具体的になにを知ってるわけでもねえ。聞いた話のとおりならそいつらは、〝東京審判〟を引き起こした元凶だとさ。あるいはこの糸繰りの世界をつくり出した神ってところか」
指の根元にぽうっと火が灯る。
火はじわりと上っていき、枝分かれをたどって全体に広がっていく。最後には花火のようにぱっと瞬き、煤になって降り落ちる。
「俺らの目的は、あのクソったれの壁をぶっ壊して、このクソったれの箱庭から解放されることだ。誰にも邪魔はさせねえ、〝糸繰士〟だろうと魔人だろうと、神だろうとな」
団長は荒ぶる獣のように歯を剥き、いつの間にか元通りになったその手をぎゅっと握ってみせた。
「……なぜそんな、突拍子もない話を……」
「そうだな、お前が俺に協力したくなるように、もう一つ話してやる。お待ちかね、俺の素性の話だ」
男がにやりとして、爛れた顔半分を手で隠した。
「別にもったいぶってたわけじゃねえ。ひたすら恥ずかしいんで話したくなかっただけさ。まさにもう、ケツの穴まで見せるようなもんだからな。一度しか言わねえぞ、つか他のやつに言ったら――――」
***
「――ずいぶん話がはずんでたみたいっすねえ」
鼻歌まじりに出てきた団長にカワタローが声をかけた。
「んで、感触は?」
戸が閉まる前に、隙間から彼の姿がちらっと見えた。がっくりとうなだれて、打ちひしがれているような雰囲気だった。
「どうだろうな。こちとらケツの穴まで見せてやったんだけど」
「け……」
「喩えだ喩え。まあ、あいつの俺への忠誠心と俺を殺した罪悪感はくすぐってやった。しょせんは家犬だからな、完全にブクロを離れられるとは思っちゃいねえ。いざというときの保険になりゃよし、ブクロと裏でつながるきっかけになればなおよしさ」
イケブクロには今なお「旧イケブクロ時代からのツルハシ家のシンパ」が少なからずいる。彼らは旧保守派や没落組などで、現イケブクロに対して恨みを募らせている。
団長自身はトライブへの返り咲きを目論んでいるわけではないそうだ。彼らの存在は旅団にとって助力にも火種にもなる、そこへ〝王殺しの銀狼〟が混じって――これから先どうなるのか、カワタローには想像もつかない。
「んで……ここに来てもう三日ですけど、これからどうするんですかい?」
ここは〝ナカノの森〟の領域内、南東側のややシンジュク寄りにある名もないメトロだ。カワタローたちが駐留している浅層にはメトロ獣がおらず、水源や居住スペースなどが整備され、いかにも「お日様の下を歩けない輩の隠れ家」という風に改築されている。
「何年ぶりの懐かしの我が家だけどな。まったりできんのもそろそろおしまいだと思うぜ」
「……あの二人が来るんで?」
〝聖銀傀儡〟と〝凛として菌玉〟。この団長と肩を並べる化け物コンビだ。
「ワンコ奪還にどこまでモチベあるか次第だが、まだ追ってきてるならもう近くまで来てるだろ。あるいはナカノの里の警備団もだ、あいつらに感づかれたとしたら、出張ってくんのは〝女王蜘蛛〟だぜ」
「おっかないっすねえ」
カワタローが現役時代に活躍していたトップランカーだ。団長に聞かされるまでは、彼女がこんな僻地にいるとは想像もしていなかった。
「じゃあ、どうするんで?」
「いい加減めんどくせえし、ここで迎え撃つさ。メトロの中なら全力でやれる」
にたりと笑う爛れた横顔は、同じ人間とはとても思えない邪悪さだ。
「どいつも優秀な駒だから、できりゃあゲットしてえけどな。けど俺はあいつらの性格を知らねえし、金でなびく連中でもねえだろ」
「……団長が一番ほしいっつってた手駒、あの〝糸繰士〟の兄ちゃん」
「ん? ああ。あいつとは気が合うと思うんだよなあ。俺の予想が正しけりゃあ、あいつも俺と同じだからな」
「あの兄ちゃんがこっちにつくのはありえないと思いますけどねえ」
このメトロをリフォームして拠点につくり替えたのは、団長と当時の部下数名だという。ナカノの里の警備態勢が大幅に強化されるきっかけとなったというカーバンクルの大量失踪事件、なにを隠そうその首謀者がこの男なのだ。
「こないだの祭りであいつの仲間を痛めつけた挙げ句、あんたがここでやったっつう悪行の話……両方ともあいつにとっちゃ最悪の地雷っすよ」
「だよなあ。どの時代でもペット至上主義者ってのは――……」
言いかけた団長がぴたりと静止し、ふいっと天井を仰いだ。
「……気配がすんな。誰かメトロに入ってきたぜ」
カワタローもつられて見上げるが、ここは迷宮内の地下五階だ。仮に今誰かがその入り口をくぐろうとしているとして、それがわかるはずもない。普通の人間ならば。
「想定よりちょっとはええが、来ちまったもんはしかたねえ。お前は他のやつらに伝えて――……」
またしても言葉が途中で止まる。
「……団長?」
この瞬間の彼の表情は、カワタローも初めて見る類のものだった。
驚き、警戒、そして――恐れ?
「……なんだ、この気配は?」
連日暑いですね…みなさまご自愛くださいませ。
おうちですごす時間のお供に、ノベル版漫画版の「迷宮メトロ」はいかがりす?




