156:【黄金旋風】
お待たせいたしりすた。
・引っ越し無事に終わりすした。
・漫画版6話公開中りす。
狩人ギルドを離れて十年以上になるカワタローだが、その男のデタラメな武勇伝は当時の仲間にさんざん酒の肴に聞かされたものだった。
二十年に渡って業界トップに君臨し続けた狩人界のレジェンド。
実力は〝糸繰士〟にさえ比肩しうると評される史上最強の〝魔導士〟。
(実在したんだなあ)
まったくと言っていいほど表舞台に出てこず、コロコロとふざけた名前をとっかえひっかえしていたことで、ギルドの捏造を疑う同僚も多かった。まさか実物と対面する日が来るとは、しかもこんな形で。
「お目にかかれて光栄です。えっと……〝何歳になっても幸丸無恥〟さん?」
「ふん、それは一つ前の名よ。性懲りもなく睾の字を勝手に改悪されたのも微笑ましき思い出よの」
「今は〝凛として菌玉〟だピョン」
「はあ」
そうだ、何年か前に見たランキングにそんな名前が載っていた。「あの人また名前変えたのか、ていうかまだ現役だったのか」と苦笑いしたのを思い出す。
昨今の狩人業界については明るくないカワタローだが、ここ数年は〝超越者〟を筆頭とした若手の狩人の台頭により世代交代の真っ只中にあることは耳にしている。
(本物なら)
(もう隠居しててもおかしくない年のはずだけどねえ)
目の前の珍妙な格好をした覆面老人。剥き出しの裸体はミイラのように痩せ細り、肌艶も失われている。見た目だけなら軽く小突いただけで倒せそうな印象だ。
だが――その皮袋の奥からにじむ底知れぬ威圧感は、ペラペラのマントやターバンなどでは遮りようもない。
カワタローも、そして〝スプーキー〟も。
金色の球体をまとうその老人が一歩ずつ近づくたび、見えない腕に押されるように同じだけ後ずさっていた。
「ひっひっ、そのように畏まる必要はないぞ。男の怯え面など飯一粒とて進まんからのう」
八人の部下が音もなく一瞬で昏倒させられた。彼の言葉が本当なら、南側の部隊も同じようにやられていることだろう。
「……〝スプーキー〟、いけるかい?」
「そうだな……高めに見積もって、勝率ゼロパーだピョン」
「は――」
〝凛として菌玉〟が両手を広げ、無数の金色の菌糸玉がふわりと展開した。
即座に〝スプーキー〟が両手に【短刀】を抜き、
カワタローも手の中の【白弾】を相手に向けて――
「――え?」
親指ではじこうとしているのが、
「いったいいつから――」
流線型の弾丸ではなく、
「それが貴様のタマだと錯覚していた?」
金色の菌糸玉にすり替わっていることに気づいた。
気づいたと同時に、こめかみや顎先やうなじに鋭い衝撃が突き刺さり。
なにが起こったのかもわからないまま、意識だけが暗闇の底に沈んでいった。
***
生まれ故郷の記憶はなかった。
物心ついたときには、父に連れられて各地を放浪する日々を送っていた。
その身に眠っていた亜人性が発現したのは、彼が六歳のとき、当時父が路銀を稼ぐために滞在していたメグロでのことだった。
亜人はその母数こそ少ないが、通常の〝糸繰りの民〟とくらべて優れた狩人の資質を持つ割合が高いとされる。閉鎖的な集落では「メトロの穢れ」などと蔑視や忌避の対象となることもしばしばだが、狩人ギルドの総本山を抱えるメグロではそのような差別など起こりようもなかった。
間もなく少年はギルドにスカウトされ、父親とともにその地の戸籍を得ることとなった。後継の育成に熱心な総帥の意向で専属の師による英才教育が施され、十五歳で正式な組合員になる頃にはレベル30を優に超えていた。
国内随一の人材が集まるメグロ本部において、同世代の怪物〝超越者〟の陰に隠れつつも順調に実力と実績を積み上げていった。
端正なマスクに躍動的な戦闘スタイル。なにより〝兎人〟としての特異な愛嬌。やっかみをこめて「人気と実力が伴わない」などと揶揄されることもままあったが、デビュー十二年目にして初の全国トップ15入りを果たした頃には嫉妬の声も聞かれなくなっていた。
見習いのときも、あるいはトップクラスの狩人へと登りつめてからも。苦悩や挫折やときには命の危険さえ、ひっきりなしに押し寄せてくるそれらとの戦いはいつになっても続いていた。
しかしそれでも、幼少時の根なし草生活にくらべれば、あの頃のひもじさや寒さや父親の暴力とくらべれば、まるでどうということはないように感じられた。
そうした今の自分を誇らしく、今の人生を満ち足りたものだと彼は密かに胸を張っていた。
メグロ内外で身の丈以上の尊敬を集め、狩人の仕事は未だにやりがいしかなく、食うものに困ることもなく、言い寄ってくる女は数知れず。これ以上なにを望むことがある?
(〝糸繰りの神〟なんてのがほんとにいるのなら)
(いくら感謝してもしきれないかもね)
彼を取り巻く人々〝スプーキー〟という歌舞いた二つ名や日頃の突拍子もない言動は、あくまでも「民衆のヒーローとして演じる変人の仮面」にすぎないことを。兎耳の下に隠れたその素顔は、どこにでもいるごく普通の青年だったのだ。
だからこそ――そんな順風満帆の狩人生活が、突如として終わりを迎えることになるなど思ってもみなかった。
――……お前の、本当の故郷は……。
病床に伏した父の今際の際の告白と、その後彼の前に現れた〝越境旅団〟を名乗る男との出会いによって。
彼は積み上げてきたすべてを捨てて、「同郷(ヒキフネ村)の生き残りたち」のために、彼を育て愛した人々に反旗を翻すことを決めたのだ。
カワタローが崩れ落ちたのをその音で察しながら、〝スプーキー〟は押し寄せる菌糸玉の雨を前に目を見開いた。
迫る菌糸玉をその赤い目で、そのウサギの耳で捉え、両手の【短刀】で迎撃する。ギィンッギィンッと耳障りな衝突音が周囲で爆ぜる。
すべて斬り落とす勢いで振るった手に、それが成功した感触は伝わらない。金色の包囲網を押し返し、ほんのわずかな間隙を生んだだけだ。
「ちっ!」
(ビビんな)
(退いたら負けだ)
刹那に意を決して前へと【跳躍】。身体中をかすめながら瞬く間に距離を詰め、相手の頭上をとる。包帯の隙間から覗く菌玉の目と視線が重なる。
「ピョンッ!」
全体重を乗せて振り下ろした【短刀】が、鈍い金切り音とともに金色のカーテンに阻まれた。
「ほれ」
着地するより先に、カーテンがぶわりと形を変えて迫ってくる。圧迫包囲される寸前に〝スプーキー〟はそれを蹴りつけて後ろに宙返りし、着地と同時に横へと飛び退いた。
一歩目から最高速まで加速、そのまま木陰へと飛び込む。
(来るか)
まるで意思を持った虫の群れのように、金色の礫は正確に〝スプーキー〟を追ってくる。
(なら――)
わずか一拍分の静止、そして再加速。
猿のように隣の木へと蹴り上がり、幹を蹴ってまた別の木へと。
止まることなく高速で宙を疾走する。追いすがる菌糸玉を、菌玉の意識を振り切るために。
「おうおう、ちょこまかとうるさいウサギだのう」
〝スプーキー〟はいわゆる汎用型に分類される〝絡繰士〟だ。他のランカーたちが誇るユニークスキルに並ぶものを彼は持ち合わせていない。
だが――
一人の狩人としての個性なのか、あるいは〝兎人〟たる所以なのか。
彼は【跳躍】という特段珍しくないその能力を、誰よりも自在に使いこなすことができた。
通常の【跳躍】は「溜め」「脚力の瞬間的増強」そして「クールタイム」という順序が常となる。それを彼はその出力や間隔を微細にコントロールすることで「跳ぶように走る」連続使用を実現させ、小回りと持続力を兼ね備えた圧倒的な機動力を発揮する。
〝超越者〟カン・ジュウベエでさえ真似することのできない、自ら【兎跳】と名づけたその能力こそが「狩人最高峰のスピードスター」と評される〝スプーキー〟の本領だ。
(ジジイの目なんぞに)
(止まってたまるか)
〝スプーキー〟を追尾する菌糸玉、〝スプーキー〟の行動範囲に緩く配置された迎撃用の菌糸玉。そして主を守るように周囲に静止する防御用の菌糸玉。
高速で機動しながらも〝兎人〟の赤い目はそれらを正確に捉えていた。
〝スプーキー〟の菌能は八つ。
対して〝凛として菌玉〟の菌能は一つだけ、金色に輝く超硬質の菌糸玉【黄金旋風】だけだ。
それを菌性【誘導】で自在に操って攻防を担う――言ってしまえばただそれだけの、単純にして万能の、唯一無二にして最強のワンパターン。
一度に操作できる【黄金旋風】は最大百八個までと聞いたことがある。普通の菌糸玉であっても常軌を逸した数字には違いないが、つまりはそれが攻防に割り振る手数の限界ということだ。
(行くか)
〝スプーキー〟の指から放たれた三つの【火球】が、弧を描く軌道で菌玉の頭上に降りかかる。
ボゥッ! と小爆発とともに燃焼――しかしそれは菌玉の手前、【黄金旋風】の壁に防がれる。
意識がそちらに向いた刹那、低く低く、地を這うように突進する人影が【短刀】を手に迫る。
「――お見通しよ」
切っ先が金色の壁に阻まれ、左右から交差する金色の礫がその身体を貫く。
――菌糸で生み出された【分身】の身体を。
「ぬっ――」
菌玉が振り返るより先に、その背後に〝スプーキー〟が到達する。
(ガードの手数)
(足りてねえだろ?)
追尾に用いた数、迎撃用の数、【火球】と【分身】に回した数。
百八個すべてを把握できたわけではない、それでも近接の攻防に回す数が残っていないのは確実だ。
(ここで押し切る)
もう一つの切っ先が菌玉の首めがけて吸い込まれていき、
〝スプーキー〟の身体は真下からの衝撃で突き上げられた。
「がっ!?」
空中へふっとばされたその身体を、数珠状に連なる金色の菌糸玉が拘束する。両手と両足を、磔にするかのように。
「ふん、男を縛る趣味はないんだがの」
ゆっくり振り返った菌玉が、つまらなそうにその目を細めた。
「もう一つ言や、ウサギの格好が許されるのはギャルのみよ。知っとるか、イタバシにゃあウサ耳つけた半裸のネエちゃんが踊る酒場があってな」
「……あんた、その菌糸玉、いくつ出せるピョン?」
完全な不意打ちを凌いだのは、地面の下に隠されていた【黄金旋風】だった。勘定は間違っていなかったはずだ、拘束に用いている分も含めて百八個よりも遥かに多い。
「ああ……貴様も噂を鵜呑みにした口か。その痴態に免じて教えてやろう。先史文明の宗教ではな、百と八とは人の煩悩の数とされていたそうだ。そこいらの凡人が抱えるみみっちい煩悩と、儂のような超傑物の煩悩が同じと思うか? 右手に一人分、左手に一人分、脳みそに一人分、そして逸物に二人分。ざっと五倍よ」
五百個以上か。化け物め。
しゃべりながらも必死で拘束から逃れようとするが、どれだけ力をこめても身動きがとれない。
レベル70のパワーも、狩人随一のスピードも、この男には通用しないのか。
「若造のわりにはそれなりに楽しめたがの、追いかけっこはシナガワの浜辺で水着ギャルとっつうのが世の常識よ。もうしまいだ、他が片づくまで眠っとれ」
「……ああ、俺の役目は終わったしね。あ、ピョン」
「役目?」
「――時間はじゅうぶん稼いだピョン」
こめかみを打ち抜かれて気を失う寸前、〝スプーキー〟の目に映ったのは、
菌玉に横合いから飛びかかる青黒い獣の姿だった。
***
完全に反応が遅れた。
それでも自身にまとった菌糸玉を操って後ろへ飛び退いた。
獣の爪は空を切り、そのカウンターに菌糸玉が叩き込まれる。獣はたじろいで一歩二歩とあとずさるが、頭をぶるりと振るっただけで平然としていた。
(タフだの)
とっさに急所を狙えなかったのもあるが、それを差し引いても地上にうろつくレベルの獣の打たれ強さではない。
造形は大型のネコ科獣だが、こんなやつは見たことがない。なにより、この身体の色――。
「こやつが、スガモで暴れたっつう獣もどきか」
「ああ、ご明答」
奥からの返事に、菌玉は目だけそちらへと向けた。
暗がりから悠然とした足どりで現れたのは、顔の片側を爛れさせた男だった。
「はじめましてだね、菌玉某さん」
「……貴様が、例のアレか」
スガモの祭りを台無しにした〝越境旅団〟の頭領、自称〝糸繰士〟ツルハシ・ミナト。
「……貴様んとこに行っとった、あの犬っころはどうした?」
「どうしたもなにも、飼い犬ごときに食い殺されるとかありえないっしょ?」
男の服は無造作に破れ、血痕や焦げ跡で汚れていた。ギランと一戦交えたことは間違いないだろうが――
「ああ、殺しちゃいないよ。ちょっぴりきつめに躾けてやっただけさ、愛護団体にゃあ見せらんねえ感じにね」
「そうか……ならいい」
菌玉は両手を広げ、その手から菌糸玉を生み出した。
水底の泡のようにポコポコと生じては宙に浮かび、あたりを金色に染めていく。
「政治も歴史もどうでもいいんだがの。ブクロ女子との合コンのために、貴様はここで死ぬがいい」
「ひゃはは、光栄だねえ。なんなら君のタマ、俺がもらってやってもいいぜ」
漫画版の6話がコミックファイアにて公開されました。
夢見る乙女なタミコや「あの娘」の初登場など見どころ満載でございりす。高瀬先生のツイッターにも素敵なイラストが。ぜひご覧くださいまし。
またニコニコ漫画のほうは5話が公開されております。
一部のリス愛好家にトラウマったレイスさん登場回。ぜひお気に入り★ポチしてくださいまし。
あとあと、どうにか引っ越しは無事クリアできました。
とっても快適なお部屋ですが、入居直後からあちこち不具合だったりベランダが鳩のトイレになってたりと悪戦苦闘な日々です。こんなにDIYするの初めてかも。
ネットもようやくつながったので、ぼちぼち更新のペースを上げていければ……上げられるかなあ……。




