155:駆り立てるのは野心と欲望
大変お待たせいたしまりす。
男はただひたすらに、その身に煮えたぎる野心を隠し続けてきた。
群れることを拒み、頼ることを厭い、ただ孤独のみを道と歩み続けた。
来たるべき日のために、ただ一心に己の牙を研ぎ澄ましていた。
期せずして転機が訪れたのは、二十五歳の春だった。
トーキョー暦六十五年。各地で反政府活動がにわかに活発化しはじめていた当時、とりわけ猛威を奮っていたのが〝魏怒羅〟と名乗る集団だった。達人級の元狩人を筆頭に有菌職者のみで構成された生粋の武闘派グループで、数多の集落や小都市を蹂躙して回っていた。
〝魏怒羅〟はやがてアカバネトライブに目をつけ、領内政治の要人を誘拐するに至った。法外な身代金を要求し、呑まなければ人質を殺害して領地での破壊活動を行なう、と。
アカバネ族長は狩人ギルドと協議の上、一人の男を交渉役として派遣することにした。族長を含めて彼の名を知る者はほんの一握りだったが、「無名だがアカバネで最も腕が立つのは間違いない」との支部長の後押しによる人選だった。
果たして彼は――身代金の詰まった風呂敷と無傷の人質を伴ってアカバネに帰還した。
嵐のあとのような〝魏怒羅〟の野営地に残っていたのは、頭領を含むすべての構成員の死体のみだった。
――アカバネ支部所属五年の若手狩人。同じ組合員ですら、彼の存在を認知していない者が大半だった。その爪をひた隠してきた彼にとって、にわかに沸いた自身への英雄視はうっとうしい以外の何物でもなかった。
だが同時に――そのときが来たのだと悟った。
この身の奥に燃える野望を花咲かせるときが来たのだと覚悟を決めた。
それまでの影の薄さが嘘だったかのように、彼は表舞台で眩いほどの活躍を見せた。難攻不落とされたイワブチメトロの完全踏破、野盗やテロリストの討伐、要人護衛から後輩への戦闘指導まで。
金色の菌糸玉を自在に操るユニークスキルを持つ凄腕の〝魔導士〟。瞬く間に彼の名――本名をかたく伏せて通してきた二つ名〝黄金の風〟は他都市にまで知れ渡り、狩人ランキングのトップ入りは確実と一目置かれるようになった。
そうして迎えた――運命の日。
その年の全国狩人ランキング、発表の日。
そこに彼の名前が載ることは、職員を通じて事前に聞かされていた。今年度の一位の座はほぼ確実だと。
(いよいよだ)
(ついに始まるんだ)
彼の孤独は、研鑽は、この瞬間のためにあったのだ。
あらゆる艱難辛苦を乗り越え、彼は今、玉となる。
――そう、黄金に輝く玉へと。
彼の野望、それは自身を導く真理を世に知らしめることだった。
――金玉こそ、生命、宇宙、すべての答えであると。
怠惰なる愚民は気づいていないのだ。己の股ぐらにぶら下げているものの価値は、この星そのものにも比肩しうるという真実を。
めぐりめぐる生命の螺旋の中心には、いつだって金玉が輝いている。感謝の祈りを捧げるべきなのだ、一日一万回でも足りぬほどに。
(世の男どもよ)
(立ち上がれ!)
無知という惰眠を貪る憐れな者たちに気づきを与えてやること。それが己の使命だと彼は確信していた。
――いよいよ俺の名が、全国紙に載る。
このときを狙いすまして、彼はギルドに登録名の変更を申請していた。
〝黄金の風〟改め、〝金玉楽園〟。
この国の頂点に立つ者の名を目にしたとき、彼らはどう思うだろう、嘲笑うだろうか、軽蔑するだろうか。ふざけるなと憤るやつもいるかもしれない。
それでもいい。気づきこそ始まりなのだ。
少なくとも明日一日、国中の人々が金玉に思いを馳せることになる――。
そうして迎えた、発表当日。
朝方届いた冊子に並び記された「六十五年度の狩人トップ15」を下からなぞっていき――その目がリストの頂点で止まった。
〝菌玉楽園〟 アカバネ支部所属。
(そんな……)
(馬鹿な……)
己の目を疑わずにはいられなかった。改名の申請書には確かに〝金玉〟と明記したはずだ。なのに冊子も新聞も〝菌玉〟と書かれている。
悪意なき誤植か、それとも故意か。いずれにせよ、これまで必死に積み上げてきたものをすべて否定されたような気がした。
(俺は……)
(菌玉じゃない!)
菌玉は新聞を握りつぶし、震える足に鞭を打ってギルドへと走った。行き交う領民たちの自分を見る目が、好奇や当惑や羞恥に彩られたものであるように感じられて、それもこれもあの誤植のせいではと邪推して、なおさら屈辱と興奮を覚えずにはいられなかった。
息を切らして鬼の形相で現れた彼を、支部長は床にめりこまんばかりに萎縮した様子で出迎えた。
「申し訳ない……あれは誤植ではなく、君の申請書にこちらで手を加えて本部に提出したんだ。責任はすべて私に――」
「どうしてそんなことを!? 事と次第によっては――」
「し、しかたがなかったんだ! 族長の指示で、政治的判断で!」
菌玉は激怒した。菌玉には政治がわからぬ。けれど不正に人一倍敏感なその心でもって族長の元へと殴り込んだ。
「――〝魏怒羅〟の件で君に大きな借りができたことは、我らも当然忘れてはいない」
さすがは〝魔人戦争〟をくぐり抜けた百戦錬磨の女族長、菌玉の今にも爆発しそうな剣幕にも臆することなく平然と応じた。
「今日までの骨身を惜しまぬ献身も、未熟な族長として賛辞の言葉が見つからぬほどだ。しかしながら……そのような品性に欠ける名をトライブの横に並べて全国公開しては、誇り高きアカバネの女性らを辱めることになりかねん」
「なにが品性に欠けるだ! であれば貴様らいったいなにから生まれたというのだ!?」
「では邪な意図はなかったと?」
菌玉は返答に詰まった。
「我々も最後まで逡巡したのだ……大恩ある英雄たっての要望を無下にもできん、せめて〝楽園〟がなければ純然たる能力の誇示と強弁することも適ったのにと。そのような我ら史上最もクソな協議を重ねた結果、捻り出した苦肉の策が〝菌〟の字だったのだ。これならば音読的に君の意を汲みつつ、『あっバカでえ! 糸が抜けてらガハハ!』とワンチャン民衆に嘲笑われる程度で済もうというものだ」
「はっ、策に溺れたな! 的外れの気遣いはむしろ私の誇りを傷つけたぞ!」
シン・トーキョー史上最凶のテロリストが誕生する寸前、その場の男衆の涙ながらの説得により、菌玉は剥き出しの矛を収めることにした。身を焦がしていた怒りが鎮まると、〝菌玉〟というのも存外悪くないような気がして不思議だった。
「ときに菌玉よ。君は激情のあまり、家を出る際に身なりを気にする余裕がなかったようだな。ズボンはおろかパンツも履いておらんぞ」
菌玉は、興奮して赤面した。
以降二十年に渡り、彼は狩人業界のトップに君臨し続けることとなる。誇示のため、布教のため、道を極めるため。
その間に計十回の改名を繰り返し、〝睾丸〟〝陰嚢〟〝きゃんたま〟などのフレーズを持ち出しては却下され無断で改変され。
彼の名声は常に歪な形で轟くことになり、ともすれば実在すら疑わしき都市伝説のように認識されることもしばしばだった。
現在の名――〝凛として菌玉〟に至ったのは、彼が自主的にトップを退いて十数年後、還暦間近の頃だった。
これまでの中では最も長く連れ添った名となったが、いずれ年が明ければまた別の名が紙面に躍るかもしれない。齢七十が迫って尚、彼の求道に終わりはないのだ。
なかなか更新できずにすみませんでした。引っ越し等々のため現在もバタバタしており。というか今月末退去なのにまだ新居決まってないってどゆこと。
他にも壁の補修とか(スマホで蚊を叩こうとしたらスマホが飛んで壁に穴空いた)いろいろやることてんこ盛りでして、次回更新までお時間をいただくかもしれません。何卒ご容赦を。
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