144:血筋
お待たせしまりす。
タミコとタロチを残して、愁たちは一階に下りる。
今晩は親娘水入らずということでタミコはタロチの部屋に一泊、愁も老夫婦に相談して一晩お邪魔させてもらうことになる。ノアとアオモトは宿のほうへ、ワンダとキナミは自宅へ。その背中はみんな満足げだ。
ご厚意で風呂までいただくことになる。屋外に設けられた近隣住民の共用風呂で、カーテン一枚で仕切られただけのちょっぴりドキドキな仕様だ。
手漕ぎポンプで水を入れてフロタキタケを投入。適温になったお湯と石鹸で身体を洗ってから湯船へ。「アッー!」と押し殺した声が漏れる。「アアッー!」。浴槽はなんの木材かはわからないが檜だと思うと心地よいのでそう思っておく。
「……よかったなあ、タミコ……」
ぽつりとつぶやく。今頃は二人で積もる話でもして、これまでの離れ離れだった時間をわずかでも埋めようとしていることだろう。そんなことを思い、お湯で顔をごしごし洗う。
若干ホームシックになっているのは内緒だ。スガモではなく、生まれ育った行田に。
――壁の外の世界は、人類は、滅んじゃいない。
御前試合の閉会式で、あの自称ツルハシ・ミナトがさけんだ言葉だ。
もしも、万が一、それが事実だとしたら。
行田も、埼玉も、というか日本という国は、今も壁の向こうに存在しているのだろうか。
いろいろと物騒な話ばかりのあの壁を越えた先に、故郷は今も残っていやしないだろうか。
カーテンの隙間から夜空が見える。御神木に遮られて星もなにも見えないが、そのずっと向こうへと思いを馳せるくらいならタダだ。
――確かめてみたい。いつか、この目で。
風呂から上がると、老夫婦がちゃぶ台に並んだ夕食と焼酎の瓶とともに待っていてくれる。故郷はここにもあったのかと愁は感激する。
ほろ酔いになったじいさまが「酒の肴に」と、屋根裏に間借りしているタロチについていろいろと教えてくれる。彼ら夫婦はタロチが流行病で両親を亡くしてからずっと面倒を見てきた、いわば親代わりの存在だったという。
タロチは役場務めの事務職員で、カーバンクル族の戸籍管理などを担当していた。ただし数年前から休職中ということらしい。
彼にはキンコとキナミという同年代の幼馴染がいて、特にキンコは子どもの頃からの想い人だった。
カーバンクル族には珍しいほどに真面目で礼儀正しく、しかしやや奥手で臆病でいつも自信なさげで、とりわけ菌能を持てないことにコンプレックスを抱いていた。十八歳のときにキンコが外の狩人と意気投合して町を出ていくというときも、笑って見送ったあとに部屋に引きこもってめそめそすることしかできなかった。
「そんなあの子が、十年ぶりに戻ってきたキンコちゃんにプロポーズしたと聞いたときは、儂らも驚いたもんだったよ」
少し時間がかかったそうだが、最終的にはタロチの「人生をかけた」猛プッシュにキンコが折れるような形で、二人は夫婦になった。
「新婚生活が始まったときは、タロチだけじゃなくキンコちゃんもほんとに幸せそうで……でも、それから間もなくだったねえ……」
キンコは相棒の狩人の要請に応じ、最後の旅に出た。一年後には必ず戻るから、とタロチに言い残して。
タロチは彼女の帰りをじっと待ち続けていた。そのまま一年がすぎ、二年がすぎ、三年がすぎた。
「何度もねえ、ナカノの外にさがしに行ったんだよ。危ないからって止めても聞かなくて……警備の人たちにイケブクロやネリマにも連れてってもらったりしたんだけど、行方の手がかりすら掴めなくて……」
時系列からすると、キンコとウスイはナカノを出てからそう間を置かずにオオツカメトロへ向かったようだが、誰にもその行方を告げていなかったようだ。
「それでもねえ、タロチはずっと信じてたんだよ。キンコちゃんは必ずどこかで生きてるって、必ず自分のところに戻ってきてくれるって。だけど……心が折れちゃったんだろうねえ、ここ一・二年は仕事も休みがちで、部屋で一人ドングリ浸りになってしまって」
「ドングリって浸るもんなんすね」
「キンコちゃんが亡くなっていたってのはほんとに残念だけど……それでも二人の子どもが帰ってきてくれるなんて……〝糸繰りの神〟さんってのも、捨てたもんじゃないのかもねえ……」
そう言って涙ぐむ老夫婦。
「これからは親子水入らず……二人で幸せに暮らしてほしいねえ」
「……え?」
急にそう言われて愁はドキッとする。
「あ、はあ……」
曖昧な返事しかできない。内心の動揺をごまかすように焼酎をあおる。
居間で一人、防虫剤のにおいのする布団に包まれながら、愁はなかなか寝つけない。
いつも隣でヘソ天している毛深い相棒がいない夜。いやまあ、ノアと部屋を分けるときなどは基本的に彼女のほうで寝たりするが、今夜は意味が違う。
(……そうだよな)
(そういう結末も、あるんだよな)
考えてみれば当たり前なのに、今まで頭になかった選択肢。
実の父親とともに、多くの同族とともに、この地に残って暮らすという結末。
スガモで狩人を続けるよりも、ずっと幸せな人生が待っているかもしれない。
地獄のような地の底から始まった彼女の冒険の終着点として、この地よりふさわしい場所が他にあるだろうか――。
(タミコがそうしたいって言ったら)
(……俺は、どうするかな?)
***
翌朝。
本来のクエストの件で、ヨシツネたちと合流する必要がある。朝食をごちそうになったあと、タミコを呼びに屋根裏に上がる。
とはいえ「ヨシツネが誰かに手紙を渡す場に立ち合う」だけなので、愁だけでも特に問題はないだろう。今日はこのまま親子ですごしてもらうのも悪くないかもしれない――などと思いながらハシゴ階段を上ったとき。
「――ぁあああああああ……」
「……え?」
なにか聞こえる。悲鳴のようなもの。
「――ぎゃぁあああああああ――!」
仕切り戸の向こうからだ。
飛びかかるように取っ手を掴み、部屋へと転がり込む。
「タミコどうしぎゃぁああああああああっ!」
鼻水とよだれとたらこ唇で絶叫する愁。
でっぷりしたタロチの身体が仰向けに倒れている。
タミコがその足を掴み、股間に自分の足を当ててぐりぐりしている。
「タミコ、おいっ! なにやってんだ!」
電気あんまなど小学校以来だ。というかリスがリスに電気あんましている光景を目撃した初めての人類ではなかろうか。
「娘よ、やめろ、やめてくれ! あぁあああっ!」
「ブクブクふとったイベリコリスめ! キンタマすりつぶしてコオロギのエサにしてやるりす! ぴぎー!」
「よせタミコ! それはお前の原点だ!」
慌てて両者を鷲掴みにしてブレイクさせる。泡を噴いて痙攣するタロチの苦痛を想像して戦慄が走る。こればかりは【不滅】があろうと絶対にやられたくない。
「あの……だいじょぶっすか?」
タロチを起こして背中をさすってやろうとするが、
「触るなっ! シャーッ!」
息を吹き返したタロチにぺしっと振り払われる。
「なんだ君は、家主に断りもなく上がり込みおって!」
「いやまあ、さけび声があんまり悲痛だったもんで……つかタミコ、なにがあったの? 感動の再会から一晩でどうしてこんな修羅場に?」
「このクソオヤジ、アベシューとノアをブジョクしたりす!」
「へ? 侮辱? 俺とノアを?」
よく思われていないことは重々承知だが、話の流れが見えない。
「事実を教えただけだ。外部の狩人はとどのつまり、我々カーバンクル族を愛玩動物や使い捨ての道具としてしか見ていないとな……」
「え、いや? え?」
どこからそんな話になったというのか。
「アベシューもノアもそんなゲスじゃねえりす! あたいのチュージツなゲボクりす!」
「違うけどそれでいいわ」
「お前は騙されてるんだよ、タミコ……五十年前の魔人戦争の際、〝糸繰りの民〟が我ら種族にどれほどひどい仕打ちをしたか、キンコから教わらなかったのか? そしてその悪行は今も――」
「うっせえりす! アベシューをわるくいうトーチャンはキライりす!」
雷に打たれたみたいに打ちひしがれるタロチ。床にがっくりと崩れ落ちる。
「……そんな……父さんは……お前のためを思って……」
「あー……タミコ、俺これからヨシツネくんと合流すんだけど……お前はここで――」
「いくりす! あったりめえりすよ!」
しゅるしゅると電光石火で肩に乗るタミコ。
「ま、待て! 話はまだ済んでいないぞ!」
タロチがどたどたと立ちふさがる。
「だいたいその娘の言葉遣いはなんだ! 貴様が吹き込んだんだな、このろくでなしのゲス人間め!」
「会ったときからデフォだったけど」
「嘘をつけ! キンコがそんな風に教えるはずがない! キンコは、キンコは……えー……とっくの昔に更生したんだ!」
「元ヤンじゃねえか」
「うるさい! どうしてもその娘を連れていくというなら、我が牙でその平面顔に凹凸をつけてやる! そこへ直れ!」
愁はむんずとタロチを掴み、ひっくり返して腹をこしょる。
「ふっ、ふざけるな貴様! 紳士の身体を弄びおって! やめろ、やめ――……ああっ……私には心に誓った妻が……」
「血筋かよ」
明日も更新しまりす。
書籍版一巻二巻、よろしくお願いしまりす。




