143:親子
「……信じられない……キンコとタロチの子どもなんて……」
キナミという黄色みがかった毛並みのカーバンクルは、タミコを見つめて呆然としている。
「タロチとは、あのお前の幼馴染の……」
「うん、ワンダも会ったことあるでしょ?」
「そう……だな、憶えてるよ。一度だけだが……」
キナミを肩に乗せている隻腕の女狩人、ダイアナ・ワンダ。若干歯切れが悪い感じなのは気のせいだろうか。
「確か、連れ合いがずいぶん前にこの町を出て、そのまま帰ってこなかったと聞いたな。で、その女性の子が、君だと……?」
「はい、キンコの娘です。父親はタロチって名前だって」
戸惑っているタミコの代わりに愁が答える。
「キンコは? キンコはどこにいるの?」
タミコがびくっとする。愁の顔を泣きそうな目で見上げるが、自ら口を開く。
「……カーチャンは……もういないりす……」
「……そんな……」
「タミコを守るためにメトロ獣と戦って、命を落としたそうです。相棒の狩人……ウスイ・カツオって人も、その何年か前に……」
「……そう……」
キナミは肩を落とし、ぐいっと目を拭う。ちゅん、とタミコが小さく鼻を鳴らす。
「疑うわけではないが、なにか証明できるものはあるか? 君がキンコの娘だと」
「ワンダ、そんなものは必要ないよ」
ひょいっとワンダから愁に乗り移る。そして、タミコの腕にそっと触れる。
「だって……そっくりだもん、小さかった頃のあの娘と……その毛並みも、その変なしゃべりかたも……」
タミコの首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「会わせてあげる、タロチに」
ここまで案内してくれたクマガイとはここで別れることになる。上司らしいワンダになにか小声で報告し、そのまま去っていく。
「さて、では行こうか。キナミ、道案内を頼む」
あたりはすでに夜のようにとっぷりと暗くなっている。ランプの明かりの連なる町並みを、一行は歩きだす。
スガモやイケブクロとくらべれば遥かに小さいとはいえ、人口千人が暮らす町だ。立ち並ぶ丸太組の建物は結構しっかりとしているし、側溝を設けた歩道や井戸周りの設備なども細かく行き届いている。
通りすがる人たちが「警備団長、お疲れ様です」とワンダに明るく挨拶するが、その後ろを歩く愁たちを見てとたんに表情をかたくし、ぷいっとそっぽを向いてしまう。決して雰囲気の悪い町ではないようだが、よそ者に対する排他的な気質は噂どおりのものらしい。
そして――
(なるほど、面白いな)
クマガイから答えを聞けなかったが、愁は自分の目でそれを見つける。
この町の中で、カーバンクル族はどこでどのように暮らしているのか。
――答えは頭上にあったのだ。
屋根の上にもう一つ窓つきの小部屋などが増築されている物件が目立つ。さらに屋根から隣家の屋根へロープのようなものがつながり、住宅街の電線のようにあちこちに張りめぐらされている。最初は物干しロープかと思っていたが、よく見ればそれは小さな板が連なっている、つまり吊り橋だ。
「カーバンクル族って、民家の上に住んでるんですね」
「ん? ああ」とワンダ。「屋根裏部屋や、屋根上の小部屋が彼らの住まいだ」
噂をすればというか、頭上の吊り橋をひょいひょい渡っていく小さな影がある。真下からでもふさふさの尻尾が揺れているのが見える。カーバンクルだ。
屋根裏や最上階住まい、それらをつなげる空中の遊歩道。アスレチック感というか子ども心というか、ちょっぴり羨ましく感じる。
「人ん家で一緒に暮らしてたりとかは?」
「まあ……いないこともないが、少数だな。仕事柄、あたしとキナミは一緒に住んでいるが」
「今流行りのルームシェアってやつね。お互い花の独身組ってやつだから」
「はあ」
ワンダはこの町の警備団の団長で、キナミはカーバンクル側をとりまとめる副団長だそうだ。
「ちなみに、カーバンクル族ってどういう仕事してたりするんですか?」
「まあいろいろだが……たとえばこの下のメトロでの採掘は、彼らの多くが生業としている。〝糸繰りの民〟はごく一部の者しか入れないからな」
「それって危なくないんですか?」
カーバンクル族は基本的に戦闘には向かない種族だ。タミコはいろいろあってつよつよリスだが、それでも同レベル帯の獣相手となればなかなかしんどい。
「それほど深い場所での作業はしないからな。彼らの採取する資源がこの町を支えていると言っても過言ではない」
「人はメトロに入れないって、入り口がめっちゃ狭いとか?」
「いや……そういうしきたりだからさ。こっそり忍び入ろうとする輩はこれまでにもいたが、そいつらにはとても厳しい罰が下ることになる。たとえ〝スガモの英雄〟であっても例外ではない、肝に銘じておいてくれ」
「(しきたりか)……了解です……ってあれ、その話してないっすよね?」
「ふふ……いかに世俗に疎い私でも、時折持ち込まれる新聞くらいは目を通しているよ。カーバンクル族を連れた狩人は今日び珍しいからな。それが狩人史上最強のルーキーの肩書までついていればなおさらのことだ、この町でも少々話題になったよ」
「お恥ずかしい限りで」
「そう、スガモのアベ……アベ……」
さっき名乗ったのに。
「確か、アベ……リ、リ、リ……」
「シ、シ、シ……」
「アベ・シリ?」
「それは最悪です」
住宅地の中ほどへと進み、「あそこの屋根裏よ」とキナミが上を指し示す。
里の民家には大抵ハシゴが設置されている。ただし大抵の屋根裏部屋の場合、外側の出入り口はカーバンクル専用の大きさになっているので、人が入るためには家の中から直接登る必要がある。家主の老夫婦に了解をとり、ぞろぞろと上がらせてもらい、天井に収納された折りたたみのハシゴ階段を下ろす。
屋根裏は狭く、全員で上がるわけにもいかず、ノアとアオモトには下で待機してもらうことになる。
愁とワンダは腰を屈め、梁や柱を避けながら、ランプを手に暗い屋根裏を進むと、取っ手のついた仕切り板に行く手をふさがれる。人の出入りできる戸だ、この向こうが屋根裏部屋になっているようだ。
(ここに)
(タミコのトーチャンが)
「アベくん、タミコくん、いいか?」
振り返ってそう尋ねるワンダに、愁は無言でうなずき、タミコは「……りっす……」と消え入りそうな声で返事をする。
タミコ、と小さく呼びかけると、首筋にぎゅっと抱きつかれる。
その手が震えているのが伝わってくる。愁は毛深い背中をそっと撫でてやる。今彼女がぎゅっと握りしめているのが頸動脈なので撫でる手がタップに変わる。落ちるから放して。
そして、いよいよ。
ワンダが戸をノックする。
「夜分にすまない、警備団長のダイアナだ」
***
「あー、はい……少々お待ちを……」
ドアの向こうから聞こえてくる声は、タミコやキナミよりも幾分低い。カーバンクルも人間のように雌雄で声の高低が違うのか。
間もなく、戸の向こうでカチャリと鍵の外される。
「――お待たせしました、どうぞ」
ごくりと唾を飲み込む音が無用に響く。ワンダが取っ手を握り、戸を引くと――
「すまないな、タロチさん」
「いえ……」
一匹のカーバンクルがそこにいる。
(……デブい)
タミコよりも大きい、ややずんぐりした、というかプレーリードッグみたいにまん丸い体格だ。モエツクシの床置きランプの光加減のせいか、タミコよりも茶色みの濃い、古き良き(?)シマリスに近い毛色に見える。玩具みたいに小さな眼鏡をかけ、首には首輪? チョーカー? をつけている。
(これが……)
(タミコのトーチャン?)
「それで、ご用件というのは――」
彼の目と、ワンダの後ろから覗き込んでいる愁の目が合ったとたん、その表情がみるみるうちに険しくなっていく。
「……ダイアナさん、これはどういうことですか?」
「ああ、用というのは彼らのことで――」
「外の狩人の方ですよね? ……キナミ、君がついていながら、その人をここへ連れてきたのか?」
「タロちゃん、違うの。話を聞いて――」
「聞きたくない! 帰ってもらってくれ、外の狩人と話すことなどなにもない!」
「いやあの、ちょっと……少しでいいんで……」
口を挟もうとしたら、彼にきつく睨まれる。肉食獣のような迫力こそないがすごい剣幕だ。
とはいえここで門前払いをくらうわけにもいかない。ワンダにどいてもらい、上がり込もうとすると――
「勝手に上がるなっ! この無礼者めっ!」
と一喝される。シャーッ! のおまけつき。
初対面なのにずいぶんな嫌われようだ。外部の人間、それも狩人に対して強い嫌悪感を抱いているらしい。
(――ああ)
(そういうことか)
なんとなく察しがつく。心当たりは一つだけある、おそらくは――カーチャンの相棒のことだろう。
「いや、じゃあ俺はいいんで……ほら、タミコ……」
ずいぶんおとなしいと思ったら、肩の上から首の後ろに避難している。うなじに抱きついて隠れ身の術。
首の皮をつまんでぺろっと剥がし、ぽてっと床に置く。身を隠す場所がなくなり、縮こまってもじもじするタミコ。
目の前に現れたカーバンクルっ娘を見て、タロチの目が大きく見開かれる。
「…………キン……コ……」
その手がタミコへと伸び、
「……いや、そんな馬鹿な……でも……」
空中で躊躇うように止まり、ぶるぶると震えだす。
「……そうよね」とキナミ。「ほんと、子どもの頃のキンコそっくり。あたしもびっくりしたもん……」
「ほら、タミコ。自己紹介して」
丸まった背中をぽんと押すと、タミコは顔を上げ、タロチと向き合う。
「……あたい、タミコりす……カーチャンは、キンコりす……」
「……そんな……ありえない……」
キナミがすとんと床に降り、タロチの肩にそっと触れる。
「話を聞いて、タロチ。あたしたちも一緒に聞くから」
六畳くらいの天井の低い部屋だが、カーバンクルの一人暮らしなら体育館並みの広さだろう。調度は玩具みたいな家具がいくつかと部屋の隅にベッドがあるくらいだ。
タミコとキナミにはヒマワリの種とミニミニサイズのカップが出される。愁とワンダにはなにも出てこないが、人間用のものがないということだろう。愁はなるべくスペースをとらないように三角座りしておく。
「それで……というかその前に、君はなんなんだ?」
「へ?」
再び剥き出しの敵対心を浴びせられて戸惑う愁。
「いや、俺は……タミコの相棒っていうか保護者っていうか……」
「あたいのでしりす」
「それも間違ってないけど」
「弟子……いやその、まあいい。というか、タミコ……ちゃんだったか、君がキンコの娘だというなら……父親は……?」
「あなたに決まってるでしょ」とキナミ。「あなた以外に誰がいるの? あの娘の旦那なんだから」
「でも……じゃあ……いや、とにかくキンコは? 彼女は今どこに……?」
「えっと……順を追って話します」
まだ緊張の解けないタミコの代わりに、愁が説明することになる。
キンコと相棒のウスイ・カツオはオオツカメトロに挑み、深層の強大なボスに敗れて下層に閉じ込められてしまったこと。
ボスとの再戦でウスイが死亡したあと、ほどなくしてキンコが一人タミコを産んだこと。
地上への帰還はままならず、その危険な地下世界での子育てを余儀なくされたこと。
そして四年後、タミコが大きくなった頃合いを見計らい、地上への脱出を試みたこと。
そこで――それでもボスの手をくぐり抜けることはできず、キンコはタミコを逃がすため、囮となって命を落としたこと。
「その一年後くらいに、俺とタミコはそこで出会って……」
自分が百年ぶりにそこで目覚めたことや〝糸繰士〟に関わるようなことは、タロチにはともかくワンダの前で話すのは憚られる。ここではスガモの面接のときに使った「悲運の少年アベ・シュウの物語」を採用しておく。
「――……それで、ようやく地上に出てこれたのが、つい数カ月前のことです」
話を終えたとき、ワンダは難しい顔をしている。キナミはしきりに目元を拭っている。タミコはちゅんちゅんと鼻を鳴らしている。そして、一度も口を挟まずに聞いていたタロチは――うなだれたまま、てのひらで顔を覆い、肩を震わせている。
「……そんな……キンコはもう……」
ぽたぽたと、指の隙間からこぼれた水滴が床に落ちる。キナミが彼にそっと寄り添う。
「……タロちゃんね、ずっとキンコをさがしてたの。警備の狩人さんと一緒にナカノの外にも足を運んだり、二人が行きそうなメトロとかにも入ったりして……」
タロチたちはキンコとウスイの行き先がオオツカメトロだったことを知らなかったのか。それではさすがに手がかりを見つけることさえ難しかっただろう。
「……どこにいてもいいから……どんな形でもいいから……生きていてほしかった……ただそれだけを願っていた……今も生きているって信じていた……それなのに……キンコ……どうして、僕を置いて……」
そこで言葉は詰まり、嗚咽へと変わる。キナミに渡された手ぬぐいで涙を拭き、盛大に洟をかむ。
「……すまない、とり乱してしまって……でも……」
顔を上げ、タミコへと目を向ける。
「……君は、ほんとにキンコの……いや、すまない。疑ってるわけじゃない、君は子どもの頃の彼女に瓜二つだ。その毛並みも、彼女が幼い頃に使っていたその言葉遣いも……」
タミコから語尾の「りす」の由来を打ち明けられたのは、地上への帰還に挑む前のこと、およそ半年くらい前のことだった。
それは、カーチャンから教わった「幸せを呼ぶおまじない」だという。タミコは母の言いつけを守り、そして母の分まで幸せになるために、ずっとそのおかしなおまじないを使い続けてきた。
これまで二人して何度も死ぬような思いをしてきたが、それでもどうにかここまで無事に来られたのも、そのおまじないの御利益があったからこそかもしれない。
「でも……まだ信じられない……こんなに大きくなって……」
ずっと口を閉じていたタミコが立ち上がる。
「……あたいは……カーチャンと、トーチャンのキンタマからうまれたりす」
「そこはカーチャンとトーチャンでいいんだぞ」
ぎゅっと太もものあたりを握りしめ、顔を上げる。
「あたいとカーチャンは、ずっとふたりきりだったりす……カーチャンはいつもあたいをまもってくれたりす。たくさんいろんなことをおしえてくれたりす。いつもずっと……さいごのひも……あったかかったりす……」
キナミが口を押さえて顔をそむける。
「カーチャンは……ずっとトーチャンにあいたがってたりす……ちじょうにでて、タイヨーをみて、トーチャンのところに……」
「……ありがとう……もういいよ……」
「……あたいは……カーチャンがいてくれたから、カーチャンのねがいがあったから……ひとりでもがんばれたりす……でも、トーチャン、ごめんりす……カーチャンといっしょじゃなくて……」
「もういい、いいんだよ、タミコ……」
タロチがそっと近づき、タミコを抱き寄せる。その大きな身体で包み込むように。
「おかえり、タミコ……ありがとう、生きて帰ってきてくれて……」
「トーチャン……」
「アベくん、君が一番泣いてるじゃないか」
「ワンダさんこそ」




