142:タロチ
窪地のそばに見張り小屋や厩舎などが並んでいて、ダチョウたちはいったんここに預けることになる(もちろん有料)。しばしの別れということで、ここまでの礼をこめてその首にハグをしておく。もふもふ。
ここからはリヤカーをレンタルし、荷物を移して自分たちで下まで運ぶそうだ。
窪地は絶壁というほどではないが、スキー場だったらリフトで∪ターンしたくなるほどには急傾斜だ。狩人の身体能力なら無理やりまっすぐ降りられないこともないだろうが、当然ながら車はさすがに無理だ。
岩肌を削って平らにした道が斜面を迂回するようにぐるりと続いている。隊商は人力で車を牽いてそこを降りていく。愁たちだけならもっとスピードも出せるのだが、なぜか道中と同じ順番になってしまったので他の人たちとペースを合わせる必要がある。
愁たちはともかく隊商の〝人民〟の人たちにとっては大変そうだが、それでも誰も愚痴をこぼしたりしない。そういうものだとわかっているようだ。
「いいねえ……大腿四頭筋やヒラメ筋が喜んでるねえ……」
リヤカーを牽く、というか傾斜で勝手に転がるのでペースを調整するブレーキ役はクレだ(公平に男衆でジャンケンした)。トレーニングだと解釈しているようなので交代しなくても大丈夫だろう。
「つーかさ、なんであんなところに集落つくったんだろうね。めっちゃ不便じゃね?」
とは言いつつ気持ちはわかる。大樹の麓の町、ファンタジー感あふれていて一度は住んでみたくなる。
「あの木――」とヨシツネ。「御神木なんだそうですよ、カーバンクル族にとって」
「御神木? 確かに神々しいくらいデカいけど」
「もちろんそれだけじゃなくて――」
「なつかしいりす」
一同が振り返る。荷物の上で鼻先をくんくんさせているタミコのほうに。
「懐かしい?」
「なつかしいニオイがするりす」
「タミコっちの故郷だからかな?」とウツキ。
「いやつっても、お前ここ来るの初めてだよな」
なにかしらDNAに引っかかるものでもあるのだろうか。日本人にとっての醤油のにおいみたいな。
「なんか、かいだことあるりす。このニオイ」
「え? なんもにおいしないけど」
「そのしおがおのまんなかについてんのはチンコりすか。このトーヘンボクのドーテーヤローが」
「久々に罵倒語が出たなあ」
「もうらめぇ……むりぃ……!」となるまでこしょり倒し、アオモトがその様子をスケッチブックに描き終えた頃、ふと愁の鼻に感じられるものがある。
「あれ……これ……」
確かに、どこかで嗅いだ憶えのあるにおいだ。ほんのかすかに香る、なんとも表現の難しいにおい。プールの塩素のにおいを和らげて少し甘くしたような? 百倍に薄めた入浴剤のような?
「もしかしたらですけど」とヨシツネ。「あの木から出てるにおいかもしれませんね」
「どゆこと?」
「ある種の植物は――」とノア。「身体に傷をつけられると、微生物や細菌なんかの働きを抑制する物質を出すことがあるそうです。植物の自己防衛機能みたいなものですが、人間からするとそのにおいは清々しい感じがして癒やし効果があったりとか」
「あー、なんか聞いたことある」
フィトンなんとかというやつだったか。マンガで読んだ気がする。
「ごく一部の菌糸植物でも似たような作用を持つものがあって、特殊なにおいを散布してメトロ獣を遠ざけたり、凶暴性を鎮静化したりするとか。あの木もそういう物質を出してるみたいですね」
「ご名答です、イカリさん。でも僕が解説したかったなあ」
にやりとほくそ笑むノア(「解説キャラの座は渡さんぞ」とばかりに)。
「……あ」
愁は、思わず足を止める。
「……そうか……」
思い出した。
タミコの言っていたことは間違いではなかった。
「……オアシスのにおいだ……」
愁がこの世界で目覚めた場所。タミコと出会った場所。
オオツカメトロ、地下五十階。最弱クソザッコな二人で始めたサバイバル生活において、貴重な水源となったあのオアシス。ユニおさんとの友情を育んだ思い出の地。
あの場所のにおいとよく似ているのだ。
「肉食の獣を遠ざけるにおいって、あそこでもそんな話してたよな、タミコ?」
「……そういえば、カーチャンいってたりす……『ここは故郷と同じにおいがする』って……」
「……そっか……」
タミコが愁の肩に飛び乗る。
二人は巨大な木を見上げる。
「俺たちは、カーチャンの故郷のにおいに守られてたんだな」
***
斜面の道を降り終えたところで、またしても毛皮の男たちによる荷物検査が行なわれる。とはいえ関所のときのようなギスギスした感じはなく、時間もそうかからない。
愁たちの番になり、やはりタミコに驚かれる。外の生まれで初めての里帰りだと説明すると、「それはなんと」「おかえりなさい」と温かく歓迎してもらえる。柄にもなくしおらしくなる上官。
「ちなみにですけど、タロチってカーバンクル知ってます?」
タミコの父親の名前だ。母親の名前はキンコ。
二人組は顔を見合わせ、互いに首を横に振る。
「すいません」と毛皮の男A。「ここには三千近くのカーバンクルが住んでいますので、我々も全員の名前を把握しているわけでは……」
「そうっすか……」
「そうりすか……」
「でも役場に行けばわかるかと。あとでご案内しますよ」
「よし、行ってみよっか」
「りっす!」
「ではみなさん」と毛皮の男B。「ここへは初めてお越しということで、最後に注意点を。先ほども申し上げたとおり、ここには我々〝糸繰りの民〟だけでなくカーバンクル族がともに暮らしています。彼らは魔獣族ですが、国民としての地位や権利などは我々とほとんど変わりません。どうかみなさんの家族や友人と等しく尊重し、くれぐれも揉め事などは起こさないよう、ご協力をお願いします」
わりと真剣にというか、念押しに近い圧を感じる熱弁だ。
「それと……許可なく御神木に近づくことは禁じられています。下手をすれば外へ追放されるくらいでは済まない話になってきます。絶対に」
愁たちは唇を引き締めてこくこくとうなずく。
隊商のメンバーとはここでお別れとなる。とはいえ外部の人間が宿泊できるところは数軒しかないようなので、また顔を合わせることになるだろう。
ヨシツネたちはそのまま宿をとるということで、やはりいったん解散。愁とタミコとノアは毛皮の男Aことクマガイに声をかけ、役場へと案内してもらう。
「役場は御神木のほうなんですけど、時間的にそろそろ閉まる頃でして。誰か残ってたら捕まえて事情話せばいろいろ教えてもらえると思いますよ」
ノアの時計によれば現在午後四時半。だいたいお役所は五時に閉まると有史以前からのお約束ではある。
あたりはほとんど宵の口のように薄暗くなっている。不思議な光景だ、窪地の縁あたりはまだ明るいのにここだけは海の底のように薄暗い。そよそよと流れる空気も心なしか地上よりひんやりしているように感じられる。
丸太組のロッジのような家屋が並び、軒先の吊るしランプが道標のように続いている。通りに人気は少なく、質素な身なりの住人が愁たちのほうを遠巻きにじろじろ眺めている。歓迎の眼差しではないのはよくわかる。
「日当たりの関係でこちら側、南側に民家が集まっているんです。北側はキノコの栽培小屋や家畜小屋、工芸品の作業所などがあります。商人の方々のお目当ては主にそっちですから、こっちの居住区にはあんまり立ち入らないんですよね」
「なるほど。じゃあ、カーバンクル族はどこに?」
「それは――」
と、愁の足が止まる。
チリリとうなじにひりついたものを感じる。
【感知胞子】を散布し、周囲を立体的に知覚。身構える。
(――上)
降ってくる――無数のなにかが。
生き物だ。
顔を上げ、薄闇を裂くそのシルエットを視認する。
(コウモリ?)
脇の下に膜を広げ、宙を滑空し、一直線に向かってくる。
(いや、モモンガ?)
(いや――)
「よそもんだーーー!」
「かかれーーー!」
リスだ。
「ぶべっ!」
ふっとした感触が顔面に張りつく。間髪入れずに頭、肩、背中、と身体中にまとわりつかれる。
「今だーーー!」
「とっちめろーーー!」
「ちょ、ちょっ!」
てのひらで全身ぺちぺちと叩かれる。痛くはないが非常にくすぐったい。かと思ったらうなじや耳を尻尾で撫でられてはわわとなる。
「まいったかーーー!」
「許してほしけりゃ、お菓子よこせーーー!」
「お土産全部置いてけーーー!」
「落ち着け! わかったからいったん離れろ! ――って、タミコ?」
タミコは一足先にノアの頭の上に退避している。頭だけひょっこり出して、おずおずと愁にまとわりつくものを窺っている。
「あれー、知らない子がいるー」
「ほんとだー」
攻撃がぴたりと止む。まとわりついていたものがぞわぞわと移動し、愁の肩や腕に並ぶ。電柱に並んで止まる雀みたいに。
「……君ら、カーバンクル族の子だよね?」
「あったりめえじゃん!」
「おじちゃん、初めて来たの?」
「そうだけどおじちゃんはやめて」
再び異様な気配を感じ、愁はがばっと振り返る。
物陰に目を凝らすと、アオモトが噛みしめた唇に血をにじませている。
***
頭に宝石のついたシマリス。タミコよりも小さい、カーバンクル族の子どもだ。
タミコ以外のカーバンクルを見るのは初めてだが――やはりというか、タミコとそっくりだ。毛色や縞模様はそれぞれ濃淡だったり若干青っぽかったりと個性があるようだが、頭の赤い宝石はみな共通だ。背中にマントのようなものを身につけているが、それを広げて滑空してきたのだろうか。
「おねえちゃん、どこから来たのー?」
「お話ししよー、こっち来てー」
「あ、あたいは……」
姿を見せたものの、照れたようにもじもじとするタミコ。初めての同族にどう接していいかわからないようだ。
「あ、あのね君たち」とクマガイ。「そちらは外のお客さんで、これから大事な用事があるから――」
「クマガイ、どうした? なにをしてる?」
奥のほうから鋭い声が響く。クマガイがびくっと身をこわばらせる。
ザッザッ、と荒い足音とともに現れたのは、狩人ジャージを着た女だ。
シシカバ姉妹を彷彿とさせる、大柄で筋肉質な女性。百八十超えのギランより大きいかもしれない。赤茶けた長髪を後ろで結い、頬に大きな傷跡があり、そして左腕がない。
「彼女はメグロ本部の狩人だ」
アオモトが隣に来るが愁は目を合わせない。
「ダイアナ・ワンダ……超がつく有名人だ。こんなところにいるとは知らなかった」
「おいお前ら、もうすぐ日が暮れるぞ。早くうちに帰んな。じゃないと父ちゃんに言いつけるぞ」
「でもワンダ、知らない子がいるよー」
「知らない子?」
「うん、カーバンクルの子ー」
ワンダと呼ばれた女性がぎろりと愁を睨む。それを合図にチビカーバンクルたちが「ぴゃー!」と一斉に退散していく。「ああ……」と手を伸ばして名残惜しそうにするアオモト。
「……君たちは?」
「あ、えっと、阿部愁です。スガモの狩人です。そっちのタミコも」
ワンダの視線が後ろのノアとタミコに移る。そして少し驚いたように目を大きくする。
「外の生まれのカーバンクルか? 珍しいな」
「ねえワンダ、あの子……」
ふと見ると、彼女の肩にもカーバンクルが乗っている。縞が若干黄色みを帯びているのが特徴的だ。
「どうした、キナミ?」
「あの子の毛並み……似てる……あの娘と……」
口調と声音からしてメスだろうか。キナミと呼ばれたその子もなにか驚いているようだ。
タミコが愁の肩に戻る。そうして愁とワンダ、タミコとキナミが向かい合う形になる。
「あの……こいつの父親、タロチって人をさがしてるんですけど」
「……まさか……あなた、キンコの!?」
キナミがはっと息を呑む。
そして、愁の視界の端で、タミコがぶるっと震える。
こんこん、とワンダが戸をノックする。
「――はい、どちら様?」
「夜分にすまない、警備団長のダイアナだ」
「ああ……なんのご用でしょうか?」
「あなたに会いたいという者を連れてきた。開けてもらえるか?」
「あー、はい……少々お待ちを……」
ぱたぱたと小さな足音がして、
「――お待たせしました、どうぞ」
そして、戸が開く。
カーチャンのエピソードは1巻に書き下ろしで収録。よろしければぜひ。
 




