140:パピー、ネリマリス
今週末(8/22)、いよいよ書籍版第2巻発売です。よろしくお願いしまりす。
この場所を訪れるのは一年ぶりか。
毎年〝イケブクロ慰霊祭〟のあとに必ず来ていたが、今年は例のゴタゴタでそんな時間もとれなかった。
イケブクロ北西の森の奥深く、地図上はナカノやネリマとの境界付近とされる地帯。木々が途切れてぽっかりと開けたエアポケットのような場所だが、他人からすればごく普通の樹海の一風景にすぎないだろう。
その中心付近に置かれた石の砂埃を払い、生した苔を丁寧に剥がしとった。
と、尖った耳が近づいてくる足音を捉えた。忘れもしない、間違えようもない。一月ほど前に嗅いだばかりのにおいだ。
「いやー、森の中は空気がヒンヤリしてていいねえ……ってここ、直射日光ギンギンやんけ」
ギランの鋭い眼差しが、木陰から現れた男をまっすぐに見据えていた。
「流金鑠石、これぞキ○チョーの夏ってか。百年前はこれより平均五度以上高かったって信じられるか? 想像しただけでベロ出してハアハアしたくなるだろ、オオカミ少年」
脱いだ背広を肩にかけたその男は、閉会式のときと同じ顔をしていた。ギランにとっては胸が締めつけられるほど懐かしい恩人――その左半分がケロイド状になった顔。
ツルハシ・ミナトを名乗る〝越境旅団〟の団長は、足元にばさっと新聞紙を投げ捨てた。
「新聞広告たあ、古風な手を使ったもんだな。パピーよ」
革命後に創設されたイケブクロ唯一の民間新聞社〝ブクロ新聞〟の新聞だ。毎週水曜日と土曜日、領地内だけでなく近隣の都市でも販売されている。
『二人きりで会いたい。初めて出会った場所で、初めて出会った日に。パピー』
ここ数週間、同じ文言の広告を打ち続けた。この付近に潜伏しているなら、それを目にする可能性は低くないと踏んでいた。
「んで、なんの用だ? こないだはせっかく生かしといてやったのに、無駄に命を散らしに来たか?」
「あなたの……貴様の正体をはっきりさせておきたかった」
「スガモの大舞台で高らかに宣言してやっただろ? 俺はツルハシ・ミナトだ」
「その名を騙るな、化け物風情が!」
「そうカッカすんなって。『黙れ小僧!』みたいにしか見えねえから」
団長はギランをなだめるようにてのひらをぱたぱたさせた。
「俺がここに来たのがその証拠だろ? 懐かしいよなあ、お前はまだふわふわの子犬だった」
三十年以上も前のことだ。この場所でギランは、ツルハシ・ミナトと初めて出会った。
まだ八歳だったギランは、この近くの街道で親とはぐれて迷子になり、不運にもゴブリンの群れに見つかってこの場所まで追いかけられた。もう少しで毛皮を剥がれて敷物にでもなろうかというそのとき、命を救ってくれたのがミナトだった。パピーとはそのとき彼がつけてくれたあだ名だ――子犬をさす言葉だと知ったのはだいぶあとだったが。
「思わず【偽顔】使わずに助けちまって。そんでお前もガキのくせに俺の肖像を見たことあるとかぬかして、結局口止めのために弟子入りさせることになって。あれがこの腐れ縁の始まりだったな」
ギランはぎりりと牙を噛みしめた。この男が語る内容とギランの記憶とは完全に合致していた。
「どうだ? てめえの子犬時代の黒歴史全部、ツレにも聞こえるようにぶちまけてやろうか? わかったろ、俺がツルハシ――」
「ミナト様は――」
団長の言葉をギランが遮った。
「王は、ここに眠っている。私がこの手で殺め、骨まで燃やし、ここに埋葬した。これが墓標だ」
そして足元の石に手をかざした。
「貴様がミナト様であるはずがない。その顔で、その声で、あの御方を語るな。まがいものの化け物め」
ちちち、と小鳥の声が束の間の沈黙を埋める。
油断していたわけではない。むしろ会話の間も絶えず神経を研ぎ澄ませ、相手の動きを警戒していた。
だが、
「――――!」
ほんの瞬きの間に、団長の姿はギランの目の前から消えていた。
毛並みの下に冷たい汗が走った。振り返ったときには、そいつは墓標の前にしゃがみこんでいた。
「……そうか、ここに……」
指先で墓標に触れ、目を細めていた。まるで遠い昔になくしたものを懐かしむかのように。
反射的に飛び退いて距離をとったギランを尻目に、団長は無造作に立ち上がった。
「……魔人は、寄生した宿主の記憶や人格を読みとるという。だが、貴様がミナト様の身体に寄生できたはずがない。私は……亡骸を念入りに燃やし、頭蓋骨まで粉々に砕いた……都知事閣下の指示だった……」
爪が肉球に食い込むほどに拳を握りしめる。
「先日、閣下からいろいろと聞いてきたよ。貴様らは胞子嚢の捕食によっても対象の記憶や人格を得ることができるらしいとな。つまり、それが答えだ」
この男はカン・ヨシツネの胞子嚢を食い、閉会式で彼のユニークスキルを披露してみせた。能力まで盗んだケースは閣下でさえ初めてだというが、いずれにせよ、この男が魔人であるという確信をかためるにはじゅうぶんすぎる証拠だ。
「あのクーデターの日……火の粉の舞う市街地の片隅で、私はあの人を見つけた。なぜか裸で、その顔は夢から覚めたばかりという風にぼうっとしていて、自分がなぜこの場所にいるかもわかっていないかのようだった。あの人はひどく衰弱し、混乱していた。そして……己の罪を告白して……」
――もう終わりにしてくれ。
あの人は最期にそう言った。
それがこの人のためになるならと思い、【騎士剣】に炎をまとわせた。
「あのときの尋常でない様子こそ、貴様があの人の胞子嚢を奪ったことが原因だった……そう考えれば辻褄は合う。貴様はミナト様じゃない、あの人の記憶を奪っただけの魔人だ」
無意識に口角が上がり、剥き出しになった牙の奥から低いうなりが漏れた。握りしめた拳を開く――いつでも菌能を出せるように。
「……なんだよ、結局殺る気満々じゃねえか」
団長の表情はあくまで変わらなかった。へらへらとして敵意も殺意も感じられない。それこそ足にまとわりつく子犬を見下ろすかのようだ。
「……さて、ギランくんの得点は? ドルルルルルル……ジャン! 零点です、はい残念!」
呆然とするギランをよそに、団長はけらけらと笑いだした。甲高く耳障りな声で。
「いやあ、根本的なところでいろいろ組み間違えてんだよ。俺がミナトの胞子嚢を食った魔人? いやいや、悪いけど一個も合ってないわ」
「ふざけるな! この期に及んで――」
「まあ、俺の本質なんざ、この国をめぐる物語においてさしたる重要性はないんだけどな。ぶっちゃけ大したオチでもねえし。大事なのは本質じゃない、なにをなすかだ」
じりり、と団長の靴底が前ににじり寄った。ギランは迎撃せんと腰を低くした。
「俺が今日ここに来たのはな、勧誘のためだよ。ツルハシ・ミナトの真実を知りたきゃ、俺のところに戻ってこい、マイパピー。一日一本おやつジャーキーつきだぜ」
「……貴様の目的はなんだ? 徒党を組み、政府に宣戦を布告し、なにをたくらんでいる?」
団長は上着を墓標にかけ、顔を上げた。
「――――石炭紀って言葉、知ってるか?」
***
愁たちは日が暮れる前に宿場にたどり着く。
シイナチョウはイケブクロの管理下にあるメトロだが、カナメチョウとは違って完全に一般開放されている。とはいえそれほど人気のあるメトロではなく、宿場の規模も街道沿いに小ぢんまりと店舗が密集している程度だ。
「僕は宿をさがしてきますので、またあとで合流しましょう」
厩舎にダチョウを預けたあと、一行はいったん自由行動になる。ヨシツネは本日の宿さがし、ウツキがそれを追いかけ、クレとアオモトはいつの間にかいなくなり。残ったいつもの三人でまったりと宿場を散策しはじめる。
夕暮れが近くなって軒先に提灯が並びはじめると、それなりに賑やかな雰囲気になってくる。お土産を選んだり買い食いしたくなる。というかタミコに「おだんご! おだんご! ぴぎー!」と耳を引っ張られる。
「……ノア、だいじょぶ?」
「……はい、だいじょぶです」
ギランの手紙を読んで、ノアは多少ショックを受けているようだ。団子を咀嚼する口元ももそもそと鈍い。
手紙には、ギランとひいじいがやはり旧知の仲だったということ、イケブクロのクーデターとひいじいに関する顛末、そしてギランなりのツルハシ・ミナト(仮)の正体についての考察が書かれていた。そして、「あとは任せてほしい、私がケリをつける」と。
ギランの推測が正しければ、あの男はやはりひいじいではなかったということになる。彼を騙る魔人にすぎないと。
――ノアにとってはどちらがよかったのだろうか。
「アベシュー! アベシュー!」
みたらし団子の餡でべとべとの手で再度耳を引っ張られる。
「どうした?」
「あれ! あれをみるりす!」
タミコの指し示す方向に目を凝らす。
屋台と屋台の隙間に、ちんまりした影がある。
置き忘れたぬいぐるみみたいなそれが、絶えずキョロキョロと首を回している。
ふさふさの尻尾、くりっとした目、短い手足。
――リスだ。
三百六十度、どう見てもまごうことなきリス。
「まさか……」
ついに出会えたのか。
「……カーバンクル族……」
タミコ以外の、初めての。
タミコがずぼっと愁の髪の毛に手を突っ込み、ドングリをとり出す。
「人の頭をドングリサーバーにするな」
抗議を無視してとことこと歩み寄り、
「あの……これ……」
おずおずとドングリを差し出す。
キョロキョロと首を回す彼(or彼女)は――――それをひったくって一目散、尻尾を返して逃げ去ってしまう。「ピィッピィッ!」と甲高い声をあげながら。
残された三人は口をあんぐりして呆然。
「――今のはネリマリスだな」
現れたのはアオモトだ。
「彼らは魔獣族ではない、ごく普通の獣だ」
「なるほど」
同じリスでも魔獣化しなかった種族か。確かにタミコのような頭の宝石がなかった。
「ネリマリス……シン・トーキョー北西部に分布し、体毛はタミコ氏のような縞模様がなく茶色がかった灰色一色。好物はドングリと木の実、それにバッタやコオロギなどの小型昆虫。人懐っこくて餌付けすると肩に乗ってくれたりするし、こうして人里にもよく姿を現す。愛玩動物として飼育されることもしばしばだ」
「すらすら出てきすぎて怖い」
ついに同胞と出会えた、と思いきや空振りとは。しょんぼリスになるタミコ、無理もない。
「……ひとのドングリうばっておれいもなしりすか……」
「そっちかよ」
「まあ、明日にはナカノに着く。たくさんの仲間たちが待っているさ。ドングリあげ放題、にぎにぎし放題だ」
「外交問題とかやめてくださいね」
いよいよ明日。
愁たちはナカノへと足を踏み入れる。




