136:秘密③
書籍版第2巻が八月に発売予定です。
もちろん書き下ろしもあります、というかウェブ版とはガッツリ違う結末へ。
詳細は後日、活動報告にて。ぜひ1巻をお読みいただいてお待ちくださいませ。
ノアが自身の出自や〝父〟の正体について知ったのは、彼女が八歳のときだった。
当時暮らしていたイケブクロ郊外の集落がメトロ獣の襲撃に遭い、生き残りの住民が散り散りになり、集落にノアと〝父〟二人だけが残ったあとのことだ。その出来事自体は愁も以前聞いたことがあった、狩人面接の際にでっち上げたアベ・シュウ伝記(偽)の一幕だ。
――実はな……お前たちはほんとの親娘じゃないんだ。俺はお前の……曽祖父なんだよ。
そう告げると、彼はその顔をぐにゃりと歪ませ、まったく別人のものに変えてしまった。八年間ずっと見せてきたしわくちゃで浅黒い髭面から、ずっと若く不健康そうな青年のものへと。
ノア自身、もちろん驚いて腰を抜かすほどだった。だが領内の高齢者などであれば、それこそ魂が抜けんばかりに仰天したことだろう。その顔は、何十年も前に死んだはずの彼らの王のものだったのだから。
イケブクロ初代族長、ツルハシ・ミナト。それが父の本当の名だった。
八年間ずっと、いやいや〝魔人戦争〟後からずっと――彼は偽りの死に隠れ、【擬態】で別人になりすまして生きてきたという。そのことを知っていたのは息子を含むトライブの重鎮数名のみだった
「政治とか戦争とか、そういうのが嫌になっちゃったとかで。息子たちにトライブを任せて、そのまま世捨て人みたいな感じでいろいろ旅とかしてたみたいで」
「でも、じゃあなんでノアと暮らしてたの?」
「……それは、たまたまだったとかで……」
イケブクロに帰省してこっそりと息子たちに顔を見せに行ったとき、孫である三代目がいつになく困り果てていた。なんでも「嫁に先駆けて侍女との間に子ができてしまった」ということで、腹を立てた妃が「侍女を処刑する」と言って聞かないのだと。妃と侍女とは親友同然の間柄だったために、その怒りもひとしおだったという。
「いやそれ、ゼッテー王様悪くね? 百年前なら焦土だよ」
「まあ……それで産まれた身としてはなんとも……」
「あ、ごめん……」
ともあれ、産まれたその娘をミナトが引きとることでその場は収まった。ちなみに侍女は領外へ追放され、その後の行方は知れないという。そしてそのときの子が、ノアだった。
自分が現王の落とし胤であり、父と慕っていた人が曽祖父であり伝説の英雄だった――それは天地がひっくり返るほど驚愕的な事実だったが、だからといって曽祖父との生活がなんら変わることもなかった。
汚れた大人たちの都合で真っ当な子どもとしての運命を捻じ曲げられたことを、曽祖父はしきりに謝っていたが、ノアはそのときの生活に満足していたし、むしろ彼が自分を拾ってくれなければどうなっていたかと思えば感謝しかなかった。
だが――二人きりの平穏な生活は、その二年後に唐突に終わることになる。
「ひいじいはずっと嘆いていました……歳を重ねるごとに人の心をなくしていく息子や孫たちを止められないことを。自分の育てかたが間違っていた、自分があの国を投げ出したせいだって」
イケブクロの圧政は、都庁政府の介入の気を逸らすようにじわじわと這いずるような速度で進められていった。あるいは民の不満の矛先を逸らすため、歯向かう者を悪逆の輩と仕立てて処刑したりもした。
「そしてあの日、ついに――」
トーキョー暦九九年八月。
イケブクロトライブにて、クーデーター勃発。
王族への過度な叱責が祟って処刑された、かつての執政官マルガメ氏。その一人息子であるマルガメ・ドンタを旗印に掲げたそれは、都庁政府やネリマトライブの助力もあって見事成就した。王族は最後まで抵抗した結果、その血筋を絶やすこととなった。
「あの日の夜――市街地のほうの空が赤く燃え上がっていて、ひいじいはボクを残してそっちに向かいました。『すぐに戻るからここで待ってろ』って……それが最後に交わした言葉でした」
いつまで経っても戻らない曽祖父を心配し、ノアも領内へと向かった。
高い塀で囲まれた城下町が、至るところで火に包まれていた。消火作業に奔走する領民や狩人たちを尻目に、ノアは曽祖父の姿を必死にさがして回った。そして――。
言い争うような声を耳にした。
城門にほど近い路地だった。誘われるようにその裏手へと足音を殺して近づき、物陰からそっと覗くと、暗がりの奥に二人分の人影が向かい合っているのが見えた。
一人は長身の、オオカミの亜人。のちに〝王殺しの銀狼〟の異名をとることになるギラン・タイチだった。
もう一人は若い男だった。なぜか裸で、そしてなぜか粘液のようなもので濡れてぬらぬらとしていたが、火の粉に照らされたその横顔はまぎれもなく曽祖父のものだった。
――殺してほしい。終わりにしてくれ、君の手で。
曽祖父は弱々しい声でそう言った。
ギランは無言でうなずくと、その手に握る菌糸刀が赤い光をまとった。
ノアが声をあげる間もなく、「ありがとう」と最期につぶやいた曽祖父の頭が宙を舞い、ボウッと火に包まれた。
***
「……その場でボクは気を失って、目を覚ましたときには誰もいませんでした。ひいじいの遺体も、ギランさんたちに持っていかれたみたいで……燃えカスだけが少し残っていて……」
八年前にひいじいを殺したのは自分だと、ギランはカナメチョウメトロで愁にそう告白した。それは比喩などではなく本当に言葉どおりの意味で、しかもノアはその様子を目撃していたわけだ。
「オウジメトロでギランさんに会ったとき、ノアが険しい顔してたのはそういうことだったのか。そのあとはどうしたの?」
「家には戻らずに、別の場所で一人で暮らしました。修行を積んでレベルを上げて、十五歳で狩人になって。昔の名前を捨てて、それでもまたイケブクロに戻ってきた理由は……あそこでまだやるべきことがあるって思ったから……」
それは、ノアが狩人の能力や強くなることに人一倍こだわってきた理由と同じだろう。
「……今まで黙っててすいませんでした。シュウさんの立場とか考えたら言い出せなくて……そのまま言いそびれちゃって……」
けれど、ノアはスガモに移籍する道を選んだ。オウジでの戦いを経て、仇だったギランに対しての思いにも変化があったのだろう。いずれにせよ、ノアは愁たちと一緒に生きることを選んだのだ。
「とりあえず腑に落ちたよ。ノアが最初からやたら〝糸繰士〟に詳しかった理由とか」
実物と一緒に暮らしていたのだから、詳しいのも当然だ。ひいじいが平成時代の生き残りだという話も嘘ではなかった、ご長寿なおじいさんというより半不老不死だったわけだが。
「つーか……俺なんかよりよっぽど重たいもん背負ってたんだなあ……なんて言っていいかわかんないけど、大変だったね」
おまけに彼女は(無自覚ではあるが)キラキラ魔人までその身の内に抱え込んでいる。背負ったものの総重量はもはやチーム随一と言っても過言ではないだろう。
「こんな大事なこと、ずっと黙ってて……仲間にしてほしいなんて自分から言っといて……ほんとに……」
うつむいたままのノアの頭を、愁はぽんと優しく叩く。タミコも気遣うように彼女の横にぴたっと寄り添う。
「けど……それより気になるのは、そのひいじいが生きてたってことだな」
御前試合の会場に乱入して暴れまわったテロリスト集団、〝越境旅団〟。
やつらを率いていたあの怪人は、イケブクロ初代族長ツルハシ・ミナトを名乗っていた。
あの事件については全国紙のトーキョー新聞にて大々的に報道されたが、それに続いて都庁政府やイケブクロトライブは「英霊の名を騙る卑劣な犯罪者」との声明を出した。一般の人々からすれば公式の発表を疑う余地はないだろうが――。
「ノアから見て、あいつは本物に見えた?」
「……あの火傷の痕みたいなのはともかく、少なくとも、ひいじいと同じ声と顔でした。それに、ボクの昔の名前も知ってたし……でも……」
「でも、ノアを育てた人はあんな極悪人でもバケモンでもなかったと」
「当然です! ボクの知ってるひいじいは、ちょっと偏屈で人嫌いなところもあったけど……あんな……」
ノアの記憶が確かなら、ひいじいことツルハシ・ミナトはギランの【炎刃】で首を刎ねられ、頭部を燃やされたということになる。
だからこそ、最初の疑問にぶつかるのだ。それでもなお死なない生き物など、果たしているのだろうかと。
「俺たちがリクギメトロで倒したバフォメットの成長個体は、サトウさん曰く魔人の〝眷属〟だった。それに、あの自称ツルハシ・ミナトが退き際に放ったメトロ獣……〝眷属〟がどうのって言ってた気がする。つまりあいつは――クーデーターのあとにひいじいの肉体を乗っ取った魔人、ってことになるんかな?」
魔人とは菌石と呼ばれる本体が寄生した生物だ。また、キラキラやオウジのアラトのように「宿主の人格や記憶」に影響を受けていると思われる。とすればノアの昔の名前を知っていたことも筋は通る。
ノアが再びうつむき、唇を噛む。
「……ノアは、あの自称ツルハシを追いかけたい?」
「……勘ですけど、あの人はいずれ、ボクたちの前に現れると思います」
ひいじいが本当は生きていたとなれば、これほど嬉しいことはないだろう。だが――それが愛する者の姿を借りた異形にすぎないのだとしたら。
「……だけどさ、ってなると、じゃあひいじいはクーデターの時点では死んでなかったってことになんのかね?」
魔人がどれだけデタラメな存在だとしても、燃やされた上に頭まで失った死体から復活した、というのは考えづらい。ギランもキラキラも「菌石は脳に寄生する」と言っていたし。
自分が殺した、とギランは言っていた。少なくともギランはそう信じていたのだろう。
(もしかして)
(……【不滅】で生き延びた、とか?)
(つーか〝糸繰士〟って、どうやったら死ぬんだ?)
「……なんにせよ、もっかいギランさんに話聞いてみたいとこだな」
それと、都知事への謁見も忘れてはいけない。あのときのゴタゴタで勝利報酬の「都知事・教祖との直接対談」は延期になってしまったのだ。彼らから魔人についていろいろと聞き出さなければ。
「ノアは……ギランさんのことはだいじょぶなの?」
「今思えば……あの人はたぶん、前からひいじいと知り合いだったんだと思います。だからあのときのことも……なにか事情が……」
ぎゅっと拳を握りしめるノア。あの男に対して思うところも残っているのだろう、それでも顔を上げる。
「だから……今度会ったら、直接訊いてみます」
「うっし、ここ出たらイケブクロ直行だな」
スガモでいくつか依頼を受けてきたが、今回の件以外はそれほど急ぎの用件ではない。イケブクロに寄ってギランを捕まえていろいろ吐かせて、ついでに前回食べそこなったにんにくラーメンを食べるくらいの余裕はある。
「あたいも、きになることがあるりす」
小難しい話が続いたが、それでも空気を読んで居眠りせずに耳を傾けていたタミコ。愁とノアに挙手してみせる。
「ノアのほんとうのナマエ、しりたいりす」
「あ、俺も俺も」
とたんに、ノアの顔がボッと赤くなる。
「いや……その……もう八年もイカリ・ノアですし、今のボクはスガモのイカリ・ノアですし。そうやって構えられると恥ずかしいっていうか……」
「いいじゃん。教えろよー」
「おしえろりすよー」
「あ、ボクお腹すいたんで、お肉もらってきますね」
「逃げんなよー」
「りすよー」
そうして始まる三人の追いかけっこ。一部の人たちは微笑ましい表情、一部の男たちは「リア充爆発しろ」という冷ややかな表情。あはは、今日は勝ち組。
***
ゴコクジを出たその足でイケブクロに向かうが、あいにくギランは不在、しかも多忙でいつ面会できるかも不明とのことだった。
物々しく徘徊する憲兵と狩人の姿や街全体を包む雰囲気からして、イケブクロはかなりの厳戒態勢のようだ。クーデターにより滅ぼされた王族の始祖を名乗るテロリストが現れたのだから、いつここが第二のスガモになるかと警戒するのも無理はないだろう。
しかたなくにんにくラーメンをうまたにえんしてイケブクロをあとにし、他のクエストをこなすことにする。
あるいはミョウガタニメトロに潜ってみたり、オウジまで足を延ばして温泉に入ったりチワぐるみを物色したり、イタバシの町で飲み屋街をうろついたり。
燦々と輝く太陽の下、あちこち歩き回り。
観光したり買い物したり獣を狩ったり。
「つーかさ、八月なのにそこまで暑くないよね」
「そうですか? 連日三十度超えしてますけど」
「あついりす……ケガワぬぎたいりす……」
「いやいや、甘いっすわ。北関東スレスレ育ちなめんなっすわ」
その後も何度かイケブクロに足を運んだものの、ギランとは一度も会えず。
そんなこんなで一月が経ち、八月も終わりに近づいたところで、愁たちはようやくスガモへの帰路をたどることになる。
自宅に戻るより先にギルドに向かい、諸々の報告を済ませる。
現在このスガモ支部で愁の正体を知っているのは、アオモト、カイケ、シモヤナギを含めた職員組合員の上層部のみだ。彼らにはどうしても話さざるをえなかったが、都知事から箝口令を敷いてもらったおかげで大々的に流布されることは避けられたのだ。
ともあれ、御前試合でチート菌能のオンパレードを披露してしまったために、同僚たちから質問攻めに遭ったのも一月も前の話。「おかえり」「久しぶり」と声はかけてもらうものの、無理やり問い詰めに来る者はいない。どうやらうまくほとぼりは冷めてくれたようだ。
ふと思い立って、家に帰る前に鍵屋に寄ることにする。クレを留守番させるためにやむをえず合鍵を託してしまったわけだが、念のために新しい鍵に替えておいたほうがよさそうだ。
案の定、愁たちを出迎えたクレが切なそうな背中でなにかを庭に埋めていたので、予感は的中していたと思われる。
「君たちが大事なこの家の留守を預けてくれた、その期待に応えるために僕は全力を尽くしたつもりさ。カビ一つ生えないように毎日ピカピカに掃除したし、新聞の勧誘はすべて断ってやった。どうだい、なにかご褒美というかお土産はくれるのかい?」
「本当にありがとう。さあ、お前はもう自由だ。どこへでも行っていいんだぞ」
「君たちも仕事で大変だったろうけど、こっちはこっちでひと悶着あったりしてね。そうだ、シュウくんに見せたいものがあるんだよ。さっそく二人で出かけないかい? どうしても君に見てもらいたいんだ……僕の〝伝武〟を」
「お前の尻なんぞ見たくねえよ」
そうして、久々にスガモですごす平穏な数日間。
そこへ一人の客が訪れ、愁たちは再びスガモを離れることになる。




